はてなキーワード: 冠婚葬祭とは
ここに、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という規範を示す。
本稿は、右規範に対して懐疑的なニンゲンを説得するために執筆されたものである。具体的には、下記のニンゲンが本稿のターゲット層である。心当たりのある者は、ぜひ熟読せよ。
風邪をひいたら休めという規範は、①パターナリズムと②蔓延防止という二つの論拠から成る。風邪の治癒に専念することで、①疫病が悪化する可能性が低くなり、結果として本人のためになる。そして、②伝染病の蔓延を防止することができる。
ところが、しばしば右規範は破られる。風邪をひいても会社や学校へ行くニンゲンと、これを良しとする第三者が後を絶たない。なんとも嘆かわしい。かかる者は如何にして規範を逸脱するのだろうか。
私は、その理由につき、当該ニンゲンが①パターナリズムのみを重視してしまった結果であると考える。彼らは、「風邪をひいたら休まなくてはならない」という規範の趣旨を、もっぱら「私が大変な思いをするからだ」と捉えてしまう。よって、「私は病状悪化という結果を許容しているから、右規範の趣旨(本人のために休むべき)が及ばない。ゆえに休まなくてもよい」と結論づけてしまうのである。
しかし、かかる見解は妥当ではない。パターナリズムはむろん重要であるが、②蔓延防止の意義を殊更に強調しなくてはならない。
以下、敷衍する。
★「人を傷つけてはならない」という規範
なぜ、風邪をひいた場合に、②蔓延防止のために休む必要があるのか。
まず、「人を傷つけてはならない」という規範は、ハンムラビ法典でも傷害行為が禁止されているように、紀元前時代からの常識である。これは、現代社会においても、傷害罪(刑法204条)が国民に構成要件として配布していることからも明らかである。
そして、風邪をひいた状態で外出をして、特に会社や学校等の多数人が集まる室内で過ごせば、自らの病を伝染させることにより、他者の生理的機能に障害(傷害)を与えることで、人を傷つける蓋然性が具体的明らかに予見される。
したがって、風邪にもかかわらず、休まなかったことで、「人を傷つけてはならない」という規範を乗り越えてしまうことになる。
よって、他者を傷つけないために、風邪をひいた人間は休養することで蔓延防止に努めるべきなのである。
そうであるとしても、いかなる場合にも「風邪をひいたら、休め」という規範を適用するのは妥当ではない。風邪の自覚症状が無い場合や、どうしても外せない急用がある場合もあるだろう。いかに判断するべきか。
まず、自らの病状につき善意(無知)である場合について、いかに解するべきか。
故意責任の本質は、反規範的人格態度に対する道義的非難である。
すなわち、自分が風邪であり、もしかしたら他人に伝染させてしまうかもしれないという点につき、認識・認容していれば、「他人を傷つけてはならない」という規範に対しての反対動機を形成しているものといえる。しかるに、敢えてこれを逸脱したのだから、かかる行為は道義的非難に値する。
よって、自分が風邪であると認知していたのであれば、休養に努めるべきであるのが原則である。
逆に、自分が風邪であると知らなかったのであれば、そもそも「休むべきである」という規範に直面しておらず、反対動機を形成できないため、道義的非難に値しない。実際に、潜伏期間が存在するウイルスは多いことからも、このような結論が妥当である。
以上より、自らの病状につき善意(無知)である場合には、休まなくてもやむを得ないものといえる。
なお、ここでいう「体調不良」とは、月経・片頭痛・食中毒などの伝染病以外で身体異常をきたしている場合を指す。
この点、蔓延防止以前に、そもそもパターナリズムの観点からは、風邪か体調不良か判断できない場合にも休養した方が良いといえる。ゆえに、原則として外出するべきではない。
しかし、単なる体調不良であれば、他者の生命・身体を侵害することはない。よって、自身が体調悪化につき許容しているのであれば、単なる自由意思の範疇にあるといえるから、これを非難される筋合いは薄い。
