はてなキーワード: 野次馬とは
「“結婚はゴールじゃない”なんて言う人いるけど、あれ大した理屈じゃないよな」
俺がそう言うと、兄貴は体の向きを変えないまま「そうだな」と答えた。
「“じゃあ、あんたのゴールはどこなんだ”って聞いたら、その人は有耶無耶にしか答えられないんだよ」
「まあ、そもそもゴールなんてないんだろう」
「兄貴、よく分からないまま“ない”って言うのは誰でもできるぞ」
相槌を打つなら丁寧に打ち込んでほしい。
そう釘を刺すと、今度は考える仕草をし始めた。
形だけの素振りだ。
「じゃあ人それぞれ、色んなゴールがあるってことなんじゃねーの」
「“人それぞれ”って結論も誰でも出せるよ。頭カラッポにしててもね」
「そう言われても、これ以上は容量を割きたくねーよ」
兄貴は自分のやるべきことや、やりたいこと以外に労力を費やさない。
興味がないことには、とことん興味がないんだ。
そこへ向かうため走っているのか歩いているのか、何らかの乗り物で移動しているのか。
どうあれ進み続けるしかないって点では同じで、それさえ分かってれば十分だと思っている。
「で、母さんが言ったんだ。『婚活』という枠組みで考えるなら、結婚をゴールというのは間違ってないって」
「ふーん」
「その後の結婚生活はもちろんあるけど、婚活というレースは終了しただろ?」
「ああ」
もう少し食いついて欲しいんだけど、そっ気ない返事ばかり。
俺が一方的に喋っているだけ。
「ねえ、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるって。大事なのは他人の設けたゴールを腐したりしないこと、だろ?」
「うん……本当に聞いているっぽいね」
「ゴールを目指して走っている人を、観客席から野次を飛ばすな。そんなことをする輩こそ腐ってる、だろ?」
「いや、そこまでは言ってない……」
そうして話が終盤にさしかかったとき、ようやく兄貴の口が滑らかになってきた。
「結婚というゴールを目指す婚活レース……タケモトさんは今でも必死に走ってるんだろうか」
「え、タケモトさんって婚活してるの?」
だが滑らかになりすぎたらしい。
タケモトさんの名前を口にした後、兄貴は明らかに「しまった」という顔をした。
「あー……お前は知らなかったんだっけ」
俺はその時が初耳だった。
タケモトさんは近所に住んでいて、いつもムスっとした顔をしている人だ。
何度も遊びに行ったことがあるけど、そういのに興味あるイメージがなかったから意外だった。
「ねえ、そのタケモトさんの話聞かせてよ!」
「俺が語ることじゃない。お前に話してないってことは、あんまり吹聴されたくないんだろう」
俺は不思議に思ったことや、漠然としたものの答えを探すのが好きだ。
「……はあ、他の人には話すなよ」
そして俺の野次馬根性と戦い続けられるほど兄貴は義理堅くない。
ちょうど自宅の最寄り駅から電車を降りたらサイレンが鳴り響く。自宅までの道程に大きな国道があって、その沿線に消防車と消防隊がたたくさん居て、消防隊は事件がある(通過したときは煙は無し)ビルを梯子で登っていた。
国道の歩行者通路には自宅から何事かと様子を伺う近所の住民がたくさんいた。たぶん30人くらいだと思う。
でも煙も立ってないし近所の人達は反対車線だしそんな気になることなのかね。反対車線にいる消防隊に話し掛ける住民登録が居たけど、明らかに自分の家は被害が無い感じの人だった。
私自身は野次馬とか嫌いなもんで、そういう慌ただしい時は身寄りとか知り合いが関わっていない限りはそのままスルーしてしまう性格。仮に妻とか友人とその場を目撃しても、「仕事の邪魔になるから早く帰ろう」とか言ってしまう。消防活動の迷惑じゃないかなって思う。
そんな私はダメですか?
