はてなキーワード: 隠遁とは
上の記事などの今回の論文にまつわる意見を読んでいて気になった論点や意見を列挙します。何か思いついたりおもしろいのを見かけたら追記します
pixivの小説の文章を論文に載せている点とpixivの小説を研究対象として解析している点は別の問題点だという意見があるので、それらは別に扱います
時代が進むにつれて、オタク的なコンテンツが一般社会で肯定的に扱われることが増えてきている。
往年の電車男、最近では紅白などのNHKや各種民放、芸能人ならGacktにTMRに小林幸子に叶姉妹、萌えマスコットに萌えおこし、最大手なのがクールジャパン。
ああいうのに対して、いい顔をしないオタクもいるじゃないですか。
見ててイタ恥ずかしいからやめろとか、石の裏の虫を太陽にさらすなとか、リア充が流入してほしくないとか。
私としては、その中でも「オタクに媚びやがって」、って反感が強い。
でも考えてみれば、媚びられて何が悪いのか。
あんまりにも持ち上げられるといつかハシゴ外された時がキツい、というリスクはあるものの、ある程度までなら、オタクが世の中に受け入れられて地位が向上するのは、オタクが生きやすくなることに繋がる。
「地位が上がらなくたっていい、そっとしておいてくれれば」なんて言う人もいるけど、その「そっとしておいてもらう」ためにも一定の地位が必要なんだよ。そうじゃないと叩かれる。
たとえビジネスに利用されてるだけだとしても、利用価値があると思われてる方がオタに一定の配慮をしてもらえるようになるわけで、隠遁オタクでも生きやすくなる。(今はまだまだだが今後に期待)
金も回ってきやすくなるしコンテンツも更に充実する。(今はまだまだだが今後に期待)
……っていう、オタクが社会に受け入れられるのは双方にとってwin-winだって理屈はわかるけど、やっぱムカつくんすよ。
なんでかってのを言語化すると、一般社会がオタクに歩み寄ってこようというなら、その前にこれまでオタクを馬鹿にして叩いてきた過去を、非オタ全員がキッチリガッチリ謝罪して清算してほしいわけ。
オタクにも実利があるでしょ、ってんでなあなあで仲直りさせられるのは大変腹が立つ。侮辱の追い打ちだとすら感じる。
人は実利がなけりゃ動かないけれど、実利だけで感情的わだかまりを解決することもできないんだよ。
たとえばなにか事件被害を受けた時に慰謝料払われたとして、「払いたくねえなあ~、しゃあねえなあ、この守銭奴がよ」って態度で払われたら許せないでしょ。
誠心誠意の土下座と共に払えと。加害者全員ゲザれと。その上で払うもん払えと。そしたら和解してもいいよと。
はあ~、でも一般社会が全員でしっかりごめんなさいすることなんて未来永劫ないんだろうなあ~。
「一般社会」というのが捉えどころがないものだってのを差し引いても、大きな集団がみんな謝るなんてありえない。
もしかしたら、オタクバッシング報道をしてきたテレビ局の偉い人、政府や自治体の偉い人、みたいな代表者が反省の弁を述べることはありえなくもない。
でもその周囲とか下部には「上の人は頭下げてるけど自分は悪いと思ってないんで、オタクなんて有害なんで」って雰囲気を出す奴が絶対いるだろう。
そんなんじゃこちとらちっとも許せませんよ。頭下げてる人の隣でお尻ぺんぺんされてるんだから。
だから、今、私のような一般社会からオタクに対する歩み寄りに反感を持ってる人の一定割合は、その悪感情をずっと抱き続けるはずだ。
我々が死に絶えるころには、もうオタクは一般社会に対する恨みなんて持ってないのかもしれないけど。
或いは、若いオタクに一般社会からの迫害の歴史を語り継ぐことで、恨みの遺産を残すことができるかもしれない。
まあとりあえず私は一般社会からもらえるもんはもらうけど謝られない限りは舌打ちをし続けていきます。
不労所得とか、所得格差とか、職場環境の格差とか、そういうものを全て、働く働かないに矮小化して、バイナリーに自分は優れていると思い込もうとしている。
