はてなキーワード: 集中線とは
・つまんねえ!ってほどではないけど
感じ
・ソアリン的な映像を期待してたけどそこまでではなかった 「普通」によかった
でも雲の層から都会に以降するシーンのコーラスをブツ切りにしたようなあの曲はカッケェ〜!ってなった
・夫婦仲がいいので子供達が各自分のパートナーみつけて家族を作る際にすごくいいプラスのイメージ(ロールモデル)になるやろなあと思った
・鳥可愛い映画でなく「各鳥種のここが不気味!」がキャラデザの礎となってる感じ 不快ではない
サギに対して「この世のものとは思えない気の狂い方」と感じるのは万国共通なんやな…と思った
・アジアン渡り鳥一家、「アジア人目が細い描写はないが確実にアジア人(韓国系)や」とわかるのなぜ
名前「キム」ちゃんとか「エキゾチックでミステリアス」と聞いていたせいかアジア人の一重メイク(二重じゃないから目尻を盛る)的な感じ+おでこ出してるから?
・アヒルの集団をヨガとかやるスピ的新興宗教的に描写するのは「今まで見たことないな…」ってなった なぜかちょっとヒヤヒヤした リーダー?の肩にクリーム色のリネン?的な生地の羽織とか前髪の感じとか色々絶妙というか的確に捉えすぎている…と思った
アヒル養場でウォーリーの人類的な(与えられるままに受動的一片だと肥えて自立心失うぞ)教訓くるか?と思ったけど無かった 一応その後モーテルに飛ぶまででアヒル達だけ目茶苦茶息切れしてたからそこでちょろっと描写してくれた感じか…?考えすぎや
・ダンおじさんも同行するぞ!の時の「おじさんが んで外の世界の過酷さを実感するやつか…?」と思ったら違った 元気なおいたん
手放しでええやん!なキャラではないが親戚の子を可愛いと思ってるのは行動の端々で感じられてGoodだった 背中で寝かせてあげたり良かれと風船ごと押し込んだり
・あとルリコンゴウインコが出てくると思ってなかったから う、嬉しい〜ってなった
ルリコンゴウインコ×東北弁、斬新だな…!ってなったけど都会を出るとあんまり方弁でない?故郷に帰った時に若干でてた?田舎の人が上京(強制)して故郷を方言漏れ出る位恋しがる的な…
檻の「こう動け!」のダンスとかおいたんがソウルイーターの武器みたくなるとことかよかった
・敵の初登場シーンのカッコよさよ
背中がバチクソ格好良すぎるので前から見ると「…ウン!」ってなる ほんま黒×金はカッコいい黄金組合せだしかつバキバキの虎+あの髪型+入れ墨とかカッコよすぎる このスタジオさんは悪役のキャラ造形か得意なんやなあグルー見たことないけど
・野生バード=自由で幸せと思わんでください論争とかこのアヒル達を逃がしたところで次のアヒルが食べられるだけとかちらついたがまあキッズ向け作品なのでヨシ!
・キッズ向け作品だから親子連れ多めかなと思ったが映画好きそうな一人大人が4〜5人+1〜2組親子
・2,3組くらい上映中出入りして前を通り過ぎていったが「まあええわ」的な温度感だった
・グルー番外編やると知ってなかった+未視聴なので
「俺は鳥映画を見に来たのであってキャラムービーを見に来たのでは無いのだが??」となった でも漫画の集中線みたいなやつが白黒の明滅で表現されるのカッコええなあ入口でピカチュウフラッシュ注意喚起立て看板あったけど 上映時間90分と短めやなあと思ったがグルー外伝10分位とすると本編は実質80分くらいか
・エンディングロール(日本スタッフ)の取ってつけたような日本語タイアップ曲 大人の事情を感じる…
・お願〜い!プィ〜!は面白くないし可愛くないしどういう顔で見ればいいのかわかんねえよ…とはなった
・
脚本、スクール・オブ・ロックの人、でしたか…
これは失礼いたした
スクール・オブ・ロックといわれたら何も言えねえ
・
・
14:03ニュース始めてみた
グルーの時に若干揺れてる?
