はてなキーワード: 参政権とは
という話題が今回も起きた。そう思う。自分も英語がペラペラで世界で通用する技能があればな〜と思うぐらいだ。
それと同時に思った。だから日本はいつまでも変わんないんだろうね。
何かが変わるには血が必要だ。
市民権も参政権も争って手に入った。女性の権利だってそうで、私達が逃げたいと思っている先の国では、私達の知らない誰かが、そこにずっと住んでいる人の血の繋がった誰か達が、たくさんの苦しみを背負いながら戦って、涙して、深く傷付いて、その人生も楽しみも犠牲にして、権利を手に入れた。おとぎ話の理想郷のような素敵な世界も、元々そうあったわけではない。
そして、すでに血が流れて乾いたところに行けば、自分は労せずしてその成果を享受できる。それはすごく楽だ。私達は、日本よりも様々な平等に溢れる世界で、趣味だとか、恋だとか、仕事だとか、そういうものに慌ただしくしながら、本質はほとんど日本での生活と変わらない日常を過ごす。そんな夢を見るから、海外移住に憧れる。
だって楽に生きたい。なんで自分が苦しまなきゃいけないの?楽しいこともやりたいことも全部投げ出して、辛いことたくさんあるのに、どうして「今の自分が若いうちに得られる可能性が無いかもしれない」「私以外の誰かたちのための」権利を手に入れるために地獄を見なきゃいけないの?そんなこと「私」はしたくない。「誰か」がやってよ。「私以外」の誰かが。でも「権利」だけは欲しいな。
なんて、みんな思ってたんだろうな。
すごく分かるよ。私もそう思う。辛いことするぐらいなら好きなことしていたい。
誰かに嫌な役割を押し付けあってきて、「いつか王子様が」なんて夢見るお姫様みたいに「いつか革命者が」なんて思いながらみんな生きてきた。だから、ほとんど変わらずに現代まできて、「あれ?この国はなんでこんなに遅れているの?」と首を傾げる。
出る杭になりたくないから自分からは動きたくないけど、誰かが一歩踏み出すのを待っている。そうやって、全然変わらないなあ、なんて文句を言いながら、変えるつもりは毛頭ない。それなら海外移住した方が楽だろうし。そういう風にみんな思ってきて、今を生きる私達も思っている。
だからしばらくは、あと10数年は何も変わらないんだろうなあ。
なんてことを、ぼんやりとした絶望感をもって、寝る前の布団の中で思った。
だけど。この国はもうダメだ、という話になったとき、文句を言い合って嘆き合うだけじゃなく、「良くなるために何をすべきだろう」とみんなで考えるようになれば、少しは生きやすくなるとも思う。
私は何が出来るかな。何なら出来るかな。起きてからずっとそんなことを考えている。
面白かったけど、ファーストの実写化は無いと思うから、ハリウッド実写化ならこうなるだろうし、これなら日本人のファンも原作○○○と嘆かずに普通に楽しめるんじゃないだろうかという線で、俺の予想を書いてみる。
まず、ミノフスキー粒子のせいでレーダーや誘導兵器が使えないから、宇宙艦隊と艦載機(モビルスーツ)が有視界戦闘をしているという設定は原作のままね。
ここ抜いたら、なんで宇宙で古風な海戦やってるの?ってなるじゃない。でもスターウォーズとか、特にそういう設定なしで宇宙海戦やってるんだっけ?