その過程で、自分が周りに迷惑をかけたり、自分が他人に劣後したり、自分がどれほどつまらない人生を送って来たか、全てを棚に上げている。
道徳の際限や客観性を恣意的に設定して、憂さ晴らしの道具に貶めている。
逆になぜそこまで可笑しいのか理解できない。頭おかしいとしか言いようがない。人が職を持たないことがそんなに可笑しいというのが理解できない。隠棲隠遁隠居、そういう熟語を知らないんだろうか?それくらい当たり前に人は厭世だとか世をはかなむだとかして浮世から遠ざかりたがる。それがそんなに可笑しいというのは、非常識だし、普通の感覚ではない。自分の感覚がおかしいのを棚に上げて普通の他人をそこまで笑えるというのは、自意識が寡少な異常人格者だ。
可笑しいし、そこまで構う理由も分からない。いじめの心理だとしか言いようがないし、その善悪を判じたり論じたりすることのできない道徳心の欠如に気づけないことに、呆れざるを得ない。
劣等感が無いはずがない。その裏返しとしてやけに大きな態度に出たりする奴はいるかもしれんが、劣後することは客観的事実で、恰もそういう自認をしていないかのように人格を攻撃するというのは、立派なヘイトスピーチにほかならない。
なぜ喋らないのか考えられる原因を列挙しました
・人との交流に興味がない
・特定の人達とだけ喋らればいいと思っている。相性が悪い人と無理に話す必要は無いと思っている
・声を出すことや会話が怖い、緊張する。傷つきたくない
・交流には興味あるが話題が思い付かない。もしくは頭の回転が遅い
・聞き専である
・趣味や思考回路が相当変わっている為、普通の人と話題や会話のスタイルが合わないから交流を諦めている(早口で論理的にまくし立ててしまう為、普段は話さないなど)
・自分が会話に入っていくことが迷惑になると考えている、または自分が嫌われていると思って萎縮している。
・会話の相手を嫌いか、怖いか、興味がないか、関係がこじれていて気まずい
・会話の相手がこちらの沈黙を好みそうな人だから、またはうるさいのを嫌いそうだから
・話しかけた相手に誤解されたり、変な好意を持たれることを予め防ぐ為
・誰かと「話さなくても成り立つ関係」を築きたいと思っているか、誰かと既に築いている(アイドルとファンのような関係など)
・いつかは人に嫌われるような問題を抱えていると自覚している為、最初から人と関わらないと決めている。
・いつか絶対に来る別れで悲しまないように初めから人と関わらないと決めている。
・知られたくない秘密があったり、その場に話の内容を聞かれたくない人がいる
・喋らないことで相手に一方的に喋らせ、情報的に有利な立場につこうとしている。
・事実でない噂が流れているのを訂正せずに放置しておきたい、偽りの噂によって虚像を作り上げたい為、沈黙している
・「寡黙な人」や、「やれやれ系」だと思われたかったり、神秘的なイメージを形成したい。
・喋らないことで威圧感や不安感を与えるなどして相手を操りたい。もしくはプライドが高く自分から話しかけたら負けだと思っている。
・その場の特定の人と人間関係を築くと、自分の別の人間関係に支障を来すと考えている(「あの人と仲いいと思われると困る」)
・目立ちたくない
・どういうキャラで話せばいいか分からない(自分のキャラクターについて特定のレッテルを貼られたくない)。もしくは今まで喋らないキャラだった自分が急に喋ったらどう思われるだろうかと躊躇している。
・不祥事、スキャンダルを起こしたため嫌悪の嵐が収まるまで交流を断とうとしている。
・人間関係に関して破滅願望や自虐心がある。または、孤高の状態に対する自己陶酔
・保守化、様子見。会話を断つことによっていままでの関係を維持するか、見直したいと思っている。
・事なかれ主義。話に加わると、自分に責任が降りかかるなどの災厄があるかもと考えている
・失言をふせぐため
・話さないことで逆に何かを伝えようとしている(無言のアピール)
・考え事や、目標達成の為の努力など別のことをしているので話したくない
