はてなキーワード: ヒューマンとは
Society5.0とは、内閣府が提唱している未来社会であり、
狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く第5のパラダイムらしい。
https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/index.html
これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。
Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。
あのさ、普通の人は、たぶんそれを第5の社会だとは解釈しないよ。
これって単に、第4のパラダイムたる情報社会が不完全だって言ってるだけじゃん。
IoTだとかAIだとかって、それまさに情報社会の一要素だよ。
単純に情報社会が完成されていないだけだよ。まずはSociety4.0を目指しなさいよ。
だいたいさ、IoTだかAIが完成したとして、それって農業革命、産業革命、情報革命に匹敵するパラダイムシフトと言えるわけ?
単なる技術的な落差の話じゃないよ。
内閣府自身がSocietyと言っているように、技術によって社会の在り方、生活スタイル、倫理や規範意識までもががらりと変わってしまうのがパラダイムシフトなんだよ。
そういう意味でもやっぱり、今はまだ情報革命の途中だと捉えるほうが普通の考え方だと思うけど。
次のパラダイムシフトと呼べるものがあるとすれば、遺伝工学か生化学が発展して情報工学と結びつき、生態としてのヒトが変わってしまうほどの大転換、いわゆるトランスヒューマンくらいの変化でないと狩猟→農耕→工業と同レベルとは言えないでしょ。
○朝食:ずんだ餡+おもち(二つ)
○昼食:お椀で食べる出前一丁、カラムーチョ、バタークッキー、栗餡+おもち(三つ)
○間食:みかん(10個ぐらい、もうなくなった。箱で買いに行く)
○調子
はややー。
連休2日目は、オレンジイズニューブラックという海外ドラマを現在公開されてるシーズン6まで全部見た。
シーズン4あたりからかなり辛い展開が多かったのだけど、シーズン6はかなりスッキリする終わり方で、とてもよかった。
僕こういう「誰かが意図してやったわけじゃないことによって、事態が好転していく」という展開にたまらなく弱いし、
その「意図していない具合」と「事態の好転」の因果関係がゆるくて且つ、登場人物たちがそれを把握していないの、とても「物語」していて大好き。
個人的に、それの最たるものはチュンソフトの街というゲームの、ラストシーンに上がる花火なんだけど、
このシーズン6の最終話もそれに近いぐらいいい終わり方だった。
ただ、シーズン7も予告されてて、そこでついに完結するらしい。
ううむ、早く見たいぜ!!!!!
●iOS
○グラブル
今日は先日加入した、アルタイルくんのレベル上げと、ティア銃のレベル上げをした。
デバフ役 としても、バフ役としても優秀で、水のフロントととしてかなり活躍できてる。
見た目も格好良いけど、この人なんで羽根はえてるんだろ。種族的にはヒューマンみたいだけど、何か悲しい過去とかがあるのかしら?
[男]闇金融ウシジマくん>宇津井
20年ほど前のオタクなら誰もが持っていた、「自分たちは異物・はぐれ者」だと認識は完全に消失している。これだけで十分「帝国化した」と言える。
「帝国」は無意識に「弾圧」を行う。件のコミュニティが荒らされたのは、彼のコミュニティが「帝国」に「弾圧」を受けたことへの報復だろう。
そのことについて一切言及されていないし「帝国」のメディアが取り上げることもないだろう。
今古臭いヒューマンドラマやクライム・バイオレンス・ガンアクション・・・等々は「90年代の古代帝国文明」となってしまった。映画になっても誰も見向きもしない。
「新帝国」である「アニメオタク」が今無意識に駆逐しているのである。しかもものすごい勢いで。ハードボイルドなどもはや絶滅危惧種だ。
しかし「オタク帝国」に反逆するのは「スマホを使うな」と言っているのに等しく、まさに「非現実的」である。オタクの好む「非現実的世界=スマホを通して見る世界」こそが
電気もガスも民営化してるしなに大騒ぎしてんの?って人がいたので書いとく
水には電気とガスと全く違うところがある
一体なんだと思う?
