はてなキーワード: 怨恨とは
・国民への小遣い給付はめったにやらないのにODAにガンガン金使うのはなぜか
・学校や職場内での刑事事件について警察が告訴状を受理したがらないのはなぜか
・ハラスメント上司や教師への部下や生徒による怨恨殺人が統失案件を除くと何十年に一度くらいしか起きないのはなぜか
・モロ反社風の外見の奴が暴れまくって駆けつけた警官に掴みかかってくるなどしてもギリギリまで丁寧語を通し、現行犯逮捕を躊躇するのはなぜか
・負債を抱えて会社を潰して路頭に迷うどころか相変わらず高級マンションに住み高級外車を乗り回せる社長ばかりなのはなぜか
・他に選択肢はたくさんあるのにわざわざ殺人的に忙しい飲食チェーンでバイトを始める大学生がいるのはなぜか
周りの同級生が学生のくせに一丁前に子供とか結婚とか考えてて、一層子供産みたくないと思った
もし子供を産んで、大きくなって社会に出る頃には2050年とかで、高齢化は今の2倍にもなるらしい
今で生活苦しいのにもっと苦しくなることが明白な世の中に産み落とすなんて毒親以外の何者でもない
生活苦しいから良い生活させてあげられなくて、子供が社会に出る頃にはもっともっと格差が広がっていて、働いても働いてもとんでもない税金しょっぴかれて、子供はきっと絶望を覚えると思う
そしたら怨恨の矛先はきっと私に向く
何で産んだ?こうなることは予想されてたでしょ?って問い詰められて私に何が答えられるんだろう
愛しあった証なんて2人で仲良く作った豚の生姜焼きで十分だよ
という前提を多くの人が共有できていないようなので、啓蒙のために書く。
まず、テロリズムとは、terror(恐怖)に由来し、暴力を用いて威圧や恐怖を与えることで政治的・宗教的な目的を達成しようとする行為である。
それでは、山上徹也は恐怖を利用して何らかの目的を達成しようとしたのだろうか?例えば、「統一教会を潰さなければ、次の首相も死ぬ」といったことや「民間人も同罪だ、覚悟しろ」といった発言があったのだろうか?
山上を支持する者たちは、支持しなければ自分たちにも危害が及ぶかもしれないという恐怖から支持しているのか?
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)やそれに関連する議員を批判する者たちは、さらなるテロへの恐怖から批判しているのか?
そんなことはない。主に同情や問題意識から来るもので、テロ(恐怖)に屈したり、迎合したりすることとは無関係だ。
仮に山上の事件をきっかけに統一教会と距離を置く政治家がいたとしても、それは山上を恐れるからではなく、世論を恐れるからである。
山上の供述によれば、母親が統一教会に傾倒し多額の寄付をした結果、家庭の生活が苦しい状況になり、教団への恨みから教団の広告塔である首相を狙ったというだけだ。
どう見ても怨恨によるもので、政治家が被害者だから全てテロだと言うのはおかしい。痴情のもつれで刺された場合もテロだと言うのか?