したがって、伝染病であるという相当の蓋然性がある場合には、「風邪をひいたら休むべきである」という規範に服するべきである。右判断にあたっては、当人の体温、病状、体質、病歴、自覚症状、過去の行動等を総合勘案して判断する。
・平熱と比して体温が高い
・前日に気怠さがあった
・雨にうたれた
・知人が熱を出した
・病状が軽微である
たとえば、体温が37.5℃以上であり、前日から続く気怠さ・咳があるものの、月経による体調不良かもしれないといった場合を想定してみよう。この場合、たしかに月経という事情は伝染病のおそれを低めるものであるが、咳と月経は無関係であり、37.5℃以上という体温は、一般に風邪と判断されるべきものである。
なお、より強度な「明らかに伝染病ではない場合にのみ、休まなくても良い」という判断枠組みも考えられる。筆者は、単なる体調不良の場合は自由意思を尊重するべきであるから、緩い判断枠組みが妥当すると考えたため、かかる見解は採用しなかった。
では、自らの風邪に自覚症状があり、明らかに伝染病であるものの、どう しても外せない急用等がある場合には、いかに解するべきか。
この場合、どうしても外せない急用等に参加したいという時点で、パターナリズムは克服されているため、第三者への傷害の有無で判断するべきである(病状悪化をしてでも〇〇がしたいという者に対して、貴方の身体のために辞めなさいというのは余計なお世話である)。
そして、第三者に病を伝染させてでも、自分がやりたいことを行うというのは、結局のところはエゴイズムである。冠婚葬祭や親族の危篤、会社や学校への出席などは、「自分が行きたいから行く」のであり、エゴイズムが第三者の身体・生命の侵害を正当化する場面は限定的であるべきである。
これに対して、出席せねば評価が悪くなるため、「行きたいから行く」のではない;やむを得ず風邪をひいてでも外出しなくてはならないのである等の反論が想定されるが、妥当ではない。結局、評価の悪化を避けるというのも利己的な目的であり、原則として、そのために伝染病をばら撒いて第三者侵害を行うべきではないいう形式は変動しないためである。
第三者の身体・生命は、きわめて重要な法益であるから、「どうしても外せない用事」との比較衡量で決するべきである。具体的には、用事の重要性・症状を鑑みて、第三者の身体・生命に対する侵害のおそれを惹起してでも、当該「用事」を優先するべきであると判断できる場合にのみ、風邪をひいても休まなくても良いものと解する。
たとえば、冠婚葬祭や親族の危篤などは、この機会を逃してしまえば二度と立ち会えないイベントであり、用事の重要性は高いものといえる。
もっとも、当人が伝染させればきわめて身体・生命への侵害性が高いといえる伝染病を患っている場合は、この限りではない。具体的には、インフルエンザ、新型コロナウイルス、ノロウイルス等の強い感染力・症状を有するものは、真にやむにやまれぬ事情が存在しない限りは、外出するべきではない。
そして、会社や学校への出席は、上記の用事と比して、重要度が低いと言わざるを得ない。成績に重大な影響を及ぼす発表や試験等が存在しないかぎりは、外出を行うべきではない。
そもそも、出席が必要不可欠でない限りは、リモート等の手段を講ずるべきであり、あくまでも「風邪をひいたら休むべきである」という規範を乗り越え、外出を行うという選択肢は、最終手段として留保されるべきである。よって、リモート等の手段を採ることができたのにもかかわらず、他者への傷害を惹起する外出を選択するということは、あってはならないのである。
★まとめ
以上より、風邪をひいたら、本人のために休むべきであるのはもちろん、「他者を傷つけてはならない」のであるから、「ニンゲンが風邪をひいたら、休め」という合理的な規範が成立し、ニンゲンは原則として右規範を遵守しなくてはならないということが示せたはずである。
その他、想定される反論について、下記にまとめる。異論や質疑等があれば、気軽にコメントしてほしい。
・明らかに体調不良ではなく伝染病であるものの、風邪が軽微である場合は?