コロニー市民は重税は課すのに参政権はいつまでも認めない地球連邦に対して独立戦争を始めた。
この実写化プロジェクトが想定している観客は日本人とガンオタの中国人あたりのような気がするけど、アメリカで通りやすい企画を書いたらこうなるんじゃないかな。
主人公(白人男性)の設定年齢は最低でも20代半ば(演じる俳優は30代)のちゃんとした職業軍人。現地徴用の少年兵みたいな人権侵害は許されないから。
親の農場を継いで一生を田舎のコロニーで過ごすのが嫌で憧れの地球に行きたくてハイスクール卒業と同時に連邦軍に入隊。
やがて連邦軍の非人道性に触れ脱走してコロニー独立軍に参加する。
コロニー出身の主人公は連邦軍で差別されるし、仕事はコロニー市民のデモの鎮圧や神経の磨り減るテロ対策みたいなのばかりでうんざりしていたところに、
独立運動の過激派の巣窟とされるコロニーへの毒ガス注入を特務部隊が行おうとしていることを親友(黒人)から知らされ、虐殺の妨害とコロニーへの脱走を決意する。
ここの連邦軍はやり過ぎない程度に現実の米軍を連想させる描写にして、ハリウッドのリベラルの良心を慰めたり、日本人のアメリカ嫌いの心情にアピールしたりするんだと思う。
特務部隊との戦い。毒ガス装置を破壊して黒人は死ぬ(人種的多様性ノルマその1黒人枠達成)。
特務部隊隊長は主人公に顔を傷つけられ、以後、傷を隠し低下した視力を補うためのマスクを被り復讐を誓う。
コロニー独立軍に参加した主人公は、しばらくは脱走した時に乗っていたジム・クゥエルを独立軍カラーの緑に塗って戦うんだけど、
仮面の特務部隊隊長の赤色の新型に破壊されてしまい、最新鋭のガンダムに乗り換える。
ヒロイン(白人女性)はガンダムを作った博士で、主人公がガンダムを荒っぽく操縦することに文句を垂れつつそのうち良い仲になる感じで。
または、地球とコロニーの未来を左右するガジェットを研究している博士とか。
そうそう、独立軍の総司令官(後の大統領ジョージ・ワシントン)を黒人女性にするのも忘れちゃいけない。
雲の上の置物なので、ほとんど出番も物語上の役割を与えずにジェンダーチェックと人種的多様性ノルマをダブル達成できる最適の配置。
ガジェットは、ミノフスキー粒子を無効化して核ミサイルを使えるようにするニュートロンジャマーキャンセラーっぽいのかな。
超能力でテレパシーで会話したり、未来予知したり、他人を心停止させたりできる宇宙に適応したミュータント。
ララァ・スンを連想させるインド人美少女にして、人種的多様性ノルマその2アジア人枠を達成。
ペド描写は絶対NGなので、ララァは主人公に惚れないし、大佐と寝たりしないし、インドの売春窟出身だったりしない。
コロニー側にもこれまで地球の要人暗殺や爆弾テロをやってる過激派がいて、地球へのコロニー落としの企みを主人公が止める展開も欲しいな。
戦争で一方の勢力が絶対正義とかリアルじゃないから、ガンダムはそういうところちゃんと描くからリアルロボットアニメなんだよな、という我々の期待に応えてくれなければ困る。
ともあれテロリストは滅びるべきである。テロとの戦いは正義。そういうアメリカ人の気持ちにも寄り添いたい。
主人公はガジェットを世界征服に使おうとしている特務部隊隊長から守り抜き、ヒロインが平和利用への道を開いて、コロニーと地球の悪人は全て滅び、コロニーは地球と和解して独立してハッピーエンド。
今さら日本のロボットアニメがやりがちなモヤッとした終わり方とか真似しなくていいよね。
でも、ガンダムは最後の戦いでぶっ壊してね。そこ外しちゃダメだから。
以上、我ながら確度の高い予想だと思うんだが、どうかな?
「オタク少年の主人公が素人なのにいきなりガンダムを操縦して敵を倒して地球側の少年兵になり超能力に目覚めて、
コロニー側の赤いロボットに乗った高貴な出自を隠した仮面の男がライバルで、同類の超能力者ヒロイン少女とテレパシーを交わす」
程度でもファーストをなぞっていたら、ツイッターのそれなりに長く使ってそれなりにフォロワーのいるアカウント名を「セイラ・マス掻き太郎」に改名してもいいぐらい自信あるよ!
