はてなキーワード: 淡々とは
これを同時に言ってるアホに何のツッコミもないんだもんな。
神格化してる奴らも本当にアホなんだろう。
御社はだいぶ当該Vtuberに恨みつらみがあった様子ですが、当初の契約解除のお知らせにはそのような感情を載せるべきではなかったと思います。経緯を仔細に説明したところで誰も検証できませんし、内容よりも運営が怒っていることへの感情的なインパクトの方がずっと残ります。
「合意した契約があり、それが履行されなかった」ことを淡々と述べればよかったです。
同僚Vに動揺が走るでしょうが、「契約が守られているうちは味方であり、必要なら契約内容を見直す姿勢がある」とビジネス上での信頼関係が築けているかが大事です。上場企業なのですから、お互いに契約にシビアにならざるを得ません。
これができないなら、また近々同じようなことが起きると思います。
田角からでもいいでしょうし、ステートメントとは分けて運営アカウントから別ツイートで労いの表明があればかなり違ったでしょう。とにかく表面上は「決まったことでもう覆らない」感を演出することです。
木曜日。仕事もりもりする。途中抜けてサウナへ。この間3日連続でサウナ行ったらおっさんでも見違えるほど肌が綺麗になったから湿度って大事だなと思った。地元の寿司屋で一人で食ってると後輩の子が来る。小一時間飲んで帰る。1.5。
金曜日。やる気が起きない体をひきずりながら仕事。夜は友達とちょっといいイタリアンに行く。前菜をもぐもぐ食べながらくだらない話をする。美女の口から下ネタが聞けて嬉しい。赤ワイン美味い。2.5。食後、女の子たちと別れて男だけでノリでハプニングバーへ。猥談を絶叫したあとオカマとキスして家路へつく。1.5。
土曜日~月曜日。やる気が起きずなんか機嫌悪い嫁とも顔を合わせたくない感じだったので千葉のホテルでリトリート。海見てると気分が良い。途中具合悪くなって病院行ったけどなんともなくてよかった。うまいもの食ってダラダラしながらちょこちょこ仕事したら気分が良くなったのでお土産を買って帰る。6。
火曜日。しばらく会ってなかったから嫁さん可愛く見える。買い物行って家具を見たり、でかい豚肉の塊買ってきて煮豚作ったりする。夜は一緒に風呂入って1時間位話をする。免許を更新したが、写真写りが気に食わないらしい。寝る前に子供の学校の愚痴を聞く。適当にやりなさいとアドバイスする。
水曜日。友達と釣りへ。割と大きな船をチャーターして快適。お目当ての魚もまずまず釣れ、にっこにこ。でもだいぶ船酔いした。楽しかったからまあいいか。2.5。夜は魚をさばいて家族とご飯。評判いい。
木曜日。仕事やる気起きない。でもしょうがないからやる。部下に怒られる、ポンコツ経営者でごめんなさい。友達と焼肉へ。なんでもない街の焼肉屋に見えるけどすこぶる美味い。ハラミをグイグイ吸い込む。1.2。その後友達の行きつけのスナック行ってお姉ちゃんをからかう。新規開拓も楽しいね。スナック代を奢ってもらったのでタクシー代は俺が出す。0.6。
金曜日。午前中家でゴロゴロしながら嫁さんとじゃれたり料理したりする。昼過ぎから職場に行き、少し仕事する。確定申告が頭をちらつく。夜、昔の愛人が突撃してきたのでしょうがないから会う。二人きりになるとやばいので友達の店に行く。結局その後ホテル行ったけど。2。
土曜日。淡々と事務仕事をこなす。嫁さんと俺のロードバイクをメンテナンスする。暖かくなってきたらどこか行きたいな。夜は友達とちょっといい寿司屋へ。今、港区の寿司屋に行くと大体鮨よし田ごっこから始まるよね。今風の酢の効いたシャリと丁寧な仕事のネタが美味い。5。その後ショーパブ行って思いっきり笑ってから帰る。2。
日曜日。普通に仕事。連絡が来ない日は考え事に向いてる。数日前、錦の馴染みのホステスが東京行くから遊んでくれと連絡が来ていたが、すっぽかされる。一人で行きつけの店で飲んでいると友だちが来る。ちょっとおしゃべりして早めに退散。0.3。
月曜日。割と忙しく仕事する。打ち合わせ多くて辟易とするがしょうがない。夕方現愛人の家に行ってゴロゴロする。お互いちょこちょこウェブ会議が入りつつ、スキマ時間でイチャイチャする。これくらいの感じがいい。仕事終わったら居酒屋行っておでん。代引の代金払ったから今日は奢ってくれるって。やったー。一緒にお風呂入って髪を洗ってあげて乾かす。長い髪の毛の子は大変だな。日付をまたいだのでお布団にはいる。