症状が軽微であっても、他者に伝染させる可能性がある。そして、乳幼児や後期高齢者を想定すれば明らかであるように、自分が軽微な症状であるからといって、第三者もそうであるとは限らない。したがって、伝染によって他社の身体・生命に侵害を及ぼすという点では、原則として「風邪をひいたら、休め」という規範に従うべきである。
もっとも、上記パターン3の判断時に、症状の軽重は重要な考慮要素となりうる。
・風邪をひいた状態で出席することに対して、全員の合意がある場合は?
友人の集まりや会社等で、自己が風邪を患った状態で出席することにつき、コンセンサスを得ている場合には、伝染による傷害結果の発生につき同意がある以上は、「風邪をひいたら休むべきである」という規範が妥当しないのではないか?という反論が考えられる。
しかし、風邪につき合意した者(合意者)のみと交流することは実際上は困難である。例えば、公共交通機関を用いるのであれば、不特定多数人に感染リスクがあり、伝染による傷害を惹起する可能性があるだろう。
そして、合意者がさらに第三者に伝染を及ぼす可能性がある以上は、②蔓延防止の観点からこれを許容するのは妥当ではない。
・病弱なニンゲンにとって、毎回「風邪をひいたら休む」という規範に従うのは難しいのでは?
たしかに、病弱なニンゲンは休む機会が増えてしまうため、会社や学校での評価に悪影響を及ぼすこともありうるだろう。
しかし、病弱な者は他人を傷つけても良いと考える者はいない。そして、伝染病の頒布は他人を傷害する行為であるから、伝染によって他人を傷害してしまうことにつき認識・認容があれば、道義的非難に値することには変わりない。
また、結局のところ、評価の変動といった事情は先述したように利己的・個人的な理由であるから、エゴイズムが第三者の生命・身体を侵害するという場面は限定されるべきであるという当為規範が変動することもない。
以上
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいのでね。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●昭和からもの心付いていた年代の人たち向け。野良も疲れ過ぎた夜に、つります。冠婚葬祭の夜、つります。回復に24時間以上は掛かります。野良の場合、かかとぺったんこの靴を履くことや、靴底シートでの調整でマシになりますね。
https://www.youtube.com/watch?v=MX9T_ZneL44
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理由はブログで書いているけど、スパチャとかしない主義の野良。だけど、あえて ❝推し先❞ ❝課金先❞ を書けと言われたら、今ここ。
世界に、今すぐに、傷口をふさいでほしい人たちがいる。
今すぐに赤ちゃんを救って欲しい人たちがいる。
一つグチるなら、コンビニからも入れられるようになったらいいのに…。
どんな時にATMから募金するとか、いくらとか、そういうこと私は言わない。
https://www.youtube.com/watch?v=vtmb-UV1iKU&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=63
https://www.youtube.com/watch?v=YdceO-ElrKA&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=62
https://www.youtube.com/watch?v=k-AMHKyOgJ8&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=61
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●翔んで埼玉
始まっちゃったよー。始まっちゃったよー。
夏に ❝まだかなーまだかなー早く観たい観たい❞ と楽しみに待っていたのに。
詳しくはブログに体調を詳しくグチっていますが、今週末は無理…。
早く行かないと、行ける日には雪が積もる。そして延ばしているうちにとんでもなく早朝とか、終バスを諦めなければならないくらい遅い夜とかしか上映しなくなる。
https://www.youtube.com/watch?v=H-YkgKhtJ04&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=67
やっと『翔んで埼玉』を観れて、感想をブログに書いたところですが、今回、ターゲットというか見事な遊び場に大阪がなっていました。
