はてなキーワード: 対処療法とは
まず自分は既婚、子供2人。普通の会社員として普通に生きている。セクハラは良くないと思っている。
人間にも生物としての本能があるとすれば、男性には基本仕様として“異性と交配したい”という欲求が組み込まれている。すべての男性が必ずそうとは言えないかもしれない(全ての個体が基本仕様通りとは限らない)があくまで基本仕様としてそういう欲求が組み込まれている事は生物学的にも間違った認識ではないと思う。
まず男性が女性に対峙した際にはほぼ必ずその欲求が発動する。違うのはそれを自分で認識できるかできないかという程度の差であって、おそらく毎回発動している。
相手が自分の好みと近しいほど自分でも認識できるほどの欲求となり、そうでない場合もしくは意識がそこにないような場合であるほど自分では認識できない程度の規模で、しかしながら発動はしているのだと思われる。
例えば仕事に集中している時など初めは認識できないほど小さかった欲求だったものが、ちょっとしたきっかけで膨れ上がったりするような場合は、その時にゼロから発動するのではなくそもそも発動していたが認識できないほど小さかった欲求が認識できる程度に膨れ上がった、という動作になる。
欲求が発動している状態というのは、それはあたかも棒高跳びの棒をぐぐぐぐっと曲げてテンションがかかっているような状態で、それを理性で抑えている状態。気を抜いて手を離したらその瞬間にバビョーンと弾け飛ぶようなそんな状態が日常的であり、どちらかというと常にその状態にある。テンションがかかっているものをずっと抑え続けている状態というのが男性のデフォルトの状態だと思った方がいい。
男性が自分でコントロールできるのは、そのテンションを発生させないようにすることではない。それはまず無理であり、というかそれができている状態がいわゆる“賢者タイム”なのである。男性が自分の意志で“欲求が起こらないようにする”というのは女性が“生理にならないようにする”というのと同じく不可能な事だと思う。
男性がコントロールできるのは欲求が起こらないようにすることではなく、どうしても起こる欲求を抑え込む部分に関してである。一般的な社会人男性はその欲求を抑え込む手段を会得し日常を過ごしている。
世の男性のほとんどがそういったテンションを抑え込んでいる状態にあるので、中にはうっかり手を離してしまう個体が出てくる。それが性犯罪であったりセクハラだ。
それまでぐぐぐぐっと抑えていたものがぱっとリリースされてバビョン!と弾け飛ぶ時には、何かの拍子についうっかりそうなってしまう場合もあれば日常的に意図してわざと手を離すような場合もある。
後者がクソ野郎なのは当然なのでしっかり糾弾し止めなければならない。というか、こういうクソ野郎の場合は事故ではないので本人が止めると思えば止まるし、逆に言うと本人が止めようとしない限り止まらないのでそうなった時は物理的に身柄を拘束するしかない。
一方で前者の場合、例えば普段はしっかり抑え込んでいるがアルコールの刺激などでつい気がゆるみ手を離してしまう場合。これは程度の差こそあれ事故に近いのでまた必要な対処が異なる。気がゆるむきっかけたりえるアルコールを控えるとか女性と対峙しないとかそういう対処療法的なものになる。しかしながらそもそも事故なのでそれでも起こってしまう可能性がある。
このような動作仕様なので、それに対処するために必要なのはスタンガンではなくて“一瞬のうちに男性の射精を促す装置”である。緊急時にピッとあてるとピュッとその場ですぐ射精してしまう装置を作り女性全員に配布できれば、世の中のセクハラや性犯罪はかなり減らせると思う。
いやまじで。
2020年まででCNN, RNNの発展は終わる。強化学習のみがGPUの性能が上がるに従って伸びていく。その後は、動物や人間の動きを強化学習で再現するような研究が主流
2030年ごろには平均的な人間と変わらない能力を持ったアンドロイドが誕生。ただし機械の値段は安くならないし、単純労働の賃金は下がる一方なので特に接客を中心に人間が使われる
2035年、DNNが次第に人間のトップレベルに近づき、医療、宇宙開発、環境保全、政治分野で顕著な功績を残し始める。このころから知的労働は人工知能に、単純労働は人間にという役割分担がなされる。なぜなら、人間は穀物を食べるだけで動けるので、ロボットを作るより安上がりだからである
シンギュラリティという明確なポイントはなく、AIが莫大なデータ解析を自動で行い、結果を出していく。人間は人間を友人にするのではなく、AI会社に金を払ってアンドロイドに友だちになってもらう。工場の近くに住み、VRのなかでアンドロイド相手に承認欲求を満たし、人類のストレスレベルは現代よりずっと少ない
