はてなキーワード: 潜水艦とは
https://www.nato.int/cps/en/natohq/115204.htm
ロシアからのNATOの印象操作が垂れ流されているので、NATOの言い分「Top Five Russian Myths Debunked(ロシアの神話トップ5を覆す)」を確認した。
以下DeepLの翻訳。
事実: そのような合意はなされていない。NATOは1949年の創設以来、新規加盟国に対して門戸を開いており、それは今も変わっていない。この「門戸開放政策」は、NATOの創設条約第10条に明記されており、「この条約の原則を推進し、北大西洋の安全保障に貢献する立場にある他のいかなる欧州国家も」加盟を申請できるとされている。加盟に関する決定は、すべての同盟国の合意によって行われる。米国、欧州、ロシアが署名した条約にNATO加盟に関する条項が含まれているものはない。
特にワルシャワ条約がまだ存在していた1989年には、統一ドイツを越えてNATOが拡大するという考えはなかった。このことは、2014年のインタビューでミハイル・ゴルバチョフが確認している。"NATOの拡大 "という話題はまったく議論されなかったし、あの時代には持ち出されなかった。私は全責任を持ってこれを言う。1991年にワルシャワ条約が消滅した後も、東欧諸国は一国もこの問題を提起していない。西側の指導者もそれを持ち出さなかった。"
ホワイトハウスの機密文書によると、1997年、ビル・クリントンは、旧ソビエト共和国がNATOに加盟しないという「紳士協定」のボリス・エリツィンの申し出を一貫して拒否していたことも明らかになっている。「私はNATOに代わって約束することはできないし、私自身がどの国に対してもNATO拡張に拒否権を発動する立場になるつもりはない、ましてあなたや他の誰かにそれをさせることはない・・NATOは合意に基づいて動いているのだ」。
事実:NATOは防衛同盟であり、その目的は加盟国を守ることである。NATOの公式方針は、"同盟は対立を求めず、ロシアに脅威を与えない "というものだ。NATOはグルジアに侵攻しなかったし、NATOはウクライナに侵攻しなかった。ロシアがやったのだ。
NATOは過去30年間、一貫して公然とロシアに接触してきた。麻薬対策やテロ対策から潜水艦救難や民間緊急事態計画まで、NATOの拡大期であっても、さまざまな問題で協力し合ってきた。しかし、2014年、ロシアのウクライナに対する攻撃的な行動を受け、NATOはロシアとの実務的な協力を停止しました。我々は対立を求めないが、ロシアが国際ルールを破り、我々の安定と安全を損なっていることを無視することはできない。
ロシアがウクライナに対して軍事力を行使したことを受け、NATOは2016年、バルト三国とポーランドに4つの多国籍戦闘団を配備した。これらの部隊は、この地域に恒久的に拠点を置くものではなく、同盟国の国際公約に沿ったものであり、約5,000人の兵力となる。ロシアの100万人規模の軍隊に脅威を与えるものではない。ロシアによるクリミアの不法な併合以前は、同盟国東部には連合国軍は存在しなかった。
NATOはロシアとの有意義な対話に依然として前向きである。NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長が、NATO・ロシア理事会の全メンバーを、ウクライナ周辺情勢、NATO・ロシア関係、軍備管理・不拡散を含む欧州安全保障について話し合う一連の会議に招待したのはこのためである。
事実:NATO加盟国はウクライナのNATO加盟希望を歓迎し、2008年のブカレスト首脳会議でのウクライナの加盟という決定を支持している。
NATO加盟に関する決定は、個々の加盟申請者と30カ国のNATO加盟国次第である。他の誰でもない。ロシアはこのプロセスに介入する権利を持たず、拒否権を行使することもできない。
