はてなキーワード: 全面的とは
今朝、新宿のパン屋のイートインで朝飯食ってたら、隣の席でちょっと変わった二人組の男がいた。
2人とも20代後半くらいか。
友達同士でもないっぽいし、なんだろう?と会話を聞くともなしに聞いていると、何かカウンセリング的なことをやってる。
とにかく、気弱ネルが仕事やプライベートの悩みを話し、強気スーツがなんかアドバイスする。
そのうち、なんの話の流れからか、「行ったことがないっていうのは恥ずかしい」って話になった。
どこに行ったことないと恥ずかしいのかと聞き耳たててたら、強気スーツが「セックスは誰だってしたいだろ?」とか言い出して、
どうやら、風俗のことらしいとわかった。
強気スーツが言うには、30過ぎて風俗に一度もいったことはないのはとても恥ずかしいことらしい。それが社会の常識らしい。
だから20代のうちに行っておけという。学生ならいいが、ビジネスマンとしては、ダメらしい。
「だって、たとえば得意先の接待とか、飲みの場なんかでそういう話題になったとき、行ったことないです、じゃかっこつかないだろ?」って。
「うちの会社の人間も、行ったことないのを指摘され、そいつはすぐにその日のうちに行ったから」と、とくとくと語る。
なにごとも経験、行ってみなけりゃわからない、的なことを強気スーツは語り、気弱ネルはうんうんと頷いてる。
「キミもさっそく今日、行くといい」とか言ってる。
何事も経験、社会勉強、経験してみるべき、ってことには全面的に同意だけど、しかし。
未経験はビジネスマンとして恥ずかしくなんかないし、社会の常識でもない。
強気スーツのその妙なテンションの話し方も相まって、横で聞いててちょっとイラっとした。
「いやいや別に恥ずかしいことではないですよね」って話しかけてしまいそうになった。
なんかこのままじゃ気弱ネル、本当に風俗に行ってしまいそうだったから。
いや、行くのは別にいいけど、そんな下らない「社会の常識」なんかないって教えてあげたかった。
別に30過ぎたビジネスマンが風俗いったことなくて何一つ恥ずかしいことなんかない。
むしろそれを常識と宣い、恥ずかしいと笑う奴らのほうがよっぽど恥ずかしい。そんな奴らに迎合することはない。
自分を変えたきゃ、そんなことよりももっと有意義なお金の使い方、時間の使い方がある。そう教えてあげたかった。
強気スーツが先に帰って気弱ネルがひとりで残ったら、マジで話しかけようかと思ってたけど、結局、2人一緒に店を出ていった。
なんかもやっとする。
今朝、あの店にいた気弱な感じの人。
もしこれを見てたら(なんか増田やってそうな感じだったんで)。
別に30過ぎたビジネスマンが風俗行ったことなくても、何も恥ずかしいことなんてないから。
あんなバカのいうことを信じなくていいから。
あれは「万一の時の為の命綱」なんだよね、本来は。
紐はなるべく短く持ち、子供の手はがっつりと握って何がなんでも離さないよう努める、勿論子供にも手を離さないよう言い聞かせた上で
最初から紐を伸ばして「犬の散歩」状態で使うのが前提ではないし、
上記の使い方をしていても、子供が手を振り払って「犬の散歩」状態になるような状況が
「万一」ではなく頻繁に発生するような子であれば最初から使ってはいけない。別の策を考えるべき。
その別の策ってのは増田が書いた通りだと思う。
そういう前提を元にしたハーネス批判に対して「見た目の問題」だの「自分がした苦労を若い世代に押し付けようとする老害」だの、ってのがなあ。
子育て経験が無い人なら仕方ないかもしれないが、子供育てている人ですらその認識ってのが驚きだよ。
紐伸ばして子供自由に歩かせてたら何より子供自身が危険だと、少し考えれば分かる筈なのに。
自転車突っ込みもだが、車道に飛び出してはねられたりしたらどうするの?