火曜日。朝起きておっぱい揉む。仕事行きたくない。でもしょうがない。相方は8時からwebミーティングしてる。めっちゃ働くなこいつ。昨日買った届く強さの乳酸菌Wを飲みながら今日の予定を考える。10時くらいにオフィス行ってセコセコと働く。部下の体調が悪くやることが多い。夜は馴染みのホステスからもらったLINEギフトで一緒に一蘭のラーメン食った後シーシャ行って同伴。小一時間嬢の昼職の話を聞いてうんうんうなずいて家路につく。2万。
水曜日。友達とランチで飲む。昼からいい気持ち。0.5。仕事しようと思うもあんまり身が入らない。そんな日もあるよね。夕飯は一人で行きつけの寿司屋にでも行こうか。今日はバレンタインだけど誰もチョコレートくれなかった。
おわり。
うちの猫が死んだ。
齢16だったので、おそらく寿命だろう。
裏庭で大の字のように横たわっている姿を見かけ、声をかけても全く反応がない。
目を凝らすとお腹が全く動いていない。呼吸をしていない。
あまりに突然ことで唖然とする暇もなく、平日の朝はいつも通りの喧噪さがあった。
私は市とパート先に連絡し、みんなで朝ごはんを食べ、支度をして、各々の場所へと出かけていく。
娘は小1だ。彼が死んだことに嘆き、悲しみ、それでも迎えは来て、友人の顔を見て多少心が安らいだのだろう。
気を持ち直すと出かけて行った。夫はいつも通りに家を出て、私は二人が出かけるのを見届けると庭に出た。
愛猫は庭先に伸びており、触れると冷たく、剝製のようで、そこにはもう生命の残滓はないように思われた。
市役所に電話し淡々としたやり取りをした後、私が彼を市の方へ連れていくことになった。
私は洗い立てのタオルを手に庭へと戻り、彼を慎重に包み込んだ。
それから車へ乗せ、市役所へと向かった。市役所は朝から混んでおり、遺体を引き渡すための手付きを一通り済ませると後にした。
手続きは事務的に行われ何事もなく進んだものの、対応してくれた方が最後に「お悔み申し上げます」と言ってくれたことが救いだった。
その後、パートへと出向くはずだったものの電話で事情を説明し、今日は休みにしてもらった。
それから家に帰り、うすぼんやりとしながらとりあえず食器を片付け、掃除、洗濯といつものように家事をこなしていると15時を過ぎ、いつの間にか娘が帰ってきていた。
娘は俯き、まず彼のことを訊ねた。彼はもう居ない。そのことをどう説明しようかと私はその時、咄嗟に考えることが出来ずにまごついた。
「死んじゃったの?」
朝からずっと、私は「死んだ」という言葉を避けていたのだと思う。
それまで夫も、娘も、対応してくれた市の方も、「死」という言葉を持ち出すことはなかった。
私は認めるのが恐かったのだと思う。それでも確実に彼は死んだのだ。
その事実を認めるのと同時に、彼と過ごしたこれまでの思い出が走馬灯のように頭の中を過ぎり、涙が止まらなくなった。
次第に娘も泣き出し、私たち親子は二人でわんわん泣いた。
暫くしてようやく落ち着き、泣き止むと「どうして死んじゃうの?」と娘が聞いてきた。
それが生きることだと私は答え、そうとしか答えられなかった。
それから娘が夕飯を作るのを手伝ってくれた。友達と遊びに行かず、こうして手伝ってくれるのは久しぶりだった。
夜、夫が帰ってくるとその手にはいつもと違い、小包があった。中身はケーキだった。ショートケーキが四つ。
私たちは三人だけで夕飯をと食べ、それからケーキをみんなで食べた。
少しずつ家庭に温かさが戻ってきたように感じられた。
それでも彼がいつも寝ていたソファは空いており、その空いた隙間は、心の中に場所を移したように未だぽっかりと空いている。
ここまで勢いで書いてきたので多少文章が支離滅裂になってしまった感は否めない。それでも今の私はただ、彼のご冥福を祈るばかりである。
なにかのきっかけでそんな通り魔的な性分が丸くなり、周囲の人間に害意を撒き散らすことをしなくなってくれればまだマシだけど、
