はてなキーワード: 特養とは
うちの母にちょっと状況が似てる。私が小学生の頃に父方の祖父が倒れて介護の末見送った。祖父の妻である祖母は健在だったけど、仕事中心の人生を送っていたので家事とか介護の能力が低く、七割ぐらいは母が介護したといって良いのではないか。
そうでなくても一時的に別居しただけで、ほとんど姑との同居生活。父と結婚してすぐ私を産んだので、ほとんど夫婦水入らずの時期はなかったのではないだろうか。私がある程度成長してからは多少仕事もしていたけれど、家事は全て母の分担だった。
そして時が経って父が定年退職。祖母の趣味が旅行だったので、祖母が出かけていると「もう帰ってこなければ良いのに」と愚痴りつつ、くそ真面目に家事をやり、家族のおさんどんをする日々。祖母はやたらと顔が広くて外面が良かったのでやたらと電話がかかってきたり贈り物が届いたりしたのだが、それらの対応もなかなか手がかかるのだった。
元気にあちこち旅行する体力がある時期はまともに人付き合いをしていたけれど、祖母は片付けられない、捨てられない女だったので、部屋の中はとんでもない状態だった。安いもの、タダでもらえるものに目がなく、使い道がなくてもそういうものをもらってきたり買ってきたりするので部屋の惨状は悪化する一方だった。
そのうちに祖母の頭は老化により認知症の症状を呈し、しっかりしていた母方の祖母も足腰を悪くして一人暮らしが難しくなった。父方の祖母はかなり歳が行っていたので何とか特養に入り、母方の祖母は老人向けの住宅(基本的に自分で炊事や洗濯をするのだが、お金を払えば食事などを用意してもらえる)に入った。
今、母は実母と姑の面倒を同時にみている。だいたい向こうで衣食住の世話をしてくれるので週一回程度顔を出せば良いのだが、父も母も70歳を越えて、本当なら自分たちが介護を受けてもおかしくない状況だ。こうやってひたすら誰かのために尽くし、気がついたら自分の人生を楽しむ時間がなくなってしまわないかと心配だ。
たま~に、面白おかしく読んでるんだけど、ちょっと聞いてほしいことがあったので、初めて投稿してみる。
転居して数年、この地では期日前か不在者投票ばかりだったけど、今日初めて投票日に投票所へ行った。
住宅街から一歩出ると、すぐに田畑が広がっていて果樹や稲が色づき、気温も風もちょうど良く、とても気持ちがいい。
投票所になっている某学校の正門にはすぐ着いたが、案内はなかった。
ふと横を見ると、矢印のみのプラカードが、自分が来たのとは反対方向から見える位置に貼ってある。
こちらから来ることは想定していないらしいと苦笑いになりながら門をくぐれば、ハナミズキの並木が続き、突き当りにやっと校舎があった。
おかしなことに、校舎の出入り口は閉まったままで、案内もない。
ほとんど人がいないので、尋ねることもままならず。
校舎前広場のてんでばらばらに停めてある車に年配者が一人二人、乗り込もうとしているくらいだった。
特養か何かの施設が近くにあるから、きっとそこからも投票に来るんだろう。
案内くらい設置しろよと、うんざりしながら自転車を停めていると、姿が見えたらしい正面にいるスタッフ達が大きな声で挨拶をしてきた。
ここで返しておけば、気持ちの切り替えが出来たのだろうと今は思うし、そうしたほうがいいとはわかっていた。
が、選挙運営に対してうんざりしていることはこれだけではなかったので、その元気な声にかえってイラつき、結果、無視してしまった。
そして、自分のミスではないことのクレームを受け取るのは、その立場にコミットしていないと難しい。
一番最初に来場者に対応し入場券を受け取るそのスタッフは、完全にはコミットしていないようだった。
投票所がどこにあるかわかりにくいことを伝えると、半ばおじさんのおにいさんは一応謝ったが、すぐに意味がわかったらしく、後ろに座っている人たちに案内がどうのと話し始めた。
イライラが収まらないまま私は、とっとと投票を済ませ、さっさと体育館を出た。
すると、さっきのおにーさんが、プラカード数枚とガムテを手に会場を出て行き、フェンスにカードを貼り始めた。
…あるなら、何故、貼っておかない?
