はてなキーワード: セクシャルマイノリティとは
自分以外の誰かの負担でセクシャルマイノリティの人も平等に暮らせるようになればいいのに
セクシャルマイノリティへの理解が必要ですと言われると同意するくせに自分がセクシャルマイノリティに譲歩するよう要求されると拒否するのはどういう了見なんだろうね
「セクシャルマイノリティへの理解」は自分以外の誰かがするものだと思い込んでるのかしら?
私たちには、創業当初から大切にしている「Soup for all!」という価値観があります。……お客様のライフステージが変わり、ご家族やお子様と一緒にご来店いただく方も増えてきた中、Soup Stock Tokyoとしてお子様の成長を一緒に見届けることができればと……
自ら望んで独身を続けてきていたとしても、こう言われれば、自分だけがバスに乗り遅れたかのような感覚を持たされてしまうものである。しかも、これまで味方だと思っていたスープストックに、「他のひとは、新たなステージに進んでいるんですよ」と、後ろから刺されたような気持ちになろう。
https://president.jp/articles/-/69655?page=2
「ライフステージが変わってないなら、お客様じゃないって言うのか」
こんな言い方をニュースでよく聞くと思う。
大抵インタビューされた店主が有り難がる展開になるんだが、しかし在日の日本人客が怒ったりはしない。
俺たちだっているだろ、とはならないのは何故か。
「増えた」
だからか?
だったなら怒りは湧いてこないか?
ホームコンピュータに家のLEDを点けるように命令して、玄関だけ暗かったら憤ると思う。
LEDを点けろ、には、すべてのLEDを点けろってニュアンスがある。
同様に、お客様のライフステージが変わった、と言ったら、すべてのお客様を意味してると捉えられる。
だから、ライフステージが変わった客にだけ言及すればいいのではないか。
男は力が強いんだから荷物持って当然とか、理系が多いんだから機械には詳しいでしょみたいな扱いをされると怒る男も多い。
なぜだろう?
例外だ、普通ではない、異常だとみなされると腹をたてるのは、その人たちの心の中に異常であるのを怖れる・蔑む傾向があるせいではないか。
だとするとライフステージが変わってないお客様が怒るのは理不尽ということになる。
いや妙だな…。
ライフステージが変わっていないお客様が少数派になっただけでは、普通でなくなったとはならないか。
セクシャルマイノリティがマイノリティだと言われてるのを問題視したなんて話は聞いたことがない。
数の多少は単なる事実。
だけどそれでも。
おそらく、ステージは登り階段で、成長の概念に直結してるのが理由ではないか。
これらがポジティブなイメージを持ち、肯定的な使い方を基本とするのは、
社会は拡大して繁栄するのが目的だとみなされているからだろう。
人間の価値観極めてプリミティブな部分に、成長 = 絶対善 がインストールされている。
神を信じない人でも成長の善さは信じてる。
誰であれ「これから頑張っていくよ!」と宣言する人に、いや頑張るな、と横槍を入れたりしない。
なぜ成長が重宝されてるのかは分からん。
だけど、成長概念が善として人々の中に強く内面化されている以上。
生き方の多様性が認識されてる現代で、直線上の成長過程に結婚が含まれてるのは、反社会的だと思う。
同性カップルはもちろんありだし、結婚しない女性の生き方だっていいじゃないか。
弱者男性でも構わない。
ファビョると発言して炎上したスラム街出身の Vtuber を思い出してる。
頭の中で次に使われる機会を待って凍結されてる言葉たち。
腐ってメタンガスを出してるかもしれない。
注意深くみても気付かないかもしれない。
正直こんなの、無理だ。
炎上沙汰が怒ってないパラレルワールドでライフステージの単語だけ見たら、それが内包する排斥性を見落としていただろう。
だけど考察の中で得た結論としては、ライフステージは時代遅れの概念と言わざるを得ない。
ツリー。
この記事で言うポリコレ潮流とは、今まで日の当たらなかった弱者やマイノリティに光を当てたり称揚しようという世界的な流行のこととする。そして特にエンタメ業界についてに注目する。