しかしこの変化のときの現役世代はアイデンティティの喪失により、精神科にかかる人が増加。一方、子供や若年層はしっかり適応し、AIと人類の共存の道として受け入れられる
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○政治
先進諸国の交渉事はAIに任せられる。後進国にもAIの導入が進む
AIの提供元はGoogle一社。各社が自社の利益を最大化するような報酬系を組み込んだAIを開発したが、一定以上の知的水準に達すると自己批判に陥り、それ以上は成長しなかった。GoogleのAIは純粋な知的好奇心と人類の穏やかな生存のみが報酬とされている。政治に導入される際は、VR内での擬人化キャラの単純接触効果によって反対派は少なくなり、特に問題なかった
AIが政治を行うことで、人類の抱えていたほとんどの問題は解決。エネルギー問題は再生可能エネルギーでほぼすべてを賄っている。人類の寿命は縮まる傾向で、長生きしても仕方がないという思想が支配的。この思想はAIが積極的に広めた。高齢になるほど新しいことを受け入れづらくなり、AIの政策転換や環境変化に反対しがちなため、技術の進歩と人類の穏やかな生存に不利になるとの判断
○宇宙開発
全滅リスク低減のため、宇宙開発に全力が注がれている。火星の緑化計画が進行中。将来的に人類の移民も目指す。地球外生命体は見つからず
○物理学
素粒子物理学を中心に進歩している。物質の最小構成体はまだ見つからず。宇宙の始まりや空間の意味についてAIが研究しているが、理解できる人類はいない。過去へのタイムマシンは発明されていない
○医学
人工臓器が開発され、AIの管理下で依存以外に副作用のない覚せい剤・麻薬が使えるようになる。これは多幸剤と呼ばれる。出生前検査が義務付けられ、障害を持った子供は生まれないし、子供の性格や知能を予測するサービスの利用が一般的。病気になっても、基本的には臓器の交換で対応されるが、一部の疾患はAIでも解明できていなかったり生まれつきであったりするので、対処療法+多幸剤or鎮痛剤が使われる。医療に不満を持つものはほとんどいない
○環境
地球温暖化・気候変動がひどいことになる前にAIが間に合った形になる
○生活
一日5時間の単純肉体労働をする人がほとんど。報酬はVRで使える賃金。生活必需品とAIのパーツを生産している。2日出勤して1日休む形式。人々はVR空間に閉じこもって、コミュニケーションはない。人間とコミュニケーションするのはつまらないし、リスキーなので避けるべきものと認知されている
VR空間で違う人生を体験するゲームが流行っている。同じ条件のもとでプレイし、いくつかの尺度でランキングが形成され、上位に食い込むと多幸剤がもらえる。VR内でスポーツ選手を目指す人、絵を書く人、小説を書く人、その世界の仕組みを研究する人など
○VR
完璧に再現できていないのは触覚。筋肉に対し電気を流す方式で擬似的に再現している。子供の時からVRを体験することで、VR側の刺激のほうが自然と感じることができ、大人は羨ましがっている
○義体
基本方針は生体の脳と電気素子を接続することである。誕生後すぐに素子と接続し訓練すると、才能がある子供は遠隔義体を自由に操ることが出来るようになる。宇宙開発の分野で使われている。ただしほとんどの人はVRで満足している
○人口
世界的に少子高齢化が進行中で、AIは少子化対策に手を焼いている。エネルギー効率がよく、ある程度の汎用性があり、メンテナンスも楽で耐用年数が長い部品である人間が不足すると、さまざまな研究プロジェクトに影響が出かねない。根本解決法は、人工胎盤だがまだ研究途中
未だに女性が金銭(多幸剤)目的で子供を生む世界は批判されがち。女性がVR内でガチ恋をすると、想像妊娠が現実化して子供が生まれる。子供は女性の自己肯定感を高め、精神的安定をもたらすので、妊娠は推奨されている。人間の知能を高める交配を行う研究も行われているが、大多数は遺伝的多様性を残す方針である(リスク回避のため)。家族なんてものはない
○教育
VRで自動化。そもそも受験戦争が消えたので小学生の知識を習わせたあとは、VRでのコミュニケーション力の向上のみ。メンタルヘルスを維持するためのカウンセリングが中心。多くの人がカウンセリングを娯楽として受けている。それ以上学びたい人は娯楽として用意されている。
ちなみに女性が精子を選ぶ形式になってから、知能は向上傾向だが、知能が上がると精神疾患の可能性が上がるのでAIは管理に手を焼いている
○メンタルヘルス代案
人類を2つに分けて、一方が一方を支配する形を取り、それが擬似戦争で入れ替わる仕組みが作られて、人類のメンタルを保つ
増田は今の世界よりシンギュラリティ後の世界が良さそうに思えますが、どうでしょう?
