はてなキーワード: 体重とは
すっごくうれしかった。
ご飯食べに連れてってくれて
ベッドでゴロゴロしてたら「はい ホワイトデーのプレゼント。ホワイトデーというかいつもありがとうやな。」
だって♥
今日は何も食べてないです。
ありえないです
目指すは46キロ
はじめの4キロくらいきっとすぐやと思う
とりあえず1週間絶食で
4キロ落としてそこからお粥ではじめて48キロまで少しづつおとしていきたいです。
53.6でした
あしたには53キロになってたらいいな
なんてうまくいかないんだろうけど
1週間がんばろう!!
はじめの3日が辛いんだって
それれを越したら
楽になるから
あしたはお片づけと掃除
あとてんてんのいえの掃除などをしたいです
てんてんはるとやまとおっても行っていいっていうかな。。
怖くて聞けない
聞いてみようかな
きっとそこからだよね
はるとやまとつれてお泊まりとかできるようになりたいです
女の顔を殴ろう。
握り拳をいきなり、力いっぱいめりこませて、よろめいたところをもうひとつ殴ろう。
女が地べたに崩れ落ちたら、馬乗りになって殴ろう。
鼻がぐしゃりと潰れ、血しぶきが散っても、開いた口から白い歯が飛び散っても、けっして手を休めてはいけない。
女が顔を背けたら、反対側から殴ろう。
髪の毛をわしづかみにして、目の玉がしっかり潰れるように、くりかえし、くりかえし殴ろう。
全体重をかけて、頬を突き破るつもりで殴ろう。
鼻血で顔が真っ赤になっても、目や唇の端からおかしな液がにじみ出てきても、けっして手を休めてはいけない。
伏した女が動かなくなったら、髪の毛をつかんで引き上げ、正面から眺めよう。
鼻はひしゃげ、半開きの口から見える歯は欠け、唇は不揃いなたらこのように腫れ、目の横へ不気味に角張った肉の突起ができた、女の顔。
もはや顔と呼べないほどにひしゃげて、血にまみれた肉の塊になっていたとしても、それはやはり顔だ。
腫れ上がった頬のせいでもはや完全には開かない目は涙ぐんで、うつろに天を仰ぐ。
口を開けたまま血を滴らせて、恍惚にひたっているのか、激しい性交の後に全身の震えが通り過ぎるを待っているのか、犯したことを思い出せない罪を悔いているのか、もはやわからない顔。
このときになってはじめて、獣のようなひたむきさで、ほとばしる力のおもむくままに女の顔を殴り続けた理由がわかる。
顔をたたき壊すことで、女が女であることを打ち砕くことで、女とは全く別の生き物が、肉の塊になったグロテスクな何かが現れるのが見たかった。
女が女であることを目いっぱいぶち抜くことで、女を脱ぎ捨てた新しい女が、性交で絶頂に達したときの恍惚に似た何かから露出してくるのが見たかった。
そのようにして、女を憎み、憎むことでよりいっそう愛したかったのだ。
ハーネスよりベビーカーに縛り付けた方がより安全だと思うけど何故使わないんだろうか。
体重制限も20kgくらいまでなら乗せられるベビーカーあるし。
子が嫌がる?命には代えられないでしょ?周囲の目?ベビーカーの方がマシでしょ?
