はてなキーワード: 児童養護施設とは
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」の一話をネット見ました
中止要請については以下
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140116/k10014543211000.html
ドラマで描かれる“ポスト”というあだ名を持ち、ドラマで差別的発言を受ける子供という表現が、
フィクションと断りを入れていたとしても、“赤ちゃんポスト”という言葉で現実に照らし合わせることが容易にでき、
そして照らし合わせると、著しく少数の子供に限定されるということだ。
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けらた幼児は現在75人の10歳にも満たない児童も存在する。
そのうち芦田真菜演じる“ポスト”に近い年齢の子供も少なくとも数人実在することは想像に難くない。
そして、彼ら全員が芦田真菜演じる“ポスト”のように「親に捨てられるのではなく親を捨てるんだ」という発言を
できるほど強靭な(不自然に大人びた)精神を持っているわけではない。
(「こうのとりのゆりかご」を運用している病院から中止要請があったということは、子供たち(と病院)に前もって
何らかの断りも入れていないということだろう。僕個人としては上記の理由でドラマを中止すべきだと思う。あまりにも杜撰な制作だ。)
女性に対するフェミニスト団体などがあるわけでもないので、声を上げて抗議をするのは困難である。
一部の大人、子供もが無批判に見ている可能性も十分あるので、偏見につながる可能性も十分あるだろう。
何より、放送が話題になって実在する“ポスト”への(杜撰な)取材をしたいというマスコミも現れるかもしれない。
また、ドラマの大まかなストーリー、芦田真菜さんが演じる主役の名前(あだ名)ぐらいは
スポンサーの広報も知っているはずなので、よくこのドラマを“提供”しようと思ったなと思う。
テレビは本、映画、ブログといった能動的に選択する他の表現とは違い、
電波を国に借りて放送しており、チャンネルも10程度という選択肢のとても少ないものである。
視聴者が段違いに多く影響がほかの手段に比べて大きいのだ。
病院が中止の申し入れをしたということは、
この申し入れが「こうのとりのゆりかご」(とおそらくそれに預けられた子供)がマスコミの好奇の目にさらされる、
という危険性を冒しても、ドラマは中止されるべきだという決断を下したのだろうと思う。
だがテレビ局の対応はあまりにも稚拙だ。放送中止を申し入れている病院側との話が成り立っていない。
「ドラマでは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』という
趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っています。
日本テレビは実際に存在する児童養護施設にいる“子どもたち”をどう思っているのだろうか。
おそらく彼らは視聴率さえ取れればいいのだろう。
この発言は番組さえ見てもらえれば後は「こうのとりのゆりかご」等に偏見を持たれようがどうでもいいと思っている、と捉えられても文句は言えないだろう。
また仮に、このドラマがこのまま放送され終了した後、病院側に差別的だと捉えられ抗議されたとしても、
関係者は同じ「そういう受け止め方をされたのは残念」という言葉を繰り返すだけだろう。
http://daily.co.jp/gossip/2014/01/17/0006642533.shtml
日本テレビは、少なくともドラマのチーフプロデューサー(制作責任者)に実際に病院の代表者に合ってもらい、ドラマでの意図を説明、話し合いをさせるべきだ。
そもそも僕はこのドラマが養護施設と子供ではなくDVシェルターと女性を舞台としており、
ドラマでの施設長の子供に対する大声での差別的発言が、支援者の女性に対する二次被害的を発生させる暴力的な発言に
置き換えられていたとするなら、それだけで批判がそこら中から起こっていると思う。
(養護施設での虐待などのの問題があるが、DVシェルターでの二次被害などの問題がある。リンクは古いが以下。)
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以下一話を見た感想
―21世紀で一番泣けるドラマ
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」での公式サイトにあるイントロダクションの最後の一文である。
おそらくこの一文がドラマを表しているのだろう。
ドラマでの“ポスト”というあだ名や、差別的な発言をするのもすべてあなたを最終回で泣かせるための装置に過ぎないのだ。
陳腐な不幸系の脚本、それをごまかすための差別的な台詞、過剰な演出、子役の一発芸的な“演技”しか見せ場のない映像、
時間の過ぎるのが中学生の頃の授業のように遅く僕は見ていて退屈で苦痛でさえあった。
ただ単純に制作者にドラマを作る能力が無いのだろう、醜悪なドラマだと思う。
(主題歌のコトリンゴさんの曲と芦田真菜さんの演技をする能力はこのドラマにはもったいない。)
ただ、テレビ局の思惑通りこのドラマを最後まで見る視聴者は泣くだろう。
だが、そのうち何人が、ドラマだと割り切って見ているのか、
「明日、ママがいない」施設出身者の方々の反応 - Togetterまとめ
働いてるんでしょ?
それともお金のため?
だったら辞めろ!
いやはや、凄いね。労働者に対して、自分にとって都合の良い精神を強要するとか。あのドラマより、ここに並んでる言動で、児童養護施設の出身者に対する偏見が加速しそうだわ。「 恩寵園の事件知ってますか?」とかいうのもあるけど、一つの事件でその業界の労働者全員を悪く言うのが許されると思ってるなら、どうぞご自由に。ただし、俺はそいつを「差別主義者」と呼ぶけどね。
近親相姦、レイプ、人食、風俗 の上澄みをペロッとなでるように挿入。
・作者自身が「かわいそー、この人たち絶対差別されてるよね、だから彼らが勝ち抜いていくストーリーにしよ!」という思い込みで
障害のあるひと、シングルマザーやシングルファーザー、同性愛カップル およびそこで育った子ども、児童養護施設で育った子ども、
里親のもとで育った子ども、ステップファミリーのもとで育った子どもなど主人公にする。
・作中、かならず殺人や自殺、ストーカー、強盗など犯罪を盛り込む。
・ありもしない挫折感や差別心を煽り、世間に「実はあなた、こう思われてるかも!」と不安をあおる設定を考え出す。
例)結婚できない、彼女彼氏のいない主人公、就活がうまくいかない主人公、不細工だと人生おわりだと思い込んでる主人公
他にもあれば足してください。
児童養護施設を舞台にしたドラマが放送されると知り、見てどんな悪口を書いてやろうかと思ったら、普通に面白くて見入ってしまいました。
テレビドラマなのでオーバーな所があり、赤ちゃんポストに入れられていたからポスト、貧乏だからボンビーとあだ名を付けて呼び合っていますが、児童養護施設にいる子どもたちはいちいち他人の境遇を気にしなくて、身の上話はあんまりしません。
やっぱり人間なので個人の関係で好き嫌いはあっても、貧乏だからってことでバカにしたり差別することはありません。何かの縁で一緒に暮らすことになっただけのことです。
ドラマでそこ違うんだけどなあと思うことがありますが、それを除けば悪くはないと思います。
Twitterの論争を見ましたら、児童養護施設関係者とボランティアと思わしき方々が激怒して、反対に施設出身者は概ね賛同の意を示してます。
かく言う私は日本テレビに頑張って最後まで放送してほしいです。
三上博史さんが演じる施設長の台詞が暴言だと問題視されていますが、ここだけ見たら確かに過激で「人の心がないのか!」と思えます。
