ゲームの世界や都合の良い異世界に転移・転生するみたいなラノベあるじゃないですか
そういう主人公を羨める気持ちって悪くないことだったんだなっていまになって思うんですよ
だってそれって、環境が変われば自分は幸せな生活を送ることができるっていう希望を、捨て切ってないとも考えられるじゃないですか
良い方向に変わった自分を自分として認識できるだけ、自分の可能性を信じているとも考えられるじゃないですか……考えすぎですかね?
翻って自分について考えてみたら、空虚で鈍色の過去に蓋しながら、怠惰でコミュ障な自分を自分として受け入れざるをえない生活を続けていて
逃げずに自分と向き合って現実的に折り合いをつけてやっていかないと、これはもうだめかもわからんねとなってしまったわけですよ
圧倒的な知識や暴力や行動力を得る自分を想像できないし、盲目的に好いてくれる異性がいたとしてお互い幸せに過ごす生活も想像できないわけですよ
でもそういう自分に対する根拠のない自信とか、一見実現不可能に思えるような妄想だって、人生を前向きに楽しく生きていくための一要素だったように思うんですよ
自分は自分の人生にせよ他人の人生にせよ若戻ってやり直すとか上々にこなせる気がせんし、突然物語の主人公になるような人生の激変にもついていける気がせんのですよ
仮にいま自分が億万長者になったとして、負の感情を覚える機会は激減するだろうけれど、じゃあ楽しい幸せな人生を送れるかというと、そんな想像できなくなってしまったわけですよ