はてなキーワード: 集中線とは
https://shonenjumpplus.com/article/entry/tsumeaka_17 最新話
https://shonenjumpplus.com/episode/13932016480029150322 過去のも全部見れるで
これ読んでると売れない漫画家がなんで売れないのかがよく分かるわ。
謙虚じゃないんだよね。
上から目線がちっていうか、「俺の表現って凄い魅力的だし、俺のセンスこそがグローバルスタンダードでしょ?画力が足りないから馬鹿な読者や編集者は認めてくれないけど、俺って本当はもっと評価されるべきでしょ?」って態度がそこらじゅうに溢れてるの。
いやいや、お前単純にセンスや表現力が足りてないから売れてないんだし、売れてないってことはよほど運が悪いんじゃない限り今はまだ未熟って事だぞ、って事実を頑なに認めようとしない感じがいいね。
まあこの人の場合は「俺って正しいでしょ?俺の感性って優れてるでしょ?」とアピールしすぎなんだよね。
「俺って面白いでしょ!俺が書いてる漫画面白いでしょ!つまり俺ってセンス有るでしょ!俺は!俺!俺!俺のことを認めろよ!おい!俺を俺を俺を認めろよーーーーーーー!」ってそのまま叫び過ぎなんだよ。
はっきり言わせてもらうが、よっぽど人生上手く言ってるやつ以外はそんな気持ちこれでもかってぐらい誰もが持ってるから、そんなのをオブラート1枚だけ包んでぶつけられても何も響かねえのよ。
もっとずっと熱意を込めてぶつけてきたら響くかも知れないけど、それを表現するための指標は作中キャラに叫ばせるとか集中線引きまくるとかじゃないと思うんですよね。
その辺りを"心で"理解したら一皮むけるだろうけどねえ。
でも、なかなか上手く行かなそうなのが旗から見ていて伝わっていてそれが(ある意味)面白い。
休むタイミングがわからなくなったインドカレー屋さんが恐る恐る火曜を定休日にしたよ、
というツイートがバズったりしたのですが皆さんは御存知ですかね。このツイートなんですが。
https://twitter.com/t_tricker/status/989079569838862336
で、そのカレー屋に取材に行った記事がSPOTというメディアに上がってたんすよ。
https://travel.spot-app.jp/namaste_sasakikaede/
中身読んでみたんすけどちょっとコレひどくないっすか。
ライターの迂闊さが原因なのに店へたどり着くまでの苦労話を強調してみたりとか、
店や店主の良いところを丁寧に取材して発信しようという志が感じられないというか。
これじゃ「話題になったスポットに行ってみてハシャいでみた」みたいな記事になってんじゃん。
そもそも島根県浜田市へ向かうのになんで鳥取県米子市の鬼太郎空港から向かってんだ。
萩石見空港からなら車で1時間程度だろうに。せめて出雲空港から向かうべきでしょうよ。
そのあたりの適切なアクセス情報すら載せずに、行きも大変でした、帰りも大変でしたとしか書いてないじゃん。
これ見てどれだけの人が「あ、自分も行ってみよう。」と思うんだろうか。
SPOTってヨッピーが隠れ編集長みたいなのをしてる、って公言してるメディアでしょ?
ネットで適当に拾った情報をつなぎ合わせるのではなく、現地に詳しい人が、ちゃんと現地を取材して、価値のある記事を届ける、
っていうコンセプトじゃなかったの?