一人でも、「科学者」とやらが、「安全と言ってて済まなかった。責任取って腹を切る」ってやるっていうなら、まだね。でもそんな人、一人もいなかったの。
理系がどうこうとか言って、科学者が全面的に悪者にされてるけどさ、
リスクとリターンを天秤にかけて、
あの程度金をかけて、あの程度の安全対策で行こう、って決めたのは
他でもない政治家なんだよね。
東電が悪いって話もあるけど、そもそも東電に任せようと決めたのも政治家なわけで。
民間企業に任せたら、天秤がどっちに傾くかということも想像できるけど
それも含めて政治家が決めたわけで。
科学者はそういう意味で、あれは政治家の責任だ、ってことをもっと強調しないといけない。
国を巻き込んだ賭けに負けた。それだけ。
政治家は予算とリスクとリターンを秤にかけて、適当なスペックのものを導入して運用する。
今回はそのスペック決めに失敗した、という話。
こういうネットの内輪ノリのネタを消費する際の鉄板ルールは「金を稼がない」ことです。
淫夢系のネタを使った同人活動はグレーゾーンですが、企業として大々的に商売するとか論外です。
運営のみならず、雇われた絵師の方々にも責任があります。仕事内容を「あっ これあかんやつや」と察することのできるセンスと嗅覚は仕事をする上ですごく大事です。長期に渡る社会的信用を失い、今後健全な会社さんから仕事をもらえなくなる可能性があります。また、これから先のイラストレーターとしてのキャリアにもペケがつきます。恨むなら自分の不見識と非常識を恨みましょう。
ちなみに僕は騒動を面白がって遠巻きにヲチってるだけの就活生です。ゲラゲラ。
それでは。
衣装替えは、当日の介添人(通路に人配置したり手間なのはわかる。仮に3人専任だとして)のコスト、介添人を育成採用するためのコスト、利益など考慮しても10万前後が妥当だと思う。それでも20万するのは、ほかの商品に比べてニーズが高いことに付け込んでる”ヤクザな”価格設定だと思う。
ただ、コストパフォーマンスや他商品と比較という手法は買い物上手のために万能ではないということを考えてみて欲しい。
ディズニーランドでのハンバーガーが1000円でそれをマクドナルドと比較して意味あるか(楽しいか)、ということ。「ふむふむ。この味はマックに比べて美味しいしバンズいいし肉も厚い。場所代という意味で300円乗ったとして、マックより200円高いだけでこの味とはリーズナブルだな」みたいな。そんな考え方せずに「ハンガーバー食べたい!うまい!楽しい!」って純粋に暮らす癖をつけたほうがいい。
話題になってるんで読んでみると、すごい(頭の悪い)文章ですね。
企業家ってなにと思って調べてみると、「起業家」と同義みたいですね。そういう意味で使ってるのかな。
よく耳にする「憲法9条」。
憲法を「よく耳にする」でまとめる程度の脳みそをお持ちの方が書いてる文章のようです。
この一文は非常に曖昧。「戦争を謳い、武器放棄を謳う」とも解釈することができる。まぁしないか。にしても、読み返したとは思えない一文。
ノミネートって誰かが推薦すればいいんでしょ?
ちょっ笑。最低限、どの番組での発言かくらい書きましょうよ。
これは戦争に他なりません。
すばらしい!ここから武器輸出の話題になってます。なんの前触れもなく!
この方、接続詞の使い方がめちゃくちゃな上に、接続詞を使う必要がある所で使っていません。
「うちら、自分たちは戦争しない憲法だけど、武器は売っちゃうもんね~!」
これもおかしいと思いませんか?
おかしいんです。
なぜおかしいのかを書くように。
ご自身の文章がおかしいと思いませんか?
可笑しいんです。
こんなに強引な「だから」は見たことがない。
その後の2例も、実例を出せ。
世論の反対は少ないです。
「『恋愛』に巧みでない」人が、異性から不当な『好意』を押し付けられ傷つくのはアンフェアなことだ、という主張には、同意します。ただ、それは男女逆転しても成立することなので、あなたの意見には、全面的には同意できません。
