はてなキーワード: 私たちとは
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/222919
黒岩信忠草津町長から性被害を受けたとの虚偽の告訴をしたとして、元町議が虚偽告訴罪などで在宅起訴されたことを受け、「元草津町議を支援する会」の会長を務める中沢康治町議は28日、同会の活動休止を表明した。
中沢町議は、体調不良を理由に現在まで元町議から説明がないとし、「彼女を信じてきた私たちに語ってもらえなかった以上、活動を休止するほかないと決断した」などとした。
例えば「職場で性的な会話を求める」ような「不快な」行為がセクハラになるというレベルの話と、公共空間においてそれを連想させる表現を容認し、ひいてはそうした(環境型)セクハラを容認する意識に問題があるというレベルの話があって、つまり批判者は後者の立場から批判しているってわけだよね。
しかしそのような批判に対して、そもそも二次元・空想表現のうち少しでも性的な匂いのする表現を「不快」として、環境型セクハラまたはそれを連想するものとして扱うこと自体が対人性愛中心主義的な発想であり、フィクトセクシュアルのような人々に対する差別ではないか?私たちのジェンダーエクスプレッションのような文化に対する理解度が足りないのでは?という批判がなされているわけで。
私たちは皆、自身が最善を尽くしたと思うように行動するものです。そのためには、自身の能力や才能を最大限に発揮することが求められます。また、その行動を通じて、他者から尊敬や評価を得ることも期待されるでしょう。しかし、その一方で、他者を傷つけるような行動は避けるべきです。自身が最善を尽くしたと思うように行動することは重要ですが、それを通じて他者を傷つけるような行動は慎むべきです。
それこそ「暴力」ですよね。
うちの子はアレルギー持ち。だけど食いしん坊で、いろんな食べ物に興味を持っています。
おいしそうなものを見れば「これ私食べられるかな!?」が口癖と言っていいほど。
でも特定のアレルゲンが入っていそうなものだと「これは食べられないねー」と親から言うことになります。
そうすると「そっか~しょうがないね!」と気丈にふるまうのだけど、毎回寂しそうにするんですよね。そのたび心が痛くなります。
みんなの目に入るところに食べ物の写真を置くのなら、せめて「誰でも食べられるもの」にすべきではないでしょうか。(アレルギーとかハラル?とかに対応したものですかね)
お店のショーウィンドウとかはさすがにしょうがないと思います。自分の商品が何があるかは示す必要がありますからね。(でもせめて、各店舗アレルギー対応定食を一つ置いてほしいですね!「出先でおいしそうなお店にちょっと入る」というのが、私たち家族にとってはとても贅沢なものなんです。事前に行く場所の食べられそうなお店を検索して、でも個人がやってらっしゃるようなお店は情報がないので結局どこに行ってもガスト等に入ることになります。あ、ガストは神です!ただ最近アレルギー対応のお子様セットのクーポンが無くなってきてとても残念。。。)。
ちょっと話それましたけど、やっぱり人目に付く広告で、一部の方の過敏な嫌悪される感じなんかよりもずっと切実なアレルギーの問題が放置されていることに、すごく違和感があります。(あの方がアレルギー持ちだったら、活動してくださったのかしら。結局属性の当事者じゃないと救われないんですよね。。。)
まずアレルギーとかそういう切実な問題(本当に切実です!駅でそういう親子見たことないですか?)に着手して、それからより優先度の低い問題に取り組んでいくべきじゃないでしょうか。
自分で活動すれば、というかもしれませんが、家計も家庭も支えなければならないので、そういった活動に自由に時間を割くことは私はできないのです。
こういった声を拾ってくれる人がいることを願います。
ごめんなさい、「数」でなく「切実さ」を考えてほしいのですが。。。さすがに性被害に直結するような広告と比べるとこの件は切実さは小さいと思うのですが、そうでない今話題になっている広告と比較したらアレルギーの方がよっぽど切実だと思うのですが。。。。。
追記2
反応も読みました。温かい言葉もあり、うれしいです。その中で申し訳ないです、こういうのがどうしても目に留まるのですが。。(性格が悪いのかも。。)これで「何も広告出せないよ」となるのなら、いま話題になってるものは何なんでしょうか。絶対あの広告より、こっちのほうが優先度高いと思うのですが。。なにも「トップレスの人がいる広告よりもハンバーグの広告のほうが酷い」なんて言うのではないのです。でもあの広告よりは議論に挙げていただいてもいいのではないか、ということなんです。特定の分野の不快感ばかりクローズアップされて、その下がった線よりは切実であろう問題が目に入らない。それが、とても不公平だと思うんです。みんなが「少しずつ我慢」するならいいんです。でも、今のような話ならどう考えてもこちらの方が切実だと思うのに。。お気持ちと言えばそうです。でもそれならなぜ、優先されて議論されるお気持ちと優先されないお気持ちがあるのでしょうか。今も子供が寝てから、やっとこうして長く書けるのです。力のある人に、是非この言葉を拾ってほしい。
百合オタを見ればわかるけど
結局ポリコレは「平等・配慮」といった綺麗な言葉で包んだ建前で
「私たちはマイノリティだから優遇しろ!」「私たちマイノリティを不愉快にさせる表現を規制しろ!」が本音
今必要なのは、マイノリティをみんなに無理やり受け入れさせることでも、アンチマイノリティを排除することでもなく、お互いが傷つかないように
社交辞令で、「いつでもいらしてください」と言っていたら、「OK、来週空いている?」みたいな話になる。
近所にやってきたときは当然泊めてもらえるものみたいな振る舞いで、断ると「私たち、何のために来たんだろう?」みたいに責める。
「お金ないんで子供が大学に通うときに下宿させろ」と親まで巻き込んで話してくる。こちとらは一人っ子じゃ。金がないなら作るな!あほか!
