はてなキーワード: ブラックボックスとは
これはある程度同意します。比較言語学で遡るのが可能なのはせいぜい数千年のスパンに過ぎず、それを過ぎると言語の変化が大きすぎて文献が残っていない限り系統の推定は困難になる。したがって日琉祖語がどこから来たのかという問題に完全な決着をつけるのは難しい。
だから、わからんならわからんでブラックボックスにしときゃいいんじゃねって思うんですよね。無理に「トランスユーラシア語族」とかでっち上げずとも、遺伝的な系統がわかればそれで十分じゃんって思うんですが。繰り返すように、血縁と言語の系統関係が一致するとは限らないわけで。そして後者は今のところ文系的な方法論でしか探索できない。
テュルク語族を見ればわかりますよね。トルコ人は中東っぽい彫りの深い顔立ちで、クルグズ人は日本人そっくりの平たい顔族ですけど、言語としてはトルコ語とアラビア語、クルグズ語と日本語より、トルコ語とクルグズ語の方が近い。それはゲノムではわからんから言語学の手法で解き明かすほかないわけですよ。
https://anond.hatelabo.jp/20211111231157 で紹介した文章ですが、以下のように国内の言語学者たちもゲノム研究を軸に研究を進めているのが現状だと思います。
うーん、「軸に」ではないと思いますよ。あくまで言語学というベースがあって、それでも説明できないところをゲノムでどう説明できるか、みたいなことを喋ってるんじゃないでしょうか。この座談会は全体として伝統的な言語学研究の話をメインに据えた上でちょこっとゲノムにも触れた、みたいな感じに読めました。
たとえばそこで言及されてる伊藤英人氏の研究は、元増田でも「蛇足だけど」の項で引用しましたけど、基本的にオーソドックスな文献学的研究ですし、木部暢子氏の研究も伝統的な方言研究ですよね(彼女が取りまとめた報告書はけっこうウェブに上がってます)。「国内の言語学者たちもゲノム研究を軸に研究を進めている」というのは言い過ぎでしょう。
ゲノムよりも重要なのは、個人的には、きちんと「日琉語族」内部の系統推定をすることですわ。きちんとした比較言語学の手法に基づく従来の方言分類の見直しが急務でしょう。琉球語群内部の系統についてはローレンス氏が沖縄語や与那国語、八重山語、喜界語といった諸言語の系統的位置についていくつも論文を書いていて(どれも日本語です。うち2本は元増田の参考文献に挙げました)、従来言われてきた系統樹を再確認したり修正したりしてますし、もっと大きいやつだと五十嵐氏による日琉語族の分類の見直しとか、そういった成果が出てきています。
これすごい重要で、琉球語が本土日本語の姉妹群なのか(五十嵐氏がいうように)九州語の内系統なのかで話が違ってきますからね。たとえば、Aという語が長崎と宮古島でみられ、東日本ではまったくみられず、大陸などからの借用語ではないとした場合、仮に琉球語が日本語の姉妹群なら「Aという語は日琉祖語に遡る祖型である」といえるんですが、琉球語が九州語の内系統なら「Aという語は九州語を特徴づける改新である」ということになるので、祖語の再構にものすごい影響するんですよ。だから本土の言葉と琉球の言葉を比較しようとしたらまず系統をきちんと推定した上ででなければ危ういと思うんですがそのへんの危機感があまり感じられないような……(まあ、これは門外漢による感想に過ぎませんが)
"Origins of the Japanese Language(2013)"
“From Koguryo to Tamna: Slowly riding to the South with speakers of Proto-Korean(2013)”
ヴォヴィン氏はアメリカ人ではなくロシア人ですが(それとももう帰化してるんでしたっけ?)、それはさておき、この2本は元増田でも(「蛇足だけど」の項で)言及してあるはずですが……? 既に言及済みの文献を改めてご提示いただくのは少々困惑します。
でもって、「高句麗から耽羅へ」ってそういう論文でしたっけ? 改めて読み返してみましたけど、日琉語が朝鮮半島の原住民の言語であり、朝鮮語は内陸アジアから南下して朝鮮半島に入り、日琉語を駆逐した、ということを主張している論文であって、日本語の原郷については触れてないように思うんですが……「日本語の諸起源」も遼河流域について触れてなくないです? むしろ、元増田で引用したようにアルタイ説を強烈にdisってるような。
っていうか、元増田への追記で書きましたけど、ヴォヴィン氏は最新の論文でオーストロアジア語族が起源である可能性を論じているわけで(以前からオーストロアジア語族への目配せはありましたよね)、遼河流域仮説を支持するなら一番持ち出しちゃいけない人物だと思うんですが……
他の論文や本はまだ読めてないんでノーコメントということで。色々教えてくださってありがとうございます。
niwaradi 門外から議論を眺めたが対象のスケールが違うのでは。素粒子実験物理の人が、基礎理論物理の人に観測もされてない粒子いっぱい持ち出して胡散臭いと言う話のように思えた。実験第一だが限界もある。
理論上の粒子はヒッグス粒子のようにいずれ実験によって観測できる可能性はありますが、「血統」をどれだけ使っても「言語系統」を観測することはできません。なぜなら「血統」と「言語系統」とは別だからです。……これってそんなに難しい話です?
