はてなキーワード: 生活費とは
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。
薄々うちは毒親じゃないかと思っていたがここ数年それに拍車がかかってる
去年看護の専門学校(一応住んでる県では偏差値トップ)に入学して、今2年次なんだけど、専門学校に入学してからが本当に気が狂いそう
まず父親が去年家を出て行って、家からバスで20分くらいのところに住み始めた
母親は嬉しそうだったけど、私は複雑だった
もともと公共料金支払い能力のない人で、父親が家にいる時から電気が止まるのは当たり前で一回水道も止まってびっくりした
そんな状況でも父親に「払って!」って迫れないのは、父親が怖いから
手をあげないだけマシ そう思っても、お金の話を出した途端立ち上がって自分の書斎に行って、気分が悪ければ何日も私たちと顔を合わせない生活を続けるような父親の機嫌を取らなければいけなかったから
父親が出て行ってから機嫌をとることはなくなったけど、学費の催促もできなくなったし母親がパートのお金で生活費を賄うようになり、私たち姉妹にお金をせびったり八つ当たりするようになった
私ももう学校辞めたい 父親は学費払ってくれないし、車社会の今住んでる県で免許ないと生活できないのに自動車学校のお金も誰も出してくれないし、奨学金は母親のカードの返済に使われるし、私は何のために生きてるんだろうってなる
私ももちろんバイトしてるけど、母親の生活費の補填したり父親が払ってくれない学費の補填したり、自学の金を一括で出せるようなお金はない
お金で苦労したくなくて看護師になろうと思ったし、実際看護師の勉強は楽しいのに、私の周りは誰もそれを助けてはくれないんだね
みんなやってる前撮りも母親に「いらないよね?」って言われたら撮りたくても「うん」としかいえなかった
母親は父親にLINEブロックされてて催促できないくせに私に「なんでもっと学費の催促しないの?」って怒ってくるし
本当にリスカしそう
今まで頑張って理性でとどめてきたけど死ぬくらいならリスカくらいしてもいいかもってなってきた
本当に馬鹿みたいだ
早く死にたい
後悔するような人たちだったら今頃こんな仕打ち私にしてないと思うけど
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。
一時期「フニーター」とかでモロにそういう生き方をしてる人居たじゃん。
自動車工場の派遣と雇用保険をループしてるから年のうち何割かは働いてないって人種もいるのは知り合いの知り合いの知り合いがそうだから実在は確認できてる。
そういう人達がいるなら、ほぼ終身雇用の立場にいる人間だって、そういう方針でお金貯めてもおかしくなくない?
実際、ウチの会社にだってメンタルが案件して自主的な退社を推奨されていった人たちもいるけど、その人達は会社辞めてすぐに別の仕事を始めたってわけじゃないみたいだしさ。
いや不思議なもんでさ、貯金の目的が「老後」「趣味」「子供」「夢」の4択に当てはまらないと絶対に納得できないって人たちが結構いるんだよ。
まあ今どきほぼ終身雇用状態になってるような古い会社だからこそなのかも知れんけどねえ。
うーむ
うちも似た感じ
でも幼稚園で「うちって貧乏なの」と私がみんなに言っていることが伝わると母は慌てて「中流家庭」と言い直した
あとからなぜ貧乏だと言い聞かせていたのか聞くと「平均的な金銭感覚を持ってほしかったから」らしい
しかし小学校から海外校で芝生の校庭にエアコン付き屋内プールだし、クラスメイトの親は社長などの明らかに高収入とわかる職業ばかりだったし、年に何度もビジネスクラス時々ファーストクラスで海外旅行
さすがに気付く、というか自分のことをお嬢様だと思い込んで完全に天狗になっていた
そんな時突然父が会社を辞めた
家にあったフィットネス用品やらカラオケやら高そうな家財を売り払って帰国することになった
父は私が高校生になってもまともに働いていなかった
でも私は大学に行きたかったので家計を気遣って奨学金を申請した
先生に呼び出されて、審査が通り無利子の第一種を借りられることになったと伝えられた
奨学金担当の先生は苦学生だったらしく、我が家の源泉徴収票を見て哀れみ激励してくれた
学部4年次、就活が嫌になったし大学院で研究を続けたくなったので再度奨学金を申請した
そして大学院を修了して就職、しかし奨学金の返済がなかなかにキツかった
母に愚痴をこぼすと学部、院の分全て、合計数百万を一括で返済してくれた
ここで疑問が湧く
なぜ一括で返す金があるならわざわざ借金したんだ……?