タチが悪いのはその溢れんばかりの逆恨みエネルギーを原動力に何か大きなことを成し遂げてしまった場合だ。
「大志を抱き続け遂に敵に打ち勝った私」
と総括し、
成功後に新たに出会った人々の前で、自分が過去に関わりあってきた人間を(事実無根で)口撃し、勘違いの被害体験を饒舌に披露する。
そんな有害な奴っているよね。
それはまさにかつての私のことだ。
「全ては若気の被害妄想だった」と憑き物が落ちたかのように客観視できるようになった頃には30をとうに過ぎていた。
ひとたび内面的に落ち着くと、あれだけ嫌っていたはずの仮想敵だった人々を懐かしむようになり、彼らと再び関わり合いを持ちたいと望むようになった。
つい先日、そんな彼らの1人と10年振りに会う機会があった。
かつて私が攻撃的だった頃の非礼や、逆恨みで敵視するようになったことをその場で詫びるつもりだった。
「夢が叶ってよかったね。テレビでもやってたね」
そして私が過去の振る舞いを詫びると
「いや、いいよいいよ。昔のことだから」
となんでもないことかのように謝罪を受け止めてくれた。
だが、会話の終わりに私が連絡先の交換を申し出ると彼は
「ごめん、それは遠慮しとくよ。じゃあこれからも頑張ってください」
と去っていった。
かなりショックを受けながらそれまでのやり取りを反芻すると、彼が最初から最後まで一度も笑顔を見せなかったことに気づいた。
私は全く許されてなかったのだ。
私と同じような人がいたら今すぐ心を入れ替えることをオススメする。
うちの自治体の事例を書いておく。(勝手にこのフォーマット借りました)
【人数の決め方】政令市なので被災地から直接依頼を受けて決めている(はず)
【具体的な人選】志願制→今は派遣が長期化してきて志願数が少なかったので各局からのノルマ、になってきている
異動希望調査に短期間の被災地派遣に行けるか、長期間の被災地派遣に行けるかの調査あり。しかし今回はそれとは別に、1/4には志願するかどうかの個別の調査があった。
【個人的な感想】事務職の被災地派遣は今は罹災証明の交付が主のようなので、そういった事務がこなせれば問題ない。神対応ができる人ではなく、淡々と事務が出来れば良いので、そのスキルがある人が行ければよい。
むしろ、派遣中に体育館の床で寝ながら仕事をしたり、その後帰ってきて1日しか休まずにそのまま5連勤したりできる精神力や体力求められていると感じた。
東京オリンピックの時は数年間東京都に出向になった人はエースだった。そういう時はエースを派遣するのではないか。
【結論】メンタル、体力があり、家庭的にも行ける人が人選される。公務員は今はメンタルやられてる人が多いから自ずと限られてくるよね…。
両者を読み比べてみて信憑性を感じるのは新潮の伊藤氏の記事のほうだ。
一方、文春の松本氏の記事に関しては捏造性を強く印象付けられる。
この違いは何によるのだろうか考えてみた。
すべてに曖昧な点がない。
昨年の出来事であり、
問題の出来事について双方弁護士を立てて話し合いを進めた結果、
物別れとなり、
その事実自体が報道するべき出来事としての根拠ともなっている。
そして、年月が異常に古い。
2008年の出来事を、まるで昨日のことのようにして書いているものまである。
確かに16年も前のことを思い出し、思い出ししてそれを無理やり文章化すれば
具体性のないぼやけきった話となるのも、
さもありなん、とも思えるのだが。
そして文春の記事の特徴として、過剰なまでの「煽り」が記事の隅々まで浸透していることだ。
松本は「○○○○○」と言い放った。
「○○○○○〇〇」
「▢▢▢▢▢▢▢」
すべてがすべて何ら証拠もないのに松本氏が発言した、と事実として書き並べられている。
新潮の記事においても伊東氏が飲み会の席で話した内容などが書かれている。
(その発言自体を記事を読ませるための「釣り」として使用しているわけではない。)
具体的に、いつ、どこで、だれが、なにをおこなったのか
無理な印象付けを行うことはせず、
書かれていることの内容のほとんどは
松本が
「○○○○○〇〇」
と言った。
というような確認しようもない不明確なことを文章の主体としている。
また、よくわからない造語を作って、いわゆる「釣り記事」のような煽りを多用していること。