人間として素晴らしいバリアフリー精神をお持ちの理容師さんと、神戸で出会えたお話が動画に載っております。
関西と言えば、境界線に上手に踏み込んでくる秀才がたくさんいて多数派で、言葉は言語のまんま聞き取る不注意優勢野良は少々警戒している地でもありましたが、中には素敵な人がいるんだなと思いました。母娘に幸あれと、心から祈ります。
https://www.youtube.com/watch?v=J_BbWC7CJpI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=75
・
男女それぞれに相性テストをかけあうのは、何も間違っていない。
ヒトのお見合いを長く見てきたが、お見合いは試しあい、真剣での試合そのものであり、鋭くしかし華麗に行う必要がある。
婚活においてサイゼリヤデートという話題で炎上するたびに思うのだが、題名とは違って実はかなりの人間がデートの中に"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがある。
以下において"サイゼリヤ"は、"マクドナルド"でも"ドンキ"でも、"スターバックス"でも良い。好きな単語に置き換えて読んで欲しい。
試される側からすれば、実はお試しとしては悪く無い。価値観を知る良い機会だからだ。
問題は、それが意図せずに組み入れられてしまったのか、意図してそこに行こうとしているかの差だ。意図しているのだとしたら試し方としては相当に幼い。
ただ、相手の価値観を変えてやろうと思ってなかなか変わるものでもなく、矯正すれば良いかと気楽に考えていると概ね悲惨な結末を迎える。
(価値観を後から変える成功例は自分の知りうる限り一組だけで、あとは残らず離婚している)
以下は、結婚相談所での経験も含めて、なぜサイゼリヤデートがダメなのか、なぜ相手を試す行為が良くないとされ、実は試す必要があるのかを解説する。
(具体例は当然フェイクや組み合わせを変えたりする)
総じて、結婚相談所は「結婚できる下地はあるが出会いが無かった」お相手同士の縁を結び、そのお手伝いをするところであり、
新兵訓練所ではなく、また訓練するインセンティブも薄い(よほど成婚率が悪いとかでないかぎり、ズルズル在席してもらった方が楽)ので、
多少の背景調査が入るお堅めの合コンだと思ってもらってほぼ間違いない。
多少の違いはあるが概ね合コンセッティング業者と言われても反論はできない。
いやいやお見合いと合コンは違うじゃん!と思ったあなた。貴方の感性は正常です。
そう、男女が出会う場所として本質的に同じだとしても、やはりお見合いと合コンは違う。
事前の準備の面倒さやドレスコード、会食場所を含めて、その差異は、マナーという言葉に集約される。
けっきょっくのところ、これは礼儀、つまり相手に敬意を表すことが出来るか、という点を見られているわけだ。
試しあいだとしても、相手に敬意を持ち、それをきちんと表現した上で、さらに相手を試したり知ることができますか?という。
つまり、サイゼリヤデートは、相手にきちんと敬意を払ったうえでセッティングしましたか?と問われている。
一般的には、初回のデート場所にサイゼリヤに行くのは、試し方としては拙く、無礼だ。
そんなこと言っても、初回の相手にどうやって敬意を表せば良いのだ!と憤るかもしれない。
自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかにフォーカスして考える経験が足りていない。
そもそも結婚数そのものが下がってきている昨今、礼儀作法にうるさいご家庭はかなり減った。
実際のところ、気の置けない友人同士であれば、手土産無しにお宅訪問しても陰口をたたかれることはまず無い。
ただ、家を訪ねるのであれば手土産くらいは持参するだろうという常識が薄れても、それが礼を尽くすことになるかもしれないと思い至れないのは致命的だ。
(ブコメにハレとケの概念について触れているものがあったが、それでピンとくるようであれば読み飛ばしてもらって構わない)
じゃあ、デートにどこに行けば良いのだ!とキレるようであればまだ救いがある。調べたり改善する余地があるからだ。
サイゼリヤでも良いような女性とお付き合いしたいのだから、良いじゃないか、と考える場合は概ね笑顔で肯定し、長く在席してもらうことになる。
パブリックとプライベートとを、それぞれに応じて異なる振る舞いをすることが求められる、ということからわかっていないことが多い。
プライベートで、例えば家にいるとき、家族になった後での家の中での振る舞いで、厳格な礼儀作法を求められると疲れる、というのはわからなくもない。