・人と関わることによって俗欲が生まれたりメンタルが乱されたりして別の活動に支障が出るのを予め防ぐため(隠遁者の発想)
・言語が通じない
・物理的に喋れない
・耳が聴こえなかったり、声帯や反回神経に障害があり、医学的に声が出せないか、交流に障害を来すほどの知的・精神的疾患がある
一番最初の「人との交流に興味が無い」タイプを分類し直すと、完全に他人に興味が無く、人目も気にしないスキゾイドタイプ、自意識は高いが他人には興味無い自意識オンリータイプ、一部の人にしか興味を持てない選別タイプ、会話より考え事や空想が好きなデイドリーマータイプ、日常的で些細な話題に興味が無く抽象的な議論や専門分野や自分の好きな世界のみに興味を示す異星人タイプ、人には興味があるが会話のマナーやプロセスが面倒臭い怠惰タイプ、別の人間関係で満たされている幸せお腹いっぱいタイプ、歳をとって色々なことに飽きた悟りタイプなどに分けられると思います。
また、大きく分けると、喋らないタイプと、喋れないタイプ、理由が自分にある場合、相手、環境、関係性の中にある場合、感情型と目的型と消極型と障壁型に分けられます。
※指摘があったので触れておきますが、この記事は喋らない人を見下して書いたものではなく、ただ単に原因を列挙することを目的としたものです。(私自身が「喋ら(れ)ない人」です。)
はてなでは楽しく視聴されている方が多そうですね。
ちょっと記憶があいまいではあるのですが、真田と高野山の話をします。
2年ほど前に高野山にお参りに行きましたが、そこで真田幸村の手紙を見たんですよ。
高野山霊宝館という、見ごたえのある展示物が数多いのに、人はわりと少なく静かでいいところでした。
内容がまたしゃれている。
「どこそこの坊さんに呼ばれているが、腹もくだっているし、あまり行きたくない」
知略や武勇とは程遠い隠遁生活や、本音をもらすチャーミングな人柄がしのばれました。
坊さんのところに行かずに済ませるための言い訳かもしれませんが、なんと「腹がくだっている」と。
増田向きな内容でありますし、ふと思い出し書き記したしだいです。
それではまた。
荘子は先秦(戦国時代)における最も特異な思想家のひとりである。
彼は孔子を祖とする「儒家」の人々が強調する仁義道徳をこざかしい人
間の作為として排斥し、あるがままにあること――「自然」を愛し、何
ものにもとらわれることのない精神的自由の境地――「道」の世界にあ
こがれをよせた。しかも彼はその思想を、彼一流の風刺や皮肉や寓言に
託して表現したのである。その著『荘子』の中の「天地篇」にあるこの
話も、そうした彼の「寓言」の一つとして読むべきであって、むろん史
実ではない。
その昔、聖天子として聞こえの高かった堯が、華の地方に巡幸された
ときのことである。その地の関守役人がうやうやしく堯の前にまかりい
で、ご挨拶を申し上げた。
「おお聖人さまよ。謹んで聖人さまの将来をお祝し致します。まずは
「いやいや。」
堯は思慮深げに微笑みをたたえながら答えた。
「いやいや、わしは富を増やそうなどと夢考えてはおらぬのじゃ。」
「なればあなた様の男の御子たちが、いよいよ数多くあられますよう
に。」
「いやいや、それもわしの望まぬことじゃ。」
「はてさて。」
関守役人はいぶかしげに堯の顔をうちみやりながら訊きかえした。
「寿命と富と男子の多いことは、誰でもの望むことでござりましょう
に、あなた様だけがそれをお望みなさらぬとは、なんとしたことで
ござりましょう。」
「さればさ、男子が多くあれば、中には不出来の者も出てきおって、
かえって心配の種になる。富めば富むで余計の仕事が増えようし、
寿ければ、辱を残さねばならぬような羽目に遭うことも多くなろう
というものじゃ(寿ければ則ち辱多し)。この三事、いずれも我が
それを聞く関守役人の目にはありありと失望・軽侮のいろが現れた。
彼は堯に聞こえよがしにこう呟いた。
「ちぇっ、やくたいもない。堯は聖人と聞き及んでいたのに、今の言
い草じゃ、たかだか君子くらいの値打ちしかない男と知れた。子供
が多くともそれぞれに分相応の仕事を授けてやれば、何の心配もあ