島本和彦先生のアシスタントがゲッサン編集部にマンガ持ち込みしたところ「島本和彦は2人要らないッ」と強めに言われる → 最初はムッとしたが編集さんから渡された名刺を見てすべてを悟る
島本和彦のアシスタントが持ち込みして編集に「島本和彦は2人要らない」と言われたエピソードがバズってたけど、まさに「歴史は繰り返す」
今から40年近く前に炎の転校生連載当時の島本和彦のアシスタント出身で島本和彦のようなタッチと島本和彦のようなノリで島本和彦のような漫画を描いてデビューした漫画家がいた。
その名は藤原昌幸。
藤原昌幸デビュー作「我が名は雷(らい)だー!!」はシリアスなタッチでくだらないギャグを堂々とやる初期の島本和彦の作風を模倣した、というか完全に「島本和彦のコピー」のような漫画だった
セリフ回しから書き文字の文体や吹き出しや集中線のタッチまで何から何まで当時の島本和彦を真似ていた。
その後、コミックコンプで同じように初期島本和彦の作風を継承した「刑事剣士Xカリバー」を連載し単行本も出てたので覚えてる人は覚えているかもしれない。
島本和彦の遺伝子・藤原昌幸が描く熱血ヒーロー「刑事剣士Xカリバー」
http://ikesanfromfrneore.blog64.fc2.com/blog-entry-2400.html
今回の「島本和彦は2人要らない」の話がバズってんのに誰も藤原昌幸の事を思い出す人間がいないのがちょっと悔しいので
島本和彦は2人要らないかもしれないが、確かに島本和彦が2人いた時代があった事をみんな思い出してもらいたかった。
島本和彦本人は炎の転校生終了以降、暗黒時代に突入して5年もの間低迷した後、「仮面ボクサー」そして「逆境ナイン」で確固たる作風を確立させて誰の追随も許さなくなった(真似しようとしてもできなくなった)
藤原昌幸は富士原昌幸に改名してスーパーロボット大戦のアンソロジーを描いたりスパロボのゲストメカ(スレードゲルミル)のデザインとかやったりし、今でも同人活動をしている、
絵って、基本的にほとんどの人が勝手に書けるようになるじゃん。
うちは4歳の娘がいるんだけど、何も教えてないけど普通にお絵かきするもん。
俺も小学校の頃、ノートに漫画描いてたけど書き方なんか誰にも教わらんかったし。
コマワリも吹き出しも集中線もちゃんと書いてたよ。そりゃヘタクソだったけどさ。
だから「教わらないと漫画描けない」っていう感覚がわかりづらいんよね。
だって、書けるじゃん。
そいつらができないのは「書くこと」じゃなくて「上手に書くこと」じゃないの?
俺の小学校では国語の時間に起承転結を学ぶために4コマ漫画を書く授業があったけど
みんな書いてたよ、面白いかどうかは別として。
書かなきゃいけないんだったら書けるんだよ。
すげー思うんだよ、失敗するのが怖くて女の子に声かけられない奴みたいだなーって。
むしろ経験と羞恥心の紐づけができてない幼稚園児のほうが簡単に声かけるじゃん。
だから「女の子に声なんかかけられない」って言ってる奴ができないのは
「声をかけること」じゃなくて「失敗すること・恥ずかしい思いをすること」なんだよ。
まずやるべきことは「できない自分を受け入れる」ことなんだよ。
途中でわけわかんなくなってもとりあえず最後までやるんだよ。
まずやって自分自身がいったいどこにいるのかを自分で確認する必要があるんだよ。
種死、AGE、鉄血は体調崩すほどつまらないゴミって聞いたけど
他にもそういう作品があるなら是非教えてほしい
ZZと00
WとXとGもいらんな
レコも優先度は低い
ほー
00とWとGは人気あるけど絶対見なくて良いのか?