しかし、児童養護施設の外の世界を眺めたら、三上博史さんの台詞はあながち間違いではありません。
児童虐待の厳罰化、家庭支援、児童養護施設の拡充、家庭的養護(里親制度)の拡充、養子縁組の拡充、親学、発達障害と、児童を取り巻く環境が急激に変わりつつあり、それぞれの主張の是非はひとまず置いといて、確固たる信念があります。
それぞれの考えをお持ちの方々は自分がやっていることは正しいと思っているので、当事者である子どもが反対の意見を言うことは許されず服従を求められます。
それぞれの主張から子どもの身を守るために、お前たちはペットと一緒でご主人さまの言うことを聞いてればいいというのは現在のシステムからだと全く持って正しい指導であり、子どもが本来持つ「らしさ」を殺さなければいけません。
火垂るの墓で主人公の2人が死んだのは親と家庭の愛情を知っていてあまりにも子どもらしさを持ちすぎ、皮肉にも助言してくれる大人がいなくて身を滅ぼしてしまいました。
お前たちはペットと一緒だ!服従するんだ!と誰かが言ってあげてれば少なくとも生命を保つことができたはず。
ドラマのは極悪非道の暴言施設長とバッシングを受けてますが、とても現実的な指導で優しさと愛に溢れて、児童養護施設はこのやり方を採用するのも悪くないんじゃないかと感じた次第です。
まず鎖国。
で
・大学進学制限(試験を厳しくする。私学の最低レベルを国公立くらいに。あるいはレベルの低い私学を廃止してしまう。「理数が全くできないのにとりあえず大学へ行く」を減らす。社会へ出る年齢を早める)
・今大卒募集している職種の一部(大部分になると思うけど)を高卒に解放。
・18歳以上の子無し独身男女への経済的ペナルティ(財源。学生は免除)
・子有り夫婦、シングルファザー・マザー(離別・死別含む。養子もOK、にすると男女間の不公平とか、中絶を減らせるかなと)への経済的優遇措置
・18歳まで子どもを育てた↑への報奨金。(年金と同じく育てた期間に応じて)
・妊婦寮制度。独身女性とか、経済的に厳しいカップルの女性側の衣食住をある程度保証。肉体に支障のない軽労働に従事してもらう。男性側に一人暮らしできるだけの経済的余裕があれば、子どもを持つことができる。
・国家によるお見合い(政策の肝。経済的ペナルティがきついが、相手が見つからないという人を結びつける。夫婦間の約束事は書類で交わす。いわば夫(妻)という仕事に就いてもらう)
・児童養護施設の充実。
・女性は60歳、男性は65歳からの無条件選挙権剥奪("子どもが作れない年齢"ではなく"育てられない年齢"で設定)
・年金の廃止(財源)
・一夫多妻制の解禁
このくらいかなあ。
ほんとはスパルタみたく(想像)国家が全部子どもを引き取って、育てるのがいいんだと思うんだけど。
・タダで子どもが産める
・独身でも産める、育てられる。
・産めなくても育てれば優遇される
子育ての社会化によって国が崩壊したことないけど、旧ソ連は政策を変えざる負えなかった
マンパワーも施設も足りない今の状況で子育ての社会化をやって女性の社会進出を推し進めても失敗するだけだよ
>実際、フランスにしろ北欧諸国にしろ、別に女性が社会進出したせいで、社会が崩壊なんかしてませんし。
そりゃそうだろ
方法も違えば結果も異なるさ
(女性の社会進出を進めたのは旧ソ連が最初で、ほかの国々はそれよりも後だよ)
>保育所育ちで立派に育つ人が多い中、保母さん保父さんの存在を否定するのはどうかと。
保育所と家庭を往復するだけなんて生ぬるいもんではないよ
旧ソ連でやったことはどちらかというともっと極端で、孤児院や児童養護施設で成人まで育てるというタイプだった
児童養護施設でくぐればわかると思うが、その連中は親の愛情が得られなかったがゆえにさまざまな問題を抱えている
適性のあるものに子育てを任せるということは自然と旧ソ連のようなやり方に近づくことを意味するんだが、そんなんで本当にいいのか
つづき
タイトルでも、児童養護施設虐待告発ブログと書きかけて、ああ違った、告発はしてない、と思い書きかえた。
そうなんだよな、告発じゃないんだよな。。。
施設の運営が民間に委託でも、そこに任せていた自治体や行政側(おそらく、県のどこかの機関ではないかと思うので、その当時の県知事なども責任問えないのかな?知事は公務員じゃないから時効がどうなるかわからないが)は、国家賠償請求の対象にできるんじゃないのだろうかと、納得できない。
・知事
・市長
・県や市の福祉担当
などは、どうなるの?
それと、もう一つ
里親虐待から、里親制度に反対(廃止を目指す?)らしいけど、その根拠が人格に問題がある里親に子供が引き渡された場合危険極まりないからというものになってるけど、その主張だと、制度自体全否定するのは無理があるという突込みが入る論旨になってると思う。
施設で合わない職員に一対一でいびられた場合を、例に出して説明してた。それは確かにそうだが、一年に一回くらい重篤な虐待事件が明るみに出る、他にはネットの匿名掲示板に里親虐待の元里子からの書き込みがある、という程度では、制度を見張る第三者機関を設置するなど、見張る目を徹底するとか、力が偏らないように、圧倒的弱者という立場を作らないように配慮するなどで防げない事もない、と言われてしまうのではないかと思う。
それで、うまく行けばそれでも良いと思うけど、どうして”言われてしまう”という言葉を使ったかというと、里親会が利権になっているのではないか?という事があるから。それが訴え切れてないから。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉があるように、悪意があるからうまく行かないというわけでもない場合もあり、この場合も善意の(つもりかもしれないが)里親もいて、それを里親会に利用されているのではないか?という疑問はどうするのだろうか?
里親会が、力あるなあと思ったのは、大手新聞が皆揃って、里子の問題行動を書き立てているから。あるのかないのかわからない里子の試し行動について、ある事前提で、それによって里親が傷つくみたいな書き方をしているw 笑えるww じゃあ返せばいいじゃんw どうしても育てなければいけないわけじゃないんだから。(下に新聞比較あり)
何があっても、試し行動があっても、そこから殺害や虐待に至るのは、短絡的で自己中心的な感情的な人格というのが伺えるとは思わないのだろうか? こういう印象操作のような事を平気で大手新聞がやっているというのに驚いた。
このへんは、もっと冷静に指摘するべきではないのだろうか? それについて以前にいろいろ書かれている部分もあり、それをもっと落ち着いて言うべきだと思うのだが・・・
前から、反発する里親からの書き込みに対し、善意か悪意かのような部分で議論している里親虐待を書くブログ(私の書き込みは載らなかった)があるが、善意か悪意が問題ではなくて、善意でも問題があるところが問題ではないかと思ったのだが・・・
里親の質の問題と、里親会利権の問題と、トイレの水を飲ませたという虐待と、そうではないけど他人と暮らすのは里子の精神的負担になるのではないか?というのが、全部混ざっている。
私は”実親制度”というのは、皮肉で書いただけで、もちろん制度ではないのは知っている。
里親制度を強固に擁護する考え方をする人たちが居るというのは、”親”というものの持つ宗教めいた力とも関係あると思う。そういう面では、実親虐待から”逃げている”(現在進行形なのに注目)人たちの問題と、非常に似通った難しさを抱えた問題だと思う。そのことを言ったんだけどなー
人道的疑問
里親虐待はなぜいけないか?非人道的悪逆非道な行いだから?それとも可哀想な里子被害者が出るから?(犯罪被害者になって亡くなった人が何名もいる。ニュースにもなっている)
そんなの知らない関係ない、という人も居るかもしれない。そういう人に向けてはやってないかもしれないと言われるかもしれない。ではどういう人に向けてやっているか?「「人道的見地からものを考える人」」ではないのか?