つかハーネスって中途半端だよね。危険回避の為つったらベビーカーの方が遥かに安全だし、
ベビーカー使えないような場所で使うにしてもその使えない理由が「混雑してるから」だったら
普通に周囲の迷惑&他人が紐に引っかかったりしたら却って危険だし。
ベビーカー使えない理由が「段差が多い」とか「舗装されてない悪路」とかなら役立つかもしれないけど、そもそもそんな場所に子連れで敢えて行く必要ないし。
『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。
シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリング)から成り立っていますが、シナリオからの分析局面では、プロットそのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリングが重要だということになります。
ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである。映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。
様々な作家による小説、ラノベの創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界と主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。
正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスをゼロにする」ものでしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロでしかないからではないのか。
一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロをプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである。
ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。
であるならばそれは、システマチックに再利用可能な一定の演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。
仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体の品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である。
金子が映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディが不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価の底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。
「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。
本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的に存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話とキャラ萌え特化の現代ラノベに普遍的に存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。
と大塚と新城をDisった上で、つまりある特定の様式における「テンプレート」の抽出が必要なのであり、本稿ではボーイミーツガールの様式をもつラノベに限定することとした。
ボーイミーツガールの定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒやゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公とヒロインの出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。
まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョンが主人公であり、涼宮ハルヒはヒロインである。加えて主人公とヒロインの性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公もヒロインも女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公は女性でヒロインは男性である。表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。
次に、では「非日常」とは何か。
例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公はヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公はヒロインと出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。
そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロインを意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公が意識している相手」と定義する。
以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベをボーイミーツガールと考える。
なお、本稿におけるボーイミーツガールは排他的なものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である。
これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から、映像化された作品を中心に絞り込むこととした。
シリーズ化している場合、本稿での調査は原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。
以上からWikipediaのアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。
長くなったが、以下やっと本題に入る。
本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的な判断によってまとめたものである。学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものでしかない点は注意されたい。
「主人公がヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公のヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味でヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公の見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。
さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。
問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である。
突然同じ部活に所属することになったヒロインが毒舌家であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロインが天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインがサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロインが魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。
筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である。
