はてなキーワード: 大国とは
チーム数が世界第二位のプロリーグを擁していて、年間の観客動員数も世界第二位。試合数は年間140試合くらいあり、日本国民の日常として長く定着。選手の年俸も、3年連続で活躍すればまず1億円は超える。凄い!
トップリーグのチーム数18(今年は20)は、欧州5大リーグと引けを取らない数。
年間の観客動員数は、トップリーグであるJ1はコロナ前の2019年では世界第8位!「魔境」と呼ばれる二部リーグのJ2はなんと世界第5位!イタリアより多い!試合数がプロ野球の半分もないから選手の年俸はそれなりだけど、それでも日本代表クラスになると1億円クラスが出てくる。凄い!
バレーボールのプロリーグが3部まである国は日本とイタリアだけ!凄い!
トップリーグのチーム数16は、実は世界一タイなんだよ!凄い!
年間6場所、90番もやってるなんて凄い!
夏と春の風物詩になっているね!凄い!
競技人口はたいしたことないけど、それでも毎年日本選手権や世界選手権などは確実にテレビで中継されるね!カーリング大国と呼ばれるカナダやスウェーデンでもこんなにテレビ中継してくれないみたいだね!テレビ中継の機会は世界一!凄い!
こんなに国民レベルで話題に出来るスポーツコンテンツがいっぱいある国は日本くらいだよね!欧米諸国は上に挙げたコンテンツのうち、半分は規模がしょぼかったりそもそも競技がなかったりするからね。日本のスポーツコンテンツって凄いんだね!
こんなにいっぱいコンテンツがあって大変だあ。そりゃ見る側もハイライトや早送りで十分ってなるよね!
今後は人口も減っていくし、経済格差も広がっていくし、そもそもスポーツにヘイトを向ける層も拡大中だし、スポーツコンテンツはじり貧になっていくんだろうね!
だいたい分かっていること:
日本はandroidとwindowsのエンジニアが少ない。一方でGalaxy大国の韓国はandroidのエンジニアが日本より見つけやすい。この構成は納得できる。
コードを実際に書いている人で日本人はかなり少数派。中国人、台湾人、韓国人、タイ人が多い。メンバーに日本人が多いが、contributorsを見て実際にコード書いている人間は日本人は非常に少ない。
バグ解析をするため、海外の開発者は本番サーバにアクセス権を持たざるを得ない。
LINEが純国産アプリというアピールは完全に間違っている。今の時代、どこの国で作ったソフトウェアかはあまり問題ではないが、嘘はよくない。純国産アプリをアピールするのは倫理的には間違っている。
だいたい分かっていること:
日本はandroidとwindowsのエンジニアが少ない。一方でGalaxy大国の韓国はandroidのエンジニアが日本より見つけやすい。この構成は納得できる。
コードを実際に書いている人で日本人はかなり少数派。中国人、台湾人、韓国人、タイ人が多い。メンバーに日本人が多いが、contributorsを見て実際にコード書いている人間は日本人は非常に少ない。
バグ解析をするため、海外の開発者は本番サーバにアクセス権を持たざるを得ない。
LINEが純国産アプリというアピールは完全に間違っている。今の時代、どこの国で作ったソフトウェアかはあまり問題ではないが、嘘はよくない。純国産アプリをアピールするのは倫理的には間違っている。
だいたい分かっていること:
日本はandroidとwindowsのエンジニアが少ない。一方でGalaxy大国の韓国はandroidのエンジニアが日本より見つけやすい。この構成は納得できる。
コードを実際に書いている人で日本人はかなり少数派。中国人、台湾人、韓国人、タイ人が多い。メンバーに日本人が多いが、contributorsを見て実際にコード書いている人間は日本人は非常に少ない。
バグ解析をするため、海外の開発者は本番サーバにアクセス権を持たざるを得ない。
LINEが純国産アプリというアピールは完全に間違っている。今の時代、どこの国で作ったソフトウェアかはあまり問題ではないが、嘘はよくない。純国産アプリをアピールするのは倫理的には間違っている。
今月の地味にすごいニュース
・日本が中国の軍事行動を批判し対決する姿勢を表明したこと(日米共同)
→ これまでは遺憾表明くらいだった
ネパールをアカ化したりスリランカやアフリカを債務のワナにはめているようだけど、
これも批判の口実を作ってしまったわけで、人権意識が進んだ国からの追及はまぬがれない。
(そのうちウイグルみたいになるだろうし)
世界には台湾やパラオのように中国と手を結ぶくらいなら全国民が全滅するまで戦う、みたいなところも多い。
つまり着々と、世界VS中国(と一部の軍事独裁国家)という図式になりつつある。
カリブ海に浮かぶ島国を運営する箱庭型のシミュレーションゲームです。
非道な独裁者になるも良し、民衆の声を聴くも良し。どのような国家を築くかは、指導者「プレジデンテ」であるあなた次第です。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000210358.html
ところでコイツみたいに他人種・外国人の殺害を主張して実行にまで至った殺人犯って戦後日本で何人ぐらいいて、何人ぐらい犠牲なってるの?