他人や社会にはそれを期待しつつ、里親そっくりの事をしながら、里親よりさらに問題にされない存在の実親虐待については、全く関心が無いなんて!!!! 人道的なのだろうか???
http://alfalfalfa.com/archives/1494324.html
お金をせびりにくるなどの実害報告も。そこまでになったら弁護士が入ったそうですが。
これだって、実親の虐待で亡くなる人もいるけど、実親制度廃止はできないと、自分達だって思うくせに。里親制度廃止を言われて驚く人たちというのは、それくらいの気持ちなんだと思う。実親については、やたらに里親と比べて良さを強調するが、ブログの人のそもそもの問題を引き起こした事の責任の一端は、この人の実親にもあるはずなので、おかしいのではないかと思う。 やむにやまれぬ事情があったにせよ、我が子が里親からその後本人がブログを立ち上げ虐待を訴える(里子全体ので、自分はされてない犯罪に近いまたは証明されたら犯罪になる虐待も含む)くらいに酷い扱いを受けているのに、何もしない、知らない と言うのは違和感を感じる。
そのあたりは、本人さんの親だし、事情もあってと考え、遠慮して誰も疑問を差し挟めないのかもしれない(または、そういう意見は載せない)。けど、そのあたりの不満や不安も、里親攻撃に転嫁されているのではないか?という疑問も感じた。 ( 坊主憎けりゃみたいに、里親志望の人の自己愛やエゴを指摘し批判してたけど、その程度のエゴは実親でも持ち合わせている。他人である里子にそのエゴを発揮してしまうのは良くないかもしれないが、少なくともトイレの水を飲ませたという虐待をする人とは区別して考えるべきだと思う。そうしてるつもりかもしれない。善意の人の気持ち悪さとして書いているエントリもあったから。でも実際の里親や志望の人との書き込み欄のやり取りを見たら、最初から悪意があるものとして扱っているような面は感じられた )
元里子の人と里親の集団や個人と、それぞれネットでサイトを運営されてますが、どうして意見がこうも違っているのでしょう?
検索ワード 「試し行動 里親会」 「里親 名称」 で検索してみて下さい。
まず、最近の「試し行動」については、某大手A新聞が記事にしてしまっているというのを知恵袋の質問で読んだから、検索する事になりました。
hatenaやtwitterや、北海道信の社説にまで、それがある事になっていて、驚きました。
巧妙に里子側をかばっているように見せながら、「試し行動がある」のを前提に話を進めている。
「試し行動の存在」は確定事項みたいですが、確定して得をするのは誰でしょう?
虐待された子供は養育里親には委託されない。虐待された子供は専門里親の元に預けられ、専門里親はごく僅かしかしない。
というのは、神戸新聞の虐待事件と関係ない時期の里親の人を好意的に取材した記事にも確認できるので、事実でしょうけど
そうすると、里親の一部の団体や一部の個人の主張は、妙だと言わざるを得ない・・・と思うのですがどうでしょう?
2年ほど前の「里親 名称」問題でもなかなか香ばしい方々もおられるようで。。。
わんにゃんななしさんたちと揉めてます。
http://logsoku.com/thread/yuzuru.2ch.net/dog/1250786840/
神戸新聞該当記事 http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/kurashi/200805kazoku/04.shtml
魚拓 http://megalodon.jp/2011-0917-1859-33/www.kobe-np.co.jp/rentoku/kur...
検索画面 http://www.webpagescreenshot.info/img/689658-916201170826PM
北海道新聞 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/314000.html
魚拓 http://megalodon.jp/2011-0825-1422-34/www.hokkaido-np.co.jp/news/ed...
里親に紹介されてるものの画像保存 http://www.webpagescreenshot.info/img/811417-917201110445PM
新聞でも里子さん虐待の発覚しにくさを指摘した人の意見を取り上げたものも
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110614/crm11061417000034-n1.h...
魚拓 http://megalodon.jp/2011-0821-0024-13/sankei.jp.msn.com/affairs/new...
一日にメール数千通の実力を持つ人もおられるようだから・・・(本当かどうかはわかりませんが、わんにゃん名称の時に数千通のメール送る集団も居ると上の方に貼った某巨大掲示板過去ログにあります)
よしなしごとだが、今日18日午後、twitterで唐突に東浩紀氏が曰く、一昨日の晩から原発関連の報道が少なくなったかの印象があるとのこと。
もちろん、事実報道は絶えずなされている。ご本人も「放水してることぐらいは知ってます」と書いている。
事実そのものの緊迫度合いは変わっていない。事態の進行状況や対策対応を見れば情報を量的に計算しようともそれは変わるまい。いや、合衆国政府からの協力への強い要請(の露呈)や、IAEAからの情報開示要求というニュースを見れば、事態は以前を凌ぐものだろう。
東氏ご自身は政府が情報統制を始めたんじゃないかと書いていたので、ここに書くのは東氏の意図とは違う。もっと曖昧な「印象」についての話である。印象とは根拠のないものであり、帰納的にしか語ることができず、つまり「論」ではない。まさによしなしごと。
その印象が何を指しているか。
事実の質と量は充分であるのに、事実以上の報道はされていない?番組が少なくなった?という印象?
似たような話がある。
国内メディアの報道のトーンについては当初から、悲惨さに寄り過ぎる、自衛隊ほかによる救済など「いいニュース」が海外メディアにばかり流れている、避難所はもっと前を向いているのに伝えられない、等の批判が出ていた。twitterなどでも同様だったが、ロケ先で被災したコメディアンであるところのサンドウィッチマンによるコメントは、その国内メディアでも報じられたのでかなり広く知られるに至った。これらを受けてNHKでは編成方針を変更したようだ。
「ようだ」というのは、上記のようなことは定量的には前後比較できない、当事者の公表なしには視聴者の感想(の露出)によってしか測ることができないことだから。逆もまた真なり、敢えて書くことはしない。
それから、これも今回の震災に絡めてTwitterで見かけたエピソード。
阪神淡路大震災の折、被災地を放送エリアに持つ読売テレビが、番組編成を報道偏重からアニメやバラエティなど日常的なコンテンツを採り入れたものに切り替えたところ、賛否が多く寄せられたそうだ。不謹慎だというクレームはもっぱら被災地外からのもので、被災者からは「ひさしぶりに笑った」という感謝のメッセージが届いたという。
tweetの主旨は、悲惨な状況にこそ深刻さばかりでなく笑顔を生みだすようなものが必要だ、それを実現した読売テレビさんは素晴らしい、在京各局も続くべしということ。
それにしても、こうまで深刻である必要はどこらへんにあるのか。といっても「こうまで」の「こう」が曖昧至極であるが。
下位に対する憐憫という「善意」の発揮によって穏当裡に、普段は緩やかに規定される上下関係こそ、ここ最近のこの共同体を支える文化的精神的基盤だ。
もちろん、階級のないこの社会を円滑に運営するうえで有用だからこそ基盤たりえる。が、善意の発揮は多くを包み隠しもする。
女性差別を訴えられた男性は少なからず心外に感じるだろう。だって自分は女性を「弱き者」だと理解し、その通りに行動しているのだから。その振る舞いに、端から自立を放棄せよとのメッセージが含まれているとしても。
現在中年以上の大人であれば、街ですれ違う病者や障害者を「じろじろ見ちゃだめよ、可哀相でしょ」とたしなめられた記憶のひとつやふたつあるのではないか。乙武洋匡氏を引き合いに出すのは失礼と承知しているが、氏のような快活さをいまだに受け入れられない大人はいる。
それと同じように、被災地に救援物資と称してぼろが届く。「伊達直人」氏によって児童養護施設にランドセルが届いたのをきっかけに始まった伊達直人ブームも、しばらくすると最初の伊達氏の志とは随分違ったものになってしまったような印象だ。
しかしそれを差別だと大っぴらに言うことは憚られる。なんといっても善意だから、悪気はないのに、それを責めるのか、ひどい。
翻って、在日朝鮮民族・韓民族に対する差別があからさまに起き続けるのは、彼等がこの不文律を共有しない、憐れみに対して首を垂れないからではないのか。いうまでもなく不文律とは心の中にしか存在しない。印象と同じようなものだ。
そのような一連の意識を反映するものとして、原発関連の報道が、少なくなった、印象だ。
憐れまれる側にまわった者に供給されるべき「深刻さ」の座興などないということだろう。
最後に、東氏が18日未明に書いたもうひとつのtweetを引用しておく。
このような表現を使うと不謹慎と怒る人もいるかもしれない。しかし、ぼくたちはこの未曾有の災害を「好機」として捉えなければならない。バブル以降の20 年間の停滞に終止符を打ち、麻痺から脱し、日本をまともな国に戻すための最後の好機として。この好機を生かせなければ日本は本当に終わる。
意味がわかんない。つまり「虞犯少年少女と虞犯じゃない少年少女が【児童養護施設】に何の工夫もなくまぜこぜにされている」という情報が70パーセント正確だってこと?