すべての国と同様に、ウクライナにも自国の安全保障体制を選択する主権的な権利がある。これは欧州安全保障の基本原則であり、ロシアもヘルシンキ最終法(1975年)、パリ憲章(1990年)、NATO・ロシア建国法(1997年)、欧州安全保障憲章(1999年)などを通じて署名してきたものである。
事実: NATOは防衛同盟であり、その目的は加盟国を守ることです。我々の演習や軍事配備は、ロシア、あるいは他の国に向けられているわけではない。
この神話は、地理的なことも無視している。ロシアの陸上国境のうち、NATO諸国と接しているのはわずか6%である。ロシアは14カ国と陸上で国境を接している。そのうち5カ国だけがNATO加盟国である。
NATOの領域外では、同盟はコソボとイラクにのみ軍事的プレゼンスを有している。平和維持活動(KFOR)は、国連安全保障理事会の委任を受けて実施されている。
イラクにおけるNATOの非戦闘任務はテロとの戦いに貢献し、イラクの主権を完全に尊重した上で、イラク政府の要請により実施されています。これに対し、ロシアはグルジア、モルドバ、ウクライナの3カ国に政府の同意なしに軍事基地と兵士を駐留させている。また、ロシアはウクライナの国境に10万人以上の軍隊を集結させ、ウクライナに侵攻すると脅している。
事実:旧ユーゴスラビアは、NATOのせいで崩壊したのではない。同盟は、旧ユーゴスラビアの国境を変更するために軍事力を行使しなかった。1992年から1995年にかけて、NATOはボスニアで飛行禁止区域の強制や国連平和維持軍への航空支援など、いくつかの軍事作戦を実施した。これらの活動は、ロシアもメンバーである国連安全保障理事会によって委任されたものである。1995年のボスニア・セルビア軍への空爆は、10万人以上の犠牲者を出したボスニア戦争を終結させるデイトン和平合意への道筋をつけるのに貢献した。1996年以降、NATOはロシア軍を含む多国籍平和維持軍をボスニアで指揮した。2004年に欧州連合(EU)がその任務を引き継いだ。
2011年にNATOが主導したリビアでの作戦は、1970年と1973年の2つの国連安全保障理事会決議(UNSCR)に基づくもので、いずれもロシアは反対していない。UNSCR1973は、国際社会が「攻撃の脅威にさらされている民間人および民間人の居住地域を保護する」ために「あらゆる必要な措置をとる」ことを認めている。これは、地域国家とアラブ連盟加盟国の政治的・軍事的支援を得て、NATOが行ったことである。
1999年のNATOのコソボ作戦は、国連とロシアもメンバーであるコンタクトグループが紛争終結のために1年以上にわたって行ってきた激しい外交努力の末に行われた。国連安全保障理事会は、コソボでの民族浄化と増え続ける難民を国際平和と安全への脅威と繰り返し烙印を押したのである。NATOのミッションは、大規模かつ持続的な人権侵害と民間人の殺害を終わらせることに貢献した。NATOのコソボにおける継続的な平和維持活動であるKFORは、国連安保理の委任状(UNSCR 1244)を受けており、ベオグラードとプリシュティナ双方から支持されています。
※コロナはポジショントークになりがちなので、とりあえず俺のポジションということです。
オミクロンに置き換わって以来ずっと不思議に思っていることがある。
コロナは当初、武漢肺炎と言われたこともあり、肺炎を引き起こす風邪ということで対策とKPIが設定されていた。
実際は肺炎は合併症の一つであり、最も多く発生しているから肺炎症状をもとに数字を集めて対策されていったと思う。
例えば
といった具合である。
オミクロンが肺に興味がない株ということはわかっているわけであるが、それじゃあ肺炎基準でKPIをとっている以上、全員軽症だよね。
現在コロナでICUに入っている人が東京で200人以上いる(いわゆる国基準の重傷者数)わけだが、その中で人工呼吸器つけているのが3人だから東京都基準では3人という発表なわけです。
で、死者数が増えるだけっていう話だよね。
それ大丈夫なん?