報道すべき主体がないのに、無理に記事にしている印象を受ける。
あとは雪だるま式に「ネットの声」が事件化してくれるだろうとの見込みで発射されたものであるとの結論づけしか出来ない。
いつの間にか、文春の記事の低レベルさに文句をつける文章になってしまっている。
私自身が望むのは、文春はもう少し具体性のあることを書いてくれないだろうか?ということだ。
実際に性被害を訴えている人がいるのだから、もっとそこに焦点を当てて具体的で、煽りのない記事を書いて欲しい。
今のように、単なる芸人の女遊びを大げさに書きたてておけば、
などという態度でいるのは実際の被害を訴えている人たちに対しても誠実ではない。
結局は、そういう人たちを食い物にしている、という意味で文春はパッシングしている松本氏と立場が同じになってしまうのではないだろうか。
ショボい証言や関係無い話を盛って印象操作しかできなくなってきてる
沖縄の話やマッサージ店の話を追加したところで主軸となる記事の性加害については補強されないぞ
おまけに松本はテレビに出てないし、擦り続けたせいで読者飽きてるから
もはや週刊誌大好きなはてブですら上位に上がってこなくなってて
雑誌の売上げには直結してないのにまだやってるあたりが相当焦ってるようにしか見えない
こんなことしても世間的な評判は多少落ちるかもしれないけれど裁判には関係ない
文春としては裁判を諦めさせるしかなくて、元編集長とかまで動員して「松本は裁判で不利!」みたいに言ってるけど
一貫して松本側は折れないし5億の損害賠償裁判に向けて淡々と裁判対策してる
偉そうに橋下弁護士が「文春は証言者が居ることを報じただけ」とか言ってるが、その言い訳は通用しないって最高裁判決出てるのにな
ワタベとか他の芸人みたいに謝罪会見開いて引退するかYoutuberになるとでも思ってたんだろうな
紳助もそうだったけどこのくらいの芸人は漏れなくゴリゴリに資産運用してるから芸能活動なんていつでも辞められるのに
それでも裁判起こしてるのはただただ松本が週刊誌が嫌いだからなんだけど
そんなこと分かって記事書いたんじゃないのかな
「写真なり音声なりの確実な証拠を握ってるってことだろうなぁ」
と思ってたんだけど、今の今まで何も無しって、相当ヤバイでしょう
しかしその後普通に目が覚めて(と思ってたのは私だけで24時間以上経ってたらしい)絶望して、さらに眠剤を数十錠、酒で流し込んだ。
体勢を保っていられなくなった。今ならたぶんドアノブで首が吊れるぞチャンスだ、と思い、ベルトを使ってドアノブで首を吊ろうとした。
しかしもともと手先が不器用な上にラリってる最中の人間がうまくベルトを結べるはずもなく、吊ったものの重さで解けてしまい、床にすっ転がった。
もう身体が動かないので、これ以上薬を飲めないし、首もつれない。どうしようか悩んだ。悩みながら#7119に電話をした。眠剤をODしたことを話すと救急車を呼ぶように言われた。でもあまりにも自業自得なので躊躇った。でも結局119した。体感としては30分くらい悩んだつもりだったんだけど、発信履歴を後で見たら#7119から119にかけるまでの間に6時間あった。
病院では何をされたのか覚えてない。管だらけになったのは覚えてる。手足の拘束もされていたらしいけどそれは覚えてない。何をしたか覚えているか聞かれた。時系列はともかく薬飲んで首吊ろうとしたことは話した。
なんとなく喋れるようになってから、家族に連絡を取りたいと言われたが、ばかすかに殴られ蹴られ詰られてきたので、万が一実家に連れ戻されたらそっちのが死に近いので、お願いだから誰にも連絡しないでくれと泣きながら頼んだ。結局、ふだん通ってるメンクリへの情報提供?みたいな封筒を絶対に主治医に出すことを条件に解放された。
2日間の入院を終えて一人暮らしのマンションに帰ってきた。上司にはメンクリ通いを話していて、ODして入院したことも(退院後に)話したので、ひとまず今は仕事を休まされている。来週のメンクリ受診に上司が付き添ってくれることになった。
仕方ないので、眠剤飲んで錯乱してた間に荒らしたらしい部屋を、淡々と片付けている。
これからどうしたらいいんだろう。