歴史の授業で大昔の日本人が尊皇攘夷で生麦事件で大津事件で頭おかしかったのは知ってるけど、戦後犯罪史となるとまるで詳しくないので知りたいな。
人権先進大国アメリカでさえこういうおぞましいヘイトクライムが後を絶たないのだから、鬼畜英米を唱えていた戦中からまるで進歩の無い我が土人国家ジャップランドならば最低でも120,000,000人の殺人犯と7,600,000,000人の犠牲者がいるに違いないよね?
もし増田がぼったくりスーパーの名前や避難した体育館を名指しして「加害者」に凸を促すような行為をしていたら
乗っかったはてなーが営業妨害で逆に通報されたりデマだった場合また別の被害者を生むことになるから
冷静な視点になって静観したり鵜呑みにするなって注意喚起するのもまあ分かるよ
でもそうじゃないじゃん
災害で家族を亡くした人に向かって嘘松嘘松連呼してどういう効果を期待してるの?
震災でこんなに親切にしてもらいましたありがとうってエピソードは簡単に信じるくせにな
こんな時だけ冷静なボクアピールかよ
これに限らずありとあらゆる記事で強い怒りや悲しみの感情を見つけるとすぐ否定しにかかるよな
自分の感情を乱されるのを嫌って他人の感情を無理やりコントロールして封じようとする
ボクちんは信じないぞ!って言うのは勝手だけど
この災害大国で自分の身に同じことが起こるかもって考えないのかね
世界公平仮説っていうの?それとも正常バイアス?自分はいい子にしてるんだから自分だけはこんな酷い目に遭うわけないと思ってる?
当時高校生だった私は3.11のその年に福島県の大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます。
2011年の3月11日に、私は茨城県の博物館の中にいた。高校の卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震のとき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。
実際にはガラスの耐震性能が高かったので、館内にはけが人はいなかったようだった。
信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。
私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島の原発がやばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。
私が高校生の頃、世界の原発事故のドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達に気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。
当時、特にJCOの臨界事故のNHKのドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。
私は地震が起きて、一、二日後にはリビングのこたつを占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中のシャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。
私は震災の年、福島県の大学に入学した。私の地元の同級生にも福島県の大学に入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学の入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。
しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。
しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。
私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質がたっぷり含まれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。
私は、大学で特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚で放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。
私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから、原子力という「科学技術がコントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要なことなのである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。
3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。
最近、原子力、ひいては(科学)技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの、技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類の幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビのCMでIT系の企業がたくさん広告を打っていて、ITの企業に勤めていることが一種のステータス(少女漫画に出てくる男性がIT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイケドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなのである。今でなら炎上やむなし発言なのである!しかし、このアナロジーを単なる面白おかしいアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用の危険性をかなり早く認識できた。
ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学)技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)
そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学は計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。
「科学は考えない」
これは、理系の立場で仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないか。しかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか。
彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学は進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガーは技術を批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味、矛盾の中を生きなければならない。
私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。