AGEは「『強いられているんだ!』 https://nico.ms/sm16437226 → なんでここで集中線なんだよ演出おかしいだろwwwww → 公式も悪乗りしてまさかのキャラソン制作 https://nico.ms/sm18586346 」というのもあるので…
Zは当時の空気(リアリズムという名の迷走とか冨野作品連発後のガンダム回帰とか)コミでナンボなので、普通に見ようと思うと監督の煮詰まり具合を味わう下世話な見方しかできないゴミです
レコンギスタもいらん
そうなのか
Z中盤でジェリドが新しいMSで来ては退散を繰り返すのと、Xで変なMSと連戦するのと、0083の終盤でニナとガトーが後付けされるのと、UC最終回のマリーダさんとネオジオングの改悪がクソで、鉄血はクソじゃなくて皇国オチ
クソアニメばっかりだな
鉄血はほんと体調悪くなる。ネタになってるけど最終話まで完走できませんでしたわ…(面白くないというわけではなくて、内容の問題)
ネタ抜きで面白くないしあれ見て面白いとか言ってる奴頭イカレてるからな
初代は至高って事だな
ガンダムシリーズをオナニー作家がレイプしたゲボカスらしいなUCとNT
MSイグルー2 重力戦線・NT・トワイライトアクシズ、EVOLVE../9 ビルドトライ・ダイバーズ基本完走してるがこの辺りは最後まで見て疲労と虚無感しか残らなかったから見て後悔した
やめてよね(笑)周知の事実すぎて今更言うまでもないだけだろ(笑)/08小隊は面白いらしいな
見る価値も無い失敗作か
クソすぎて泣いちゃったんだな…
ガンダムXなんて居なかった
0083は子ども心にかっこよさに夢中になったけど、911のテロとかを経て印象が変わるという作品なので、ある意味見直す価値があると思うわ。テロというものが過去の遺物だったからこそ、テロを美化できたんだなあ
テロリスト美化とか昔でも異常者扱いだったんじゃねえの?製作は頭おかしかったのかな
また血を見そうな…ZZ以降全部。
見なくていいの定義というか意味次第。宇宙世紀さえ理解できればいいとか世間の人の話題に合わせられればいいとか有名ゼリフが出ないなら見ないとかいろいろあるでしょ。ガチでゴミみたいな駄作はないのでは。
SDガンダム三国志とかかな。SDガンダム系は別に・・・。AGEはネタにもならんし。鉄血はなにかとネタになるので履修はいるかなと。
SDって時点でガンダムでもないクソだからな。鉄血はネタでも見る価値ないだろ
ZZ一択。富野監督が記憶を無くしているほどクソだ。AGEとかオルフェンズは、作品の良し悪し以前にガンダムじゃないんだよ、あんなの。
三つとも見る価値ないクソって事だな
まあ種死よな
言わずもがな種死はクソだわな。セル画で出来が良いアニメなんて0083に幾らでもあるんでは?
0083と08小隊面白いのか。/種系とAGEはゴミカスだわな
好き嫌いはあってもクソと切り捨てれる作品はない。悪評高いAGEもアセム編とか最終決戦はよかったし、鉄血後期も「逆襲のガリガリ君」としてみると良いよ(鉄華団に寄せると心情的にしんどくなるので…)
好き嫌いとか関係なくクソと切り捨てられる作品だから悪評高いんじゃないですかね、AGEと鉄血
SEEDは「みんな違ってみんな良い」が該当しないクソだから評判悪いんだろうな
鉄血、めちゃくちゃ面白いだろ。つまんない要素なんか一つもないぞ。問答無用ですげーつまんないのは水星一期と種死。あと、00劇場版は超面白いけど、あれガンダムじゃない
鉄血、めちゃくちゃつまらないだろ。おもしろい要素なんか一つも無いぞ。水星と種死はすげーつまんないんだな。00はガンダムじゃない
観てないのを挙げるのもなんだけど、Twilight AXISは無理そうな感じがしたのでパスした
稀に見るクソらしいなあれ
私見で閃ハサ。サンボルみたいにパラレルです…でやってくれりゃ楽しめるが、Ξとペーネロペーを正史に組み込んじゃいかんだろう?CCAからF91までの地球圏の動乱であるUCやNTも要らん
オルフェンズはアクが強めだけど終盤以外はそんなに悪くなかったと思うけどなあ。
種も話の筋や登場人物の感情が意味不明すぎるんだよなあ。つまりクソ
GもWも傑作だろうがよ。Gはトンチキ師弟愛が美しい環境保護啓蒙モノ、Wは正義とは移ろい易く正義の戦争など無いという諸行無常の物語だよ。鉄血は前半2クール観て以降は打ち切りと信じるのが吉。
鉄血は前半2クールで打ち切られたら良かったのにな
Gレコ。富野節でなされる少ない説明に比して、宇宙世紀と地続きかつ最も後年という複雑な世界観。見たところで他のガンダムにも繋がらない。見るコストが高すぎる。
ガンダムって当たり前のように繋がってるのか?