世界的、あるいは日本の世間的な言葉の意味はさておき、この記事ではそうする。
説教臭さや、諸々に配慮してますという目配せが娯楽への没入感を削ぐし、僕の美的好みから外れるキャラ・タレントの登場頻度が増えたからだ。
だが、ポリコレ潮流的な物が百害あって一利なしだとは思っていない。
僕は大学進学の際に、九州の人口20万くらいの町から人口100万くらいの町に出たのだが、そこのツタヤに、地元にはおいていなかった僕の好きなアニソン系歌手のアルバムがあった。
それを見て僕は、この町は僕みたいな周囲と馴染めないキモいやつもにも居場所を準備しているのだ、と嬉しくなった。
これは利便性の問題ではなくて、大衆が普段使いする施設が、自分のような人間の存在を想定に含めた運営をしていることが精神に与える影響の問題だ。
もう少しオタク一般に伝わる表現で言えば、アニメイトだったりとらのあなだったりコミケだったりの、オタクの存在を前提とした場所に始めて行った時の感覚にも近いと思う。
だから、差別されやすい民族とか、セクシャルマイノリティとかがエンタメでの登場頻度を増したことで、その人たちが「世界には自分たちの居場所がある」という感覚を得ることができるだろうというのは十分想像できるし、それはいいことだとも思う。
ではあるのだが、やはり僕はポリコレ潮流に好感を持てない。
最近の僕は、100万都市に出る以前の、というかそれ以上の、「この世界から僕は厄介者にされている」という鬱屈を抱えている。
ポリコレ潮流が、居場所のない人間にも居場所がある安心感を与えてくれるはずなのに、僕はそこから落ちこぼれている。
100万都市で精神を病み、無職童貞で三十歳を超え、実家に引きこもってネットで悪ふざけしたりロリエロ漫画でシコりつつも、最近ちんちんの勃ちが悪いことと両親の老いに怯えている僕の居場所は狭まっていくように感じる。
潮流という言葉を使っているが、じっさい上げ潮と引き潮のようだ。或いは株の上がり下がりのようだ。
僕が世界に存在を許されている感覚は、中学生までの頃は居心地の悪い引き潮、進学で人口の多い町に行き居場所のある感覚を得て上げ潮、おりしもネットの発達やオタク文化の一般化と共に最高潮になったが、その後潮が引き始め、下げ止まらない。
最高潮の頃の遺産で居場所や娯楽自体はまだあるが、成長率は低い。
ちょうど日本が、過去の遺産でGDPが世界三位ではあるが、GDP成長率は鈍化していて閉塞感が漂っているのと似ている。
まだ世界から捨てられきってはいないが、この後どんどん居場所が狭まるだろうな、ポリコレ潮流で引き潮になっているな、と思うから、僕はポリコレ潮流を好きになれない。
今のポリコレ潮流で、世界が自分達の居場所を認めつつあるという安心感を得ている人たちの、その喜びはいいことだが、僕という存在の株価が下がっていくこと抜きにそれはできないのだろうか?
と
性被害に遭ったらハラスメント対策の機関を利用したり、刑事や民事で解決するのが本来の道で正当な解決法であって、
マスコミやSNSで大々的に騒いで社会的にキャンセルするのはそもそもが邪道なんだわ。
マスコミで報道したらアウティングされていない同性愛指向を勝手に広めることになるのは100%間違いないわけで
本来ならば一橋大アウティング事件のような事が起きないように慎重を期する必要がある。
なので法的解決以外の手段を使ったのは最悪だという他ない訳だ。
法的闘争になったことをマスコミに察知されてしまうなら仕方がないが、その際にはマスコミ側は過度なアウティングとならないよう慎重になる必要がある。
LGBT法でさんざん騒いでるくせにはてなーは何も分かってないのか?
セクシャルマイノリティーはマジョリティの何倍もの自殺率があって苦悩の末に命を絶っていることを。
何人のセクシャルマイノリティーが自殺したら気付くんだ?
男は女性様がセクシャルマイノリティいじめるの邪魔するな。まで読んだ
セクシャルマイノリティの人の中に
だからみんなが恋愛とか言ってるの意味がわからないから自分はセクマイなんだ
って騒いでるのがいる
数年経てば精神年齢が上がるので黙ってたりする
どの話題だろって思って探したんだけど、風呂やトイレに女装トランス男性はいってくるなよってやつ?
