はてなキーワード: 楽屋とは
岡村隆史氏は島田紳助に殴られた被害女性が取材を受けていたことには納得がいかない様子で
「これは吉本内のお家騒動。お恥ずかしい話ですよ。紳助さんが吉本やめると言ったら、打撃を受けるのは吉本。紳助さんは不動産屋で食っていけるから」
とまで言ってのけているくらい吉本興行ホールディングスのことを第一に考えておられる御仁なのになあ
告訴状によると、紳助は女性に対し「態度が悪い」と激高。紳助の楽屋に引きずりこみ、女性の名刺をくしゃくしゃにして投げ捨て、頭部をげんこつで4~5発殴打。さらに髪の毛をつかんで壁に打ちつけ、女性のリュックとバッグを奪って投げ捨てたうえ踏みつけ、そのリュックで女性の左頭部をなぐり、顔面につばを吐いたという。
お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(34)と矢部浩之(33)は29日未明、ニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜・深夜1時)で同じ吉本興業所属の紳助の暴行事件について触れた。
岡村は「手を出したということは、よっぽどのことがあったんやと思う。100%は紳助さんが悪いとは思わない」と先輩を擁護。
被害女性が電話取材を受けていたことには納得がいかない様子で「これは吉本内のお家騒動。お恥ずかしい話ですよ。紳助さんが吉本やめると言ったら、打撃を受けるのは吉本。紳助さんは不動産屋で食っていけるから」と続けた。
岡村隆史さんは島田紳助が女を殴った時に被害者が取材受けて公にした事にもキレてたくらい会社想いなのにひどいなあ
告訴状によると、紳助は女性に対し「態度が悪い」と激高。紳助の楽屋に引きずりこみ、女性の名刺をくしゃくしゃにして投げ捨て、頭部をげんこつで4~5発殴打。さらに髪の毛をつかんで壁に打ちつけ、女性のリュックとバッグを奪って投げ捨てたうえ踏みつけ、そのリュックで女性の左頭部をなぐり、顔面につばを吐いたという。
お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(34)と矢部浩之(33)は29日未明、ニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜・深夜1時)で同じ吉本興業所属の紳助の暴行事件について触れた。
岡村は「手を出したということは、よっぽどのことがあったんやと思う。100%は紳助さんが悪いとは思わない」と先輩を擁護。
被害女性が電話取材を受けていたことには納得がいかない様子で「これは吉本内のお家騒動。お恥ずかしい話ですよ。紳助さんが吉本やめると言ったら、打撃を受けるのは吉本。紳助さんは不動産屋で食っていけるから」と続けた。
振り込め詐欺をやっていた反社会的組織と多くの主力タレントに金銭的やり取りがあった企業であることが明るみになっても
たかが女を風俗に沈めるのを楽しみにしていたくらいで降板させるわけないだろw
女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しnhk-チコちゃんに叱られる-の降板及び謝罪を求める署名活動
吉本興業は吉本ファイナンスというサラ金も経営しているし、今回の岡村さんの発言で吉本興業が損をすることは絶対になかった。
どうせ吉本と同じように従業員を外注扱いして脱税で摘発喰らったカビマスクのユースビオ社にもケチ付けてるんだろ?
ユースピオ社も吉本興業も国から税金支援受けている愛国企業なんだよ。
最後に岡村さんが情に厚い男であることの証明に島田紳助が女を殴った時に擁護した件の新聞記事を掲載する。
告訴状によると、紳助は女性に対し「態度が悪い」と激高。紳助の楽屋に引きずりこみ、女性の名刺をくしゃくしゃにして投げ捨て、頭部をげんこつで4~5発殴打。さらに髪の毛をつかんで壁に打ちつけ、女性のリュックとバッグを奪って投げ捨てたうえ踏みつけ、そのリュックで女性の左頭部をなぐり、顔面につばを吐いたという。
お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(34)と矢部浩之(33)は29日未明、ニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜・深夜1時)で同じ吉本興業所属の紳助の暴行事件について触れた。
岡村は「手を出したということは、よっぽどのことがあったんやと思う。100%は紳助さんが悪いとは思わない」と先輩を擁護。
被害女性が電話取材を受けていたことには納得がいかない様子で「これは吉本内のお家騒動。お恥ずかしい話ですよ。紳助さんが吉本やめると言ったら、打撃を受けるのは吉本。紳助さんは不動産屋で食っていけるから」と続けた。
日本という国はこうあるべきだ、という指針を15年も前から岡村隆史さんは示しているのだ。
そもそも吉本興業は反社会的組織と多くの主力タレントに金銭的やり取りがあった企業であり
岡村隆史さんは所属タレントなんだから、そりゃ困窮した女が風俗に沈むのを面白がるのは当たり前だろう。
元々は質問者がダッチワイフを買おうと相談していたのだから、風俗に誘導するのは当然だ。
吉本興業は吉本ファイナンスというサラ金も経営しているし、今回の岡村さんの発言で吉本興業が損をすることは絶対になかった。
どうせ吉本と同じように従業員を外注扱いして脱税で摘発喰らったカビマスクのユースビオ社にもケチ付けてるんだろ?
