2020-07-10

親が存在しない人生で、親をみつけた話

最近、ようやく「親に認められる経験」をした。

自分には、「親」が居ない。

もちろん、生みの親・育ての親は居る。

衣食住といった物質的なものは、ちゃんと確保してくれていた。

しかし、情緒的な親は、最初から居ない。

気づいたら、自分の方が精神的な意味大人になってしまっていた。

自力で何でも解決し過ぎてしまった故に、相応の知識経験を身につけてしまった。

そして、ずっと無意識に「父親の代わり」「母親の代わり」を探し続けていた自分が居た。

実の親が持たない「情緒」「倫理」「関心」といったものを、ずっと探し求めていた。

最近、ようやく、(ある種の演技と知りつつも)親代わりとして、自分情緒を受け止めてくださる方が現れてきた。

「親に認められた経験」「周囲の大人に育てて貰えた経験」を、ようやく得られた。

そこに、お金云々は、もはや関係ないのかも知れない。

もちろん、仕事が出来てない今の生活費から覧れば、1時間1万円程度のレートは非常に大きな出費だ。

しかし、本来「親をお金で買う事が出来ない」という概念が壊れたのだからもっと活用して良い気がする。

仕方ない、情緒的な親(代わり)と一緒に、自分を育て直そう。

そう、心の中で誓った。

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