はてなキーワード: お断りとは
体以外に何提供してくれるのか疑問。どうせこっちが金も多めに払うし、お前の言う面白い話は自分が話してて楽しい話の間違いだろう。性欲の無い不細工と話したいのか?普通に話す友達ならリアルコミュニティで作れないの?
作れないような人間と体以外に価値を見つけられると本当に思っているのか。
若さは価値とは言うが、ブスに奢ってお話しするぐらいならキャバクラ行くわ。金欠ならマッチングアプリせず携帯解約しろ。な?男は誰だっていいわけじゃないんだ
自分はギリ20代だけど、オッサンにアプローチされてる事をわざわざ書いちゃう層ってブスしか居ないんだよな……ブスだからおっさんも行けそうって思うんだろ?
・ぽっちゃりです
事前に言うだけいい奴だけど、デブだよね。自覚あるなら痩せてからマッチングアプリしようよ。いいねされるだけで不快だから
・高身長が好きです
そう……
インストールするパッケージの違いについては次世代パッケージ管理システムと目されているNix(Guix)やSnappy(Snap)、Flatpakあたりが解決しようととしている
SnappyはCanonicalがUbuntuへ強く紐付けようとしているが、それへ異を唱える層がFlatpakを推しているという現状がある
SnappyのリポジトリはLinuxカーネルそのものや各種デーモン、モジュール、そしてアプリケーションなど幅広く扱うのに対し、Flatpakのリポジトリはアプリケーション専用でありSnappyをFlatpakが完全に代替できるわけではない
ちなみにNixは純関数型Linuxディストリビューションを標榜するNixOSのパッケージ管理システムとして開発されたもので利便性を得た代わりにライトユーザーお断りな物凄くクセの強いシステムとなっている
パッケージライブラリへガベコレ走らせたりシステム全体をロールバック出来たり便利なのは間違いないんだけど、それらを実行管理するのに純関数型スクリプト言語のNix言語を用いるというLinuxギークが喜ぶ仕様
16歳のとき。
彼氏ができた! 13歳年上の29歳だけど、恋愛に年齢なんか関係ない。
一度お断りしたのに2ヶ月ずっとアタックしてくれたんだもん。ネットで知り合った人とは言え、顔も名前も知ってるし真剣な恋愛だ。
初デート。
夜の車の中で彼がスカートに頭突っ込んできた!
恥ずかしくて「何やってるの!」って叱ったけどじゃれてるみたい。遠恋でめったに会えないんだもん。かわいいよね。
2回目のデート。
観覧車の中でスカートに手突っ込んできた。パンツを触られた。びっくりした。でも好きならそういうもの、なんだよね…?
3回目のデート。
車の中で初めて「そういうこと」をした。よくわかんなかったけど、でも大人の彼氏彼女になったんだ。
…誰にも内緒。
何度目かのデート。
ゴムしなくていい?って聞かれた。ダメだよね? でもダメって言って嫌われたらこわい。曖昧にうなずいた。喜んでた。これでよかったんだよね…? 中に出してないから…。
生理が遅い。周期がまだ定まってないから、ただ遅いのか、それとも「こない」のかわからない…。
毎日おなかのあたりをさすった。祈った。赤ちゃんできないでください。生理来てください。
ーー高校生活を半分ドブに捨てたと思う。
当時なぜ、高校生に新幹線代を出させる太った冴えない13歳も年上のオッサンに惚れ込んでいたのか。自分で理解に苦しむ。恋は盲目すぎた。
でもしょうがない。恋に落ちるかどうかなんてコントロールできない。
だからこそ、「良い大人」で「いい歳した大人」がうまく操縦してほしいと思う。
別に「気の迷いだよ」とか言って遠ざけたりはしなくていいから、気持ちは大事にしててもいいから、大人になるまで待っててくれ。
これは、歳上に恋する未成年たちへ・未成年に恋した大人たちへ・そういった人たちを知っている人たちへのお願いだ。
昨今話題の50代のオッサンや、つい先程のド/レ/イ契約のヤツの話を読んで、思い出すのも嫌だったが、実体験を振り返って書いてみた。
いい大人が高校生にアタックするな。粘るな。本当の本物の恋で愛ならそっと育め。大人になるまで待ってくれ。相手は酒もタバコも許されてない、選挙権すらない子どもだぞ。
当時の私は意味がわからなくてびっくりして笑ったが、きっとこちらがそういう雰囲気で返そうもんなら押し倒されてたんだと思う。こわいオッサンだ。
こう言うと「危機管理がなってない」と反論してくる人が一定層いるのは知ってる。勿論私だってそう思う。
そう思うが、悪いのは当時の私だけなのか? 私が好きになったのが悪いのか? 付き合ったのが悪いのか? へらへら車に乗ったのがいけないのか? それだけじゃないだろ。「スカートに頭突っ込んだオッサン」が誰より悪いだろ! 見誤らないでほしい。29歳だぞ、慎みを持てよ、落ち着けよ。
(趣旨とは逸れるが29歳男性=オッサンではない。下半身に操縦されて頭と理性を働かせてないクソオヤジを、年齢関係なくそう呼ぶのだ)
観覧車でパンツ触ってきたこともそうだよ。観覧車でパンツ触るなよ、バカかよ。どこでも触るな!