るまいし、富が殖えたら殖えたで人に分け与えてやるならば、何の
面倒もあるまいに。本当の聖人というものは、鶉のように棲み処を
選ばず、ひなどりのように無心で食らい、鳥の飛んで跡なきがごと
く自由自在であるべきもの、世間がまともであれば、皆人とともに
その昌えを楽しむがよし、まともでなければ、我が身の徳を修めて
隠遁するもよし、千年もの長生きをして世間がいやになったその時
は、仙人となってかの白雲にうちのり上帝の郷に遊ぶもよい。病・
老・死の三患に煩わされることなく、身は常に殃なしとすれば、寿
くともなんで辱の多いことがあろうものか。」
こう言い捨てて関守は踵をかえした。見事に虚をつかれた形の堯は、
ハッと気を取りなおして後を追いかけ、
「待たれい。今しばしお手前の話を承わろうではないか。」
と声をかけたが、かの人は、
「えい、うるさいわえ。」
と一喝したまま後を振り返りもせずに、どこともなく姿を消した。
「道」の世界に生きる自由自在人――「道家」的聖人の姿を示唆しよう
としたのである。
どんな無能な人でも比較優位性のある仕事をすれば会社全体の生産性を上げることができる、という言説をときおり耳にする。私自身は無能な人間で、こういう耳ざわりの良い話は大好きなのだけど、一方で鵜呑みにしてしまっていいのだろうか?と思う。
ウィキペディアと経済学の入門書から読みかじった程度の知識なんだけど、そもそもリカードの比較優位の話って二国間貿易での話なんだよね?大抵の会社での業務は2人よりもはるかに多い人との分業で成り立っているはずだから、比較優位でもって安易に生産性について語ることはできるのだろうか?
もう一つの疑問として、比較優位性のある能力を活かす部署に配属されている場合はどうすればいいのか、というのがある。企業の貿易とか自由業者の話であれば、経済主体の意思で比較優位を活かした経済活動ができるだろうけれども、人事に業務を制約される会社員が比較優位性を活かすのは、実は結構難しいことなのではないだろうか。
他にも、業務知識をうまく共有できてない職場では、分業を進めすぎるとかえって的確な判断ができなくなるということもあるのではないかと思う。そういう状況下で各々が比較優位を重視して仕事しても、全体の生産性向上にはあまりつながらない気がする。
なんだかまとまりのない、もやっとした疑問になってしまったが、要するに自分の置かれている環境の制約について考慮せずに比較優位の原理でもって仕事の話をするのは、無能な自分を諌めるアヘンにしかならないのではなかろうか、というのが私の疑問。
そういうことを考え始めると、やっぱり無能な自分は会社を辞めて隠遁生活を送ったほうがいいんじゃないかと思いはじめて眠れない。
世の中には、「優遇されて当たり前」、逆に譲る立場になった時に、「なんで私が譲らなきゃならないの」「他の人がやればいいじゃない」という発想の人たちが存在する。これを優遇様と称す。
優遇様は、優遇されていることが当然であり、それが害されると怒りを持って、時には恨みを持って、相手を呪うのである。当事者以外を巻き込み、悪人に仕立て上げられる事もある。末代まで祟られると思っていてもいいだろう(自分の観察範囲では、優遇様には粘着質が多い)。
優遇様の被害に遭わない為にできる方法はあるのだろうか?優遇様は決して少なくない。複数の種類の優遇様がおわしまし、しかも優遇様はその存在を隠しておられる事がほとんどだ。恐らく、隠遁生活でもしない限り、被害に遭わないことなど無理だろう。
優遇様が生まれる背景は、家庭環境のせいなのか、社会環境のせいなのか、はたまた個人の資質なのかは解らない。優遇様は恐れ多過ぎて近寄れないため自分には解らないのだが、少なくとも言えることがある。
それは、
優遇様は優遇されていれば恨まない。優遇されている状況が当然、それさえ覆さなければ祟らない。
日本では人間は皆平等だ、差別などあってはならない、などと言うのは机上の空論。現実は現実である。