「だから、サイゼリヤで価値観のすり合わせを」となるところがマズイのだ。デートはパブリックな場所で行われるものであり、特に初回のデートはパブリックよりだからだ。
さて、デートはプライベートな行事ではあるが、パブリックな空間で行われる。
次にこれが"婚活で行われるデート"の場合は、ここに"非日常"という軸が加わる。
冠婚葬祭に普段着で行ってはいけないというのは、それは非日常だからだ。
逆に言えば、高校生のデートであればサイゼリヤであっても問題ない。日常と地続きだし、場合によってはそもそも男女で食事をするだけで非日常だったりするからだ。
最後に、相手と自分との区別がついていない、という点があげられる。
これはもちろんグラデーションがあるだけで誰しもそうだが、極端に自分が中心になっていることがある。
相手が人格を持つ自分とは違う人間なのだということが分かっていないような振る舞いをされる方がまま居る。
これは男女問わずだし、誰しもが多少なりともあるが、自分の考え方が正しく、それに沿うべきだ、と考えてしまいがちだ。
サイゼリヤデートであっても相手は楽しむだろう、それが初回のデートであっても自分は嬉しいから、というものだ。
その時にお誘いした相手はどう思うだろうという視点が欠落している。
ここが"サイゼリヤ"を組み込んでしまうことがあると言った理由だ。
休憩にスターバックスによることが優しさであると感じる方もいれば、騒がしいスターバックスにデート中に寄るのは常識外れだと怒る方もいる。
どちらが正しいとか間違っているかということではなく、その相手がそう感じるという点が重要なのだ。
そんな初回の相手をエスパーでもないのにどう感じるかわかれなんて無理だろ!と憤るのもわかる。
そう、相手のことを心から理解するのは家族であっても難しいし、逆にそんなにピッタリだと不安になる方もいる(相手が自分に無理に合わせていたのではないかと)。
その解消がコミュニケーションであり、ここで相手と意思疎通ができるかはとても重要だ。
自分の言葉で相手に伝わるように言ったはずなのに伝わらなかったというのは大きなマイナスになる。
例えば、「相手からはデートのランチの場所はどこでもいいと言われた」というのが、「どこでもいいと言ったらどう伝わるか」とすでに試されているのだ。
もちろん、慣れていないと、ディナーの予約をしたつもりが、高くてあまり美味しくない居酒屋になってしまうこともある。それは仕方がない。
問題はそこから、どう軌道修正できるか、もしくはそういったところが良いのか実は非日常のデートなら違うところが良いのか、価値観のすり合わせが出来るかが重要なのだ。
際限なく譲歩する必要は無い。ここは譲れないラインだというのをぼんやりとでも持っておくことはもちろん重要だ。
いつもデートは帝国ホテルのディナーを予約してほしいというのは、受け入れられないとか。手違いでも居酒屋を予約するような手際ではムリだ、とか。
まだ家族になってもいない相手を試すのであれば、相応の礼儀を尽くしたうえで、失礼のないように試すべきなのだ。
だから、何度かデートを重ねたうえで、段階を踏んで、「お互い普段はファミレスに行くって言っていたし、どう?」と誘うのであれば何の問題もない。
両方がともに普段着で集まって、いつも行くような店に行こうとコミュニケーションが取れてからなら、焼肉でも二郎でも好きに行ったらいい。
いきなり相手を連れて行って試すような真似をするのは、本当に止めた方が良い。考え方が幼すぎる。
礼儀を尽くしてサイゼリヤに行ったんだと主張するのであれば、それはそれでも良いと思う。似合う人が見つかると良いね。
あなたから見れば、あなたは人生の主人公で、それ以外の人間は登場人物に過ぎないと感じるかもしれないが、実際はそうではない。
まあ、そう無理することも無いと思うんだよね。業界的にはその方が助かるし儲かるから。増田にしか書けないよこんなこと。
つーか、ぶっちゃけオマエ試してる場合なの?ってことの方が多いから、経験則的に言えば全員一律相手を試してる場合ではないでフィニッシュです。
相手を試さないといけないくらいひっきりなしにアプローチを受けてますなんて人は、ホントに出会いが無いだけで結婚相談所の能力と無関係に成婚するしね。
ゴールデンウィークですね。
私は、前半の4月27日~4月29日は、親族の法事があり、福島県まで行って来ました。
4月27日の早朝から高速道路の渋滞を予測して、前日の深夜から福島に移動しました。
シャワーを浴びて4時半に就寝、7時に起床して大浴場で汗を流し、朝食を食べてから9時ごろお寺へ移動。
!