事件の背景が根深いとしても、事件自体はただの怨恨殺人であり、市民を恐怖に陥れるようなものではない。
身近に迫る死の恐怖も感じていないのに、テロには屈しない!やテロに迎合するな!などと偉そうなことを言うのは間違っている。
賢明な増田諸氏は、この事実を心に留めておくことが重要である。
改めて言う。
山上徹也の事件は個人的な怨恨に基づくもので、市民の恐怖を煽り意識を縛り付けるようなものではなく、テロリズムとは全く異なる性質のものである。
犯行のきっかけとなった社会問題は根深く、議論・対処に値するものであるが、決してテロリズムの文脈で語られるべきものではない。
覚えておきましょう。
要は大昔は、起こるべくして起こった怨恨関係やら、遺産を巡る争いみたいな、事件関係者が第三者にとって分かりやすく、
大炎上中の書籍『ゲームの歴史』が絶版・回収へ…著者の “逆ギレ&逃走” に批判集まる(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
のコメント欄がひどい
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a7b13bfaae27946b3431c70667f0ba6cecd99fb/comments
もしドラ無印の終盤にヒロインの川島みなみが、『私は、野球というスポーツが、反吐が出るほど大嫌いなのよ』と告白しています。
彼女は病弱な親友に成り代わってマネージャーを始めたが、元々はリトルリーグを最後にプレイから排除された事で怨恨を抱いたという設定でした。
しかし、ドラッカーのこじ付けだから失敗するといった確信や失敗に導く意図を持って行動していた訳ではなく、
母校の地区大会決勝の前に白状して部員に困惑したまま試合させる事で復讐する積もりだったのでしょう。
岩崎氏は『どうして僕を偉大な人間だと思えないの?』という当時のコメントが鼻で笑える様な現状の挙句に本件に至りましたが、彼の場合はゲーム業界に対する復讐意識が動機だったのでしょうか…ut
ゲーム史を歴史が浅いから「もしドラ」の時みたいにテキトーな事を書けば、知らない人たちが買ってくれると侮ってたんだろうなぁ。
比較的新しい歴史が主たる分野だからこそ、その歴史が些細な出来事によって紡がれてることも、その変遷を実際に知ってる人もたくさんいるし、
ソーシャルメディアが発達した現代では、なんでも出したもん勝ち、にならん事を読めなかったのかな。
しかし筆者も良かったですね。
「ゲーム史の改変を企てたが阻止された」なんて事
なんて悪意のあるコメントだ。これはてブ民だろはてブ民が書いてることはよそに行ってもわかる。
『もしドラ』の時も「ドラッカーへの理解が浅い」「ドラッカーの『マネジメント』、そもそも物語の筋とほとんど関係ないよね」等の批判はあった。
だが、ターゲット層が普段ビジネス書を読む層ではなかったのと、話題性で売れすぎてしまったが故に、真っ当な批評、批判が、当時は許されなかった印象がある。
今回は児童文庫レーベルとは言え、関係者やオタクが見逃さなかった。
ドラッカーのヒットの後、一時期テレビでコメントしているのを時々見かけたが、実に傲慢で独善的な印象の、はっきり言って変人と言っても過言ではない感じの人物だった。すぐにテレビでは見かけなくなったので、その発言がちょっとヤバいと警戒されたのだろう。そもそもゲーム開発に無関係のこの人物に執筆を依頼したのは大きな疑問!
https://note.com/neroreport/n/nc2486046cb39
(引用されている「赤の他人の男が損をするのを願うのが女という性か」については、第三者が勝手に転載したものである、別に怒ってはいないが)
利用者に「好評な」レディースデーは、回数を増やす事になった。
それだけ毎日の様に通う少年達が、食という最低限の福祉にすらありつけなくなった。
更に割合を増やす事を主張する人もいたが、さすがに自分がブチ切れて支援者も巻き込み騒いだ結果、それ以上の悪化は防げた。
しかしそれ以来、ある事ない事、他スタッフや支援者(主に女性)に、陰口を叩かれる様になった。
団体の迷惑にならぬ様に記事を削除したが、正直今では後悔している。
そうなると、よく通っているあの子や彼はどうなるのだろう?