男だって当然、華麗に女性にアタックできるスマートな人間ばかりじゃない。自信に乏しく大人しくて、女慣れしてない男の方が多いです。そういう男ほど、「恋愛能力高い」女性にコロッと惑わされたりして、玉砕する。それだけでなく、その取り巻きの男から二重三重に罵られたり嘲られたりする。それで現実の女性全般が嫌いになってしまったり、現実の恋愛や結婚を忌避するようになる。そして、ひどい場合は、ヒキコモリになってしまったり非モテ界隈にたむろするようになる。その男性に恋する女性があらわれても、非モテによるトラウマのせいでうまくいかないかもしれない。女性はそうやって「私はモテる」という虚栄心を支えるために多数の人生を傷つけても「仕方ない」、なぜなら男は自分に奉仕して当然だと思ってるから。そして、そんなモテる私はハイスペックな男に選ばれて当然と思い込んでいる。それなら、まだ態度の悪さで誤魔化しながら、一応後ろめたさを自覚してるヤンキーやビッチのほうが数段マシ。
…という意見を読めば、「それは非モテの一方的な極論じゃ…」と思うでしょう。
私もそう思います。
ただ、読めば分かるように、これはあなたの意見をそっくり裏返して読みやすくしただけです。出だしはある程度筋が通っていても、途中から出てくる「モテ女性」(あなたの文では「非モテ」)像はリアリティを欠き、そのため結論が極端に非現実的なものになっています。そして、世の「普通の男性」全般に対して、配慮を欠いたものになっているように思います。
人は、生きてるだけで誰かを傷つけていることだってある。たとえ何もしていなくても、です。それは私もあなたも同じです。
「みんなが、誰かを傷つけたりしないスマートさを身に付けるべき。それができない奴は迷惑」
みたいな意見は、結局、回り回って自分や自分の周囲を傷つけ、社会をギスギスさせるだけで、何の益もありません。特に、恋愛の場において、「誰も傷つかない」なんて解決はあり得ないのです。動物の世界を見ても、分かるでしょう。
・「恋愛がすべて」な価値観に陥らないようにする。それ以外に豊かな人間関係や人生の目的がもてるようにする。
・同年齢だけで構成される社会単位をなるべく作らないようにする。様々な年齢の人とコミュニケーションができるような場を多く設定する。
・社会を可能な限りオープンにする。人間関係はなるべくアナログをベースにして、可視化されるものとする。
とかでしょうか。
そして何よりも、我々はもう少し「恋愛に鈍感」になる必要があるのではないかと思います。敏感さや過剰な期待、それに伴う過剰な反応は、思い込みや偏見を生み、より深く人を傷つけることの方が多いように私には思われます。
http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/04/20/163123
この方の主張には全面的に賛成なんだけど、現実問題としてPVやアクセス数しか指針が無いんですよね。
冴えない辺境のブロガー。同じ趣味の人を探すためにブログを始めました。5年ほどになります。
薄っぺらい内容を投稿して量を稼ぐより、面白いと思ったものを少なく投稿しようということで、投稿ペースは週1〜3くらい。
これがね、全然反応無いんですよ。
時々コメントついたなと思ったらスパムか宣伝で、あとは「○○教えてください」という質問。回答したけど礼は無し。みたいなの。まあコメントいただけるだけ相当有難いですが。
Twitterが話題になった時にTwitterを始めて、ブログも連携させてみたけど、あきらかにTwitterから流入があるのにこれまた反応なし、リツイートもふぁぼも無し。ああ寂しい。
私の場合ブログは完全に趣味で、誰に頼まれたわけでもなく自主的に書いていますが、
何故書いているかというと、それこと「サイトを訪れた誰かが「面白そう」と思って話しかけて、新しい何かが生まれるのを期待している」となるわけです。
そうだと思います。
私は文章のプロでもなく、面白く書けているか、わかりやすく書けているか、毎回試行錯誤です。
じゃあその時何を指針にするのか?
「今回の記事良かったね」とか言ってくれる人が居ればその人に聞くのが一番だと思います。
でも残念ながらそんな奇特な人は居ません。みんな無言で見て無言で去って行きます。
そうなるともう、PV、滞在時間、アクセス数から無言の声を読み取るしか無いわけです。
しかし沈黙が続く私のブログにも、先日ついに反応をくれる人が現れました。
アンチです。
幸いスルーしたら割と早めに消えてくれましたが、精神的にはかなりきついものがありました。
ポジティブな反応は全く無いのにネガティブな意見はすぐに集まる…自分はこんなにも嫌われ、疎まれているのか…もうブログやめようかな。
と、考えたりもしました。
でも結局続ける事にしています。
それはもう、続けていればいつか何処かで探している誰かに出会えるのではという一心です。趣味仲間が欲しいんです。
そのためにはどうするのか?