「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存の陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロインが挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものとしか認識されないリスクを内包する、という点である。
既存の陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出の類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。
クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能である。ヒロインの奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公が美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。
とはいえこれらの例において実質的に主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。
一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分の人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。
偶然からヒロインの秘密を主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。
知ってしまった秘密を主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公とヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密の漏洩はヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロインの人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。
その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である。
例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。
しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型はヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。
例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。
筆者は全く百合趣味が理解できないが、そうであっても「美人が美少女のネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。
『マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインがベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。
以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。
例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインのエロゲ趣味が主人公に漏洩する第一の遭遇(秘密の漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロインが主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。
『化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロインに体重が無い」という「謎の提示」と「秘密の漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインがカッターナイフとホッチキスを主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃的性格のヒロインに特段の目新しさはないが、文房具を凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。
『とらドラ!』の第一の遭遇はヒロインが主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密の漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。
興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。
例えば『俺妹』ではエロゲをヒロインに返した際、その場でヒロインが主人公へ自室でそのゲームをプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロインに夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。
○朝
○昼
○夜
○体重
68.8kg
○食欲
○筋トレ
なし
○精神状態
ok
○日記
食欲は完全に落ち着いて体重も徐々にではあるが減っている。炭水化物と野菜中心食事に切り替えたのがよかったんだろう。
最近は運動は減っている二週間に一回ぐらいの頻度。とりあえず64ぐらいまではだらだら体重減らそうと思う、後半月ぐらいか。
お医者さんに行ったらですね、
1.採血
3.心電図とる
の3つをやりましょうと言われたのですよ。
医者の意図は読めなかったんですけど、素直さがウリの私は『ハイ』と言って従いました。
で、結果は『太り過ぎ』
私「デブっていうだけですか?」
医者「う、うん……」
私は身長165cm、体重87kgのピザ。検査なんかしなくても一目でデブと分かるんですけどね……
血税を使って診断名『デブ』を頂くデブ。えらく非国民なデブです。
私、医療費払ってないんですよ。
ある日、社会保険事務所から「お前貧乏だから医療費タダな」という通知を受けて以来、医者にも薬局にもビタ一文払っていません。仕組みは謎です。
税金も納めてないんですよ。
税務署から「お前の所得わからん。教えろ」という督促状を頂いて、正直に申告したんです。
そしたら「むっちゃ貧乏やんか…… 無税な。それと可哀想やから一万円やるわ」と言われて諭吉一人もらいました。
どんだけ非国民なんですか。
私は母が病気で倒れた時に1年毎日家で料理を作らされ貶され倒して、最終的には料理をしたら吐気がこみ上げてえづくようになって、味覚がおかしくなったのか得意料理ですら失敗しまともな味付けも出来なくなって料理から開放された。
胸が引き裂かれる思いで泣きながら母にどれだけ辛かったか一言でいいから謝って欲しいと求めたら鼻で笑われ、癒すのを諦めて忘れるのに徹する事にした。
思い出すだけで傷口を開くような痛みがあって涙が出るし誰にも話せていない。
夫は美味しいありがとうと笑顔で食べてくれる人で、失敗して落ち込んでても何で?美味しいよと笑ってくれて、結婚して料理が楽しくなった。
子供も出来て幸せだったが、今日3歳の子が食べるのを嫌がっておかずを私の皿に入れてきたりしたので「ママのご飯がまずいって言うの?」と言ってしまった「まずい!!」子供が言った。
我が家はまずいという単語が出ないせいか、子供がまずいを勘違いしていて好きじゃない物を食べた時には何でも「からい」と言う、オウム返ししているだけでまずいという意味で言ったわけじゃない。
それなのに古傷がいきなり開いて涙がボロボロこぼれだし吐気がこみ上げてきた。
子供は異常を察知して私を撫でながら「よしよしごめんしゃいごめんしゃいママ怒った?」と必死に謝ったり、「ほらママばぁー!!!」と笑わせようとしたりしてきたが表情を作れなかった。
子供はいつも遊び食べをしたがり食べさせるのに苦労する、子供にご飯を作るのが辛いとさっきから急に頭をグルグルしだしている。
私の手が死人みたいに白い何だこれ。