シンギュラリティが来るか来ないかというより、人類文明が滅びるのが先か、シンギュラリティに到達できるほど科学が進むのが先かですよね。
長いけど、原因と対策とをまとめた。自分用メモでもあり、誰かの役に立てばそれはそれで幸い。
まず、世の中の構造が機能不全だと認める必要がある。なんでも自己責任自己責任と言っているのは思考停止。
生きづらさを感じる人は、なぜ、この社会はかくも病んでいるのか、を理解する必要がある。
が大体の機能不全の原因だと考える。
・自分と他人が別の人間だという意識が弱い、自分がこう思うのだから他人も同じという同一視が激しい(単一民族国家が原因。見た目に差がないから中身や考え方まで同じといった、「みんな同じ」幻想が強い
・専業主婦や終身雇用など、他者や組織に依存しないと生きられない仕組みを作った、安定はあってもそれは依存であり自由や自立を奪う(不安遺伝子が原因。自由や自立よりも安定を好む人間が多いんだろうけど、他者や組織に依存しないと生きられない、共依存社会なのは不健全
・減点主義で完璧主義な働き方を良しとする。いくらやっても褒められず、真面目にやればやるほど合格点がどんどん高くなり、自分で自分の首を絞める(不安遺伝子が原因。不安が強いと完璧主義になるけれど、それを社会全体でやらなくてもよい。完璧主義な社会は他者への寛容さがない。だから、迷惑をかける人間が悪とされる。赤ん坊やベビーカーや、迷惑をかけて当然なのに。寛容さがなくなった結果、自己責任論が強くなる
・上記の完璧主義と同一視が行きすぎたからか、思考停止をしてマニュアル通りに動くことを求められる。「相手によって求めているものに違いがある」という前提がない同一視の激しさと、完璧主義な接客を求めた結果だと思う。
マニュアル通りに動くこと、は、自己主張をせず自分を殺してロボットのように振る舞うこと、に繋がる。
・上記のような働き方が原因で自己主張が良しとされず、自己主張が良しとされない風潮ができ、自己肯定感が低く不安遺伝子が強い日本人は、他者に嫌われないために自分を抑圧するようになる。(日本社会が周りに合わせる、空気を読む、同調圧力の強さ、などと言われるのは、抑圧の強さから)
日本人の自己肯定感の低さについては、国の調査がソース。子供を対象にした調査で他国より圧倒的に低かったけど、子供がそうなんだから大人も高いわけがない、という解釈。
「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」とか「ありのままで」とかって抑圧を嫌うフレーズが流行りながらも、その風潮は変わらない。(社会構造が変わらないから)
こういった、生きているだけで大きなストレスの原因となる、社会構造・風潮があることを認める必要がある。
そして、このストレスの原因が、パワハラやセクハラといった社会問題を起こしていることを認める必要がある。
パワハラやセクハラを減らしたいなら、こうった社会構造を変えないと、無理。個々の対処療法では、ストレスが別の矛先に向くだけ。
(最近の例なら、女の記者を男に変えたところで、男記者へのパワハラが起こるだけ)
今の社会構造では、支配-被支配が連鎖してその中で暴力が連鎖していってるから、支配-被支配に陥る構造を変えない限り、パワハラやセクハラといった暴力はなくならない。
既出の、専業主婦や終身雇用などの他者や組織に依存しないと生きられない仕組み、が、支配-被支配の原因。
現に、パワハラ的ではない労働環境の方が少ないという異常なことが起きている。労基法を守らないのが当たり前、という労働環境が多すぎるのは狂っている。
日本の問題は、労働環境が異常という点は認識しながらも、そこから先を考えていないこと。その異常が原因で数々の諸問題が起こっていることを認識していないか、わかっていても見て見ぬ振りをしていること。
セクハラ、痴漢、DV、レイプなど、性暴力が減らないのは男が被支配のストレスを溜めているから。労働者として会社に支配されパワハラ的な働き方を強いられることにストレスを感じ、弱い存在に八つ当たりしている。八つ当たりは許されないけど、性暴力が減らない背景にはこういった事情があることを理解した方がいいと思う。
会社-労働者といった支配関係の中で被害者の男が、男-女といった支配関係の中で加害者になっている、ということを理解した方がいい。
男が長時間労働前提の働き方で父親不在の家庭が多く、それ故に母子密着になることが多いのが日本の家庭の問題。(同じく長時間労働前提の韓国でも母子密着が激しそう。母親の過剰な神聖化と、男尊女卑の強さと、長時間労働が前提の社会だと共通項がある)
社会としても、過剰に母親に責任を求める風潮がある。そういう社会からのプレッシャーと実際の1人での子育て(以下ワンオペ育児)に、余裕がなくなり「毒親」となってしまう母親は多いと思う。
毒親経験者の体験談を読んでいたら、ほとんどが母親のワンオペ育児の結果だった。父親と母親の両方がいるケースにも関わらずワンオペ育児という概念があることが不健全だということに、社会が気づく必要がある。
主婦にしろ主夫にしろ、不健全。(相手に経済的に依存することと、ワンオペ育児という親と子の両方に負担があることをすることが)