本当に、書いてて具合悪くなるからこんなこと書きたくないけど、言わなきゃわからない人たちがいるからしょうがなく書くんだよ。
子どもができたとして、相手方である未成年と更にその赤ちゃんを守れるのかよ。テメェの性欲も管理できないやつにその後の生活管理できるのかよ。
赤ちゃんは運だ。無事生まれてくるかわからない。健康体で生まれてくるかもわからない。
障害があったら? 病弱だったら? 医療費払って養っていける?
健康だったとして、幸せになれるか・人様に迷惑かけないかずっと見守っていける?
衣食住不自由ない生活を保障して望んだ勉強をさせる環境を整えられる?
無理でしょう。
だってアンタが性交渉した相手はその「まだ養われてて周りから保護されるべき未成年」なんだから。
アンタが相手を大切にできないのに、産まれてくるかもしれない赤ちゃんを大切にできるわけない。
相手の健やかで幸福な人生を祈って、せめて成人するまでは見守って、支えてあげるんだよ。
成人してからだってせっつかず、まだ成人したての新米を見守って育てて叱って励ますんだよ。
16歳だってそうなのに、14歳と真剣交際の性交渉なんて馬鹿げてるでしょ。
「20歳」ってことじゃなくて、その人が自分のことは自分で考えて・決めて・やっていけて、更に誰かのことまで考えて・助けられるくらいの余裕持てるまで、待って。
(関係ないことによる)消極的賛成/(現状維持を望む)消極的反対についてはまあ別にどっちでも良いんじゃねって思う
→多少は減るだろうけどホモ同士で結婚するホモはそもそも異性結婚して子供作らないのでは?※要データ
・犯罪が増える
→法案が可決されたところで犯罪は犯罪なので犯罪者が可視化されるだけ
・セクシャルマイノリティの幅が広すぎる
→これはそう どこからどこまでをカバーするかも現状活動家様の気分次第なのでこれについてはマジでなんとも言えない
→これは割と難しいところがある。LGBT用の場所を設けた上で、無い場所はお断りするぐらいは必要だとは思う
その場合どうやって判別するのかや場所の確保という問題はあるので割とこれが一番のネックな気はする
正直どこまで行ってもこの辺の施設に関してはちんこ有無で判断するしかない気はするんだよな現実的に
・ホモに襲われる
・ホモに襲われた
・LGBTのこと考えてるんじゃなくてただの権利ビジネスじゃん
→それは本当にそう思う
『何者かになりたかった自分が経てきた趣味一覧』(anond:20210614025554)がめちゃくちゃ刺さってしまい、しんどいお気持ちを供養したくなったためこの文章を書いている。おそらく十番煎じくらいだろう。気づいたらとても長くなってしまったが読む価値はまったくないことをあらかじめお断りしておく。
ある日突然父親が買ってきたのを触らせてもらっただけなので、自ら強い興味を示したわけではないが一応リストに加えておく。典型的なFコードで挫折した組である。
今でも不意に「弾けたらいいのにな」というお気持ちが襲ってくるがこの時の経験のおかげで衝動買いに至らずに済んでいる。ちなみに父親もすぐ飽きた。
その昔ドラムマニア(初代)という音ゲーを始めたことがきっかけで本物のドラムにも興味を持った。マイスティックはそんなに高価でなかったしゲームにも利用できたためあっさり購入した。
ドラムのできる友人としばらくスタジオに通ったがそこまで本腰が入ることはなく音ゲーから気持ちが離れるとともに練習へのモチベーションも薄れていった。
先ほどと同様、ふと「叩けるようになりたい」という感情がむくむく湧いてくることがあるため、家にはスティックと小さいカホンだけ存在している。いつか代々木公園でピクニックに行って友達と酒飲みながら何かしらを演奏したいとか考えながらしかし練習はしない!