………やっぱりまずは多くの人に見てもらわないと。
1万人の人が見ても反応をもらえないなら、3万人なら1名くらいは反応をくれるかもしれない。10万人なら5人くらいは反応をくれるかもしれない。
ここは別に問題ないと思うんですよね。
何が問題なのかって、純粋に良い記事を書くことが、検索で上位になる、たくさんブクマが付くということとイコールにならない事じゃないかと。
私のブログじゃないですよ。
仕事の用事で検索してて感じる事なんですが、本当に役に立つ記事って検索では5番目や10番目に登場してて、
Googleの検索仕様は同じなんだから、必然的に似てしまうのかなと。
はしゃぎたい気持ちも理解できる。
しかし、組織全体にとっては、そんなこと日常茶飯事であって、淡々と右から左に流していく案件だ。
笹井氏が、そういう案件の一つとして、いったんリジェクトされた小保方氏の論文を、
構成や表現などをNature編集受けがいいように改善した、というならば、
水曜日の会見内容で何の問題もない。
しかし、問題なのは、1月末の、あのド派手な「割烹着」プレス発表だ。
あれほどたくさんの記者を呼んで研究成果をプレス発表するのは、
いくら理研といえど年に何度もあるわけじゃない。
理研にとっては非日常的に特別なイベントであることが内外に明らかであるし、
「慎重に準備されてないはずがない」と周囲が考えるのは当然だ。
そのプレス発表の主役として立ったのが、小保方、若山、笹井の三人。
その中で、ユニットリーダーとはいえまだ駆け出し研究者の小保方氏、
かつて理研職員だったとは言え、今は外部の人間の若山氏の二名に比べ、
理研CDB広報にとって上司の代理にあたる幹部・副センター長である笹井氏は、
あのプレス発表に全面的に責任があると考えるのが妥当であろう。
暇なネット界隈の徹底した重箱隅つつきに遭うこともなく、
もちろん、研究の杜撰さを知っているCDB他部門の同僚たちからの厳しいチェックや、
分子生物学コミュニティからの激しい反論に晒されることにはなったろうが、
少なくとも野依理事長が公の場で頭を下げる事態には発展しなかったろうし、
自身も前髪に比べかなり寂しい頭頂部をああして晒すこともなかった。
水曜日の記者会見で、一月末のプレス発表を手配した責任を問う質問が何もなかったのは残念だ。
まあ、集まった連中全員が、あのプレス発表が結果的にもたらした失態によって仕事にありつけたのだから、
感謝こそすれ糾弾する理由は何もないので、当然といえば当然なのだが。
シェーン事件、ファン・ウソク事件、常温核融合事件に比べるとスケールはずっと小さい。
あのプレス発表さえしなければ、理研CDBと分子生物学コミュニティの外には、
ほぼ何ごとも起こらなかったであろうから。
まあ、自爆テロに巻き込まれないように、と言うのは不可能だけど。
今回の件に関しては、笹井さんはもっと活躍出来る可能性が大きくあるので、
ここらで野依さんが全責任取って辞める、的なパフォーマンスで世間を納得させるのが一番良いと思うんだけどね。
科学者の中ではこの内容きちんと吟味すればそりゃ騙されても仕方ないだろ、と言う話になるし、笹井さんの信用が一気に落ちる、ということもそれ程なかろうし。
科学コミュニティーとしてきちんと責任取って改善していかなくてはいけない、という点では、
博士号、ってのは1つの資格な訳で、雇う側は少なくとも「早稲田の博士号」というものは全面的に信頼しているので。
それを発行した責任は取らなきゃいけないし、実際、論文自体も博士号に値しないものが見つかってるわけだし。
その辺、一番改革を進めなきゃいけないところだけど、他の大学ではそういう授業を取り入れる、とか色々変化があって少しは今回の件も意味あったかな、と言う感もあるが、
http://anond.hatelabo.jp/20140410051520
でも民族的な特性に根付いてるものだとも思うから変えるのって難しい気もするんだよね。
こういった類の諸問題を手っ取り早く解決する方法は、人類の均質化だと思う。
優れた遺伝子同士を掛け合わせて、培養器の中で誕生して、ロボットのように育っていく。
それでも完全に同じにはならんだろうけど、少しは理想に近づくだろうね。
SF染みた話だけど、合理的に考えれば未来はこうなることが一番天国に近いんだろう。
極端すぎる話は置いといて、俺はそもそも言葉や考え方が世界を変える時代はとうに終わったとも考えてる。
今の社会の形を、在り方を変えるってたぶん無理だよ、もう。
これ系の話題はけっきょく、「ありのままの自分で」「感じたように振る舞え」的な話になってきて、
それを許容できる社会になることが必要ですって結論になるわけだけど、
じゃあそれをどうやって作っていくのって話をみんな知りたいんじゃないの?