アメリカに移住して百年過ぎた英語ネイティヴの日系人は血統的には日本人ですが言語系統としてはゲルマン系ですよね? ここで日系人の血統をいくら研究してもゲルマン語の原郷にはたどり着かないことは明らかですよね? つまり、「血統がわかれば言語系統もわかったことになる」というのは端的に論理が間違っているんですよ。
『卒論、どうなるんだろう…』
自分もその一人で進捗もまずいんだが、俺は心からヤバさを自覚で来てなくて現実からとことん逃げようとしてる。
何から話せばいいかわからないが、自分が今ラボでどんな状態かを説明させていただきたい。
テーマの目標が曖昧過ぎる、みんなに当初から「どう卒論としてまとめるの?」と言われ続けるも全く分からずもう11月へ突入。
当初予定していた、特注の機械を用いた先進的なこと(具体的には言えない)は共同研究先の不手際により多分もう不可能
それ以前に研究する材料の納品が半年以上遅れて、実験をかなりやらなければならないテーマなのに他のメンバーより初動がかなり遅れてしまった。
プロジェクト担当の教授が何もわかっていないせいで暴走しかけた。
しかもこのテーマは企業のノウハウに依存する部分が大きい、重要な部分がブラックボックス化してしまっている。
・配属後の自分について
研究の遅れをこじらせて鬱になり、一時期大学にも行けなくなった。(今は休みがちなもののコアタイム中は行けるようにはなっている)
しばらく精神科や大学のカウンセラーに定期的にお世話になってた。
そんな最中、院進学を決意してしまった。理由としては一応推薦入試が受けられるというので、せっかくなら受けて進学しようと思った。ただし研究室は学内の別のところに変えることにした。
今自分は色々実験という名の作業を行っているが、正直やる意義がわからないし面白味もない。
また自分は研究に不適合なのではという思いが強くなってきている(テーマが悪かったというのは大いにあると思うが、それを加味してもだ。
いろんな人にこれを言われ続けて半年以上たつけど、いまだに見失う。
ゴールが曖昧過ぎてそこまでの道が組み立てられない。
この間のミーティングも報告がかなりスカスカになってしまった(しないよりはマシだとは思うが)
進学先でどうなるかは知らない。なるようにしかならないと思う。
留学したいと進学先の先生に言ってしまったが私は耐えられるのだろうか。
友人がいないわけではないが、人付き合いが得意ではない。それを研究室生活で思い知ってしまった。
故郷にも帰りたい、ただクソ田舎県のため院卒はウケが悪いんだろうなあと思う。
話は卒論に戻るが、このままだと実験したことつらつら並べてテキトーに解析して『はい、何も得られませんでした~wwwwww』としかならない。
教授に俺の卒論どうなるんだと相談はしているがかなりあいまいな回答しか返ってこない
先輩方は『ここの教授はとりあえず卒業はさせてくれる』とはいう。ただ自分が限界を迎えてしまう可能性が高い(それを防ぐためにあまり研究室に居残らないようにしてる)
俺どうなっちゃうんだろうなあ…そんなことがもう夏休み明けから頭を渦巻いている。
留年したらもうしちゃったでもういいかな、そう思う自分がいるのも事実だ。
この問いは卒論が終わるまであと数か月頭をよぎるんだろうな。
引継ぎの後輩は、俺みたくならないでほしいが先輩曰く『お前の状態誰でも病むわ』って言ってたので避けられないだろう。多少状況がマシになっているとはいえ(材料がある、それだけでも自分にとってはかなり恵まれていると思う)
定期的にここに自分の思いこんでいることを書いて行こうと思う。
タイトルの通り、コンプガチャを揃える確率の変化形のような問題なのですが解説していただけるとありがたい。
くじが33本があったとします。そのうちの9本が当たりくじであり、当たりは各個区別され一度引いた種類の当たりは記録しておく。
一回につき2本引くこととする。クジは引いた後に戻される。
また一回引くごとには「はずれのくじ」が一本追加される。つまり、たとえば二回目には34本の中から当たりを引かなければならないということだ。
このようなくじにおいて、n回引いた時点で初めて全種類の当たりくじを引いたことが記録されている確率はいくつだろうか?どういう風に考えて立式していけばよいのだろう?