セクシャルマイノリティの界隈って本物もいるんだろうけど、単に精神の発達の遅れから感じている色んな違和感を性的違和感だと思い込んでるだけのキチガイもそれなりの割合が含まれてると思っていて、話が通じないエイリアンみたいなのが多数含まれてる気はしている
あとそういう💩に限って死ぬほど声がデカい 街中で暴れてるキチガイが声の大きさを上手く調節できないのと一緒 100人くらいいると思っても実は一人が喚いてただけでしたみたいな
仮に自分の考えと異なる発言だと思ったとしても、そんなあぁ終わったわ~トランスヘイト糞野郎死ねよみたいな感じで詰めても誰も幸せにはならないし敵を増やすだけなのに、いつまでたっても自分の信念のもとで敵を増やす行動ばっかしててやっぱ精神の成長が遅れてるんやなって思うわ
なるほど、会社の会議室も男女別、セクシャルマイノリティも別の部屋にしないとな!
同性愛者の当事者だけど先天性か後天性かなんてどっちでもいいと思うんだがなんでみんなそんなの気にするの。
パンとご飯どっちが好き?その理由は?私はご飯が好きだけどそれは日本人の遺伝からくる先天性なのか文化的な後天性なのかわからない。
確かにセクシャリティはアイデンティティに関わる重要なことだけどそれと同時に人間の一部分でしかない。
そして人間は時と共に移り変わるものだ。なぜ同性愛者だけ理由や証明が求められるんだ。
当事者の中にもいつか異性をとって捨てられてしまう可能性に怯えてバイを嫌ったり先天性説を重要視する人がいるし
自分も親に無用な悩みを抱かせたくなくて先天性説が正しいと思っていた時期があった。
結局はみんな自分を救ったり何かに納得したいから理由を求める。
でもさー他人の人生をただそっとしておくのに理由が必要なのは心が狭すぎやしないか。
個人のセクシャリティや生き方については肉親ですら外野でしかない。
自分が同性愛者と気付いてからずっとそれを認めて受け入れて生きてきた。
両親を含む近しい人たちはそんな自分を受け入れてくれて日々の生活でたまに気まずかったりむかつく思いをすることはあれどストレスなく暮らしている方だと思う。
数年前生まれて初めて異性を好きになりかけた。すぐに相手もセクシャルマイノリティーであることがわかり(ちなみに同性愛者ではない)恋愛関係に進むこともなく今も普通に友達をしている。私ももうその人に対する恋愛感情はない。(このくだりを読んでじゃあお前は同性愛者じゃないじゃんという人もいるだろうけどここに書いていないことを含めた様々な状況を汲むとこの出来事は私の自認が変わるほどではなかった)(同性愛者の定義も当事者ですら人によって揺れがあるのであまりここで厳密に話そうとしても意味がないというのもある)
この出来事で一番ショックだったのは異性を好きになったかもと気付いた瞬間に涙が出てきたことである。
それは自分が同性愛者ではないかもしれないということに対するショックでもあるしついに普通になれたという喜びでもあった。と自己分析した。これまで周囲に恵まれて楽しく生きてきたと思っていたけどそれでも同性愛者であることにストレスやプレッシャーを感じながら生きていたんだということに気付かされてそれが一番辛かった。でもそれによって何かが変わることも変えようと思うこともなかった。死ぬ以外自分からは逃げる方法はないから。
結局自分がいいなと思う方法でしか生きられないし自分がしっくりくるセクシャリティしか名乗れないし、それもこれも日々変わっていく。子どもの頃大嫌いだったフルーツも今はよく朝ご飯にしている。昔はホラー映画が普通に見れたけど今は結構苦手。好き嫌い、やるならないを選べることも選べないこともある。今は同性ばかり好きになるから同性愛者と名乗るのが一番コミュニケーションがしやすい。でもいつか異性や無性の人に心奪われるかもしれない。別にそれでもいい。いつか恋愛関係じゃない人と一緒に暮らしたり、複数人で恋愛関係になったり、それはもう数え切れないくらいの人間関係の可能性がある。今はありえないと思うことでもそのとき私が幸せならそれでいいしなんでもいい。その生き方がどこからきたのかも名前も理由もなんもいらん。社会も自分も、変えようと思ったり変わったと気づくより先にもう変わってるものだ。
それは主に男性の手指の特徴なのだが、胎児時代に浴びた男性ホルモンの量が多いとそうなるのだという。
それが、自分の性自認と性的指向に、どう影響があるのかはわからないが。
思い返せば、2、3歳くらいの幼児期にはテレビに出てくる女性アイドルばかりに興味を示し、執着していた。
でも、幼稚園以降はわりと普通に恋愛対象としては男子を好んでいた。今のパートナーも男性だ。だが、女性を好きになった事がないわけじゃない。
幼少期は、信じられないレベルの悪ガキで、弟を巻き込んでイタズラばかりしていた。
でも、幼稚園以降は、しょっちゅう同級生女子のわがままに振り回されたり、ハブられたりして、泣くことも出来ずに一人で隅っこにうずくまり、霜柱を踏み潰すとか、石をひっくり返してダンゴムシを見てたりとかした。
可愛いアイドルが好きだったけど、いつもズボンを履いていた……のは、親の意思だったような気がする。
珍しく買って貰えたのが、細かな千鳥格子の布地で出来た、裾に共布のフリル付きの遠目に見ると灰色っぽいスカートで、死ぬほど地味なのがかなり嫌だった覚えがある。灰色って。ピンクや赤だったらきっと喜べた。
おままごとのお母さん役は死んでも嫌だった。
だが、人形遊びは大好きで、やっていたのは完全におままごとで、なのに人形で遊んでいるところを見られるのは絶対に嫌だった。
小学校の頃に、母が友達からVANのパーカーを貰ってきて、それは男ものだったんだが、私は喜んで着た。でも、私以上に母の方が喜んでいたと思う。
以後、母が誰かから貰ったまま押入に仕舞い込んでいたという、ボーイッシュを通り越してマニッシュな、いやおっさん臭い(一応女物ではある)服というのが、謎に沢山出てきた時期があって、当時は偶然見つかったお宝を貰い受けたと自分では思っていて、得したようにも思っていたが、今思えば、上手いこと母に誘導されただけのような気がする。
思春期は、自分の身体が段々女体化してくる事をグロいとしかおもえなくて苦痛だった。
一方で、好きな男子と付き合ってセックスすることを夢見てもいた。
月経困難が酷くて、元気な日が1ヶ月のうちに3日あればいい方だった。
それで同級生女子にも可哀想だと心配され、面倒見のいい女子から何かと気遣われるのが、すごく嫌だった。
女友達と人目憚らずにスキンシップ過剰な付き合いをしていて、男子からはレズは死ねとよく言われていた。
19歳の頃、それまではそこまで思い詰めていた訳でもないのに、急に自分はとても中性的な容姿なんだと思い込み(実際には瓢箪型のデブだったので、どっからどう見ても女だったし、服装がモサかったので、女というよりは産後太りから順当に中年太りに移行したおばさんのような見た目だったと思う。そんななりで男らしくw がに股で肩で風を切って歩いていた様はちっさいおっさんでしかなかったと思う)
友達に半ば無理強いさせる形で「男みたい」「中性的」だと言わせて、有頂天になっていた。
それがある時急に虚しくなり、お水風俗のバイトをやりだし、客から可愛いとお世辞を言われて有頂天になり、以前の「中性的」という名のおっさんおばさんチャンポンムーブは何だったのかというくらい、ゴテゴテの派手メイクのゴスロリと化した挙げ句、初めて付き合った男と唐突に結婚するという離れ技をきめた。
結婚はしたけれど、夫の家族から「○○家の嫁として云々」と言われるのが鬱陶しく、パート先ではダントツに若かったせいで変に「女の子」扱いをされるのが苦痛で、ある日カッとなって頭を丸坊主にしてしまった。
パート仲間のおばさん達から「小猿みたいで可愛いね」と言われて有頂天になった。ついにヒト以下の存在になった事には気づかなかった。
ミニスカートを履いていても「○○家の恥」と言われたが、頭を坊主に丸めたら「お前は俺にわざと恥をかかせようとしているのか」と夫に言われて激しい口論になり、一時的に夫婦関係がマイナス28度まで冷めて険悪になった。
子供が出来るまでに五年くらいかかったが、私の体質のせいで胎児が平均サイズをかなり下回った状態で、予定日を一週間も過ぎて生まれてきた。下の子は完全に低出生体重児だった。
それからは常識の範囲内で色々あったが、現在の私はただのおばさん以上でも以下でもない。夫婦仲も親子仲も良好で、取り立てて言う事はない。言動はもう完全におばさん。
で、今になって思うのは、若い頃の自分はセクシャルマイノリティに何をそんなに期待していたのかということだ。
私の手の薬指は人さし指よりも明らかにずっと長くて、それは母親の胎内にいた時に女児であるにも関わらず沢山の男性ホルモンを浴びたことにより形成されたものと思われる。母体に過剰なストレスがかかるとそうなると言われている。母は昔からいつもイライラしていてヒステリックで家族に当たり散らしてばかりいる人だったから、私が母のお腹にいた時も、やはりイライラムカムカしてストレスフルな毎日を過ごしていたのだろう。
私の手の薬指は人さし指よりもずっとながい。ただそれだけのことで、しかし私の性別が女であることは揺るぎない事実だ。若い頃の私は、「中性的(笑)」ということに変な期待ばかり山ほど抱えた、恥の多い人生を送っていたけれど。
ひとりの政治家として、「同性愛者の人やセクシャルマイノリティのカップルは生殖能力を使わないのだから、それよりも異性愛者の子作り支援や子育て世代に税金を投入しよう」とか、
「男性と女性で体の作りが違うのだから、男女平等は厳密に100%達成することは出来ないんです。お互いを最大限尊重しながらそれぞれに合った役割を与えられる社会を目指すべきです。」
みたいな言い方をしていれば、賛同は出来ないまでも理解はできるんだけど、
そこに「LGBTQは生産性が無い」とか「男女平等は絶対に実現しない反道徳の妄想」とか「女性差別は日本には存在しない」とか「コミンテルンは息を吹き返しつつある」といったような、支持層へのアピールでしかない強すぎる言葉を使うから、この人はLGBTQとかフェミニズムに強い嫌悪感や差別感情があるんだなと思われてしまうのは致し方ないと思う。
彼女たちにとってLGBTQの人たちは「趣味でやっている」から「国のために矯正すべし」という前提はどうやっても覆らないんだろうな〜。
百億歩譲って、国民の代表としてこういう考えの人がいるのは理解したとして、せめてもう少し強い言葉を使わないようにはして欲しい。
まあ高市早苗氏ですらファンの前で「大陸」みたいなトンデモな単語を使った(と思われる)わけだし。
差別主義者ってとにかく「主語がでかい」んだよな。それも当たり前で、差別ってバカデカ主語を用いて相手にレッテルを貼ってヘイトをぶつける行為ですからね。
「女性はいくらでも嘘をつける」とか「韓国人は『騙される方が悪い』という文化的な考えがあるんです。」(映画・主戦場で杉田センセがこんなようなこと嬉しそうに話してた)とか、いくらなんでも偏見と思いつきで話すぎじゃないか?
やっぱり「同性愛の子どもは自殺率が6倍高い」というデータの紹介で杉田水脈センセと櫻井よし子とすぎやまこういちが高笑いしてる動画は何回見ても悲しい気持ちになる。
自民党の保守議員の動画とかを見るたびに、彼女・彼らが大事なのは国体であって、今を生きてる民じゃないのかな〜と思ってしまうよ。
https://anond.hatelabo.jp/20221102221741
https://shonenjumpplus.com/episode/316190246926677072
トランスヘイト云々以前の問題として、そもそも漫画になってないと思うんだよね。とにかくキャラの魅力というものが皆無過ぎると思った。要は漫画として、感想を言うに値する土俵にすら立ってない。
ここでいう「キャラの魅力」とは単に可愛いかっこいいといった問題だけではなく、そのバックボーンに説得力があるか、理解できるか、要はここで話題になっていた「ストーリーや設定」そのものと言ってもいい。
例えば話の途中で主人公の細川は実は女性であった事が明かされるが、何故彼女が男になりたいと思ったのかがさっぱり分からない。
作中の描写だと以前の職場で社長からセクハラを受けたようだが、どうしてこんなに行動力のある主人公がその社長に直接復讐しなかったのか。無理がありすぎるよ、全く説得力がない。
しかも初っぱなから主人公は非正規雇用である旨が明かされ、10年以上働いているならもう30歳過ぎの筈なのにそれに対して特に危機感を持つでもない不自然さ。
非正規雇用でも独身で一人で暮らすだけならまあ何とかなるにしても、蛇なんてマイナーなペットを飼っていたらそれなりにお金はかかるだろうにそこに特に悩むでもないのが不自然過ぎる
主人公が30歳を越えた大人の思考回路をしていない。これなら普通に学園ものでよくない?