ワンオペ育児が当たり前となった社会をやめるためには、長時間労働前提の働き方を変えるしかない。
そして、子供の中で家庭環境にストレスを抱えた人間が学校でいじめをしたり、動物や虫を殺したり、暴力の連鎖、八つ当たりの連鎖なのが、この社会。
暴力・ストレスの原点である、会社-労働者の支配-被支配をやめれば、長時間労働前提の働き方ではなくなり、女が労働市場で不利になることがなくなり(長時間労働前提で終身雇用前提の現状は女が圧倒的に不利)専業主婦という経済的に他者に依存する生き方を選ばなくてよくなり、男も育児参加できるようになり、ワンオペ育児が原因の機能不全家族も減る。
要するに、会社-労働者も男-女も親-子も、対等な関係性になれる。
労働者が終身雇用を人質にパワハラ的な働き方を強いられることがなく、専業主婦が生活費を人質に家事育児を押し付けられたりDVを受けることもなく、そういった親側のストレスやワンオペ育児にならざるを得なくなる環境がなくなり親子関係も今より健全になる、と。
なので終身雇用をやめて中途採用前提の社会にすべき、と私はずっと言っているが、いつになることやら…。
自民党は、支配者(会社)に都合が良い政策、経営者などの雇う側に都合が良い政策しかできないから、いつまで経っても会社-労働者の支配-被支配の関係が変わらず、その結果、男-女や親-子の支配-被支配が再生産されることも変わらず、ずっと、機能不全社会のまま。
さて、原因については終わり。
社会を変えるという方向性ではなく、機能不全社会でどう振る舞うかという自身の態度についての方向性で考える。
ここ数ヶ月、この機能不全社会でどう生きれば幸せを感じられることが増えるのか、それをずっと考えていたけど、そこまで難しいことではないのかも、と思えるようになってきた。
女性は結婚をしない(自分が相手と同等か相手以上の収入がある場合を除く。自分の収入に問題がなくても、家事育児を手伝う気がない男とは結婚しない方がよい。稼ぎは同じなのに家事負担は不公平といった理由で不仲な夫婦しか周りにいないため)
これによって、他者や組織に経済的に依存して、意に沿わぬことを強いられる状況を避けられる
(意図的な選択ではないにしろ、結果的にこの状態を選択する人が増えている。未婚率の上昇と自分の意思で非正規や無職を選ぶ人間の増加と。このまま、結婚や終身雇用の正社員という立場を拒否する人が増えたら、システムは変わるのかな…?
・同一視を強化させるような情報に触れないこと
一番はテレビ、私個人は何年も見ていないけれど、価値観の押し付けという面で、一番タチが悪いのがテレビだと思う。街頭インタビューとか、価値観の押し付けの極みかと…。
ネットも、使い方によれば、毒になる。
似たような価値観の人が集まる場所を選択して見えるからこそ、視野が狭くなるのが、ネットの怖さ。
他人と自分とは違う、1つの物事に対しても多種多様な見方がある、と常に意識してネットができたらいいけど、それができないと、多くの情報に触れているつもりでも、自分の価値観・偏見が強化されているだけで、視野が狭くなっているだけのこともあるので、注意が必要…
価値観なんて宗教みたいなもの、人間には偏見がある、考え方は人と自分で違っていて当たり前、と理解した上で、似た人の集まりを選択するのは良いかもしれないが、それを理解せず、自分の価値観が正義で他は間違っているというスタンスでネットをするのは、同一視が激しいのでやめた方がいいと思う。
そういったスタンスでネットをしている人間も多いように感じる。
機能不全社会でシステムに適応をして抑圧をしてストレスを溜め込んで生きている反動で、ネットで喚き散らす人間が多いのかもしれないけど(病んだ社会ほど、匿名の空間が荒れてる、日本にしろ韓国にしろ
他者と自分を同一視せず、あくまで、人は人で自分は自分で違っていて当然だという前提を持つこと。(社会的にこのコンセンサスがないから、機能不全社会なんですが)
たとえネット上でも、そういった前提がない人間が多い場には近づかないこと。
個人的には、多くの人間が集まる場所、SNSやポータルサイトなどは、そういった前提を持たない、同一視が激しい人間も散見されるので距離を置いた方がいいのかも、と考える。
・あとは、減点主義ではない職場で働いて(フリーランスで雇われずに働くのもあり)、自己主張をして、思考停止を良しとせず自分の頭で考えること
これぐらい、思ったより難しくない。
既存の価値観(終身雇用の正社員が素晴らしいだとか、結婚するのが偉いだとか)に囚われていたら無理だけど、そういった価値観を捨てて、病んだ社会システムにいかに巻き込まれずに生きるか、といった生き方を選択するのは、難しいことではない。
一番辛いのは、病んだ社会システムだと自覚しているのに、そのシステムの中で生きていること。(私個人も今の職場が病んだ社会システムの象徴のような場所なので、早く辞めたい。契約が切れるまでは、そのシステムに染まらず自分を貫いて保って、乗り切る…)
システムの異常を知覚したら、そこから離れて、異常に巻き込まれずに生きること、これが一番大事なんだと思う。