「最初、そっちの校舎かと思ったんですよ」
「あ、あっちにも貼っておきます」
いや、ソレ、ちゃう。
そう投げつけて、別の意味で気分が悪かった。
この兄さまは、悪いのは自分じゃないって態度が見え見えだけど、きちんと仕事をしてくれている。
もしかしたら、案内を貼っていないということに異議があり、だからこそ、すぐに設置に動いたのかもしれない。
しかも、人件費抑制のために休日出勤させられている非正規職員か選挙バイトかもしれない(空調の無い投票所で何度かバイトしていた知り合いがいるが、相当きついらしい)。
これからは、もっとましな言い方や態度で指摘し、改善を求めよう。
とっくに落ち着いた今は、これを書きながらそう思っている。
実は、いつもそう思うんだが、難しい。
衰退が明らかなこんな地方都市で、IJUターン・住みやすい街作り、または地域や市民の声をとか、そういうニュアンスのことを言わない候補者は、ほとんどいないだろう(今公報を数えてみたら13%もいたけど)。
案内は最初から設置しなくてもいいと指示したのは選挙管理委員会なのか、現場の判断なのか。
それからもう一つ選挙運営に対して言いたいことは、入場券だけでなく公報も送れ!ということ。
ネットはなく、新聞もとらず、置いてある施設まで取りにも行けない人はどうする?
投票所で見ろと?
でも、あの投票所にそんなスペースあったっけ?
あったら、ごめん。
実際、それもあって私はこれまで、なるべく期日前投票をするようにしてきたけど、おかしくね?
投票所に初めて行く人をないがしろにするのも候補を知らせないのも、多様性や選挙権等々どの方向から見ても、改善が必要だろーよ。
他にも選挙では、これまで色々ほんとに、はあ?というようなことがたくさんあったけど、とりあえず今回はこの辺で終わりにしとく。
父親は今70歳なんだが、59歳の時に脳梗塞をやってそれから一応車椅子には座れるけど半寝たきりのような状態だったんだけど、
今年の初めにインフルエンザで入院してから完全に意思の疎通が取れなくなった。
一番最初に入っていた急性期病院のころはまだ反応があったんだが、
その後転院した所がいわゆる老人病院ってやつで、手足が縛られて一日中寝かすようなところで、あっという間に悪化していった。
元々、在宅で介護していたんだが、完全に寝たきり状態になってしまった父親を家で見るのは厳しいだろうという話になり、
要介護度が高く緊急性が高いというのと、色んなコネを使って近くの特養に入れてもらえることになった。
特養は姥捨山のようなイメージだったのだが、独特の匂いは気になるものの、とても清潔にみなさん暮らしていて、
「変わらない」のに「変わった」というのは変に思うかもしれないけど、全然そんなことはない。
もともと日本の社会は、バブル崩壊と同時に「機首が下向きになった」。
そりゃ操縦桿を操作して機首を上げないと、どんどん降っていく一方だわな。
デフォルトで下降状態なのだから、政治が変わらなければ、日本社会は変わる。もちろん悪い方向に。
しかしこれまで日本の政治は、「機首を上向かせる政治」をしてこなかった。
これは自民党政権だけじゃない。民主党政権もそうだった。93年だかの細川政権とかは良く知らないけど。
しかし、じゃあ安倍政権はどうなんだ。操縦桿をうまく操って「機首を上げる操作」をしたか?
安倍政権になっても、大学の授業料は上がる一方。学生は奨学金まみれだ。
安倍政権になっても、物価が上がっても給料は上がらない。高プロも導入された。過労死は増えこそすれ減ることはないだろう。
安倍政権になっても、保育園も特養もなかなか増えないし、低賃金だから建てても誰も働かない。
安倍政権になっても、政治家と役人がグルになって不正をするようになった。「公文書書き換え」「日報隠し」なんかしでかして、なんでトップが誰も責任取らないの?
安倍政権になっても、与党はいつまでも経団連のいいなりだ。消費税はこれからも上がり続けるだろう。
安倍政権になっても、与党はいつまでもアメリカのATM状態だ。まあ昔から日米関係なんてスネ夫とジャイアンみたいなもんだったけど、トランプは露骨すぎるだろ。「PMアベがまたウチの商品買ってくれるってよ!毎度アリ!」なんてカツアゲツイートばっか見せられて、俺は悔しい。
そら株とかで儲けたやつもいるかもしれないけど、俺はいやなんだよ、株とか。
「自分さえ儲かればいい」「自分さえそこそこの暮らしを維持できればいい」。そういうのいやなんだよ。
俺の家族も、俺の友人知人も、そのまた家族や友人知人……つまり、できるだけ多くの人が「そこそこマシに暮らせる社会」がいい。
そうは思わないか?