地元の地方更正保護委員会に電話かけてみたら? 「【児童養護施設】で【虞犯少年少女】によるそうでない子への人権侵害が常態化しているという情報を得たがその真偽や如何に」って。
ちなみに「児童養護施設内に虐待がない」とは言ってねえよ。「乳児院~児童養護施設育ちのガキには虐待を誘発する因子が植えつけられている」とか「児童養護施設育ちのガキはみんな【虞犯少年少女】の恐れあり」とかいう話がトンデモだってだけ。
【追記】
「差別」といったらこんなのも見つけた。書いたのは大学の先生みたいな人らしい。
「まともな施設もあるかもしれない」などと言っている余裕は、少なくとも僕はないと思う。そのくらい酷い。まともな職員がどれほど努力しても、多数の児童を24時間365日完全監視することは不可能であり、学校でのいじめが発見困難であるのと同様に(あるいはそれ以上に)、児童間虐待は防止できない。「養護施設は子どもの地獄」と表現する人もいる。そして、職員の中にも不埒者が混ざっていて事前に完全にチェックすることができないとすれば、この問題は決して防ぐことはできない。これは職員のモラルに起因するというよりも、「施設」というものが持つ構造的な問題である。
もちろん、一時滞在施設として必要な場面はどうしてもあり、廃止すべきだとは言わない。しかし、里親とつなぐことを前提にした「一時的なもの」として位置づけられるべきであるし、運用においても相当の改善が必要だ。
※ たとえば、何らかの事情で親と離れて暮らす子と措置されてきた虞犯少年・少女を、何の工夫もなくまぜこぜにしているというのは虐待を誘発しているも同然である。最低限分離すべきだし、虞犯少年・少女は虞犯にいたるだけの荒んだ状況があるはずなので、専門的なケアが必要である。現状では、そうした対応は驚くほど不足している。
「虞犯少年」(「犯罪少年」「触法少年」じゃなくて「将来法を犯す【かもしれない】少年」のことな)は普通なら家裁が児童自立支援施設に送致する、で、保護観察所の保護観察下に置かれる。21世紀の日本で「何らかの事情で親と離れて暮らす子と措置されてきた虞犯少年・少女を、何の工夫もなくまぜこぜにしている」施設の話なんざ聞いたこともない。もし具体的に「この施設がそういうことをやってる」と知っているなら、あらゆる手段を使ってガキどもを人権侵害から救うために世間に訴えろよ。そんな告発があったという話もついぞ聞かない(児童養護施設内の虐待の発覚や告発自体はうんざりするほどある)から、たぶん「児童自立支援施設(旧救護院)」と、事情があって保護者と暮らせない児童が行く「児童養護施設」を混同してるだけなんだろう。「児童養護施設にいたことのあるガキは虞犯少年少女かもしれない」と世間様に広く知っていただき、連中を店子にしたり雇ったり保証人になったりするときにはご用心を、「普通の家庭で健全に育った」坊ちゃん嬢ちゃんたちと「何の工夫もなくまぜこぜに」したらとんでもない悪さをする危険もあるから、交際や結婚させるのもお奨めできません。くれぐれもお気をつけて、と、注意を喚起したいわけだ。
それはやっぱり「差別」と言わねえか? ついでに「虞犯少年少女」だからってモンスター扱いしていいわけか?
里親側の言い草には反吐が出る。でも、それは俺が健全な家庭で普通に育てられなかった愛着障害児で被虐待児で潜在的虞犯少年だからだ、と連中はきっと言うんだろう。「良い子を育てる健全な家庭」なんざ使徒に踏み潰されちまえ
「ネット縁」に対して前向きに考えて出演を承諾したのに、「無縁だからネットに逃げ込んでいる」ような演出をされてしまった>http://getnews.jp/archives/99251 という記事を読んで、「心の絆」という物がなくなりつつある事が無縁社会を生んだという演出にしたかったんだなと思った。
事前のサイトからも投稿を募集してたので、こういう趣旨で書いた。
>就職や家やお金を借りる際、日本では保証人や連帯保証人を求められる。特に低所得者層では、そのリスクが非常に高く、足の引っ張り合いになっている。無縁社会といっても実際は制度上の問題が大きいのではないだろうか? 困った人に関わらないのは、リスク回避策であるとともに、困った時に誰からも全く相手にされない事になってしまう。
投稿したのに、サイトには何時までたっても表示されず、何か不都合な事でも書いたのかな・・・と思っていた。
要するに、もっと人の「心の絆」を大事にしようという趣旨から外れたってことか。
※例えば、賃貸マンションの保証人になった場合、家賃滞納だけではなく、借主がその部屋で自殺した時、原状回復として多額の費用請求されたりします。
※たとえ孤立したとしても、個人としてどう社会生活を立て直せるか、またその制度をどう悪用されずに運用していくかを論点にしたい。
※そもそもこの番組で紹介された人たちは、住環境や社会生活に問題があるというテーマではない(単なる寂しがり屋か?)という意見があるが、だったらこの無縁社会という番組自体に国営放送がやる事の、何の有益性があるのだろうか。
単なるお涙頂戴的な演出に終わるのは残念に思だった。少なくとも個人の自立を支援する最低保障やそれを阻む制度や商習慣などについて扱えばよかったし、クローズアップ現代や、追跡AtoZという番組では扱っていた。
具体的には、両親が離婚したり、児童養護施設を出てたり、親戚付合いがなかったり、そういった予め親戚縁者のリソースが少ない人が、社会に出ていこうとする、出直そうとする時の壁についてもっと触れて欲しかった。自身、就職する際に、身内と身内以外の一人ずつの保証人を必要とされ、少なからず大変だった経験があったからだ。個人をきちっと査定する制度を完備して、それに漏れる人は保障をしていけばいい。世の中には不運にも縁がなく、困ってる人がいるというなら、その原因と解決策(NPOの牧師さんだけでなく)を示せば有益な番組になったと思う。
単に批判をするだけなら、せめて「無縁・孤族の為のライフハック」でも紹介してリンクしてくれ。(URの賃貸は保証人なしでも入居できるとかね)
(参考までに)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2011/02/bbc-0084.html
http://diamond.jp/articles/-/11118
「狙われたセーフティネット」
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3002
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.j-cast.com/2010/01/27058874.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100125/tky1001251835010-n1.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/383704.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1391165.html
↓
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/shi3z/20110112/1294801712
http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110112-00000021-kana-l14
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1586454.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110112-OYT1T00537.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20110111-723311.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/wadai/news/20110112k0000e040054000c.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1101/11/news070.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/1944851.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/national/update/0112/TKY201101110555.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/45638