ユースピオ社も吉本興業も国から税金支援受けている愛国企業なんだよ。
最後に岡村さんが情に厚い男であることの証明に島田紳助が女を殴った時に擁護した件の新聞記事を掲載する。
告訴状によると、紳助は女性に対し「態度が悪い」と激高。紳助の楽屋に引きずりこみ、女性の名刺をくしゃくしゃにして投げ捨て、頭部をげんこつで4~5発殴打。さらに髪の毛をつかんで壁に打ちつけ、女性のリュックとバッグを奪って投げ捨てたうえ踏みつけ、そのリュックで女性の左頭部をなぐり、顔面につばを吐いたという。
お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(34)と矢部浩之(33)は29日未明、ニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜・深夜1時)で同じ吉本興業所属の紳助の暴行事件について触れた。
岡村は「手を出したということは、よっぽどのことがあったんやと思う。100%は紳助さんが悪いとは思わない」と先輩を擁護。
被害女性が電話取材を受けていたことには納得がいかない様子で「これは吉本内のお家騒動。お恥ずかしい話ですよ。紳助さんが吉本やめると言ったら、打撃を受けるのは吉本。紳助さんは不動産屋で食っていけるから」と続けた。
日本という国はこうあるべきだ、という指針を15年も前から岡村隆史さんは示しているのだ。
「六代目神田伯山真打昇進披露興行」の新宿末廣亭(10日目)千穐楽のゲストが桂文枝(六代目)だったのだが、その日の
楽屋に桂竹丸・三遊亭笑遊が遊びに来ている(桂文治に「(今日は用も無いのに)何しに来たの?」と不思議がられている)
後に目的は「この日のゲストである桂文枝に挨拶して『落語を教えて貰う』=伝授して貰う」事だと判明するのだが、その
際のやり取りがとても興味深い。
https://www.youtube.com/watch?v=DT9EIEO96qU&t=376s
桂竹丸「あの師匠、恐れ入ります。あの~落語を教えていただきたいんですけれども」
桂文枝「あーいえいえ、なるほどなるほど…」
桂文枝「あー、どうぞどうぞ…じゃ、お二人に、送らして…書いた物と…家から送らしていただきます…」
桂竹丸「あーありがとうございます…」
桂文枝「(付き人・マネージャーに)じゃあ(お二人の宛先)きいといて」
三遊亭笑遊「師匠、「ぼけてたまるか」の枕を、使わせてもらっても」
桂文枝「あーもちろんもちろんもちろん、どうぞどうぞ、どんな枕でした?」
桂文枝「え?」
元増田の「直々に稽古」キットなるものは100%妄想で書いたけれども、結構当たらずとも遠からずな感じがしている。のだが。
動画をよく見ると、竹丸・笑遊が共に「桂文枝」の名刺を手に持っているのが確認出来る。「ちゃんと文枝師匠と挨拶を交わした」
このやり取りが必要な世界だという事は何となくわかる「人の創作落語を作者の同意なしに何勝手に口演してるんだ?」という
アイドルなどが実はセルフプロデュースしたものだった、というケースは最近では多い。
昔は芸プロや編集に売ってもらうのが当たり前だったが、今ではこうした人がとても多い。
むしろ自分で売り込むという姿勢は芸プロ時代にも必要だったわけで、楽屋の事情が世間に広まっただけかもしれない。
実力があるかないかは別として、ただ売れる。こういう人は未だに後を絶たない。
自己プロデュースが上手なのだから、プロデューサー能力としては有能なのは間違いない。
割と残念な事実として、実力のある人は往々にして地味な可能性が高い。
最近ではタブレット端末や電飾など高額なものをつけたものもあります
きっとアイドルやキャラクターを応援している気持ちを示すためでしょう
僕がそう思う理由は3つ
1つ目
フラスタ制作にかかったお金って無駄じゃないって思ってしまうんですよね
フラスタに払う金があるならその分アイドルやキャスト、コンテンツに金を払う方が
結局フラスタにかかるお金って花屋さんとあとは絵を描いてくれた人への報酬
