はてなキーワード: 湯川秀樹とは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03 ひまわり
・06 二ツ目 ふたつめ
・07 ガンバレルーヤ
・08 [ペア]2番と8番
・09 どんぐりたけし
・13 クロム
・14 [すべて]ミルクボーイ マヂカルラブリー 錦鯉 ウエストランド 令和ロマン
・15 羽生善治 はぶよしはる
・18 スターダスト☆レビュー
・19 キリマンジャロ
・21 [3択]サン パチ
心臓(に毛が生えている
・25 [3択]200 8年
・26 鈴木福 すずきふく
・27 長野(県
・29e オズワルド
我那覇真子さんは本当に素晴らしい女性だ。 ワクチン薬害について国に対して追及していく姿勢には共感している。 しかし共感出来ないこともある。 昨日、横浜スタジアムでワクチン接種会が行われていて、 そこで我那覇さんのグループは反ワク運動をしていたのだが、 なぜこんなことをするのかがよくわからない。
だって、打ちたいやつは勝手に打てばいいだろう。 なぜ、打つのを止めようとするのだろうか。 今になっても毒チンを見抜けないような白痴は死んだ方が国のためだ。 だから、国のためを思って活動しているのであれば、むしろ打たせる方が筋が通っている。
同じく昨日、これは別の話題になるが、 木原功仁哉という弁護士が国賠訴訟を起こすことを発表した。 原告は、高知大の佐野教授の論文に出てくる、 接種から2年経ったのに皮膚からスパタンが発見された人だ。
2年も経ったのにスパタンが発見されたということは 接種者の中でスパタンが無限に産生されていることを示しており、 これが最近になってワクチン薬害がハネてきている理由であることはほぼ確からしいわけであるから、 これはワクチン薬害において非常に重要な鍵となる事実ということになる。 だから、このタイミングでこの裁判を仕掛けに行ったのはさすがと言わざるをえない。 国を転覆させることの出来るほど重要な裁判になるだろう。注目している。
ところで調べてみるとこの木原という弁護士、 もとは京大物理工学科の出身だ。 しかも84年生まれということだから、おれやルシファーと同世代ということになる。 この世代はタレントが揃いすぎている。伝説の世代だ。 木原さんはその後、法科大学院を経て弁護士になった。
思えば、日本のワクチン薬害においては京大理系出身者の活躍が目立つ。 荒川央さんは京大理学部の出身だし、 藤川賢治さんも京大情報工学科の出身だ。 本庶佑さんも京大医学部出身で、こちらは立場上目立った活動は出来ていないが、 ところどころヒントをくれている。 そしておれも、京大電気電子工学科出身だ。 実のところ、これ以外にも京大理系の人間はワクチンを打ってない人が多い。 例えば、京大生ユーチューバーのこばちゃんねるは、ワクチンを打ってないことを表明している。 彼らは、こばが地球工、サイコが物工だ。
なぜこんなにも京大理系出身者は真実に対して簡単に近づけるのかというと、 真実にしか興味がないからだろうと考えている。 だから、真実を知りたいと考えるし、 真実以外のことは雑音でしかないから、他人に何と言われようと興味がないのだ。 おれの場合、他人に対する興味もないし、社会に対する興味もない。
おれが増田でワクチン薬害について批判し続けているのも、 他人にワクチン接種を思いとどまってほしいからではなく、 ワクチンに反対していたという事実を残しておきたいからだ。 だから、ワクチンが間違っていたことが事実であれば、 それ以上のことはどうでもいいということになる。 打ちたいやつは勝手に打って死ねばいい。 知的障害者民草のことなんか、知ったことではない。