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.milkstand.net/fsgarage/archives/001352.html(非表示)
http://b.hatena.ne.jp/entry/news020.blog13.fc2.com/blog-entry-813.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/news4vip.livedoor.biz/archives/51605729.html
(^^;
kashmir108 ハイチに千羽鶴送るのと、児童養護施設にPCやランドセル送るのじゃだいぶ違うように思うけど。 2011/01/1310 clicks
思うだけですね。広く寄付行為であり、実用的であるかどうかというのは程度問題でしかありません。今後寄付文化が発展してまあまともなカタチになればいいですがね。
akihiro-matsui 今回の寄付の面白さは多数の一人でなく、名前を自由に決められて一種のスポンサーシップになっている所だと思う。 2011/01/13
それは同感。
PCも倉庫の肥やしになる程度しか使い道にならないかもしれませんがね。事前に問い合わせるべきだと冷静になってる方々もいますが、それ以上に手放しで賛成するノータリンがあまりに多いので。こういうのも昨日話題になったはてブ衆愚化の顕れかもしれませんね。
まあ、ボクシングだの誰と戦ってるんだのしか言うことがない足りない感じがする人(fukkenさんじゃありませんよ)が、今回の事例をまともに考えているとはとても思えませんし、今のところはただの流行で終わりそうですね。
匿名でランドセルや文具やおもちゃを児童養護施設に寄付する行為が、「いま流行っている」。
物を施す満足感と流行りに乗っかる楽しさで、二度おいしい行為であるらしい。
一方、貰った人達は、本当に喜んでいるんだろうか。
うちにも今度1年生になる子がいて、先日一緒にランドセルを買いに行った。
これから6年間背負うランドセル、何色にしよう、どのメーカーが背負いやすいかな、って嬉々として吟味してた。選んでることが誇らしげでもあった。
伊達直人のランドセルが届いた児童養護施設の子供達は、その楽しみを奪われちゃったんじゃないの?
そもそもその子達のランドセルは「親族が準備できない場合は措置費の中の入学準備金(3万円余)で賄っている」とのこと。
おばあちゃんとデパート行ってピンクのランドセル買ってもらおうって楽しみにしてたのに、強制ダサ赤ランドセルを6年間背負わされたとしたら…。
文具やおもちゃに至っては、たぶんいらないと思う。このデフレの世の中で、いくら施設にいるからって、いまさらそんな日用品欲しいわけがないだろう。
物をあげるのが好きな人は、それが自己満足だという自覚がない。自覚がないからこそ物をあげて満足できるんだろうけど。
そんなに買いたい欲求が強いなら自分のものをいくらでもかえばいいじゃない。
今時、物は、買う時の満足感だけが重要で、そこを他人に奪われた物なんて半分ゴミだよ。物をもらうことは、気に入らない新品を捨てて買い直す罪悪感もらうってことなんだよ。
頼むから、誰が何を必要としてるのかちゃんと確かめてから自己満足して下さい。
あと児童養護施設の人はこの機会に、施設が本当に必要とする継続的な支援の方法を世間に知らせてほしい。
ほかの施設も、児童養護施設だけじゃなくこっちにも助けが必要な人いますよって、アピールしてほしい。
また伊達直人、とニュースが伝えるたび、親と暮らせないうえランドセルまで選べないのか…って傷つく子が一人もいないことを切に切に祈っている。
教職課程の実習で児童養護施設に1週間ほど通ったことがある。わずかな期間だったけど、それでも施設の窮状を端々に感じ取ることがあった。
男の子たちは穴の開いたスニーカーで穴の開いたサッカーボールを追いかけていた。昭和の話じゃないよ、ほんの7~8年前の話。
女の子たちはみんな楽しそうに折り紙をしていた。でもその折り紙が充分になくて、通販のカタログを千切って折り紙として遊んでいたんだ。それが二十歳そこそこの私にはすごくショックで、言葉が出なかった。今考えれば、広告で折り紙することなんて良くあることなんだけどね。
それで、大学のデザイン実習で大量に買わされ、少ししか使わなかった折り紙を子どもたちに差し入れたいと思ったわけだ。けれど、1週間実習でいるだけの私が施しのようなことを、しかも使い残しを渡すことが正しいのかどうか分からず、3日はぐずぐずと躊躇っていた覚えがある。結局は施設の先生に相談して、同級生の分も集めるだけ集めて受け取って頂けた。子どもたちからも対面で御礼を言われたのだけど…そのうち2人の子からは実習が終わるまで口をきいてもらえなくなってしまった。残り物あげるという行為によって、逆に子どもたちと自分の間に、ひどく隔たりを作ってしまったんだ。自分の懐が痛まないから、別世界のことだから、無責任に物をあげることが出来たんだと、猛烈に自分が恥ずかしくなったよ。寄付という行為は、すごく難しい。
あの時、折り紙を渡したことに後悔はしていない。喜んでくれた子もいた。でも自分が恥ずかしいと思ったことも事実で、それは寄付をする上で避けられないことなんだろうと思う。善意だろうと偽善であろうと、大なり小なりのエゴが含まれていることを自覚して、反発も受け入れなくてはいけないんじゃないか。
はじめの伊達直人さんは確かに善意の方が勝っているのだと思う。でも、こうやってマスコミに取り沙汰されるようになると、何かそのうち善意だけではなくなっていくような気がして怖い。既に面白半分の人も出ているようだし。施設としては助かるだろうから流行を妨げるようなことは言えないけど、匿名での寄付ということが何かの逃げになっている面もあるんじゃないかと思う。
「タイガーマスク」善意続々、贈り物全国で : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110110-OYT1T00831.htm
匿名で児童養護施設などに寄付をしている人がいるらしい。記事だけを見ると単純に「良い話だなぁ」と思うのだが、ネット上の意見を見るとその行為自体には否定的な人が多い。何しろ自分も「良い話だ」と思う反面、言葉に出来ない鳥肌が立ってしまったことをここに告白する。何故素直に肯定できないのか。
色々考えたが、一番の理由はその行動自体が不審者的で変質者的だからだろう。
現代では、見返りを望まない善意は、奇異に捉えられてしまうのかもしれない。個人で渡すことにより、逆に妙な噂話を立てられることもある。『何が目的なんだ?』という目を向けられてしまう。何も求めてなんていないのに。ただ、誰かに優しくしたいだけなのに。
匿名で送る一番の理由はたぶんそれだろうが、匿名で送ることにより、その行為自体の不審者性、変質者性はいっそう高まってしまう。
例えばもし家庭にランドセルが匿名で送られてきたら、両親は『ランドセルに精子が塗られているんじゃないだろうか』とか心配してしまうだろう。実際に養護施設に送られてきたランドセルにはそういう痕跡なんてないだろうが。
だからこのタイガーマスク運動というものは、無償で寄付をする代わりに、世間に対して『不審者的、変質者的な『善意』を受け入れることが出来るかどうか』を間接的に問うているのだと思う。タイガーマスク本人にその意識は無かったにしろ、結果的には世間に対してそれを問うている。そして世の中には『受け入れて欲しい』という思いに対して強い拒否感、拒絶感を感じる人がいて、そういう人が否定的になっているんじゃないだろうか。
子供の自殺と、親の抗議について
ここのところ、子供の自殺が相次いでいますが、何れの場合も原因は学校だけが悪いかのような報道となっています。が、原因は本当に学校だけでしょうか。
子供の最大の味方は親だと思います。子供が危機に直面している時に味方になってやれなかった、やらなかった親の責任は学校よりも大きいと思います。
そう思うと、自殺した子供の親が被害者ヅラをして学校に原因究明など抗議している姿を報道などで見ると、自分の責任を他人に転嫁している、責任のなすりつけをしているように見えてしょうがありません。
これでは死んだ子供も浮かばれないと思うのですが、皆さんはどう思われますか?