演者は喜んでくれるしきっとパワーにはなるのだろうけど
結局花ではご飯は食べられないわけで
そこそこ浸透してきた文化とはいえ花屋さん的にもイレギュラーな仕事だし
正直大変なお願いをすることも多いので
2つ目
なんとなく知り合いのオタクに誘われると断りづらい
主催が見込みが立ってないくせに
そうすると当然人手が必要なわけですよね
そうなると知り合いのオタクに声をかけていくのですが
そうなるとなかなか断りづらい
なんかバツが悪いしそのあと現地でその花を見るのもなんかしんどいし
3つ目
変にこじらせたオタクが目に余る
もっとひどいのだと他の演者は合間を縫って写真撮ってくれてたのに…だとか
正直何のために出してんだって思うし
自分もあんたの演者への媚びの手伝いに金を出したわけじゃないって思う
それでファンを大事にしてないとか言ってる人間を見ると正直腹がたつ
なんて思っていても
平日60分、休日90分以上ゲームすることを条例で禁止するらしい。
ネットでは罰則はないから実害はない、と言っている人がいるがとんでもない。
未成年が60分以上(休日は90分)ゲームすることが「違法状態」となるのだ。
だから香川県の高校生ユーチューバーが90分以上のゲーム実況を投稿すると、
未成年芸能人が香川県でのライブの時、楽屋やホテルで90分以上ゲームしていたのを
文春砲でやられたら、間違いなく謹慎、あるいは芸能界引退だろう。
同様に、香川県ではネットを含む公の場所で90分以上のゲームができなくなるし、
自分語りですまんね。
こないだのライブ、非常に敬愛している先輩と楽屋で話してるときに何でだったか「お前100kg以上あるんだもんな、体重めっちゃあるやつとはケンカしたくない」みたいな話が出て、先輩が俺の腹ぐっと押して「筋肉あるじゃんね!」なんて話をしてたのよ。
そしたら隣にいた初対面の若いバンドの子が「マジっすか、腹殴らせてもらってもいいですか?」って言ってきたんだよね。
俺は「初対面の人間の腹を殴らせろとか、蛮族かな?」と思ったのだけれども、とりあえずお酒も入ってるしまあいいか、って感じで腹筋を固めてボコーン殴らせたわけ。
ほんと全力で初対面の人の腹殴れるとか意味わかんないよね。
で、やや少し経った後にその若いバンドの子が「もう一回腹殴らせてもらってもいいっすか?」って言うから、俺は「蛮族の風習かな?」と思いつつもボコー殴らせたわけ。
これって結局揺れない100kg以上のサンドバックを思いっきり殴ってるわけじゃない?そのあとちっちゃな声で「やべー手首痛めたかも」だってさ。
そりゃあそんだけ全力で素人が殴ったら痛めるだろうな。
俺はケンカもしたことがないししたくないし、そういう肩パンとか腹パンとかで男を見せる、みたいな風習が嫌い。
すげーダセエな、蛮族だな、と思った。
今朝はよく寝たーって感じを感じたわ。
もう夜超早寝で21時ごろおやすみなさいして、
朝までゆっくり寝れたわ。
結構規則正しく休みの日は寝だめとか夜更かしとかはなるべくしてないんだけど。
結局は帳尻が合わなくなるので、
規則正しい生活の方がパフォーマンスがいいような気がしてるわ。
ぜんぜん話変わるんだけど、
よくコンサートホールなどライブ会場に私の推しの人のライブがあるときは欠かさずお花を贈るんだけど、
今回スタンド花が駄目な会場もあるのね。
私知らなかったわよ。
スタンド花のボリュームを楽屋花にしたらどえらいことボリュームになるんじゃないかしら?と思ったら案の定。
すごく大きな花が贈られててビックリだったわ。
ほか贈ってた人も、
そういう事情らしくスタンド花で頼んでるのを楽屋に無理矢理納めてるもんだから、
楽屋が花だらけだったみたいよ。
まあそんなわけで私が行く今年のライブはこれが最後でしみじみしちゃうわ。
決まったらまた計画立てねばと言う感じよ。
ところでさ
しみじみとのむじじみじるしみじみと
と一句詠んだところで
最近飲食店で不運なこと続いてるから落ち込んだりしちゃうのよね。
いいこともある
わるいこともある
これも結局トータルで帳尻が合うって世の中の仕組みなのかしらね?
