はてなキーワード: おもしろとは
成分とかはよくわからないけど……
ここ1、2ヶ月は風呂上がり化粧水と乳液を塗る生活をしている(無印の安いやつ)
めちゃくちゃ効果があるかどうかはよくわからないんだけど、風呂上がりの乾燥カサカサがなくなるのはなんとなく気分が良くて続けてる。
……くらいにしておこうと思ってたんだけど、突然面白くなってきて化粧下地やらBBクリームやらオレンジコンシーラーやらパウダーやらアイブロウペンシルやらアイシャドウやらを買い集めはじめてしまった。(帰宅途中にドラッグストアをハシゴしたりした)
がっつりメイクして会社に行くことは今のところないけれど、家帰ってひとりで「どのくらいがちょうどいいメイクか」ってラインを探りながら練習するのが日課になってる。
ガジェットやらファッションやら、アイテムを集める系統の趣味を持っている男はハマりやすいかもしれない。思った以上に奥が深い。
開業以外にも、突然「=」を文章のなかで出してくるとか、文章のつなぎ言葉を換えてるとか、独特の表現が落とされてるよ。
ホストタレントが地上波に出てきて「ホスト文化」が一般に周知されたのはやっぱり無視できない
サラ金が地上波でCM打つようになって自己破産の件数が爆増したのと同じ
サラ金だって地上波に出てくる前から存在したんだけど、みんな知らなかったから借りなかった
でも地上波に出てきてそういう文化があることが知らしめられた結果、これまでは客になりえたけどならなかった層にも浸透した
同じことがホストでも起きただけ
潜在的にホストの顧客になりえる女性は昔からいっぱいいたけど、ホスト文化が目に入ってなかった
城咲仁あたりでホスト文化を地上波がおもしろおかしく取り上げるようになって、印象がカジュアルに変わって一般層がホスクラに通うようになった
最近はちょっと毛色がかわってきてて、YoutubeやTiktokでホスト文化をドラマ仕立てやタレント的に積極的に発信するようになってて
それを見た若い子がどんどん客として入ってきてる
前回のブコメでオススメしてくださったゲームは遊んでいるものもあれば、遊んでいないものもありますが、どれも参考にしていますし、いつか遊ぶと思います。
なので、また何かオススメがあれば書いてくださると嬉しいです。
51〜65はこの記事
ダンガンロンパシリーズ完結作で、突然集められた超高校級の才能を持つ面々が殺し合いゲームを強要されるデスゲームものにして、その殺し合いの加害者クロを見つける学級裁判で謎を解くミステリゲーム。
テキストを主体としたゲームとしては3作目とマンネリし始めるナンバリングだが、全くもってそんなことはなく「嘘」をテーマにした幾つかの事件を今まで以上の絶望さで描いている。
特に超高校級の総督王馬小吉にまつわるエピソードは圧巻で、歴代作品を踏まえて「絶望対希望」は「嘘対真実」の言い換えだと無邪気に信じていた気持ちを粉砕させられた。
ダンガンロンパシリーズはこの作品以降はファンディスクのようなものしかリリースされていないが、なるほど確かにこの後に単純な4やV4をリリースするのは難しさがわかるのもシリーズファンには賛否がわかれる内容だった。
このシリーズはアニメ版の「3」で絶望して少し身を引いていたのだが、改めてこのV3を遊んで、やっぱりダンガンロンパは最高だなと思いを改めた。
公称ジャンルは百合要素を含むミステリーで、物静かで落ち着いた女性のサチと、元気で朗らかなタカコのカップルの関係値の変遷を追うノベルゲーム。
日常の動作、食事、自然の豊かさ、季節感などなどの風景や情景の描写に文量が大きく割かれているのが特徴的で、淡々と進む中で彼女たちが何を感じたのかを、咀嚼するように読み解いていく。
そんな平和で楽しい内容が、あるタイミングで突然ガラッと風景を変え、死と向き合うことの難しさ、生き続けることの意味などを問いかける哲学的で幻想的なストーリーに変化していく。
ものすごく大好きで愛してる作品だけど、面白いというよりは、考えさせられるというか、このキャラ達のことをずっと延々に頭の隅で思い続けることになっているような、それぐらい大きな作品だった。