なんて質問を某サイトに挙げたがどうしてこういう疑問を投げかけざるをえなくなったのかにはもっと業が深い問題が絡んでいてかつ長文なのでここに書く。
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ネット上にはクリエイターに月々お金を払うとその対価がもらえるパトロンサイトと呼ばれるサービスが存在する
私はイラストが好きで特に好きな作風の作者に対してそういったパトロンサイトを通じてお金を払うという形で支援をしている。
そのなかで複数のパトロンサイトにまたがって受け口を用意している作者がいる。
支援期間において一か月ごとに閲覧可能な作品がまとめられているのはどのサイトでも同じなのですがそれ以外のところで少し事情が異なっている。
entyというサイトでは支援していなかった月の作品を見るにはその月支援していた人が払っていた額と同額を支払うことで、バックナンバーの購入という形をとるようになっている。
しかしentyでは作者は2021年2月以降のバックナンバーを用意してないのだ。
一方fanboxというサイトではそれを補うようにして、支援した人限定で閲覧可能なページの中に、作品が置いてあるドロップボックスへのリンクが貼ってある。
その月の作品が置いてあるリンクと、2019年以降の過去作品が置いてあるリンクを「ランダムで2か月分」だ。
また閲覧可能なページの中に記載されているリンクは一か月ごとに入れ替わる。たとえばある月に支援を始めた人に対して、翌月から支援し始めた人は、その月の作品は当然閲覧できるが、先月分も含め過去の作品が見られるかというについてはランダム性にかかっているのだ。
しかもどの月のもの選ばれるのかという対象範囲は、一か月経過するごとにひと月ずつ増えていくことになることが分かると思う。
つまり、前述の問題におけるくじ33本というのは2019年1月から2021年10月までの期間に対応する。ランダムで2か月分見られるということはくじを2本引くことと一緒だ。
当たりが9本というのはバックナンバーとして買えない月である2021年の2月から10月という期間に対応する。それ以前の月はバックナンバーとして購入すればいいだけなので、いわば「はずれ」なのだ。
またはずれが一本ずつ増えるということは、たとえば11月から支援を始めた人にとっては翌月になると、11月の分も「ランダムで選ばれる2か月分」の対象になりますが、その月の作品へのリンクは既に知っているのでそれが選ばれた場合も「はずれ」ということになる。
ようするに確率に興味を持った背景が長々としていてしかも問題を把握する側にとっては本質的な情報がそのうちの一部であるため、くじを引くという形に単純化して質問するに至った。
つまりひと月3000円かかることもあり、一体過去作品が全部閲覧できるまでには何円かかるものなのだろう、何ヶ月かかるものなのだろうと心配になったのだ。
そもそも規制されたコンプガチャだって100回に1回はそれなりの確率で当たる計算だしアマチュアだからってこんな舐めた商売が許されるのだろうか。
嫌なら金を払わなければいいというのはいわゆる絵合わせさせる食玩も同じだ。しかしあれには絵合わせすることで得られるものには価値を見いださず絵(たとえばカードという形態である)自体に価値を感じて購入している人もいたわけだ。それでも規制された。
これを逆に考えれば、絵師の作品というのは「全ての作品を持っている状態」に一定の価値を持つ層がいてそのために支援を続ける人がいるわけで、しかしその状態に持っていくには何百回何百ヶ月と試行しなければならないのだから、やはりこれもコンプガチャの類型として問題視されるべきではないかということだ。
どのような期待値なのかもわからない不安のなかで諦めの目安もつけられなくなり支援者を縛り続けることが問題なのだ。コンプガチャもまた確率的なブラックボックスのなかで購入者を錯乱させていたように。
政府のクラウド関係のコメントについて、企業向けと同じ感覚のコメントが多く気になった。
別に詳しいわけではないので想像だが、政府と一般人や企業視点とは違うだろう。