グレゴリー・ペレルマンも、自身の証明が正しいのであれば 名誉や賞金は必要ないとしてフィールズ賞の受賞を辞退したりもしたそうだから、 彼もきっと、真実以外には興味ない族の一人なのだろう。 そしてきっと、京大理系の祖である湯川秀樹や朝永振一郎や 岡潔なども全員、真実以外には興味ない協会の会員だったのだろう。 超理系人材にはこの傾向がある。
そして我々京大理系人材はこれら祖先たちの意志を受け継いでいるため、 ワクチンが間違ってると思うならそれに対してまっすぐに行動出来るのだ。 もちろん自分も打たないし、他人に何と言われようとどうでもいい。 反ワク弁護士と呼ばれようが、陰謀論者と呼ばれようが、気にすることはない。 我々に構ってほしいなら、京大を卒業してほしい。学歴穢多野郎は近寄るな。
京大というのはそういう特殊な大学であり、 理系は京大 or dieと言われるのはそのためである。 しかし、このように京大ナイズされるためには、学部教育から京大で学ぶことが何としても必要だ。 京大関係者ではあるがとんちんかんな人を見ると、 大学院から京大だったり、あるいは研究者として京大で働いているというだけに過ぎないことが多い。 それでは全くお話になっていない。 宮沢孝幸が最終講演において京大という大学の担う役割的なものについて語っていたらしいが、 全く持って穢らわしいので撤回していただきたい。 あなたは京大グループではない。
我那覇真子さんは本当に素晴らしい女性だ。 ワクチン薬害について国に対して追及していく姿勢には共感している。 しかし共感出来ないこともある。 昨日、横浜スタジアムでワクチン接種会が行われていて、 そこで我那覇さんのグループは反ワク運動をしていたのだが、 なぜこんなことをするのかがよくわからない。
だって、打ちたいやつは勝手に打てばいいだろう。 なぜ、打つのを止めようとするのだろうか。 今になっても毒チンを見抜けないような白痴は死んだ方が国のためだ。 だから、国のためを思って活動しているのであれば、むしろ打たせる方が筋が通っている。
同じく昨日、これは別の話題になるが、 木原功仁哉という弁護士が国賠訴訟を起こすことを発表した。 原告は、高知大の佐野教授の論文に出てくる、 接種から2年経ったのに皮膚からスパタンが発見された人だ。
2年も経ったのにスパタンが発見されたということは 接種者の中でスパタンが無限に産生されていることを示しており、 これが最近になってワクチン薬害がハネてきている理由であることはほぼ確からしいわけであるから、 これはワクチン薬害において非常に重要な鍵となる事実ということになる。 だから、このタイミングでこの裁判を仕掛けに行ったのはさすがと言わざるをえない。 国を転覆させることの出来るほど重要な裁判になるだろう。注目している。
ところで調べてみるとこの木原という弁護士、 もとは京大物理工学科の出身だ。 しかも84年生まれということだから、おれやルシファーと同世代ということになる。 この世代はタレントが揃いすぎている。伝説の世代だ。 木原さんはその後、法科大学院を経て弁護士になった。
思えば、日本のワクチン薬害においては京大理系出身者の活躍が目立つ。 荒川央さんは京大理学部の出身だし、 藤川賢治さんも京大情報工学科の出身だ。 本庶佑さんも京大医学部出身で、こちらは立場上目立った活動は出来ていないが、 ところどころヒントをくれている。 そしておれも、京大電気電子工学科出身だ。 実のところ、これ以外にも京大理系の人間はワクチンを打ってない人が多い。 例えば、京大生ユーチューバーのこばちゃんねるは、ワクチンを打ってないことを表明している。 彼らは、こばが地球工、サイコが物工だ。