ここさえ押さえていれば、恐らく被害を受ける確率は低いだろう。
日本には、誉め殺しという作法がある。譲るときに、この人は優遇様でいらっしゃられる、と生暖かい気持ちで譲れば、気持ち良く譲れるだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150211/1423580651
id:wideangle 当事者が実際の生活や書籍で得てきた知見に対しGoogleで調べてみますた知識で腕ブンブンしてるんだからタチ悪いし、自分の言葉が他人に受けとられるときどうなるかの自覚もないの、本当にどうにもならん……。
id:kyoumoe 当事者じゃないので調べる以外の知識は一生蓄積されないです、申し訳ありませんね/「書籍に当たってないことの正当性」とか書いてないことを言ってる奴がいるので非表示にしますね
まずい事になってしまった
このまま行けばid:kanoseが「これはid:kyoumoeさんが悪いなあ」的なコメをするだろう(村長は間違ってるとあれば相手が島国大和でもきちんと言う)
そうしたらid:kyoumoeさんは逆上して村長までブロックしてしまうだろう
そうなったが最後、相乗効果でid:kyoumoeさんを味方するものは居なくなってしまうだろう
僕はid:kyoumoeさんのファンだ。常人ならWEB隠遁してもおかしくないようなある状況下に置かれても己を崩さず貫き通す姿勢が好きだ。
それはすなわち意志力の強さだ。腐ったWEB社会にはid:kyoumoeさんのような人が必要だと思っている。
だから僕はid:kyoumoeさんには一定の影響力を持っていて欲しい。だが権威id:kanoseにこのタイミングで見限られたら、id:kanose追従でしか物を考えない全はてな住民から見下されるハメになり、居場所が無くなってしまうのは明白だ。TM2501のように。
そうなった時の事を考えて僕はid:kyoumoeさんに新しいステージを用意したいと思っている
■本流
http://mastiff.2ch.net/nanmin/
作画を語るスレ避難所354 [転載禁止](c)2ch.net
http://mastiff.2ch.net/test/read.cgi/nanmin/1423658884/(現時点最新)
■サブ
http://yomogi.2ch.net/asaloon/
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1421591746/(現時点最新)
作画を語るスレはインターネットの歴史上見ても特異中の特異とも言える独自のコミニュティを形成し、それはどの世界のどの分野にも類しないものになっている
そのスレッド文化と歴史は一つの思想であると言っても過言ではない
何も意味なくid:kyoumoeさんを作スレに誘うわけではない。きちんとした理由はある。
以前「惡の華の動きが気持ち悪すぎる」という記事を書いた時、煽りのつもりでTHE八犬伝~新章~の第4話「浜路再臨」の動画をコメント欄に貼ったのは自分だ。→https://www.youtube.com/watch?v=ANc7jZy-TzU
ニワカコメントを引き出すための誘導尋問的な行為であったが、id:kyoumoeさんはこちらの意に反して「それ(浜路)の動きはちゃんとしてるからいいんですよ」という返しを頂いた。
この件だけでもid:kyoumoeさんは、潜在的に正しい作画観を持っていると確信しているのだ。
作画を語るスレはただの井戸端アニメコミュニティではない。インターネット文化を動かす熱量と重みを備わっている
売り上げを見守るスレや新番組を評価するスレ等といった百害あって一利なしのゴミスレッドとはわけが違うのだ
しかし不遇にもインターネットは作画を語るスレを軽視しすぎている。あまりにも無理解だ。
ちゆ12歳にまとめられてもおかしくないエネルギーを持ち合わせたコミニュティであるのにも関わらず現在まで軽んじられてしまっている