文明が崩壊した世界で何故か稼働中のVRMMORPG「アーキタイプ・アーカディア」を遊ぶ人達の思想がぶつかり合う、火傷しそうな熱意が伝わってくる熱血ノベルゲーム。
ゲームは遊んでおらず食糧も水も希少な世界で必死に暮らしているルストと、その妹でラスモス・ゾティーラ・トゥーラッカという独自の挨拶でゲーム内で仲間を増そうと頑張っている妹のクリスティンの二人で始まった旅がどんどんと広がっていく壮大さが魅力的。
テーマの「ゲームは楽しい」を伝えるために様々なプレイヤーと対決していくのが、まさに楽しいゲームで、ゲームを遊ぶゲームというメタ構造になっている云々と言った小賢しい理屈を跳ね除ける沸る激情が最高に楽しいゲーム。
可愛いヒロインも沢山登場するのでそういう方面でも面白く、特に僕はコロネちゃんがダントツに大好きで、専用ルートのその先を妄想して悦に入ることがある。
1980年代後半近代化が進み発展する街「三咲町」を舞台に、電話すら知らないほど田舎から引っ越してきた静希草十郎が、魔法使いを自称する二人の少女と出会うボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲーム。
まず目を引くのが非常に作り込まれたルックで、立ち絵と背景絵、その上にかぶさるテキストウィンドウという一般的なノベルゲームでありながら、表現の幅がとても広い。
ストーリーも田舎に住んでいた主人公が、街に慣れることを通じて、近代的な社会とそうでなかった時代を浮き彫りにしていき、当たり前に享受している一般的な水道や電気や貨幣すらも、近代化の恩恵であり当たり前ではないエピソードが手を変え品を変え繰り返し語られるのが、情緒的な染みるように楽しい。
この情緒的ながら近代日本では当たり前のストーリーと、新伝奇ものらしい魔術を使った異能バトルのストーリーとが、静希草十郎にとっては同じだけ異質なものなのが、面白かった。
(なお、ちょうどまさに今このとき、スマートフォンで遊べるガチャ形式の運営型ゲームFGOで、彼女たちのアフタストーリーが読めるそうなのだが「ガチャを我慢する」という脳の回路が焼け切れ、貯金や手を付けてはいけないお金をあっさり使い込んでしまった過去があるので、僕は遊べないのがモドカシイ)
怪盗、探偵、警察、盗人、泥棒と正義と悪が入り交じる登場人物たちの中、ハートとため息を盗む怪盗ミスアルテ共に盗みを行っていくクライムサスペンス。
フィクションらしい痛快さに振ったリアリティラインながら、この世界観の中でも丁寧に盗みを行う段取りを立てるパートがあるのが非常に好印象。
自分たちが犯罪者であることを認めながら、法では救えない大切な人のために死力を尽くす怪盗たちの生き様が格好よくて滾る最高に面白い作品。
そんな怪盗たちですら挽回不可能に思えた最後の盗みの仕掛けは、まさにハートとため息を盗まれた爽快さで、思わずコントローラを握る力が強くなりすぎて、スティックを壊してしまうほどだった。
○大好き
陽気なミスカと陰気なスバルの対照的な二人の友人関係が、無垢で人形のようなルウが転校してきたことから大きく変化することになるノベルゲーム。
学校で熟成される閉鎖的な人間関係と、思春期らしい堂々巡りを続ける自己言及を、丁寧な心理描写と情景が伝わってくる幻想的な精神世界の問答で文章を魅せるタイプの作品。
女の子同士の三角関係のように見えて、早々にミスカの好意は豪快に空回っており、スバルはミスカのことを全く好きではないと、二人の視点シーン毎に同じエピソードを描くことでそれがわかる構成が読んでいて辛い。
楽しいとか面白いような前向きな感情で読める作品ではなく、思春期の女子高生の自己問答の末に得られた後ろ向きで退廃的な選択が、三人の関係値を歪めていく悲劇を読ませる作品だった。
父親の実家がある田舎に帰省した羽藤佳が、その田舎にまつわる伝説とそれを取り巻く異能のものたちと交流していく、和風伝奇ジャンルで女の子同士の恋愛を表現するノベルゲーム。
まず伝奇ものとしては、歴史にまつわる蘊蓄や衒学趣向的なやり取りが多いが、それが少しづつ大きな設定の開示に繋がっていくのがワクワクする。