確かに、こうすれば不幸な子供は増えないし、保育所だって空きがでてくるかもしれないね。
でも、この世の殆どの人間はダメ人間だと思うし、優秀な、というか普通に考える頭を持っている人間が手足として使うような労働力はまだまだ必要だと思う。
そして、親になる試験に合格してまで子供が欲しい!という大人が大多数を占めるとは限らないし、合格できない無職ヤンキーダメ人間にも参政権が与えられている限り、反論が出て無理だろう。
劣っている人間って、権利って言葉で自分より優れた人間とは平等になろうとするから…
アメリカでは養子制度が盛んで、親として不適格な人間の子どもは、試験というか研修に合格した大人の元で養子として生活できる。
こういう制度は日本にもあるだろうが、浸透はしていないんじゃないかな。虐待があろうが、学校をやめさせようが、肉親の親権が強すぎるんだな。
まず先に言っておきたいのだけど、これは単なるオウム返しネタではないです。
それこそ、法規制がなく、処罰もない分だけ男女雇用機会均等法施行当時における職場での女性の扱いよりもひどいんじゃないかと思う。
という部分について言うと
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就職して普通に仕事をしてみたけど、会議なんかで思うのは、女は結局真剣に仕事なんてできないでしょ?って偏見に凝り固まって最初っから接してくる人たちばかりだということだったよ。最初に他社に営業に行った時、そこの担当者が「きれいな方ですね」なんてことをお世辞のつもりか上司に言っていて、「それと仕事になんの関係が?」と思った記憶がある。
他にも仕事中に、男様から上から目線でものをいわれたり、居ない人扱いされたり、お客さん扱いしてはしごを外されたりするのが当たり前。
女性に参政権がなかったり就職が普通でなかった時代よりも、あるいは結婚して退職する腰掛けが普通だった時代よりも、仕事しようという女性には厳しい時代なんじゃないかと思う。
これじゃあ、よほどメンタル強くないと女は総合職で仕事しないんじゃないかなって思ってる。
まあ、普通に何でもできちゃう男様とか、周囲に頼れる人を配置したがる男様とかは女なんて余計なものをむしろ自分の部下から排除する側にまわりそうだなと思った。...役員が集まるところにいると、せっかく総合職に採用しても女は辞めるとか所詮仕事に本気じゃないとか熱く語っているんだけれど、たぶんこういう男様に限って排除しておきながらやる気がないと語っているんだと思った。
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…みたいな意見は前世紀末からゼロ年代にかけて山ほど聞いた話で、あなたの苦痛にはもちろん同情するがそれが「特別な」苦痛だ、という意見には同意しがたい。これは批判ではなく、むしろ逆。
ただし、その苦痛があなたの視野に入っていなかったとすれば、そこには少しだけ問題があると思う。このような苦痛(女性が被ってきた、いわば歴史的苦痛)にこれまで注意を払ってこなかったとすれば、それはまさにあなたのこれまでの人生自体の問題ではないか。「歴史など関係無い。私自身は苦痛を与えていない」と主張するのはもちろん自由だけど、現にその歴史を生き延びた人たちから見れば、そんな風に宣言して苦痛の歴史に無関心であること自体がギルティだということになるだろう。(つまりこれって日韓関係なんかにもまさに同じ事が言えるわけなんだけど。)
少し話がそれたので戻すけど、本来フェミニズムというのは、こういう歴史を分析して、今後いかなる苦痛も(男性→女性だけでなく、女性→男性の苦痛も)再生産しないことを目的として行われるべきものだと思うんだよね。それがフェミニズムの社会的有用性ってものではないのか。上に上げた改変みたいなのには超敏感に反応してきたフェミニストが、子育てに参加する増田の苦痛に無関心だとしたら、それは学問的自殺に等しいと思う。「男は男でなんとかしろ。女である私たちの知ったことではない」的意見は間違っている。それはまさしくただの女性主義、男性主義に囚われたものの考え方だ。いやしくもフェミストを名乗る人が「(強い)男性は自分でなんとかしてください」的な物の考え方をしているとしたら、それは大いに問題なんではないか。