鉄血は面白かったぞ。ビーム兵器が使い物にならない設定でのガンダム戦はよう考えたわ。今やってる「水星」も割と根底からだいぶ鉄血に影響受けてる部分が目立つ。映画版Zは正直後にも繋がらないから見なくて良い。
ビーム兵器が使い物にならないなんて設定をわざわざガンダムでやる必要あったんですかねぇ。Zって映画もクソなんだな
鉄血はクソなん?確かに任侠ものっぽいけど面白いってかカッコいいなと思ってはしまう。ZZは前半のノリがあまりにツラい…それでも見とかなきゃと思って見てるが
どっちもクソだから見なくて良いんじゃね?
そんなスタンスなら全部見なくていいと思うけど、AGEだけは別格にクソなので見る暇あるならアンパンマンリピートの方がマシ。俺は種は好きだ。
AGEは別格の下痢便だろうけど種好きも汚物好きって明言するような物では?
クソ監督?
多分妥当だな
作った本人も言ってるけどVガンダム
その作った本人恥ずかしくねえのかな
トワイライトアクシズに決まってる。
どれか一つ挙げるならAGE。ガンダムシリーズによくある、次の作品が出たら再評価されることもなく、存在忘れられてるレベルで名前が出ない。一部のミームが残っただけ
昔のアニメって何かクソガキ出すよな
作画だけは良いクソアニメってアニメーターを無駄遣いしてる一番救えない奴だな
種だけは許さない。
今後未来永劫許されなくて良い
ナラティブかなぁ
ナラティブだな
1期は良かったパターンかな?
1st、Z、ZZ、V、G、W、X、種、種死、00、AGE、Gレコ、鉄血、水星、ビルドトライ、ビルドダイバーズ
ポケ戦、0083、08小隊、UC、NT、MSイグルー2 重力戦線、トワイライトアクシズ、EVOLVE../9、閃ハサ、オリジン、ククルス・ドアンの島
個人的に『とっとこハム太郎』は構成力と演出力に優れ、キャラクター心理描写に優れた傑作であると断言できる。
というわけで、批評させていただこう。
『とっとこハム太郎』はどこが素晴らしいのかを。
これがまず難しい。
テーマとキャラクターが合致していない作品というのは枚挙にいとまがない。
その中で、テーマとキャラクターが合致している。必要不可分の関係性である。
そして、テーマとキャラクターに不要な要素をすべて排除している。
これは、なかなかできることではない
創作すると、ついつい不要なキャラクターを出してしまうし、不要なキャラクターを出した後、キャラクターの視点が一貫せずにぼろぼろになってしまうケースはたくさんある。
ハム太郎とこうしくんに焦点を絞り、ハム太郎の視点でほぼすべてを描ききっている。これは難易度が相当高い。
「キャラクターをいっぱい出してしまう」とか「視点が定まらないでドリフトする」という新人の弱点が一切見られない。
描きたいものをきちんと絞り、きちんと描ききっている。これはもう、見事である。
最後のシーンでの印象を計算し、最後のシーンにすべての物語が集約している。
が、この作品、世界観に比重をそこまでおいていない。短編では世界観を描きすぎると、キャラクターが圧迫されてしまうことを知っているからだ。
必要最低限の設定以外は、ほぼ全てカットして掘り下げず、その分、キャラクターの心理描写とキャラクターを立てる演出に使用している。
ストーリーもストイックに「キャラクターの最後のハムハム」に不要なシーンは全てカットしている。
そのぶん、派手さを控えた巧みな演出により、キャラクターに対して存分に読者の意識を掴むことに成功している。
このハンドリング力は並大抵のことではない。
これが、この作品の最大の魅力であろうと思っている。
まず、キャラクターの行動と感情の動きに、整合性のない部分が一切ない。
すべて「疑問符がつかない」と言うことだ。これは相当上手い。
キャラクターが、困惑し、驚き、ドキドキし、照れて、決意し、恋をして、目的を持ち、走って、泣いて、絶望し、再度歩き出し、長い時間を掛けて、最後の抱擁のシーンまでたどり着く。