* はてなブックマーク - 誠 Biz.ID:「新・ぶら下がり社員」症候群:辞めません、でも頑張りません――「新・ぶら下がり社員」現る (1/2)
だから付け加えとかなきゃなんなかったんだって。「そのくせ文句だけはいっちょまえ」
って。
* Twitterに有名人の来店情報を店員が投稿 ウェスティンホテルが謝罪 - ITmedia News
いや、単純に一般人のマスゴミ化ってだけの話でしょ?日頃さんざん批判してる根性が自分らの側にもあったと。そんだけのことじゃん。れでネット住民様が相手のこと暴き返してんだから同じことなんすよね。
* 「何が必要か、事前に施設に問い合わせを」 “タイガーマスク運動”受け、児童養護施設協議会が「お礼とお願い」 - ITmedia News
あ、偽善者たちが一気にシラけたようです。なぜなら客と店員の関係が逆転したから。しかしあれだね。
言い難いことをよく言った、すごい。これで少しは押し付けがましい偽善者(含むスレとか立てるバカ)が手を引くといいなぁと思います。あとほんとに「何が必要か?」と問い合わせを受けた児童福祉施設の職員さんは、身代金まがいの要求をしてやればいいと思います。
「ネットブックを2台贈ろうと思うのですが」
いちいち傷ついてのたうちまわるナイーヴさんたち
あぁそうか、お前が大切にしてるプライベートってあれか。「うすらぼんやりインターネッチョ見てる」
それのことか。
ものの価値が安定してないオタク業界のほうがこえぇっすよ。
つまり、かような少女が実在していたとするならば、懸念される不健全性は存在したということになり、規制を推進している側の読み大当たりってこと。一見に「都が、オトナが自殺に追い込んだ」ような演出だけど、根幹に「自殺の肯定」という意識があるわけです。かつ猪瀬直樹おじさんの「マンガの関係が好きな人は人生行き止まり説」も実証しちゃうという。
* はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「保護者の苦情で不眠症」教諭提訴 保護者「娘に差別」 - 社会
「●●は文化だ」ってほんっと思考停止キーワードだよなぁ、不倫とか。
ほら、「アニメは世界に誇る日本の文化だ」とか喚いてるバカもいっぱいいんじゃん。基本的に「価値を否定されそうになると出てくる断末魔」と考えたほうがいいかもしれない、「文化」ってのは。
で、都条例改正での「アニメは世界に誇る日本の文化」と、阿久根の壁画の「パロディ、パクリは文化」、報道陣に取り囲まれた石田純一は「不倫は文化だ」と。
やはり無力を痛感した人間が嘔吐しちゃうのが「文化」という単語のようだ。なんつぅか「権威権力は文化を理解できていない、俺にはよく判ってる」的なみかん箱の上からの抵抗。
* wikipedia:文化
ただそもそも定義を統一することが困難な概念で、ヒトの歴史の割には意味が曖昧な言葉でもある。よって先に言ったもん勝ちみたいな。ところが「文化が」と言い出したらだいたい負けるパターン。上がったみかん箱ごと片付けられちゃうという。
* はてなブックマーク - 自分のふがいなさに腹立て新幹線で全裸 (スポーツ報知) - Yahoo!ニュース
なんとなく「やっちまった」気持ちは解らなくはないんだけど、公共の場所で「鬱憤晴らし」はやめようね・・・。(;・∀・)
それ、はてなブックマークとか使ってる人は言えた義理じゃないんじゃないかな?すごいな、自分がやってることには自覚が無いのか…。
* アルコール依存症「否認語録」
なんかここまで来ると「萌えキャラ描けば話題になる」感が否めなくなる
今頃気づいた?「話題になる」というか「話題にさせられている」んだと思うけど。広告の制作サイドはそこまで見越してるわけですよ。そっちの筋の人らって異常なほど単純だからいちいち「始まったおほっ!おほこれ始まったおっほ!おっほ!」とかなってくれるじゃん。ほんっとバカかと思うくらい単純じゃん。そっちの筋向けのマーケティングって鼻くそほじりながらでも出来るんだろうなぁって。例の神戸新聞のアレもひどかったじゃん?ただの広告なのに本気で「いけてない理由」をブックマークコメントとかで挙げてたバカがいっぱいいたし。キミらの昆虫並みに悲哀に満ちた習性ってほんっとに利用しやすいんですな。
自分の問題と他人の問題が切り分けられなくなってきたら要注意だよなぁと思う。
でもやっぱアレなんですな。世の中にはちゃんと「克服したい」と思っている人がいるわけですな。そういう人がいる一方で「誰にも迷惑かけてない」とかチンポ勃てながら喚いてるバカがいるかと思うと。
レイデン博士によると、コカインは体外に排出できるが、ポルノ画像は永遠に記憶に残るので、ポルノ依存症はコカイン依存症よりも回復が難しいという。
すごい理屈だ。
* 国民生活センター、“ペニーオークション”のトラブル急増で注意喚起 | RBB TODAY (ブロードバンド、セキュリティのニュース)
これに対して国民生活センターでは、消費者へのアドバイスとして「参加するなら、冷静な判断力を失わないこと」「一度“通貨”を購入すると返金されない」「不審なサイトは利用しない」といった注意を呼びかけている。
あー…呼びかけを足した方がいいんじゃない?「ブログやブックマークコメントで喚いても無駄」
って。そうしないと「喚いてなんかやり遂げた気分に浸るバカが一向に減らない」という問題が何時まで経っても片付かない。もうほんっと勘違いした自警団気取りがどんどん増えてんじゃん。直接何かができるわけでもねぇのに喚くのだけはいっちょまえな。
* 1位 世の中は自分に対して母親のように接してくれるものだと思っていた。
* 2位 すぐ「俺は異端だから」とか言っていた。
* 3位 自分と他人の境界がわからなかった。
* 4位 生産性がほぼゼロに近いことに気づいた。
* 5位 根拠はないけど自信はあった。
* 6位 くさかった。
* 7位 ネットは自分の居場所だと思っていた。
* 9位 すぐ「文化」とか言っていた、よく知らないのに。
* 10位 間違っているのは世の中のほうだと思っていた。
まだいっぱいあるけど?