それは口に含むという点だ
口に含む、飲むってことは人の命に直結してる部分
致命的なミスが起こると人死に、それも大量の人死にが出る
民営化すると価格競争が起こりコスト削減が行われ安全を確保するための準備や手間、そういった目に見えない部分が削られていく
そういった部分を削った後に人件費が減らされ、内部の人が疲弊し、ヒューマンエラーに繋がっていく
これらはメーデー!をご覧になってる皆さんにはよくお分かりかと思う
だからそういった人命に関わる部分のコスト削減、民営化は慎重にならなくてはいけないんだ
わかったか?
美しい物語が好きなら、読んでびっくりしてくれ。伊藤計劃、神林長平がでてるのに何で入っていないのか……。長久遅筆型作家だが出す度SF大賞かっさらう、日本の文系SFの極北。
ぜひ、グランヴァカンス読んで「まあまあ普通だな」とおもってから、ラギッドガール読んでほしい。
短編集「自生の夢」は、進化しすぎたGoogleとATOKの中で生きる人類がある日いきついてしまった底を描くSFでしか読めない表題作が素晴らしい。
今年16年ぶり長編新作の零號琴は、どうせなにかでかい賞をとるので今読んどくとでかい顔ができる。
ある宇宙の一角で特殊な楽器を扱う専門家の主人公と強化人間で美少年の相方の冒険もの……。というプロットなのはまちがいないんだけど、そうおもって読み始めるととんでもない目にあう。
音楽を小説で表す、というアプローチをここまで圧巻の描写で繰り出してしまうの、本当に体験型小説の白眉。ここだけでも書籍代以上の価値ある。
しかし、それだけで終わらない……。ちょっとネタバレするとクライマックスは、この世で最も美しくグロテスクで豪華絢爛なオタク悪ふざけ小説、になります。
ゴレンジャーとかまどマギとかプリキュアとか女体化とか男の娘とか出てきて、最終的に更地になる。
SFにしかない、へんな本だよ。テーマはおそらく「ジャンル小説が生まれてくるときの動機」。
もう少し気軽なのだと、「トランスヒューマンガンマ線バースト童話集」三方行成。
トランスヒューマン=強化人間がいる世界で、ガンマ線バーストがでてくる、シンデレラとか竹取物語とか白雪姫とかがよめる。
みんなが好きな甲殻機動隊もでてくる(誤字じゃないよ)
行を使い切ってしまった。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の体制を敷いた。
あらすじ的には『プーさんと大人になった僕』みたいな「少年時代から数十年後……」なやつで正直芸がないなという感想だが、やはり布陣の豪華さで眼を惹いているのか、各種オスカー予想サイトでも好位置につけている。
リベラル派の英雄ルース・ベイダー・ギンズバーグ最高裁判事の伝記映画。
正直、作品としての評価はそこそこ止まりなのだが、題材のタイムリーさで群を抜いている。
ここ一二年の受賞傾向から読み取られるように、オスカーは政治の場でもあるので、政権へのメッセージとして名誉枠的にどこかしらの部門でノミネートを受ける可能性はある。
アカデミー賞の常連コーエン兄弟の最新作。元はネトフリのドラマ用に書いた6つの短篇をむりやり一本の映画にまとめたオムニバス的西部劇。
ヴェネツィアでは好評を得て脚本賞を受賞したものの、ネトフリ映画はオスカーでは弱い。ROMAとは違って長編でないことも致命的。
ちなみに日本のネトフリではもう見られるようになっとるぞい。観よう。
オールアジア系キャストでボックスオフィス第一位におどりでてハリウッドに衝撃を与えた金持ちラブコメ。
多様性という観点でいけば黒人映画やLGBTより恵まれていないアジア系英語映画も推されてしかるべきだと思うが、「内容的にはありきたりのロマコメなんで」と言い訳されて回避されそう。
去年の『ビック・シック』のクオリティでさえ作品賞からは外れたしな。
The Hate U Give(ジョージ・ティルマン Jr. 監督)