じゃあ「安倍さんじゃなくて他の政治家が首相だったら今のようにはならなかったのか」というと、それはわからない。
でも将来どうなるかなんて誰にもわからないだろ。
恋愛と同じだよ。速攻振られるかもしれないし、他の奴に寝取られてめっちゃ傷つくかもしれない。だからといって「裏切られるのが嫌だから恋愛なんかしない」ってならないだろ、普通は。
正直、俺はこれまで選挙は行ったり行かなかったりだった。
政権交代のときは民主党に入れた。率直に言って裏切られた。政権運営に慣れないところに大震災が重なったっていう不運はあるが、一言で言えば「グダグダ」だったな。
トドメに消費税増税の決定。なんだよこいつら、って思ったのは俺だけじゃないだろう。
それ以来、国政選挙には行っていなかった。
そんな俺が言うのもなんだけど、今回の参院選、何かが違うと感じている。
今までと違って、「もっと上向かせよう!上昇させよう!」というメッセージを発信している政党が多いように思う。
実際「下向き政治」のせいで、貧しい人からどんどん追い詰められていっている。
これで消費税が10%になって、2年、3年たったらどうなるか。
「失うものがない」人間がしでかす凶行、つい最近見たよな。ああいう事件が増えるかもしれない。
大事な人が、大事にしているモノが、壊されるかもしれないんだ。
うちの実家に似てる…と思ったけど、母親が正常もしくはそれ以上の家事能力の持ち主なだけましなんだろうか。
いろいろ買い込んで何も捨てない人=父と祖母で、とりあえず台所やダイニング、風呂やトイレは正常に清潔を保たれているのは母のおかげだ。
今は祖母が特養に入っているので、祖母のものを捨てたり片付けたりすることは可能だが、息子である父が祖母のものを処分することに多少抵抗しているようでなかなか片付かない。家を出た私と弟の部屋は当然物置と化しており、私は実家に帰っても泊まるスペースがない。いちおう泊まってみたこともあるのだが、物置になっていた元私のベッドはホコリっぽく、だいたいテレビの前で寝落ちして寝室で寝ない父のベッドで寝る方が快適だった。
この性格はものの見事に私に遺伝し、自宅のリビングと職場の机の上はかなり大変な状態である。捨てるルールが確立しているものは比較的ちゃんと捨てているのだが、保留状態のものをどんどん机に積むので大変なことになる。自宅が汚いのは自分が我慢すれば良い話だが、職場だと重要書類が埋もれそうになったり探すのに時間がかかったりして極めて効率が悪い。
自分より明らかに忙しいポストにいるのに、書類の山に埋もれることもなく、家具屋の書斎机コーナーのようにすっきりした状態で仕事している上司を見ると、片付けのコツを伝授して欲しいと思う。
元増田がまっとうな整理整頓能力を持ち合わせているのなら、どうやってそれを学んだのか知りたいぐらいだ。たまに我が家に母が来ると「いらないものは捨てなさい!」と言われるが、捨ててもいいものとそうでないものを分別するのが面倒なのだ。すっかり自分の話ばかりになってしまったけど、自分の実家以外にもそういう家があることを知って安心した。
認知症の祖母が両親と同居している。祖母は1年ほど前に認知症の診断を受けた。その後症状はどんどん悪化して典型的な認知症の行動、思考をとっていると思う。けれど身体的不自由はあまりなく、特養入居に必要な?要介護3の認定は受けられないでいる。祖母の貯金は大してあるわけでもなく、両親・私の金銭的余裕もない。だから民間の老人ホームに入居させられるだけの余裕もない。祖母も老人ホームといえば姥捨山だ、という昔ながらの考えが捨てられず入居には難色を示している。
祖母は自分が認知症だということはわかっているらしいが、自分のとっている行動の何が問題なのか、その行動が同居している両親・離れて住みながらよく実家に帰ってくる私にどれだけストレスを与えているのかということは認識できないらしい。私たち接する側が認知症だということを受け止めて、優しく接することが出来れば何も問題はない。でも日に日にストレスは溜まっていき、祖母に対する口調も激しくなっていく。家庭内でも疲労の空気が濃くなって、雰囲気が悪くなっていく。祖母は翌日には問題を起こしたことも、それで注意されて怒られたことも覚えておらず、それに対してまたストレスが蓄積される。