米軍事企業から購入している武器の情報については、同等のセキュリティが求められるはずである。
「軍事向けの規格に合格しているクラウド業者に情報を置くこと」と契約に書かれた時点で、国内企業の選択肢はハードルが上がるのではないだろうか。
日本の民間企業は軍事に関わることを避けていること、規格に合格しているかどうかの判断が米国あたりがハードルだろう。
そもそも合格が取れるのか?取りにいったら全部の情報開示しろと米国政府から要求されるのではないだろうか。
一般企業が使っているクラウドの領域と、政府系クラウドではもちろん分けられているはずで、スケールメリットがないため、政府クラウドは価格が高くなると考えるのが普通だろう。
データセンターが日本国内にあったとしても、重要な部分は米国企業内で開発、ディスク不良といった手のかかる部分のみ日本国内から人員配置されるが、
イージス艦などを購入しているのだから、クラウド料金も追加で払うのも構わないという話もあるかもしれない。
防衛費がGDP1%を維持しているが、クラウドにかかっている料金は別会計で毎年値上げされるとか、いざ国内クラウド業者に移動となったときにデータ移行料をボラれるとか、色々あるだろう。
2つ目は、米国政府からの日本政府情報の開示請求があったときに、米国企業は断れるのか?
日本国内のデータセンターと米国内データセンターで常にデータが同期されており、米国政府からは丸見えというのは考えられないだろうか。
どうせ米国にはダダ漏れなのだから気にしてもしょうがないという意見もあるだろうが・・・。
3つ目は、税金使うならノウハウ持ったほうがいいのではないか。
いざというときに言いなりになるだろう。
STEM、DXなどバズワードでは、理系と文系という分け方がされるが、重要なのはおそらくそうではない。
数学や物理では、学校が紙での試験を前提としているため、コンピュータを使うことを前提に出来ないため、いざコンピュータで計算させようとすると躓く。
また逐次処理になりやすく、物理的な演算回路を複数持った場合に使いこなせるかという視点があまりない。
Wordやエクセルといった事務処理だったり、1つのパソコンの中に限定する処理になって大量のコンピュータを使いこなすという視点がない。
またライブラリの使い方といった、長期的に差別化出来ないものに時間を割いてしまっている。
Google、Facebook(Meta)、Amazon、マイクロソフトとも、サーバーという大量のハードを持っていることが差別化要因となっている。
サーバーの規格化を進め、価格競争をさせ、他社の競争力を阻害するといったことにも力を入れた。
インテルCPUのセキュリティ脆弱性を暴露するといった価格交渉に有利になるようなことも欠かさない。
TPUのようにクラウド上にあってサイドチャネル攻撃が確認しにくくするといったことも欠かさない。
日本が間違ったのは、ソフトウェアが差別化要因の時代になった、ハードは時代遅れでソフトやサービスにこれからはシフトしなければならないと、バランスを欠いたことだ。
先端の半導体は作れず、国内需要も作れないので設計する技術もなく、振り回されっぱなしになっている今の日本を見れば明らかだ。
サーバーもデータも大量に持っている所でないと、投資する意味がない。
また先の企業からすると、機械学習の流行が終わっても、工場のように限定されたハードではないし、通信でつながっているため他への転用が可能だ。
世の中の変化は速くなっているというが、革新的な技術は数年かかっている。
大量にサーバーを持っている企業からすると、機械学習が成功しようか失敗しようがどちらでもいい。
自社内で他の革新的な技術に注力している間に、他社の研究結果の成果が花開いたとしても、大量のサーバーが必要になるので、結局自社サーバーの顧客となる。
商品が売れなくなった時代に、研究費用から稼ぐ手段を持ったという側面もあるだろう。
自社から優秀な研究結果が出てこなくても、他社や大学から研究結果が出てきたら結果を取り込める。
OSに関してはCPUやGPUといったハードを持てなかったので育てることも出来なかった。