10時からの法事で、お坊さんのお経が始まったころには眠気との戦いで大変でした。
何とか我慢して、お墓で焼香等を済ませて、親族の自宅に集合して皆で精進料理を食べました。
親族からアルコールを勧められ気を良くして飲んだところ、一気に眠気が襲ってきてそのまま爆睡でした。
それから、その日の夜に近くの居酒屋で故人を偲び、食事会をして昔の話で盛り上がりました。
翌日、渋滞しない時間に移動したつもりでしたが、結局、高速道路で大渋滞にはまって2時間半の移動時間が4時間半の運転になり、疲れ果てました。
あ~温泉に行きたいです。
ゴールデンウィーク後半は、自宅の不用品の断捨離でもして近くの銭湯にでも行って、のんびり過ごす予定です。
後半、旅行される方は渋滞情報をチェックしながら早めの移動がベストです。
国内、海外旅行をされる方は、ウイルス感染しないためにもマスク着用をお勧めします。
細川徳生
いろいろためになる
最近読んでる回はオジサン世代(40-50代)がテーマだった、なかなか勉強になった
オバサン向けの回、このあと出てくるといいなあ
若い時からずっとユニクロ無印、たまのスーツや冠婚葬祭フォーマルだけそれなりのものを買う、って形でやってきたけど
レビュー読んでると40代50代、60代の人もたまに見かけるから、自分も着れると思っちゃうけど
生地が薄い時点で緩んで崩れた体型だと厳しい
中年以降安物を着てるなんて見窄らしい、様にならないからそれなりに良いものを、と友人は言うけど
いやいや他にかけるところがいくらでもあり、上質の良いものを着たところでオバサンであることには変わらず
そもそも若い頃からファッションに強い興味関心もない自分にとっては、ブランドなんてオーバーコストだと思う
オシャレがしたいなんて大層なことは言わない
見苦しくない服をコスパ重視で回したい、とそれだけだ
今まではコロナもあって中止してたらしいんだけど、今年はやるらしい。
旦那の義両親、義兄夫婦+子供2人、私の両親、私達夫婦での旅行を先月したばかりなのに(旦那義両親発案で)
(なんとかがんばって私達夫婦は観光にお付き合いさせていただいて日帰りにした)
今回の詳細はまだ聞いてないけど、コロナ前は貸切バス頼んで20~30人ほどでの旅行だったそう。
義両親や義兄家族との旅行は旦那の顔をたてるために年1での旅行に参加してるけど、親族なんて冠婚葬祭ぐらいで良くない?と思ってしまう。
ちなみに義両親達はとても素敵な方達なので嫌なわけではないけど、私の性格は友達付き合いでさえ半年~1年に1回行くぐらいのおひとり様大好き人間でそもそも旅行が嫌い。自宅で1人でのんびりするのが好きなんです。
私自身が自分の実家と仲があんまり良くなくて、私1人で実家に帰るのも年1(日帰りか1泊)
結婚式でさえ親族だけの小規模なものだったけど旦那側が30人程度に対して私は両親しか呼ばなかったくらい今まで親戚付き合いというのが皆無だったのでギャップがエグい。
旦那に断ったら「困る」「なんて断ったらいいのか...」「よっぽどの事がない限り参加してくれ」って言われたんだけど、共働きで販売業なので土日に頭下げて休みとって親族との旅行って嫌すぎて辛い。助けて。
制服→月〜金まで毎日朝から夕方まで着てる。座学だけじゃなく実験や掃除等の活動時も着てる。人によっては冠婚葬祭でのフォーマルウェアとして着る機会もある。
比べるとよりお金をかけて然るべきなのは制服の方だと思うが、ブクマカたちは制服にはユニクロでいいとか制服自体を無くせとかいうのにランドセルは革製のじゃないと見た目が可哀想とか言う。