金銭に余裕がある家庭、認知症になる前に老人ホームへの入居を本人が希望・容認している家庭が羨ましい。このような家庭内の不和を生み出しているのは祖母・両親・私が互いに家族に対して向き合ってこなかった結果なのかと思ってしまう。それぞれが自分の意見を言い合って、押し付けて、それで終わり。皆なんとかしなきゃと思っているのだろうけど行動をとるのが面倒くさい。私自身も自分は孫だから祖母に対する最終的決定に口出しする権利はない、という理由をつけてこの問題から逃げている。本当は強引にでも入居手続きを進めるべきなのだろう。でもできない。
いっそ祖母が亡くなってくれれば、両親は祖母についてのストレスが無くなるし、私も気兼ねなく実家に帰省できる。見たところ祖母だって自分の状態、自分の子供と嫁の対応に混乱していてるが伺える。別に自殺してほしいわけじゃない。ただ脳や体、社会に適応するのに限界を迎えるほど長生きするのは本人にも周りにも酷だと思う。そうなる前に病気やら事故やらで亡くなってくれたほうがいいと思ってしまう。
父がアメリカへの長期滞在(1ヶ月半ぐらい)から帰ってきた。60代半ばから「ヘリコプターの免許が取りたい」とここ数年夏の恒例イベントになっていたけど、若者ばかりがどんどん受かって先に帰国していったそうで、父はとうとう免許が取れなかった。さすがにようやく諦めることにしたらしい。
まったくどれだけカネと時間かけたら気が済むんだよ。しかもあんたの母親は重い認知症で足腰もきかなかくなって特養に入ってるんだよ。定年退職してからやることもなく、毎日テレビだけ眺めているような人生よりもいろいろやりたいことがある方がいいけど、父の夢はスケールが大きすぎたり、カネがかかりすぎたりするものが多い。
そこそこ名の知れた企業で定年まで勤め上げ、65歳まで再任用みたいな感じで働き続けたので、そんなに貧乏ではないはずだけど、だからといって趣味に注ぎ込んでいい金額というのには限度があると思うのだ。あと、その夢のために自分の妻がどれだけ我慢しているかにまったく気付いていないところにいらつく。
それでも来年は母を連れてアメリカに行き、「一緒にヘリコプターに乗ろう」とか言ってるらしい。アマチュアとして身内とかを乗せることはできるらしいが、これで事故とか起こして二人いっぺんに死んだりしたら承知しないぞ。海外旅行の計画を立てるにしても「ベトナムを北から南まで縦断したい」とかいちいち常識的な海外旅行の範疇を超えている。まぁベトナムは縦に長いとはいえ、「北アメリカと南アメリカを縦断する」とかいうプランに比べたら現実的な距離なのかも知れないけど、なんだか誇大妄想狂のような気がして仕方ない。
とにかく他人の経験談とかを聞くと羨ましくなって「自分はもっと壮大なことをやってやる!」みたいな方向に行く思考回路の持ち主らしい。目的を達成するために地道な努力を厭わないタイプなら「まぁ頑張ってね」と言えなくもないけど、だいたい努力と根性が足りない人なので、「ほどほどのところで妥協しろ!」と言いたくなる。
逆に母はやりたいことがあっても、ちょっと経済的・時間的な制約があるとすぐに諦めてしまうタイプ。凹凸夫婦でちょうどいいのかも知れないけど、私は両親みたいに一方的に妻が我慢する生活はイヤだ。そんなのだったら独身の方がよっぽど自由でいいと思う。
何だかんだいって両親の存在に頼って暮らしている私であるが、本当に父の思考回路にはついて行けない。あれをもう少し現実的な思考回路の持ち主にすることはできないんだろうか。たぶんできないんだろうなぁ…。
・都内や横浜で介護福祉士持ちだと時給1600円で働ける派遣会社がいくつもある。
最近は時給1650円以上出している派遣会社も少しずつ出てきている。地方だとそれ
より多少時給が下がる
・「時給1800円」とか書いてある求人は、初回契約2か月間のみの場合が多いので派
・ネット上にある時給の高い求人に釣られて電話すると、他の求人を案内される「釣
り求人」もあるので注意
・「介護 派遣」と検索すると、はたらこねっとやリクナビ派遣などのサイトがヒット
するので、初めて介護の派遣をする人は、まずはそれらのサイトを見まくって時給の
高い5社位に登録して比較する。登録しに行かないと教えてくれない就業条件などもあ
るので注意