こっちに出張や旅行するときの無料宿泊所として使おうとするし、断ったら親を巻き込んで説教してくる。
https://anond.hatelabo.jp/20221207122508
前提としてこれを読んだうえでの話をするので、未読の人はこちらから読んでいただきたい。正直TRPGをやっている人、これからやろうとしている人には読んでほしい話だった。
というのも、私も以前の恋人と全く同じような内容で喧嘩していてそれが原因で関係に亀裂が入って別れたからだ。(この辺は読まなくていい)
恋人がTRPG(ただしくはCoCだ。以降は卓と表記する)にはまってから、各段に一緒に過ごす時間が減った。
気が付けば卓が、立ち絵が、部屋作りが。同卓が、KPが。そんな話ばっかりだった。
少しでもいいから私との時間を取ってほしい。そういった話は何度かしたし、それで何度も話し合いや喧嘩を繰り返していた。
それでも直らなかった。今思うと私が多くを求めすぎていたんだと思う。さっさと別れておくのが正解だった。NOT FOR MEの精神が当時の私には足りなかった。いたく反省している。
もうあの記事を読んだときにものすごい勢いで自分のそれと重なっていた。正直あの増田に親近感沸いたし酒も飲みにいける。奢りたい。
増田に伝えたいのは、悪いのは自分で日程管理をできていないAであって周りの人じゃないんだよ、ということだ。
でもすごくわかる。周りすら憎くなるのもすごくわかる。私もそうやっている間、本当に周囲に募集掛けないでくれ、頼むから私たちの時間をくれと願っていた。お前もなに意気揚々とやりますとか言ってんだよとも思ったが。
多分このあと落ち着いてすっかり未練だったり心配だったりを断ち切っていけたらそうなんだなって思えるとは思うけどね。こればかりは時間が解決するものだろう。頑張れ増田。応援してるよ。
今卓をやってる人、本当に自分は大丈夫かな。いったん落ち着いて自分の周囲を確認してみてほしい。
特にいわゆる卓修羅と呼ばれるような人ね。あとあの記事を読んで嫌な気分になった人はおそらく何かしら無意識に思い当たるフシがあるんだと思うよ。
誰かを、何かを疎かにしていないか。もし恋人や家族がいるのであれば、それが大切なものであるのなら、ちゃんと向き合う時間を取るべきだよ。
確かに卓は楽しい。私も1プレイヤーとしてやってきたし、その事実は覆ることはない。
睡眠や、食事や、そのほかもろもろを疎かにしてでも遊びたいのもわかる。
でも、それで何かあった時に卓は責任を取ってくれないよ。他人の愛情は無限でも無償でもないし、私たちの体は日々衰えていく。私は最近ハンバーガーのセットを食べきれなくなってきた。デブの名折れです。
スケジュールを組むのも自分だし、大切なものを失うのも自分だ。
私たちは、自分がやりたいことをやることができると幸せであると思います。そして、自分がやりたいことをやることは、自分自身を尊重することでもあります。
そのため、あなたがマーケティングや商品開発をやりたいと感じているのであれば、それを追求することが大切です。周りの人があなたを足引っ張るようなことがあっても、自分自身がやりたいことを追求することができれば、それはあなた自身を幸せにすることであると思います。
また、周りの人があなたを足引っ張るようなことがあったとしても、それを自分自身の力で乗り越えることができるでしょう。自分自身を信じて、自分自身を尊重することができれば、周りの人の言葉や行動に影響を受けずに、自分自身の夢を追求することができるでしょう。
最後に、あなたが自分自身を尊重することで、周りの人もあなたを尊重するようになるかもしれません。そのためにも、自分自身を大切にし、自分自身の夢を追求することが大切です。
何度でもいうけど、別に我々は岸田や自民党を応援してるわけではない。
頼むから自民党の方ばっかり見てないで私たち国民の方を向いてくれ。