ヤングアダルト向け小説が原作ながら人種差別に関しての深い洞察が話題を読んだ伏兵的作品。
裕福な白人の子弟が通う高校で自分も「白人的な振る舞い」をしながら友達付き合いをしている黒人の少女が主人公。彼女は幼馴染の少年が警官から理不尽に射殺される場面に出くわしたことがきっかけで、自分の置かれた状況と社会に対して疑問をいだき始める。
批評集計サイト RotttenTomatoes.com で195名の批評家が軒並みポジティブなスコアを与えて支持率100パーセントを記録した作品。去年の『レディ・バード』を彷彿とさせますね。
PTSDを抱えるイラク帰還兵の男が幼い娘と森の奥で世捨て人のような生活をしていたら案の定福祉局に見つかり、真人間として暮らすように強制されるとかなんとかで始まるヒューマンドラマ。
こういう「ロトゥン・トマト・パーフェクト」なインディー映画は『レディ・バード』みたいに配給によほどに力がないかぎりは作品賞ノミネートまでこぎつけられないが、一方で最近のオスカーがインディー作品に対して温かいのも事実。
監督は『ウィンターズ・ボーン』でそれこそインディー低予算映画を作品賞にねじこんだ経験があるだけに、ありえない線ではない。
自分のブログにでも書こうかなと思ったけど、だいたい https://www.metacritic.com/pictures/oscar-best-picture-contenders-for-2019?ref=hp からのパクリだしそんなに力いれて調べてないので増田に放流します。
本命は『スター誕生』、『BlacKkKlansman』、『グリーンブック』あたりか。ノミネーションだけなら『ファースト・マン』や『女王陛下のお気に入り』も。
今年のカンヌで『万引き家族』の次点でグランプリを獲得した、黒人映画永遠のトップランナーの最新作。
黒人なのにKKKにもぐりこんでしまった潜入捜査官の実話を描く。
スパイク・リー監督作のなかでは『ドゥ・ザ・ライトシング』や『マルコムX』をも凌ぐ評価を獲得している(そして興行的にもここ十年で自己最高)。
公開時期が夏季であることと、ややコメディよりのタッチがノミネーションに不利に働くかもしれないが、トランプ政権下において「ブラック・リブス・マター」運動はまだまだ意気軒昂。「黒人映画」枠競争を勝ち抜くポテンシャルは十分だ。
ブラックパンサー(ライアン・クーグラー監督)
解説は不要だろう。今年米国内で最高興収をあげた作品にして、マーベル映画史上でも最も支持された傑作ヒーロー映画。
アメリカ国内外の黒人問題や歴史的視点にめくばせしてオスカー好みの社会性もばっちり備えているものの、やはり「アメコミ映画」のレッテルがネック。
まだまだ白人・男性・おじいちゃんが大勢を占めるオスカー会員にあっては弱い。ギリギリノミネーションがあるかどうか、といったポジションだろう。
余談だが一時期新設されそうだった「ポピュラー映画賞」部門はブラックパンサーを受賞させるために作られるのだという噂だった。裏返せば、作品賞本選に選ばれる格ではない、と会員からみなされているのだろう。
Can You Ever Forgive Me?(マリエル・ヘラー監督)
落ち目のライターが有名人の手紙や文章を捏造して高値で売る詐欺に手を出し、それが嵩じて博物館から実物を盗みだそうと企む実録犯罪コメディ。
日本ではあまり知られていないけれど主演のメリッサ・マッカーシーはアメリカで今いちばんアツいコメディアンのひとり。
夫のポール・フェイグと組んで『ブライズメイズ』、『SPY』、『ゴースト・バスターズ(リメイク版)』などの陽性の笑いでヒット作を飛ばしてきた。
そんなマッカーシーが一転してシリアスでブラックなコメディに挑戦し、見事大成功。本年度の主演女優賞ノミネートが確実されている。
演出したヘラー監督の手腕も高く評価されており、初の監督賞ノミネート、さらには作品賞も夢ではない。
とある気難しい現代っ子少女の中学生活最後の一週間を描いた青春コメディ。