「対象が男であろうが女であろうが無関係に、ジェンダーの生み出す苦痛を分析し、告発する」
それが正しいスタンスだと思う。
絵本作家の寮美千子は、嫌いな男性から食事に誘われたら、その場で「あなたは嫌いです」と答えるのが女性の正しいマナーで、それを日本全国に広めたいそうです。
そんなことを言われたら食事に誘った男性は傷つき、トラウマとなって、自分が傷つくことが怖くて、他の次の女性を食事に誘うことが出来なくなるでしょう。
食事に誘えない→デートできない→恋愛できない→結婚できない→少子化が加速する→税収が減る→年金が払えない→国家存亡の危機です。
寮美千子は「相手を傷つける」「相手への思いやり」そうした概念が全く欠け落ちたサイコパスです。
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寮 美千子
▼セクハラを諭す
「おさわりはしませんでした」とか「触っちゃうぞ」という発言だけでもセクハラですよ、ということをわかってもらうために、たくさんの言葉を費やしたが、なかなかわかってもらえず、「色男の軽いジョーク」という認識しか持ってもらえないので、さらに辛抱強く言葉を費やし時間を費やした末に相手からきた謝罪はこれ。
「 (*- -)(*_ _)ペコリ」
ヘイトもセクハラも、言葉を吐く方は一瞬だが、それは間違っていると語りかける方は、大変な労力を掛けなければならない。
セクハラされた女性も、その人は通常は親切ないい人だから、つい許して「おいたな子ねえ」という扱い。いい人であるということと、セクハラは切り離して考えるべき。いい人だから許す、というのは間違っている。セクハラはセクハラで、迷惑であるときちんと抗議すべき。「女性は忍従すべき」とか「事を荒立てたくない」というのは、日本では女性の美徳とされてきたが、女性はここから脱却すべき。セクハラ親父を助長するも同然の行為だ。
男女が色っぽい会話を楽しむというのは、相当に高度で文化的なこと。「触っちゃうぞ」などという低劣で直接的な嫌がらせと同一視してはいけない。
ともかく「れんぞ」では絶対にそんなセクハラ発言をしてほしくないし、「れんぞ」で知り合った人々にも、そんなセクハラをしてほしくはない。心当りのある方は、心してほしい。
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A ぼ、ぼ、ぼ、僕ではありません。
まだレンゾには顔を出してませんし
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B セクハラや性犯罪にあった女性が勇気を持って告訴した時に、最も辛かったのは同じ女性から女の恥だと罵られてことだと語っていました。これもセクハラに違いはないと思いますが、男の側にはセクハラの意識がまったくないといっていいでしょう。これは差別する側の意識と同じだと思います。男も思いっきりセクハラを受けないと変わるのは難しいですね!😢
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寮 美千子 B さんのおっしゃる通りで、男性側にまったくセクハラの意識がないのです。「ちょっと色っぽい会話を楽しんでいる」さらに「そう言って女性を楽しませている」くらいの感覚です。普段はボランティアにも熱心でやさしい方。だから、女性もついセクハラを大目に見てしまうのだけど、その方のためにも、きっちり抗議をして「迷惑です」と言ってほしいです。
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寮 美千子 「『触っちゃうぞ』と言ってあげるくらいの方が、その女性に魅力を感じていることの表明になり、女性が喜ぶ」
このように大きな誤解をしているのだと思います。かつては、こんな考え方が日本男性の主流でしたが、それは間違い。不快な思いをする女性が多い。でも弱い立場だから、笑ってごまかすしかなかった。それが男性のセクハラ行動を助長させた。「認知の歪み」の呪いを解かなければならないと思います。
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G お互いに下ネタを言い合える仲という共通認識があれば良いのではないでしょうか?