なぜこんなにも京大理系出身者は真実に対して簡単に近づけるのかというと、 真実にしか興味がないからだろうと考えている。 だから、真実を知りたいと考えるし、 真実以外のことは雑音でしかないから、他人に何と言われようと興味がないのだ。 おれの場合、他人に対する興味もないし、社会に対する興味もない。
おれが増田でワクチン薬害について批判し続けているのも、 他人にワクチン接種を思いとどまってほしいからではなく、 ワクチンに反対していたという事実を残しておきたいからだ。 だから、ワクチンが間違っていたことが事実であれば、 それ以上のことはどうでもいいということになる。 打ちたいやつは勝手に打って死ねばいい。 知的障害者民草のことなんか、知ったことではない。
グレゴリー・ペレルマンも、自身の証明が正しいのであれば 名誉や賞金は必要ないとしてフィールズ賞の受賞を辞退したりもしたそうだから、 彼もきっと、真実以外には興味ない族の一人なのだろう。 そしてきっと、京大理系の祖である湯川秀樹や朝永振一郎や 岡潔なども全員、真実以外には興味ない協会の会員だったのだろう。 超理系人材にはこの傾向がある。
そして我々京大理系人材はこれら祖先たちの意志を受け継いでいるため、 ワクチンが間違ってると思うならそれに対してまっすぐに行動出来るのだ。 もちろん自分も打たないし、他人に何と言われようとどうでもいい。 反ワク弁護士と呼ばれようが、陰謀論者と呼ばれようが、気にすることはない。 我々に構ってほしいなら、京大を卒業してほしい。学歴穢多野郎は近寄るな。
京大というのはそういう特殊な大学であり、 理系は京大 or dieと言われるのはそのためである。 しかし、このように京大ナイズされるためには、学部教育から京大で学ぶことが何としても必要だ。 京大関係者ではあるがとんちんかんな人を見ると、 大学院から京大だったり、あるいは研究者として京大で働いているというだけに過ぎないことが多い。 それでは全くお話になっていない。 宮沢孝幸が最終講演において京大という大学の担う役割的なものについて語っていたらしいが、 全く持って穢らわしいので撤回していただきたい。 あなたは京大グループではない。
ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!ああ!はあ!
80年経っても銅像が残ってる⁈⁈⁈⁈⁈
はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!はぁっ!!!あっ!!!
今から同期で一番早く課長になって部長や区長になって局長になって!!!!!
定年後も市政に影響するような男になれたとしても!!!!!!!!!!!
俺の親父だって俺と同じ顔で背も低い高卒郵便局員!!!!!!!
現代に生まれていたら結婚も不可能だったに決まっている!!!!!!!!
現代の結婚には性格や学歴や収入と同様に顔や身長が不可欠だから!!!!!!!!
子供がいなくともその名が残るニュートンのように!!!!!!!!!!!!!!!!
大学生の時に社会に出られず何も成し遂げられず白血病で死んだ従兄のように!!!!!!
郵便局を定年退職した後に毎日ボケっと刑事ドラマ観て病気でポックリ死んだ親父のように!!!!!
ぼく「どうしたら今死んでも後悔しないような偉業を成し遂げて、後世に名前を残し人生の生きた証を残せますか?」
大馬鹿クソボケ発達「良い焼肉を食べて旅行に行って良い温泉につかりな。幸せになれるから」
友人と良い焼肉食って旅行行って温泉浸かったら!!!!!!!!!
今末期癌を宣告されても!!!!!
「我が生涯にいっぺんの悔いなし!」って言って!!!!
その場で自害できるような人生のモニュメントを築けるか!!!!!!
消えたくない!!!!
残れ!!!!!
ヒンメル!!!!
立派な像が立つ!!!!!
なりたくない!!!!!
消えたくない!!!!!