・なぜ複数登録するかと言うと、派遣会社や担当に付く営業さんにも当たり外れがあ
り、変な対応されたらすぐに他の派遣会社に乗り換えられるようにリスクマネジメント
するため
・ちなみに「介護 派遣」で検索すると、「介護職派遣ランキング」などのサイトも表示
されるが、このようなランキングはサイト作成者がアフィリエイト報酬(1人登録すると
数千円)を目的にしているのであてにはならない
・派遣社員は法律上(労働者派遣法第26条第7項)入職時の面接は禁止されている。だ
から面接を「顔合わせ」や「施設見学」などと言う。建前上面接が禁止されている為、
面接時に根ほり葉ほりあれこれ聞いてくる施設は少ない。それでもいろいろ聞いてくる
施設ははあるのでその時は注意する。詳しくは「派遣 面接 禁止」などで検索して調べる
・派遣社員は正職員と違ってその介護施設の就業条件に縛られないので、ひと月に何日
間働くかはその施設のホーム長や主任との交渉次第。稼ぎたい人は公休7日とかにして
休日を減らして稼ぐ
・多く働きたくない人は、週3日出勤で夜勤なしとかも出来る。日勤のみ、遅番のみとか
もできる。ただ希望が多くなると、それだけ紹介できる施設も少なくなってくるので注意
・有給休暇は普通に使用しても良いが、稼ぎたい人は公休を減らしてそこに有給休暇をあ
てる。有給休暇の日はお金が出るので公休を減らして有給休暇にすると、その分月給が上がる
・有給休暇を取得した時に、お金がいくら出るのかは、以下のURLなどを参考にする
https://haken.en-japan.com/qanda/description_90/
・ユニット型特養などのひとり夜勤の施設は仮眠も休憩も無いので、拘束時間全てに時給
が出るので稼ぎたい人には良い。ただブラック施設になると、休憩してなくても「休憩し
た事にしてタイムシートにそう書け」と言ってくる場合もある。その時はすぐに派遣会社
に苦情を入れる
・ちなみに夜勤時は夜10時~翌朝5時までは深夜時給といって、昼間の時給の1.25倍と
なる。例えば昼間の時給1600円だったら、深夜時給はその1.25倍の2000円となる。ただ
し休憩時間や仮眠時間は時給が出ない場合がほとんどなので、夜勤をやってもあまり稼げ
ない場合も多い
・時給1600円だと働く日数によっては正職員の月給を超える。正職員にそれを言ってしま
うと不満を持たれてトラブルになる場合があるので、職場では絶対に時給や月給の話をし
ない。 聞かれたら「派遣会社に口止めされてるんですよ~」などと言ってかわす
・あと契約期限についても職場では話さない。下手に話すと「辞める/辞めない」と揉めて
トラブルになることがある。辞める時は派遣会社の営業さんから連絡してもらう
・辞める場合は契約期限の1ヶ月前までに派遣会社の営業さんに退職の意思を伝える
・派遣会社への登録は多い人は10社以上登録している。いますぐ働く予定がない状態で登
録しに行っても全然大丈夫。派遣会社も登録人数を欲しがっているので特に問題なし
・派遣会社への登録へ行くときは普段着で問題なし。ただ介護施設への面接(顔合わせ)
の時はスーツで行ったほうが良い
・介護の派遣での1回の契約期間は2~3か月間が多く、契約の更新をして延長も出来るが、
ブラック施設でヤバいと感じたらすぐに派遣会社へ連絡。場合によっては契約期間の短縮
もできる
・介護の派遣で行く施設は、正職員もパートさんもどんどん辞めていってしまうから派遣
社員を雇っているような「(人間関係や労働環境などの)何らかの問題があるブラック施
設」が多い。我慢して精神が病みそうだったら無理せず契約終了にして次の施設へ移る。
・介護施設によっては閉鎖的な人間関係で、毎日同じ仕事の繰り返しで、仕事を頑張って
も頑張らなくても評価されず同じ給料の場合、正職員やその他の職員が人間的に腐ってし
まっている場合も多い。そういう施設に派遣されてストレス過大になりそうだったら、無
・介護施設によっては施設職員の知識や技術が低レベルで、(オムツ2枚重ねてさらに
パット重ねたりとかの)非合理的な慣習をやっているところも多い。やっても意味の無い
「おまじない」のような事を見直しもせず皆でやっている施設もある。外部の人間から見
ると変な事でも施設の職員たちは真面目にやってるつもりなので「これは間違っています!