「なんでこのキャラこんなことしてんの?」という違和感を持たせず、その流れの感情の変化に無駄なものがなく、全て矛盾なく一直線である。
とんでもない離れ業をやってのけている。
本当に一切の矛盾がない。
ストレスなく、キャラクターの感情と変化が描かれていて、キャラクターが立った状態で読める。
無理やり顔を崩して大声で叫ばせたり、派手な集中線は使ってない控えめな演出であるが、この演出の巧みさは非凡である。
細かな感情の変化も、連続したコマ、同じ角度から僅かな驚きを挿入したりする演出、カメラワークの角度も無駄がなく、手の動き、目の大きさ、背景効果でミーリの感情を描ききっている。全てにおいて矛盾がない。
時間の経過による心の変化すらも、描ききっているのだ。
しかも嫌味ではなく、読む時間すら支配して、読者に負荷をかけず、違和感なくサラリと読める。
目立たずに高難易度なことをやっている。しかも、嫌味ではない。
見事としか言いようがない。
4 総評
上手い。
巧すぎて悔しい。
旨すぎて、腹が立つ。
これは間違いなくネーム大賞にふさわしいと思う。
最も難しいと言われるマンガの短編において、キャラクターの心理描写の変化を描ききっている。
というか、この続きが読みたいとも思うし。
この話はこれで完結しているから何もいらないとも思う。
技術的な面だけを書いたが、キャラクターの孤独に焦点を当てた「読者にどう思ってもらいたいか」を計算しただけの作品ではないことは、読めばわかると思う。
というわけで、批評させていただこう。
これがまず難しい。
テーマとキャラクターが合致していない作品というのは枚挙にいとまがない。
その中で、テーマとキャラクターが合致している。必要不可分の関係性である。
そして、テーマとキャラクターに不要な要素をすべて排除している。
これは、なかなかできることではない
創作すると、ついつい不要なキャラクターを出してしまうし、不要なキャラクターを出した後、キャラクターの視点が一貫せずにぼろぼろになってしまうケースはたくさんある。
勇者ミーリと魔王二人に焦点を絞り、勇者ミーリの視点でほぼすべてを描ききっている。これは難易度が相当高い。
「キャラクターをいっぱい出してしまう」とか「視点が定まらないでドリフトする」という新人の弱点が一切見られない。
描きたいものをきちんと絞り、きちんと描ききっている。これはもう、見事である。
最後のシーンでの印象を計算し、最後のシーンにすべての物語が集約している。
が、この作品、世界観に比重をそこまでおいていない。短編では世界観を描きすぎると、キャラクターが圧迫されてしまうことを知っているからだ。
必要最低限の設定以外は、ほぼ全てカットして掘り下げず、その分、キャラクターの心理描写とキャラクターを立てる演出に使用している。
ストーリーもストイックに「キャラクターの最後の抱擁」に不要なシーンは全てカットしている。
そのぶん、派手さを控えた巧みな演出により、キャラクターに対して存分に読者の意識を掴むことに成功している。
このハンドリング力は並大抵のことではない。
これが、この作品の最大の魅力であろうと思っている。
まず、キャラクターの行動と感情の動きに、整合性のない部分が一切ない。
すべて「疑問符がつかない」と言うことだ。これは相当上手い。
キャラクターが、困惑し、驚き、ドキドキし、照れて、決意し、恋をして、目的を持ち、走って、泣いて、絶望し、再度歩き出し、長い時間を掛けて、最後の抱擁のシーンまでたどり着く。
「なんでこのキャラこんなことしてんの?」という違和感を持たせず、その流れの感情の変化に無駄なものがなく、全て矛盾なく一直線である。
とんでもない離れ業をやってのけている。
本当に一切の矛盾がない。
ストレスなく、キャラクターの感情と変化が描かれていて、キャラクターが立った状態で読める。
無理やり顔を崩して大声で叫ばせたり、派手な集中線は使ってない控えめな演出であるが、この演出の巧みさは非凡である。