個人的にヨッピーの姿勢とか書いた記事とかは(一部例外を除いて)概ね支持するんだけど、
そのフォロワーたるライターがこんな感じの記事を出しちゃってるのはどうなのよ。
あ、あと、もう過去に何度も言われてると思うけど、
ヨッピーとかARuFaとかがよく使う、丸写真会話形式の取材記事、面白くない人がやると面白く無さ倍増するからやめた方がいいと思う。
これとか。
http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/bad/4551
午前三時ごろ腹痛。
いやに腹の上の部分が痛いなと思いながらウトウト。
午前五時、再度腹痛強くなり目覚める。
再びトイレに向かうが何も出ない。
これは胃痛なのではと疑い始める。
昨晩の夕飯を思い出す。
しめ鯖に集中線を描きたい気分になった。
もともと魚介類が大好きなのでいつかやるだろうと思っていたのでアニサキスではと言う疑いにはすんなり辿り着いた。
パソコンを起動して症状を調べてみる。
症状だけ見れば完全に合致している。
痛みにはどうやら波があるようだ。
午前六時。
普段より早く起床しているため、痛みはあるが暇といえば暇になってくる。
妻子はまだ眠りの中。
パソコンは起動している。
そうだ、オナニーしよう、と思った。
そのときに気づいた。
果てるその瞬間。
痛みが明らかに減ったのだ。
胃には時折激痛の波がやってきているし、汚れたものを始末しなくてはいけない。
しかし少し冷静になった頭の中で、ああやはり射精の瞬間というのは脳内物質が出ているんだなと改めて実感したのであった。
これは便利だと思う反面、日に数発しか発射できない霊丸みたいなものだとも思った。使用するタイミングを見極めなければならない。
今は胃腸科の待合室にいる。
やはり痛みには波があるようだが、痛みが引くときは結構引いてくれるので果たして本当にアニサキスなのかと少し疑問に思ったりもしている。
追記
アニサキスいた。
思いの外太いケーブルが口から胃に向かっていったけれど、麻酔の力なのか想像ほどは苦しくなかった。
いい経験になった。
自分の好きな同人作家さんは同人誌によくあるような雑な感じの絵ではなくて、
なんというか作風がしっかりしていて、集中線?とか背景がプロっぽくてすごい人だ
その人がTwitterでオリジナルもやってみたいというから、コミケで本を買うついでに「オリジナルも見てみたい」と伝えたら、
「実は新人賞を取ったり漫画雑誌でデビューしたことがあるけど、うまくいかなくて辞めてしまった」と言われ
本人は「いやーバクマンみたいにうまく行けたらいいんすけどねw」なんて笑っていたけど、
実際はどんな気持ちなんだろうか
自分は特に夢を追ったりしていなかったから、その人の悔しさはわからないけど、
賞を取ったり、下位でもドラフトで取ってもらったり、メジャーデビューしたり、
いいところまで行った人が夢を諦める時ってどんな気持ちなんだろう
死にたくなったりするのかな
それともすんなり諦めるのかな
続きです。
こちらに一連の話の元となった安彦良和の「虹色のトロツキー」の格闘シーンの画像があったので、これを元に解説を試みてみます。
http://blogs.yahoo.co.jp/musyaavesta/archive/2013/09/11
なお自分ははてなで安彦良和のあとがきの引用を読んだだけで、作品「虹色のトロツキー」は読んでおらず前後のページとのつながりもわからないので、的はずれなことを言っている可能性が大いにありますご了承ください。題材とするのは、上記リンク先の安彦良和の一枚目、老柔術師範が青年の道場破り?を投げ飛ばす見開きです。
これがいしかわが指摘したシーンそのものかは知りませんが、ぶっちゃけて言うと、すごくギクシャクしていて、動きがないというか重みがないように見えます。
この見開きでは、以下の様な心理的な動きと物理的な動きの両方が示されています。
1:心理表現) 老師範が青年の力量を測るために組手に誘い、組んだ感触で何らかの判断を下した後に投げ飛ばした。
2:物理表現) 老師範が青年を組手に誘い、青年は勢いをつけて組みに行ったが達人技でいなされ、投げ飛ばされた。
左ページ2コマ目の二人が見つめ合っているコマを中心に、この見開きで老師範の心理的な動きを表現しているのですが、これがなんというか工夫のない書き方で、物語の心理的な動きを表現する一方で、物理的な動きの表現の妨げとなっています。
その原因は、大きく分けて2つあります。
まず右ページ最終コマで青年は画面左上から右下に突っ込んでいます。背景に流線を入れてスピードを表現しているにも関わらず、勢いを感じさせることに失敗しています。なぜなら、読者の視線の動きと一致していないからです。特に右ページの左下最後のコマというのは、左ページの頭に戻るための視線の動きが強く働くため、左上に向けた動きを読者に暗黙に想定させます。
もっというと、右ページの他のコマを無視して「このコマは青年が腹に前蹴りを食らって後ろ向きに吹っ飛んでいるところだ」と言われれば、そう見えてもしまうのではないでしょうか?