コロナで血栓症発生してしんでも、軽症者が死亡したことになるわけでしょ。
サイトカインでどうのこうのってなっても軽症者が死亡したことにあんるわけでしょ。
でまぁ、問題になってくるのは、肺炎以外の合併症は基礎疾患を多数持っていて基礎体力が落ちている高齢者が中心ということですよね(多分
加えていうならば、それだけ多数の陽性者が出ているならば、もちろん保健所では見きれないし、容態が悪くなったら自力で病院に行かなくちゃいけなくなるわけだよね。
独居老人の多い首都圏でじーさんばーさんが自分で救急車を呼ぶわけだ。
で、軽症者が救急車を呼んで現場を逼迫させているとかいい出すわけでしょ。まぁそれはいいか。
話がそれてきたのでこの辺で切るけどさ。
なんていうか5類だとかなんとか言ってる人たちって、敵国の軍艦ばかり気にしていて潜水艦の接近に全く気づいていないでのんきに酒盛りしているように見えるんだよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/honeshabri.hatenablog.com/entry/CO2-mini
二酸化炭素濃度が上がると生産性が下がると嘆いているブクマカは正直アホっぽい。
その程度の生産性を気にする人が最初にやるべきは、換気よりも、呼吸筋のトレーニングだよ。
肺活量をあげるんだ。少ない呼吸回数で多くの酸素を吸えるようになれ。
二酸化炭素濃度とパフォーマンスの関係ははっきりとは分からないのが現実なんだ。
600ppm より 1200ppm は下がるが、それ以上になると逆に上がった報告すらある。
なんでこんなことが起きるのか?というと、人間の脳は、二酸化炭素濃度が上がると
血管が広まってより多くの血液を脳に送ろうとする仕組みがある。
逆に、血中の二酸化炭素濃度が下がり過ぎると、過呼吸(過換気症候群)になったりする。
潜水艦で働く人達は、常時 5000~12000ppmの二酸化炭素に晒されているが、特にパフォーマンスの低下はみられない報告もある。
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
ここ最近、各種世論調査では憲法改正に賛成の意見が増え、多数派になっている。
この理由として、タカ派ネトウヨ思想の安倍政権の下での改憲に警戒していた国民も、ハト派で平和主義者の岸田政権の下でなら改憲してもいいんじゃない?と感じているからだろう。
私も、憲法改正に賛成だ。憲法9条を改正し、自衛隊を明記するべきだ。そして敵基地攻撃能力を持ち、その抑止力によって安心・安全な日本にしてほしい。こういう事を書くと「朝鮮は既に移動式発射台や潜水艦搭載弾道弾を持っているので敵基地攻撃能力は無意味だ」という人もいるだろう。しかし、場合によっては国家主席の居場所を攻撃できる、というのが抑止力になる面はあるのである。
また、9条を改正して国防のための実力を持つ事を宣言することは、対米従属からの離脱への道を切り開く面もあるのだ。
さて、改憲に賛成というと、凝り固まったオールド左翼の人たちは自民党が野党時代に作った改憲草案を示して「改憲されると日本はこんなに恐ろしい国になる」などと的外れな事を言い出す。しかしちょっと待ってほしい。自民党の改憲草案は確かに最低最悪だが、自民党が今進めているのはあの改憲草案ではなく「改憲4項目」である。いまの時点で古い改憲草案を持ち出して騒いでいる人たちには白けてしまう。
その意味では旧改憲草案の復活を目論む極右の高市早苗ではなく、平和主義者の岸田が新総裁になったのは本当に良かったと思う。
では「改憲4項目」なら問題無いのかと言えば、もちろんそうではない。改憲4項目とは「9条への自衛隊明記」「緊急事態条項」「参院選合区の解消」「教育の充実」からなるが、極めて危険なのが「緊急事態条項」である。こんなものは不要だ。「参院選合区の解消」「教育の充実」は別に憲法を改正しなくても関係する法律を改正すれば可能なのだから、これらはデコイとして持ち出されたものだろう。
しかし9条改正と自衛隊明記については、安心・安全な日本のために必要である。
先程の衆院選で自公与党に維新、国民民主を含めた改憲勢力が2/3を超えた。おそらく来年の参院選でも同じことが起こるような気がする。衆参両院で改憲勢力が2/3を超えると、改憲への動きは一気に進むだろう。数年のうちに国民投票は実施され、中国の覇権主義的圧力に対する脅威感から大半の国民が賛成票を投じるだろう。10年以内の日本の改憲はほぼ確実である。
そうなると、緊急事態条項の危険性をいかに封じるかが重要となる。緊急事態条項は他の先進国にも存在する。問題は自民党案は政府の独裁につながる危険性があることだ。この危険性を抑え、あくまで国会の承認を前提とする民主国家的な緊急事態条項に修正する点では、国民民主党に期待するしかない。
氷山に気づいて避けようとするあたり