細かな感情の変化も、連続したコマ、同じ角度から僅かな驚きを挿入したりする演出、カメラワークの角度も無駄がなく、手の動き、目の大きさ、背景効果でミーリの感情を描ききっている。全てにおいて矛盾がない。
時間の経過による心の変化すらも、描ききっているのだ。
しかも嫌味ではなく、読む時間すら支配して、読者に負荷をかけず、違和感なくサラリと読める。
目立たずに高難易度なことをやっている。しかも、嫌味ではない。
見事としか言いようがない。
上手い。
巧すぎて悔しい。
旨すぎて、腹が立つ。
これは間違いなくネーム大賞にふさわしいと思う。
最も難しいと言われるマンガの短編において、キャラクターの心理描写の変化を描ききっている。
というか、この続きが読みたいとも思うし。
この話はこれで完結しているから何もいらないとも思う。
技術的な面だけを書いたが、キャラクターの孤独に焦点を当てた「読者にどう思ってもらいたいか」を計算しただけの作品ではないことは、読めばわかると思う。
有名なヲタクコールに「私が生まれてきた理由」みたいな言葉が入ってたのを思い出した。
最初こそ馬鹿にしていた。私が生まれてきたのは私が生きる為だ。それを他人に委ねるなんて馬鹿じゃないのかって多少苛立ってもいた。
去年の2月、その人に出会った時。真っ先に「生まれてきた理由!」だと思った。漫画的表現で言えば桜が散っていたし集中線も引かれていたと思う。
その人の声を聞くだけで心臓が高鳴って、その人が笑うだけでなんだか嬉しくなりもした。
幸せだった。
その丁度1ヶ月後の事。
その人は歌を発表した。それもとんでもないクオリティで。
芯の通った力強い歌声のはずなのに、その芯は僅か1mmにも満たないんじゃないかってぐらい細くてその周りで霧を纏っているような歌声だった。
それでも確かにその芯は存在感を放っていて、でも掴もうとすればするほど前後不覚になった。
正直死にそうだった。
私が恋したこの人は、可愛いだけじゃなくカッコ良いのか。どこまで私を惑わせれば気が済むんだ!とFF0アカウントで暴れた事もあったような気がする。
その時からもう、その人以外見れなくなっていた。
夢中だった。
時は過ぎ、つい3ヶ月ぐらい前の事。その人と仲の良い3人組でまた歌が投稿された。
歌だけではなく、今度はダンスも付いてきた。
私は先入観が酷い方で、少し捻った見方をしてしまいそうだった。この人に合うのはもっと夕暮れのような歌だろう!とか、俗な言い方をすれば"エモ"な歌だろう!と。
私は馬鹿だった。
1番初めに歌を聴いたあの時のような、素敵過ぎて冷や汗が出て、指が震え画面スレスレまで前のめりになるような感動。
でも私が心を奪われたあの歌達とは一風変わって、今度は物凄く楽しそうに歌っていた。
不思議なダンスもノリノリでへんてこな動きも、妙ちきりんなのに可愛さ余るその全てを愛おしく思った。
3人でくるくるお互いを追いかけるように回る振り付けの時、楽しさのあまり「えへへっ」と笑っていたその人は、私がそれまで見てきた2年間1番楽しそうだった。
聞き終わったあと、不思議と涙が出ていた。
紛れもなく愛だった。
今までで1番大きな発表。
人間は興奮し過ぎるとつい記憶を無くしてしまう生き物らしい。どこかで聞いた。
卒業するそうだった。
別名義での活動に重きを置くようだった。
私はその別名義も知っていた。
私にはわからない。
別名義のその人は本当にその人なのだろうか。
私は見た目も好きだったけれど、声も話し方も笑い方も、かなり天然な所や意外とズバズバ言う所、ゲームが上手くなくてでも頑張り屋さんで、あぁ。
好きだ。好きだ。
過去形なんかじゃない。好きだ。
好きだ。
なのに、どうして名義が変わるだけで私はこんなにも苦しんでいるのだろうか。
見た目だけが好きだったんじゃない。
わかってる。わかってはいるんだ。
その人が居なくなっても追い続ける事は出来る。
しかも今度は会える形で。
寧ろ喜べばいいぐらいじゃないか!