ピアノにも憧れた。高校生の時バイトして貯めたお金で電子ピアノ(YAMAHA P-250)を突然購入し両親を驚かせた。それと同時に地元の島村楽器のジャズピアノクラスに通った。序盤の単調な訓練にモチベーションを継続できず、おそらく半年くらいで挫折したと思う。
その電子ピアノはなかなかに高額だったため、その後一人暮らし⇒同棲⇒結婚とライフステージが変わっても処分することができず(いつか時間ができたら再挑戦、みたいな気持ちもある)今も手元に置いてある。妻がピアノを弾けることがP-250君にとっての唯一の救いであろう。
音ゲー(BEMANI)で色々なジャンルの音楽(クラブ系に寄っているが)に触れる中で音楽への関心が高まっていった。さらに当時はBMSという自分で作った曲をBeatmania形式で遊べるようにする二次創作・同人的なアクティビティも一部界隈で盛り上がっていたため、それが自分も作曲できるようになりたいという思いを強化した。
典型的な形から入るタイプでギアにもこだわった自分は、当時おそらく最新だったDTM用音源モジュールYAMAHA MU1000を手に入れるも、独学では進め方がまったくもってわからず、文鎮と化すのにそう時間はかからなかった。
上と関連するが都内に音楽理論を学ぶ塾みたいなところを見つけて大学生時代に通っていた。歌が好きだったため音感を良くしたいという考えもあった。
説明はとてもわかりやすいし、どうすれば上達するかという道筋もきちんと見せてくれるところだったが、理解することと身につけることとの間には大きなが隔たりがあり、大学やアルバイトとの両立も当時の自分には難しかったため、志半ばで解約するに至った。
小学生の頃、グランダー武蔵という漫画を読んで主人公と同じギアを買った。
ブラックバスがいるという県内の沼に一度行ったが根がかりばかり起こすしまったく釣れないためすぐに飽きた。
またまた父親が唐突にレンズセットを買ってきて一緒に使わせてもらったのがきっかけでハマった。当時はCanon EOS Kiss Digitalが10万円台になりデジタル一眼レフが一般人にも手が届きやすくなった最初のころだった。それでもまださほど普及していなかったため、大学でカメラを向けると「おぉ、本格的なやつだ!」と周りの注目を浴びた。それに気をよくし、いつでもどこでもカメラを構えていたらいつの間にか金田一少年の佐木のようなポジションになっていた。それでも役割が与えられた気がして楽しかった。センスはまるでなかったが基本的なしくみや構図は身につけたので何も知らない人から見たら上手だと言ってもらえた。お金もなかったので安い単焦点だけは買ったがさほどレンズ沼にはハマることはなかった。
やがてスマホのカメラの性能が上がってきたこと、SNSの台頭ですぐにシェアできることが重要になっていったことなどから、スマホカメラにシフトしていった。余談だが初代GoProも輸入して買ったが大して使わずに人にあげた。
後述する筋トレとほぼ同時期に始めた。理由は筋肉がついていく中で、強くなる技術も身につけたいと思ったのと、なんとなくカッコよかったから。三十路を過ぎてここまでくるとさすがに自分の性格は把握しており、そう長くは続かないだろうと一年だけと決めて始めた。
基本的なフォームを覚えて生徒同士でミットの打ち合いをするのは楽しかったがスパーリングになると打たれるのも打つのも怖くて、一年限定にしておいてよかった、と思った。
書きながら自分のダメさ加減にさらにしんどくなっている。なお、趣味ではないが公務員試験と公認会計士試験と税理士試験と米国公認会計士試験も課金しながら挫折した。「才能のない怠け者」というトラバ見ておっしゃる通りですごめんなさいって泣いちゃった。
楽器系は序盤の基礎中の基礎みたいなところでモチベーションを保てなくなってしまっていた。スモールステップ大事!最近は「初心者が100日継続した結果」みたいな動画をよく見てる。
資格試験も授業聞いて分かった気になるものの実際に問題に取り組むと全然解けない。反復練習大事!
