2021-08-31

古事記vs日本書紀

モンゴル系の皇族が、法隆寺火災を書いてない古事記を出したので、法隆寺を建立した高句麗系の皇族炎上して日本書紀を出した。

匈奴鮮卑などの大陸文化を好んでいた聖武らは、法隆寺破壊して彼らの北魏風に再建した。その後、奈良平城京を立てて引越し火災など知らないよと(平易な漢字で)古事記を出した。それ以降、ヒメヒコ制も急に廃れ男性天皇が主になった。

聖徳太子聖武の前の文武天皇のほうは、もちろん飛鳥時代や初期法隆寺を作った高句麗系か倭国系の人物で、今でいう炎上で(難しい漢字で)日本書紀を出して火災言及した。しか天皇系図への異論までは書けなかった。

それでも聖武が文武の息子というのは疑わしい。7才の実の息子は追い払われ、のちに聖武がその子なりすましてるだろう。皇族乗っ取り合併が好きなんですか先生

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん