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2020-11-02

手塚治虫ブッダ」とおっぱい20世紀おっぱい

ラーマヤーナ」ではインドラの火とも伝えているがね

特に理由はないのだが、最近通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインド旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカ台詞では長母音場所が間違っている、みたいな話にもなった。

それはさておき、「ラーマーヤナ」である英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代地域によっては必ずしも自明ではないのだ。

また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。

「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上宝石の装飾品をつけて輝いている」

この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インド東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である

女神ガンガー

女神パールヴァティ

しかし、近現代インド叙事詩を描いた絵画では、上半身普通に覆っている。

追放されたシーター姫

シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図

それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫性的空想だったのだろうか?

頼むぞグーグル先生

そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。

In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略

ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀20世紀初頭の南インド先住民女性の間では普通のことであった……(以下略)。

そういうわけで、古代インド女性おっぱい丸出しだった。手塚治虫変態だったかもしれないが、古代インドの服飾史については、嘘をついていなかった。

また、「古代インド おっぱい」と日本語検索すると、次のようなツイートが見つかった。

https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378

古代インドに詳しい方が日本語情報発信をしてくださると、大変助かる。

よく、東洋舞台とした作品ブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。

実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代クレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本海女さんもかつては上半身裸が普通であった。

おっぱい税、巨乳税、その非人道性

ところで、英語版ウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。

The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.

乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カーストシュードラ)と不可触選民ダリット)に属するヒンドゥー教徒女性が、公共の場乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人女性乳房の大きさによって額を決めていた。

なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性苦痛いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。

これについて日本語資料が見つからいかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。

古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマ公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。

ナショナルジオグラフィック誌の姿勢、僕の姿勢

そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式謝罪した。国内有色人種無視していたし、外国文化過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。

とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米日本オリエント人間を過度にセクシャル表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。

それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手価値観や服飾文化破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものデファクトグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。

シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖文化伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。

今後の研究課題

今回は古代インドではトップレス普通であったことを示した。また、乳房隠蔽キリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。

今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタ乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人守護聖人であったが、いまでは乳がん守護聖人ともなっている。また、戦時中日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房母性記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味露出することもある。私の身体は私のもので、勝手意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。

加えて、世界各地ではどのような形の乳房理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。

実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインド彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである

このあたりは西洋絵画からたどるのがいいかもしれないが、芸術個人自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。

また、逆にトップレス世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教キリスト教イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。

2020-09-22

ムハンマドって最初の妻ハディージャとは彼女40歳ムハンマドが25歳の時に結婚してて

この辺は割とリベラルな気もするんだけど。

あとWikipediaだと「これに対して、前近代人類社会では有力家系の子女が10前後結婚することはありふれており、このこと自体歴史的事実として確認されている、という反論がある。類例の場合は、結婚が成立してもおおよそ初潮後の適齢になるまでセックスは行わないのが通例であった。ムハンマドのケースにおいても、インドイスラーム学者ウラナ・ムハンマド・アリーはアーイシャムハンマド初夜を迎えた年齢は15歳であったと主張している」

って書かれてるし、イスラム学者から見ても9歳とのセックスとか有り得ないって認識の人はいるんじゃないの?

2020-09-21

anond:20200921095219

でもこれどっちかと言うとリベラルさん側の抱えてる問題だと思うんだよねえ

アンチフェミリベラル側の理屈を持ち出そうとしたかおかしなことになってるんでしょ

アンチリベラルを自認する俺からしたら「まあ西洋様のお考えで言ったらそうなるでしょうね、お前も含めてどうでもいいけど」としか思わんもの

そもそもイスラームの言うことガチで全部聞いてたら酒はともかく豚肉食えなくなるから嫌だし、フェミの言うことも同様

アンチリベラルだったら、俺の自由権利を奪おうとするならフェミだろうがイスラームだろうがなんなら保守主義だろうが、全部不寛容で構やしねえんだよ

ハナから多様性なんてどうでもいい、どうせ俺のことだって守っちゃくれないんだし、という立場ならそうなる

でもリベラルさんはそうじゃないじゃん

中国共産党にしてもそうだけど、本質的に考えが合わない連中とどの程度寛容さをもってお付き合いしていけばいいのかって、むしろリベラル側が抱えてる矛盾課題だと思うんだけどねえ?

児童に対する性的虐待批判ムハンマドのあれ

https://togetter.com/li/1595038

ひどいやりとりだけど、そもそもイスラームについての話題ではなかった所に、ムスリムでもないくせにムハンマドの妻に関する伝承を持ち出し「戦争になりますよ」などと言い出した「見事に筋肉と化した脳」と名乗る人物が一番悪い。

じょいたま」さんの発言は、宗教創始者に対する敬意が欠けた言い回しになっているけど、主張内容としては一貫しており、さほど批判すべき内容とも思えない。詳しくもない宗教開祖の1000年以上も前の行為についての伝承についての非イスラーム教徒による説明についてわざわざ反応する必要はないし、反応を避けたり、表現を工夫した方が賢かったとはいえても、発言内容として間違っているとはいえないでしょ。

イスラーム教徒批判するなら分かるし、児童婚をなくすために活動イスラーム圏でしている人とか、児童婚をなくす活動についてイスラーム教徒の協力を募ろうとしている人ならムハンマド非難するような表現になるのは避けようとすべきだろうけど、この人ツイートしているだけのただの人で、批判している人もイスラーム教徒じゃないじゃん。

というか、みんな普段そんなにイスラームの考え方やムハンマドの行いを尊重してるの? 別にしてないでしょ。なんで児童婚に対する批判揶揄するときだけムハンマド持ち出すの?

2020-09-07

フィギュアスケートの見せパン新体操レオタード陸上ブルマー

フィギュアスケートは見せパンじゃないけれどさ

初めてスケートリンクに遊びに行ったとき普通にスケート教室リンク中央で開催していた。そこで自分と同世代女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。

性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精とき呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。

ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術のものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。

で、そのスケート競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパン発見された。以下はその資料である

https://qz.com/quartzy/1191926/spandex-sparkle-and-pure-athleticism-a-photo-history-of-figure-skating-fashion/

1928年ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。

https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059

1948年、Barbara Ann Scottのクラシックスケートスカートミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートスカートが極端に短くなったのだという。

また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったか写真掲載されている。

https://www.insider.com/olympic-figure-skating-dress-evolution-2018-2#later-a-fabric-shortage-in-the-1940s-forced-many-competitors-to-opt-for-figure-skating-dresses-with-higher-hems-5

こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。

同じくBarbara Ann Scott、1948年オリンピックである

https://www.cosmopolitan.com/style-beauty/fashion/g15064708/how-olympic-figure-skating-costumes-have-changed-through-the-years/

同じく1948年アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代ワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないものパンツ)を見ている気がする。

ちなみに、プロ選手練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえジーンズワイシャツかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。

体操新体操レオタード

スポーツジムで、体操選手レオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチ気持ちになるのが申し訳いくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣のものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。

言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。

とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。

http://www.olympicleotards.com/leotard-history/

上記資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレスのものである。初期の女性水着ドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。

1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。

今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年ナディア・コマネチビートたけしギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。

おそらく女子バレーブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツブルマー導入の遠因になっている気がする。

https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/

それ以降、基本的レオタードハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国デザインキラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。

女子陸上女子マラソンブルマー

なんとなくブルマーの本場というか総本山イメージ女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。

で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。

https://slate.com/culture/2012/08/olympic-uniforms-from-loose-and-heavy-to-tight-and-dimpled-a-visual-history-of-olympic-sprinting-attire.html

https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896

こういう写真資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。

ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/

また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。

ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤からショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語から陸上ブルマー歴史について再検討したい。

まとめ、結論

しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピック選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記記事はいちおう公的メディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。

今後の展望

競泳水着や、ビーチバレー衣装の変遷について調べる予定。

過去ブルマーに関する記事との比較については、後程。

2020-09-05

anond:20200905135419

つっても連中の主張するリベラリズムイスラームの教えが相容れない以上、そこはどうしようもねえじゃん

俺はリベラリズムというのはすなわちキリスト教系の新興宗教だと考えているが、イスラームに同じことができるとは限らない

だいたいこちらに歩み寄ってくれるかどうかなんて向こうの勝手しかないんだから

2020-09-02

anond:20200901160242

小児性愛が認められる世界文明が発展しているうちは有り得ないので同性愛人種差別と並列して考える必要は全くない。

世界が全てイスラーム化するか、今の人権概念が徹底的に破壊されない限りはそんなことは起こらないし、そんなことが起こった場合には今議論してる全てが無駄

2020-08-25

イタリア南米中国ブルマー修正版)、その3

今後の調査の展開

引き続きブラジル以外の南米におけるショーツブルマー証拠を探すこと、北欧ポルトガルには本当にブルマーはなかったのかの確認、および、学校におけるショーツブルマー空白地帯である日本以外のアジア、およびアフリカ大陸におけるブルマー分布について調べたい。現在アフリカにおける旧イギリス領ブルマーについて調査中だが、状況は芳しくない。ヨーロッパと比べて写真資料が少ないためだ。

おそらくイスラームヒンドゥー教仏教圏ではショーツブルマーほとんど見られないだろうと思う。しかし、そうしたアジアの国々が植民地化されていた時代、現地のヨーロッパ人向けの学校体操服がどのようなものであったのかはわからない。もしかしたら、ひっそりと提灯ブルマーが用いられていたのかもしれない。しかし、写真が残っていることはあまり期待できないだろう。

検索手段の向上

元々ポルトガル事情について調べようとして、ブラジルブルマーについてはわかったが、肝心のポルトガルの状況はまだわからない。また、ブラジルを除いた南米の状況も確認できていない。これは、スペイン語画像検索すると南米ではなく、スペインのページしかヒットしないためだ。同様のことは、以前オーストリア事情を探すときに起きた。ドイツのものばかり見つかるのだ。

今後は、国別のドメイン検索をしなければならないかもしれない。

それから、その1

できることなら脚の露出に対する羞恥心の変化についても一考したい。脚が猥褻だとまでされたヴィクトリア朝からショーツ同然のブルマー女子学生が活発に運動するようになった六十年代までの、イギリスという国の感覚の変遷は面白そうだ。かなり時間のかかるテーマになりそうではあるけれども。

それから、その2

それと、ブルマー調査が一段落したら、チアリーダーの変遷についても知りたい。高校のかわいらしいチアが、例えば大リーグ筋肉質の女性によるビキニ姿同然の派手な、しばしば危険を伴うパフォーマンスへとどう変わっていったのか。あるいは技巧がどのように向上していったのか。事故は起きなかったのか。スカート丈の長さはどう変わったかスカートの中が見えても構わないと思うようになったのはいからか。気になることばかりだ。

https://www.youtube.com/watch?v=qrzlTUuMhRg

1970年チア

https://www.youtube.com/watch?v=YrY08FTaMwA

1980年チア

これだけでもだいぶ違うではないか

どこからどこまでが女性自発性が含まれているのか。あるいは、男性チアが本格的に知られるようになったのはいつか、そうしたことについても学んでいきたい。

始めの内はこの調査興味本位であったが、だんだん時代地域ごとに、人の体がどのようにプロパガンダに利用されてきたかや、美の基準がどう変わってきたかについて、知りたくなってきた。

おまけ、その1

https://www.youtube.com/watch?time_continue=18&v=5hr17Dn-Ikk&feature=emb_title

https://www.youtube.com/watch?time_continue=18&v=5hr17Dn-Ikk&feature=emb_title

女性フィットネスファッションの変遷。かわいい、きれい、は簡単に変わっていく。

おまけ、その2

http://avalokiteshvari.blogspot.com/2010/01/blog-post_60.html

提灯ブルマーでの軍事教練。忘れてはいけない歴史である

2020-08-21

世界史微妙によくわからない表現

台頭

例:地中海におけるイスラーム勢力の台頭

例:この時期ドイツでは王に代わって、領邦君主が力を持つようになった

こういう曖昧表現は使い過ぎないようにして欲しい。

2020-08-03

イスラムって言い出す奴の殆どイスラームエアプ

先生に教えてもらったことを繰り返してるだけや

ポリコレ宗教ハチャメチャに衝突してついでに対消滅してほしかったけどなんかフワッと軟着陸しちゃってつまんないな

特にキリスト教イスラーム

2020-07-13

anond:20200713084708

ポリコレ宗教にたとえてるのに乗っかるなら、それに代わる心の支え・正しさの後ろ盾になる新教が必要なわけで、それがないのに棄教しろって言われても無理だよ。

別に棄教する必要はなくて、趣味を捨てれば信仰一貫性が取れるよね。

趣味も捨てられないし棄教もできない? はあ、どうぞ、異端審問所があなたを待ってますよ。

(いや、イスラーム異端審問というシステムはないけど)

腐女子BL趣味謳歌したままポリコレ聖戦士になれる道なんてどこにもないんですよ。信仰に殉じて趣味を捨てるか、棄教して反ポリコレ軍に加わるか、不信心者として異端審問にかけられるか、そのどれかしかないんです。

どうぞ、好きなのを選びなよ。

あなた責任で、あなた趣味信仰のどっちを取るか選びましょうよ。

オタク文化BL文化を守るってだけでは快楽主義的要素が強くて、正しさの支えになってくれないし……。

表現の自由っていう憲法にも書かれたお題目があるんだけど、これ信仰しない?

自由主義っていうすばらしい宗教があるからそれを信じようよ(宗教の勧誘)

2020-06-28

Black Lives Matter運動への違和感

Black Lives Matter運動違和感がありつつもうまく言語化できなかったんだけど、色々読んでいくうちに違和感の正体がわかった気がした。

たとえばロヒンギャへの支援を訴える運動は、ビルマ政府ロヒンギャ弾圧はひどいよね! ビルマ圧力をかけてロヒンギャ弾圧をやめさせよう! というものであり、世界中でひどい扱いを受けているイスラーム教徒として連帯しよう! みたいな運動ではない。

ウイグル人チベット人の抑圧を訴える人たちも、中国政府の扱いはひどい、中国政府弾圧をやめろ、と言っているのであって、全世界的に仏教徒テュルク系民族弾圧されてる! ということが言いたいのではない。

本来、Black Lives Matterもそういう運動、つまりアメリカ黒人アメリカ政府アメリカ警察弾圧されている、アメリカ政府ひどいよね、世界のみんな、アメリカ圧力をかけてくれ! という話だったらよく理解できるんだよね。

でも、全世界的に黒人がひどい扱いを受けてる! それぞれの国でBlack Lives Matterを叫ぼう! 日本でもBlack Lives Matterのデモをしよう! って言われると、は? ってなる。

かに日本にも黒人差別はあるし、オコエ瑠偉とか大坂なおみとかが差別された体験を語ってるから日本にそんな問題はない! って言うつもりは毛頭ないけど、警察官が特定人種ばかり狙って射殺してくるとか、無抵抗被疑者の首を押さえつけて窒息死させたとか、若い黒人男性刑務所にブチ込まれまくってて黒人コミュニティ崩壊してるとか、そんなんはアメリカだけの問題だろ!

10年以上前Free Tibetが盛り上がってて日本でもデモをやってたけど、あれは中国チベット人への弾圧をやめろ! 日本から中国圧力をかけるのを手伝うぞ! という運動であって、日本チベット人差別けしからん! という訴えではなかった。

でもBlack Lives Matterは、少なくとも東京で行われたデモは、アメリカ黒人差別をやめろ! 日本からアメリカ警察圧力をかけるぞ! という運動ではなく、日本黒人差別けしからん! という運動になっている。

なんかおかしくね?

なんでアメリカ人って自分たち問題世界問題だって思い込んじゃうの?

こういう、自分たち問題世界問題アメリカ差別事情世界差別事情だって思い込むアメリカ人の自己中心性っていうかアメリカ中心主義、見事にアメリカおよび英語圏の持ってる権力に由来するものだし、非英語圏出身アジア人からすると「け、権力勾配~~~!!!」って感じがすごいするんだよね。

ローカル事情自分たち母語で叫んでるだけで全世界に訴えを聞いてもらえる身分の人たち、肌が白いかいかを問わず普通に特権階級だと思うんだけど、どうも連中にはその自覚がないらしい。