正しくはこうです!」なんて主張すると、激怒されて逆恨みされることもある。なのでそ
の様な事を見つけたら受け流すか、もし我慢できなかったら契約更新しないで次の施設へ
行ったほうがいい
・古い特養や老健などの介護施設によっては、いまだに利用者さんを「ちゃん」付けで
呼んだり、上から目線で命令して支配して管理しているような所もある。そういう施設の
職員はゆがんだプライドが固まってしまっていて、矯正はもう「手遅れ」で出来ない場合
が多い。「手遅れ施設」、「手遅れ職員」でストレスがたまる場合は、契約終了にして次
の施設へ移ったほうがいい
・派遣社員を募集してるところは大抵人手不足なのでいろいろ大変。あまり研修を受けな
いで、すぐにひとり立ちする場合もある。仕事をする上で(自分や利用者さんなどの)安全
・現在介護職員初任者研修(ホームヘルパー2級)で介護福祉士を受験する予定の人は、
派遣で実務経験を積むこともできる。その場合、派遣会社に実務経験証明書を書いてもら
う。派遣で複数の介護施設に勤めたら、その枚数分派遣会社にまとめて書いてもらう。
・実務経験証明書の用紙は「 http://www.sssc.or.jp/kaigo/tetsuzuki.html 」から請求
する『受験の手引』内にあるので、それを必要な枚数分コピーして派遣会社に渡す。詳し
くは派遣会社に問い合わせる
・派遣会社の担当営業さんも当たりはずれがある。問題のある営業さんだったら本社か支
店に直接電話して、「担当の営業さんを変えて欲しいんですが~」と相談する
・交通費は定期代のみを支給する派遣会社が多いが、「往復の切符代×働いた日数分」を支
給する派遣会社もたまにある
・残業時間のカウントも15分単位の派遣会社が多いが、中には1分単位や5分単位で残業代
・給料の振り込みも銀行を指定して口座を作ってくれと言ってくる派遣会社や、振り込み
・最近は給料の日払い・週払いをしている派遣会社も多い。ただその場合振込手数料を数百
円ほど取られるケースが多い
・派遣社員も派遣会社の社会保険(健康保険や厚生年金)に入れる。ただ最初の2か月は試
・派遣社員も病気やケガで働けなくなったら、「傷病手当金」というのが給料の3分の2程度
出る。退職前に派遣会社の健康保険で継続して1年以上被保険者期間があったら、最大1年半
傷病手当金が出る。1年未満しか被保険者期間がなかったら、契約期間内のみ傷病手当金が出る。
・(これは派遣とは関係ないが、)もし自分や家族が入院したら、すぐに「限度額適用認定証」
を入手するとよい。これを病院の窓口に提示すれば、請求される医療費が高額療養費制度の自
己負担限度額までとなる。具体的には年収370万円以下の人は入院しても月額57,600円以上払わ
なくてよくなる。「限度額適用認定証」は各健康保険の窓口に申請をすると発行してもらえる。
詳しくは以下のURL等を参考にする
https://seniorguide.jp/article/1002198.html
・介護の派遣先での研修はあまり無い事が多いが、自分で独自に学習したい方は以下のフェイ
「何かリクエストある?」と聞いたら、特養に入っている父方の祖母(母にとっては姑)と足腰の悪い母方の祖母(これは実母)の世話で忙しいようなので、父方の祖母を連れて外食に行くのに私も合流して、代金を私と父で折半することにした。
忙しいときに無理に遊びや食事に誘っても迷惑なだけなので、あまり時間を取らせないようにするのが正解なんだと思うけど、母は良くも悪くもやりたいことよりやらねばならないことを優先するタイプなので、そうやっているうちに自分が何をしたいか忘れてしまわないのかと思う。
父も祖母(父方)も自分のやりたいこと優先で、母の希望なんか気にしないし、母が私とどこかに出かけるときにも結局「○○(私)はどうしたいの?」っていうのをやたら気にするので本当に楽しいのか心配になる。
これって昭和の母親にありがちな傾向なのかね。父が仕事を引退し、私が実家を出た時点で、もっと母は自由に遊んでおくべきだったのではないかと思うんだが、そうこうしているうちに父方の祖母も母方の祖母も介護が必要な状況になってしまった。
確か父方の祖母が定年退職を迎えて自由の身になったときは年がら年中「今日は○○の会があるから」と出かけたり、旅行に行ったりしていたと思うんだが、そういう自由を満喫する時間が母にはなかったと思う。
祖母は口先では「いろんなところに行って良いのよ。」と言うらしいが、基本的に構ってちゃんなので、いくら特養のスタッフが基本的な面倒を見てくれるとはいえ、完全にお任せするのは難しいらしい。