私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近、哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。
でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系の研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養がほとんどないのだ。
「哲学を最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。
以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だから疎まれる。
しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガーが批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学や技術を信じて、生産、生産、生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか。
昔の時代、原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。
今の時代も同様に、情報技術や生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能な社会が実現できる」とも信じられている。
もし、「なぜ地震大国に原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。
ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。
https://anond.hatelabo.jp/20210302171038
探してみた。
twitter→韓国のオタクが平和に日本語版をプレイしている様子しか見受けられなかった。
https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2020/05/28/2020052804077.html
・基本的に「競馬大国ニッポンとオーストラリアは業界を盛り上げるために色んな試みをやっていますよ」ということを紹介している記事。フラットな態度で特に『ウマ娘』に対する価値判断ははさんでいない
・韓国の馬ゲームの例、「Horse and My Horse, Alicia」。なんだかよくわからんが、女子高生が馬に乗って野原をかけるゲームらしい。10年くらい前のゲームだけあって、一昔前のゼルダっぽい。https://www.youtube.com/watch?v=BaP6qRkjVKM
・『ウマ娘』は韓国版も出るらしく、2018年時点で商標も押さえられている。アニメ版も日本のと同時放映されていた。
・これまでのJRAの試みも紹介。おそまつくんコラボ、「JAPAN WORLD CUP」など。カプコンおよび日本相撲協会とコラボした「JAPAN SUMO CUP」(これは知らなかった)も。
・オーストラリアではよく人を競走馬に見立てて競争させることをやっている。あるチャリティイベントでは六人のドラッグクイーンが何千人もの観衆の前で競争し、多額の寄付金を集めた。
・ニューサウスウェールズ州(シドニーが州都)の知事が世界遺産であるシドニー・オペラハウスに、2017年新設の国内最高賞金レース「ジ・エベレスト」のライトアップ広告を出し、「世界遺産にギャンブルの広告を出すなんて」と批判を浴びた事件があったそう。多数の反対にも関わらず知事は広告を強行したが、反対派の市民が自前で対抗のライトアップを行って広告を打ち消したそう。へー。
https://www.thisisgame.com/webzine/news/nboard/4/?n=116893
・ゲームニュースサイトの記事。『ウマ娘』マジで2021年に出るの?という内容。
https://www.gamemeca.com/view.php?gid=1655628
・日本でリリースされた『ウマ娘』の内容紹介。そして、韓国内で課された『ウマ娘』の年齢制限に対する疑義を呈している。
・韓国はギャンブル描写にかなり厳しく、本来子ども向けゲームであるはずの『二ノ国』でさえスロットマシンの描写が含まれていることでレーティングが課されたほど。
・この記事の記者は「『ウマ娘』を実際にプレイしないと確定できないところではあるが、『ウマ娘』は競馬がモデルというだけで、実際のギャンブル行為は含まれていないようだ」と指摘。
先日発売されたばかりの『スーパーマリオ3Dワールド』には投機要素を抜かしたスロットマシンのミニゲームが含まれているが、レーティングは設定されていない。
・ギャンブルがモデルであっても、実際の投機行為が含まれていないスーパーマリオが全年齢向けならウマ娘もそうあるべきだろ、ということか(このへんの理屈は裏付けも書いてある)。
・そういえば、韓国内でガチャの扱いってどうなってるんだろ? たしかヨーロッパでは pay to win 要素のあるガチャ=ルートボックスはギャンブル扱いだったような……。
http://gall.dcinside.com/mgallery/board/lists/?id=umamusme&page=1
・ゲーム攻略掲示板? スレッドタイトルをざっと眺めた感じ、気合で日本版をプレイしている韓国人トレーナーたちがだいたい日本のトレーナーたちと似たようなノリで何回リセマラしたかを比べたり、韓国のクレカを通す方法を模索したり、攻略情報をシェアしたり、スクショを貼ったり、「これ、元がオスだから絶対ふたなりだよな……」などといった会話をしている。おおむね平和っぽい。
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いやー、『ウマ娘』を肴に韓国ならではの切り口の記事が見つかっておもしろかったですね。
アレ? なんの話だったっけ?
「アニメはやったみたいだけどゲームは韓国版リリース前だし、韓国の特に狭い範囲のオタクの間でしか話題になってないから燃えようがない」ってかんじ。
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
日本のなろう系にあるのんびりした感じ(無職ワイ、魔王に転生して最強チートな件wwwみたいな)はあまり人気でないようで、暴力描写のある緊張感高めなサスペンスが人気ジャンルっぽい。進撃の巨人が韓国で人気というのもわかる。特に高校生たちによる喧嘩モノが一定のジャンルになってるようで、受験大国なこともあり勉強が重要な要素となってることも多い。日本にはないのでおもしろい
女性向けは結構日本と似ていて、中近世ヨーロッパ風の世界の貴族の娘に転生したりするのは定番で、日本では平安時代にタイムスリップしそうな少女が李氏朝鮮時代にタイムスリップしたり。現代の少女漫画風恋愛モノも定番。一般ドラマ化される作品もチラホラある。
日本と全く同じかというとやはりそうではなく、たとえば線や塗りが全体的にかなりシュッとした作家が多い。線の太さがわりと均一で太目なのも新鮮だ。ギャグのノリが微妙に違っていてこれがまたおもしろい
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