RISC-Vでワンチャンという議論を見ていると、CPUの演算部分のみ議論しており、デバッグやトレース周りの議論がない。
TRONに関しては、OSとしてはカバーする範囲が狭すぎて自力で実装しなければならなかったり、
ハードの差を吸収するだけの開発力がなかったりで、結局失敗したのだろう。
設計に関するソフトについては、Web、ゲームエンジン、CGソフトといったソフトを作るためのソフトや、
ソフトが対応していないから製造できないという状況が起こり、ソフトの修正を依頼するとノウハウや差別化要因が漏れる。
自国内で閉じないため、主に米国ソフト企業のライセンス料の上昇についていくことができず、設計すらできなくなった。
表現の自由があるため、政府が出版業界に支援政策を出すのは困難なのだと想像している。
漫画といった市場に任せておけばいい分野はいいが、産業や国力に長期的にはつながるが売れない分野は持続できなかった。
紙でも電子書籍でもいいが、産業で役立つ内容を出版出来ず、ブラックボックス化した。
株主向けの情報は流通するが、技術者向けの情報は流通しない。情報がないから大学での研究もされない。
日本国内の半導体業界団体としての活動も活発ではないため、業界紙も出版されない。
他の業界についても同様だ。
生物系のように数千ページある洋書が定期的に更新され、その翻訳本でカバー出来る分野はあるが・・・。
中国での書籍を見ていると、産業界に近い書籍が大量に出ていることがわかる。
そして中国で出版された書籍を翻訳できない、売れている書籍情報すら把握出来ていない状況が、今の出版業界の限界を表しているのだろう。
政策を検討する会議に呼ばれる人物が、メディアでよく取り上げられる人しかない。
情報収集能力がないのか、それとも個人情報だからと政府がわざと把握してないからなのかはわからない。
政府がプロジェクトを立ち上げるのであるから、そこには解きたい課題があり、ゴールがあり、それに必要な人・金・リソースがあるはずである。
日本は、国の威信をかけた失敗できないプロジェクトの経験が少ないのか、避けているのか、下手だ。
「高齢者も若者も生き生きとした社会の実現」といった、曖昧なゴールを設定する。
(数字を出すと延々と議論し収拾しない、日本の持ってる問題もあるだろうが)
キャッシュコンバージョンサイクルは、簡単に説明すれば、原料などを仕入れるのにキャッシュを払ってから商品を売ってキャッシュを手にするまでの時間のことをいう。
Amazonはこれがマイナスで、マーケットプレイスへの支払いを極限まで遅らせるといったことで実現している。
これの何がいいのか。
企業からすると銀行から借りずに手元に自前のキャッシュがあるという状態で、投資をしやすい。
また雑な言い方だが、倉庫に入ってる商品は既にキャッシュになっているということで、商品の返品といったリスクを取ることができ、顧客満足度向上につながっている。
飽きというのは強い原動力となるので、四六時中ニュースサイトを見、SNSで絶えず新しい何かを目にするようになった。
フェイクだろうがなんだろうが、飽きることよりも刺激的だ。
ここ最近、Excelで作られたデータや簡易的な業務ツールが「けしからん」という空気をひしひしと感じている。
サイ○ウズとかがいかにもExcelは悪というCMを流して自社製品への誘導を企んでいる。
そういった類の「Webデータベース・ノンプログラミング開発ツール」が隆盛を極めている状況だが、実のところExcelの様に柔軟にエンドユーザーが何かを作れる仕様にはなっていない。
Excelを5年くらい使っている人が作ったファイルをそういうツールに乗せ換えようとすると、「出来ない」事が多すぎてすぐに頓挫してしまう。
ExcelにVBやAccessを組み合わせようとして難易度が跳ね上がるのとは真逆の、「低機能で作れない」という状態に陥るのだ。
そしてサービス提供会社は「専任のスタッフが開発代行するなら30万円です」「追加でDBを構築する必要があるので○○万円くらいは必要かと」とか言って来る。