うちの親は基本的に放任主義で、子供がやりたがることはとりあえずなんでもやらせてみる方針だった
私は貧乏な家計を気遣えるいい子ちゃんのつもりだったので、奨学金を借りることをもちろん両親に相談していた
両親は「とりあえずやってみなさい」と言い私はそのままうちを無収入の貧乏一家だと思い込んだまま奨学金を借り続けた
それは源泉徴収票の提出で行っていた
そんな風に先生に激励されたのを覚えている
それを私は知らなかった
今思えば両親はろくに働いている気配がないのに私は塾にもピアノ教室にも通い続けていたし、海外留学は高校生の間に2回も行った
留学費用を稼ぐためという名目で学校に許可を取ってアルバイトをした
しかしなんだかんだで親が出すことになり、バイト代は全て服に使った
大学附属のやつではない
入居時に百何十万円納め、毎月の支払いも二十万弱だったことを後から知った
住居費と学費は親が払っていた
両親が働いていないからうちは貧乏というのは私の思い込みだった
あまり働かずに好きなことをしていても暮らしていけるほどの資産があったのだ
聞けば家や車などの大きな買い物も含めて、借金や分割払いはしたことがないという
私の奨学金以外は…
まあこれは親ではなく私がした借金ではあるんだが…返済を頼ってしまったが…
今でも私が車などを買う際にローンを組むと払う金額が増えて損ということで、まず母が現金一括払いをし、私が毎月いくらかずつ返す"お母さんローン"というシステムを利用させてもらっている
「今思えば」とは言えどうして気が付かなかったんだろう
かなり狭い枠だったはずだ
それをお金を借りる必要がなかった私が掠め取ったために本当に必要な家庭が枠から溢れてしまったのではないか
直近1年間の収入が極少ないことと、多少成績が良いだけでどうして申請を認められたのだろう
というか源泉徴収額って資産は関係ないの?収入に対してだけ課税があるの?
その辺もいい加減勉強した方がいいのだろうな
これを堂々と語ったら多くの人が呆れ、軽蔑すると思う
元増田を読んで似ているなと思って吐き出したくなった話
ブコメ読んで沸いた疑問
しかしそう考えていくとさらに先祖の資産であって親の金でもない
親はそんなに働かずたまに減った分を補充している程度なので増やしてもいない
今生きている誰の金でもない金は誰の金なんだ
私が生きてきたのにかかった金は私程度の収入では一生かかっても返せない
もちろん収入の半分以上を毎月家に入れて誰かの資産を補充している
でも一生補充しても補充し切れる金額ではない
特に高校生のときはアタマが悪かったので、ある程度レベルがある大学に入るために勉強ばっかしてた。
結果、第一志望はおちたけど第二志望だった北海道大学に入れた。
途中、親が自殺未遂を図ったりして介護が必要な状況になったため休学したりしたけど
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就職もそれほど困難ではなかった。
氷河期世代と言われる中でも最悪の状況の中、東京や名古屋や大阪の企業に交通費を出してもらい、いろんなところに面接を受けに行って最終的に自分の希望に合ったところに入れた。
でもなんやかんやあって、精神がやられてしまい、休職することに。
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今通ってる精神科の臨床心理士によれば、精神がやられた原因は小学生時代まで遡る。
うちは父親が人の気持ちを理解できない人で、その親である祖母はさらにおかしな人だった。
当時でいう分裂症だったらしい。
それで俺は小学二年の頃からその被害に遭っている母親の愚痴をずっと聞かされ続けてきた。
友達の家に遊びに行くと約束していても、母親が「話をきいてくれ」と言ったら3時間くらいは話を聞いていた。
とにかく父親や祖母、母方の祖父母や姉妹の悪口を聞かされ続けた。
それが大学に入って家を出るまで続いた。