よくさ、「クリエイターは自分の作品の批判にも耳を傾けるべきだ」という人がいるんだけども
それはもうメディアがものすごく未発達で、読者の感想が作者へのお手紙くらいしかない時代の話であって
現在のようなSNSでは、たった一人のネガティブな意見が毒物となって作者の口元まで行くんだよね
個人の感情で流した毒が、「自分が流した毒なんて大したことがない」と思っても
それがね複合作用を起こしちゃったり生体濃縮を起こしちゃったりして
なんかそのクリエイターが立ち上がれなくなるというのはよくあることだから
で、だからと言ってそんなことをしてる奴をみんなで咎めたりも注意したりもしちゃいけないの
それよりは自分のペースで淡々と見ました、すごかった、面白かったって言ってあげるだけでいいと思う
で、具体的に褒める
https://www.youtube.com/live/YNb8ZMZpA0E?si=LAURkPoFLvMF2_yD&t=1308
自分は別にどっちもどっちというか、思想言論の自由ってのは当然ある訳で。
だからadoがそんなのファンじゃねぇや!!って言うのも自由であるし、ファンがスタンスを変えずに言い続けるのも全然良いと思う。
誤解が生まれていれば説明をすれば良いし、それで理解ができない人がいれば単純にいろんな機能をつかって消せば良い。
そのために双方にミュートやブロックの機能があって淡々と嫌な意見は消し続ければ良いのよ。
アーティストとファンって1対多のコミュニティの括りではなくて、SNSに参加する人間単位で1対1で見れば平等に思った事を発する権利は当然ある。
あからさまに本人へのリプみたいなのは流石に除くけど、SNSでポッとつぶやくのを封じるのをadoがごちゃごちゃ言える権利はないだろう。
他の夫婦のセックスを見て、平均的なセックスがどういうものなのかを知りたい
本当にそのへんにいる普通の夫婦のセックスがどんなものなのかを知りたい
めちゃくちゃセックス好きで色々試してますみたいな人らもいれば、すごい雑で淡々としてますみたいな人らもいるよね
自分が普段してるセックスが平均的なものから見てどれぐらいズレてるのかとか知りたいんだよ
というか、セックスについて知るための情報源がAVか他人の話しかないのがヤバい
大体こんなもんですよ〜っていう見本を見れないまま皆自然にそれを受け入れてセックスしてるの怖いよ
初っ端からアナル大好きな人と付き合ってたらセックス=アナルになる可能性もあるんでしょ?
元々コント嫌いな所から来て、浜田雅功のチンピラ芸が嫌いってのがあると気付いた。
その点で、松本人志と言う人物そのものは浜田ほど嫌いではなかったと言うのも発見したりした。まぁ無関心とも言うが。
過去形なのは、今回の件で最近の振る舞いとか活動とかを知って、漫画に出てくる悪役みたいな事ばかりやってるんだなあと思ったから。その点で浜田雅功は淡々と自分の仕事をこなしているんだなと気付く。嫌いだけどな。
コントというのは
と言うのが本質だからだ。これは萩本欽一らによるコント55号が根本にあると思っている。
これは最近の「誰も傷つかない笑い」の話からすると真逆で、新喜劇やコント55号以前のお笑い、例えばクレイジーキャッツやドリフターズなどの言わば喜劇をベースとしたものと異なると思っている。
極端なことを言えば、これは白人連中が黒人を誇張して真似て嗤うのと同じことだと感じてしまう
なので、ダウンタウンがやろうと、内村光良がやろうと、東京03がやろうと嫌いである。最近はそう言う本質が見破られてきたのか、だんだんと需要がなくなって消えているのがうれしい。このまま消滅してほしい。
上記のコント芸の「普通」からちょっと外れた人々、つまり異質な人間を嗤う芸の嗤う部分だけを取り出し直接的に弄るようなものだからだ。
そしてそれに加えて浜田雅功の場合は、そうやって凄んで見せて相手がビビって萎縮するところを浜田と一緒に嗤うことによって成立している所がより笑えない。要するに弱い者いじめの当事者とその周りでいじめられているのを笑ってる聴衆という図そのものであり、何が楽しいのかさっぱり分からない。