作品そのものに罪は無いため名前は伏せますが、私は昔、ある漫画作品が好きだった時期がありました。なぜ嫌いになったのか……その作品が好きだという人達に嫌がらせされたためです。
私は生まれつき発達障害を持っていて、まだそれが分かっていなかった幼稚園・小学校低学年の頃はよく周囲とトラブルを起こしていました。障害が発覚して中学年から特別支援学級に入りましたが、知的障害や身体障害以外の障害は認知度が低い時代で、「わがままなだけなのに特別扱いされている」と周囲には思われて嫌がらせされていました。そして田舎の小さな小学校故に学年が上がってクラス替えが行われたとて標的が移ることも起こらず、中学に上がってからも小学校の頃のことを知っている人達が面白半分で言いふらしたことにより嫌がらせが沈静化することはありませんでした。教員の対応もクソとしか言えない杜撰なものでした。
そうした学校生活を送っていた私は友達がいない、というよりも友達というものはファンタジーの存在だと当然のように思っていました。でもそれでも、幼稚園の頃から11年ずっと無害な存在だったある人だけは、少なくともコイツは自分を害することはないだろう、という程度には信用してはいました。なのにソイツは裏切って、周りが嫌がらせしてきたところに一緒になって嫌がらせしてきやがりました。この時は相手の方が悪いことをしたというのが教員から見ても明らかな状況だったため、一応後になって注意が入り、謝罪はされました。でも、その数日後にまるで何事も無かったかのように平然と話しかけてきました。その連中の中には一定の信用を置いていたやつもいましたが、そいつも纏めて拒絶しました。そうしたらそいつらは「コイツしつこい」みたいなこと言って去り、孤立しました。拷問されろ。その後も数年は年賀状がそいつから送り付けられてきました。全部ゴミ箱。楽に死ぬな。
高校は「不登校経験者が多く来る場所」とオープンスクールで言っていたところを選びました。痛みを知る人達なら、少なくとも危害を加えてくることは無いだろうという判断でした。建前死ね。
確かに半分は不登校経験者でした。話しかけてきてくれた人もいました。数ヶ月後のもうグループができてしまった時期に、姉に似ていてコンプレックスが刺激されるから無理と拒絶されました。その姉とは関係ねーこっちからすれば「は?」としか言いようがなかったけども、いざ再び独りになってみると楽なこと楽なこと。移動教室も昼休みも一々誰かに合わせて行動するのが窮屈で、一人の方が気楽だってことを自覚しました。グループに入ることができなくなるタイミングだったことも気にならなかった。
生徒達の半分の一団、その高校しか入るとこがない成績のDQN共に目え付けられましたよえぇ。ただ、そいつらはウザったいけど大して問題はありませんでした。ちょっと髪がカラフルなだけのニヤニヤしながら通せんぼするぐらいしかできねえ小心者共なんざ、中学の頃嫌がらせしてくるやつの主犯と拳で語って殺意が生まれる(友情じゃない) ような関係だった私からすりゃ自分じゃ何もできないくせに囃し立てるだけの野次馬連中と同程度。目にかける価値もない。
問題はある二人の女生徒でした。そいつらは最初普通に話しかけてきていて、害が無かったから普通に返事してました。某漫画作品好きかと問われれば好きだと答え、どのキャラが好きかと聞かれればあのキャラが好きと答えました。なんてことないただの会話で、互いの好きなキャラ同士に特に接点もなかったこともあり、特にその作品のファン同士として盛り上がることもありませんでした。
それが一転して嫌がらせをされたのは、体育の授業中のこと。バドミントンの2vs2の授業で相手はその話しかけてきていた2人で、私は組む友達がいないから先生と組んでいました。先生がバドミントンに慣れているのはまあ仕方ないでしょうが、そうは言っても私も運動神経はまあ普通よりは少しいい方で、小さい頃お母さんに教わった戦法を駆使して勝ちました。視線を向ける方向とは反対の位置に打ち込んだり、思いっきり振りかぶっておいて前に落としたり。試合形式なんだから当然です。
それをあろうことはあの二人は、先生と組んでるからそっちはその時点で反則だだなんて言い出して。その上悪口を言いまくった後反論すれば「それは先生に言ったんだ」「自意識過剰」挙句の果てには「せっかく話しかけてあげたのに」
最後の一言が何よりも許せなかった。私は独りでいることが気に入っていたのに勝手に独りだから可哀想と決め付けて、恩を売っているつもりになって気に入らなければこちらのせい。