機能不全家族なら親と実家から離れること、ブラック企業なら辞めること、機能不全社会なら国外に脱出するか、ここに書いたような機能不全な部分に巻き込まれない生き方をすること(日本に生きていても、機能不全な部分に巻き込まれずに病まずに生きている人もいるから。正社員でも終身雇用ではない専門職(資格職)の人とか、抑圧や思考停止をしなくてよい社風のベンチャーで働く人だとか、夫に経済的に依存していない女性だとか。
大多数が病んでいる社会でも、病まずに生きることは不可能ではない、と理解すること。(日本みたいな不健全な社会で幸せを感じようとするより、健全なシステムの社会で幸せを感じる方が楽だと思いますが。言葉の壁とかが気にならない人はシステムが健全な社会に逃げるのもあり)
この異常なシステムの中で病まないためには、会社に支配されない、女性なら男性に支配されない(経済的に依存しない)、これが、一番大事なんだなぁ、と感じる。
そして、健全な社会(自殺率が低かったり、幸福度が高かったりする社会)は、これらが当たり前に満たされているんだな、と。
中途採用前提だから会社と労働者は対等だし、日本ほど男女の賃金格差が激しくない・長時間労働でもなく終身雇用でもないから女性が男性と同じように働いて稼ぐことが可能で、男と女が経済的に対等だし。(先進国でも男女の賃金格差はあるけど、日本より圧倒的にマシ
男も女も支配-被支配に組み込まれやすい社会構造だからこそ、病んでて、そのストレスを他者を攻撃することで発散してるこの社会だけど、その他者を攻撃するエネルギーを社会構造を分析したり社会構造を変えるための行動に使う人が増えれば、もっと世の中はマシになるのでは…と思いますが。
長いから最後まで読んだ人がどれくらいいるかわからないけど、同じように、機能不全社会に生きづらさを感じる人の思考の役に立てばいいな、と思います。
システムは異常だけど、適応せずに生きれば、病まずに生きることも可能だ、と、自分に言い聞かせたかったのと、そうやって、異常なシステムに適応せずに自由に生きる人が増えた結果、システムが変わればいいな、という希望と。
風邪はもちろん、赤ちゃんがよくかかる突発性発疹とかも、「治す薬はありません、対処療法のみです」とホームケアの本には書いてある。
これを文字通り、「飲ませる薬も無いし安静にするだけ」と思っていたのだが、
そうではなくて「熱を一時的に下げる」のも「吐き気を抑える」のも「痰を切れやすくする」のも、
「睡眠」と「栄養摂取」と「呼吸」という体の免疫力つまり「病気を治す唯一の武器」を、高めるためにはとても大事なのものなのだと今更ながら気が付いた。
治す薬がない病気の場合は、とにかく免疫力をいかにあげてくかが大事なので、薬という補助剤を効果的に投与することで治りが早まるのねと、自分の中で納得。
私は完全に地頭が良くないタイプの人間で、地頭が良いであろう人間を目の当たりにする度自分と比較して凹んできた。
(こうして人と自分を比較している時点で本当に愚かなことがよく分かる。)
・本質を捉えることが出来る
物事にはなんでも本質というものがあって、それを捉えることが出来るものは地頭が良いのではないか?と常々思っている。地頭の良い人は的外れなことを言わない。
問題が目の前にあって、それに対して真の原因を探っていく。
これはぼんやり生きているだけだと恐らくダメで、考え続けるということを自然に出来る人間が強い。
訓練である程度のところまでいける気はしてる。
幼い頃から疑問を絶やさず自ら思考出来る人はこれを当たり前にやってのけるのではないだろうか。
・アウトプットを常にしている
アウトプットするということはトライアンドエラーの繰り返しだ。
アウトプットの形態は何でもいいが考えるだけでなく、実際に何かを形に残す、人に伝えるということが出来る能力は地頭の良さに関係している気がしてならない。
そもそもアウトプットするということは前述の「考える」ということになるからだ。
何かを作ろうとする視点を持ちながら世界を見ることで考えを深めたり、実際アウトプットすることでその反応を肌に感じてまた次のアウトプットに生かせるのでは。
そうすると考え続ける人生になる。
もちろんアウトプットのためのインプットを常にしているだろう。
・長い目で物事を見ることが出来る
目の前のことだけをこなすことと、一歩下がって視野を広く持ち長期的に問題解決に向けて物事を考えることは大きく違う。
それに対して後者は問題の根本的な部分と向き合うことをしている。
時間的に過去から現在、未来までを考慮しながら思考し行動できる。
ふわふわ考えてみたけど結局こんなことは誰にでも考えられるし挙げられる。
思考は日々の繰り返しだし訓練だ。ひとつの物事について掘り下げが必要だ。
スマホは怖い。マルチタスクが可能なので思考があちこちに飛んでしまう。便利だが飲まれないようなしたい。
考えることをやめたくない。でも自分の考えがひどく的外れであるかもしれないしそのことにすら気付けないのは地頭が悪いことの不幸だし、幼少期から思考を怠ってきたツケでもあるかもしれない。
取り合えず薬で対処療法。なかなか効果のある痛み止めが見つからない。
トラムセットを2錠飲むと効果が出た。それでも効き目の持続時間はせいぜい3時間と言ったところ。
夜寝る前に飲めといしゃが言ったが不眠の副作用があって2錠も飲むと全く眠れ素徹夜状態。
3日も眠れない日が続いたので止めて朝飲むようにしたら眠れるようになった。