主人公の羽藤佳は異能こそあるものの直接的な戦闘能力はないため、ヒロインたちに頼ることになる恋愛の導入が、アカイイトらしさだ。
バッドエンドの豊富さも面白く、バッドと言いながらメインルートとは異なる選択を魅力的に描いており、最初から最後まで飽きずに楽しめた。
琴を演奏する筝曲部の熱血部活ものパートと、数十年前の女生徒同士の心中事件を追うサスペンスパートが混ざりあったノベルゲーム。
仲間との和を大切にする鈴と、演奏技術に重きを置く有華の二人の女性が対立しながらも関係値を育てていくのだが、こちらのパートは琴の演奏に関するやり取りが多く、甘い恋愛の要素は少なめ。
対して、数十年前の心中事件の方は、終わりが心中だからこそ、はっきりと恋愛の要素があり、そこに至るまでの過程は辛いシーンもあれば、甘いシーンもある。
主人公の保護者であり老齢の尼、十六夜妙蓮さんの大活躍はすごく印象に残り、もう一人の主役といっても過言ではないだろう。
ポケットモンスターの世界観をテキスト主体のアドベンチャーゲームに仕立てるシリーズで、2018年の名探偵ピカチュウから5年ぶりの続編にして、完結作品。
バトル以外の生活の場におけるポケモンの生息が魅力的で、それを映像でなく文章で楽しめるのは唯一無二だ。
これはもう他の作品と違って客観的な評価は完全に捨てるしかなく、ポケモンは実在する、ポケモンと生活したいなどと、ポケモンへの思い入れがあるからこそ楽しめる作品。
肝心のストーリーについては、実写映画版が先取りしていたせいで、サプライズ展開がサプライズになっていないのが気になるし、これほど間が空いてしまうと期待度も相応にあがってしまう、可能なら短編を定期的にリリースしてほしいが、難しいかなあ。
海面上昇が止まらず住む場所を失った人が多くいる近未来の日本の離島を舞台に、超エリート校に通っていたが夢破れて戻って来た斑鳩夏生が、アンドロイドの少女アトリと交流する恋愛ノベルゲーム。
主人公の斑鳩夏生はめちゃくちゃ優秀で頭の良いカシコなのだが、とある事情により左足がなく、精神的にも不安定なので、生きづらい描写が開幕からは続く。
しかし、美少女アンドロイドのアトリによりそこが一変し、彼女が左足を補い、精神的な不安定さも補いとサポートすることで、どんどんと前向きになり、社会基盤が大きく変化した田舎町でその頭脳を活かしていくのがワクワクする展開。
この頭脳で手の届く範囲の人たちを救っていくシーンは非常に前向きかつ地に足がついた展開で、大好きな丁寧さだった。
ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーのシリーズ第三弾で、怪異の噂を横スクロールのような探索パートで調べてから、RPGのボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキストが主体のアドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。
死印の直接的な続編で、主人公や他の登場人物も共通しており、ストーリー的にもそれを踏まえての悩みや成長が描かれるので、必ずそちらを遊んでから遊びたい。
前々作では怪異に振り回されてばかりの主人公だったが、今作では一転して、怪異と立ち向かうことに強い哲学的な回答を持つことになる。
ホラーの恐ろしさや恐怖を煽る部分に着目しがちだったが、ストーリー的に感動するポイントが多くあり、とてもおもしろかった。
ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーのシリーズ第二弾で、怪異の噂をDRPGのような探索パートで調べてから、RPGのボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキストが主体のアドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。
前作とは同じ世界ではあるが、登場人物は異なっているので、設定を飲み込めるなら今作から遊んでも問題ない。