それなのにどうして、こんなに胸に虚無感が存在しているのか。
虚無感でいっぱいになった胸がキシキシと痛むのか。
結局の所、私はその人を本当の意味で好きだったのでは無かったのだろう、と気付いたのは今朝だった。
泣きながら目が覚めた。
その人のツイートを見て、時が過ぎれば全て消え去り、もう会えないのだと実感した朝だった。
ガラスの割れる音が遠くで聞こえて、何か割れたんだと探しに行こうとした。
前に進もうと地に足をつけた時、強烈な痛みが走った。
ガラス片が大きなまま散らばって、その周りには熱湯が滴る。
持っていたマグカップを落としていたようだった。
自分の中で色んな物がぐちゃぐちゃに壊れていた。
まだ何も整理出来ていない。
今こうやって書いているのさえ、今何を書いたかわかっていない。サラサラと記憶が砂になって消えていくような感覚だ。
こうして書いて、何がしたいのかもわからない。
こんなもの、誰も見ないでくれ。
何にもならない。何にも。
やはり、私はこの人が好きだ。
少し、落ち着いてきた。
この歌、好きだったんだよなぁ。
出会えて良かったな。
うん。
私が好きになったこの人にもう新しいものは増えない。それどころか全てが消え去りその人がここに確かに居た痕跡がほぼ全て、失くなる。
寂しいけれど、お別れを言わなければならない。
書いてた意味がやっとわかった。
メリッサ・キンレンカがここに確かに居たのだと、記したかった。
ここは私なりの、あの人と私の想いの墓石だ。
ここに全て置いていく。
ありがとう、愛している。
私の全てだったその人へ。
ここに全て置いていく。
そして私はこの人生に幕を閉じる。
圧(あっっっっっっっ)倒的に画力や構成力が進化してるやないけ。
https://comic-days.com/episode/3269754496441951198
こっちがジュウドウズじゃい!
ぜんぜん違うやろがい!
作風の癖は一緒だがぜんぜん違うやろがい!
ジュウドウズの頃から一貫した視線誘導により画面に動きを見せる作風!
だがジュウドウズの頃には動きの流れは読みやすいが、あくまで流れる動きを見せやすくすることに専念した画作り。
モーションの中割部分を見せることにより前後を想像させるスタイル。
そこから、忍極では動きの中にある一番カッチョイイ部分で画面を止めながらも構図や集中線による誘導で動きを見せている。
さながら最高のカメラマンによって手ブレ一つないパーフェクトなシャッターが決められたか如き一瞬の美。
バトルの展開は変わらず読みやすいがそれだけでなく「なぜ、漫画としてその絵を描くのか?カッコイイからだ!」がひと目で分かる。
これをお前「こんな天才を見抜けなかった馬鹿がいるらしいですよ?」だと?
ここまで育つことまで含めて才能なんじゃい!
途中経過だけで「これはのちのち高くなりますよこの株は」とかやるのは単なる山師やんけ!
展開もみてみい。
友情パワーの集大成でパワーアップすることで敵キャラに主人公的説得力をもたせて無理くりな理論を完全補強。
今までは単に最強にして天才ってだけで王子様よばわりされてる3枚目だけど強キャラってポジションやったがこのキマった顔を見てみい!
割れた子供達(グラスチルドレン)の目に映るガムテがこれじゃい!
王子様なんじゃい!
亡国の王子が滅びゆく世界に国民たちの生きた証として御旗を突き立てる姿じゃい!!!
お前らわかっとるか?
王子を演じとるんじゃ?
悪魔に唆され愛を見失った割れた子供達(グラスチルドレン)、無数に飛び交う白鳥その一羽一羽がそれぞれのオディールなんじゃい!
そのオディール達に、命を賭して愛を示す王子ジークフリードなんじゃい!
殺しという悪魔に魅入られ、返り血の中で純白の翼を心に広げ、愛を求めて死地へと飛び込むオディール達の王子様なんじゃい!