以下はカーネギー国際平和基金による投稿の抜粋・超訳です。日本であまりキチンと指摘されていないと感じていたので気になる部分をテキトーに抜き出してテキトーに訳してみました。先日のQUAD会談でモリソン首相から日本へはフランスより先に事前通告があったとの報道でしたが、政府内で日本としての反応をどれほど検討したのでしょうか。対北朝鮮では豪州のそれを認めるのは悪手のような気がしますが・・・
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AUKUS同盟が核不拡散に果たす役割については、少数の核専門家がtwitter上で論を交わしている一方で、大多数は大戦略の議論に気を取られてしまっている。核専門家の間でも、同盟が核不拡散に及ぼす影響がどれだけあるか、そしてその与える影響が負のものかについては議論が分かれている。
私の評価では、AUKUSの原潜取引は核不拡散にとって深刻かつ負の影響を及ぼす。豪州が原潜を運用することは、IAEAの定める核原料の査察システムから核原料を取り除く「抜け穴」を利用する、最初の核兵器非保有国が出現したことを意味する。私は豪州それ自体がこの原料を悪用するとは思わないが、この抜け穴の利用が危険な前例を作り出すことを心配している。将来、核保有を企む国々は海事用原子炉を隠れ蓑として使うことができるようになるだろう。
2002年、ジョージブッシュ政権はテヘランに対して「ウランの濃縮と再処理活動を破棄せよ」と勧告した...私にとって、日本やドイツ、オランダといった核兵器非保有国が濃縮プログラムを行っていることは脅威では無い...だが、イランは、自国を日本と比較することによってこのダブルスタンダードの隙を突き、この「濃縮する権利」を主張した。この主張は功を奏した。欧州においてさえ、イランに濃縮を辞めさせよという主張を支持する国はなかった。特にドイツは、イランに濃縮プログラムを破棄させることに強行に抵抗した - それは恐らく自国もウラニウム濃縮を行っており、将来的に自国が同様の圧力にさらされることを恐れてのことだった。結果、2006年、合衆国は安保理決議において濃縮プログラムを破棄するのではなく、「停止」するよう変更した。
多くのアメリカ人の読者は、「だからどうした?安保理が不拡散を強制できないのであれば、合衆国が、必要とあれば単独で、制裁もしくは軍事行動をもって不拡散を強制するだろう」と考えるかもしれない。
この反応は近視眼的である。米国による制裁はより幅広い国々からの同意があってこそより効果がある。実際、合衆国の制裁に正統性がないと受け取られた場合は多数にのぼり、今後中期的にドルに変わる国際基軸通貨が出現する可能性がある以上、合衆国単独の政策の効果は低くなると予想される。
NPT条約は核兵器非保有国に原子炉を搭載した艦船を建造・運用することを禁じていない。だが現実的には、IAEAは海事用原子炉に保障措置(セーフガード)をすることができない(その位置が秘匿されアクセスできない潜水艦は特にそうだ)。結果として、IAEAは包括的保障措置協定(Comprehensive Safeguards Agreement)において、核兵器非保有国に「禁止されていない軍事的活動」、つまり海事用原子炉のためなら保障措置から核原料を取り除くことを許している。
これは明白で憂慮されるIAEA保障措置の抜け穴である。だが今日までは、海事用原子炉は核兵器保有国とNPT条約の非批准国によってのみ運用されてきた。包括的保障措置協定が約50年前に起草されてから、非核兵器保有国がこの抜け穴を利用しようとしたことはない(かつてブラジルとカナダを含む少数国が、真剣に検討したことはある)。
にも関わらず、この抜け穴が核保有を企む国によって利用される恐れは常にあった。実際に2018年、イランはIAEAに「将来的に海事用原子炉を建造する」計画があると通知した。その上で、もしイランが実際にこの手段に出れば、ロシアと中国を含む国々からの制裁、あるいは軍事行動さえも含めた深刻なバックラッシュ にあっていただろうし、それがイランの行動をおそらく抑止したのだと考えられる - 少なくとも、これまでは。
AUKUS原潜取引により、この潜在的なバックラッシュは弱まったと考えられる。もし豪州が実際に核原料を保障措置から取り除けば、このバックラッシュは更に弱くなるだろう。従って将来において、核兵器を取得しようとする国 - イランであれ他であれ - は、豪州の先例に倣うことにより、核原料をセーフガードから取り除く費用を許容可能なうちに抑えられると計算するようになるだろう。
「豪州はイランでもブラジルでもない」は全く正しい評価であると同時に、国際外交においては殆ど無関係の議論である。世界の残りの多くの国々は、豪州に海事用原子炉の取得という抜け穴を許す一方で、合衆国の敵対国が同様の行動に出ることを罰する行動をダブルスタンダードだと考えるだろう。従って、国際的な制裁執行や合衆国独自の単独行動に強く反対することになるだろう。結果として、AUKSでの原潜取引は保障措置の抑止力を低下させ、核拡散を引き起こす恐れが高まることになる。
※残りはこの取引の及ぼす悪影響を低減させるための現実的な政策提言の部分なので興味あったらご自分でどうぞ。