そして次のコマで、青年が老師範に組み付くのですが、このコマの画がすごく止まってます。もし青年がそれなりの勢いで組み付いたのなら、老師範はこの勢いを受け止めるために力を入れて押し返す(重心が前に出る)か、力を受け流す(重心が横か後ろに下がる)かをするはずですが、老師範はほぼ直立したままで受け止めています。読者はこのコマだけを見て、青年が勢い良くぶつかってきたと理解できるでしょうか?
もっと言うと、青年が勢いをつけたにも関わらず自分より小柄な相手になんの工夫もなく受け止められていて、なんというかこの人、体重ないのかな、という印象すら受けます。
おそらく安彦良和の意図としては、このコマの出来事は一連の運動のほんの一瞬であって、実時間上の次のフレームでは老師範が達人技で勢いをいなして投げ飛ばす、という流れを想定しているものと思います。ですが、一連の運動の流れの中から切り取るべきフレームはこの老師範が直立したままの瞬間ではなく、数フレーム後、投げ飛ばす技の初動の体重移動が入った場面を、デフォルメを入れてでも運動の方向をわかりやすく描くほうが、より伝わりやすいのではないでしょうか。
そして、この組み付いた瞬間から最後の投げ飛ばされるコマまでの時間経過がわからない、ということが二つ目の問題点となります。
組み付いたコマから青年が投げ飛ばされる左ページの最後のコマまでの間に、二人が見つめ合っているコマと、老師範が力をいなすために体を沈めるコマの2コマが入っています。
もし一連の流れが一瞬のうちに起こったことだとしたら、読者がそのスピードを体感する、言い換えると読みのスピードと事象のスピードを一致させるためには、この2コマをすごい勢いで読み飛ばす必要があります。(もし事象として数秒間組んだまま止まって見つめあっているのだとしたら、前述のとおり青年の勢いをどうやって受け止めたかが謎になり、やはり運動の表現としてはおかしいという結論になります。以降、一瞬のうちに投げ飛ばされた説を取ることにします。)
前稿でも書いたとおり、マンガにおいては一枚の平面の中に、空間と時間の両方が並列に表現されています。それぞれのコマや間白がどのくらいの時間経過を表しているかについて、基本的にルールはありません。読者がコマ構成や文脈から自由に読み取ることになります。そのため作家は、どのコマどの間白がどのくらいの時間分節になっているのかを読者に伝えるために様々な工夫をする必要があります。
これには単純な方法があります。短い時間の出来事のコマを小さくすることと、視線の流れの中で並行になるようにコマを並べて、同時に起きた事象として表現する方法です。
この例では、これらのいずれもとらず、なぜか組み付いた瞬間のコマが大きく描かれています。さらに追い打ちをかけるように、二人が見つめ合うコマを重ねています。心理的な表現としては機能しているのですが、多分普通に読むと、この見つめ合うコマで読者は1秒弱くらい止まります。イコール、組み合った瞬間から投げ飛ばされるまでに1秒止まっていた、と読み取られる事になります。読者がそう読んでしまうと、一瞬で投げ飛ばされたという説得力をかなり失うことになります。
まとめると、この2ページの間に、どのくらいの体重の人間がどのくらいのスピードで跳びかかって、組み付いた瞬間の衝撃はどのくらいで、どのくらいの時間組んだ状態でいた、もしくはほとんど組んでいなかったか、どのくらいの勢いで投げられたか。そういった運動的な情報をマンガという手法を使って表現することには、まあ控えめに言ってあまりうまく行っていないな、とこの見開きを見た限りでは感じます。
絵における「動き」とは一体何なのか?という話 - pal-9999の日記
http://d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1
について。
まず、マンガにおける「動いてない絵」については、BSマンガ夜話のスラムダンクの回で一条ゆかりといしかわじゅんが指摘した言い方が一番わかり易いと思う。曰く、「スラムダンクの絵はどちら向きに動いているのかわからない時がある」と。