人間不信・人間嫌いになった決定的瞬間で、同時に某作品を嫌いになった瞬間でもありました。
アイツらと同じ作品が好きなのが嫌で、僅かでもアイツらと同類な点を持つ自分が気持ち悪くて、それで嫌いになりました。
だからどうしろとは私は言いませんし、誰かにこうしてほしいなんて望みももっていません。誰かの好きを消さないためにも嫌がらせなんてしないであげてーなんて言うお綺麗な心なんざ小学生の頃にドブに捨てました。嫌がらせ? 私にしないなら勝手にすれば? 自分みたいに不幸な人間が他にいないとか気分悪いし。ただし私を巻き込むな。
ほとんど話したこともないような奴で京アニに就職したというのも風の噂のようなものだ。もしかすると全く別の会社で働いているかもしれない。
それでも京アニのような名声を集めてやまない企業に、机を並べた人間が働いているかもしれないということは、僕にとってちょっとした誇りになっていた。
あの事件が起こってから彼のことが気がかりだったが、卒業後全く連絡をとっていなかった輩がとってつけたように心配の言葉を周囲に投げかけまわるのは醜悪だと思いずっと黙っていることにした。
京アニにとって僕は一視聴者一ファンでしかない。その僕が心配のポーズをとって感傷的な言葉を撒き散らすのは、関係者や遺族にとって目障りになるはずだ。「本当に悲しい」「犯人を絶対許さない」という類の言葉が彼らの励みになる筈はないし、そんな当事者意識の強い言葉を吐く資格が僕にはあるのだろうかとも思う。僕らは所詮野次馬になるのが精一杯で、京アニと因縁があったヤマカンにすら視線を合わせることができない。僕らが遺族に同情したりあまつさえその心情を代弁しようというのはおこがましいことこの上ない。
応援なり追悼なら募金とたわむけの花で充分。金がないなら近くの寺や教会で手を合わせてひとしきり祈った後で京アニに向けたファンレターにひとしきりポジティブな言葉書いて送ればいい。
なんか勘違いしてね?遺族を疲弊させるのはマスコミじゃなくて野次馬になった僕ら"一般人"なのよ。マスコミはきっかけ作ってるだけにすぎない。
マスコミが被害者情報という餌をちらつかせても一般人が食いつかなければ問題はない。世間にいるのは下衆い奴ばかりということをわかってて、中にはそれを利用するつもりでマスコミは報道していると側面は確かにあるが、遺族のもとに凸ったり誹謗中傷を浴びせたり根も葉もない噂を流すのは結局僕ら側の野次馬である。
心配する声やよかれと思っての情報拡散すら被害関係者にはノイズとなるかもしれない、下手すればそのせいで間違った情報が広まり状況を混乱させるかもしれない。
京アニが今どんな状況か僕は知らない。来年公開予定の映画の進捗状況の詳細や公開の行方、そしてその後の京アニがどんな企画にどんな形で携わっていくつもりなのかに関する確証がある情報は何一つ知らない。僕と同じようなネット記事やSNSから情報を得るだけの一ファンの皆さんもそれは同じだろう。
その程度の人間があたかも京アニは再起不能だと言うような大げさなコメントを投げかけている様子は多々見受けられるが、彼らは自分の言っていることの意味を理解していてその責任を負うつもりでちゃんと発言しているのだろうか。
京アニには焼けたものとは別のスタジオが二つあってそこで70名近い社員が働いていることは流石に僕でも知っている。今回の事件で京アニが死に体になったかように語るのは働いている社員の方々に失礼だし、京アニの経営存続が難しいという印象が一人歩きして風評被害にもなりかねない。アニメーターとすれば9月に公開される新作映画に作品と無関係の事件を結びつけてネガティブな印象を持たれることもなるべく避けたいとも思っているかもしれない。
この事件は遺族の情報が公開されなくてもその分野次馬は京アニという会社や八木社長といった著名な関係者に飛びついていたんだろうと思う。紋切り型の「遺族の心情に寄り添わない傍若無人なマスコミ報道」批判がどれだけ吹き上がっても、京アニという会社そのものが好奇の目に晒されているのではないかと危惧する声はあまり見られない。こういった様を見ると結局僕ら一般人はマスコミ批判の出汁に事件を利用しているだけで、関係者のことなんて本当は考えていないんだろうなとなんともなしにため息が漏れでてしまう。
よく「日本一メシが旨い県は?」みたいな特集記事があって、そこには福岡とか北海道がランクインされるが、
メシが旨い県でランク付けできるということは、そのランキングの47位の県も存在してる筈。