あとは「選択と集中」も苦手だ。いろんなことに興味が出てしまい、できもしないくせに同時進行しようとしてしまう。二兎追うものは一兎も得ず!
関係ないかもしれないけど何か一つのことを突き詰めるスペシャリストよりは、いろんなことを器用にできるマルチな芸達者に憧れがち。 DonDokoDonのぐっさんとか。
もう一つ、他の増田も指摘してたことだけど、一緒に頑張る仲間を作ろうとしなかったのも挫折が多い原因だと思った。どうしても人知れず練習していつの間にかできるようになっていたいという気持ちが出てしまっていた。寂しがり屋のくせになんでそん時だけ一匹狼しぐさきめるんだバカものが。
これを書きながら思い出したが昔は歌手になりたいと思っていたのだった。年を重ねていく中で自然と諦めがついて忘れていた。ボイストレーニングに通っていた時期もあり、人前で歌うとそれなりに褒めてもらえるくらいにはなった。カラオケは安いしどこにでもあるため、いつでも気軽に楽しめる大切な趣味のひとつになっている。
ずっと痩せ型だったのに、ある時雑誌Tarzanの脱げるカラダ特集の表紙の読者モデルを見て筋トレに目覚めた。正しいフォームを教えてくれる先生が近くにいたり、通いやすい場所にジムがあったりと環境が整っていたため、初心者の状態からベンチプレスで自分の体重と同じ重さを挙げられるようになるまではあっという間に成長した。今は訳あってジムには通えていないが家で自重トレーニングを続けている。
趣味と言えるか微妙だが細く長く興味を持てている分野。昔は毎月ファッション誌買ってブランドやセレクトショップも行ってたけど今はほとんどユニクロや無印。オシャレと言われるより洗練されてると言われたい。その願望は達成できていると感じる。
最近はレーザー脱毛をした。こういうのの良いところは課金さえすれば努力なしで昨日とは違う自分になれるところだ。そんなに歯並び悪いわけではないが次は歯列矯正をしたいと考えている。
ある日の暮方の事である。一人の少年が、原宿駅の跡地で雨やみを待っていた。朽ちた柱に蔦の絡みついた、いまにも崩れ落ちそうな原宿駅跡地は、その昔、若人が大勢集う、たいそう賑やかな駅であったという。かつてこの地は「原宿」と呼ばれており、商いで栄えていたそうな。今は広大な荒れ地が広がり、かつての栄華は見る影もない。少年は荒野の真ん中でただ一人きりであった。ただ、所々地面から、かつてのビル群の瓦礫が顔を出している。少年は雨が止むまで、その瓦礫を見詰めて暇を潰すことにした。あれは、セシルマクビー、ピンクラテ、そして…Q-pot CAFE。少年は歴史がたいそう得意であった。
何故原宿がここまで荒れ果てたかと云うと、七十年ほど前、東京には、疫病とか五輪とか不況とか云う災がつづいて起った。そこで人々は住まいをこぞって京都に移し、それに続いて都も移された。およそ二百五十年ぶりの遷都であった。人の消えた東京のさびれ方は一通りではない。荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。半グレがでかい顔をする。バニラの業者が日夜騒ぎ立てる。とうとうしまいには、行く当てのないジャニオタたちが夜ごとに集って、オフ会をしているという噂さえ立った。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。そうして七十年の時が経ち、いつしか「原宿」というと、平成・令和時代の亡霊が往来する呪われた場所としてひろく知られるようになったのだ。