人生は虚しい。
原爆を悪の兵器だと考えているのは日本人とドイツ人くらいではないか。それくらい珍しい。
「原爆のおかげで第2次世界大戦を早期終結し被害を最小に防げた」と習うだろう
日米の原爆に対する反応の違いは教育の結果であるということは意識した方が良いと思う
アメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国のみが保持して良い。他の国は禁止するという立場。
ただしちょっと複雑なのは、日本国としては核拡散防止条約に批准しているのである。
国としては核不拡散、国民一人一人の思想としては反核という少し不思議な国なのだ。
一方、現在のアメリカの立場として核兵器の放棄ができないというのはなんとなく感じるところだと思う。
アメリカが国民に反核教育を施すことはこれからもおそらくないだろう。
米ソ冷戦時代には日本の核武装も盛んに議論されていた。世論が一気に反核に傾いたきっかけは第五福竜丸事件である。
1954年、ビキニ環礁でアメリカ軍により行われた水爆実験に巻き込まれ被爆した。
シンゴジラでは役人達の群像劇だったが初代ゴジラは研究者達による群像劇である。
水爆実験で生み出されたゴジラが街を破壊し始める。そこに三人の研究者が登場する。
上の二つは 核武装、原子力発電 のことである。三つ目は当時原子力委員を務めていた湯川秀樹の主張である。原子力発電を輸入する前に基礎研究を進め理解することを訴えたが受け入れられずに辞任した。以降湯川は反核運動を率いた。
初代ゴジラの主人公もまた研究者である。ゴジラを倒す兵器オキシジェンデストロイヤーを開発するが、それを公表すべきか苦悩する。使えばゴジラを倒せる。でも戦争で新たな犠牲者を生むかもしれない。
主人公はオキシジェンデストロイヤーを使いゴジラを倒した後、ゴジラと共に海に沈んだ。自らの命を断ち兵器の秘密を守ったのである。
以上が初代ゴジラのあらすじだ。当時の世相、そして原爆を生み出した核理論屋の苦悩を色濃く映し出している。
日本のアニメ・漫画・ゲーム等のコンテンツには悪の兵器として核兵器が登場することがしばしばある。
例えばメタルギアシリーズ。
メタルギアシリーズでは悪の兵器として核搭載二足歩行ロボが登場する。
初代の時点では特に他意なく、悪役の持つ最悪な兵器といえば核兵器、という日本のアニメでは特にめずらしくもない設定であったと思う。
ところがメタルギア・ソリッドが米国で大ヒットしたことで「アメリカの若者に反核思想を植え付けている」と批判の声が上がった。
小嶋監督がこの反応をどう受け止めたかわからないが、MGS2 以降ごそっと反核をテーマにした作品になった。
アニメやゲームが反核思想を広めるというのは興味深い動きだと思う
取り留めもなくなってしまいましたが
でもノーベル賞を取る人って、キラキラエリートが全然いないよね。
なんなら成り上がり感がある。
ではここでノーベル賞物理学者 湯川秀樹の経歴を見てみましょう。
1907年(明治40年)1月23日、東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。
1908年(明治41年)、1歳の時に父・琢治(和歌山県出身)の京都帝国大学教授就任に伴い、一家は京都府京都市に移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。
1歳から大学までは京都、大学を出て一時大阪や西宮にいたこともあるが、人生の大半は京都で過ごしたことになる(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川が大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮の苦楽園で生活していた)。
湯川は自伝に「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している[2]。
母方の祖父・駒橘は元紀州藩の藩士であり、また湯川家自体が先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人は京都市出身と称している。
和歌山県出身の実業家・松下幸之助の郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたが、湯川本人は和歌山で暮らした経験はない。
5、6歳の頃、祖父・駒橘より漢籍の素読を習った。駒橘は漢学の素養が豊富で、明治以後は洋学を学び、晩年までずっと『ロンドン・タイムズ』を購読し続けた人物であるという[3]。湯川は自伝に「私はこのころの漢籍の素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人の書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している[4]。
BBCで昔、「100名の最も偉大な英国人」て企画があったけど日本だとどうなるかね?
イギリスだと一位から、チャーチル、ブルネル、ウェールズ公妃ダイアナ、ダーウィン、シェークスピア、ニュートン、エリザベスI世、ジョン・レノン、ネルソン、クロムウェルと二位のブルネル以外は日本でも有名で政治家、軍人、王族、科学者、芸術家などで、まあそうだなって感じ。
日本だと、うーん、徳川家康、織田信長、豊臣秀吉、あと各幕府の創始者や足利義満、北条時宗、天皇だとどこから史実認定していいか微妙だけど、桓武や天智、明治昭和平成あたりが候補かな?宗教だと空海、最澄など仏教の開祖あたりかね?芸術だと、前近代だと北斎、松尾芭蕉、紫式部、近代以降なら夏目漱石、宮崎駿、黒澤明、手塚治虫、ギリで鳥山明くらいかな?科学だと湯川秀樹や江崎玲於奈などのノーベル賞受賞者たちか。
近代の政治家だと、田中角栄、佐藤栄作、伊藤博文あたりが入りそうだが、山県有朋や岸信介はかなり微妙?