ドラマとかでよくあるショックを受けた人にあなた顔真っ青よ!みたいなのって本当にあったのか。
自分がここまで親として弱い人間だと思っていなかった、死にたい。
ーーーーー
書いた後に泣きながら寝落ちし、昨日は目が覚めた瞬間から涙がボロボロ出てきて、いつもは一晩寝たら引きずらないので驚いた。
食べずに遊んだら頭に血が上るかもしれない、まずいと言う人に作るのが怖いと、子供に朝ごはんを作るのに変な抵抗があって、子供には食パンとバナナだけ出して食べさせ遊んでも放置していた。
夫が「どうしたの?」と驚いていたけど「実は料理をまずいと言われるのにトラウマがあって、昨日子供が言ったのでこうなってる」としか言えなかった。何も作りたくない外食したいと思ったけど、壊れた蛇口みたいに涙が出るぼてぼての顔で出かけられるわけないし作らなければ・・・お弁当を作るついでに晩御飯も作っていると少し元気が出た、作れるのに安心もした。
「大丈夫?」と不安げに夫は仕事に行った、いつもは子供と一緒に駅まで夫の見送りに行っていたので子供が「いくー!!!」と怒っていた、正直1人になりたく2人きりで乗り切れるか不安もあって無理だけど夫と一緒に出かけてくれたらいいのにと内心思っていた。
気力が出ずアンパンマンをつけて涙をボロボロこぼしながら座っていた、昼ごはんは炒めたしらたきにレトルトのパスタソースを絡めただけの物を子供の分も取り分けて食べさせた。
泣きすぎて頭がしびれてボーっとしていて子供の「トイレ」に反応がのろのろしてしまって、パンツを脱がせている時に手の上にうんこをされた。
子供から「ホッケーキつくって」と言われてホットケーキを作った、作るのが怖い抵抗感が消えていて、子供にご飯をちゃんと作れると安心し涙が止まった。
子供がこけて泣き出したので痛いの痛いの飛んで行けー!をしている時に思いついて「お母さんも痛いから痛いの痛いの飛んで行けやってくれる」とお願いしたら、何度も「いたいのいたいのとんでけー!!」とやってくれた。
それから一緒に絵本を読んだりブロックで遊んで子供を寝かしつけた。
夫が帰ってきてから「朝言ったとおり母に貶されたりしてまずいと言われるのがトラウマだった、今日は驚かせてゴメン、あなたから不味いと言われる心配はなかったけど、この子は言うだろうからどうしよう」と言っていると「もっと子供向けのご飯にしないとな」と言われた(まずいといわれた日のおかずは鰆と菜花の煮物、イカと里芋の煮物、小松菜の胡麻和えで確かに子供向けではない感じだった)
ずれているけど、子供受けするご飯は私も良く解らず難儀している所だったので、明日はもう少し子供受けを考えてみようと思った。
ーーーーーー
今日起きたら少しすっきりしていた。
涙で濡れて不快だったので寝心地のいい寝具と部屋にしようと、毛布&枕&シーツの洗濯や大掃除を始めた。
温かい言葉をありがとうございました、心配してくれてる人も居るしとりあえず続きを書いたほうがいいだろうかと思い書く事にした。
何でこんなに傷ついたのか考えてみた、私は大型地雷を持っている自覚はあったので、万が一まずいと言われた時の防衛策&自分の料理に自信が全くなかったのもありおひたしのような簡単な料理でもいつもきっちりレシピどおりに作っていた「このレシピまずかったねー次からは作るのやめとく」と流せる予定だった。
子供のまずいの意味も解ってない連呼でこんな事になるとは思わなかった。
一昨日の方が過去よりも傷ついていたように思う。
今いい所に居るから辛い過去は消えていくものだと思っていたのに、覚悟なく不意打ち的に過去に戻ったから傷ついたんだろうか。
正直トラウマとかメンヘラとか対岸の火事だと思っていて、可哀想に治るといいねなどと思っていたので、私がそうだったのか確かにこの反応は病気だと頭を抱えた。
病んでいると思うと罪悪感と羞恥心がわいてきた、知らなかった旦那ゴメン恥ずかしいとか。
何でこんなに罪悪感がと考えると、母がたまに傷口をえぐってきた時に「その話はやめて」と言うと「まだ恨んでるの?いつまでもネチネチと恨みばかりで私はお前の為に言ったのになんでそんなに」と切れて責められていたので、(自己紹介を私に押し付けるな、傷つけられなければ地雷なんて出来なかった)と反感を覚えながらも忘れないのは悪いと刷り込まれてたのだろうか。
反論はしたかったが、母に訴えた時に「お前のせいで体重が減った!!美味しいって言った時も本当は全部無理して我慢して言ってあげてたの!美味しいって言わなきゃしょうがないから!」等々散々責められ鼻で笑われ、ごくたまに美味しいと言われるのを心の拠所にしていた事もあって、自分で引き裂いてた傷口をぐちゃぐちゃにかき混ぜられたくらいのダメージを負ったので、母相手にはひたすらに触りたくなかった。
母の親が兄弟に差をつけるタイプの毒親で母がいつも親からされた酷い事を嘆いていたのを見て同情すると同時に、親が死んでからも恨みを引きずり楽しい会話に割り込んですぐに暗い過去を話しだす母のようにはなりたくないと思っていて、それに私が近いかもしれないと怖いのも原因かも。
押し込めて幸せに生きていれば薄れて忘れて大丈夫になっていくと思っていた。
まずいと言われなければ大丈夫だけど、こんな大型地雷を抱えて子供の思春期突入はヤバイ。
病院に行けという意見が多いけど、私の周りに2人病院に行った人が居て、一人は躁鬱傾向だけど普通に働いていたのが薬を飲みだして壊れて電車にも乗れなくなって働けなくなった、もう一人は老人なのにいつもハイヒールを履いて社交ダンスや華道をするくらい元気だったけど、心配されたくなって病名を貰おうと健康といわれまくりながら病院めぐりをした挙句にやっと欝の病名を貰って薬を飲んだとたんに1時間おきに死ぬ死ぬと電話をしてくる本物になって足腰が立たなくなって亡くなった。
薬には不信感と恐怖心が大きすぎる、薬を飲まずにこの地雷スイッチを消せるんだろうか、子供に言われる覚悟をしておけば何とかならないだろうか。
連鎖といわれると怖すぎる、母みたいに親にされたタイプは避けられても違うタイプの虐待に走ったら最悪だ。
今は大丈夫でも更年期と大病が重なったら自分が制御できずに子供にあたって傷が向かうかも知れない、でも治せるのか。
といった具合にグルグル回っている状態。
思い出すだけで涙が凄かったのに、ここまで書くのに涙が滲む程度であまり出なかった、マシになっている気はする。
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帰りにすき焼きを食べ、家に帰ったら疲れ果てていたけど、ここ4日ジクジク痛んでいた物が消えていた。
昨日はここに書いてなかったけど料理にジクジクと不快感が残り、子供の遊び食べに真剣にイライラしてしまい、危機感を募らせていたので安心した。
ここを見ても涙も出ない、消えたか深い所に押し込めるのに成功したのか、料理しなかったから楽なだけか、久しぶりにいい牛を食べたテンションで一時的に持ち直しているのか。
気力も体力も湧かなくて外出せずに家の中でずっと縮こまってたのが良くなかったんだろうか。
家族に言えてネットにも書けて涙をまとめて出したのが良かったんだろうか。
落ち着いてよかった、地雷が残っていない事を願う。
わたしなりのダイエット成功法をまとめようと思ってたら意外な共通点見つけたので大興奮のまま書く
なんで誰も気づかないんだろうって一瞬思ったけど、こんなん普通に話題にしづらいわって自分につっっこんで一人でツボりまくり
ランチふつうに吹き出したし、向かいの席のおじさんにかかったっぽいけど顔見れるわけないしw
どんだけ興奮してんだよわたしwww
さておきほんだいほんだい
過去5kg以上のダイエットを3回ほど成功してるんだけど、食べる量とか満腹感を目安にしてると感覚的なものだからついついオーバーしてうまく減らなかったりするのね
それで、今4回目のダイエットに挑戦してて順調に3週間で3kgくらい落ちたところなんだけど、過去自分がダイエットに成功してる時のことを思い返したら、全部に共通するすばらしい目安に気づいちゃった
それはなんと!「順調に減ってる時はうんこがすくない」
ウケルwww
いまで大体うまい棒1本分くらいwww
過去振り返ると、確かに順調に減ってる時はうんこ少なかったwww
そりゃそうだwww
ダイエットはうんこマネジメントで成功!とか、ゴールデンに流れたら苦情殺到不可避www
フカヒーwwwwww
ちなみに現在身長155cmで53kg。夏までに48kg目指すよ!