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H それも、一方的に思い込んでいる事例が多いです!
それも、一方的に思い込んでいる事例が多いです!
G様が、その一人であると決して決めつけていません。あくまで、一般論です。
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G ここではっきりしておきたいのは、女性にも性欲はあります。
一例を挙げれば、「AV鑑賞やロマンポルノ鑑賞を趣味としている」ことを公言している女性と、そうしたAVやロマンポルノについて真面目にトークしたことがあります。
これはセクハラでもなんでもありません。
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H>G さん
でも今は、それをセクハラと捉え、怖れ傷付いている女性の話です。
あなたは、決して間違っていませんが、論点が違うのではないでしょうか。
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G>H さん
「 お互いに下ネタを言い合える仲という共通認識があれば良いのではないでしょうか?
この話の要点は「セクハラ問題の根源は相互理解の欠如」であり、「相互理解の欠如した男性がセクハラ発言や行動をとる」という意味です。
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H>G さん
お互いに下ネタを言いあっている女性から、実は、嫌だけど話しを合わしていると聞いて、断り方が、わからないと相談された経験から、コメントしました。
話しが会うと、一方的に思い込んでいる事例があると言っているだけで、
Gさんの言われている事を真っ向から否定している訳ではありません。
とは、大変感情的で話しになりませんね。
会話だけで、相手の心理状態をあなたのように的確に判断できる人ばかりではありませんよ。
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G
文章をよく理解せずに「論点が違うのではないでしょうか」と、頭ごなしに否定するのも如何なものかと思いますが。
私が「下ネタOKと思っている勘違い男」みたいな思わせぶりなことを捨て台詞にしてブロックして逃げる。
面と向かって同じことが出来ますか?
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M 線引きや区切りが難しいという話がありますが、難しくないです。
ハラスメントは「いやがらせ」ですから、することに対して相手が「嫌だと思うかどうか」が線です。
だから「する側」は嫌かどうかを確認することが必要だし、「される側」は嫌かどうかを言うことが必要。...もっと見る
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G 好きな女性を食事に誘う前に、「僕に食事誘われたら、あなたは嫌ですか?」と確認とりますか?
それは現実的ではありません。
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M 「僕に食事誘われたら、あなたは嫌ですか?」という誘い方でも問題ないと思うけど。
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G 逆に、それではっきりと「嫌です」と断れる女性の方が稀で、逆に精神的に追い詰める結果となると思いますが。
それで、同僚の他の男性を通じて「あの娘は他に好きな人がいる」と耳打ちしてもらうとか。(実際に好きな人がいなくても)
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M はっきり言ってもわからないやつがいるんだから、ましていわなければ理解しないし減らないよ、というのが、ここで寮さんもぼくも言っていることなので。
角がたつ場合にどうするかということはまた別の話。
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G 会ったこともないのに、敵愾心を剥き出しにしてくる男の人がいて怖いのでブロックしました。
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寮 美千子 Mさんは理性的・論理的に語っているだけで、敵愾心はなく、パワハラないと思います。議論して論理的な意見を述べているだけです。