少年も、ほかの大ぜいの若人と同じように、危ないので原宿には決して近づかぬよう、両親に硬く命じられていた。しかし、少年には原宿に来なければならぬ断固とした理由があった。病床に付している、かつて量産型女子であった少年の祖母が、「冥途の土産にAnk Rougeが着たい」と所望したのである。少年は、祖母が好きであった。特に、祖母のつけるジルスチュアートの香水の香りにつつまれて眠ることが大好きであった。その祖母が、いまはシンプルなアースカラーの入院着に身を包み、力なく微笑んでいる。入院着は、無印良品であった。少年は大好きな祖母のため、アンクルージュの服を見つけてくることを決意し、家をそっと抜け出してきたのだ。しかし、七十年も前の服を探し出すことは、とてつもなく困難であった。旧東京二十三区内を隅々まで探しても見当たらない。それもそのはず、量産型女子はとうの昔に、国の絶滅危惧種に指定されていたのだ。少年の祖母は、その数少ない生き残りであった。
歩き疲れた少年は、とうとう、禁じられていた原宿に足を踏み入れた。暗く、恐ろしい場所であった。荒野の真ん中にぽつねんと佇む原宿駅跡地には、多くの人の怨念が染みついているかのように思えた。少年は時計のある屋根の下に腰掛け、雨が止むのをぼんやりと待っていた。頭上には、どこからか集まってきた鴉が輪を描いて飛んでいた。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる暇はない。選んでいれば、大好きな祖母は悲しみのうちに死んでしまうばかりである。尤も、痴呆の入っている祖母は、たとい思い通りの恰好ができたとしても、何もわからず粗相をして汚すだけかもしれない。しかし、心持の優しい少年は、祖母のエンディングノートに書かれていたことはなるべく叶えてあげたいと思っていた。手段を選ばないとすれば―少年は、そのあとに来るべき言葉の余りの恐ろしさに小さく震えた。「盗人になるよりほかに仕方がない」などというおぞましい考えが一瞬でも頭をよぎったことが、信じられなかった。しかし、一度心に生まれたその思想は、少年の心にずっしりと居座り、どうにも振り払うことが出来ずにいた。
それから、何分かの後である。マツモトキヨシ原宿駅表参道口店跡の辺りをうろつく人影が見えた。少年は、こんな場所にも人がいたのかと大そう驚いた。夕闇によく目を凝らしてみると、どうやらひとりの老婆が何かを探しているようなのである。この雨の夕方に原宿をうろついている人間は、ただ者ではない。少年は両親の忠告を思い出し、身震いをした。しかし、老婆が何かてがかりを知っているかもしれぬ。少年は立ち上がると、小雨の降りしきる中、恐る恐る、老婆に声をかけに行った。
「おばあさん、すみません」
老婆はゆっくりと振り向いた。少年は、振り返った老婆の姿を見て、その余りの恐ろしさに、顔をしかめた。桑色のシャツを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の老婆である。右の手に黄色のビニール袋を持ち、左の手に、大きな紙袋を持っていた。紙袋には、けばけばしい装飾が施されている。見るとそれは、山田涼介のイッピ袋であった。
ジャニオタだ。少年は歴史の資料集で良く学んでおり、ジャニオタを知っていた。日本史の安藤先生がいうところによると、ジャニオタは四十年ほど前に最後の一人が観測されて以来、日本から姿を消したという。まさかジャニオタに、生き残りがいたとは。少年は、大そう驚いた。
「なんだい…」
老婆は唸るように呟いた。地の底から響くような、恐ろしい声であった。少年は勇気を振り絞り、老婆に尋ねた。
「お忙しいところすみません、すこしお聞きしたいことがあるのですが。」
「他を当たっとくれ。私は急いでいるんだ。」
「違います。探し物をしておりまして。
ところでお婆さん、そんなに急いでどこに行かれるのです。」
「ライブ参戦前にジャニショに行くのさ…ケンティーのオフショを買いにね…」