その現状を打破するためにもid:kyoumoeさんの力が必要なんだ
殺害されたという報道で十分であり、犯人が遺体をどう扱ったかという情報は余剰な情報だと常々疑問に思っていたのだが、今回の児童殺害の犯人の行動からむしろ害悪なのではと感じた。
犯人は過去のこういった報道に感化されたのではないかと推測出来るからだ。
確かに報道がすべての原因だとは言えないかもしれないが、推理物の小説等で情報を得ていた場合、一連の殺人の手法、隠遁までが示されるわけで、「遠くへ捨てるシーン」や、「たばこの吸い殻に注意しなくてはいけない」等の今回の行動を注意喚起するものとなっているはずだ。
犯人は「切断して山に捨てる」しか知らなかったと思われる行動が多い。
切り取られた情報しか得ていない、それはワイドシューやニュース等の情報を切り取って伝えるメディアに振れて喚起されたのではないかと考えて問題ないと思う。
「ありのままの自己受容」で会社組織で生きていけるものなんだろうか。
俗世間を離れた隠遁生活みたいなのをしている人が、よく「本当の人間関係とはこうあるべきでどうこう」という理想論を、ネット上でホームページなんか自力で(こういうタイプに限って出来合いのテンプレートを使わずweb1.0みたいなサイトである。)作って、とくとくと説いたりしているけど。
そういうサイトは、どんどん話がスピリチュアルで崇高な領域に行っちゃって、俗世間で会社組織やママ友だののしがらみの中でもがいてる人をおいてけぼり。
独身で何のしがらみもないところで、会社にも勤めず、一人で生きていくならそれでいいんだろう。
「相手と円滑な関係を築きたい」が人間関係の大前提である人々にとって、
対面しているあなたという人間が仏頂面でいることはそれだけで不快・不安を催すマイナス材料なんだよ。
あなたは 仏頂面でいて何が不都合なの?ばかばかしいね。と思うかもしれないけどね。
加えて言えば、「友達つくるのに苦労してばかみたい」と思うこと自体、
「お前は私がわざわざ友人関係築いてやるほどの価値ある人間じゃねえ」と侮辱してるのと同義ととる人もいるだろう。
あなたみたいに、友達をつくることにあまり向いてない、四苦八苦してまで友達を作る意義が見いだせないって人はわりとたくさん存在すると思う。
夕日の下に 山なみが続く
山はどんなに高くても
天には届かない
愚かな者たちが はびこる時は
ただ退いて 距離を保とう
世の中が乱れ つまらない人たちが
勢いを得る時には
山の彼方に 隠遁しよう
勇気を持って 退くことは
相手を恐れて 逃げるのではない
相手を憎んで 去るのではない
天の運行を さまたげないために
ただ いさぎよく 退くのだ
時に応じて戦い 時に応じて退く
退くときを逃してはならない
力も地位もある間に
厳しく自分を守って退こう
その厳しさは 愚かな人たちにも
教えることがあるだろう
その力強さは 愚かな人たちを
遠くにとどめるだろう
真実を守り通す力があるなら
すべてを棄てて 恐れずに退く時だ
2爻 Line2
自由があまりきかない今、死んだふりをしてチャンスをうかがうことも必要です
衰えつつある時の流れに逆らわず、中央から逃れ退いて田舎や地方などに身を隠し、
じっと再起のチャンスを待つべき時です。何事も潔く退き、深入りしないことで
難を逃れることができます。見栄も外聞も気にかけず、逃げるが勝ち、
The power of the dark is ascending. The light retreats to security, so that the
dark cannot encroach upon it. This retreat is a matter not of man's will but of
natural law. Therefore in this case withdrawal is proper; it is the correct way
to behave in order not to exhaust one's forces.