軍人枠だと東郷平八郎と山本五十六、あと秋山真之、西郷隆盛、土方歳三?
企業家だと、河村瑞賢、岩崎弥太郎、本田宗一郎、豊田佐吉とかあたり?
炎が出ないのにお湯が沸く?
おねえさんどうしたの?
この水車に水を流すと…
うわぁ。電球が明るくなったぁ!
これが水力発電よね。水の落ちる力を水車と発電機で電気に変える。
そうだね。沸騰しているやかんの口のから出る湯気に水車を近づけても電球がつくよ。
ちょっとやってみるわね。
うわぁ。点いた点いた。
これが火力発電の原理なんだ。石炭や石油やガスを燃やして、お湯を沸かして水車を回す。
水でも火でもないものから電気ができるなんて、おねえさん、よくわからないわ。
いいわよ!
じゃいくよ!
ここは?
紀元前2000年ころのインダス文明の古代都市モヘンジョダロだよ。
どーん。
キャー、すごい光と爆発だ。
どうしたの?
これは、ラーマーヤナという古代インドの書物に書かれていた大気圏内核爆発の瞬間だよ。
ラーマーヤナの雷(いかずち)ともいわれているよ。
今、近づくのは危険だから4000年後のモヘンジョダロにいってみよう。
たいへんだ。たいへんだ。
あの人はだれ?
石がガラスに?!
ちょっと解説しよう。石や岩はとても高い温度になるとガラスのように溶け出すんだ。
でも、石が溶けるには、1000度から1500度の高温になる必要があるんだ。
現代でもこの温度を作り出すには、たくさんの燃料を燃やさなくてはならないのに古代にそんな大きなエネルギーを発生させる技術があったとは考えにくいことなんだ。
そうそう。その疑問を解決する答えは、核です。
モヘンジョダロは核で攻撃を受けたのです。核を使えば、一瞬にして高温を発生させることができる。
石をも融かしてしまうことができるのです。
へー。核の持つエネルギーってすごいのね。
そうなんだ。原子が分裂するときに発生するエネルギーは、とても大きく普通に火が燃えるときと比べて莫大なエネルギーを発生させることができるんだ。モヘンジョダロが核攻撃を受けたことは仮説のひとつなんだけどね。
へー、原子の持つ力ってすごいのね。でも、原子ってどーんと爆発したりして怖いわ。
黒い鉱石の中から新しい元素を見つけたぞ!最近見つかった新しい惑星の天王星(Uranus)にちなんでウランと名づけよう!
そうなんだ。このころは新しい元素を見つけるのが流行っていたんだ。
次行ってみよう。
ここは?
1896年のフランスだよ。あの人は、物理学者のベクレルさんだよ。
これはすごいウランには他からエネルギーを与えられなくても放射線を発生する能力(放射能)があるぞ!大発見だ!
あの女の人はだれ?
ウラン鉱石を手作業で砕いて、不純物を取り除いているところなんだ。
ウランを手で触ったりして危なくないの?
このころは、放射能についてよくわからなかったから、最先端の研究者といえど何の防備もなしに放射性物質を扱っていたんだ。今では考えられないことだね。
1903年にベクレルさんとキュリー夫妻は、放射能発見の業績によりノーベル物理学賞を受賞したんだ。
この世紀の大発見により、光り輝く放射性物質は、人類に幸せをもたらす魔法の物質として一気に研究が進んでいくだ。
ベクレルさんもキュリー婦人も、そのあとによくわからない原因の病気で亡くなってしまっているんだ。
扱い方を誤ると放射性物質は怖いのね。
ここはどこ?