今のままの社会だと息苦しいだけなのは、みーんな分かってるでしょ。言葉にできなくても感覚的には。
一人一人が意識を変えていけばって、そりゃ無理だよ。
だって、それは短い期間で同時多発的にその変革が起きることが前提だもん。
漸進的すぎたら社会の勢いに呑まれて終わるだけだよ。きっとこれまでの何十年、何百年の間にそんなことは沢山あったはずだ。
鵜呑みにしてたら社会から爪弾きにされました、生活が苦しいから復帰したいけどできません、どうすればいいですか。
こんなことになる人だって出てくるだろうね。でもそれに対して誰も責任を取ってくれるわけじゃない。
で、最終的には便利な言葉「自己責任」で片付けられる。もしくはそんなもの真に受けた方が悪いで嗤われて終わる。
こういう未来が容易に想像できるから、絶対に社会変革なんぞ起きない。そういう安定した社会にすでになってしまってる。
だから、俺は人の言葉や意識が社会を変える段階は、もうずっと前に終わってると思ってる。
あるとすれば、人の意思が介在しない、したとしてもコントロールの利くようなものじゃないほどの、大事によってだろうね。
あるいは決定的な技術のブレイクスルー。STAP細胞とかそんなんじゃなくて、もっと直接的な、不老不死の薬できちゃった、てへっ☆レベルな。
もう忘れてる人も多いと思うけど、2012年12月のマヤ暦がなんちゃらなんて大いに話題になったけど、
あれだって本能的にそういうグレートリセットがないことには世界はもう変われないってことを本能的にみんな分かってるからだと思うよ。
ネットが普及して、自分の意見を言えるようになって、それで人と人の繋がりができるようになって~ってことで世界が広がっていくような感じするけどさ。
Facebookでの集まりが変革を促したなんて話もあるけどさ。俺あれ、根本的には何も変わってないと思うのよね。ただ大騒ぎしただけ。
もっというと、ネットは子供騙しにすぎない。なんかすごいことネットの力で出来そうな感じがするけど、きっとできない。
俺は下記事みたいな話題や人の熱意を見るたびに、感心するしその通りだと思うが、
「お母さん+お父さんのような万能な」妻を探している男性たちに噛みしめて欲しいね!
こういう男性を作ってしまうのは、往々にして彼らの母親なんだ。
彼らの母親は息子に頼られ続け、支配力を維持するために、息子に家事を"あえて"教えない。
さらに男尊女卑的な価値観を息子に植えつけて、妻にとって嫌な夫になるよう教育し、夫婦仲が悪化するように仕込む。
息子夫婦が離婚して喜ぶ姑って、とても多いんだよね。嫁に奪われていた息子を取り戻した!という喜び。
息子は母親に所有物・モノ扱いされているんだけど、息子は甘い言葉しか言わず、お世話してくれるお母さんから離れられない。
(その母親を経済的に支えているのは父親の収入なのだけど、息子には認識できない。
全身全霊で支えてくれるママ大好き!ママみたいに出来ないいまどきの女はクソ!でおしまい)
だから悪いのは誰か?という話になると、彼ら自身では無かったりする。
でも彼らがそれを知った上で、何も変わらず、「お母さん+お父さんのような万能な」妻を探し続けるとなると、
まず、有料化OKにしたいなら全面的にコネ入社OKにしてからだね。アメリカなんかは大学もこね入学普通にOKなんだから(だから"裏口入学"なんて物が存在しない、そもそも裏じゃないので)
この金額なら確かに効果はあるかもしれないけど、これを解禁してしまうと限度が無くなるから
だから、上としてはどうしたってここは全てを止めざるを得ない。
そもそも、この程度の金額なら、100社くらい払うだろう、今の若者なら。
100社でも25万だ、地方から泊まり込みで何度も就活に来てるのを考えれば大した額ではない。
(今回は地方は除く、とかにしてるけど、これはこれでまた色々差別にどうしたってつながるので一般的に行うのは難しい)
一番簡単なのは単に書類を出し審査してもらうまでの過程を大変にすること。
論文を提出せよ、みたいのだと流石に見る方も大変になるけども、でも、ある程度成果物を最初に提出させる、っていう入社試験をやってるところは多いけど、
それが一番志望者を減らし、且つ、ホントに入りたい人が受ける様になる方法だと思う。
今は、皆が皆、100も200も受けて、ってやってるから焦るかもしれないけど、皆が皆、10も受けたら大変だ、みたいな感じになればそれなりに収まるのでは?