いやほんと、漫画の話で盛り上がってるだけなら、誰もキミらになんか言おうとも思わんだろうね。それ以外の部分に全く自覚がないという辺りに、なんか気づいてみて欲しいものです。
しっかしほんと。ネットに書いてあることにいちいち傷つく人って大変だよなぁと。
あー
お怒りごもっとも。
でもtwitterでゴネてるだけじゃ何も変わらないのでやはりどっちもどっち。
* はてなブックマーク - Togetter - 「町山さんとサウジと〇〇」
そう?おれはどっちかにならねばならない的な思考の方が恐ろしいなと思った。あとなにより
当事者を交えずしてよく「結論を出そう」という気になるなというのが。何の思い上がりだろう。とまたゲイが「極論の人質」になってた。
つーかさ?
その筋に分かりやすく言うと、ネットの議論というのはしばしば「マリオカート化」するよなぁ。
あれほら、対戦相手をスリップさせたりするアイテムが使えるじゃん?ところが社会的に通用するレース、まぁF1でも競馬でもなんでもいいけど、そういうのにはそんなアイテム絶対出てこないわけじゃん。そのうち走るのが速いとかじゃなくてアイテムを使うのがすごくうまい人みたいなのが出てくる。それがネット議論巧者だったりするわけですよね。
議論とは相手を説得することより、見ている人に共感を生むほうが大事。
とか言っちゃうわけじゃん?そりゃもう「コイン全部集めるのに躍起になる人」ですよ、レースそっちのけだという。
彼らがYoutubeからFacebookまで幅広くネットのサービスを禁止・抑制しているのは、まさにこういったネットワークにそういう力が備わっていることを理解しているからです。
アラブの政変で負けようとしているのは誰なのか? - Chikirinの日記
「そういう力」ってのが「どさくさ紛れの暴動」のことだったらそりゃネットのサービスを禁止・抑制する意味もあるよなぁ。あと彼らがそうやって「ネット上で議論しても何にもならない」のを実証してくれたということでもありますな。
はてなブックマークがTwitterと連携できるようになってからこっち、歪な自己愛に満ちたコメントがかなり増えてて非常に興味深いです。
華麗なる最先端野郎。
shields-pikes 仕事 万人が旧態依然とした「対面コミュニケーション至上主義」組織に入る必要は無い。ネットの力を借りれば、非コミュが成功する道もたくさんある。自分に合ったアウトプット手段を見つけて自発的に動き続ければいい。
* Translators United for Peace - 速報874号 エジプトの若者からのメッセージ
親愛なる世界の皆さんへ、
気持ち悪いなぁ。関係ない人間の良心まで人質にとるなんて卑劣きわまりない。
o no title
そしてばっちり良心を人質にとられたバカかバカ以下の生ゴミの出来そこないどもが大興奮。
うん。
なるほど。西武が何のためにそういう催事に場所を貸すか?ってぇと、来客数の増加を見込んでということになると思うんですよ。それすなわち売上の増加ですよ。催事そのもので収益は上げられないわけじゃん?収益の種としてどっちか強いか?ったら客じゃん?自称サブカル作家は客でもなんでもねぇわけじゃん?そこ天秤にかけてみりゃ自ずと答えが。で、この催事を見に行きたかった人ってのもいるじゃん?「気になる作家がなんか出してる」とかいう理由で。その人らってのは、催事を見たいだけであって百貨店の客じゃない。言うたらパチンコ屋にトイレ借りに来る人と同様。あれは客じゃねぇんですよ。そりゃキミらがその展覧会見に行ってついでに百貨店の上から下までびっちり巡って7~8万くらい使ってくれるんだったら展覧会に充分な効果は認められようが。ところがそんなことはねぇわけですよ。そんなもん自称サブカル浸りなんてのは強烈な貧乏人なんですから。クソの役にも立たない分際風情でしかないっていう自覚くらい持ってみちゃどうだろうか。
このヘンなイベントってそもそも展示期間ってものがあったわけですよね。場所借りてる以上はそうなるんですけども。人様の力借りてる以上、その人様の都合も影響して当然である。ってより、場所借りてなんかやろうって人は足場が固まってないっつーことじゃん。
ったらその程度の分際風情でしかないんですよ。
しっかしなぁ。
大いなる勘違いなのではないか?と。というかその息苦しさの原因は社会にあるのか?という。己の身の丈見誤ってるだけなんじゃないか?と。いやおれは身の丈見誤ってるからいきなり社会が対戦相手になってんじゃねぇの?とか思うんだけど。いやほんと、こういう「己の側にある原因」を疑わないのって、基本的におかしな自己愛に塗れてるからなんでしょうな。
事の善悪よりも、デブがうつむいてフランクフルトみてぇな指で携帯電話のボタンカチカチやって完成させたメールであるというのがまず面白い。しかも全員頭にムック(ポンキッキ)みたいなプロペラついてんですよ。そんな珍奇な生物が器用にメールを。なんかもぅ戦車でいちごのショートケーキを運ぶくらいアンバランス。
だとか。
* http://twitter.com/#!/SeiichiMizuno/status/32704710267899905
「健全な社会」にすべくべくホコリを排除しようと動いた
だとか。
なんか異様に自己肯定感が低いよなぁと。自らが好むものを「不潔」や「ホコリ」サイドにおいて開き直ってる様ってのは。じゃあですよ?そういう展覧会に行って作品見ながら「わーなにこれ汚い」
いうて作家は喜ぶの?
だったら「不快」も褒め言葉になりゃしねぇか?と思うんだけど。んで。いっとくけど汚いものはただ汚いだけですよ。あれじゃん?こないだnoiehoieおじさんが「駅が汚い、どうなってるんだ!」みたいなってたじゃん?あれ?ホコリは排除してしかるべきなんじゃねぇの?じゃあなに?駅員が「アートです」って言い張ったらオッケーなの?