まずは自分たち特権自覚したらいかが? 日頃自分で言ってることなんだからできるでしょ? としか言えない。

それでもってそのローカル事情に基づいて出来上がったローカル基準をまるでグローバルスタンダードみたいな風に装って他国にも押し付けてくるし、押し付けることのできる権力を持ってるわけでしょ。アメリカ人が自国内でブラックフェイスタブーにしてる分には知ったこっちゃないけど、全然文脈が違う日本にそれを持ち込んで、褐色キャラコスをするレイヤーさんに文句つけてるのとかもうわけがわからんよ。

繰り返しになるけど、日本にも黒人差別はあるし、それは是正されるべきですよ。でもそれはアメリカにある差別とは違うものだし(日本の方がマシと言いたいんじゃなくて、歴史的背景も社会人種関係も違うんだから当然問題点も処方箋も違ってくるでしょという話)、アメリカ大使館に向けてならともかく日本社会に向けてBlack Lives MatterとかI Can't Breatheとか言われても日本警察に捕まった外国人ちゃんと息しとるわお前らの国の警察とは違うんじゃという話になるわけで(日本警察人質司法外国人差別無視していいとは言ってない)。

というか日本では白人も「ガイジン」として差別されてて、黒人とのハーフだけじゃなく白人とのハーフだっていじめからかい対象になるんだから日本黒人日本白人連帯して非日系のエスニックグループとして日本人による差別と闘った方がいいんじゃねーのと思うんだけど、まあ彼らは“全世界的な白人至上主義”(これ指を頭の横でクイクイしながら言うフレーズね)と闘う方が重要らしいから、白人と「同じマイノリティ」として連帯する気はなさそう。あのね、知らなかったかもしれないけどこの日本では白人マイノリティなんだわ。お前らの国のローカル人種関係を無邪気にヨソの国に適用するのやめてくんない? というか、グローバルな白人支配問題にするなら、まずその英語帝国主義をやめてくれない? っていう話。

追記

東京ローカルニュース全国放送でギャーギャーやるのの世界版ってことかな

東京ローカルニュースでもそれに価値があるなら全国放送で流せばいいと思うし(たとえば、香港パレスチナや西パプアの弾圧ローカルニュースだけど、国際的に注目されるべき人権問題だよね)、災害とかで都民が苦しんでいるなら「都民がんばれ!」みたいなムーブメントが起きてもいいと思うんだけど、都知事都庁けがめっちゃ腐敗してるという話なのに、「都庁けしからん」ではなく「日本の政治腐敗は深刻で」みたいな話にされたり、東京けが被災した災害で「がんばろう日本」ってスローガンが掲げられたら他地方の人はカチンと来るよね、という話。

2020-04-22

anond:20200422110144

いやお前に限らないしこれずっと思ってることなんだけど

西欧先進文化に接すればあいつらだってそのうち世俗化するから大丈夫でしょ」っていうその目論見が甘すぎると思うんだわ

中国みたいに根っこの部分は変わらないまま隙あらば侵略してこようとするだろうし、イスラームインドもたぶんそうなるだろう

西欧世俗プロテスタント文化こそが最先端でそれが不変というのは単なる思い込みに過ぎない

2020-04-14

anond:20200414115839

それだ。

宗教理由から分かれた1947年8月インドパキスタン分離独立前後して、ヒンドゥー教徒ムスリムイスラーム教徒)による宗教暴動の嵐が全土に吹き荒れた。ガンディーは何度も断食し、身を挺してこれを防ごうとしたが、状況は好転しなかった。

この断食は何の役にも立たない、無意味ものだ。

2020-02-13

anond:20200207185501

 今更だけれど思ったこと書くね。

 エンタメに飽きたら、世界史勉強をするのがいいんじゃないかな。

 この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクター物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。

 それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート映画脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから

 で、この増田勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。

 自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界歴史シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。

 世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別にそもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。

 それと、このシリーズは、歴史地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッド破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。

 それの何が面白いかっていうと、同じ出来事見方によって評価全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史シリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴル担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴル残酷行為が若干省かれちゃっているのが難点。

 これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分現在起こっている日本中国韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。

 話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数物語を併存させておくことで、自然物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆メンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。

 それに、複数見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい

 他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいものだ。科学医学歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。

 それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシアローマ歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマド時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分イスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。

 あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い自分古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれいるか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。

 自分通勤時間と昼休みしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかに楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。

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