野次馬な我々が知りたいのは、メシウマ県なんかより、どの県が最下位、「メシマズ県か?」の方だったりするのだが、嫌われ役になりたがらないマスコミは、メシマズ県ワーストワンを発表してくれない。
1.野菜など、沖縄本島で自給できない。従って本土から海運輸送になり、鮮度が落ちる
2.植物は寒暖差があると糖度が増して美味しくなるが、沖縄にはその寒暖差がない
3.水が硬水。ダシは取れないし、コメを炊いても美味しくない
ということで、科学的・地理的に「沖縄はメシマズ」になるしかないのだが、そういう不都合な真実は沖縄観光の邪魔になるから、マスコミは報じないよね、、
「あいちトリエンナーレ」は、神田真秋弁護士が愛知県知事選の公約として掲げて当選、発足した、最初から官費ありきの、極めて公的性質の高い国際展 わかる
主催は「あいちトリエンナーレ実行委員会」実行委員長は大村秀章・愛知県知事ですが、大村知事は農水官僚出身の元自民党代議士 わかる
不自由展は今回が初めてではない わかる
撤去されたものを取り扱ってるので不謹慎なものがあるのはむしろ当たり前 わかる
過去に撤去されたものを集めてるはずなのに左派に都合のいいものしかない わからない
「男女平等」など芸術そのものの内容とは別の切り口でのPR わからない
ってお思ってたのでこの記事はとても参考になった
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57247
こんな事態にしてしまったのは、芸術監督の判断と行動に原因があることで、明確にそれを指摘しておく必要がある
アマチュアが間違った椅子に座り、面白半分で打つべき対策を打たずに徒手していれば、人災を招いて当然です。
率直に言って不謹慎、興味本位で面白半分な、キュレーションをおもちゃにする様子
内容以前に、こうした「隠し玉」を準備して「炎上」させる意図があった時点で、官費執行に責任を持つ芸術監督としての大前提に瑕疵があった
「隠し玉」として炎上を狙うなど、芸術の母屋に両足の着かない、無責任な野次馬の発想
国内のごく一部で内輪受けする程度の「芸術」判断基準と、地域振興動員数向上あたりに照準を当てたお役所との利害が変に一致して、グローバルな人道と文化を感じ考える芸術のオリンピックが、弄ばれていた
「決定」に際して、芸術監督であるはずの津田大介氏は、作品「平和の少女像」の作者、彫刻家のキム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻と、直接対話して納得を得るプロセスを経ていない、と報道されています。事実なら、あり得ません。展示作品を、自分自身がそれを依頼し、決定した作家や関係者に確認を取らず、「展示中止」つまり「撤去」などということをしてしまったら、それは芸術監督でもなんでもない。子供がおもちゃを弄っているのと変わりません本来なら、足を運び、土下座でもなんでもしてやることは山のようにあるわけで、ただ徒手していただけなら、意味のない素人ということになる。
しょうごくんの話
https://note.mu/shogo622/n/n99e40d665438
を読んで、
四半世紀前の学生の頃を思い出したよ。
生まれて初めてパスポートとって、いきなり一人でバックパッカー気取りで
旅行代理店の人に
「インドか、俺も若いころさ、スリランカにフェリーで渡ったことがあるんだよ、懐かしいな。君は初めての海外旅行?気をつけろよ。これからメシでもどう?」
と助言をいただいた。これから初めてインドに旅立つ若者に万感の思いがあったんだろう。
「いえ、これから待ち合わせがあるんで」
「そう・・誰?まあいいや、じゃあ、ま、気を付けてね」
あの時、何の待ち合わせだったかを彼に具体的に話していれば、あんな目には合わなかったな、とあとで後悔することになった。
そのときすでに、当時流行っていたいわゆる「トランプ詐欺」にまんまと引っ掛かってしまっていたからだ。
代理店に行く前、道を歩いていたら日本人だろ?と声を掛けられ、あとでチケット取り終わったら日本に住んでいる妹と電話で話してくれ、とかなんとか、すっかりそそのかされて、
待ち合わせをすることになっていたのだ。
そして、代理店を出て、待ち合わせ場所にいき、そいつの車に乗り込むや、まんまとバンコクの郊外へ連れ去られてしまった。