主人公のターゲットとなるパワハラ上司にしても、顔がそれなりというだけのただ単に嫌な奴でしかなく、何の魅力もない。
まあ魅力的に描くつもりはなかったのかもしれないが、深みのある漫画ならこういうパワハラクズ野郎が妻子には優しくてまともな家庭人やってるという二面性を描いたりするんだよなあ…この漫画はそういう描写がゼロなので、キャラクターがあまりに浅すぎる。人間が描けていないというか端から描こうとする気もなく、単にスカッとするだけのサンドバッグ要員なんだろうけれど。
そしてそのパワハラ上司が主人公に言われただけで自分を女だったと思い込むのは、いくら何でも不自然過ぎる。こんな奴いねえだろ。
パワハラ上司にざまあwするコンテンツならば離婚して妻子に捨てられて終われば十分なので、スカッとジャパンコンテンツにすらなっていない。
これなら最初からトランスジェンダー要素なんて入れずに普通にBLで良かっただろ…
あと、主人公とパワハラ上司以外があまりにも書き割りのモブ過ぎて…読み切りでも普通はもうちょっと他のキャラも立てるもんでしょ。掘り下げられたキャラクターが最低3人は欲しいよ。例えば同僚の田中も実はパワハラを嫌がっていて主人公に協力しようとするとか、中原さんも本人がセクシャルマイノリティで主人公の正体に気付くとか、そういうドラマも作れそうなのに。
どうしてもリアルな描写が出来ないならSFやファンタジーにして逃げるか、学生を主人公にすればいいと思うんだけどねえ。どうして30代のキャラクターでやってしまうのか。
twitterで比較して持ち出されていたタコピーの原罪はその点上手かったよ、主人公のタコピーが異常なまでに無垢な宇宙人で常識を知らない事、メインの子供達も所詮小学生で狭い範囲でしか物事を見ていない事を生かした演出で漫画を魅力的に魅せている。
その認識と現実とのズレは東くんとその兄とのやり取りで視覚的にも分かりやすくなっているし
最初はいじめっ子としか思えなかったまりなちゃんの家庭の事情が後から明かされたり、ただただいじめにじっと耐えてきたしずかちゃんがまりなちゃんの死で満面の笑顔になるなどのギャップ描写も上手く、
ヘイトコントロールが行き届いている。
そしていわゆる「毒親」である大人達についても少ない出番でそれなりに保身や社会的秩序遵守に長けた大人としての側面が描かれ
こういう人いるよねーという実感を持って読者に受け入れられ、
まあタコピーは連載だったからキャラを掘り下げる余裕は十分あったとはいえ
ジャンプラには読み切りに限ってもその限られたページ数でちゃんとキャラクターを魅力的に、説得力をもって描いている読み切りは沢山あるよね
https://shonenjumpplus.com/episode/316112896822206488
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496885813688
女性同士の同性愛を描いた『その日に残るかけらのために』でも、社会人ならではの経済的な悩みには一応触れているし
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496463141040
そこに行くとこの読み切りはあまりにもキャラの魅力もないし社会性もなさすぎるんだよなー。別に長々と描かなくてもいいから、一言触れるだけでも全然違うのに。
増田は5年後にはこんな投稿をした事はすっかり忘れて普通に男と結婚して子供を産んで
子育てに冷たい世の中酷いって言っている
このパターンまじで死ぬ程多くてゲンナリするよなあ。ファッションメンヘラ理解のある彼くん女と同じ感じ。
マジでこれ。元増田(anond:20221028175337)はデミセクシャルですらないからマジでたまげたモンだよ
・・・というかご本人が今度は、
>障害とかアセクシャルがどうとか言いたかった訳でもない。
とか言い出しちゃってる、まぁ最初から書きましたよね?アセクシャルはまったく関係の無い話だと
アセクシャルは外した上で、『世の中は恋愛を強要しているけど、恋愛に興味がないことが辛い歌を聴いて共感したい』って言って欲しいと
(※なお、世の中は恋愛を強要していません、少なくとも日本はね)
でもこれは知識どうこう・検索能力どうこう・自認どうこうの話じゃあないんだよな
たとえば、
『男が性的に好きになれないけど、男との恋愛に憧れているからゲイ』とか『女が好きになれず辛い。少なくともゲイの俺はそう』とか、
ほざいたらゲイの人はどう思うか?について考えるのって、
『あらゆる人は恋愛に憧れているはずだ!』とかほざいたら恋愛を必要としていていない人はどう思うか?について考えるのって、
LGBTQA+の知識とか検索能力って関係はしそうですか?まぁしませんよね?