アウトローを自称する鬼島空良とその仲間たちが怪異と戦うストーリーだが、単純な腕力では倒せないので、現場を操作し証拠品を集めて、知恵を絞って敵と対峙するシリーズの骨子は共通している。
前作よりもブロマンスな傾向が強調されており、主人公の鬼島空良と、親友にして反社会勢力の天生目聖司との持ちつ持たれつの関係値が面白かった。
キャラのポリゴンが常にステンドグラスが透けて見える、特徴的なルックが目を引く、キャラクタの演技主体のアドベンチャーゲーム。
閉鎖的な隠れキリシタンの村の中で、正道とは大きく変化した異質なキリスト教をテーマにした、宗教にフィーチャーした作品。
前半こそ村人との楽しい交流や名産品に舌鼓を打つ展開などコメディ要素も多いが、中盤からは宗教を信じることの覚悟を問うような重苦しい展開が続く。
タイトルの意味がわかる、とあるキャラの慟哭シーンは、思い出すだけでも気が重たくなる悲しい作品だった。
全国の小学校から落ちこぼれだけを集めたガンバレ組の面々がデスゲームに巻き込まれることから始まる、アクションゲームとテキストを読むパートが融合したアドベンチャーゲーム。
息をつかせぬ展開が魅力で、一転二転、七転八倒、とにかく次から次へと設定の根底をひっくり返すような、サプライズ展開が目白押しで最後まで遊べる。
そんな中でもガンバレ組の絆の深さ、彼らが分かつ事ができない強い関係であることを信じれるようになってからは、痛快なストーリーが続くのも楽しい。
アクションゲームは若干とってつけた感があるとも思うが、ガンバレ組の得意な能力をゲームっぽく表現できているとも言える、かも。
転校生の主人公が複数の美少女たちと恋愛しつつ、100年に一度死から蘇る謎の現象を追う伝奇サスペンスの要素もある、ノベルゲーム。
恋愛部分は正直前フリ感が強く、伝奇パートと関係が薄いヒロインたちのエピソードは薄めで、関係が濃いヒロインは濃いと、濃艶がはっきりしているのは好みが分かれそう。
死から蘇った人間は周りの人間の記憶の整合性を操作しながら生きながらえるため、どうやってその蘇った人間を見つけるのかのフーダニットの段取りが、ミステリしていて面白い。
設定こそ新本格作家のアニメ化もした某作と似通っているが、ゲームならでは仕掛けやミスリードがあり、しっかりとノベルゲームに翻案できている良作。
しょうがない 無理無理 帰れない
自分が一番元気になることだと思うんだよね
この七日は帰ってもいいかもしれない
やめてほしい そこまではすんなよって
どういうきもちなってるかわかんねえ
でも将来はどうなるかわからん
なんか試したがるんだよね まあいい
人生に限りがあるって思うと泣けてくる
短いなあ 人間 80年って思うと
統御統合を考える
チュウニ 緩和されても達成されない
早く遊びたい 朝のヨット
面白いんだけど突然フェミニズムについて長々主張し始めてウケた。
本編中でなぜか本当に唐突にフェミを煽るような長文がねじ込まれて(すらすらと語る女とそれを聞いて青ざめる女という分かりやすい演出付き)
あとがき手前のおまけページでもしっかり長文でフェミを煽っててなんか急に作者の思想を押し付けられた感じになってフェミニストじゃないけどげんなりした。
チンポを押し付けるように思想を押し付けないでください!って言葉はこういうのに当てはまるんだろうか…
クリーチャー娘の構造とか作りこまれた世界観とか発明とかけっこうおもしろいしエロくて最高なので読み続けるけど、そこだけうっとおしかった。
これよく言われるけど、ドラマになってほしい漫画の話するとスゲー批判されるんだよね
例の原作者○殺の件からは、批判怖くて余計に言えなくなっちゃった感が加速してる
原作クラッシャーとか、明らかにおかしいやつのが多いから、確かに見るほど損な気もするけど、ごくわずかな確率で面白いのに出会えると思うんだよね
「極主婦道」「孤独のグルメ」「デトロイ・トメタル・シティ」「翔んで埼玉」「ゴールデンカムイ」「テルマエ・ロマエ」なんかは結構おもしろかった
個人的な話だと「光が死んだ夏」「食糧人類」「戦争なら八田まで」「海が走るエンドロール」辺りは人間が緻密に表現され過ぎてて、むしろアニメで見たくないなと思う
みんなそういう作品、ない?私だけ?