ここはスウェーデン。あの人は、物理学者のシーベルトさんだよ。
放射線は人体に危険なのです。核エネルギーを人類の平和のために使うには放射線の危険性をきちんと理解しないといけません。
シーベルトさんは、放射線が人体に与える影響についての研究で有名なんだ。
研究が進んでいくと役に立つところと危ないところが徐々にわかってきたのね。
どーん。
キャー。また爆弾?
放射性物質は核分裂を起こすと莫大なエネルギーを生み出す。この力を戦争に使おうとする研究がさかんになっていったんだ。
やっぱり、原子力って怖いじゃない。
そうなんだ。太平洋戦争のときに使われたのは、この技術を応用した核爆弾だったんだ。アメリカは、核の力で日本の長崎と広島を一瞬にして消し去ってしまったんだ。
ここは?
あの人はだれ?
あっちの人は、だれ?
あの人は、アインシュタインさんだよ。
えー、あのアインシュタインさん!
でも、ぼくはとんでもないことをしてしまった。
こんな僕だけど、許してください。
ぜんぜん、役に立つ原子力じゃないじゃない。アインシュタインさんでさえ後悔しているわ。
それじゃあ、原子力発電の元になる原子炉をはじめて作った人のところにいってみよう。
一気に爆発せずに核分裂反応を一定にすることに成功したぞ!やったーやったー!
フェルミさんたちは、黒鉛のブロックを積み上げた中にウランを入れ、核分裂連鎖反応を起こすことに成功したんだ。カドミウムから作られた制御棒を使って、出力が一定になるように調整できるようにしたんだ。熱をコントロールできるだけで、電気はできなかったんだ。
でも、すごいじゃない!フェルミさん。
そして、ここは、1953年12月8日、ニューヨークの国連本部だよ。
あの人はだれ?
歴史の何ページかには、確かに『偉大な破壊者』の顔が時おり記録されてはいる。ただし、歴史書全体を見れば、そこには人類の果てしない平和の希求と、人類が神から与えられた創造の能力が示されている。
アメリカは、冷戦下、ソ連との軍拡競争の中で、核ミサイルを中心とした軍事向けの原子力と生活に役立つ発電に使う平和利用の原子力の2本立ての核開発を行っていったんだ。
その方針の下、同盟国の暮らしを豊かにするために原子力の技術を使った発電を広めていったんだ。
そのあと、1956年にイギリスで、1958年にはアメリカで実用化されたんだ。
日本では、1966年に茨城県の東海村で日本初の原子力発電所がスタートしたんだ。
戦争で原爆を落とされた日本国内では、原子力に対して強いアレルギーがあったんだ。
反対運動もすごかった。
原子力は、石油・石炭、電気に続く「第3の火」として平和で豊かな生活に役立つものとして宣伝されたんだ。
新聞では「ついに太陽をとらえた」という原子力の平和利用をアピールする記事も掲載され徐々に原子力への期待が高まっていったんだ。
それが今の日本の発展につながっているんだね。
ちょっと待って、原子力が電気に変わる秘密を教えてもらっていないわ。
おねえさん、ごめんごめん。
原子力発電所では、ウランの核分裂で発生した熱を利用して、お湯を沸かしてタービンと呼ばれる水車のおばけを回しているんだ。
あれれー。やっぱり水車が回って、発電機を回してエネルギーを電気に変えるのね。
でも、原子力のすごいところは、1グラムのウランから、石炭3t、石油2000リットル分の熱を取り出すことができるんだ。
これはとてもすごいことなんだけど、実際は取り出したエネルギーの3割が電気に変わって、残りの7割は廃熱として海に捨てているんだ。ちょっともったいないね。
ただいまっと!