機能性に問題があるならまだしも見た目て。見た目が違うといじめになるとか言うのもいたが、カバンが違う程度で他人をいじめる方が間違ってるし、そうならないように(あるいは事が起きてしまった時に)家庭や学校で教育することが大事なのではないだろうか。
片道5時かかる遠方に住んでる祖母が亡くなったんだが、俺は葬式がすごい嫌いで、親戚と会うのも酷く疲弊するし、疲弊しすぎたのがトラウマでぶっちゃけ葬式に行きたくなかった。
だが祖母の顔は最後に拝みたく、別れの挨拶はしたかったので、通夜前の弔問にいってお別れをしてきた。
葬式に行くと周りがガヤガヤしててひどく疲れるので、弔問できてよかったと思った。落ち着いてお別れが出来た。葬儀には参列しないので、相場より多めに包み、香典を渡した。俺は静かに祖母とお別れ出来てとても満足だった。
が、葬式が終わったあと、孫の俺が不参加だったので、親戚からは「冷たい」、「世話になったのに恩知らずだ」と非難があった。
親戚がそう思うなら、祖母もそう思ってるのかな。って思った。やっぱり個人の納得よりも、冠婚葬祭ぐらきでしかあわない、親戚付き合いを優先させるべきなんだろうか。
冠婚葬祭以外でスーツもろくに着たことのない人間が、まともな職業に転職することは可能ですか?
残りあと50年生きるとする。
後半の20年は年金暮らしになるだろうが、体が自由に動かなくなることを考えると労働と同じレベルでそれらとの戦いがあると身構えた方がいいだろう。
そして20時に家につく。
24時に寝る。
8時に起きる。
24時に寝る。
休日が125日あるが、用事で潰れる日が5日あるとして120日。
残りの平日が245日。
120*10=1200
245*2=490
そりゃそうだ。
1年1690時間のうち730時間も漫画を読んでしまっているんだから。
漫画だとやや非現実的だが、これがテレビゲームなんかになるとだいぶ現実的になる。
これだけで日々が終わっていく。
そこまでハマれるのなら幸福ではあるのかも知れない。
だけど、そこまでやっても「ゲームを遊び尽くした」と呼べるかは怪しいものがある。
趣味で遊ぶゲームなんて、年間でたったの1690時間でしかないんだ。
大作ゲームのレビューをみれば2000時間や3000時間遊んだプレイヤーがボコボコ出てくる。
そういった時間の使い方は人生でたった30作程度にしか出来ないだろう。
100時間で妥協しても年間17本、10時間で妥協すれば170本遊べるには遊べるが、その遊び方が「十分なやりこみ」と言えるとは思えない。
SNSで流行りを追って、流行りの映画を見て、流行りのイベントに行って、一通りのメジャーソングを聞いて、一通りの名著を読んで、一通りのゲームで遊んで、一通りのスポーツに触れて、冠婚葬祭を一通り味わい、子育てや立身出世に精を出すなんてことをやりきれるほどに人生は長くない。
何かを切り捨てないと無理だ。
だけど私にそんな自制心はなさそうだ。
毎日30分アプリのスタミナを使い切ろうとして漫画を読み、毎日30分アプリのスタミナを使い切ろうとしてソシャゲをやる。
毎日30分トレンドを追うためにインターネットを眺め、毎日30分孤独を癒やすためにSNSや掲示板に書き込む(今やってるなう)。
そして休日は溜まったドラマやアニメを見て、ソシャゲのイベントを進め、話題の映画を見に行ったり、趣味の買い物、オフ会、LIVE、飲み会、たまにアウトドア、話題作が出た直後は引きこもってひたすらゲーム。
気づけば人生があっという間に失われていった。
結婚もしないまま過ごしてきて、未だに「遊び足りない!人生が足りない!あといい加減ちょっと創作活動に手を出したい……あともうちょいキラキラした仕事につきたいから転職……その前にスキルアップとか……」とばかり考えている。
ヤバイ。
しょうがないじゃん?