中学生版『レディ・バード』にもたとえられる(中二病的な意味で)痛々しくも切ない、みずみずしくもどんよりとしたフレッシュなローティーンライフの描写が広範な支持を集めている。
監督は若干28歳のコメディアンで、なんとユーチューバー出身。アメリカ映画界における新世代の台頭を予感させる一本。すでに数多くの映画祭や映画賞にピックアップされている
オスカーはコメディを敬遠する一方で、サプライズ的なインディー作品を好む傾向にあるが、はたしてこの作品の出目は吉とでるか凶と出るか。最悪でも脚本賞ノミネートは固いか。
『ロブスター』、『聖なる鹿殺し』と強烈かつキテレツな作風で知られるランティモス監督最新作にして初の時代劇。
アン女王を演じるオリヴィア・コールマンを巡る二人の家臣(レイチェル・ワイツとエマ・ストーン)のバトルを描く百合時代劇……たぶん百合だとおもう。
すでに巨匠の地位を確立したランティモス監督の過去作のなかでも群を抜いて評価が高く、今年のベネツィア国際映画祭でも第二位にあたる審査員賞を勝ち取った。オスカー前哨戦となる各種賞レースにももちろん名前を連ねている。
今年の本命作のひとつとも目されるが、ランティモス特有の変態さ加減が(今回は脚本までは書いてないとはいえ)どこまでお上品なオスカー会員たちに受け入れられるか……。
『ラ・ラ・ランド』で幻の作品賞受賞というなんともかわいそうな結果に終わった(それでも本人は史上最年少で監督賞を獲っているが)デイミアン・チャゼルとライアン・ゴズリング。
そんな彼らのリベンジマッチが実録宇宙開発物語『ファースト・マン』だ。人類で初めて月面に降り立ったニール・アームストロング船長にスポットライトを当て、彼の視点からドラマを描く。
企画段階から作品賞ノミネートは当然、という空気のなかでプレッシャーを跳ねのけて見事高評価を集めた。ノミネーションはほぼ確実といっていいのではないだろうか。反面、今度こそ受賞なるかというと、今ひとつパンチがきいてないようで不安が残る。
オスカー前哨戦の最も重要とされるトロント国際映画祭で観客賞に輝いた作品。ここ十年で同賞を得た作品でオスカー本選にノミネートされなかった例はたった一回しかないのだ。
黒人差別が法的に是認されていた時代のアメリカで、自分もちょっとレイシスト入っている用心棒の白人男が南部へコンサートを開きに来た黒人ピアニストを送迎する仕事を命じられる。最初は「黒人のくせに上等なスーツを着てお上品にピアノなんぞひきやがって……」と反感を抱く用心棒だったが、行く先々で差別待遇を受けるピアニストに対してだんだんシンパシーが湧いてきて……という内容。
ほろ苦くもユーモアとメッセージ性に満ちた内容はまさしくオスカー好み。「分断されたアメリカ」というテーマのタイムリーさもある。ちなみに監督は『メリーに首ったけ』などのロマコメで知られるファレリー兄弟の兄。このところは過去のヒットコメディのリメイクなどで仕事に恵まれなかったが、もともと潜在的に持っていた社会派なセンスが一挙に花開いた。
If Beale Street Could Talk(バリー・ジェンキンス監督)
『ムーンライト』で一昨年の作品賞を獲得したジェンキンスの最新長編。今度こそはチャゼルにかっさらわれた監督賞もいただいて完全制覇を目論む。
原作は今年日本でもドキュメンタリー映画『私はあなたのニグロではない』が公開された、黒人小説家ジェームズ・ボールドウィンによる短篇。濡れ衣をきせられて収監された夫を助け出すために奮闘する若き妊婦のお話。
テーマの重厚さも話題性も十分だが、公開が当初予定していた11月から12月にのびたことが若干きがかり。クリスマス狙いのブロックバスター大作のなかで埋もれてしまう恐れがある。
Mary Queen of Scots(ジョージィ・ルーク監督)
互いにイングランド王位をかけてあらそったスコットランド女王メアリーとイングランド女王エリザベス一世を、それぞれシアーシャ・ローナンとマーゴット・ロビーという旬な女優が演じる。