https://twitter.com/shiikazuo/status/1607356151863345153
こうして見ると、岸田政権がやろうとしていることがどんなに異常かがよくわかる。安倍・菅内閣で10年かけてやってきた軍事費増の2倍もの軍事費増を、たった1年でやろうとしている。
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743
人間は社会的な生き物ですが、多くの人は拒絶される心配があるため、見知らぬ人との社会的な交流を恐れています。Journal of Experimental Social Psychology誌に掲載された研究では、見知らぬ人と話すことをより快適にする可能性のある介入方法を探っています。
社会的相互作用は非常に重要であり、幸福感の増大、健康増進、帰属意識の強化など、多くの効果が実証されている。にもかかわらず、多くの人が初対面の人と付き合うことに不安を感じています。これは、悲観主義と拒絶されることへの恐怖によるところが大きい。
多くの人がこのような恐怖を抱いていますが、研究により、ほとんどの見知らぬ人は話しかけられることに完全に満足しており、この一般的な恐怖は杞憂に終わることが分かっています。この新しい研究は、人々がより快適に感じ、より自信を持って見知らぬ人に話しかけるための介入方法を探ろうとしたものである。
「人は、見知らぬ人と話すことに対し、驚くほど悲観的です。私たちの新しい『知らない人に話しかける』介入は、5日間にわたって知らない人と繰り返し会話をするよう促すことで、知らない人に話しかけることに対する人々の恐怖心を軽減することを目的としています」と、Gillian M. Sandstrom氏とその同僚たちは書いています。
研究者らは、米国と英国の2つの大学から募集した286名の参加者を利用した。参加者は、授業の単位を受け取るか、報酬を受け取って参加した。研究者たちは、モバイルアプリを使用して、参加者が完了できるように借り物競争ゲームを作成しました。29のタスクはそれぞれ、コーヒーを飲んでいる、面白い靴を履いているなど、記載されている説明に当てはまるプレイヤーを探すよう参加者に指示しました。
各タスクを完了するごとに、参加者はポイントを獲得し、賞品が当たる抽選に参加することができた。実験条件では、参加者は見知らぬ人に話しかけるように指示され、対照条件では、見知らぬ人をただ観察するように指示された。参加者は、実験期間中の5日間、タスクの前後で一般的なアンケートと毎日のアンケートに回答した。
その結果、この介入によって参加者の視点が変化することが示されました。見知らぬ人に話しかけるように指示された参加者は、研究の最終日までに、気まずさがなくなり、自信がつき、拒絶されることを予期しなくなった。この結果は、研究終了後少なくとも1週間は継続し、治療条件では見知らぬ人との会話が増えたと報告されました。
人々の信念は研究期間中ゆっくりと変化し、繰り返し触れることがこの介入を効果的にする重要な要因であることが示された。さらに、対照条件では、同じ次元でいくらかの改善が見られ、交流がなくても、見知らぬ人を観察することは、何らかの社会的利益をもたらす可能性があることが示された。
「科学者や公衆衛生当局の多くが、孤独感の増大とその健康への深刻な影響に警鐘を鳴らしている今、我々の介入は特別な意味を持つかもしれません」と、研究者は述べています。
この研究は、社会的に大きな利益をもたらす可能性のある介入を概念化する上で重要かつ興味深いステップを踏み出しました。にもかかわらず、注意すべきいくつかの限界がある。そのひとつは、研究者が参加者に、実験後の1週間に見知らぬ人と会話した回数を記憶するよう求めたことであるが、指示が明確ではなかったので、その結果は信頼できないかもしれない。