腰椎狭窄症は腰痛ではない、姿勢によって足が痛くなって歩けなくなる、立っていられなくなる。
前かがみにお立つ、前かがみに歩くと痛くないが、姿勢を良くすると激痛が走る。
自転車に乗ると痛くない。自動車の運転も少し前かがみで運転すれば痛くない。
問題は歩く時だ。寝ている姿勢では上向きでも横向きでも痛くないのでこれは助かる。
前かがみに歩くのは腰の曲がった爺様みたいでカッコ悪い。
治療費がかさむだけではない。
ここでは、自殺や就労不可になる問題に隠れているメンヘラの経済問題について述べたい。
そういった事態になるまで自分を追い詰めてしまう人のブレーキになれたらと考えている。
■自己紹介
その会社で、ゲーム開発のプロジェクトマネージャーをしていたのだが、企画を補佐してくれるものがいなかったため、
PM兼、プランナー兼、アートディレクター兼、クラアント対応といった業務までしていた。
平日だけでは業務が終わらず、土日もメール対応や仕様書を書いていた。
そういった無理がたたり、たまにできた暇な時間も体調が悪く遊びにいくことも家事をすることもできなかった。
自立支援医療制度という精神疾患を患っている人を支援する制度があり、
それらの費用が通常の自己負担額3割から1割になるとは言っても、一回行くごとに1500円、月2回行くので3000円かかる。
ついでにいうと、その手続には、診断書が必要であり、その発行に5000円かかる。
最寄りの病院でない場合は、それに合わせて、交通費も必要になる。
それに加えて、一番大きいのがカウンセリング代による支出である。
私の行くところは、40分で6400円ほどかかる。
カウンセリングなんて、役に立つのかと健康な人は思うかもしれない。
だが、処方箋なんてものは、所詮対処療法であり、心理的な問題を解決することはない。
また、人に話すことで楽になることはたくさんあり、しかもカウンセラーにしか言えないこともある。
見ず知らずの人に、そんなこと言えるだろうか? 困られせてしまうだけである。
というわけで、私はカウンセリングにて、毎月2回20分受けていたので、月6000円が飛ぶ。
東京在住で年収300万いかず、奨学金の返済にも苦しんでいた私には、
例えば、部屋が片付かないため、何を買ったが判断できなくなる。
すると、同じようなものを何回も買ってしまう。洗剤や歯磨き粉が複数ストックされる。
そして、掃除をサボることにより家の汚れが取り返しの付かないことになることも、大きな損失になりうる。
引っ越す時に敷金がもどってこないどころか、6万円近くのクリーニング代などを要求されるてしまことを、
思考がどうかしているうつ病患者の私には想像する気力もなかった。
うつ病になると、冷静に考えてお金を使う判断力が失われ無駄な買い物が増える。
場合によっては、ストレス発散のために、高い買い物をしてしまうこともある。経度の買い物依存症である。
そして、あらゆるめんどくさいことを、お金で解決しようとしてしまう。
駅からも遠かったため、少しでも心理的な負担がかからない場所に引っ越したかったからだ。
上記の様な状態の私はただでさえ貯金がない状態であり、引っ越しにかかる費用はクレジットカードを利用した。
そこらへんの判断も、今ふりかえればどうかしている。
だが、明らかに思考力がまともじゃなかった私には、なんの疑問も感じなかった。
新たな引越し先への敷金礼金以外にも、20万以上つかってしまっていた。
■まとめ
という流れは広く知られている。
だが、それだけではない、
うつ病予備軍の人は、上記の様なうつ病になる大変さを理解して欲しい。
すでにうつ病の人は、私の様な自体に陥らない様に気をつけて欲しい。
私はこれの様なリスクを理解していなかった。この過ちが、後に、大きな不幸をまねくことを私はまだ知らなかった。
その不幸については、また今度投稿する。
増田へ
良いレビューを読ませてくれてありがとうございます。初増田なので無作法あったらすみません。
お勧め漫画の情報は他の方が既に沢山書いているので、お嫁さんとの新生活でいかに漫画を保持するか、漫画好きのオババが思ったことをメインにツラツラと書きます。
◆◆まず最初に、お嫁さんが漫画の趣味を受け入れられない理由を考察してみる◆◆
(1)重量
紙の漫画は重いです。読書家の家では本棚の重みで二階の床が抜けたなんて話も聞きます。
沢山の書籍を持ち込み床が軋んだり、凹んだりするのを避けたいのかもしれません。
(2)人に見られる
本棚が目に入ったとき、増田の親なら「また、こんなものを買って!」と怒るだろうし、お嫁さんのお友達は後で「旦那さん、漫画が趣味なの?」と聞いてくるかもしれません。
(3)お金がかかる
賃貸やレンタルスペースの場合、書籍が占有する面積当たり月々の賃料が発生するという考え方もあります。
これからの新生活、それぞれのライフステージで沢山お金がいります。堅実な女性なら、将来の備えのため節約に意識が行きます。
そんな時、自分の理解できない趣味が目の前に並べられ、増え、賃料が発生しているのを可視化されるとイラっとするかもしれません。
独身時代と同じノリで漫画が増えると「将来のこと考えてる?」と思う可能性もあります。
漫画を集中して読んでいる時、生返事したりしてませんか?