トランプのゲームをする前から、部屋の外で人の気配を感じるなど、ただならぬ雰囲気を感じ取ったので、ブルネイの石油商人を名乗る怪しげな対戦相手が登場して間もなく、決意して
振り返ると「おい、ちょっと待て」といってバイクのヘルメットをかぶりかけている恐ろしい形相の男がいた。
外は雷が鳴っていて豪雨だったが、死ぬほど走って道端を歩く人をみつけて助けを求め、タクシーを呼んでもらった。
バーツが足りなかったので、その人にお借りした(ま、返せなかったのでこれも詐欺か)。心臓のバクバクがやんだのはタクシーが空港についたとき。
旅の始まりがこんな調子だったので、トランジットのバンコクの空港で一人反省会。
トランプ詐欺がアジア地域で定番中の定番と知ったのは帰国してからのこと。
その後、カルカッタ。
緊張のあまり、リキシャのおつりが1ルピー足りないくらいで血が上った。カネに関して、無駄にナーバスになっていた。
インドをゆっくりと南下するなかで、ヨーロッパやアメリカ人バックパッカーにいろいろと旅行の注意点やテクを教えてもらった。
あるドイツ人の兄ちゃんは、飲み終わったペットボトルを私に見せて、
「いいか、覚えとけ。インドじゃ、飲料水も用心しないといけないんだ。俺は飲み終わったら、いつもこうやって、ナイフで底に穴を空けて再利用させないようにしてるんだ。」
苦笑いした。ま、人それぞれ何かしら痛い目にあって、その人なりの経験でサバイバルしているんだということがわかってきた。
半月くらいすると、ようやく緊張がとれてきた。
知り合った韓国人旅行者とも話をした。トレッキングにいった友人が拉致されたらしく、今も行方不明で心配だ、と話していた。
プリーで沈没中の日本人とも時々話をした。ドラッグ情報交換のサロンのようになっていたのが印象的だ。
その後、あちこち経て、スリランカへ到着。チェックインするなり、宿のおかみが小声で、少年は欲しいか?と聞いてきたので、??と怪訝に思っていたところ、その後
一部欧米人旅行者の、現地の少年少女に対する気持ちの悪い性癖を目の当たりにして、オエっとなったあたりで始めての海外旅行を終えて無事帰国した。
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卒業してからは、仕事柄、世界中飛び回っている。個人の旅行でもね。
欧米はもちろん、アフリカ、アジア、アラブ、中南米もいく。残念ながら中国はまだない。
しょうご君の例を出すまでもなく、本人の備え次第で「危険への暴露」は異なってくる。
重債務貧困国で、水道は泥水みたいな劣悪な環境であっても、観光客がおらず、
そうはいっても、リアル北斗の拳と揶揄されるホンジュラスやエルサルバドルの都市部とかね。ある意味、ヤバい。
地方部のマラスの支配地域のほうが、麻薬ルート上にあって支配が確立しているだけに、まだしも安全だったりする。
首都はレストランでメシを食っていたらいきなり強盗とか、タクシー営業のみかじめ料のいざこざでバーンとかはあるにしても、
例えばナイロビなどに比べると、ものすごく安心する。お金を安心して下せるレベル。
アフリカの一部地域では、銀行を出る瞬間、かなり緊張することが多い。
それと、ブラックアフリカの遺伝子というのか、血の気の多さに圧倒されることも。
現地の駐在員や日本の公的な機関から、乗っている車が交通事故を起こしたときの注意点として、耳を疑うようなアドバイスをもらったことがある。
たとえ事故がこちらの責任であっても、ポリスに連絡などせず速やかに現場を立ち去れ、というのだ。つまりひき逃げしろと。
なんどか交通事故を目撃したことがあったので、直感的にすぐ理由が分かったんだけどね。
事故の直後、野次馬がわらわらと寄ってきて、こいつが悪いのか!と加害者と目された側に対して、タコ殴りの暴行を加えるということが日常茶飯事なのだ。
結局のところ、それぞれの地域で、それぞれのシチュエーションで、異なる社会的な背景のある危険性があり、一概に殺人発生率やテロ、治安の悪さだけでは語れない。
それと自分自身の備えとして、現地の政治経済の概況くらいは把握できるよう情報収集ができないと、どの国にいっても危なっかしい。
言葉もね。スペイン語などローカル言語で最低限、警察に自分の立場、欲求を説明できるくらいの能力がないといざというときマズイ。
また先進国だからと安心していると、フランスのパリでいきなり恐喝されるかもしれないし、
ロスで一杯飲んだ帰りに拉致られるかもしれない。
グレイハウンドのバスのトイレに行こうとしたら、中からナイフを持った無賃乗車の男に「シッ!」と睨まれるかもしれない。
