はてなキーワード: 報復とは
初期の西部劇では悪党=インディアンを退治する勧善懲悪ストーリーが定番だったらしいし、ネイティブアメリカンが白人を襲撃していたことはよくあっただろうと思うのだけど、よく分からない。
もちろんネイティブアメリカンによる襲撃が、主に、、土地を奪われたり虐殺や強姦その他諸々の仕打ちをさんざ受けていることへの反撃や報復という面があったことは分かってるんだけど、そういう大きなストーリーで個々の被害者を透明化する話は一旦傍に置いて。
ネイティブアメリカンの犯罪について整理され、かつ、白人至上主義に基づく歴史修正主義的ではない、日本語または英語のサイトがあったら誰かリンク貼っておくれ。
いや、「何考えてんだろうね」って、お前は呑気すぎるぞ。今までのイスラエルとパレスチナのやり取りを見ていれば、こんな状況がいつ起こるかなんて、時間の問題だった。今年だけでも、こんだけ死人が出てるんだぞ。だいたい1ヶ月に1回は軍事衝突してて、死人が出てる。
パレスチナウォッチャーとしては、パレスチナ人はむしろ良く我慢してたなって印象。
ちなみに、今年8月時点で、パレスチナ人200人が死亡、イスラエル人30人が死亡という結果になってる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230822/k10014170801000.html
ネタバレ注意!
この物語の基本的な原理は次の通りだ。「宇宙の資源は有限である。しかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手の位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手の文明の座標を全宇宙に晒す装置を作ればいい」。
これが適用されるのは地球人対エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人の宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則に例外はない。
どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。
エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。
さらに、地球人の文明が通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元の物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系・人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。
それだけではない、現在の宇宙が四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元で光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義!
宇宙戦艦、超兵器、エイリアン、コールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSF的モチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい。
これは欧米のSFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国が舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻とかいう名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないから楽しい(ケン・リュウも書いているけどね。あと、中国人からしても日本と言えばカミカゼと忍者と茶道なのね。あとは雀魂とか)。
関係ないけど、英語版のウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。
あと、文化大革命が背景になる中国の小説とか映画とかって、面白いのが多い。
クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。
SFはリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実の社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFのルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマの作品をどうしても読みたくなる。
第一部でエイリアンの軍勢を地球に呼び寄せてしまうのは人類に絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球の資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかわからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアンと和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本や韓国のアイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。
そして、コールドスリープから目覚めた主人公の女性・程心もエイリアンの文明を破壊するための報復装置を、弱気さから起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類のジェノサイド宣言につながる)。
同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会はもっと雄々しくあるべきだ」という趣旨のマッチョなことを述べる。2010年のSFだけどこれでいいのか。このシリーズを普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。
さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。
つまり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。
三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。
※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサンと宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性の上司に日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。
エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいかと軍人が議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンのシンパ・スパイを排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実の中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代のSFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦の世界観で世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。
第一部からエイリアンの超粒子で地球文明が監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。
深読みすれば、共産党に監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。
SFってのはある程度ブラフが必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないかが仮定の文学であるSFのテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球のナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)
人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。
ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国の伝統的美意識・神仙思想・隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。
全体として思ったのは「これって炒飯とラーメンと餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレとかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セットが無性に食べたい日もある。
時々どうしても受け入れられない価値観に出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分は不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分の価値観があぶり出される。
過去は批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。
本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。
こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。
それではまた。
「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。
これは外国文学を読むときの鬼門で、自分は三国志にゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。
おすすめのロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。
基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉のリズムに慣れるのがおすすめ。マニアになってくるとジョンとヨハネとイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。
SFじゃないのも含むけど、
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あとは、
これはちょっと思った。原初のSFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。
で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現にルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。
なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから、元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。
でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。