http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20110402/1301713157
この問題、「フランチェス子氏の名誉を回復する」ことをフランチェス子が望んでいるんだと捉えている人がいるかもしれないが、そうではなく、「フランチェス子氏が自分の承認欲求を満たしたい、みんなから同情されたい」というのが目的だったとしたら?と仮説を立ててみる。
この件、そもそも最初はフランチェス子氏にメガネ王氏が一方的に絡んでいったことが発端であり、暴言を吐いたのもメガネ王氏。そらの氏は直接的に暴言を吐いてはいない。したがって、話の筋としては、フランチェス子氏は最初にメガネ王氏からの謝罪を要求すべき。もちろん、メガネ王氏が隠遁しているので要求しようがないのだが、フランチェス子が攻撃対象を本来のメガネ王氏からそらの氏及び所属会社へ変更し、集中的にそらの氏と所属会社へ言及しているのは、筋としておかしいと言わざるを得ない(上記リンクでもタイトルには株式会社ソラノート云々しか書かれていない)。当然、メガネ王氏と結託して侮辱放送を行ったそらの氏及び所属会社は責められるべきだが、それは、そもそもの発端となったメガネ王の暴言とは分けて考えるべき。それをごっちゃにして、メガネ王やらえがみやらへの日頃からの不満、疑念をまとめてそらの氏及び所属会社へぶつけているために事態がややこしくなっている。
いずれにせよ、フランチェス子氏が本来行うべきメガネ王氏への謝罪要求よりも、そらの氏及び所属会社への謝罪要求を不自然なまでに優先させるのは、フランチェス子氏の行動原理が「周りからの同情を得たい」であるためだと仮定すれば、説明がつきやすい。つまるところ、フランチェス子氏は自分の名誉を回復したいのではなく、圧倒的多数の同情が自分に集まっている現状が心地よい、その状態を続けたいだけ、と仮定するのである。
そう仮定するならば、そらの氏及び所属会社がいかなる形の「謝罪」を行っても、永遠にフランチェス子氏側から受け入れられる事はない。なぜなら、同情を集めることが目的なのだから、できるだけ今の状態を長引かせるのがフランチェス子氏にとっての最優先事項だからだ。また、フランチェス子氏からの「和解案」が観客に示されることもない。なぜなら、フランチェス子氏が多数の観客から同情を受ける状態そのものが主目的なのであって、氏の名誉回復といった問題は副次的なものに過ぎないからだ。
上記の仮定に立つならば、今回の震災でフランチェス子氏は相当焦ったと推察される。なぜなら、観客の興味が今回のもめ事から震災へ移ってしまうということは、自分の存在が忘れ去られることと同義だからだ。そこで、「そろそろ震災への興味も落ち着いてきた」絶妙のタイミングで上記ポストを投入することになる。これが震災直後といったタイミングであれば、いくらフランチェス子氏に利があろうと、「それどころじゃねー!」と一蹴され、逆に自分の立場が悪くなるからだ。
「フランチェス子氏の名誉を回復する」ということが主目的であるならば、フランチェス子氏は、そらの氏及び所属会社との話し合い、示談なりが落ち着いた後、そらの氏及び所属会社なりに謝罪文章を載せるよう求め、自ブログから言及し、それをもって今回のもめ事の決着とすればよかっただけのことである。しかし、上記仮説に立つならば、それではフランチェス子氏はまったく納得しないのである。個人的なもめ事を「社会問題化」し、できるだけ長い間自分への同情が集まる状態を保ち続けるためには、社会に対して、この問題を「風化させるな」と自ら、強く、訴えざるを得なかったのだ。「風化」という一語に、氏の心理的欲求の一端が垣間見られるという訳である。
…ま、あくまで仮説なんで、実際のところは知らんけど。
彼女に振られて1ヶ月ほどたつ。
振られた直後は、現実感がわかないというか、まるで人事のようだったけど、
時がたつにつれて、不安に襲われるようになった。
それと、4年間つきあった末にいとも簡単に好きな人ができたと
関係を絶たれたことへの苛立ち。
2ヶ月前には結婚を迫られてたのに。。
でもいつかは俺のもとに戻ってくるんでないかと、現実的な
考えに
僕の知らない男と仲良く楽しんでいるのかと思うとやりきれない気持ちになる。
あのとき、ああしときゃよかったのもしもシリーズは永遠と頭の中を
めぐる。
もう32になるいい年こいた熟成されたオサーン。
難易度たけーな、なんてクソゲだ。
もう結婚諦めてしまえ、てのと、
前の彼女よりはいい人でないと納得いかない。
半隠遁生活もありなんじゃないかと思う。
東南アジアで極貧生活でいいや。
状況がよくなることをイメージできない。
詰んだ。