今精神がボロボロなので、昔聞いた話をここに吐き出して安定を図ろうと思う。
入れる理由は「あの世で金に困らないように」あるいは「三途の川の渡し賃」が大体主だろう。
前者の考えは死ぬ=俗世から離れる、という考えの仏教にはあまり合わない考えなので、日本では後者が一般的。
生前の罪を反省し、仏に帰依し信心する。そういう現世から次の世界に進む通過儀礼の意味合いが強い。
なので昔はよほどのことがない限りは必ず文銭を入れていたし、現代でも印刷紙など代替品によって風習は続いている。
それも不思議なことに、地域の名士だとか知恵者、優れた人ほど入れない傾向があった。
一見仏道に反しているかのようだが、これには理由があったのだった。
払う代金がなければ三途の川を渡れない、そうなれば現世に戻ってくるしかないだろう。
そんな一方的な道理であれど、集落中にこの考えは染み渡っていたらしい。
あるいは一気に優秀な人々がいなくなって困窮した結果かもしれないが。
そんな経緯でこの風習は半世紀ほど続いていたんだが、ある年それで本当に生き返った人がいたらしい。
まあ死人がまた復活したら喜ばしいやら仰天するやらで大騒ぎ。しかしその人は浮かない顔で、もう六文銭を抜くのをやめろと言う。
村人が理由を聞くと、どうかもうやめてくれと必死に懇願されてここに戻ってきたのだと。
三途の川には罪の重さを量る「懸衣翁」と「奪衣婆」という鬼の夫婦がいるんだけれども。
どうやら六文銭がない分は彼らが自腹で払っているらしい。
一人一人の額はそれほどでもないが、増えれば途方もない金額になる。
ただでさえ飢饉やらなんやらで身も削られているのにわざとやられたら敵わないからやめてくれ。
そう泣きつかれたのだという。
それから今までの反省も加味して、十文銭を入れるようになったその村は「十文村」と呼ばれたとか。
まあ、うちの地元に伝わる古い古い民話なんだけどな。村の名前も読みこそ同じだが、漢字は既に別のものに変わってしまったし。
anond:20190517190226 https://anond.hatelabo.jp/20190208105948
anond:20190518073914
増田國男じゃん