母方の方は頭と気持ちはしっかりしているがいかんせん身動きが自由にならないので、買い物やら部屋の掃除などを手伝わないといけない。元気だったときは料理の腕が自慢で、部屋の中もきちんとしていたので、それが出来ないとストレスになるらしい。
自分は残念なことに父&父方の祖母に似てしまったので全然介護の役に立たない。たぶん母にプレゼントすべきは自由な時間なんだと思うが、それが出来ないふつつかな娘で申し訳ない。
わたしが導入から見られた大きな制度に介護保険ってあるけど、これ何気に何だかんだいいつつちゃんと廻ってるよなー。
この間、地域包括支援センターというところにいっていろいろ説明聞いてきたんだけど、1時間話して無料だよ。ちゃんと納税してて良かったって思ったよ。
ここまで大きな制度を導入して回して、現実社会に浸透させたって、よくよく考えるとすごいことだよな、って改めて思った。
おむつ代は別とかいろいろあるけど、介護の度合いによってバラバラだけど、それでも特養で入れれば月20万くらいでジジババを預けられちゃうんだよ。
現実問題として、介護に疲れる人って多いわけで、それでもこういう仕組みがあるっていうのは、使う使わないは別としてすげえなって思った。
貯金はどのぐらい必要かな?現状では月々の手取り27万円ぐらいで、結構次の給料日時点で10万円ぐらい余っててそのまま貯蓄用の口座に移すことが多い。たまに出費の多い月もあるので毎月確実に10万というわけにはいかないけど、この他に銀行で積み立て定期をやっていて、年間50万円ずつは確実に貯まるようにしてある。この他にボーナス時にあまりお金を使わなければ夏・冬それぞれ30万円ぐらい貯められる。家の管理費・修繕積立金や光熱費を含めた月々の生活費が、約17万ぐらいというところか。
今40代後半…というかアラフィフで50代に入ってから退職すると退職金を割り増しにしてくれるので、その恩恵にあずかりたい。が、退職して自由になると旅行に行ったりいろいろ使いたいところがあるので、今貯蓄しているより早いペースで取り崩すことになってしまいそうだ。退職金は分割払いもしてくれるらしいけど、あんまり50代のうちに使い過ぎると良いことがないような気がする。
たまに4,000万円とか5,000万円貯めていて「仕事辞めたい」とか言う人がいるけど、あれは全然遊ばずにひたすら仕事一筋に生きて貯めたんだろうか。貯蓄額としてはご立派だけど、特に遊びに行くこともなく、家と職場を往復しているうちに貯まってしまったのだとすればちょっと寂しい気がする。そしてそれだけ貯金があっても、年金を受け取れるようになるまでそれを取り崩して食いつなぐという生き方に人ごとながら不安を感じる。
決して自分の収入は低くないと思っているし、自宅マンションのローンを完済しているので、当面住むところの心配はしなくていい。ただ、私自身が老いていくとともに家も老朽化して売り物にならなくなるので、自分が自力で生活できない身体になって施設などに入るときまで持ってくれないと困る。そしてこのご時世なので退職金や年金がどのくらい出るかも心配だ。現状では自分の安定志向と自由になりたい願望の間でうろちょろしている感じ。どの程度貯金してから辞めれば悠々自適の人生が送れるのか知りたい。
正直あんまり長生きは望んでいない。50代はじめに退職したら10年から15年ぐらい自由を満喫して、後はあまり苦しまずにあの世に行ける方法があればそうしたい。が、うちの家系の女性陣は長生きで、父方の祖母が100歳、母方の祖母が90歳だ。すでに二人とも足腰を悪くして特養とか老人施設に入っている。そういうところは色々面倒を見てくれる代わりに月々の支払いもそれなりなので、介護の必要な身体になって生き延びてしまうと大変だなぁと思う。
あ~結局どうしたらいいんだ。ずるずる仕事を続けることになりそうな予感もあるけど、ただそれだけで60歳までを生きるのは悲しすぎると思う。なるべく体力のあるうちに仕事から解放されて自由になりたいのだ。面識のない親戚で似たような形で仕事を辞め、海外に飛んでしばらく向こうで働いていたけど、日本に戻ってからはろくな収入もなく実家暮らしをしていると聞くと、「やっぱり辞めない方が良いのかなぁ…」と悩む。この堂々巡り、どうにかならないだろうか。
「あたしおかあさんだから」の歌詞の件はこの投稿を読んで初めて知りましたが、本当に今どきこれはないですよね。平成のこの時代に実際にここまでやるお母さんはいないと思うけど、ちょっと古い世代だとまぁ有りうるのかなと。
自分の母親も、家族のために自分の楽しみを犠牲にするタイプです。父とは同い年夫婦ですが、共に70歳を迎え、老後をのんびり過ごせるはずのところを、父が在宅であれば昼ごはんも晩ご飯も作り、施設に入っている姑と実母(私からすると母方の祖母ですね)のところに時々行って面倒をみています。父方の祖母と同居していたときは、足腰が利かなくなっていたのでトイレの介助をし、好き嫌いが多いので、自分たち夫婦用とは別のメニューで祖母の食事を作っていました。