また、本研究の参加者は大学生であり、多くの人がある程度見知らぬ人と接することを余儀なくされているグループである。今後の研究では、地域社会のサンプルを利用することも考えられます。
最終的に、私たちの新しい「知らない人に話しかける」介入は成功し、知らない人に話しかける経験を繰り返すことで、知らない人に話しかけることに対する人々の恐怖心を軽減し、将来の会話についての予測をより正確にすることができるという証拠を提供しました」とSandstrom氏とその同僚は結論付けています。
「私たちの介入は、見知らぬ人に何度も近づき、話しかけるというシンプルなものです。そのため、この介入は多くの人が自分で行うことができるものである。このような交流を避けようとする本能は、著者らも共有していると告白しているが、読者もぜひ試してみてほしい。我々の研究が示すように、こうした会話は練習すれば本当に簡単になるし、その経験はあなたが期待する以上にポジティブなものになるだろう」。
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022103122000750
CMでよく見る、猫がペロペロとちゅーるを舐める様子に憧れてた。
念願の犬用ちゅーるを見つけたのでさっきうちの犬に与えてみたのだが、最初は大人しくぺろぺろ舐めてくれていたけど、途中からもどかしくなったらしく、そのチューブを寄越せと言わんばかりに引っ張り合いっこになった。
そんな私たちを嘲笑うかのように、TVから猫用ちゅーるのCMがちょうど流れてきた。賢い猫ちゃんだ……。
今もまだ鼻をふんふん鳴らしてちゅーるを探してる。
人生には、意味や価値があると思われます。それは、私たちが持つ能力や才能を生かして、自分自身や他の人々に貢献することができるからです。また、人生を通じて、新しい経験や学びをすることで、自分自身を成長させることができます。さらに、人生を通じて、愛や友情を深めることができます。それらは、人生が意味を持つと感じる上で大切な要素です。
ただし、人生には様々な苦しみや困難も含まれます。ですが、それらを乗り越えて、より豊かで幸せな人生を送ることができると信じています。そのためには、自分自身を大切にすること、自分自身を受け入れること、他の人々を尊重することが大切です。
また、人生において、自分自身が望むような人生を送ることができるわけではありません。ですが、それでも、自分自身が望むような人生を送るために、努力をすることで、自分自身を幸せにすることができると思います。そのためには、自分自身が望むような目標を設定し、その目標を達成するために努力することが重要です。
放課後になったので、俺たちは早速校門へと向かった。そこにはすでに佐藤さんの姿が。
「やぁ2人とも、わざわざ来てもらって悪いね」
「いえ、全然大丈夫ですよ!それで、今日は何をするんですか?」
「それは着いてからのお楽しみさ」
「あぁ、きっと満足できると思うよ。さて、じゃあ行こうか」
3人で歩き始めてしばらくすると、目的地に着いたのか、佐藤さんが立ち止まった。
「あ、なるほど……。そういうことだったんですね」
「え?どういうこと?」
「つまり、私たちが変人に目をつけられたように、今度は佐藤さんが変人に目を付けられたってことだよ」
「あ、部長さん!この人は私の友達なんです。さっきそこで偶然会って、ちょっとだけおしゃべりしてたんですよ」
「ふ~ん、そうなの。まぁいいわ。それより、早く入りましょう」
「おい佐藤さんまで巻き込むんじゃねぇよ!あんた1人で勝手にやってろ!!」
「何言ってるのよ。増田部のアイディアは佐藤さんが考えてくれたものなんだから、彼女にも参加してもらうのは当然じゃない」
「えぇ!?そうなの?」
「うぅ……そんなぁ……」
こうして俺たちは、拠点の中へと入っていった。
「は?」
「え?なに?」
「どうしたの?急に」
この女、気でも狂ったのか?