それに対して松本人志はふざけた事をいって笑わすタイプだったように思う。チンピラ芸と違い、純粋に自分を笑いものにしたり滑稽芸で笑わせにいくタイプの芸人を普通に笑っていて、芸として威圧したりしていなかったと感じている。
浜田雅功よりはマシだと思っていた。
ただまぁダウンタウンの笑いそのものが合わないので、最近は全然見なくなっていたわけだが。
で、アマプラのCMうぜーぐらいに思っていたら、今回のこれである。
ウッチャンナンチャンについて。内村光良がコントが好きでそもそもコントが嫌いなのだが、同時にお題を与えてそれで芸人が答える形でおもしろい事を引き出す芸も持っているためダウンタウンよりは良いと思っている。
とんねるずは、若いころはヤンキーそのもので嫌いだったが、歳をとってから彼らの気持ちが理解できるようになった。ひたすら身内身内に引きこもる感じだが、とんねるずは身内にネタ振りはするが威圧したりいじめたりはしないと言う事に気付いたからだ。一緒に出演する奴をみんな先輩か後輩かタメという地方の高校の部活動みたいな感じでシンプルに分類してネタ振りするみたいな奴。そのグループの中に積極的に入りこみたいとは思わないんだけど、こう言う連中は自分のグループの外にいる奴を攻撃したりはしないし、オタクにやさしいギャルならぬ、オタクにやさしいヤンキーみたいなところで異物にたいしてやさしいのである。
1人で飯を食うのが寂しくて後輩に電話銃弾爆撃して呼び出して馴染みの中華料理屋で奢る代わりに絡み酒するとか、半強制的にフットサルチームに誘うとかそういうことはやらかすだろうが、自分の代わりに女をナンパさせるなんてことはやらないと思う。
若手なので1つの仕事部屋を同じ職位の人間と2人で使っている。相部屋状態だ。
自分で選んだのではなく上に割り当てられた部屋と相部屋相手である。
相部屋相手をAさんとする。
Aさんはおしゃべりが好きらしい。
初対面の時はすごく明るい人だなと思った。
話しかけるとこちらの話を無視して独自の何かをしゃべってきて止まらない。
同僚とは仲良くしたいと考えていたが,Aさんに付き合っているとこちらの仕事が進まないので話すのをやめた。
同じ仕事部屋内に人が複数人所属している場合はおしゃべり好きはおしゃべり好き同士で連むので,彼らはおしゃべり好きではない人間に過度に話しかけてこない。
そうなると彼らに苦手意識を抱かなくて済むので人間関係は良好なままだ。
良好な人間関係は複数の人間の選択肢から生まれるのだと思った。
Aさんはアッパー系コミュ障ぶりはあまり周囲の他の人に伝わらない。
廊下ですれ違う際に挨拶をするだけならきっととても印象はいいんだろう。
Aさんについて他の同僚から「Aさんいつも笑顔でいいよね!」と言われて呆然としてしまった。
Aさんはたまに部屋に知り合いを連れてくる。
事前にこちらに報告やお伺いはない。
部屋にはいろいろなものを置いているので知らない人にはなるべく入ってほしくないのだが。
目が見えていないのかな?と思う。
Aさん的に知り合いが来ることを断れないのかもしれないが,挨拶を促すことはできるのではないかと思う。
彼らは部屋でおしゃべりをしている。
こちらは集中したいのにお構いなしだ。
Aさんになぜイラつくのかと考えた結果,こちらが想定するコミュニケーションを取れていないからではないかと思った。
相手の話を聞いて適切に会話すること。
自分の話を話しすぎないこと。
自分以外の人間がいる部屋に第三者を入れる前に許可をとり報告すること。
・・・アッパー系コミュ障とうまくコミュニケーションできないこちらのコミュ力の問題とも言えるかもしれないが。
Aさんとコミュニケーションをとらなくても仕事は進んでしまう。
よく職場の人間関係に苦手な人がいる,という悩みに業務として淡々と接しましょう的な回答がある。
はじめに。
人によっては不快に感じる話なので(特に、不妊治療中や子どもを諦めざるを得なかった方など)、読み進めるのは自己責任でお願いします。しかし、私自身にとっても深刻な悩みで、どこかに吐き出したいので書いています。