・セクハラと相手が感じたら、セクハラなので、その行動をやめるべき
今回はこのケースではなく
ということに当てはまると考えます。日本人は論理的な議論をすぐに喧嘩とか自分への批難と受け取りがちですが、そうではないことは多々あります。これが、日本人を議論ベタにしている一因かもしれません。
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G 本人がその気がなくても、こちらが恐怖を感じたら、それはパワハラです。
寮美千子先生やKさんとは、色々と意見の食い違いを討論することがたまにありますが、Mさんのように「俺様は絶対に正しい。貴様を矯正してやる」という感じではありません。
私はMさんの威圧的な態度に、過去に某会社で受けたパワハラのトラウマを想起させる恐怖を感じました。
パワハラやセクハラは、受けた側がどう感じるかであり、受けた当人ではない寮美千子先生が、パワハラかそうでないかの判断をすることは出来ません。
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Gここで私が我慢して何も言わずに、皆が「そうだ、そうだ、Gさんは間違っている。寮さんとMさんは正しい」と言い出したら、それが会社や学校の一般的なパワハラの構図です。
私はいまパワハラを受けていた時のように自殺したい気持ちがフツフツと沸き上がり、それくらい精神的に追い詰められています。
なぜ、私がこういうことを書いているのかというと、このようにして人は追い詰められるということを知って欲しいからです。
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寮 美千子 自殺したくなるとは、ただごとではありません。Gさんはよほどつらい思いをなさってきたんだな、と感じました。それがトラウマになって、自分の意見を「違う」と断定口調で言われただけで、強いショックを受けてしまうのでしょう。
「論点が違う」と言った方も、Mさんも、Gさんを断罪しようとか侮辱しようという気はまるでないと思います。はっきりと意見表明をしただけです。トラウマのあるGさんには、キツい言い方に感じられたかもしれません。わたしは、論理をはっきりさせるためには、論点を整理をすることも、違うと思うことを婉曲表現せずに「違います」と言うことも、必要だと思っています。
前段に、例えば「食事に誘われて迷惑だ」と思っている人が、場を荒立てないために「あなたとはデートしたくありません」とはっきりいわず、婉曲に「今日は用事が」と断るのは、かえって混乱を招く、という話になりました。それと同じで、相手を傷つけないことに重点を置いて、やんわりと婉曲表現しようとすると、通じにくいことがあります。
わたしは、Mさんは、問題点をすっきり整理してくださって、とてもよかったと思っていました。むしろ、Gさんの方が、最初にわたしが書いた問題(はっきり言っても理解しようとしないセクハラ男性)と論点の違う話を絡ませて、問題を複雑化させているように感じました。
一つの話題から広がるのはいいのですが、それで話がごちゃごちゃうになるのは、困ります。
そして、このようにゴチャゴチャした問題をはっきりさせてくださったMさんに「敵愾心を剥き出し」とか、論点が違うと指摘してくれたMさんに「頭ごなしに否定」「日本語は通じていますか?」とか、失礼なのはGさんの方だと感じずにはいられません。挙げ句に「ぼくは被害者」「自殺したくなった」と言われては、戸惑わずにはいられません。
「本人がその気がなくても、こちらが恐怖を感じたら、それはパワハラです。」というのも、論理破綻しています。「本人がその気がなくても」というのは、実に幅広い。恋人でもない相手に「触っちゃうぞ」とか「おさわりしませんでした」という件の男性も、本人にはセクハラの自覚はありませんがセクハラです。一方、「今日は用事があって」と曖昧に断られた人が「今日こそは」と思って女性を食事に誘うのは、セクハラではありませんが、誘われた側が「セクハラ」「ストーカー」と思うこともあります。後者は明らかに過剰反応です。
今回のGさんの「こちらが恐怖を感じたら、それはパワハラ」はまさに過剰反応だと思います。そして、それは過去のトラウマから来ているのでしょう。