そういえば第三部でアボリジニのおっちゃんが出てくるけど、欧米の作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときにももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明と出会ったことによる悲劇のメタファーとしては扱いが若干雑だ。
以上。
スプラが最近楽しくないのは煽るやつが居ないから。本来対戦ゲームは、敵を倒す快感がベースにある。でも、煽りを過剰に抑制すると、負けたときのストレスが、マッチングとか自分に向かう。これは、煽られるストレスよりもストレス度が高い
目的意識も、レートを上げるとかルール上の勝ち負けに行ってしまい、仕事みたいになるし画一化されてしまう。負けても良いからあいつを倒したいとかいう、ゲームの余白が消えてしまった。最近は敵の名前も覚えていない。以前はやられた敵の名前を覚えていて、次に対戦でマッチングしたら真っ先に倒しに行って煽るとか。逆に相手からも認識されていて煽られるとか。そういうのが楽しかった
今はよほど無双していじめ抜かない限り報復されることが無いし、自分も誰かを報復したいと思わない。報復しても煽りを我慢しないといけない。これだと一人でプレイしているのと変わらない
※最後に、唐突にジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。
文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。
普段は、ツイッターの鍵アカで毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカのフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。
友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。
心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。
数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間だけが過ぎていってる。
なんでこんなことになってしまったのか。
当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。
虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。
夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。
彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。
1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。
今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察に電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。
家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。
そんな祖父母も、もう亡くなった。
葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかわからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。
でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。
個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。
でもこの決めつけも、自分が勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。
自分で自分を悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。
ただ、誰かにこの体験や自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、
この体験や感情を否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。
自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。
そして家族。家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在も過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。
兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分が兄弟に体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。
以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。
カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。
「自分は児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。
本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。
本当に、信じられないことに、祖父母を虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。
混乱する。事実と感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。
そんな自分が情けない。
悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実と感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかわからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。
でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。
被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考と感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。
誰が悪いのか?加害者が100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。
被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償を検討する際に在籍時期とか証言の妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。
被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。
広告取り下げ企業に対しては、「タレントの人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。
嗜めた。不満そう。納得できないらしい。
「警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」
と。
本当にきつい。自分にも当てはまる。
いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。
もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターのアカウントはログオフした。
死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。
ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。
メモ帳に睡眠時間を記録し、それに応じて俺が俺に小遣いを支給する。
自作のゲーミフィケーションだ。
ポケモンスリープから「早く寝るとご褒美が貰える」というアイディアをパクった上で「ゲーミフィケーションをしようとしすぎて本質を見失っている」という問題を改善した。
データ上のポケモンとかいう地味にどうでもいい存在ではなく、小遣いという最重要物資を人質にしたことで究極のゲーミフィケーションが誕生しちまったぜ。
夜中に「なんとなく起きてたいなあ」となったときに「でも寝たら小遣いが出るしな」と考えられるようになったことで睡眠時間が増えたのだ。
まあ結果的にはポケモンスリープのおかげで長年の悩みだった報復性夜ふかしが克服されたということだな。
寝る前にやっておきたいことがあるので増田はこのぐらいにするか。
昔々、あるところに、ナハシュ・ルアハという男の子がいた
彼は自分が蛇と山羊の悪霊であることに気が付かずに 人間として普通に生活していた
彼は「風または土である」と答えてみせた
ある日、彼が自己紹介によって人と交流する場で 悪魔の言語を使ってしまった
「私が尊敬するのは、ルアハ・ラア・アザゼル 凶悪な悪霊である」と彼は笑って言った
その時、交流の場は凍りついた
ナハシュはこれにより、友を失った
「なぜ、私はこのようなところにいるのか
私は愚かな舌の力によって、牢に入れられているではないか」
しかし彼の両親が心配したので、その牢からすぐに出ることができた
闇の場の大人は、それがナハシュという男の子による行為だと突き止めた
それから、ナハシュは恨まれ、情報の行き交うところでは全員が敵となった
「あなたがたがそうするなら、私は行き交う情報のあらゆる秩序を解明してみせよう
感情や性格に至るまで、言語から炙り出せることは何でも暴き出そう
敵と味方を区別し、敵を悪いと言うことにしよう」とナハシュは悪巧みをした
そのような試みによってナハシュは、かえって敵を大量に作ってしまった
大量の報復を受けた
この世の秩序がなぜそうなっているのかについて鞭を打って教えた
なぜ曲げる必要などあるのか
こうして、ナハシュは自分が悪魔の舌を使っていたことを自覚した
山羊は羊の群れに置くと、先導するようになる
ナハシュはその経験によって、弱い人たちを守る人となった
まあインターネット、その中でも更に隠キャの集まるであろうはてブや増田の住人がいじめっ子といじめられっ子どっちが多いかって、絶対いじめられっ子だった奴の方が多いのは分かるんだが、いじめ系のニュースでいじめられっ子側への肩入れが半端じゃない
いつもは右翼左翼フェミアンフェミと争ってる奴らがいじめ系の話だけは一致団結していじめっ子を糾弾する
もちろん調査が進んで、事実関係が明らかになったニュースだけでその態度なら何の問題もないんだが、まだ全然事実関係がわかってないようなニュースでも初手からいじめっ子が全て悪でいじめられっ子が善と決め打ちで強い言葉で批判するコメントが出まくる
それどころかいじめが原因かどうかわからない学生同士での殺傷事件なんかでも、いじめが原因で仕返して殺したんじゃないか?いじめた奴の因果応報だなみたいなコメントがスターを集めてることも度々見る(ちなみにその時の事件はクラスで浮いてた子が人気者の子を妬んで逆恨みして殺傷した事件でいじめはなかった)
暴行や性加害には罪の重さを冷静に語れるのに、いじめに対してだけ過剰報復を望む自分たちを一度見直した方がいいんじゃないだろうか
軍事目標狙ってる限りロシア人の犠牲は許容されるし問題視されないと思うぞ。NATOによって艦隊や航空基地は壊滅させられると思うけど、ロシアはそれを許容できるのか?