泣きながらひどい声で「うわああああ!!」泣き叫ぶような電話をかけてきたこともあったし、「助けて!すぐに帰ってきて!」と電話を受け、次の日に飛行機で実家のある関西に帰省したこともあった。
上述の自殺未遂もその一つだ。
首を吊ったはいいけどロープが切れて落ちて、色んな所が骨折したので俺が面倒見ることになった。
専門家にいわせれば、プロのカウンセラーが受けるような愚痴を子供のころから延々聞かせたのは、精神的虐待にもあたるそうだ。
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次に、そんな中、付き合ってた彼女が死んだ。
二年ほどしたときに「会おう」という話になったけど、その一月前に死んだ。
普通だったら「それ、ただ遊ばれてただけだろ」と言われるとおもうけど、よく電話でも何時間も話したし、誕生日とかクリスマスにはお互いプレゼントを送ったりしてた。
相手が親のことを「お父様、お母様」と呼ぶような家だったので、かんたんには会えなかったんだろうと納得してた。
なのでやっぱり死んだのは俺には大ダメージだった。
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それを聞いてた他の先輩が、こっそり「大丈夫?」とメールを送ってきてくれた。
当時は平気なつもりだったけど、あれもダメージになってたらしい。
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そしてその頃、別の彼女と付き合い出した。
精神的に病んできたってことで話が合い、実際に会ったりもした。
このときは俺の職場は東京で、相手は九州だったけど、飛行機代とかは苦にならないくらいに稼いでた。
会社もある平日でも夜中二時とかに電話してきて、元彼の愚痴なんかを朝まで聞いてやることもあった。
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最初は3ヶ月だけのつもりだった。
それが結局1年以上休むことになった。
実家でのんびりしてこい、ということだったけど、実家は上で述べたような状況だ。
夜も眠れず、昼は動けず。
母親は自分がそうだったから、そうした生活にも理解を示してくれたが、父親はそうはいかなかった。
結局俺は転職することにした。
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新しい会社に精神科にかかりながら4年ほどは普通に勤めていたが、結局鬱病が再発して休職。
復職したときには俺の居場所がなくなったという同じパターンで退職した。
このときには精神も完全に病んで鬱病は双極性障害に進化していた。
世界がめちゃくちゃ素晴らしく思え、いろんな金儲けのアイデアを考えたり、いきなり勉強を始めたりしたあと、数日後、数週間後にはこの世の終わりのような気分になり、布団でガタガタ震えるようになった。
音をあまり通さないアパートに住んでいるにも関わらず、夜中に宴会をやってるやつらの声にも恐怖を感じていた。
朝3時にその部屋に怒鳴り込むように注意しにいったこともある。
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そんな調子で数年は失業手当とか貯金で生活していたが、生活費もなくなって今は生活保護を受給している。
43歳。来月には44歳になる。
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普通なら会社に勤めて金を稼ぎ、恋愛して結婚して子どもがいるのだろう。
俺にはその何もない。
友人ももはや居ない。
卒業後は誰とも連絡を取れなくなった。
今となってはあの死んでしまった彼女も存在したのか、俺のただの妄想だったのではないかと思う。
好きだったのには違いないけど、どうも違う気がしてきた。