脚本を担当したのは『ハウス・オブ・カード』や『スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』などの現代政治劇の名手、ボー・ウィリモン。
いずれもオスカーノミネーション歴を有した名前ぞろいでクオリティも保証されている。同じくイギリスを舞台にした時代劇である『女王陛下のお気に入り』がライバルか。
ROMA(アルフォンソ・キュアロン監督)
世界的に見れば今年最も評価の高い映画といっても過言ではない。ベネツィア国際映画祭の最高賞。
1970年のメキシコ・シティで家政婦として働く女性とその一家のドラマをモノクロで撮る。
評価の高さと『ゼロ・グラビティ』でオスカーを獲ったキュアロンの知名度があれば当然作品賞も……となりそうなものだが、障害は多い。
まずスペイン語映画であること。長いオスカーの歴史のなかでこれまで十作品の外国語映画が作品賞にノミネートされてきたが、受賞にいたったものは一つとしてない。
次に Netflix 映画であること。カンヌみたいに公に締め出すことはしないにしても、アカデミー会員のなかでも動画配信サービス勢に対する反感は根強い。一昨年の『最後の追跡』やドキュメンタリー作品を例外として、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』『マッドバウンド』といった作品たちもその年最高クラスの称賛を受けながらもオスカーノミネートには至らなかった。
いちおうネトフリも『ROMA』については配信に先駆けて劇場公開を行うなどの「オスカー対策」をやっているが、はたしてどうなることやら。
ちなみに Netflix でも来月に配信される。驚くべき時代になったものだ。
アリ― スター誕生(ブラッドリー・クーパー監督)
ショービズ映画の古典のリメイク。この八十年で三回目の映画化です。
本年度大本命に数えられる一本。批評家・観客からの圧倒的な支持率もさることながら、商業面でも大ヒット(現時点で世界興収三億ドルを突破)を飛ばした。主演のブラッドリー・クーパーとレディ・ガガの演技もさることながら、これがイーストウッド降板を受けての初監督となったブラッドリー・クーパーの演出にも嬉しい驚きが満ちているとかなんとか。
だが、一昨年の『ラ・ラ・ランド』、昨年の『スリー・ビルボード』と「早すぎる大本命」はかならずバックラッシュに晒されるのがオスカーという場。12月以降に猛然と差してくるであろう後続期待作たちを振り切れるかどうか。
Widows(スティーブ・マックイーン監督)
2013年にアカデミー作品賞を獲得した『それでも夜はあける』のスティーブ・マックイーン最新作。オスカー獲得後の第一作でもある。
シカゴでヘマをやらかして死んでしまった強盗たちの四人の未亡人(ヴィオラ・デイヴィス、エリザベス・デビッキ、ミシェル・ロドリゲス、シンシア・エリヴォ)が亡夫の後を継ぎ女だけの強盗団を結成するちょっと変わった犯罪映画。
マックイーンとヴィオラ・デイヴィスというアカデミー賞受賞コンビで鉄板の出来。
そのパワーでジャンルムービーを嫌うオスカーでノミネーションを勝ち取れるかが見どころだ。
Boy Erased(ジョエル・エドガートン監督)
厳格なキリスト教である両親のもとで育ったゲイの少年(ルーカス・ヘッジス)が教会の同性愛矯正プログラム(いわゆるコンバージョン・セラピー)に放り込まれ、セラピストとバトルする青春ドラマ。
近年では『ダラス・バイヤーズ・クラブ』のジャレド・レトがそうだったように、LGBTものは俳優にとってオスカー像への近道だ(スカーレット・ヨハンソンみたいに非LGBTの俳優がLGBTの役を演じることに倫理的な非難が高まりつつあるにしても)。
批評家筋からの評価的には作品賞には届かないかもしれないが、演技賞ではノミネートが有望視されている。