この物語が!
死線のなかに現れる一瞬の沈黙のわずか2ページで読者の脳裏でスパークするんじゃ!!!
この圧倒的パワーが!!!!!!ジュウドウズの頃にあったか!!!!!!!!!!!!!!!!!!
圧倒的成長!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
才能を評価するはよし。
だがな、それを評価する己に酔って目の前にある漫画のみかたを見失うなよ。
VR酔いが起きないようにする決定的な技術はまだないけど、小手先の技は色々編み出されているんだけどなあ。でもコンテンツの実装側が自分でやんないとダメなので導入されてないことがある。
物見遊山よろしく、気づいたら8時にNHK総合にチャンネルを合わせている自分がおり、ボクサーの津幡ありさの身体性と華に「なんか格好いい人が映ってんな。」と目が離せなくなり、結果、仄かな高揚感とともにオープニングセレモニーを見終えてしまった。
いやいや、こんなつもりじゃないんだ。こんなクソな五輪、1mm足りとも楽しむつもりは無かった。でもさー、五輪に携わる事自体が負け戦のような状況下で、火中の栗を拾いにいった関係者の献身や、実際の成果物としてのセレモニーはやっぱアガっちゃうもんなんだなぁ。すごいなぁ、祭り感でちょっと持ってかれてしもうたなぁ、
等と考えてた折に、ドラゴンクエストのBGMが爆音で鳴り響きふと我に返った。いや、すぎやまこういちって。小林なんかよりずっとあかん人連れてきてるじゃないですか。吹き出しの集中線もすんごくドメスティックなセットリストもめちゃめちゃダサくてはっと目が醒めた。
「ネットとかで色んなおまんこ見るけど、まーさんのおまんこはすごく普通な形!」って適当に言うと、
「やったー!」と喜んだ。「普通の形だから、いつもまーさんのおまんこ思い出しておかずにしてた。
エッチな動画見ても、そこにまーさんおおまんこ想像で合成して。普通のだからどんなのにも合う」。
「でへへへへー。それほどでも」。
小陰唇も端は黒ずんでいて、短めのびらびら。
大陰唇が閉じてると小陰唇が帆立貝のひもみたいに出てる感じ。
肛門も黒ずんでる。漫画の集中線みたいに奥に向ってすぼんでく。
だけどその色に対して「中身」は赤くて、その対比でグロい印象(悪口でない)。
悪口を書いてると読まないで欲しい。なるべく正確員にそのままを文字で描写しただけ。
僕の文才が無いのが悪いし、これが悪いって言ってるわけじゃない。
色がピンクならなーとか、小陰唇が肉厚ならなーとか、そんなの知らない。
立てた3本の指はW、丸を作る指はP。
ネットの片隅で語られたでっち上げは、悪ノリによって拡散され、いつしか真実となる。
そのサインは、白人至上主義への支持を表明するシンボルとなった。
ある高校では、卒業アルバムにOKサインで写る写真が含まれていることが問題となり、アルバムを作り直した。
あるテーマパークでは、着ぐるみ姿でOKサインをしたことで、演者は解雇された。
競合企業や対立陣営に差別主義者のレッテルを貼りたい企業や政治家。
幾多の人々の思惑によって、「配慮を要する象徴・単語の一覧表」は、肥え太っていった。
3600ページのPDFが公表された頃はまだ良い方で、やがて、誰にもそのリストの全貌を把握することはできなくなった。
マッシュルームカットは公然わいせつと白人至上主義の象徴となり、
「白」「黒」「黄色」は単語自体が人種差別主義者の象徴となった。
街やネットからロゴは消え、色彩も消え、話せる単語も制限されていく中、人々はどこかおかしいと感じていたが、声を上げると差別主義者だと糾弾された。
差別判定・糾弾機関は、軍産複合体を経て、超巨大な国際機関と化しており、人類の誰もが、多かれ少なかれ利害関係を持っていた。
もはや、「反差別」の推進と拡大は誰にも止められなかった。
やがて、事態は、印欧語族に属する言語全てが、差別主義者の象徴とされるに至る。
反発する「差別主義者」と「反差別主義者」との間で核戦争が起き、人類は滅亡した。