そう思ってGさんの投稿を読めば、わたしの「セクハラを諭す」という投稿により、まるで自分が責められているように感じ、セックスの話はしても自分は無実だと大きな声で言いたがっているように感じられました。しかし、それは完全に「論点が違う」のです。だれもGさんのことを責めていないし、問題は「言ってもわからない、理解しようとしない男性にどう対処すべきか」の話なのです。
そのようにトラウマに振り回されていたら、Gさんはとても生きづらいでしょう。トラウマが、過剰反応を起こし、被害者意識を増長し、みんなに責められていると感じ、自殺まで思い詰めてしまうからです。
Facebookは「友だちの家」のようなところです。いろんな友人が来ます。わたしは、歯に衣着せず、論理的に語る友人たちが好きだし、大切にしたいと思います。婉曲表現ばかりで、肝心なことを言わない日本の風土で、そのような友人がいることが、わたしにとっての救いだからです。「理屈が通じるんだ」と感じることで、ほっとするし、スキッとします。
しかし、Gさんが、そんなはっきりした発言で、そこまで傷ついてしまうのだとしたら、こんな場所には近寄らない方がいいと思います。危険すぎます。もっと、ご自分が楽に会話できる仲間や場所を見つけられた方がいいと思います。Gさんのお心が癒やされ、静まりますように。
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G 全く話が通じておられないのですが。
私がしているのは、セクハラの一般論であり、寮美千子先生がしているのは、特定の個人のセクハラの話です。
「そう思ってGさんの投稿を読めば、わたしの「セクハラを諭す」という投稿により、まるで自分が責められているように感じ、セックスの話はしても自分は無実だと大きな声で言いたがっているように感じられました。」
声を大にして言いたいのですが、「そんなことは微塵も思っていないし、考えていません!」
自分の思い込みで相手の頭の中を推し量ろうとするのは止めて下さい。
「 お互いに下ネタを言い合える仲という共通認識があれば良いのではないでしょうか?
「セクハラを止めない人」は「相互理解が欠如している」、これのどこが論理破綻しているのでしょうか?
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G>M 「僕に食事誘われたら、あなたは嫌ですか?」という誘い方でも問題ないと思うけど。
G 逆に、それではっきりと「嫌です」と断れる女性の方が稀で、逆に精神的に追い詰める結果となると思いますが。
それで、同僚の他の男性を通じて「あの娘は他に好きな人がいる」と耳打ちしてもらうとか。(実際に好きな人がいなくても)
M はっきり言ってもわからないやつがいるんだから、ましていわなければ理解しないし減らないよ、というのが、ここで寮さんもぼくも言っていることなので。
角がたつ場合にどうするかということはまた別の話。
これ、別の話でも何でもないですよね。
現実に「角が立つ行動をとれる女性は現実に存在しない」訳ですから。
論理破綻といえば、現実に不可能なことを強要しているMさんの方ですよ。
「嫌なことを嫌」とはっきり言えないから、セクハラやパワハラの問題が起きる訳で、「嫌だと言えばいい」というのは全く現実的な解決法ではありません。
また逆に、私が「Mさんは「俺様は絶対に正しい。貴様を矯正してやる」と言うのは嫌だ」と、歯に衣着せずはっきり言ったところ、
「歯に衣着せず、論理的に語る友人たちが好きだし、大切にしたいと思います。」と言う。
それは私です。「歯に衣着せず、論理的に語る」それは私です。
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G 私は2011年から「日本人は論理的に議論をするのが下手だ」と言ってきました。
なぜ、その私が「論理的に議論をするのが下手な日本人」扱いされているのか、意味がわかりません。
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これ、別の話でも何でもないですよね。
現実に男性から食事に誘われた時に「あなたのことは嫌いです」とその場ではっきり断るような「角が立つ行動をとれる女性は現実に存在しない」訳ですから。
論理破綻といえば、現実に不可能なことを強要しているMさんの方ですよ。
「嫌なことを嫌」とはっきり言えないから、セクハラやパワハラの問題が起きる訳で、「嫌だと言えばいい」というのは全く現実的な解決法ではありません。
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これ間違っていますか?