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
YouTubeで期間限定で公開されてたから有名作品だし見とくか〜と思って見たらもう最悪だった。共感も感情移入も誰にもできなかった。
木っ端役者のヤスが兄貴分で売れっ子俳優の銀ちゃんに言われて妊婦の小夏と結婚して養うわけだけど、まず銀ちゃんが図々しいだろ。パワハラとかの次元じゃねえじゃん。落ち目の女優妊娠させといて「堕ろせっつってもこいつ聞かねえんだ、今俺にスキャンダルがあったら困るのわかんだろ?」じゃないよ。マジで、本当に、「孕ませた女を適当な後輩とできちゃった結婚させることで醜聞を避けたい男」の気持ちが想像できねえのよ。時代が離れてるから当時の制作陣と客の認識が「あー、芸事の世界じゃこのくらいあるのかな」なのか「いやいや、さすがにやりすぎじゃない? ヤスも断りなよ…」なのか「はぁ!?何だコイツ売れてんのか知らねえけど何様!?(今の俺これ)」なのかわかんねえよ。とんでもねえパワハラカスキャラかと思ったらかっこいい兄貴扱いでした(CV: コウメ太夫)だよ。でヤスも聞くなよ。尊敬してる先輩だとしてもそんなひどいお願いされたら軽蔑しなよ。いや、本当に貧乏で基本的人権も半分無えような身分で聞かざるを得なかったのかもしれねえけどさ、だったら後から「大部屋の俺が断れるわけねえだろ」ってキレんなよ。「俺もどうしていいかわかんねえんだよう」みたいなこと言えば許されると思うなよ。「弱いところを見せるのはおめえだけ」的な美学でやっていい範囲を超えてるだろ。うだつの上がらねえてめえの媚びへつらいを棚に上げて辛さを訴えるな。臨月の妻を蹴るな。模造刀持って部屋で暴れるな。妊娠中毒症で苦しむ妻のために「コレがコレなもんで」っつって健気に働いたお前はどこに行ったんだ。泣きながら抱きしめて絆そうとするな。小夏も「あんた……(泣)」じゃないんだよ。そこまでされて許しちゃ駄目だろ。小夏の身分ってそんなに低いわけ?切られ役で十人でいくらみてえな扱いされてメインの男優に厄介ごと押し付けられて断れず了承して勝手にキレ散らかす野郎よりも発言権ねえの? 何をされても許し支える舞台装置じゃねえんだから意思っつーか主体性を見せてくれよ。銀≫小夏>ヤス(銀ちゃんのことがまだ好きだけど……まあまあそんなこと言わず……的な距離感の頃)のパワーバランスが銀≫ヤス>小夏になってたけどそもそもそんなでかいパワーバランスあるのもおかしくねえ?夫婦じゃん。押し付けられて仮初のスタートだったけど悪くない関係だったじゃん。弁当差し入れしたり結婚式の司会はこいつにお願いしたとこで……とか言ったあとキスしたりしてたじゃん。40年前の映画だから割り切るしかねえの? 「たまにおもしろいし憎めない愛嬌があるけど偉そうだし変な人ではある」ぐらいだった俺のおじいちゃんがマシな人だっただけなの? ジジイババアたちはこの上下関係と暴力にまみれた社会に慣れてるんだとしたら今の時代生きづらすぎるだろ。隔絶デカすぎて同情するわ。