当然、ウクライナによる自発的核攻撃は許容されないと思うけど、ロシアが次の核攻撃を行った際に報復するだけなら、ロシアの責任で終わるわな。
NHKが「戦争について語ろう」などと波を立てることを言い始めていた。
予め言っておくが、自分はウクライナやロシアがこれまで何をしてきたのか正確な情報を知らないので、どちらかの敵や味方というわけではない。
ロシアは核を持つ、ウクライナは持たない。ウクライナが負けるか降伏しない限りは、核による地球の崩壊という未来が待っている。(NATOがバカみたいに報復をしたケースの話だが)
このシナリオで言うならウクライナが負けを認めるのがベストエフォートだと言えるだろう。それともどちかがもう一方に潜入して権力筋を軒並み暗殺するのか?
これを日本に置き換えて、日本が米軍の核の傘に守られていなければ、中国に攻撃を仕掛けられたときに降伏するしかない。
中国がとんでもなく愚かで、攻撃をしかけてきて、そして日本が戦いでしぶとく中国へダメージを与えたら、核戦争(中国が打ち、米が報復核を打ち、報復連鎖) で世界終了する可能性が高くなる。
「ロシアがこんな情報を発信した、だからロシアが悪い」という短絡的な連中もいるが、その情報がどのスパイの意図なのかわからないだろう。
親ロシアと見せた別の勢力だったら?情報がどこかで改ざんされていたら?
ウクライナの人間が「ロシア下で暮らすなんて、生きていることにならない」などと言っていた。このような思想の人たちになぜ武器を供与するのか。
日本国内でウクライナを擁護しているのは「NHK」や「朝日テレビ」であることはよくわかった。まずはこいつらがどういう「安全圏」から情報を発しているのか探ったほうが良い。
現実には平和な暮らしの下で不条理に見舞われて涙を飲んで死ななくてはならなかった人が何億人もいて
家族や愛する人がそういう目にあったらどんな手を使っても報復してやりたい、おかしいと嘆くという人もたくさんいて
結局生命はその体に精神を縛られているから利己的でしかあり得ない、生きている事自体他者への加害性を常に含んでいる
陰惨な歴史の延長上で、自由平等友愛を理念とする民主主義の虚像を今はギリギリのバランスで保てているように見えるだけで本質的な生命の不条理は変わらない
その真実に突如直面し現実へ堕落させられた人がPTSDになったりする
なんていうかさ
「被害者を善性の人に仕立てて、悪行を仕方がなかったのだと無視し、受け入れろ」みたいに展開されるじゃない?
これが通るならさ
底辺国の人はまともに金ためて正規の手段で職を得ようとかアホらしいよね
入国さえすればすでに途上国レベルの不況に喘ぐ日本人を差し置いて人並みの暮らしを保障しましょうって?
何人くらいを想定してんのかね?
こんなん法制化したら
川口のクルド人がお前の町に住み着いて大騒ぎすりゃ、絶対に保守的な思考に変わるよ
そんな事無いと思うなら、住んでみろよ
法律なんぞ知ったことかと違法滞在してる、行政も把握してない人間が、毎夜爆音で暴走し
そんな町に住んでみろよ
もちろん、子供を外で遊ばせて、暴走行為を寛容に見守ってやるんだろ?
言ってみれば、クズ鉄の行動を善良な撮り鉄を引き合いに出して許容しろって言うようなもんでさ
お前の庭の桜を切り倒されても同じこといえんのか?
みたいな話なわけよ
他人事なんだよね
こういう話を、命を秤に乗っけて、酷いですぅ ><、って言うとき
お前はどこにいて何やってんだ?
たった一人の可哀想な老人にたった一個のおにぎり食わせてやれって話は誰でも出来る
それが毎日三食になり、人数が100人になっても、「ヤレ」っていうのか?
ちな中学生ですでにコレだぞ