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結局俺にはなにもない。
仕事もせず、ハゲてデブになったおっさんに需要などあるはずもない。
大切な物も特にない。
いつ死んでも別に構わない。
それくらいには人生を諦めた。
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ただ、双極性障害も最悪の時期は過ぎたのかもと思うことがある。
前ほど、音などに恐怖心を感じる頻度が多くはなくなった。
なので勉強をしつつ、県営のジム(障害者手帳があるから無料)に出向いて体を鍛えて、人生を向上させてみようという気も少しある。
自分には、「親」が居ない。
もちろん、生みの親・育ての親は居る。
気づいたら、自分の方が精神的な意味で大人になってしまっていた。
自力で何でも解決し過ぎてしまった故に、相応の知識や経験を身につけてしまった。
そして、ずっと無意識に「父親の代わり」「母親の代わり」を探し続けていた自分が居た。
実の親が持たない「情緒」「倫理」「関心」といったものを、ずっと探し求めていた。
最近、ようやく、(ある種の演技と知りつつも)親代わりとして、自分の情緒を受け止めてくださる方が現れてきた。
「親に認められた経験」「周囲の大人に育てて貰えた経験」を、ようやく得られた。
もちろん、仕事が出来てない今の生活費から覧れば、1時間1万円程度のレートは非常に大きな出費だ。
しかし、本来「親をお金で買う事が出来ない」という概念が壊れたのだから、もっと活用して良い気がする。
そう、心の中で誓った。
借りた合計は100万を超えていた。
完済記念に、カードローンなぞ使うべきじゃないぞということを書いておきたい。
そんなの知ってる人は1人の馬鹿が学んだ話だと思って読んでくれ。
生活に困って、親にも心配かけたくなくて、目に入ったレイクで借りた。
20万くらい。
返済額は借入額に応じて決まるので、毎月の返済額は1万円以下だった。
少しずつ返して残額10万見えてきた頃、すごく欲しい限定品に出会った。
15万。
即金で必要だったが手元にはなかった。
さすがにこの時はかなり悩んだが、結局借りてしまった。
お金はこれから返せばいいが限定品は今を逃したら手に入らない。
どうせ返すのだからと多めに20万借りて、残額は30万と少しになった。
まだ毎月の返済額は1万を超えない。
ソシャゲにハマって金遣いが荒くなり、月末になると生活費も無くなって数万ずつ借りた。
クレカを使いすぎて引き落とし日に足りなくなり、延滞はだめだからと思って支払いのために借りた。
ローンをしているというのに、カード1枚でコンビニATMからいつでも引き落とせてしまう。
メインの口座からなくなったら予備の口座から出す、といった風に。
いつでも必要な時に引き落とせないと困るので。
ある日毎月の返済額が思っていたより高いことに気がついた。
毎月の2万以上返済している。
そんなに払ったらお金がすぐ足りなくなってしまうので、また借りる。
少しずつ少しずつ借入額が増えている認識はあったが、まあそのうち返し終わるさと思っていた。
ある時、いつもは見ないで捨てているATMから出てくる明細を見たら100万を超えていた。
突然ポンと目の前に100万の借金ができたような気がして慌てた。
月2万ずつ返していても5年かかる。(実際は利息分で多分もっとかかる
やっと目が覚めて、自分が100万の借金を抱える人間なのだと自覚した。
まずソシャゲは辞めた。
クレカも利用額を毎日ちゃんと見て、払いきれない額まで使わないようにした。
ボーナスのたびに10万ずつ払ったが、全然減らなくて20万ずつ払った。
ほぼ全額使えば一括返済可能な額だった。
少しだけ悩んで、銀行に行って、入った額をそのまま返済口座に入れた。
ついに債務者ではなくなった。
毎月2万くらい引き落とされることもなくなった。
借りた額と返し続けた額。