学生時代、生理痛が非常に重かった。社会人になり自由になるお金が増え、保険適用でピルを飲むようになって生活しやすくはなった。しかし、生理期間中の身体のダルさや眠気は相変わらずあるし、二日目にイブクイックを飲むことはまだ辞められてはいない(学生時代もピルの存在は知っていたが保険適用だと知らなかったし、知っていたとしても親は気合いで乗り越えなさい!タイプだったので通院は無理だったと思う、医療費通知でバレる)。
自分は元々、この世に生まれてきたかった訳でなく、生まれてしまったから死ぬのも怖いし仕方なく生きているタイプの人間だ。また、人それぞれ考え方はあるのは前提で、私は「子どもを産むのは完全に親のエゴ」だと考えるタイプである。
そんな自分は大学生の頃、絶対に子どもはいらないと考えていた。しかし、自身の結婚や環境の変化、身近な人の子どもと触れ合う機会等を経て、最近は少しだけ子どもって可愛いなー、良いなーと思う自分がいる。また、生きてて良かったな、楽しいなというこれまでの経験の積み重ねも、気持ちの変化に影響していると思う。初めは自分でもこの変化に戸惑ったが、時とともに人の気持ちは変化するもんだと思えるようになった。まあでも、これまで生き辛さを抱えながら生きてきたし、今もそういった部分は消えていないので、そんな自分も子ども産み育てたいと思う瞬間もあることに対して矛盾を感じてもいる。
しかし、一つの命をこの世に生み出す責任の重さを考えるとどうしても「産みたい!」「産むぞ!」という気持ちになれない。また、メンタルが強くないので、妊娠、出産、子育てで大いに病む自信しかないし、問題を抱え込みやすく周りに上手に頼れる性格でもない(プラス、両実家は遠方)。器用な人は両実家が遠かろうが何だろうがやってのけるんだろうし、そうじゃない人もどうにかやるしか!の精神で乗り越えるのだろうけども。
ただ、遠方に住んでいる姉の子育ての話を少し聞いただけで、「わ、私には無理だ…」と感じることが多すぎる。ワンオペの多い姉は「私がやらなきゃ誰もやる人がいないからやるしかない」と淡々と話すが…。勿論、話を聞いたり、みてねに上げられる写真を見たり、実際に会ったりすると甥っ子は非常に可愛くて癒されるし、子どもって良いなと思う瞬間はある。でもそれ以上に、人ひとりを育てる大変さ、責任の重さを考えてしまう。
それに加えて、円安だし、税金は右肩上がりだし、不正をした政治家が裁かれないような日本に生まれることは果たして幸せなのだろうかとか考えてしまう(どの国に生まれてもそれぞれ、様々な問題があるでしょうが)。親が考え得る、子どもの幸せを全て叶えてあげようとするのは傲慢だし、無理だとは理解していても、一度立ち止まってしまう。
また、我が家は家計が毎月カツカツという訳ではないけど、めちゃくちゃ余裕がある訳でもない。もし仮に、非常に経済的余裕があったとしたらこんなに悩まずに産むのかなと考えたこともあったが、その時でも私は悩みそうだと思ったので金銭的理由よりもメンタル的な理由の方が大きそうである(メンタルが関係する問題で、金銭で解決できることも一部ありそうではある)。
親しい友人は、私の子ども絶対いらない期(大学生時)の気持ちも、今のあやふやな気持ちも知っていて「世の中、みんなそんなに考えてから子ども産んでないよ」「ただ可愛いから産んでる子もいるよ」「〇〇(私の名前)は考えすぎだよ」と言う。でも私は、元々生まれてきたかった訳ではなく生まれてしまったから生きてるタイプの人間だし、そういうことを人より深く考えてしまう。
夫には付き合っている時から、今後変化するかもしれないが現時点で子どもを産みたいとは考えていないと何度か伝えており、それを了承の上で結婚した(因みに、夫自身は子どもが欲しいかどうかは「分からない」らしい…。子どもが身近にいないとそういうもんなんでしょうか)。この先、やっぱり子ども欲しい!って言われたら、まあその時はその時だよね(知らんけど)という精神で今はいます。一応、こちら側の意思表示、説明責任(?)は果たしている。こちらの気持ちの変化の可能性もあったので(実際に変化してる)、婚前契約までは結んでません。