トランプ政権下でLGBTに対する抑圧が増しつつあるだけに、時事性も捉えているかもしれない。
GWブッシュ政権下で「史上最悪の副大統領」とも呼ばれたディック・チェイニー元副大統領をクリスチャン・ベールが激太り(何度目だ)+ハゲという負の肉体改造で演じたブラックコメディ政治劇。
他にも妻リン・チェイニー役にエイミー・アダムス、ラムズフェルド国防長官役にスティーヴ・カレル、GWブッシュ役にサム・ロックウェルなどアカデミー賞級の芸達者がずらりと並んでいる。
題材としてはなかなかトリッキーだがマッケイ監督の前作『マネー・ショート』がそうだったように、ツボにはまれば一挙にアカデミー賞ノミネートまで行ける。
同じく政治ネタでライバルだった『フロント・ランナー』(ジェイソン・ライトマン監督)の評判がいまひとつ芳しくないのも本作にとっては好材料。
The Old Man and the Gun Now(デイヴィッド・ロウリー監督)
名優にして名監督ロバート・レッドフォードの引退作。15才で逮捕されたときから人生を通じて強盗を繰り返してきた70才の犯罪者(レッドフォード)と彼を追う刑事(ケイシー・アフレック)、そして彼に惹かれていく女性(シシー・スペイセク)を描く実話犯罪コメディ。
作品賞ノミネートは微妙なところだが、レッドフォードはまず間違いなく主演男優賞候補入りするだろう。
ちなみにデイヴィッド・ロウリーの前作であるゴースト・ラブストーリー『A GHOST STORY』は今日から封切り。観に行け。
一方で、実話犯罪・老人・名監督にして名俳優と共通する要素の多い作品としてクリント・イーストウッド監督の『The Mule』にも注目しておきたい。こちらは80才の麻薬の運び屋をイーストウッドが演じる。映画祭などでもまだ未公開なため、どう転ぶかはまだわからないが、近年のイーストウッド作品に対するアメリカ人の冷め方からすると賞レース的な意味での期待はあまりできなさそう。
その他有望そうな作品
『シカゴ』でアカデミー賞作品賞をさらったミュージカルの名手ロブ・マーシャルがディズニーの伝説的名作の続編を制作。
エミリー・ブラント、ベン・ウィショー、こりん・ファース、ジュリー・ウォルターズといった英国の名優たちでがっちり固めつつ、リン=マニュエル・ミランダやメリル・ストリープといったミュージカルで定評のある俳優陣をフィーチャーし、万全の Permalink | 記事への反応(3) | 16:07
ファットヒューマンと呼ぶべきでは?
最初に断っておくと、この話はVtuberというものに対して一視聴者の立場であり、面白いものではない。
私がVtuberという存在を知ったのは2017年末頃、ちょうどバーチャルのじゃロリ狐娘おじさんなるワードがパワーワードとして捉えられ俄かに周知を帯びたころである。
当初、そういった存在があると知りキズナアイ、ミライアカリ、ちょうどその頃活動開始した輝夜月の動画をひとしきり漁り、そういうものかと認識だけして捨て置いたのは記憶に新しい。
Vtuberというものにハマったきっかけとなるのはそれから数月の後になってだった。
配信主体という性格はともかく、奇天烈な言動や強烈な個性を表に出したそのVtuberに心は奪われた。
映画という共通の趣味がありながら、まるでその好みは違ったのも一因ではあった(私はアクションやサスペンスを好んだが、彼女はヒューマンドラマを好んだ。)
ただ、きっかけと言えばそういった表層的な面の浮き出るまとめ動画ではあったが、本当は異なっていた。
彼女の同僚である同じくVtuber、その子が配信で曝け出した強烈な嫉妬心を切り出した動画によるものというのが真相であった。
もちろん、彼女(ら)がVtuberというキャラクターでありながら、その実配信者という側面をもついわゆる「nmmn(ナマモノ)」という面を持つのは当時の私でも理解できた。
私は、いわゆる百合といったコンテンツを好みながらもあくまで「現実の人間関係」を楽しむという罪はあくまで意識したつもりだった。