10年分のだらだらした利息はいったい幾らになるのか計算はしていないが、今はとりあえずものすごく清々しい気分だ。
俺は2度とカードローンを使わない。
兄夫婦が分譲マンションを買うことになり、購入資金支援として父が2000万円贈与するという話を聞いた
自分は転勤族なので自宅を持つことは全く考えていないのだが、父からは「増田も家を買うのなら援助するぞ」と言われた
しかし私はここで少し不安になった 最近はネットニュースなどでも老後破綻などの記事をよく目にする
父は一介のサラリーマンであったはずなので、多額の金融資産を持っているようには思えない
私たち兄弟にポンポンと支援を行い、両親の生活費が困窮してしまうのでは元も子もない
親子とはいえあまり露骨に聞くのもあれだなあと思いながらも、実家に帰った際に母から詳細を聞いて驚愕した
父は地元ではそれなりに知られた企業に勤務していたのだが、60を前に一旦退職して子会社へ転籍
子会社で社長を務めたのち、子会社の業績が爆伸びしたので親会社が吸収合併することとなり、父も親会社の役員として復帰
その後68歳まで役員を務め、最後2年は非常勤の相談役として週3日出社し、70歳になったところで退職したのだという
なので、子会社への転籍時、親会社への合併時、役員退任時と計3回退職金を受け取っており、それだけで1億円くらいになったという
わかる人いる?この気持ち?
「選挙に行こう」って言ってる人たち、だいたい意識高い系っていうか、
あーはいはい、あんたたちはとりあえず自分の生活は心配無さそうだし、
そしたら次は社会正義の実現に燃えるよね、わかるわかる、みたいに思うっていうか、
昔母ちゃんに「あんた宿題やんなさい!」って言われて「今やろうと思ってたんだよ!」って反論して、宿題に対する前向きな気持ちがなくなる、のに似てるっていうか。
あんたみたいな「正しい人」に先に言われちゃったら、
俺はあんたが言うまでわからなかった「ダメな人」みたいになっちゃうじゃんっていうか。
SNSとかで影響力ある人が言う感じがすごい鼻につくんだよね、
いや、お前みたいな高収入セレブが、俺らのことほんとにわかってんの、みたいな。
今「選挙行こう」とか発信してる手合いは、つい最近まで「おうち時間」とかいって優雅な余暇時間を発信してくれちゃってたのよ。
いやいや、こっちはコロナだろうが働かないと生活費ないから、みたいな。
近所のスーパーのレジ打ちのおばさん、とか、そういう俺と同じような立場の人に「選挙に行こう」って言ってほしいよね。
でも、そういう選挙で何かが変わることで一番救われそうな立場の人こそ、目の前の生活に必死で「選挙に行こう」とかSNSでドヤってる状況じゃないんだよね、ほんと。全然良い状況じゃないんだけどさ。
ちなみに投票はさっき行ってきた。
本来の目的を忘れて他人からの評価に依存してるから苦しいんだよ。増田は自分の食べたい料理を作って満足してたし、それが増田の趣味だったはず。なのに、たまたま近所の人にお裾分けして誉められたせいで「近所の人に広く認められたい!でも最近めっちゃ美味しい肉じゃが作る子供が現れたせいで悔しくて料理出来なくなった!」って嘆いてる。おかしいでしょ。本来自分を満足させるために趣味でやってたことを、関係ない他人を満足させる為に頑張りはじめたら疲れるに決まってる。向上心を持つのは素晴らしい事だけど、ちょっと立ち止まって思い出した方がいい。それほど人気のないジャンルや小説に見向きもしないジャンルで小説活動してたのは、増田が人気になりたいからじゃなくて、萌えを昇華させたいから創作し始めた証。つまり執筆活動はあくまで「増田の萌えを形にする」という趣味であって、人気目的でもそれで生活費稼いでるわけでもない。人気目的や仕事ではない以上、増田の作り出すべき「より素晴らしいもの」は「人々を喜ばすもの」「売上が見込めるもの」じゃなくて「増田がより萌えるもの」「増田に需要があるもの」であるべき。