そういうと老婆は、うつろな瞳で前方をじっと見た。そこには荒野が広がるばかりであった。それを見た少年は、腹の底から寒気が上がってくるのを感じた。ジャニショ。それはかつてこの地にあった多神教の神殿であったと聞く。かつては多くの信者が通い詰めたその神殿は、しかし、原宿から渋谷へと拠点を移し、遷都とともに東京からもなくなってしまったと聞いている。全て七十年前の出来事だ。今となっては跡形もない。この老婆は、いまでもジャニショの存在を信じ、この場所をうろついている。うわさに聞くジャニオタの亡霊だろうか。少年の身体は恐怖に震えた。
「おや…お前は」
何かに気が付いた老婆は、少年の顔をじつと見詰めた。その濁ったうつろな瞳には、真っ黒なカラコンが不自然に張り付いていた。少年は後ずさりをした。
ええ、もっとよく顔をみせておくれ」
そう叫び声をあげると老婆は、少年の顔をつかもうとした。少年はきゃあと叫び、踵を返して逃げようとした。しかし恐怖からか足がもつれ、少年の体は地面に叩きつけられた。何とかもんどりうって逃げようとする少年に、老婆が覆いかぶさる。
老婆はうわ言のように呟きながら、少年の腕や顔をベタベタと触った。少年の恐怖心は、次第に、老婆に対するはげしい憎悪に変わっていった。二人は荒野の中で、しばらく、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。少年はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。老婆は細い体を大きく震わせ、肩で息を切りながら、ぴえんと泣き叫んだ。
「ファンに、ファンにそんなことをしていいと思っているのか。」
少年は老婆を見下ろし、吐き捨てるように言った。心のうちで、老婆に対する憎悪と侮蔑が、大きく燃え上がっていた。そうして、あることに気が付いた。老婆の纏っている布切れである。すっかり薄汚れていて気が付かなかったが、これはいつか歴史の資料集で見た、アンクルージュのフリルカラーチェックワンピースではないか。チェックの模様に、けばけばしいフリル。そうに違いない。それを見ると、少年の心にあるひとつの勇気が生まれた。それは、老婆に出会う前は決して存在しえなかった勇気であった。
「ファンにこんなことをして、貴様、アイドルとしての自覚が足りぬわ。」
「言いたいことは、それだけか」
老婆の話が終わると、少年は嘲るような声で念を押した。そうして、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「こんなことをする者は、ファンではない」
老婆はそれを聞くと、目をかっと見開き、呻き始めた。少年は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く瓦礫の上へ蹴倒した。かわいそうな老婆の周りには、胸元に大事に仕舞われていたしわくちゃの青い振込用紙がはらはらと散らばった。少年はそれを一瞥すると、薄汚れたワンピースをわきにかかえ、またたく間に原宿の闇に駆けていった。
しかし、嗚呼、何と残酷なことだろう。老婆からはぎ取ったワンピがアンクルージュではなくミオレミューだということを、少年は知る由もない。
その後、原宿にうろつく亡霊の噂は、はたと途絶えたという。
今は結婚して妊娠中だが、コロナ直前、2ヶ月ほど、いわゆる「婚活」をした。
6人の男性と婚活で出会い、そのうちの一人が今の夫だが、他の5人がヤバかった。
実際に彼らに会うまでは、普通に生きてきた人間の想像力では思いつかないレベルで、常識やコミュニケーション能力が欠けていた。
事例1。都内の駅近くの商業施設で待ち合わせ。私はてっきり商業施設内のカフェかどこかで話をすると思っていたら、彼「車で来た」と言って車を駐車している所に私を連れていき、乗るようにと言う。
初対面の男性の車に乗るのは怖いし、普通の女性は男性の車に乗るのを警戒する事を知らないのか?