でも今回のライブでは年末楽屋ご招待大抽選会に当選したから楽屋をちょっとのぞけちゃったのよ!
何か質問とかないの?って言われたんだけど、
こういう時相手が唸るほどの質問力を備えていないといけないわね!と
斉藤なんとかさんが書いて出している質問力の本を読まなくっちゃって鵜呑みにしそうよね。
でも質問ってさ
いや別に疑問はないんだけど、って思っちゃうと余計に私の質問力はこんなものかーって
せめて質問力1000ぐらいは欲しいところで、
今日ばっかりは難の根拠も無く256倍!とか言う勇気が1677万倍もないわ。
来年も頑張りましょうね!
うふふ。
玉子食べて活力を満たしたいわ。
どのぐらいの温度がホッツ白湯ウォーラーなんですか?って答えには
ごくごく飲める感じのぬるさが白湯たるものらしい全日本白湯協会、
そういうことにしておいた方がいいんじゃないかしら。
私はちょっとふーふーして飲めるぐらいがいい白湯キメたね!って思えるので
そのぐらいでも良いかもしれないわよ。
まあとどのつまりは何でも言いと言うことらしいわ。
と言うことで今日はホッツ白湯ウォーラーインレモンにしました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず、廃業した方のTOだったとあるが、この廃業した声優の現場に通いつめているオタクが自他共に認めているTOはバイトではないはずだ。
オタク界隈で、特に金を使うオタク同士と言うのはおまいつだから自然と交流が生まれるし、周りに周知されていくし、トップだから特定されていくので、わざわざ匿名になる必要もない。
なので確かにお金は使っていたかもしれないがトップオタクではないはずだ。
また、フラワースタンドや楽屋花と言うのはおめでとうと祝いたい気持ちで贈るものだからそれを無駄だったと読者に思われるような書き方はどうかと思う。
見返りを求めた時点でオタクではない。
人気商売だからファンが居ないと成り立たないと思うが才能に惚れた、不器用なのは知っていると言うならば最後まで他の声優ファンを羨まず、才能を推し、才能を生かせる環境を作ったあげるべきなのではないか?
何度読み直しても、お金を使っている自分が好きだったんだなとしかならず、虚言を吐いてまで自分に酔いしれているのがひたすら気持ちが悪い。
運営の「説明できない」でいろんな可能性を考えたが、最悪のやつは無いってことはわかってよかった。
こんだけ今まで夢見させておいて「説明ができない」という、ファンに水ぶっかけて、ファンは気持ちのやりようのない終わり方か。
冷えますな。
普通に考えたら企業としては釘をさして契約解除だろうし、やめた側は水鉄砲を打つくらいしかできないんだろうな・・。会社側・やめた側の双方から事実や経緯が語られることはないだろう。それに、語ったところで何かこの冷え切った状態が修復するものでも無いだろうしなー。
それに、もし仮に、そこの事実関係のところが具体的に説明されたとしても(暴かれたとしても)、なおさらロールプレイが破壊されていってしまうことも意味する。
それは辞めた演者側としてもファンへのダメージが増すのに心が痛むだろうし、運営側としても残ったメンバーへのダメージが増すし、たぶん誰も得しないんじゃないかな。喜ぶのはゴシップ層だけだろう。
「説明はできないけどやめます。本当にごめんなさい」くらいの声明、突然のお別れ動画くらいは作れなかったんだろうか・・。せめてもの。それはファンも残ったメンバーもダメージ軽減に寄与すると思うのだが。
あんなロールプレイのない文章を書かせるの・・・。中の人が真顔で書いたみたいな。楽屋裏トークじゃん。
そのコントラストがキツい。
ファンは舞台を見ていたはずなのに。いつのまに舞台裏の垂れ流しを見せつけられてしまったんだ・・・?