みんなも今日はたくさん出たから体重へっってるわーじゃなくて、そんなに食べたらへるわけないわーにしっかりパラダイムシフトしてね!
http://anond.hatelabo.jp/20150226113822
~ 暗転 舞台は車内へ ~
ぬーべー 「じゃあちょっと悪いんだけどちょっと脱いで・・・もらえますかね」(棒読み)
ぬーべー 「そのぶんは、ギャラ出すんで」(棒読み)
ぬーべー 「じゃあさ、あのこの、これで濡らしてもらえるかな」(棒読み)
~ 渡されたフランス書院を読みながらヴ●ギナを触るアルビレックス ~
岡台区長 「それ(濡れ具合)っていうのは何割ぐらいかなぁ?」(棒読み)
~ ぬーべーに何かをされているアルビレックス。モザイクでよく見えないがアルビレックスの顔は明らかにドン引きしている ~
岡台区長 「じゃあ続きは、ホテルの方でって感じで」(棒読み)
ぬーべー 「それ良い体してんね」(棒読み)
アルビレックス (ぬーべーにスカート脱ぎを催促されて)「スカートも・・・」(棒読み)
~ しぶしぶ承諾し、ニヤけながらも全裸になるアルビレックス ~
ぬーべー 「悪いんだけどさ、立ってもらえるかな」(棒読み)
岡台区長 「じゃあ後ろ向いてもらって・・・後ろォ」(棒読み)
ぬーべー 「自分の手でこう、ミェ、穴が見えるように、広げてくれる」(棒読み)
アルビレックス 「ケツとかは・・・勘弁してくださいね」(棒読み)
~ そう軽く請け合うとおもむろにベッドにアルビレックスを寝かせるぬーべー ~
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体重減ったということは食べる量も減ってると思うよ。メトホルミンには食欲減退効果もあって、実際やせ薬として処方されようと病院行くやつが後を絶たない。
ここ数年健康診断で血糖値もHbA1cも標準ギリギリの高い値だがまだ尿に糖もでておらず自分は糖尿病ではないと思っていた。
あるとき、「尿がやたら泡立つんですが糖尿病の初期症状では……」と相談した。結論は−(ネガティブ)。医師の判断は「尿が濃いだけ」「糖尿で蛋白がダダ漏れの時はもっと長い時間消えません」がしかし。
ここまで血糖値もHbA1cも高値が続いているとすでに糖尿病である可能性は十分あると。体重は標準より大目だしねと。たしかに血糖値が基準値より高いと糖尿病が疑われるし、HbA1cもそう。では、血糖値が基準値より低ければ違うのか?実は、そうじゃないと言われ、糖耐能の検査をすることになって、してみたら糖代謝には異常ありとなった。この時、同時に検査したコレステロールとHbA1cも基準値越え。投薬開始。
メトホルミンというインスリン抵抗性改善薬を飲むことになった。太めはまず自分でインスリンの効きを弱くする物質を作ってしまっていることが多いようだ。
飲み始めたら、どうなったか。
最初の週は便が緩くなったがすくおさまった。
次の週あたりで変化に気付いた。「疲れにくくなった?」
10時ごろには1日の疲れで眠くなっていたのがより持つようになった。
1月過ぎるころには、日中それまで普通だと思っていたのが実は軽くだるかったのだなと気付くようになった。
3ヶ月すぎるころには体重も少しだが減っていた。起きていられるのも12時過ぎても問題なくなった。
疲れが抜けにくくなったのが歳の問題じゃなくて病気の問題であることもある。
「まだ標準値だから大丈夫(震え声」「歳だから仕方ないよな(震え声」と思わず、標準値内でも、高値安定のときは、体力がなくなった、疲れやすいと思ったときは、病院にいって精査されるべきだと今ではマジで思う。思えば健康診断の前は1ヶ月ぐらい前から節制するからその分下駄履いた値だったんだな。
大学1年の後半から軽度の摂食障害だった。思い返すと、小学生の頃から、時々食べられなかった。
給食のコッペパンがまずく、おかずも、体調が悪い時や苦手な食べ物の場合は食べられず、何度か掃除時間まで居残りさせられたからだ。
高校3年から大学1年の夏にかけ、受験のストレスなどで食欲が増し、やや太った。
身長は約160センチ。当時の体重は47~48キロ。最大49キロだった気がする。
その後、ダイエットと節約のため、食事量を減らし、空腹時は、帰宅途中にあるデパ地下で試食しまくった。
社会人になってからも、頻繁にスーパーやデパ地下に試食しに行った。試食は、実益のある最大の趣味だった。
体重は44キロ、43キロ、42キロと、段々減り、39キロを最小値として40キロ台前半で数年間は安定していた。
東日本大震災後、下痢をきっかけに、吐き気や腹痛、胸焼けなど胃腸の不調を感じ、消化器内科に通院して胃薬を処方してもらった。