朝食を食べにホテルの部屋を出た隙に、さっきまでメールを書き途中だったパソコンがとられるかもしれない。
あるいは、池袋を歩いていたら暴走車両に、、、なんてこともあるかもしれないしね。
国名は書かないけど、アメリカから敵視されている国のなかには、案外と親日的な国であり、かつ人々も穏やかで
いろいろ書いたけど、
みたいな助言は、おこがましくてできないけれど、
経験っていうのは、その国に行かないと経験できないことでもあるので、
めげずにいろいろ旅すればいいんじゃないと思うね。
いい増田。
京アニの火災現場まで家から電車で数駅で行けるから、野次馬がてら行ってきた。
わかってはいたけど、映像や写真で見るのと、実際に現場で見るのは全然違う。現場で見ると、写真では気にならなかった細かい部分が見えてきて、思ってる以上にメンタルにダメージを喰らう。一番キツいと思ったのは、割れた窓からビル内部が見えるんだけど、日中であっても真っ黒にしか見えないところ。おそらくビルの内部は完全に煤だらけになっていて、真っ黒にしか見えないんだろう。ということは、事件当日、ビル内部は相当なまでの火の海であったころ想像できるわけで……。
それを想像すると、「うあああああああああああぁぁっ!!」って気分になって、物凄くへこむ。野次馬気分で行っておいてなんだけど、あんまり物見遊山で行くようなところじゃない。
お祈りでもして帰るかと思っていると、献花台は花を持っている人の列ができていて、どうも花を持っていないと近づきにくい雰囲気になっていた。なので、ビルに向かって手を合わせてご冥福を祈って、その場を去ることに。
目ざとい業者が、現場近くで献花用の花を売っていたりしないのかと思ったが、そんなことはなかった。
あと、犯人はすでに確保されているのに、ビル前にも献花台前にもマスコミがめちゃくちゃいたのが気になった。
もう1週間以上経っているんだから、ニュースで流すにしてもせいぜい1シーンくらいなのに、一体、事件現場に張り込んでいて、何の収穫があるというんだ……と思ったが、プロの面々が何かある可能性があると踏んでいるからこそ、あれだけ大量に張り込んでいるんだろう。その辺りは素人の自分にはわからん。ただ、報道にはカネが掛かるという一面をなんとなく実感した瞬間でもある。
今日の18時30分から安倍晋三が秋葉原で演説するというので様子を見に行くことにした。
18時過ぎに電気街口から出ると、すぐに日の丸を配っているおばさんやおっさんに遭遇した。候補者の写真と名前が入ったうちわを配っている人も複数見かけた。
自民党支持者と思われる人たちが持っているプラカードは見るに堪えないものが多かったが、中でも最悪だったのは「水爆上等 撃ってこい豚 死ぬのはお前だ」と書かれた金正恩の写真入りの札を掲げている輩で、裏面には「核戦争には慣れている 試してみるか?」と書かれていて更にげんなりした。
他に朝鮮人が云々といって他人に絡んでいる人相の悪い男などもいて物騒だと思った。
警官は制服警官が各所に立っていて、それとは別に10人ほどまとまって待機している制服集団がダイビルとUDXにそれぞれいるようだった。制服警官の他にも「SP」という字をあしらった赤いバッジをつけたスーツの男が何人かいて、これはおそらくSPなのだろうと思った。ほかに黄色い丸か八角形に見えるバッジをつけたスーツの男や、青いバッジをつけたスーツの男もそれぞれ複数いたが、これが自民党関係者なのか警察なのかはよくわからなかった。
自民党の最下層のスタッフは黄色い丸いシールを服に貼っているようだった。ランクが上がると花の形の飾りをつけるようになるらしく、黄色や青やピンクのものをつけている関係者風の人が大勢いた。これらの色がどういう風に階級と対応しているのかはよくわからなかった。
自民党の広報車の上ではまだ候補者が話していて、安倍晋三の登場まで時間がありそうだったので中央通りの方に行くと、交差点で山田太郎が演説をしていた。なぜこの人は安倍晋三が来る会場で演説をさせてもらえないでこんなところで客引きみたいなことをしているのだろうと思った。中央通り沿いには末広町の方まで警察車両がズラリと停車していた。何をそんなに恐れているのだろうと面白くなった。
気になったのでヨドバシカメラの方の広場を見に行ったが、そこでは「NHKから国民を守る党」の候補が演説をしていた。