冷えますな
私が大好きで推しているアーティストさんの興行が11月12月とあるので、
で!久しぶりなのでまたお花を張り切って発注したいところなのよ。
最近私が東京で気に入っているお花屋さんの支店が各地にあるみたいで
今度はそこのお店に頼んでみようかしらと意気込んでるわ。
地方だと大きなお花贈る人少ないから目立てるっちゃ目立てるのよね。
いや普通に目立ちたいんじゃなくて
アーティストさんのよその関係者に「おお!この人すごく人気あるな!」って意味で目立てばいいので、
まったくもって本人はお花を見てくれなくてもいいの。
ましてや楽屋に贈るお花とか、
あと他の人たちがSNSで写真撮ってあげてくれるのも盛り上がってる感じがして嬉しいわ。
その人が次の仕事に繋がる(だろうとこっちは勝手に思ってる)やり方がよくない?って思うのよね。
と言うことで
なんだかまた書きかけていたもの、
お鍋の具材には最適なんだけど、
なんだか世話していたウサギ小屋の思い出が蘇る感じね。
バチンと目覚めちゃいましょうってな具合よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
中学生とか高校生くらいで、ソロの演奏会開くぐらいになってるプレイヤーはそこそこいる。
ピアノかヴァイオリンが多いけど、その他の器楽とか、たまに声楽も。
こういうコンサートだと花束とかの贈りものは別に普通。毎回通ってると確実に覚えられる。
ポップスとかアイドルの世界に比べてすごく狭い世界なのと、将来プロとしてやっていける人の門の狭さもあるので、毎回聴いて応援してくれる存在というのは有難がられる。
そのうち楽屋にも出入りするようになったりとか。
ちょっと花開いてCD出したり上のステップに行ったりすると「無名の頃から応援してくれた人」の格が上がるっていう構造は同じ。
知り合いにもいた。純粋にそういう無名のプレイヤーのコンサートに行くのが趣味だったのか、それとも別の目的だったのかはわからないけど、対象は若い女の子ばっかりだったなあ。
数年前に某店長さんがネットから消えたときにぼくが書いた文章をここに流しておきます。(※一部、当時の文章から細かいところを修正しております)
某さんが消えたのは当然知っていて、某さんが書いたであろう増田の存在もとりあえずは知っていたのだけれど見ないようにしていた。ぼくはそんな風にして理性の口では結構強気なことを言ってはいるものの、感情の口では正直なところあのひとがネット上に文章を残さないと決めたことを認めたくなかったのだと思う。
ふと、今朝がた見た夢で某さんがmixiアカウントを復活させて、新着日記のところにその名前があるの見かけた瞬間、ほっとしたのとうれしさで胸のなかの重い空気が抜けていくように思えたことをなんとなく覚えている。
その間、自分のTwitterのタイムラインはずっと流速が遅くなっていたし、おかげ様で頻繁にタイムラインを見るなんてこともしなくなっていた。
たぶんそんな夢を見たきっかけは前日の深夜、skypeでオンラインになってた某さんの名前を見たからだ。声をかけようか迷った、というほどぼくは人間関係に積極性のある人間じゃない。正直なところSNS上でかなり付き合いのある相手でも一度でも顔を突き合わせて話をした誰かであっても去るひとのことをそうそう気にはかけないし、逆に自分がそういうコミュニティから去ることもあまり厭わない。
声をかけることはできなかったけど、某さんがオンライン状態であると確認できたことで安心した。ああ、まだ向こう側にあのひとはいるのか、そういった気持ちなんだろうなと思う。
休日、ぼくは友人の到着を待つまでの暇な時間を使って、某さんの増田を読むことにした。なんというか、本人としては別れの言葉のつもりなんだろうなって思っていたのだけれど、でもこのくらいの熱量で文章を書くことなら某さんにとって余裕であるから、これがネット自殺であるにせよ、もっと強い衝動が訪れたならどういう形でもこのひとはどこかに文章を残すだろうなって思った。
作家や創作者もネットライターも、もっというならブロガーも、個人的には某さんを評する言葉としてしっくりこないけれど、文章書きという表現は心にすっと入ってくる。
「文章を書く」っていうのがなんだと言えば文章を書くことである。
これだけをいうとただのトートロジーなのだけれど、ぼくが出会った時点での某さんは、自分の目と手で書かなければ文章は書けないというただそれだけのことを、すごくストレートに、それでいて簡単にやっているように見えた。
理知的というか、ひとつの話題に対して自分の頭で並べ立てるよう物事を考えて、それを伝わりやすい言葉で表現したかと思えば、突然の楽屋オチもエロゲオチも余裕で辞さないし、100人のうちひとりでも笑ければ充分とでも言いたげなニッチなネタをどんどん放り込んでくる。特殊な部類のエンターテイナーであったのかもしれないし、そうでなければ多分、本人が時折語るようにあのブログがコンテンツとして強い力を持つものにはならなかったであると思う。
ほぼ文章のみでコンテンツ化されるということは「今、そのあなたが書けるもの」を求められているということだ。こと某さんの「そういうもの」とは自身を切り開く性質にある、とぼくは思っている。話すネタがそもそも自分の生きているポジションから来るものであるとか、視座から来るものであるとか、とかく、これは創作なんですネタなんです本気にしないでくださいというようなエクスキューズが利きづらい方に向いている。