間違っているのであれば、どう間違っているのか指摘して下さい。
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寮 美千子 お引き取りくださいと言った後で書かれたので、ブロックします。
でもその前に一つだけ。「角が立つ行動をとれる女性は現実に存在しない」というGさんの認識は完全に間違っています。少数ですが、います。それが少数派でなくなるように、わたしは呼びかけているのです。最初から、以下のように。
「セクハラはセクハラで、迷惑であるときちんと抗議すべき。「女性は忍従すべき」とか「事を荒立てたくない」というのは、日本では女性の美徳とされてきたが、女性はここから脱却すべき。セクハラ親父を助長するも同然の行為だ。」と。
それを「他に好きな人がいる」と友人から耳打ちさせるなどの行為は、卑怯であり、物事をややこしくするだけで、わたしはまったく賛同できません。
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G いくら呼びかけても、少数派でなくなることは未来永劫無理ですよ。
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寮 美千子 奴隷解放も、女性の参政権も、昔は未来永劫無理だと思われていました。地動説もね。さようなら。
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引用おわり
普段はきれいごとを口にしても、一皮むけば平気で他人を罵倒する醜悪な寮美千子の正体。
自分のイエスマンとシンパにだけ囲まれ「先生、先生」とチヤホヤされて、少しでも意見が異なると逆ギレして、自分を中心に世界が回っていると思っている。
結婚生活というものは、屁理窟の世界ではないのである。思想が違うから、とか、人種が違うから、とか、そういう一般論では割りきれないもので、男女二人の関係は、いつの世に限らず、男女二人だけの独特の世界だ。
そしてその夜、銀座裏のバーで酔っぱらいながら、異民族間の距ては如何ともしがたいなどと、梅子のことについてではなく、一般論として言いだした。それから更に、日本人は全体として中国人を蔑視してるとまで言った。
以上、一般論は終りだ。どうも僕は、こんなわかり切ったような概念論は、不得手なのだ。どんな、つまらない本にだって、そんな事は、ちゃんと書かれてあるんだからね。なるべくなら僕は、清潔な、強い、明るい、なんてそんな形容詞を使いたくないんだ。自分のからだに傷をつけて、そこから噴き出た言葉だけで言いたい。下手くそでもいい、自分の血肉を削った言葉だけを、どもりながら言いたい。どうも、一般論は、てれくさい。演説は、これでやめる。
よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。要は明快であることだ。だが、これは一般論であって、その小説から文章だけを切り放して、内容と別個のものとして論じることは不可能なことである。以下、私は各論にはいるのであるが、そこで各種類の中に、内容と文章とを合せて詳論したいと思っているから、ここではこれ位に止めることにしよう。
ヴィーガンは食生活についての主義で、増田の言いたいのはアニマルライツ(動物の権利)論者のことと思われる。アニマルライツを実践すると大抵ヴィーガンにならざるを得ないが、ヴィーガンが必ずしもアニマルライツ論者というわけではない。美容・健康、宗教的戒律、食の好みでヴィーガンをやってる人もいるからな。フェミニズムを実践するとヴィーガンにならざるを得ないというのも、あんまりメジャーな主張ではないと思われる。全ての差別を否定するならヴィーガン&アニマルライツにいきつく、というのは概ね正しいが。
で、アニマルライツも一枚岩ではないが、メジャーな考え方としては割と能力主義的なところがある。例えば痛みやストレスを感じる能力がある動物は、人間社会においては人間と同じように痛みやストレスを出来るだけ受けないよう配慮される権利があるってことだ。
つまり能力に対して相応の権利が生じる。日本国においても社会的能力が足りないと見なされる未成年には選挙権が与えられないのだから、同じくコミュニケーション能力不足な動物だって参政権などの「社会権」は相応に制限されるって寸法だ。社会権や財産権は生存権などの肉体的な自由と比べて一歩劣る扱いをしてもよい、というのはアニマルライツに限らず極端な無政府主義者以外ならある程度賛同するものと思われる。
ただ、近代国家は知的障害者にも参政権を与えたり、必ずしも能力と権利を全面的に対応させたりしない。アニマルライツは能力差別なのではないかという批判は昔から根強くあり、それに対するアニマルライツ側の反論もあるのだが、俺はアンチ・アニマルライツなのでここまでにしておく。