もう少し祖母が元気で自力で外出できたときは、仕事が不規則な私と近場にお出かけなどしていましたが、介護生活に入ってからはそれもなくなりました。特養に入ったので大幅に手間は省けたはずですが、いつ施設や祖母たち本人から連絡が入るか分からないためか、あまり遊びに出かけてはいないようです。ときどき水泳に行ったりランニングをしたりして健康には気を遣っているようですが、極力お金がかからない遊びしかしていません。
本を読みたければ図書館で借り、映画を見るのも映画館ではなくレンタルDVDなどで済ませているようです。父が好きなように外出しているのに、母はいまだに家に縛り付けられているように見えます。私が子どもだった頃は、「夕食のおかずを何にするか」「夫が何時に帰ってくるか」「洗濯物がちゃんと乾くか」みたいなことばかり心配しているようで、「専業主婦ってつまんないの」と子ども心に思いました。
私は社会人になってからもしばらく実家に住んでいましたが、「食事が出来たと声をかけてもなかなか部屋から出てこない」「お風呂に入れといってもなかなか入らない」「髪の毛を乾かすために風呂から上がってもなかなか寝ない」という母の思い通りにならない行動にいちいちイライラされてヒステリックな声を出されてました。自分が毎日決まった時間に夕食を用意し、お風呂をぴかぴかにして、皆がすぐに入れるようにしておいても家族が思い通りに動かないのがイヤだったみたいです。なぜか父が夕食どきになると突然買いものやら何やらの用事を思い出し、いちいち外出するのも母の怒りに油を注いでいました。
父方の祖母の60代といえば旅行三昧で、家にいるときも「今日は○○の会があるから」としょっちゅう外出していましたが、母にはそういう自由がありません。私と一緒に外出できていたときも、「晩ご飯の支度に間に合う時間に帰る」のが暗黙のお約束でした。ごくまれに飲み会や食事会の予定が入っても、その分家族の夕食を用意してから出かけないと気が済まないので、特段手間が減るわけではなく、あまり楽しみにしているように見えませんでした。
そんな母に頼りまくって育った私は家事能力が低く、あまり介護の役にも立ちません。家族のために自分を犠牲にするのがイヤなので、一度結婚したけど、義理親・義理親族との付き合いに追われたり、共稼ぎなのにダンナにやたらとちゃんとした家事を要求されるのに疲れて別れました。今思えば家事をてきぱきこなせると、仕事の要領も良くなるようなので、もう少し頑張っておけばよかったかもしれませんが、子供を産んだら育児に時間とお金を奪われるのも恐ろしくて子づくりも拒否しました。それなりに稼ぎのある仕事をしているので生活には困りませんが、どういう人生が一番幸せなのかいまだに分かりません。長文で失礼しました。
自分の能力を超え(歯の掃除をさせられ歯を抜く人に説明しろとか、術後の応対がわからないしあいまいなことしかいえないし、乳幼児の歯磨きをしろとか。それも10分以内で全部終わらせろって要求)、かつ患者相手に利益を生まない仕事ばかり要求される。
学ぶためにいろいろ勉強や自腹で研修セミナーいってみたりもしたけど、手に職がつかなかった。
我慢しながらこんな状況を7か月繰り返してるんだけど収入月3万円食費に消える実家暮らし家に入れる金もできない
求人票は1年中出されてる医院だがバイトできた新人衛生士や新人歯科医師が50代お局集団にいじめられてすぐやめてく 離職率高い 院長は雇用契約についてなにも応じてくれない
去年は一人歯科医師が途中で逃げ出した有様だった
これなら夜間掃除のアルバイトのほうがまだ食べていけるんだろうか
一日10時間労働残業毎日2時間......昼休みは2時間だが電話番しながらお弁当一人で食べてる虚しさ 居眠り休憩もできない
見習いだから一番朝早く来て掃除して、一番遅く鍵を閉めて帰る(朝8時半ー13時30分 休憩2時間 15時30分ー20時半 そのあと2時間掃除や残業 帰宅開始が22時半 通勤1時間40分 家に着くと1時前 晩御飯食べて就寝が夜中の1時半 起床6時)
この前訪問歯科診療で特養に行った先からインフルにかかってそれでも休めなくて休みたいのを相談したら「俺は風疹でも仕事頑張って根性でやってたんだぞ」と言われそのまま出勤せざるをえなく・・・・インフルこじらせて39度の発熱と衰弱で死にかけて結果10日入院した 体重37キロで摂食障害気味になって死にたくなってる
休んでから復帰すると休んだ分もっと働け お前がいないせいで医院に損害だ 逆に金を払えとまで言われる始末で鬱になった
私は泣いているばかりになった