なーんだ。核融合とかプラズマとかすごいことしているのかと思ったら、原子力もお湯を沸かして発電していたのね。ちょっとがっかりしちゃったなぁ。
この夜景は原子力の賜物なのね。やっぱり原子力ってすごいのね。おねえさん、ロマンチックな夜景を見て、原子力を見直しちゃった。
小柴昌俊 ── 東京大 ── 愛知県生まれ神奈川県・東京都育ち(1歳から小4まで東京/中学から神奈川/高校東京)
利根川進 ── 京都大 ── 愛知県生まれ富山県・東京都育ち(小学校富山/中学から東京)
白川英樹 ── 東工大 ── 東京都生まれ岐阜県育ち(小3から岐阜)
朝永振一郎 ─ 京都大 ── 東京都生まれ京都府育ち(小学校から京都)
下村脩 ─── 長崎大 ── 京都府生まれ長崎県育ち(幼少期に長崎/中学でまた長崎)
根岸英一 ── 東京大 ── 満州国生まれ神奈川県育ち(小学校から神奈川)
東京大7
京都大5
名古屋大2
■生まれ
大阪府2
■育ち
京都府3
http://kamomenome.exblog.jp/14156659/(元ソースから間違いを修正)
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湯川秀樹(出生地:東京都)両親は和歌山県 ※中間子論は計算間違いであった
江崎玲於奈(出生地:大阪府)親は大阪府、三重県 ※助手のアイデアのパクリ
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下村脩(京都)両親は長崎県 父が福知山連隊所属のため京都生まれ
根岸英一(満州)親は東京都、本籍は日本橋、目黒の根岸家に戦災で親戚が大勢つめかけたため神奈川移住
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わたしは1926(大正15)年9月19日に、愛知県の豊橋で生まれた。軍人だった父の
小柴俊男がそのころ豊橋の陸軍第18連隊に所属していたからだ。
母親は、はやといって、千葉の木更津の農家の末娘だった。木更津高等女学校を出て、
父と結婚した。どういうなれそめで知り合ったのかは知らないが、父も千葉の館山の
父は農家の三男に生まれて、中学に通うのも親せきの造り酒屋で小僧代わりに働きながら
学費をだしてもらった。さらに進学する学資はないから、学資不要の陸軍学校へ進んだらしい。
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祖父の塩川三四郎は1873年生まれ、政治家を志して長野県から上京し、東京帝国大学法学部を
卒業した。そして、渡辺千秋(長野県出身)の次女・千夏と結婚した。
「野依」は母方の血筋で、福岡県の東部、築上郡吉冨町に行き着く。「立野屋」の屋号をもつ
庄屋で酒づくりをなりわいとする大地主であった。
(野依良治『私の履歴書 事実は真実の敵なり』日本経済新聞社)
http://kingendaikeizu.net/gakusya/noyori.htm
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%9D%91%E8%84%A9
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朝永振一郎の父三十郎は、東京で真宗大学在職中に旧川越藩士大枝美福の長女ひでと結婚している。
朝永振一郎「なぜ京都にいながら東京弁使っているかっていいますと、おふくろが埼玉県生まれで、
おやじは長崎生まれで、中学の頃東京に出て、ずうっと東京にいた。そういうわけで、家庭では
東京弁を使っておりました」(『回想の朝永振一郎』みすず書房)
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私の父は仏壇屋の家業を継ぐのを拒み、文学者になろうと家をとびだした。東京で私が生まれた。
母は福島県の出身だった。しかし私が2歳のときあの大震災に遭い、一家はやむなく福井に戻った。
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利根川勉「私の親父は守三郎といいまして、福山藩(広島県)の貧乏侍の息子でした。ところが
同じ貧乏侍の利根川という叔父に子供がなくて、岡本という家から養子に行きました。
家内の父方は弘前藩士(青森県)の家系でした」(利根川進受賞時に父・勉氏へのインタビュー)
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北大理学部を受験した時、母は「落ちてくれ」と本気で祈っていた、と譲さんは明かす。
恩師は「章君を大学に進ませて」と勧めたが、家計に余裕がない。町で理髪店を営んだ
山形県出身の父の定輔さんは1946年に51歳で死去。長男の鈴木さんは16歳だった。
(「タウンガイド札幌2010年10月11日)(母ナエも山形県出身)
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