最初は人気の会社ばかりに偏ったりしてその会社が大変になったり、一方、ちょっと下のランクの会社には全然応募が無くなったりするかもしれない。
でも、なんだかんだの競争原理で上手くばらまかれるんじゃないかな、とは思うが。
ただ、そうすると、今度は、「就職試験対策塾」みたいなのが本格化し、くだらん金の動きが出る可能性が否めない、というか、確実に出る。
リクルートとかはすでにアップをはじめてる、というか、実際そういうのはじめてる害虫も居るわけで。
それを避けるには会社側が工夫しなきゃいけないんだけど、今度は、その工夫が出来ないからコンサルみたいなのに頼んだりするようになり、
結局は堂々巡りでいろんなところに害虫が入ってくるだけで上手くいかないな。。。
どうしたらいいの?
一番いいのは新卒一括採用を辞める、ってことは誰もが解ってることだとは思うんだけどね。これだけはカイガイガーと言われようが海外のゆるさを取り入れたい所。
ただ、そのためには、まず、終身雇用を完全に撤廃して、正規とか非正規とかなくして、だれでもすぐ辞めれてすぐ入れる様な組織を作っていかなくては行けないんだけども。
本日はGunosy批判がはてブのホットエントリーに2つも上がっていましたが、一体どういう訳なんでしょうか。
■Gunosy(グノシー)のアプリのレビューが自作自演と思われる3つの理由
http://anond.hatelabo.jp/20140320033748
はてブ:353
Tweet:303
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/03/20/142401
はてブ:376
Tweet:352
まあどういう訳でもいいんですが、そうなると気になるのが、Gunosyがこの2つの批判エントリーを配信するのかどうかです。どちらのエントリーもGunosyがアルゴリズムに組み込んでいるソーシャルメディアの拡散数は十分な数字です。これでどちらのエントリーもGunosyに配信されなければ、おいおいそりゃさすがに無いだろうってことで、前回の反省は活かされなかったことになりますが、果たしてどうなるのでしょう。
※前回の反省↓
http://gunosy.tumblr.com/post/49731783015/gunosy
この件関しては、素直に申し訳ないと思っています。事実と異なる内容を配信してもユーザー体験を損なうと判断してしまったのですが、事実と異なるかは読者が判断すべきであり、全面的に我々が誤っていたと思っております。大変申し訳ありません。以降メディアとして情報を扱っていることに責任感を持ち中立に扱いたいと思います。
(中略)
http://gesusu.hateblo.jp/entry/2014/03/10/024102
日本の腐女子の中には「私たちは異常だから隠れるべき」という理屈で自重する人たちも多いようですが、「思いやり」という名目で女子だけが自重していないか。
あなたがたが全てを振り切って、ご自分の「萌え」を大切にされるのも結構ですが、それが社会から許され好意的に受け入れられるときが来たらいいのに、なんていう期待は持たないでほしいです。自由に好き勝手に萌えるというスタンスを保ちながら異性にも受け入れられたいなんていう理不尽な期待を持たないで欲しいし、萌えの対象となるアイドルから好感を持たれたいだなんていう理不尽な期待も持たないで欲しいです。そもそも、その期待が相当に理不尽であることをちゃんと理解して欲しいです。
別にアイドルオタクだけを叩きたい訳じゃありません。むしろこうした無理解はリア充の間にもナチュラルに蔓延しています。「仲人欲」みたいなものです。安定した関係の恋人や配偶者が居るリア充は、恋愛面でヒマになってしまい、刺激に飢えています。だからといって浮気をすると、恋人や配偶者との安定した関係を壊すことになってしまいます。その結果、恋愛していない知人を探し、世話を焼いてくっつけようとするのです。この種のリア充は恋愛相談を受けるのが大好きです。「恋愛上級者な頼れるオレ・アタシ」を実感するのが大好きです。そして片思いしている側から相談を受けることで、片思い側に共感したり入れ込んだりし過ぎて、片思われている側の感情を完全に無視するようになってしまいます。「オレ・アタシの手助けによって結ばれて幸せになった二人」というハッピーエンドなストーリーが頭の中で描かれているため、片思われている側が「嫌です」とでも言いだそうものなら、片思われている側は即座に悪者です。
萌えや妄想は脳内の好き勝手なものであり、対象の意志を完全に無視したものです。前段落で書いたリア充の話は私の実話です。ある男性が私のことを好きであると既婚リア充男性に相談したため、既婚リア充男性の仲人欲が炸裂し、私の意志を完全に無視してくっつけようと策を巡らせて来ました。高いコミュ力があるため周囲を巻き込むのも上手く、周囲から「お似合い」「応援してるよ」と言われて逃げ場の無い状態になりました。コミュ力とは空気を作る能力だと思っています。彼は、ノーと言えない空気を作るのが本当に上手かったです。私の意志は無視されました。まさに恐怖でした。私はその趣味のコミュニティから逃亡しました。