で、タイトルに戻りますが。いっそのこと子宮を除去できたらなと思うようになってしまいました。なんかもう、疲れてしまって。自分の中で、己のキャパ的に今世では子どもを産み育てるのは無理だわと分かりつつ、微妙に揺れ動いてしまう感情に振り回されることや、産むなら早い方が体力的に良いとか自分で勝手にタイムリミットを感じて、決断を急き立てられるような気持ちになること、両実家からの表立っては伝えてこないけれど、ふとした瞬間に緩やかに感じる孫への期待だとかに。それならばもう、子宮が無くなってしまえばそういったことに悩まされることもないよねと。子宮がなくなればめんどくさい生理も来なくなるし(夏のナプキンのムレは本当に不快)。
もし万が一、子宮が無くなったとしたら、「あ、私はもう子どもは産めないんだ」と喪失感に駆られるかもしれないなとは考える。めちゃくちゃ自分勝手だけど、人間ってそんなもんでしょう、とも思う。
可能性を排除して、考えなくて良くなりたい。色んな自分で自分を苦しめているしがらみから解放されたい。考えることに疲れてしまった。
おわり。
私は、ホモサピエンスとしてのヒトは、人と害虫に分類できると思っている。
害虫はヒト型をした生き物だが、人としての知性や倫理観を持たないもので、人に危害をなすものだ。
害虫は更に細分化出来て、ハエのような弱い生物もいれば、ハチのような強い生物もいる。
「ハエ」のヒトの中には、コバエのような追っ払えば済むものから、執拗に刺してきて駆除が必要な大型バエもいる。
「ハチ」のヒトの中には、ミツバチのようにこちらから攻撃を加えなければ安全なものから、攻撃性の高いスズメバチのようなものもいる。
害虫は人ではないので、それらに感情的に接する必要はない。人は害虫の種類を適切に判別さえできれば、それらに対し淡々と対応することができる。
ビックリした。
めっちゃ短いじゃん。
プレイ時間が100時間のゲームを月に一本遊んだとして年12本×50で600本しか遊べない。
ビックリだわ。
各歴代ゲーム機の人気ソフトベスト100をやろうとしても6台ぐらいで終わりだ。
50時間でクリア出来るゲームもあるし、10時間で終わる名作もあるけど、それを考えて3倍に増やしても20台弱のゲーム機までしか網羅できない。
今までの人類の歴史を振り返って「まあそれでいいんじゃね?」と思ってる人間は考えが薄すぎるよ。
あのね。
50年しかないけど、同時に50年もあるんだよ。
20台で収まるかどうかさえ分からない。
これから生まれるゲーム機の名作を上から100個ずつ遊ぶか、これまでに出たゲーム機の名作を上から100個ずつ遊ぶか、どっちかしか選べないんだよ!
ここで大事なのは「2倍の種類を楽しもうとしたら楽しめる数は1/2倍になる」ってこと、帰納法で考えれば「N倍の種類にしたら1/Nの数になる」ってことだよ。
今はゲームのことだけ考えたけど、映画・ドラマ・読書・スポーツとかで考えてみようか!
大雑把に1/5倍ずつ頼もうとしたらゲームの方は上から10個ぐらいが精一杯になるね。
なんてこった!
人生は恐ろしいほどに足りない。
趣味の種類を増やしていけば一つ一つはあっという間に薄まっていく。
気づけば最も人気のゲーム機3つの人気ソフト上から5本ぐらいが精一杯とかになるかも知れないな。
凄いことだ。
人生に対して世界は狭すぎるし、その割には働く時間は長すぎる。
色んなことに飽き飽きするには人生は凄く短くて、とにかく足りないものばかりで構成される。
焦りが凄い勢いで吹き出してくる。
それらを全部吹っ切るために「釣りをのんびり楽しめばいいんだよ」とか極論に走っちゃう人がいるんだろうな。
多分だけどそういうのって最後の最後になってから突然後悔するんだよ。
「なんで俺は釣りをのんびり楽しめばなんて強がった!もう時間が残ってないぞ!」となると思うんだ。
ちゃんと向き合うべきだ。
どうしたらいいんだろう。
手っ取り早いのは不老不死になることで、遠い昔であれば天国を信じることだった。
今は脳を機械に移植するとか転生するとかが主要な考えみたいだ。
現実的に言えば資本家になることって、それを格好つけていったのがFIREってことみたいだ。
皆同じようなことに悩み過ぎだろ。
FFは全部やったけどDQはやったことないからって何だというんだ。
ビートルズは一通り聞いたけど松任谷由実はほとんど聞いてないからって人生の価値がそんなに変動するかよ。
淡々と割り切ればいい。
あとで後悔するとか知ったことっちゃない?
そうだろ?