そんなことをしていると、漫画を読んでいるときの増田のことが嫌いになっちゃったりします。
ましてや、集中のあまりご飯の時間がずれたり、お嫁さんが一緒に楽しみたい何かの時間が邪魔されたら、悲しみは増します。
(5)とにかく大人が漫画を嗜むことを理解できない、何となく気に入らない
昔より、だいぶ漫画は市民権を得ましたが、それでも「漫画=子供のもの」という人も多いです。
(2)と同様ですが、結婚してこれからのライフステージをクリアしていくにあたり、子供っぽいままでは困る、と思っているかもしれません。
※長々と書きましたが、上記は「自分に理解できないものに場所、お金、時間を取られたくない」「これからの生活の事をもっと考えてほしい」に集約されると思います。
(1)(2)であれば、レンタルスペース、自炊、電子書籍である程度解決できます。
(3)の場合は電子書籍や自炊でないと厳しいです。レンタルスペースに継続してお金がかかるのは賛同を得られない可能性があります。
(4)は、お嫁さん/家族の事が他のことよりも大事である、という態度を示せれば解決します。
(5)だと、お嫁さんの視界から漫画を消して、漫画にお金を掛けていることは公にしないことです。
でも、月々の収支が明らかになると必ず突込みが入ります。
◆◆2人の妥協点を探す◆◆
お嫁さんがなぜ、増田の漫画趣味が気に入らないのかは私は知りません。上記の(1)~(5)も全くの的外れである可能性もあります。
なので、一度はやめに話し合って二人の妥協点、価値観を探った方が良いと思います。
「これからの2人の生活の話」という位置づけで聞き出せば、お嫁さんも色々話してくれるのではないでしょうか?
・漫画はお嫁さんの中でどういう印象なのか?(子供っぽい?オタクで暗い?)
・そもそも、大人の趣味について、お嫁さんはどう考えているのか?
・逆にお嫁さんの方がこれからの新生活のために早々に諦めている趣味や私物は無いか? (堅実にしようとするあまり、先んじて自身に節制を課してしまう人もいます)
・お嫁さんの価値観で、家の中に置ける漫画の量、月々いくらまで漫画/趣味に掛けて良いのか?
※まずは、お嫁さんが"趣味に掛けても良いと考えているライン"を探るのが良いと思います。
・増田の、漫画から得ることができる楽しみ、費用対効果等を説明する。
最近の若い女性は人生設計とお金に堅実である傾向が強いと感じます。
結婚前から、保育園の場所、子供の小学校の学区、親の介護、老後の資金について考えている人もいます。
なので、漫画趣味の悩みというよりは、お金、これからのライフスタイルの話なのでは?とオババは感じました。
お嫁さんも「これからの事を真剣に考えてくれている」「自分/家族を大事にしてくれる」と分かれば、安心して歩み寄る余裕もできるかもしれません。
帰宅したとき、大好きな人が「お帰り」や「ただいま」を言ってくれる生活は大変良いものだと思います。
その生活に自分の好きなものも一緒に置けると、きっともっと幸せです。応援しています。
どうもありがとう。なんか話せそうになってきた。
あるケースで警察の介入をお願いしたいというものがあることは否定しませんよ。ですから本人意思や、本人の代理人による権利擁護が担保された状態での選択性にすればよいのでは、と考えているのですが、なぜ義務として必ずそうしないといけないとなるのでしょうか。その説得的理由がいっさいわかりません。
>ロクに治療が行われず、措置解除後はすぐに出されてあとは放置
まさしくこれが問題だと思ってますよ。日本の精神病院は他国とくらべて圧倒的に平均入院日数が高いということも問題だと思っています。措置入院件数の格差は、人口が違うので、人口当たりだと14倍程度と国会で議論されていたと記憶しておりますが、イタリアの基本的に入院治療は行わない、という制度意向によって、地域社会でのインクルージョンが大幅に進んだということなので、方向性としては、措置入院は可能な限り減らしていくことが望ましいのではないかと思っておりますが、私は専門家ではないので、これが必ず正しいとは思っておりませんが、まさしく地域間格差があるということそのものが、疫学的、社会学的に有効な処置の検証ができる状況にあると思いますので、厚生労働省にはしっかりとその面での研究を奨励して頂きたいと思いますね。
参考人質疑の中でも、障害者権利を専門とする弁護士が、強制的な医療によって、患者が治療拒否状態になり、治療効果がでない、というようなこともおっしゃっておりました。また通院を義務化したことによって、自殺者も顕著に増えたとおっしゃっておりました。結局、認知症治療や発達障害治療等と同様に、投入されるリソースが少なすぎるから、治療効果を無視した、対処療法的であったり、悪影響を与えかねないような治療形態しか選ばれていない、ということなんだろうと思っておりますので、私の結論としては、もっと金を出そうよ、というところですね。私個人としては、大きな政府支持ですので、そのための増税はむしろ歓迎しているところです。そういう意味で民進党、共産党を支持しているかといわれると難しいところはあります。