比較してもどうしようもない話だけど、ぼくがもしそういう風にコンテンツとして自身を切り開くことを求められたのなら、そんなことをされた瞬間に焼けただれて死ぬ。持っていないものを求められてもしかたがない、というところがあるというのもあるかも知れないし、そもそもとして防衛本能のようなものが働いてしまうようにできている。要は、自分の書いたものが何であっても、自分と深くつながっているわけではないから否認されようと恐ろしくない、先述したような「これは創作みたいなもんですから、ネタなんですから」そういう感覚で文章を書こうとしてしまうものである。
某さんは違う。
あれに特別な視座で世界を見る目や時折出てくるしっかりした知識があっても、エンターテイメント的要素に芸人根性はあっても、誰にでも読みやすいようなバカみたいな親切さがあっても、そしてついでにぼくの大好きなエロゲネタがあっても、根本の部分で「自分」を消費しているように見えてしかたない。
「自分」をほんとうに愛せるうちは良いと思うし、愛せなくても愛してくれるひとが多少は自己嫌悪を上回る自己承認を渡せていたのならそれで良いのかもしれない。けれども、誰にも認められなかったらどうだろう、クソを尻から吐き出してワゴンの大安売りで叩きつけるように店に並べて、ただかわいそうな目で見られてやがて近くを通るひとびとはその場所に誰も居ないことにするだけだ。
恐ろしいことだ、とぼくは思う。
たとえば身寄りもお金もない少女にとって資本が身体しかないからと身体を売ろうとして、それを拒否されてしまったらどうだろう。きっと死ぬと思う。
ネットで自分を切り開きながら文章として晒していくことには、それだけのリスクがあると思う。毀誉褒貶はそのまま自分に刺さる。創作ならばまだ客観的な反省という形をとれても、「自分」で真っ向勝負して否定をされることは、自分を否定されることと同義だ。
某さんが今回ネット自殺をすると決めた理由は、細かい部分を置いておいて「自己嫌悪」に由来しているという。(※この部分は過去にこの文章を書いた当時のお話です)
なんにせよ自分はあのひとの文章を読みすぎた(ひとと比較してという意味ではない)し、それほどこのネット自殺をした理由自体についての自己判断に興味が無いというのもある。
ぼくははっきり言って某さんの文章の書きかたに憧れ強く影響を受けた人間のひとりですし、とはいえそれをあまり押し出す気もなかった。なんでかって言ったら、自分にとってインターネットでも数少ない、同じような話題で笑い合える遊び相手でもあったし、そんな目に見える場所にいる人間が憧れの目を爛々にさせて近づいてくるとかいうと、自分がそういう立場になったらすげー怖い気がするからです。
ただ、某さんの文章の書きかたがぼくに色んなきっかけを与えたのは間違いないし、せっかくだからこれからの自分は少なからずでも自分を切ってでも文章を書いて生きていけたらな思った。(※この部分は過去にこの文章を書いた当時のお話ですが、未だにぼくはこれをできてございません)
そもそもぼくは別れの言葉をいう気もありませんし、ふらりとネット上に戻ってきたって「ふんっ、べ、別にあなたの居場所なんてないんだから! 土下座して謝ったら顔騎して許してあげるわ!(CV:釘宮)」っていう態度で生きているので、この文章は別れを惜しむ言葉というよりは本人の見てないとこできゃっきゃとラブレターを書いているようなものと思ってください。
ただ、ひとの文章がひとを変える力を信じていられるのは、ひとつ、ぼくにとってはあなたがいたからでもあるのです。
追伸 某えろげともだち(『ろりともだち』みたいにいうな)さんが『ココロネ=ペンデュラム』開始してましたよ。お仕事のストレスと疲労から良い感じにほどかれる日が来てくれたなら、おしっこの色で討論するとかは一旦置いといて、またエロゲの趣味がなんとなくずれたりど真ん中に合ったりしながら、そういう話をしたいっすね。またいつかのどこかで。
亡くなった人は戻ってこない。怪我をした人も、どうなるかわからない。生きていてほしい。
きっとそのうち誰がどうなったかは詳細が出てくる。
今はただ静かに受け止める準備をしたいと思う。
でもバジャはどうなったんだろうか。
そこに暮らすのがバジャ。ハムスターに似た生き物。お友達はガーちゃんだ。
ファン向けと言っても京アニにしては驚くほどに子供向けの作品で、そこにはスタジオ愛がアニメ愛が詰まっている。
「ぼくらはみんな生きている」の合唱に乗せて、圧巻のエンドロールだ。
とても可愛いアニメだ。楽屋オチのようであり、京アニが目指す新たな方向性だったのかもしれないと考えている。
今年、そのバジャ第二弾が公開されることになっている。
もう出来ているのかもしれないし、自社OVAだから後回しになっている可能性も捨てきれない。
公開してほしいと思う。いつになってもいい。
心境を考えると、どうやったって今公開するのは躊躇う内容だと思う。
バジャも生き続けることが出来るのだ。
神に仕える人々は、自ら迎えに来ない不躾な箱によって
その機嫌が損なわれないよう、電光石火でボタンを押しに行くのである。
.