自分も、ルカワがスピンターンをするような場面で、右回りに回っているのか左回りに回っているのかわからず、前のページと往復しながら位置関係を把握しようとした記憶がある。
それを、デフォルメとコマ割りの創意工夫で読者に伝える、というのがいしかわのいう「動き」なのだと思う。
マンガのページはただの静止画で、本来そこには時間の動きはない。一方、読者は基本的に右上から左下に向けて読んでいくという意味で、仮想的な時間の流れがある。
この相反する要素の組み合わせを使い、止まっている絵を動かしてみせる、読者に動いていると思い込ませるという技術こそが、写真や映画、アニメにもできない、マンガだけにしかできない「動き」だ、というのがいしかわの主張なのではないかと思う。
それといしかわじゅん関連の話しておくと、「動きと画質の間のトレードオフ」に関して、AKIRAの大友センセは画質重視の作画をしており、動きの情報を示すモーションブラーはあまり使ってません。なんで、あの漫画の場合、1コマ内では、動きはそれほどありません。僕は、AKIRAの作画を見て、「動きのある漫画」とは呼びません。画質は素晴らしいですが、動きの情報は極端に切り捨てた漫画になっています。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/pal-9999/20141030/p1
単純な一枚絵について言えば指摘通り「動き」と「画質」はトレードオフの関係にあるのだろう。だが、マンガにおいては前述のとおり、静止画であることと時間が動いていることが共存している。
AKIRAのシーンでは、右のコマの背景の流線の方向と視線の(イコール読者の時間の)方向を使って、パンチの動きを表現している。どちらのコマも画自体はピントがはっきりしている(写真としては止まっている)のに、右から左に向けてパンチの力が働いたということが表現されている。
いしかわはこれを、「動き」と「画質」をトレードオフの関係から開放し、両立させたものとして見ているのだと思う。ブラーがないから動いていないのではなく、ブラーがないのに動いていることが凄いのだ。
デフォルメについても重要で、AKIRAのシーンでの、殴られた側の派手な首の伸び方、ねじれ方が殴られた感を出している。元記事で対比に使われているドラゴンボールのコマも、着目すべきなのは殴られたピッコロの描き方で、非常にデフォルメが効いている。触覚の残された感など感動すら覚える。
大友以前のマンガでは、こういった動きを表現するために多くの記号を使っていた。動きを表す流線(ブラーと似ているが同じではない)や、よくわからないトゲトゲ → Σ(゚Д゚) 、オノマトペなど。
元記事で動きがある画の例として挙げているワンピースやはじめの一歩のシーンに、余計なものがたくさん書かれていることに気づく。ワンピースは言うに及ばず、一歩のシーンでもパンチの撃ち出しの軌道上、会長のミットに向かって突き抜けている"気"のような何かが描かれている。単純にシャッタースピードを長くしてもあの軌道をあの距離動いているものはないはずで、あれはブラーではなく記号なのだ。
これらの記号に頼らず、純粋に画力とコマ割りの力で動きを表現した、というところに大友の凄さがあるのだと、いしかわは評しているのではないだろうか。
いしかわじゅんはマンガを見る目は確かだと思うが口が悪い(失礼)ので本当に主張を汲み取れているかは分からないが。
id:kanose 大友克洋氏は漫画独自の記号を使わずに動きを表現するのがすごいというのがいしかわじゅん氏の主張だと解説。ただ大友氏は流線を多用しているよね
そうですね。流線や集中線をつかったコマが異常に多いです。が、あれ背景なんですよね。従来だったらモノ(例のパンチシーンなら、アゴの右手)についていただろう流線が、背景全面に置き換わってます。そうやって、モノよりも読者の視線や意識の方向をコマごとにコントロールしてるのだと思います。
五体満足に産まなかった神を誅戮することを挑まれてるんだよ、彼らにはよく集中線入ってるでしょ?