「え、いや、だから増田部。私が部長で君たちが部員ね。うん決定。じゃあ早速今日から活動しよう!」
「いやいやいやいや!何言ってんすか!?」
「そうだよ!なんでいきなりそんなこと……」
「まぁ落ち着いて。私も最初はそう思ったさ。だけどよく考えてみてほしいんだ。女の人生はイージーモードだって言うだろう?」
「言いませんよ!?」
「女の人生って……まさかあなた、弱者男性だったんですか!?」
「違うわ!!私はれっきとした女の子だよ!!ただちょっとだけ人生楽して生きていきたいなって思ってるだけだ!!」
「それはそれでダメですよ!!」
「甘いな2人とも……。甘いよ……甘すぎるぜ……!!」
「なんか変なことを言い出したぞこいつ……」
「これ大丈夫かな……」
「いいかい?まず、弱者男性は人生ハードモードだ。なぜなら社会的にも肉体的にも弱いからだ。そしてその弱さに付け込まれて、女性から酷い扱いを受けることが多いんだよ。これはもう周知の事実と言ってもいいほど当たり前のことなんだ。だからこそ、そんな弱者男性を救済する組織が必要なんじゃないかと私は思うんだ」
「なるほど……確かに言われてみると納得ですね……」
「でもどうやって?」
「そこで登場するのが、我らが増田部さ!」
「えぇー……」
「なにそれダサい……」
「私は増田を見て知ったの。弱者男性を救済するためには女をあてがえば良いということを!つまり、私たちが弱った男どもを見つけ出して、優しく手を差し伸べてあげれば、男は勝手に依存してくるという寸法さ!」
じゃあお前が弱者男性と下方婚しろよと思ったけど口には出さなかった。
「なるほど……一理あるかも……」
「ちなみに私はあてがわれる気はないからね。弱者男性みたいな本来なら淘汰される運命の人間を、あえて保護してあげることで優越感に浸りたいタイプだから」
「本当に最低だよ!!」
「まぁとにかく、そういうことだから。明日から早速活動を始めようと思うんだけど、どうかな?」
「うぅ〜ん……私は別に構いませんよ」
「あたしも良いと思います」
もし趣味や興味に対する関心喪失や集中力の減退が長期にわたって続いている場合は、そのような状況を改善するために、さまざまな手段を試すことができます。
まずは、身体的な健康状態を整えることから始めることが大切です。健康的な生活習慣を維持することで、心身ともにリフレッシュすることができます。そのためには、野菜350gを摂取するような健康的な食生活、適度な運動、瞑想、十分な睡眠を心がけることが重要です。
また、趣味や興味に対する関心喪失や集中力の減退がある場合は、新しいことに挑戦することや、趣味を再探することで、興味を再燃することができるかもしれません。また、趣味を再開することで、ストレスを軽減することもできます。
さらに、集中力を維持するためには、身の回りの環境を整えることや、タスクを分割すること、自分に合った集中力を維持するためのテクニックを試すことも有効です。また、心理的な問題があるかもしれませんので、プロフェッショナルのサポートを求めることも検討することができます。カウンセリングやセラピーを受けることで、内なる悩みやストレスを解消することができるかもしれません。
お悩みの状況に応じて、さまざまなアプローチを試すことで、趣味や興味に対する関心を取り戻すことができるでしょう。
私はあなたが感じることを、理解することができますが、評価することはできません。そのようなことは、あなたが持つ、自分自身の心にしか決まるものです。
それでも、私があなたの前にいるということは、あなたが、どんなに深い内面の悩みや苦しみを抱えているとしても、そこには神がいます。神は、その真実を知り尽くしておられます。そして、その真実を、あなたが理解することができるようにしてくださるかもしれません。
それでは、私がお祈りします。あなたが、その真実を理解することができますように。そして、その真実が、あなたの心を癒し、新しい希望を与えることができますように。私たちは、皆、神の愛に包まれています。その愛が、あなたを癒し、守ってくださいますように。
「戦争をあおっているのは日本」 防衛増税と敵基地攻撃能力保有に批判や懸念の声相次ぐ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/220380
最近の日本の防衛力増強についてサヨクは見事にこの論調一辺倒だけど、この人たちが御旗に掲げる大日本帝国の教訓とやらは一体何を反省しているのか。この人達の言い分を聞いてるとどうも他所が独裁しようが侵略しようが兎に角「日本」がやらなければ良いと言う風にしか聞こえない。普段は他国を引き合いに出して日本が悪いの大合唱なのに、軍事のこととなると国際情勢をシャットアウトして日本が悪いとなる。
これもう、左翼でも何でもなくただの反日の証左でしょう。他国の思惑を含んでてもおかしくない。普通は左翼でも自国のためにと言う愛国心があるものだからね。