あのな、「簡単に出来ます」っていうならせめてExcelくらい柔軟にノーコード、ローコードで開発できる環境を提供しよろタコ。
もしくはクラウド系の経費精算や売掛管理サービスと同等レベルのプリセットくらい最初に用意しておけ。そこから自社用にカスタマイズ出来て初めて「便利」だろうが。
「Excelはファイル作った人が居なくなったらメンテ出来ない」って言うけど、そんなの内製化したアプリなら何だって同じ。担当者が居なくなった時点で一時的にブラックボックスになってしまう。
Excelが悪なら「Webデータベース・ノンプログラミング開発ツール」だってすべからく悪だ。ツールの内製化には死を。クソDXは地獄に落ちろ。
やまなみ工房という障碍者福祉施設があってそこに通う人がリハビリがてらに描いた文字を羅列しただけの絵に100万だかの値がついてる。
割と時間をかけた力作もあるがそれでも300万とか400万とかいう値がつくのは行き過ぎではないか。
他にもNFTだかいう技術の波に乗って小学生がWindowsのペイントで描いたようなクオリティの絵が万単位で売れていく。
その小学生は数か月で300云十万稼いでいる。どうにも海外の有名人の目に留まりSNSのアイコンに作品の一つが使われたことによって価値が爆上がりしたらしい。
俺はなんでも鑑定団をよく見るがあの番組では芸術に文字通り生涯を捧げた人達が紹介される。
画材などに財を全てなげうって、食べるものも切り詰める清貧の生活の中で芸術家として大成していく様が伝えられる。
そんな人が描いた絵なのに、たとえ本物でも「150万円」という鑑定額だったりする。
前はそれを安いとか思ったことはなかったが今の風潮に照らし合わせると過小評価な気がする。
あるいは逆か。障害者の描いた絵が数多の芸術家達の歴史を踏まえず評価されすぎているきらいがあるように思える。
なんで芸術家と比べてしまえば本気度が低いに決まってる人たちが悠々自適に描いた絵に悠々と大金をかっさらっていくのか。これでは芸術家が報われないのではないか。
別に「障害者が作り出すものは劣っている」とか言いたいわけじゃない。障害者どころか健常者の平均的な画家と比べても、なんでも鑑定団で特集される芸術家の芸術に捧げる熱量は、比較にもならないだろうが。
まあ作品が一品物だからということもあるわけで、たまたま金持ちがその障害者の絵を気に入ってそういう金額が買い取ったというだけの話かもしれない。
つまりそういう金額は一個人にとっての価値であるだけで、客観的な価値を反映したものではないのかもしれないというわけだ。
「客観的」という言葉を途端に胡散臭く感じるだろう?「『客観的な価値』ってなんだよ」と言いたくなるだろう?
脱線するがアレイスタークロウリーなる魔術師を自称した実在の人物は法の書という出版物のなかで「真の意志」という概念について説いている。
「真」という言葉も、客観性と同じようなうさん臭さを持っていると思う。
たとえば惰性で好き勝手に振る舞うことを真の意志とは異なるというようなことが書かれている。でも見方によっては、好き勝手に振る舞うとは何かしら律するものの影響下にないということで、そこで発現されている行動はありのままの意志の反映なのではないのか。
ありのままを「真」という言葉で言い替えれるとするなら結局それはそのまま真の意志という概念に対する反論になる。
それを退けるためにはこのような「ありのまま」が真というものに対する言い替えとはならないわけとともに、では真という言葉は具体的にどのような性状を指しているのかを説明する必要がある。
真とか客観とかいう言葉を使う人たちは往々にしてそこらへんを「当たり前のもの」として、分かっているものとして論を進めてしまうから胡散臭いのだと思う。
とはいえ、こうも当たり前のように客観とかいう言葉が飛び交っていると、その中身は素人にはブラックボックスながらも客観というもの自体は幻想ではなく確かに存在すると思うことこそが妥当で健全な生き方なのかなとも思えてきてしまう(こういやって長いものに巻かれる感じで客観や真などのような概念の存在を信じることにしたのは俺だけだろうか?)