ラノベに限定しての話だけども、応募作品の質の劣化はいつ底を打つのだろう。
ネットで安易な賞賛を受け、根拠のない自信をつける人間がいる限り止まらないのだろうか。
応募作品の母数は増えても、その質は低下の一途。
多段階選考となっていることが多いが、ニ次以降が本格的な選考となるケースが多い。
人が一生懸命描いたものにこういった言い方をするのはなんだが、選評を返す段階ですらない問題外の作品(と正直なところ呼びたくない)が多すぎる。
一次落選の大多数と二次落選の一部に共通するのが「お前絶対三人称で書いたことないだろう」と断言できるレベルのもの。
とにかく人称や視点のブレなど、基本ができていない。
一人称は描きやすいよ?
読者的にもとっつきやすいよ?
でもあんた、作者視点での描きやすさととっつきやすさで選んでるだろ。
それ以前に人称統一できてる?
「人称や視点を切り替えるという表現方法が~」なんて言うのがたまにいるけど、それは基礎が出来てる人間だからできること。
効果的に人称切り替えができてる自信があるのかもしれないけど、アマチュアレベルで出来る人間なんて殆どいないから。
出来る奴はそんな手使わずに人称統一した作品応募してきて選考通過していく。
小中学生の黒歴史ノートみたいなレベルのものを送ってくるのが大学生とかそれ以上なんてのが珍しくない。
本屋に並ぶ他の作品に引けをとらない自信があるのか。
ネットに投下するのとはわけが違うのは分かっているのか。
また、応募予定者のBlogなどで時々目にする一文。
「今日は○枚(ページ、kbyte)書きました」
この時点で質がなんとなく予想出来てしまう。
確かに例外はある。
逆に言えば例外レベルでしか真っ当なものがない。
漫画が好きだから漫画家を目指そうと思い、実行に移す奴はそう多くない。
絵を描くという一朝一夕には身に付かない技能が必要である事にすぐ気付くから。
一方で、小説が好きだから小説家を目指そうと思う奴の多さたるや。
もう色んな人間が既に何度も言っていることではあるけども、何故気付かないのか。
俺も子供の頃
「ゲームが好きで好きで仕方がない。だから自分はゲーム会社に勤めてゲームを作るのが向いているはず」
と思っていた事があったが、あれと同じ。
"Hello World" を出力できるからってプログラミングできるわけじゃないんだよ。
アルゴリズムを知り、身につけ、組み立てて形にする知識と技能(才能と言ってもいい)がない奴には無理なんだよ。
作品を見てすぐに分かる。
冒頭十ページで分かる。
日本語を読み書きできて小説が好きだからって小説が書けるわけじゃない。
また、うまくなるためにどうすればいいかという質問を時折見かける。
「たくさん本を読んでください」
と答えている奴。
はい、アウトー。
日本語を読み書きできて小説が(ry と思っている人間はすぐにこう答える。
それは描けるようになった人の話。
うまくなりたいならたくさん書く。
色んな人に見てもらって叩かれる。
でも踏み外すと斜に構えて「応募すれば賞程度すぐとれる」という意識の勘違い君に成り果てるんだよねー。
インパクト狙いの一発ネタでの賞賛を受けるのに慣れて他が書けなくなるか、同類の間で馴れ合うだけに。
そうなったらなったで自分のプライド守るために応募してこなくなるから楽にはなるけど。
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同意する奴も反論する奴もいるだろうが、とりあえずブクマしてる中に明らかに場違いなのがいるのでひとつだけ。
id:konkon1986
書く・描くが指す対象とその文字を使う意味を理解できないのなら最低ラインにすら到達してないからこの手の話題にはお呼びでないよ。