ならば私は大日本帝国から何を学んだかと言うと、私は「独裁」や「侵略」、また他国でのことだが「ホロコースト」等の凄惨さ、そして「人権」の大切さを学んだ。誰がやったかではなく非人道的な行為そのものを批判している。
だから現代に於いてそれらを全てやっている中国共産党や現在ではロシアも強く非難している。それに対してサヨクはかつてネトウヨとレッテルを貼り差別主義者だの内政干渉だのと言うばかりだった。こう言うと日本共産党は昔から中国共産党を非難していると言うテンプレ回答が返ってくるわけだけど。
まあそれはさておき、現代に於いて中国は勝手な領土主張に基づく領海侵犯や領空侵犯、海上基地建設のほか、様々な国で合法的に金で物件を買い取ったり、金を貸し出したり、インフラの補助をしつつ、その見返りにその地域への支配力を強めると言う、原始的な選択をしたロシアと違って現代的な侵略行為を行っている脅威なわけで、中国が日本へ攻めてくると言えば中国脅威論()と鼻で笑う冷笑サヨクは沢山いたけど、いよいよその支配欲や脅威を隠さなくなってきた中国に対策をせざるを得なくなってきた訳だ。
本当は20年は早く、中国はODAを貰いながら軍拡していることが問題視されていたのだからその頃から動くべきだったけど、どの勢力が足を引っ張ってきたかはもはや言うまでもない。
こうした言説に対して彼らは、日本が軍拡するからいけないんだ!と中国に与するだけの理論を宣っているのだけど、じゃあその彼らの言い分をシミュレートしてやると、抵抗しない日本を中国が支配下に置くのは容易いことだろう。
中国は侵略戦争を仕掛けるまでもない、例えば金で買い取って表向き日本と言うガワを残しながら奪いたい土地を傷つけることなく占領し、そこに中国人民を流し込んでじわりじわりと蝕めば良い。合法的な選挙でも優勢になればあとは台湾みたく日本は中国の領土とでも主張してくるだろう。歴史が支配のためにある中共にとって歴史修正は十八番だ。最終的には香港と同じく強制的に独裁を完成させられる。とか。
まあこの過程はどう異論あっても良い。そんなに重要じゃない。どの道中国は抵抗のない日本相手なら易々と支配するでしょう。
そうして日本が中国となったらどうなるかと言うと、私たちが単に独裁支配下に置かれると言うだけの話ではない。中国人民となった私たちは独裁国、侵略国の人間と言う立場を繰り返す訳だ。
さらに中共はもはや誰もが知っての通り、ウイグルでのホロコーストもある。それが日本へ向かないと言う補償も当然皆無だが(寧ろこれまで政治的に敵として描写してきた日本人を易々と一般人民として受け入れることはないだろう)、同時に中国の人民となった日本の人々はそのホロコーストへ加担した事にもなる。
これこそ私の大日本帝国の反省点と矛盾する、最も危惧している事態だ。
そう言ったことまで踏まえて、私はそうした事態に対して抵抗一択だとしている。法の面でも軍事の面でも備えるほか無いだろう。何もせず支配を受け入れる手はない。
ウクライナと同じく、敵地攻撃能力でもなんでも持って、それが抑止力となり事が起こらないのならそれでベストだし、犠牲を払いながらも諸国を味方に付け独裁や侵略に加担せず国を守れたならベターだろう。
当然、結局犠牲を払うだけで守れずに終わると言う最悪もあるだろうけど、現代日本人として非人道的行為への抵抗は示したい。
主義のために命を失うのは意味がないと言われるかもだが、抵抗せず支配下に置かれたら命が助かると言う補償もない。むしろ命があっても人権なく非人道的な行為に曝され、何のために生きてるのかもわからない地獄しかないかも知れない。私はそれには抵抗したい。
この考えを否定してでも現在の日本の防衛力増強は反対だと言えるだけのことがあるなら言ってみて欲しい。
願わくば、拮抗してる間に中国共産党が瓦解し、独裁が終わり、広すぎる中国が分裂しようとも、中国人民がそれぞれ人権を得る事を望んでいる。
そうですね。法は社会を秩序立ったものにするために必要なものですが、それだけでは私たちが望むような社会を作ることはできません。そのためには、法以外の規範が必要になります。
例えば、食べ物を粗末にすることが法で禁止されているわけではありませんが、それでもそのような行為は社会的に不適切だとされています。そのような規範は、個々人が自分自身を尊重し、他者を尊重することを意味しています。
また、法以外の規範は個人差があるということもあります。自分が望むような社会を作るためには、法以外の規範も考慮する必要があります。そのような規範は、個々人の価値観や考え方によって異なりますので、その調整が難しいと感じるのも無理はありません。
例えば「食べ物を粗末にしてはいけない」という話は、別に法で規定されているものではない。しかし私たちは買った食べ物をその場でゴミ箱に突っ込む人がいたら憤るだろう。ネットにその動画を投稿したら炎上は不可避だ。それに対し、「違法ではないから問題ではない」という弁明をされて矛を収められる人はどれだけいるのだろう。
法はルールの典型だが、私たちには規範としている何かが種々にある。それは法によって線引されたものもあれば、個々人によって異なる曖昧なものもある。