それでも良くならず、体重は35~36キロまで減った。漢方薬も処方してもらったところ、強烈な空腹感に襲われ、37~38キロまで戻った。
去年の春、妊娠した。痩せ過ぎで無理だと思っていたので予想外だった。
バランスの整った食生活を送りたいと思いつつ、つわりによる味覚異常や吐き気(一時のみ)のため、真っ当に食べられなかった。
そのため、妊娠中も体重はあまり増えず、最大45キロくらいだった気がする。
出産後、授乳の影響か、体重は、妊娠前より減り、38キロから34キロまで一気に下がった。
さすがに死ぬと思い、【母乳に良くない】といわれる甘いものやジャンクフード、【母乳に好ましい】といわれる汁物や水を多く摂取したところ、35キロに戻った。
最近はむしろ過食傾向だ。1日中、空腹感を感じ、食べては罪悪感を感じる。
18歳からやり直したい。もっとおいしいものをたくさん食べておけばよかった。あるいは、自炊して健康的な食生活を送るべきだった。
母乳は、今はほとんど出ていないらしく、食欲は単なる自分の欲望でしかない。
独身のときは53キロくらいだったのに結婚して食生活がしっかりしたら70キロに。
身長は176cmだから、独身のときは痩せ過ぎで結婚後の体重が標準に近いんだけど、健康診断でコレステロールとか尿酸値とかいつくかの項目が異常になった。
それまで健康診断はオールクリアだったからショックを受けて体重を減らすことに。
甘いコーヒーやコーラが好きだったけど、会社には水筒持参で緑茶や麦茶を飲むことにした。
大雑把に食事のカロリーは2000kくらいに。
それまで食べものカロリーどのくらいかなんて気にしたこともなかったから、ダイエットを始めたころはいちいち調べてたけど、慣れたら「これ食ったら700k。これ飲んだら100k」みたいに適当な数値で計算して食べる量を制限。
誤差とかかなりあるだろうけど気にしない。
体重も思い出したときに測るだけで、毎日測るとか面倒なことはしない。
運動もとくにしない。
それで体重は増えたり減ったりしてたけど一年後には60キロに。
(当時ネットで検索したら尿酸値は一度上昇したら下がらないと書かれていたので憂鬱になったけど、ダイエットしたら尿酸値も下がってた)
大して面白くもない話ですが、わたしの片思いの話を聞いて下さい
彼女と初めて出会ったのは、わたしが担当していたグラフィックデザイン部署の立ち上げで行なった採用面接でした
当時はまだわたしのいる業界にはデザインという概念がなく、あっても実に画一的なステロタイプのつまらないものばかりでした
そのため採用はできるだけ業界の知識や経験がない人材を選ぼうとはじめから決めていたのです
そんな中あらわれた彼女は服装こそ普通だったものの、色白な顔に細く釣り上がった眉と濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳を覗かせ、サイドを少し長くして輪郭を隠すようしたショートカットの妙な黒さが印象的でした
当時で21歳だった彼女はデザインの実務経験があったわけではなかったのですが、用意しておいたデザインに対する質問に最も的確に答えられたということから採用が決まりました
なぜデザインの知識を持っているのかという質問に対しては、学校で専攻していたことと、とあるロックバンドのファンで友人とステッカーやポスターなどを自作しているといった返答が返ってきたと記憶しています
その瞳がもつ印象の通り、彼女はこちらからの質問に対して一切の淀みを見せることなく最低限の言葉だけで返答を返してきました
仕事に私情を挟むものではありませんので選考理由は当然その能力にありますが、わたしの心のうちはとてもざわついていました
身長はわたしと同じくらいでしょうか
いわゆる男性の平均的体型であるわたしと比べれば彼女は女性として高い部類に入るのではないでしょうか
それに比べて顔は小さく手足はすらりと細く長く感じられ、体重で言うとわたしよりも20kg以上は少なかったかもしれません
面接中には、書類の上を軽快に走る触れれば砕けてしまいそうな筆をもつ透き通った指に思わず目を奪われていました
座っている時も終わって席を立つときも、凛とした背筋が美しく、実に奥ゆかしくわずかな膨らみを見せる胸が彼女がもつであろう潔さを一層強調しているようでした
そうして次々に姿を見せる彼女がもつ身体のパーツやそれらから繰り出される仕草は、どれもがわたしが理想としている女性に抱くそれと重なっていくことがわかりました
これほどまでに自分の理想と一致する女性がこの世に存在していることの驚きは、むしろ恐怖に近かったかもしれません