それが心配で仕方が無い。
別に未成年の少年に重点的に支援をしろ、とまでは思っていない。
男女問わず、生活に困っている人間、特に自らではどうしようもない未成年は救われるべきだ。
「性別」という自分ではどうしようも無い所で、区別され差別される。
そんな事はあってはいけなかったのに。
一部の異常な差別者と、彼女ら・彼らに影響されてしまった人達のせいで、結果的に福祉の前提を崩壊させてしまった。
本当に申し訳なく思っている。
しかし責任を取って活動から身を引けば、男子を福祉から排除する抑止力が小さくなる。
それも避けたく、結果的に活動を続けてしまっている。後ろめたい思いをしながら。
貧困のネグレクト家庭に育ち、ロクな学歴も無く不況の社会に放り出された過去の自分は、生活困窮者だった。
住み込みの仕事を給料未払いの上追い出され、20そこそこで健康的に働ける体があるにも関わらず、炊き出しにありつかなければ飢えをしのげなかった、
そこから何とか福祉に繋がらなければ嘘偽り無く死んでいたであろう自分は、間違いなく生活が困難だっただろう。
それでも当時は、皆が辛い時代だった。
だから男女差別がどうこうは何も思わなかった。考える余裕すら無かったと言われればそれまでだが。
しかし今は、女性に対する様々な支援は、寧ろ手厚く過剰なまでに溢れている一方で、男性に対してのそれは女性ほどは少ない。
寧ろあっても、様々な立場から邪険にされ妨害され、支援や福祉を受けられないケースも多々ある。
先の日記で嘆いた様な、男性への福祉を意図的にカットする様な胸糞悪い事実が現場で起きている。
抗議をしても、最早あるのかどうかも分からない、福祉の支援が必要な人達には間違いなく存在しない、
ありもしない「男性特権」があるのだから(支援など)無くても問題無いだろうと、抗議の声すら大声で感情的な反論を喚かれ、かき消されてしまう。
女性よりも上回る権利など欲していない、ただ平等に、同じものが欲しいという、ただそれだけなのに。
レディースデーに「好評」をした女性達の歪んだ笑顔が忘れられない。
「女性が安心して、女性だけで食事を出来て満足しています」と。
自らが得をしなくても、男を排除したい。それが女の得に繋がる、という歪んだ思想。
男の加害性があるのならば、これこそが女の加害性なのだろう。
若く多感な時期に、生活困難に追い込まれた挙げ句、「性別」というどうしようも無い性で差別され区別され、
最低限度の支援からも追い返された人達に対し、救われる側の性を恨むな、羨むなとは、俺には言えないし言う資格も無い。
彼らが社会の一定を占めた時、女性への過剰な支援に対し大目に見る事が出来ると思っているのだろうか?
「男性だから」と救いを求める手を跳ね除けられ、一方で諸手をあげて歓迎されながら救われる「女性」を横目で見てきた人達が。
今、差別をしている者達では無く、関係無い人達が次に差別される側になる。
今、フェミニズムと共に植えてばらまいている怨恨の種は、後の世代で女性を脅かす存在に成長するのかもしれないという暗澹たる将来への絶望がある。
そして、恐らくこの声は、自ら「だけ」が差別される側だと思いこんでいる差別者の側にいる女達と、彼女らに味方をする者達には決して届かないという絶望も。
ニュースとか怨恨が原因の傷害とか殺人って「男→女」ってパターンで男同士がほとんどで男同士の殺し合いって聞かない。
俺も「死ね!」とか「死ねばいいのに!」とか思う対象は女性であって、男を恨むという記憶はほぼない。
たぶんほかの男性もそうで、男が男に嫉妬・妬みを持つのは珍しい現象だからこそ「男の嫉妬は醜い」と慣用句的に使われるのではないかと思う。
なんでかって言うと男と男のもめごとの基本的に喧嘩になる前にある程度結果が決まってる事が多い。
腕力とか偏差値や年収や人望とかそういう公然のパラメータで自他共に「勝った」「負けた」というのを理解しちゃう。
でも男女って競うこと、喧嘩することは基本ないから発散できないで鬱憤が溜まる。だから攻撃性が高まるのは対女性の事が多い。
ネットでアンチフェミの男は居ても、アンチ男の男が居ないのは対男はすでに決着がついていて、対女の場合はリアルで殴りあえない事をこっちで勝敗決めようとしてるんではないだろうか。