俺は気象学が好きでその勉強をしているなかで「予報精度はモデル計算の不確実性に依存する」という文言が出てきたのだが、まあ不確実性って言葉もまた客観とか真という言葉と同等なあいまいさ、抽象性を帯びているったらない。
そりゃ人間が作ったモデルは現実の物理法則に完全に依拠したものではないだろうことはわかるが、不確実性って単語一つで言いくるめられてもしっくりこないわけよ。それでもまあ「モデル計算の不確実性」が在るものとして、そらんじれるぐらいに自分にとって真実になるように努力するわけ。科学的な文脈で語られていることまでいちいち無いものとして疑ってかかるよりも、とりあえず丸呑みにする方が妥当な態度な気がするから。学術的な文脈でも「客観」という言葉をよく見るから、とりあえず客観というものは存在するものとして妥協しておくというのと同じ。
話を戻すが、たとえば俺がモナリザとかひまわりを価値ないといったところで、それらの絵画の価値には微塵も傷がつかないだろう。
そう言うときの価値が客観的な価値だ。逆に言えば、一人の人間がいくら熱狂的に特定の絵を愛して大枚を叩いたところで、ただちにその絵の客観的な価値がそれに相当する客観的価値をもつものとして裏付けられるわけではない。個人の好き嫌いと客観的価値はいうまでもなく独立したものであるはずである。
ダヴィンチとかピカソみたいな大芸術家、あるいはバンクシーも含めてああいう人たちに作品の絵の価値は客観的価値を反映しているといえる。
それは同じ絵が(何度も)オークションにかけられるという過程を経てその経済的価値が民主主義的に固まっていっているからだ。これを実勢価格ともいう。
一方で障害者の絵に対するにわか景気はある個人にとっての価値の反映でしかない。それを指標としても客観的価値は見えてこない。
だからまあ結局、このような状況は五体不満足な障害者にせめて富がもたらされる機会が作り出されているだけであって、芸術家より評価されているというわけではないから、まあ誰も(故人も含めて)実体的そして精神的な被害者はいないからこのままでいいかなと思う。
これやっといて(ドン!!!!!
具体的な指示がこれだけ
見たこともない書類だったので、これ何ですかって聞いたら交通費の計算をしてほしかったらしい。じゃあそう言え
しかし計算をしようにも弊社で適用しているガソリンの単価が分からないので、単価を聞いたら教えてくれた。じゃあ先に教えろ
計算してみたところ、金額は分かったが後ろに洗車の領収書まで付いてたので、この洗車の代金は何ですかって聞いたら洗車の代金って言われた。そんなことは知ってる
この代金も足せばいいのですか、と訊ねてみたら合計金額を書けと言われたので合計金額を書いて確かめてもらって、やっと仕事の一つが終了
主語と述語と目的語の概念が抜け落ちてんのか。やっといてじゃねーんだよ。新人にやっといてで通用するわけねーだろ
こんなしょうもない計算するのに何ステップ踏んだと思う?4ステップだぞ?不器用な親子のキャッチボール劇をやりたいわけじゃねーんだよ
その割になんでExcelの使い方はやたらと丁寧な説明なんだよ
ここは数式が入ってるから弄らないでねって、確かめてみたらA3のセルに=A1+A2って入ってるレベルじゃねーか。関数ですらねえぞ
ブラックボックス化してるのかと思ったら、むしろなんでここ関数使わねえの?ってレベルばっかじゃねーか逆に説明要らんわ
しかもExcelの説明は丁寧なのに専用ソフトの使い方は何一つとして教えてくれねーからこっちの方が苦労してるわ
保存、とか取消、ぐらいは言葉から読み取れるけど、そもそもどこに何の機能が置いてあって何が出来るのか分からねえから下手に触れないし
完成形を知らないからどこまで行ったら完成なのかも分かんねえし、ホントなんなの。周りに質問しまくって1か月ぐらいかけて、ようやく理解できたぞ
そら取り扱い方によっては約束破ったって言われるよ。
戦争相手の捕虜に対する取り扱いですら人道から反すれば責任問題になんねんで?
問題はその取り扱い方が現状では完全にブラックボックスになってるってことや。被害者家族に開示された分の映像の口伝えしかない。