彼女との年の違いは7つ
今になってみればそんなルールが何の抑止力を持っていたのかも分かりませんが、これから新たな部署を立ち上げて会社を盛り上げようと先頭に立っていた自分にしてみれば、足並みが崩れてしまうことが怖いと思えてしまいました
それ以上に、彼女に自分を好きになってもらえるかどうかを考えることが怖かったのかもしれません
彼女の髪の黒さを妙に感じた理由は彼女の初出勤の時に明らかになりました
初めてスタッフとして勤務先に現れた彼女の髪は、お世辞にも綺麗とは言えない根本や毛先に黒の混じる金色をしていました
聞けば、面接の時は印象を良くしようと一時的に黒く染めていたとのことで、遅かれ早かれ発覚するならばと初日から隠すことなく出勤したとのことでした
そうした格好をする理由は、実のところロックバンドのファンにとどまらず熱狂的な追っかけであるために不可欠だとのことでした
わたしは採用した責任と彼女のデザイン能力に不安を抱く一方で、その金色の頭髪にも稚拙ながらも潔い行動にも、自分の心がつよく引き込まれていくことがわかりました
まるで蟻地獄に落ちていくアリのように、二度と這い上がることのできない運命を背負ってしまったような感覚に襲われて背中にひんやりとした何かがまとわりついてくるのを感じていました
意志の強さを感じさせる瞳は太めの縁とレンズの奥へと隠れてしまいましたが、わたしにはそのことで彼女のもつ美しさがより完成に近づいたのだと感じられました
もともとの感性が異なるのか、広告としての機能を満たしながらもどこか奇抜でいて尚且つ人を選ばないデザインが次々に生み出されていきました
それらは社の内外問わず高い評価を受け、わたしと彼女とで立ち上げたデザイン部署は見る間に会社にとって無くてはならない存在へと成長していきました
その忙しさは、同時にわたしから余計な考えを起こさないようにと時間を奪ってくれていました
仕事に関することでも彼女と話をするときには緊張を隠すことに慣れませんでしたが、わたしはそれでも彼女から嫌われるでも好かれるでもない距離を保ち続けることが出来ました
その間にもデザインスタッフの拡充を行なっていましたが、今まで営業本隊に所属する形だったデザイン部署がいよいよ単独の部署として独立することが決まったのです
今までは本隊と両立する形で管理に参加していたわたしは、新たに新規事業開拓のための部署立ち上げのメインメンバーとして抜擢され、彼女はメインデザイナーとしてそのままデザイン部署に残ることが決まりました
わたしにとっては栄転ですが、自分が同じビルではありながら彼女とは異なるフロアに行ってしまうことがわかると、それが何故か急に不安に感じられました
付かず離れずの関係を維持できていたと思っていたのが、離れてしまうことがわかった途端にじつは彼女が自分にとっての拠り所になっていたことが分かってしまったのです
どれだけ顧客にバカにされようと仕事でミスをして上司に叱られようとも、部屋に戻れば彼女が背を向けて座っていました
でも、彼女が黙って座っている凛とした背中がそこにあるということだけで、わたしは幸せを感じられていたのです
相変わらず濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳がメガネの奥に隠されていると想像するだけで、わたしは幸せを感じられていたのです
それからというもの、わたしは彼女を思うだけで胸が締め付けられるように苦しくなりました
以前にもまして触れてみたいという衝動にかられ、彼女が他の男性と話をしている姿を見ているだけで胸の奥に湧き上がる何かを感じました
しかし、だからといってわたしには何かするべきことが見つけられたわけではありませんでした
思いを伝えるには時間がかかり過ぎていたのです
目の前にただ完成された美が存在していたとして、ほんの僅かでも触れてしまうことでその美しさは失われてしまうかもしれない
わたしの中で、彼女を得ることよりも彼女を失ってしまうことの不安のほうがはるかに大きく育ってしまっていたのです
考えてみると彼女と二人だけで話をした最も長い機会は採用面接の時だったかもしれません
もとよりわたしは彼女との会話そのものを楽しんだことはなく、いつも仕事の話かその時に少しだけ世間話を交わすくらいの会話しかしたことがなかったことに今さらながら気がづきました
そのことに気づいてしまったと同時に、止めどない涙がわたしを襲いました
自分でも全く予測できなかったあまりにも突然のことで、どうしてよいかわからずとにかくトイレに逃げ込みました