電気街口前の広場に戻ってしばらく待っていると、麻生太郎が演説を始めた。「毎年のように総理大臣が変わっていた時代が~」などと話していたが自分もその一員だったことについては触れていなかった。政権が長く続いているのは良いことであり外交も頑張っているという趣旨の演説だった。内政については触れていなかったように思う。
安倍晋三が来ると、反対派の人が横断幕を上げようとするのを破壊しようと自民党支持者が暴力に訴えて小競り合いが発生した。
自分の目の前にいるスーツの男が持っているスマホが見え、LINEグループで「B地点でも上がりました下げさせて」「こちらは支持者の人が壊してくれました」などと会話していた。この男が自民党関係者なのか警察関係なのかはよくわからなかった。
安倍晋三がしゃべり出すと「安倍やめろ」のコールが始まった。目の前で小競り合いが発生したのを目撃してテンションが上がっていたので自分も「安倍やめろ」と声に出した。思っていることを、相手を目の前にして声に出すのは気分が良かった。
拡声器を使った選挙活動は20時までなので、それを前にして安倍晋三は去って行った。その後、自民党スタッフが「あっべしゅしょう!あっべしゅしょう!」などとコールをするよう観衆に呼びかけていたが反応はまばらだった。一部の人相の悪い支持者を除けば、観衆の大半は安倍晋三という珍獣を見に来ただけの野次馬だったのかもしれないなと思った。
大規模なデモを見て、とんでもないことになっていると思った。でも今週、
毎日会社に行ってこまごま働き、色々なニュースを見ていたら当初の感情を思い出せなくなってしまった。
関心を持ち続けるということは容易ではない。
デモ隊も警官隊もいない、高い階から写真やビデオをとっている人たちがいた。
自分を含めて、デモ行動をエンターテイメントとして消費してしまっていると思う。
そういう態度が実は醜悪であるという自覚を忘れないようにしたい。
初めは老若男女が順路にそって行進していた。やがて黒いシャツを着てヘルメットとマスクをつけた人々に入れ替わり、
道路を占拠したり、あたりの柵を壊してバリケードを築いたりした。警官隊に投石したりもした。
デモは平和的に行われると思っていた自分にとって、デモ隊の暴力行動は衝撃的だった。非難されるべきだと思った。
しかし、人々の要求を香港政府が無視しつづけているという現状を見ると、
日本で起きた殺人事件について芋づる式にネットサーフィンしていると、5年前の不幸な事件に辿り着いた。花火大会から帰る途中だった女子中学生が見ず知らずの男子高校生に襲われ、殺害された事件。この事件を特異にしているのが、加害者の男子高校生がTwitterをやっており犯行後もツイートし続けていたという点だ。
5年前、犯行数日後のツイートがネットで拡散され、偶然ながらそれを目にしたことがある。凶悪な犯罪が近所で発生したことに加害者が恐怖を感じているという内容だった。事件を起こしたのは他ならぬお前じゃないか。そう思ったが、野次馬精神は特に働かず、それ以上掘り下げることは無かった。
今になって事件の詳細について知ると、彼は普段Twitterにどのような呟きを載せていたのか気になってしまった。とても褒められた行為ではないと自覚しながら、5年経った今もインターネットに取り残されている彼のツイートを辿ってみることにした。
犯行の半年ほど前から彼のツイートは始まる。最初は趣味の野球関連の内容が中心で、高校の同級生と思しき人のアカウント宛にリプライを送ることも多かった。ごく普通の男子高校生のTwitterアカウント。
急展開を見せるのは事件から数日後。近所で発生した殺人事件に関するツイートが増えた。事件について知人とリプライを交わし、家に警察官やマスコミが来たことを呟く。自分が殺人事件の犯人であることが露呈しつつあることに焦りを感じ、不安を静めるためツイートの数が一時的に増えたのかもしれない。
事件からしばらく経った後は野球関連のツイートはほとんど無くなり、知人とのやり取りや、車関連のアカウントやパクツイbotをリツイートするのが中心となっていく。そして高校卒業から間もない頃に彼は逮捕され、ツイートは途切れたままだ。
事件発生から間もない一時期を除いて、彼のTwitter上での振る舞いは日常そのものだった。捜査の手が及ばないと感じるようになり、平常心を取り戻していったのだろうか。逮捕前までは直接の知り合いが大半だったフォロワーに向けて、犯罪者ではないことを示すせめてものアピールだったのだろうか。
罪を犯してから逮捕されるまでの日々を、彼はどんな心境で過ごしていたのだろう。