収録準備に追われる者も、神の姿を見た瞬間、道をあけてその場に控える。
この日初めて神を目の当たりにしたADは御肉体と感動を心とSNSに刻みつけた。
.
神を迎える部屋は一番広く、常温とキンキンに冷えたドリンク類と女神の珈琲、弁当に加え大量のお菓子が供えてある。
時折笑いの兄弟たちが緊張した面持ちで挨拶に来ると、神は小さく「よろしく」と返す。
神への挨拶という一仕事を終えた兄弟たちは軽い足取りで楽屋に戻っていく。
.
休憩に入り、神が部屋に戻って休息を取っている間、
スタジオにいる下々の民は2口ぐらいしか飲んでいないペットボトルを手早く差し替えた。
神は冷水を好まないため他とは別に常温のものを用意しているのだ。
馴染みのプロデューサーが楽屋に顔を出す。新人の社員を紹介するという。
ずっと憧れてきた、会えてうれしい、いつか一緒に仕事ができるように頑張る—―
神はこの題目を既に1000回ほど聞いている。
憧れゆえに神と髪型を揃える者も珍しくない。
えげつない絶壁なのにいいのかと言われた新人は照れ臭そうに頭をかいた。
.
過酷なこの業界で生き残り、神と共に仕事ができる信徒は一握り。
弱き者、少しでも揺らぎの生まれた者が生き残れるほど甘くはない。
ゆえに神の周りは苦難を乗り越え修行に耐え抜いた強者ばかりである。
神に認識された信徒はより一層熱心に神を敬い、その言葉に耳を傾け
否定することはもちろん疑問を呈することも決してしない。
彼らもまた生き残り続けるために、消えていった者に目を向けることはないのだ。
.
儀式が終わると関係者たちはすぐに道を作り、側近は小走りで扉を開く。
帰りのエレベーターを待つ間に、神はあるディレクターにあれよかったでと声をかけた。
閉まるドアに向かってプロデューサーたちと共にお疲れ様でしたと深く頭を下げた彼は
何度もその言葉を反芻し、明日からの過酷な日々を生き抜こうと思いを強くした。
.
兄弟たちと街を歩いていると通りがかった小さな子供が神を指さし
「神様だ!」と言った。気まずそうに子供をひっこめた母親は信徒ではなさそうだった。
きっと子供が指していたのは、神がバイトでやっている神のことなのだろう。
特段驚くこともなく神はタクシーに乗り込んだ。
.
神自身にはあまりその自覚は無いが信徒か否かに関わらず、神の言葉は特別だ。
神を敬愛するひとは星の数ほどいる。当たり前ながら神はそのほとんどを知らない。
.