わたしは自分の情けなさに涙し、自分の人を好きになるという気持ちの身勝手さに涙しました
それから数日、相変わらず彼女を思うと痛みを思い出す胸を抱えたまま新しい部署での生活がスタートしました
自分の情けない部分をまざまざと見せつけられてしまったわたしは、仕事に対する自信も失っていました
大した結果もだせないでいたちょうどその頃、突然母親から見合い話が舞い込んできました
どこかこのままではいけないと思っていたわたしは特別に断る理由もなく受けてみることにしたのでした
お相手の女性は、デザイナーの彼女とは正反対のような実に快活とした健康的な女性でした
偶然にも共通の趣味の話で盛り上がり、その後も断る理由が見つからないまま数回の食事を共にしました
彼女はよく笑うとても魅力的な女性で何事も前向きに捉えられる明るい性格をしていました
そうして結局断る理由が見つからないまま、お見合いから半年後に結婚式を挙げることになりました
どこかで、もしかしたらこれで彼女のことを忘れられるかもしれない、本当に理想とする人はお見合いで出会ったこの女性なのかもしれないと考えていたかもしれません
会社での結婚の発表は部署ごとに部屋を訪れてまとめて行いました
たった半年で結婚を決めたことから突然のことに驚きを隠せないという言葉やお祝いの言葉が多数投げかけられましたが、そのほとんどはわたしには届いていませんでした
なぜなら、次に訪れるデザイン部署にいる彼女のことばかりを考えていたからです
考えてみればこれは片思いです
彼女にわたしの気持ちを伝えたこともなければ、彼女がわたしに好意を持っているだなんてことも聞いたことがありません
今さら思い悩んだところで何も解決しないしそもそも思い悩む事自体が無意味なのです
そうして自分に言い聞かせながらいよいよ彼女のいる部屋の扉に手をかけました
扉の向こうからわたしの目に飛び込んできたのは相変わらず凛とした美しい彼女の背中でした
わたしはその美しさに見惚れてしばらく声を出せないでいたかもしれません
最もシンプルに結婚の報告の言葉を並べることだけがそのときのわたしにできた精一杯でした
ただ、結婚という言葉が響いた時に彼女の背中が少し反応したかのようにも見えました
わたしが反応してほしいと願っていただけかもしれません
でも、いつも見惚れていた背中だからこそ他の誰一人として気がつかないような小さな変化を見つけられたのだと信じることにしました
それから数年がたち、今では二人のこどもに恵まれることができました
妻のことは愛しています
一人の女性としてももちろんですが、それ以上にもう家族として失うことのできない大切な存在です
だけど、未だにあの凛とした美しい背中はわたしの理想の背中であるし、触れれば砕けてしまいそうな透き通った指も、実に奥ゆかしくわずかな膨らみを見せる胸も、色白な顔に細く釣り上がった眉と濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳も、それを奥ゆかしくも引き立たせるメガネも、相変わらずわたしのもっとも理想とするままであることも事実です
それは10年が経って尚、より美しさを増していくようでも有ります
もしあの時、自分の気持ちを彼女に伝えていたらこの背中は美しいままだったのだろうか
もしあの時、彼女を採用しなければこんなにも思い悩むことはなかったのではないだろうか
もしあの時、わずかに反応した背中の理由を彼女に聞くことができたら何かがかわっていたのではないだろうか
人から見れば仕事も順調で結婚もして子宝にも恵まれてまさに順風満帆な人生かもしれませんし、本当にその通りなのだと思います
相変わらず焦がれる胸を抱えては、デザイン部署を訪れるたまの機会に凛と美しい彼女の背中に目を奪われています
わたしはついぞ片思いをおわらせられずにいました
ちっぽけなアリでは登り切ることの出来ない砂の坂を落ちることも登り切ることも許されないまま、ただひたすらに命が尽きるまでもがき続ける運命を背負ったままの毎日が続くのです
でもそれは苦しみではありません
今はもう話をする機会すら失ってしまった美しい背中のその向こうで、濃いめのアイラインに囲まれた意志の強さを感じさせる瞳がメガネの奥に隠されていると想像することだけが、今のわたしに許された最も幸せを感じられる瞬間なのです
ところが最近になって、この苦しみから逃れられる方法を見つけることが出来たかもしれません
きっかけは2ヶ月ほど前にわたくしを襲った衝撃的な出来事でした
もしこれが実現できれば、彼女も妻も傷つけることなくわたくしは最高の幸せを手に入れることが出来るかもしれないのです