な?
𝕏でコスメをカードゲームに例えたツイートがバズっていて「コスメ好きの女性とカードゲームオタクの男が分かり合えた!」と絶賛の嵐だが、個人的にはどうしても釈然とせずモヤモヤが晴れない。女性のメイクをカードゲームとして分かったような気になってほしくないという気持ちになってしまう。以下、その理由をいくつか挙げる。
一番がこれだ。女性のメイクはマナーとしてビジネスや冠婚葬祭の場で強いられているのはもちろん、プライベートでもお洒落をするならメイクは当たり前という風潮がある。女性全員が好きで化粧にお金や時間を費やしているわけではないのだ。もちろんプライベートで好きでメイクをしている女性もいると思うが、その人もビジネスでは好きに化粧できずオフィスメイクを強いられる。一方カードゲームは完全な娯楽でしかないし社会に強いられているわけではない。
多くの場合、メイクは小中学校では校則で禁止されている。しなくていいじゃなくて明確に禁止だ。メイクして学校に行ったら怒られるだろう。しかし社会人になると逆にマナーとしてメイクをしないと怒られるという逆転現象が起きる。これはダブスタだ。子供の頃からメイクの授業があり、社会人ではメイクがマナーになるのなら百歩譲って理解できる(もちろん本来自由であるべきだが)。しかし子供の頃は練習すらさせてもらえなかったことを、大人になって急に強いられるというのは大きな違和感があるし、女性はこの無理のある社会の要求に適合しなければならない。一方カードゲームは子供も大人も自由意志で遊ぶかどうか選べるし、子供がやっても大人がやっても怒られることはない。
これは「日焼け止めだけ塗るよりも紫外線予防になっているから肌に良い!」という意見もあるとは思うし一理あると思うが、一方で肌の負担になっている面も存在すると思う。健康肌ならまだしも、敏感肌の人は痒みや痛みも伴う。カードゲームはもちろん、健康を害すことはない。
よくメイクは自分のためと言われることがある。これは自分のしたいメイクをしている女性に対し、男が文句をつけてきたときの反論であり、正論だ。しかし自分のためのメイクがあるように、他人のためのメイクも存在すると思う。それはビジネスでは会社や組織のイメージを損なわないため、冠婚葬祭では身内や友人のイメージを損なわないためなどマナーとしてのメイクである。カードゲームは完全に自分のための娯楽、自分が楽しむためのものである。
雑鬱・発達語り
そういえば、軽く鬱から浮上するとき、知らん言語でちょっとしたWEBサービス組んだり、ずっとやりたいと思いながらできなかった創作に手を出したりしたなぁって
思い出したら色々繋がってきた
最近、ADHDやASDの特性とか、生き抜くためのライフハックとか流れてくるのめっちゃ浴びて、なんか全部該当しとる
↑のは、緊急時にパワー出るというやつらしい
コロナ渦で冠婚葬祭というか葬葬葬葬等続いて、動けるの自分ひとりだったから、ほとんどやりきった
流石に疲れた(同時期に共依存みたいになってた人間関係が複数同時にぶっ壊れて流石に寝込みかけた)
双極性気質もあって(あくまで気質)、自他共に認めるHSPでもあり、時にセクハラ暴君が目覚めそうになることもある
結局、占いとか○○診断といっしょで、人間って深堀すればあらゆる気質や性質を持ってるんだろう
それを自覚する機会があるか、認められる(認定甘い)性格かどうか
自分がそうであったら嫌だなぁという自分を出さずに済む環境で暮らせるか
不適合という言い方でよいのかはわからんが、困って相談して受け入れざるを得ない状況になるかどうかという話で
金の心配なくして
美味しいもの食べて
沢山寝る