少しボサついたいがぐり頭の彼も部屋で静かに神を見つめる。
耐え切れず番組を離れたあと、色んな人を憎み、信仰を捨て、それ以上に自分が嫌いになってしまった彼だが、
それでも笑いを嫌いになりきれず、つけっぱなしのそれで無意識に神の姿を追っているのだ。
彼はじっと神の言葉を待っている。
元増田です。
去年のアニメでは最高傑作の呼び声高いゾンビランドサガについてもう少しだけ。
ラスト3話のについてのわだかまりは元増田に書いた通りである。
書いた通りだったのだが、あれを書いてなお、どういうわけか、見返さずにいられない程度に最終話に惹かれ、結局何度か見直す事になった。
以下、たかが娯楽に過ぎないアニメを見た程度で青臭い感想を垂れ流すキモオタ仕草。
自分が一番気になったのは、さくらが生前の記憶を取り戻しことで、必要以上に過去の不運な結果に、頑ななまでに拘り、自分の殻に閉じこもった展開だ。
仕事に限らず、結果だけ見て評価が決まることは世の中にありふれている。
でも結局の所、物事の結果の成否なんて、最後は時の運だ。残酷なまでに運次第だ。
それどころか恋愛のように、自分の努力や工夫とは全く関係ないところで結果が決まる話はいくらでもある。
さくらはそういう結果の良し悪しがモノサシになる世の中の風潮を、感じ取れない・あるいは気にしないタイプのキャラではないだろう。
であれば、あれくらい、それこそやさぐれと言っていいレベルで暗い人間になるのも不思議な話ではない。全く不思議ではない。
心理的バイアスで、努力と勝利を無批判に結びつけている限りは。
でも生前のさくらがその生い立ちで証明した通り、現実はそんなに甘いモンじゃない。
しかし彼女は自身が無意識に持つ公正世界仮説を、厳しい現実を前にしても、否定どころか一度も顧みることすらなかった。
そういう意味ではさくらは努力家であり、これ以上ないくらい真面目な人間なのだと思う。
他にも記憶喪失中に見せていた、たえを始めとする他のメンバーへの面倒見の良さ、人当たりの柔らかさ、アイドルユニットのセンターとして申し分ないルックスなど、余人を以て代えがたい、良い所をいっぱい持っている。
でも、積み重ねてきた無力感は、それらを全てスポイルしてしまう。
そんなさくらが立ち直るきっかけをくれた二人の人物、愛とゆうぎりもまた、真面目な努力家である。
しかしさくらと決定的に違うのは、公正世界仮説というバイアスを持たない・あるいは過去に捨てた上で、物事を真摯に捉える点だ。
ゆうぎりのビンタと口上には、挫折を味わった人間の、厚みと優しさが滲み出ている。
個人的に、挫折を重ねた人間はやさぐれるか優しくなるかの2つに1つと思っているが、やさぐれたさくらに対し、この2人は実に巧く過去を糧にしたのだと思う。
さくらとの違いは、やはり持って生まれた性格の違いなのだろうか。
米軍で最も厳しいと言われる、海軍特殊作戦部隊Navy SEALsの基礎訓練課程は、その厳しさ故、実に志願者の2/3以上が自己脱落すなわちリタイヤを選ぶ。
自己脱落を選んだ志願者は自分のヘルメットを地面に置き、真鍮の鐘を3回鳴らしてその場を去る。
「これ以上出来ないと言えるくらい、全力を出し切ったか?」
と応じて見送るのだが、これは別にお愛想やお義理で取り繕っているセリフじゃないと思う。
多分、真剣に物事に取り組むとしたら、結果すらどうなってもいいくらいの必死さが全てなのだろう。
ゾンサガ最終回の愛とゆうぎりの姿に、そんな事を思い起こされた。
ともかく、最終的にさくらは愛とゆうぎりと、更に他の仲間や幸太郎に引き上げられ見事復活する。
その復活の様(「♪たちあがれ~」のシーン)は、死神にはもちろん、幸運の女神にすら中指を立てていくスタイルであることを明確に示した。
一方で、アンコール前の楽屋では、すべてを思い出してなお、まだまだ暗さが残る面持ちだったが、過去の傷はそう簡単に癒えないということだろう。
いや、いつになっても血が滲み、古傷が疼くほうがより人間らしい。ゾンビであっても。
アッコにおまかせ! を見ているのだけど、毎週思う。泉ピン子はもうテレビにでてはいけないのでは?
テレビの出演者は視聴者の需要に応じていると思うのだけど、泉ピン子に需要があるとは思えない。まあ、もちろん業界の事情もあるだろうけれど。
今AAAのメンバーが逮捕された報道についてあれこれやっているけれど、AAAのメンバーについて「こんな人知らない!」「大したことないでしょ!」と喚くのは、「自分は業界人なのに無知なんです!」と触れ回っているのと同じだと気付けないのが見ているだけでも恥ずかしい。
自分の意見を言いたいだけなら出演しないで。楽屋でやるか、自分の家でテレビを見ながらテレビに向かって喋ってほしい。出演者であり、番組を回さなければならないという自覚をもってほしい。何年テレビやってるんだろう。わからないのかな。
じゃあ見なければいいっていう話だろうけどねぇ。なんか自覚はもってほしいよねぇ。