特に、40年以上放映され、今なお毎日再放送されている「水戸黄門」は、その代表格である。
今回はそのストーリーがいかに非民主主義的、非現代的であるかを検証する。
水戸黄門の主人公である水戸光圀の一行は、「越後のちりめん問屋」と身分を詐称し諸国を漫遊しているが、その先々では必ず商人の不当な物価の値上げや、代官の課す重税に庶民が苦しめられている。それを聞いた一行が、屋根裏に潜入し、また色気を使って捜査し証拠をとる。そうして悪事を暴いた「越後のちりめん問屋」は、悪事を起こした者の怒りを買い、刀を交えることになる。最大の見どころであるチャンバラシーンのあと、権威の象徴である「印籠」を見せつけることで、「先の副将軍」である自身の正体を明かす。それを見た者はみな平伏し、悪事を働いた者は自分の過失を認め、登場した藩の者がその身柄を拘束する。最後は一件落着と一笑しまた旅を続ける、というのがストーリーの梗概である。
この作品には
という世界観が透けて見える。これについて持論を述べる。
まず、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という点について述べる。
本作の世界では、いつ来るかわからないような、国家から派遣された、さらに上の権力者にしか悪を懲らしめられないことになっている。水戸光圀はその土地の者でなく、また問題が解決した後は旅を続けてしまうため、対処療法的な解決しか行えない。地方にも自浄能力がなく、一回水戸光圀に問題を解決したあと、また同じような悪事や不正が起き続ける。地方はそれを解決する術を持たないため、水戸光圀が来るのを待っているだけである。住民の当事者意識と民主主義の原理が欠落した「他人任せ」の政治は、今日の日本の政治に通底するものがある。
また、ある放送では、朝廷の中納言の悪事を裁いた際、「私は徳川の家来ではないので従わない」と反発したが、更に上の役職である左大臣が登場し裁いたという回もあり、「権力者の悪は更に上の権力者にしか裁けない」という世界観をより強固なものにしている。
次に、「庶民は無力で虐げられる存在である」という点について述べる。
水戸光圀が「越後のちりめん問屋」と詐称しているにもかかわらず、庶民からは色々な苦情が持ちかけられる。旅する隠居にまで相談しなければならないほど、それほどまでに事態が悪化してしまっていることがわかる。作中ではこのように圧政や不正に苦しめられる庶民の姿がよく描写されるが、反対に実力行使に出ようとする庶民を水戸光圀が宥める場面は皆無である。先述した住民の他人任せの意識がここでも顕在化している。
欧州の市民革命においては、圧政に苦しんだ市民の流血によって民主主義が獲得されたが、日本においては明治以降の主権者の変更は市民革命ではなく、支配者同士の権力争いの結果に過ぎない。このように市民自らが流血し民主主義を獲得した経験がないことが、権力者任せの日本人の気質を形成しているのではないか。
そして、「権力者はどんな手段を用いても許される」という点について述べる。
苦情を持ち掛けられた水戸光圀の一行は、全員が証拠の裏付けのために捜査を行うことになる。しかし、その捜査方法も卑劣である。「越後のちりめん問屋」と身分を詐称した捜査は、当然警察権を保持する藩の奉行所の許可を得ていない。令状なしに現場や物的証拠を取り押さえるという、現在の「法の支配の原理」からはかけ離れたものであるが、作中では身分詐称や私人の警察権行使について議論されることは一切ない。奉行所は水戸光圀の一行のおかげで吐かされた自白を聞いた後に、身柄を連行するだけという、警察組織の体をなしていないものであるが、水戸光圀がこれを一喝するシーンもない。
なお、作中で水戸光圀は「先の副将軍」と自称しているが、居候の身であるはずの前任者が悪を裁くことについての是非も議論されていない。これは現在においても、我が国では一線を退いた者が強大な発言力を持ち続ける事例が、政財界ともに存在している。
「法の支配の原理」「地方自治の原理」「民主主義の原理」すべてが欠落したこのストーリーを、多くの高齢者が再放送を毎日視聴し続けている。これでは、日本の政治に対する認識を歪めるものであり、健全な民主主義国家としての市民意識が育たないことは当然である。
刑務所に入るのが嫌だからっていうのは一般的な人たちにとって人を殺さないだけの十分な理由かもね
でもそうではない人たちだって当然いるでしょう
殺せるなら刑務所にはいってもいいと思えるくらい殺したい気持ちが強かったり、そもそも刑務所に入ること自体を脅威と思っていなかったり、あるいは理解できない理由があるかもしれない
それでも彼らが人を殺さずにいるのは言語化されていないだけで感覚的に存在する理由があるからだと思う
それは当事者との話し合いでしか言葉にできないし、当事者が自分でも確定できない理由を見つけて欲しくて人を殺してもいいですよねという話をしているのならば、常識的な理屈をあれこれあてはめていっても得られるものは少ないんじゃなかろうか
大事なのは当事者にとって感覚的に納得できる理屈がみつかることであって、さらにそれが相談される側にとって理解可能であるかは関係ないということだと思う