現実に災害で苦しんでる国民がいるのに、それを食べ物を粗末にしたから神様のバチがあたったなんて風にツイートする政治家に怒りを感じてるだけだと思うけど。右も左も関係ない。人間の感覚としてね。
はてなブックマーク - 河上みつえ氏のツイートで炎上。当たり前のことを言ったまでで、謝罪する必要は全くない!?|? 日々坦々
って、沸点低いよなぁと。なんつぅか「とかく世の中息苦しい」みたいなのってその沸点の低さに由来するもんじゃないだろうか?と思える。
処分を決定した人や殺処分した人が、どんな気持ちを抱いて執行したのか想像することすらできない人もいるんだね。悲しいもんだ。
勝手に想像してるだけだしなぁ。それは「山の神様の怒り」を想像してるのと全く同じレベル。この人まさか「おれの想像のほうが現実的」みたいな気分でいるんだろうか。で、「独善的」という批判をしてる声が結構あるんだけど。畜産家という赤の他人様の気持ちを誰も頼んでないのに代弁して他者批判の材料とするのもまた独善的だよな。
自分の欲求を満たすため、他の人々の良心、礼儀、常識、責任感、寛容、ヒューマニズム等、道徳的な信条をとことん利用する。
2:マニピュレーターの特徴
というのがあります。
まぁツイッターに向いている人ってのは社会不適合者ですからね。むしろ「ツイッター向きじゃなくてよかった」と喜ぶのが筋。世の中はツイッターだけで構成されてるわけじゃないんで。ネットで相手してもらったらバンザイ!みたいなチンケな思考を恥じてみるのもまたよしってなもんですよ。
* Togetter - 「【これはひどい】堀江貴文・東浩紀【平和ボケ無知左翼思想お花畑】」
「国防の素人」という批判の声が。
…しかしそれはほぼ全員ではないだろうか。なんでキミたちプロ気取りでいるのかね?まさか日の丸アイコンつけて毎日うすらぼんやりTwitterを眺めているのが「国防のための巡視」かなんかだと?おっとこまぇやなぁ。
結局日本人に使わせると何であろうとすぐ晒しツール化しちゃうんですね。
* はてなブックマーク - 90日以上更新のないはてなダイアリーに、広告を掲載します - はてなダイアリー日記
なんかすーごい嫌がってる人がそれなりに。でもお前の書くエントリなんて広告以下じゃん。アニメの感想とかしか書いてねぇんだから。
エジプトでなんかあるまで出番がなかったこの人のことを思うと泣けてくるんだ。この人のムダ知識がやっと陽の目を見た。家でも学校でも会社でも飲み屋でも今までエジプトの話なんかする機会がなかった。それがやっと。この人は圧政にも反政府デモにも感謝しなきゃならないという。圧政の下、数多くの人々が苦労したり死んじゃってたり。そんな人々の不幸・災難の上にあぐらをかいて、バカが小偉そうにムダ知識を披露して大層ご満悦。
* はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):日本郵便、大量雇い止めへ 非正規数千人規模か - ビジネス・経済
またバカが揃いも揃って何もしやしねぇくせにえっらそーなクチ叩いてんな。ゆうパックいいのにねぇ。ヤマトや佐川が翌々日着の地域でも翌日着だし。だけどおれはそうやって首切られちゃう人になんにもしてあげられないや。だから「それ見たことか」みたいなことを言って何様根性全開になってる↑の連中みたいになれないや。
ちょっと考えてみたいのは
* 2ちゃんねるに執拗な「殺傷予告」 新宿「通り魔事件」は起きなかった (1/2) : J-CASTニュース
これに対し、「2ちゃんねる」には「どうせ釣りだろ?」と疑うものから、「行っても何も出来ずに取り押さえられるだけ」「お前も後悔するがやられた家族と本人と気持ち考えてみろ」「やめておけ ご両親が可哀想だろ」「他人を不幸にまきこむな」などと諭す声も寄せられていた。
というのがどの年代から発せられたのか?はどこも報じないし誰も気にしないよなぁと。
悪いことやってとっつかまって、さておいくつでしたみたいなのが明らかになったのを「これだから●●歳は~」とか言い出すのってなぁ…おれはそういうのって教育科目レベルうんぬんではないと思うんだがね。もっと根幹の授業では習わない部分にあると思うんだがね。いやほんと
「授業で教えればいい」
* NHKスペシャル『無縁社会』に出たニコニコ生放送ユーザーが語る“演出への違和感” - ガジェット通信
なるほどなぁと思った。
あくまでも「遠くにいる友だちとチャットで連絡を取り合える」ことや「見知らぬ人とでもニコニコ生放送を通してコミュニケーションできる」という新しい「ネット縁」がこれまでにない新しい「縁」を生み出しているという点を知ってもらう一助となればということで取材を受けたつもりでした。
<<
そんなものが「新しい縁」だと思い込んでる珍奇な脳みそがまずおかしいよね。NHKとしては"珍奇な見本"として最適のチョイスだったんでしょうな。
私自身、番組のナレーションのトーンや内容がとてもとても暗い感じであることに、たいへん違和感を覚えました。少なくとも私はそこまで悲壮感を抱いて『ニコニコ生放送』で放送はしていないかな、と思います。
逆に悲壮感を抱けないところに問題がある。己の悲愴っぷりに自覚がないというのはかなりのレベルに来てるんじゃないだろうか。ひょっとしたら「自分より下」が存在しているのかと思ってるのかもしれない。残念ながらニコニコ動画のアカウントを取得した時点でもう悲愴まっしぐらである。この時点でもう「それより下はない」と思えなかったそのオツムのつるつる加減。ではその自称新しい縁とやらを取り上げてみよう、お前に何が残る?ってなもんだ。
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「ネットで大盛り上がり=実社会からの隔絶」なんでその自覚がないのです?よしわかった。お前ちょっと交番に押し入ってはしゃいでこい。とっつかまって「仕事は?」って聞かれるや否や「ニコ生主です」って言え。「元増田です」でもいいぞ。まず間違いなく尿検査来るから。
なんか変わってきたな。
でも釈迦になれない。
苦しみまで笑って受け入れれないや。
自害すると決めて少しずつ準備してるくせに孤独感だけはぬぐえないや。
生まれたときから人は孤独だった。
親が居て育ててくれたやつには言われたくはないな。
お前、親がそばに居たじゃん!
お前、親の顔知ってるじゃん!
お前、親の名前知ってるじゃん!
お前、現役で高校出してもらってるじゃん!
(現役世代が高校・大学・専門学校等高等教育機関にに進学するには「親権者の承諾」が無いと幾ら成績が良くてもお金があっても人柄が良くても入れません。
例外は、児童養護施設に居た子供とかではないかな?彼らは後見人とかが許可すれば良いから)
等突っ込みたくなるやつほど私に
「生まれたときから人は孤独だった。」
「生んで育ててくれた親に感謝しなさい」
「高校を大人になってから行ったのは自己責任、何で現役時代にいけなかったの?」
「親が(戸籍と言う紙切れ上だけでも)居るだけ良いじゃん」
私生児ですよ?
うち母親に一回捨てられてますよ?
確かに戸籍上両親居るけれども「うちの苗字を名乗るな」とか平気で顔も見ずに(電話って便利だよねー)言う親ですよ
おまけに育ててくれた祖母がなくなったとき亡骸の前で
「お前が何故あの時お母さんに発見されたのよ!何故素直に死ななかったの!」
「お母さんが早死にをしたのはお前のせいだ」
なんてこと平気で言う。
どの口が言ってるんだよ。と心の中で突っ込みながらおとなしく母親に首絞められていたよ(笑)
思えば祖母が死んでから私は壊れたんだろうね。
頑張ってたんだと思う、祖母が生きてるうちは、其の証拠に祖母がなくなってからの数年の記憶が無い
それと引き換えに幼少のころの嫌な記憶が物凄くよみがえった。
封印して生きていた記憶。
生まれてから、祖母が死ぬまでも孤独だった。
祖母に育ててもらったのかはわからない、だけれども最低限の衣食住は与えてもらって。
一応住民票だってあったわけだ。だからこそ義務教育だけは卒業できたわけだが。
でも孤独だったな。
昼は給食
夜はカップラーメンだった。
それが嫌で自分で作ったっけ。
其のうちしだし弁当になった。
そして祖母の知り合いに犯され、学校や地域では父母が居ないことや性犯罪被害者であることや叔母の精神病で後ろ指指されるる日々。
これから逃げたはずなのに、関東まで逃げたのに、救いってあったのかな。
やっぱりやつらが言うように人間は一人で生まれで一人で死んで孤独なんだなと。
人と話さない日々って自分はもう慣れっこ
寂しいから贅沢だとわかっていてもファミレスとかで一人食事をする。
こんなことでもしてないと社会の中に自分が生きてることが見出せない。
本当は最期、彼氏と暮らしてみたかったな
人が居る生活。
おきたら其処に人がいて「おはよう」って言ってくれる生活してみたかった。