知らないなら非常識すぎるし、知っててやってるなら悪質なので、その場でお断りして帰った。
事例2。ホテルで待ちあわせ、そのままラウンジにて面接。色々とありえないので早々に帰りたく、コーヒー代として「お釣りは要りません」と千円札2枚を出すと(実際のコーヒーの代金は1500円くらいだったが、細いのを出すのが面倒だった)すごく嬉しそうにニンマリして、「合格です」と。
帰ってから、正式にお断りしようとすると、彼から熱烈な交際申し込みのメッセージが届いていて、二重に驚く。
彼は私が2千円を出した事に感激していたが、私は彼が不快すぎて、お釣りのためのやり取りをするのも嫌で早く帰りたかっただけだ。
事例3。プロフィールに「一人暮らし」と記載があったが、親が建てた二世帯住宅の一方に一人で住んでいた。女性側からしたら義両親と強制半同居となる新築二世帯住宅を、「家賃かからない、新築」と、まるで私にとってメリットであるかのようにアピール。
事例4。私が仕事を続けたいと言うと、典型的2ちゃんねらーみたいに口汚く専業主婦をdisり、「君はそんな寄生虫みたいな女性じゃなくてよかった」と。
いや、たしかに今の時代、キャリアが断たれたり無収入になるのは怖いし、仕事は続けたいけど、女性は妊娠出産で何があるかわからない。
仕事を続けたいと望む私でも、「俺の稼いだ金でお前を養うのは嫌だ、何があっても仕事を辞めるのは絶対に許さない」という強烈な信念を持ってる男と結婚するのは嫌だし、そういう奴に限って「子供は欲しい、できれば二人」とか記載している。
事例5。ホテルのラウンジで面接。色々とありえなかったので、テーブルにコーヒー代を置いて帰ろうとすると、そのお金をしまわせて、店員を呼んで彼が会計する。が、ラウンジを出てから、「さっきのお金」と請求する。コミュニケーションはアスペなのに見栄っ張り。
ちなみに婚活していた時、私は29歳で、お相手にはプラマイ5歳までを希望していたのに、何故か40代、中には50代60代からも大量に申し込みが来た。
私が利用していた所は、未処理の申し込みが一定数に達すると自動的に異性から申し込みできなくなるので、毎日高齢男性からの申し込みで枠が一杯になるのはストレスだった。
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20210404174804
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを2000年9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしているので、今年も行ってきました。結果から言うとびっくりするくらい健康で、先生も苦笑されながら「また一年健康だと思うのでまあまた来年来てください」とおっしゃられたのですごすごと帰ってきました。明日をもしれぬいのちだと思うからこそ、一本100円もする高級介護用乳酸菌入りエネルギーちゅーるを請われるがまま差し上げて参りましたが、今後とも引き続き召し上がっていただきたいと存じます。
とは言うものの、腰とあとあしに関してはそれなりに節々が痛むご様子で、昨年まで夏季はソファの上でおくつろぎになることを好まれていましたが、今年はもうちょっと低くて登りやすいベッドの上にてほぼ一日中お過ごしいただいています。増田はあいもかわらずリモートワークの日々なのですが、日中は寝室においたデスクで仕事をしておりますゆえ、振り向けばいつでもそこでまどろむ老ねこのお姿を拝見できるというとても満ち足りた生活を過ごすことができていますし、リモート会議の際中に「すいませんちょっとうちのねこがわがままで・・・」などとうそぶきながら、これみよがしにカメラの前で抱き上げて優越感に浸るなどしています。
このように足腰がだいぶんと弱くなり寝転がるのも一苦労といったご様子のなか、トイレを失敗なさることも若干増えましたので、ちょっとふんぱつしてベルギー製の大きなものに替えさせていただきました。
https://www.amazon.co.jp/product-reviews/B077S667TW/
実際レビューを見ると、大型ねこ用というよりはむしろ介護用品として活用されている方が多いようですね。ご自身の体に付着するようなことがなくなったのか、このごろなんとなく部屋がおしっこ臭かったのもなくなってきたように感じます。