あとそう、芝居が古い。オーバーで、なんかこ う中川家とか友近とかゆりやんレトリィバァとかならモノマネできそうな感じ。最後の最後にあるネタバラシからするとオーバーなくらいで良いのかもしれないけど……まあ単に自然な演技が王道になったのが割と最近(なんだよね? 詳しくないけど)だからこれはしょうがないか。で画質と演技が古いのに音質だけ変に良くて浮いてて、序盤「これ吹き替えしてんの……?」と気になって会話に集中できなかった。それと間とか緩急が少なくて忙しない印象だった(セリフが食い気味で気になるところがあった)。時代柄というか景気とか世間の風潮とかが絡んでくるのかも知れんし、本当にこればっかりはしょうがないけどね。
そんで見終わってコメント欄見たら昔は良かった一色というのに反吐が出る。「この頃は本物の俳優がいた」じゃねえよ。トーク番組とかインタビュー記事とかTwitterとかYouTubeとかが無かった(あっても少なかった)から俳優本人の自我とか制作の裏側が見えなくて偶像扱いしやすかっただけじゃねえの? 今は暴かれすぎてるのとお前らが老いてから出てきた若い人がいっぱいで見分けつかないからそう思っちまうだけだろ。そらクソ恋愛映画とか原作ファンをナメてる実写化とかアイドルの副業で俳優やってますみたいなのばっかだけど思い出フィルター取ったら昔もそんなもんじゃねえの。かわいいだけの棒読み女優だの一握りどころか一つまみの銀幕のスターだのだけで回ってる粗製濫造の邦画だのにまみれてた頃がそんなに恋しいかよ。
さいごに
ウィキペディアでは省略されているが、丸善石油(現コスモ石油)のテレビCM放映と「モーレツごっこ」が描かれた「ハレンチ学園」との間に、名古屋の小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道があった。
マンガや本で「性」を学んだ昭和の男子たち (2017年7月29日) - エキサイトニュース
1969年4月ごろから丸善ガソリンのテレビCM『Oh! モーレツ』での女性のスカートがまくれ上がる表現が全国のお茶の間に流れ、センセーショナルな話題に。名古屋の小学校で“スカートめくり遊び”が流行中という報道(名古屋テレビの番組『やあ!やあ!ガキ大将』内で教育評論家の阿部進氏が報告)がされる騒動になります。
永井氏はその現象にインスピレーションを受け、さっそく7月10日発売の『少年ジャンプ/創刊1周年記念号』の巻頭で『ハレンチ学園/モーレツごっこの巻』を発表しました。
「スカートめくり」自体は『ハレンチ学園』以前からあった|ちゆ12歳
この記事は、『やあ! やあ! ガキ大将』の司会をしていた阿部進さんが書いており、1969年6月29日に放送された回の内容が紹介されています。
それによると、6月放送のテレビ番組の中で、次のようなやりとりがあったそうです。
・番組に出演した子供に、「いま、名古屋地方では、なにが、はやってますか?」と質問
・女の子「オッパイモミモミっていうのが、はやってるんです。(中略)女の子どうしよ。男の子はやんないの」
・古今亭志ん馬さん(番組ゲスト)「スカートめくりは、うちのコもやってるの。学校でネ。(中略)やられた女の子が、モーレツっていうんだ。スカートめくるのは、べつに、どうってことないよね。おもしろがってやってるだけだもの」