日本では実在の人物をネタに同人活動をする際は所謂「生モノ」として本人はおろか同じ嗜好の人ですらなかなか探せないくらい他人の目に触れさせないためのあらゆる手が尽くされますが、中国のユンジェ信者たちは、ジェジュンがいない東方神起のコンサートでユンジェの垂れ幕を掲げたりしてやりたい放題でした。
全面的に肯定はできませんが、私はこの自分の欲望に素直なアジアの女子たちのパワーが大好きです。日本の女子よりも自由に見えるからです。
この本人の意志を無視したやりたい放題な振る舞い、私が実害を被った「他人の感情を思うままにコントロールしたい欲求」を思い出してゾッとします。日本の腐女子が生モノ萌えを自重する感覚は人として正常です。相手を意志ある人間だと認識していたら、本人の目に触れないよう自重します。二次元の場合は対象が存在しませんが、せめて原作者には配慮すべきでしょう。「萌え」は対象の意志を踏みにじっているのです。踏みにじられてニコニコしていられるのは「ファンって所詮そういうモンだよね」「妄想をぶつけられるのが商売みたいなもんだからね」「それで食っていけてるからね」という諦観があるからで、対象の精神がかなり大人だから受け入れられているのです。リップサービスに過ぎません。自分の意志を無視されて、寄ってたかって妄想を一方的にぶつけられるのが「心からの幸せ」だなんて人は、自由意志や自己肯定感が完全欠落した病人だと思います。心療内科に行った方がいいのではないでしょうか。
アイドルに萌えることを否定しているわけではありません。恋愛相談に乗ることを否定しているわけではありません。しかし、対象の意志を無視して好き勝手な行動を取ることを「自由」と正当化し、許されることを期待するのは異常で理不尽な要求だと思います。少なくとも私には到底受け入れがたいですし、そうした人格が歓迎される時代など永久に来ないと思います。
雇用問題を批判しておいて、自分らも同じく契約やアルバイトを大量に募集してる。
特約店をたくさん作って朝日グループに入社!という呼び込みもアベノミクスが推奨する非正規流動化の一環でもあるし、
この間やってた大手企業が最低賃金で人を雇うな模範になれとか批判するけど、一方で自分らの所の非正規社員の時給は最低賃金に10円上乗せって毛が生えた程度。
よくそんな事やっておいて威張っていられると思う。
てか最近同業他社の奴ばっか雇って本当に雇用問題を考えてるなら、若い奴とかニート、リストラ者を優先的に採っていけ。
アベノミクス批判の急先鋒がこれですから、ワタミだけが全面的に悪いわけじゃないわな。
朝日も悪い。
が話題になっているようです。書いてあることそのものには賛成ですが、だからといって、ちきりんのいうことに意味がないとは思えません。
院卒で地方都市の高校というと、トップクラスの高校で教えてるんじゃないでしょうか?自分も理系院卒です。他の院生は高校教育に関わったとしても、トップクラスの塾・高校で教えている人間が多かったのですが、自分は、普通の高校に通えない生徒が通う通信制高校サポート校のスタッフなどをしていました。現在は文系・理系ともにある中堅総合大学で教員をしながら、研究プロジェクトで高校教育の現場にも顔を出しています(ただし、教育そのものは専門ではありません)。偏差値で言うと学部によって50を超えるところと下回るところがある程度です。その世代の高校卒業者の平均に近いのではないかと思います。
その立場から言わせてもらうと、「ちきりんの言っていることには、たしかに間違いが含まれていて、突っ込みたくなる気持ちは分かるが、全体としてはちきりんに賛成」です。
今の高校の理科教育ははっきり言って機能していなません。大学の理系の授業で、必須科目、「理科総合A」の内容を前提にすることはできません。中学理科もかなり微妙ですが、キーワードくらいなら覚えていることが多いです。授業なんか聞いてないか、聞いていても覚えていない。自分は高校の教育課程を把握しているので「この内容は、高校の必須なんだけど、覚えているかな?」などと良く振るのですが、「え?なにそれ、名前すら覚えていない」という反応が多いです。彼らは、教えれば少なくともその場では理解できて、小テストに正しい答えを書く程度の理解力を持っているし、受験で使った科目や、中学理科の内容であれば、覚えていることが多いです。だけど、高校の授業について全く覚えていない。おそらく聞いていないか、かりに聞いていたとしても、小学校・中学校の理科の比べてずっと定着率が低いようなのです。
「技術立国のために科学教育が大事」とかいうけど、あたしにいくら科学教育を与えても、技術立国には一歩たりとも近づきません。