長く続くコロナ禍で、こころもちが優れなくなっているという方が多いとも聞きますが、増田はむしろこのねこ一匹ひと一人の生活がとても心地よく、あまりにも満ち足りているのでなんだか申し訳なく感じることもあります。晴れた週末に老ねこを抱いてヨギボーにもたれかかると、窓ガラス越しに梅雨の合間の青空が見えます。そんなとき増田はこのアパートの一室が宇宙船となり、窓から青い地球の姿を見ている様子を想像します。ねこの呼吸と体温と鼓動を直接感じていること、そんなわたしたちだけの穏やかな空間がここにあることに深い満足を覚えながら、身体中にひっついた無数のねこ毛をコロコロと掃除するのです。
動物病院の先生に苦笑されたとはいえ、いつ儚くなってもおかしくないことは重々承知しています。ただ、その時が来るまでは彼女の日常が平穏であり、ねことして悪い一生ではなかったと思ってもらえるよう引き続き尽力したい所存です。なお、前述の先生は最高22歳までのねこの診察をしたことがおありであるとのことでしたので、ぜひ23歳のねこの診断に挑戦させてあげようと思います。こちらからは以上です。
(追記)
みなさま、たくさんのお祝いのコメントありがとうございます。うれしくて何度も眺めています。
なお、増田はみなさまがおっしゃるほど有能な下僕ではありません。増田はたまに海外のバーチャルカンファレンスを聴講したりするのですが、そんなときはよくわからない英語の発表などを夜を徹して聴いたあと明け方4時に寝たりします。ねこはそのような当方の事情など知ったことではないので、いつもどおり5時に朝ごはんの準備など下知されるのですが、そのあたりは増田もきっちりお断りした上で朝7時まで待たせるなどしています。
あと、前世が牡蠣のねこさまは私も大好きです。いつの日にか雲の向こうの彼女からそのような言伝をいただけるのではないかということを、増田はそこそこ信じています。「アオ」
今付き合っている恋人にはそれを伏せている。
詳細は省くが、私立の高校に通っていた時に家庭内で色々あり自分で学費を稼がなければならなくなった。
バイトもしていたがそれだけでは間に合わず、そこで手を出したのが援助交際だった。
元々私の初体験は道端で突然カッターを突き付けて脅してきた知らないおっさんから受けたレイプだったし、抵抗はなかった。
無事に学費を納めきってからはもうそんな事をする理由がなかったのですぐにやめた。
やめてすぐは抵抗なくそういう事をしていた自分の事をずっと嫌悪していたし、
イイ感じになった男性も数人いたけど相手に申し訳なくてお付き合いは全てお断りしていた。
もうそれから何年も経ち、自分に対する嫌悪もだいぶ落ち着いてきて
ありがたいことに行為を寄せてくれた男性が数名おり、お付き合いをするようになった。
私の過去のそういう話は聞いててきもちいいものではもちろんないだろうし基本触れないようにしているのだが
同じように家庭環境がお世辞にもいいとは言えない人には思ったよりするっと話せたし
割とすんなり受け入れられてしまって正直驚いた。
逆に、一般的で特に家庭的な不自由のない相手にはガッツリ引かれた。
とてもいい人だったので時間をかけてその事実を受け入れようとしてくれたけど
結局そうはいかなくて続かなかった。そりゃそうだ。
今お付き合いをしている方は不自由のない家庭で育った人だ。
うぬぼれているだけかもしれないけど、運命的な出会い方をした人で
お付き合いを始めてからまだ数か月だが、結婚願望なんてサラサラなかった私が結婚したいと思えたような人だ。
正直手放したくないし、相手も私との将来を考えてくれているのでこのままうまくいけばなと思っている。
生々しい話になるのだけど、少し前に初めて彼と致したときに、
彼に俺のも舐めてって言われたことに喜んでしまい、1人で夢中になっていたら静止をかけられた。
痛かった?と聞くと、うますぎじゃない?と言われた。
その場はそういうの詳しくないからネットで調べた!とか適当なことを言ったけど、誤魔化しきれてなかったと思う。
でもこのまま隠して一緒にいるのは相手に申し訳なくて、きちんと話したいなとも思う。
話の切り出し方も分からないし、どうしたら相手に抵抗なく話をできるのかも分からない。
今更後悔しても遅いのだけど過去がすごく憎い。
いっそ過去なんて消せればいいのにな~~と、とても思う。