そういった前提を踏まえて密かに応援しながらも、彼女らがVtuberという活動を通じて親密になっていく過程を楽しんでいた。
母体であるグループがpixivでfanboxを開設したとなればすぐさまに登録し、配信ではスパチャ(俗にいえば投げ銭)をして、ボイス販売があれば買うことが応援であると信じた。
一方で、その更なる母体である企業と言えば少しばかり怪しい面は覗かせていた。
本来ならあくまで配信ツールの提供者であると、意図しないバズであるから仕方ないと同情の念はあった。
事情が変わってきたのは半年ばかり経ってか徐々にリアイベの開催を行うようになってきてからだった。
そういったスタンスも認めていたつもりだったし、2人が中心となるトークイベントでは事前の「一部配信」の表記を信じて、抽選の倍率を通り抜けて遥々遠征の計画を立てた。
当日、新幹線に乗っていた昼下がりにTwitterを開いた瞬間、公式による「全編配信を行います」の文字列が飛び込んできた。
「これは一体何だ?何のために私は遥々東京へ行く計画を立てたのだ?」
そういった疑問を思い浮かべつつも、"配信されない部分がある"ことを悲しんでいた人々のことを喜んでみせた。腑に落ちないものを感じながら。
その企業はイベント限定販売と称しながら、脈絡なく再販する真似をその後も繰り返した。
2人という"コンテンツ"(あえてそう呼ぶならば)を追い続けて半年以上が経った。その中で同期のメンバーとも親しくなりコラボ配信を行うようにもなり、それも私にとっては楽しみだった。
しかし、楽しみにしていたコラボの中の雑談の内でそれは現れた。
(以下引用。仮にA,B,Cと置く。)
B「え、何が?」
A「稼ぎ頭とかめっちゃ弄ってくる」
B「そう。私のことめっちゃ弄ってくるんだよね」
A「凄い弄るよね」
C「そう。食べた割り箸がーとか」
B「あれでしょ。私が食べた弁当の後とか"この割り箸いくらいくらで売れますよ”とか」
A「うそぉみたいな」
C「うざぁっ…。こらこら」
B「一々ね。なんでも鑑定団みたいな…」
あくまで、当人(=B)による被害意識はそれほど無いという口ぶりの中であった雑談ではあったが、有り体に言えばショックであった。
ショックの理由としては3人とも自分の推しであったこともあるし、その彼女らが明らかにセクハラ的な言動を受けてることもあったし、
彼女らに対して行ってきたスパチャやグッズ購入等の収益の一部がそういった言動をした人間の懐に入ったこともあった。
今まで、輝かしいばかりの活躍を見せてきた彼女らに対して感謝の思いを込めて金を落としてきたのは事実だ。
そこには(恐らく)偽りなどなくて、多分、一人のファンとしての行動としては間違いなかったのだろう。
けれど、今になってはそれらの金銭の一部がそういった言動をした(あるいはそういう物言いが許される企業の)下に行った事実がどうしても頭を占領するのだ。
眩いばかりの彼女たちのきらめきを思い返す度に、下卑た笑みを浮かべた名もないだれかが札束を数えている姿が思い浮かぶのだ。
恐らくそれを騒ぎ立てたとしても、そのスタッフが辞任にまで追い込まれるようなことはないだろう。
結局、ファンである一個人としてはFanboxを解約し、スパチャを辞めて、彼女らの配信を眺めながらも「セクハラ加害者に協調するか」「彼女らの活躍を応援しないか」の2択を迫られるのだった。
Vtuberという存在を知った時や、彼女を知った時、確かに生きる喜びを味わったけれど、その輝かしさは凡人によって永遠に拭い去られてしまった。
私は今後、その同グループのライバーを応援する人々を見ても「セクハラを容認する企業を応援するのだ」という思いがちらついてならないし、
自分の好きな2人に対しては更なるジレンマを抱くしかないのだろう。
結局、Vtuberという珍奇な存在の到来に対して、凡庸な一個人によるセクハラだけで酷く幻滅させられた今が、ただただ疎ましく悲しい。