ただし、理科教育といっても、物理と生物は大きく違うし、物理の中の分野でも「この分野は得意だけど、他は興味ない」という人もいるだろうから、「生物だけは特進クラスで学ぶ」みたいに細かく分野で分ければいいと思います。
そういう現状から言うと、ちきりんの上の意見には賛成するしかありません。たしかに、そうではない「理想の理科教育」を語るの自由です。でも、文句あるなら、そうじゃないような理科教育を実現してから言えよ。現状の理科教育では、ちきりんの言うことを受け入れるしかないじゃん。っていうのが、自分の意見です。
残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいです。
そこで批判されていた上の部分ですが。たしかに、批判する意見ももっともで、それに対しては何一つ再反論するつもりはありません。つまり、「生活するために必要な科学知識」と理論教育は矛盾するものではないという反論には全面的に賛成です。何より、自分が大学でやっている授業の大部分(1、2年次の基礎教育に関係するもの)は、まさに、「生活するために必要な科学知識」としての理論科学を教えるものであり、自分もそれを実践しているという自負があります。
でも、ちきりんの上の文章にはものすごくうなずいてしまいます。命題としての正しさとは関係なく、「そのように多くの人が考えてしまうような現状がある」と思うからです。
自分の授業では、しゃべっていて、反応が悪いと、その場で別の資料を出してきて、良い反応が返ってくるまで、同じ内容を繰り返し説明し続けます。カリキュラムを大幅に変更することも珍しくありません。それこそ、ちきりんが例に出したような日常の話、ニュース、芸能・・・話の引き出しをいろいろ引き出しとして持っていて、興味をもたせられるように話すわけです。ライブパフォーマンスとして授業をするように心がけています。だけど、自分が学生のときの感覚で言うと、きちんと学生の反応を見ている先生とそうじゃない先生は半々くらいかなというきがします。そして、多くの人は同意してくれると思いますが、実際問題大部分の授業は受ける側に立ってみるとつまらないです。自分だっていろいろ努力はしていますが、つまらないと思っている学生もいると思います。
科学教育に関して言うと、「聞き手の興味を持たせる」ことは、「生活するために必要な科学知識」を教えることとかなり一致します。しかし、これは一筋縄ではいかない難しいことだし、今の日本の教員には、これが得意ではない人間が多いというのは、紛うことがなき現実ではないかと思います。この現状で、
って言うのは当然の反応です。
自分はこれとほぼ同じことを塾の生徒、高校の生徒、大学の学生・・・に何度も言われました。なので、これはちきりんの特殊な意見として見るのではなく、学生・生徒たちの率直な意見として受け止めてほしいというのが、科学教育に携わってきた自分からの切実なお願いします。
もちろん、だからといって、「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)」を教える必要はありません。今教えている内容を、「生活するために必要な科学知識」でもあることを強調するする形に変えるべきということです。これは、科学教育に携わる人間が常に取り組んでいかないといけない課題です。そして、これは今まで自分が教員としてやってきたことだし、ちきりんに対して反論していたバッタさんの意見とも一致すると思います。
他の人も言っていましたが、自分はちきりんの意見とそれに対する反論を見ていて、「これはないな」と思いました。議論が噛み合っていない。ブログに書いたことに、論理上の粗があるのは当然です。そういったことについては、作者にメールするなり、コメントするなり、あるいは別エントリーを立てるなりして、ブラッシュアップしていけば良いことです。こういうのは、普通の社会人、あるいは研究者なら普段、仕事上行っていることと同じだと思います。でも、ネットだと「議論をより良いものにするために意見を言う」ということができない人が多い。
科学を愛する者、科学に生涯を捧げた者が古今東西多数いることを知らないわけでもなかろうに、科学に対する冒涜と取られかねないような表現を用いるのは、売文屋、自己啓発屋として作戦ミスだと思います。いわゆる「炎上商法」「釣り」のつもりなのかも知れませんが。
アクセスを稼ぐためなのか、小さな問題でも、相手の議論の全部を否定したり、場合によっては、人格まで否定するようなことを書く人が多いです。そして、そのために、ネット上の議論の多くが、無駄なものになってしまっていることは、大変残念なことだと思います。
「また、あいつか、叩いてやろう」と思ってエントリーを書いたときは、「もしかして、このエントリーがネットの言論空間をダメにしているかもしれない」ということに想像力を働かせてもらえると幸いです。