増田のように、元増田は承認欲求を拗らせた自己愛性の生きづらいちゃんくんだと考えるのがフツーだと思います
あと、どんな属性であっても『自称して何かになりたい人』にありがちな傾向なんだけど、
マイノリティであることを生きづらさの言い訳に使わないで欲しい
発達障害を自称する人は自称していないでまずは検査を受けて欲しいし、
受けたあともフツーに働いている人・平均年収以上に稼いでいる人がいる現実をちゃんと見つめて欲しい
今回の自称セクシャルマイノリティも同様、どう見てもアセクシャルじゃないが本人がそう自認するならそれで別にいいけども、
世の中は恋愛を強要していない現実を見つめて欲しいし、日本でカップルでないことで被る被害など無い現実をちゃんと見つめて欲しい
性自認は男。恋愛対象は男。女という存在に憧れがあると言っていた。
出会ってすぐにその話をされたが、幸運にも恋人は細身で顔もかわいい感じで、女性用の服も似合っていたから気にならなかった。
何より憧れが女であるということで女友達みたいに話せるところがよかった。
でも時々その全てが悲しくなってくる。
人間として好きだったはずで、普通から外れたとされるアイデンティティを受容できていると思っていたのに、彼女が私が経験しているジェンダー的な女の甘い汁だけを吸っているように見える。
男の人が怖いと泣く。
膝が見えるくらいの短いワンピースを着た彼女が深夜の路上にしゃがみ込んでいた。
女に嫉妬する。
そのくせ当然男にも嫉妬する。
家事の手伝いをしない。
手伝えといっても「彼女だから姫扱いしろ」と笑って言う。冗談なのはわかっているけどそれでも心にくるものがある。
結局、ジェンダー的な男性として女を支配できる強い力を持ったままジェンダー的な女性として守られる、与えられるという経験がしたいだけなんじゃないかと思う日が増えた。
性行為の主導権を握りたがらないのも、自分の手間だからじゃないのかと勘繰ってしまうようになった。
「周りが自分を男だと言ってきて、それが正しいと自分でもわかっているのにどうしてもそれが嫌で、だけど自分は女にはなれないことが決まっているのが一番つらい」と泣いていた彼女のことは真っ当に可哀想だと思う。
それでも、私が自分の苦労を押し付ける女としての老害なのかもしれないが、ジェンダー的な女として扱われることを望むなら、私がしてきた気遣いも苦労も学ぼうとしてほしくなる。
彼女のように「男でありながら女を望むこと」みたいな良くも悪くも逸脱した思想こそがセクシャルマイノリティの本質なのかもしれないとは思う。
私が「女になりたいなら男を捨てろ」と思うのはあくまで性別の二元論に囚われていて、昔の価値観に引きずり戻そうとしているだけなのかもしれない。
でも、どうしても、性別の二元論に染まりきった人間への救いがほしい。
そう、彼女をどうにかしたいのではなく、私をどうにかしてほしい。
身体の出来の差に基づいた男女の区別を是として生きてきた人間が、それから解放された楽しそうな人間を見て、それを羨んだり恨んだりすることを差別だと言い切らないでほしい。
ただそれだけで救われるのだから。