はてなキーワード: 撹乱要因とは
例えば、ドラクエ1の容量は64KB
つまり、64KBもあれば、曖昧な形でぼやかした一つのストーリーは盛り込めるということだ。
DNAの容量はおおよそ800MBという。
また、カルガモは生まれてすぐ生まれた時にすぐ近くに動くものがあればついていく。それから、無意識に恐ろしいと思うものがある。異性の性器は見る前から興奮する。
これは先祖がこれは恐ろしい、好ましいと思ったことを受け継いでいるのではないかと。
つまり、先祖が感じたことは一定遺伝子に乗って今の代に生きているのではないかと。
それから、一卵性双生児は趣味嗜好が似るということも間接的にこれを示唆している。一卵性双生児は受精卵の段階では完全に親からのデータは同じものだからね。
胎児の夢という仮説がある。もともとはドグラ・マグラという小説の中にある架空の論文である。
ヘッケルの反復説という説をもとに拡張したもので、生物はすべて受精卵から育つまでにそれまでの進化の歴史を反復するというものだ。
もちろん立証する方法はない。
あえて言うのなら、親が子供を作るまでの経験が子供に活かされるか?という立証だが、撹乱要因が多すぎて科学的立証までに至らないだろう。
やるとすれば、非常に世代のワンサイクルが短い生物(例えばハエとか)について、片方には特定のストレス(音を鳴らすとその直後に弱い毒ガスが撒かれるとか)、もう片方にはそれがない。
という試行を、何十世代も繰り返した後、とある世代で、その代では音の直後に毒ガスを流さないでその音を流して比較するとストレスの物質はどうなるか?
なんて実験をしたら行けるかもと思う。
時間と手間がかかるし、僕は生物の専門家ではないので、僕自身もできない。
わかったところでメリットないどころか優生学に使われかねないので倫理的に否定されそう。
金もってって来れなさそうな割には時間がかかるのでカネがかかる。
そう考えると、「魂」と呼ぶものは、自分の生まれるまでの親、祖父母、その他の祖先の感じた経験などが無意識下で合わさったものではないかと考える。
自分の判断で決めたらいいよ。付け加えるのなら、科学とは、一般化と検証可能性が大事。
だけど、要素が多く絡むものほど一般化が困難、かつ、撹乱要因が多いため明確な結果が出にくくなるということがある。
人体や、社会についてはとくにそうだ。とくに、経済学なんか、金が絡んでいるため、論文になってるようなものだって怪しい話はいっぱいある。
だから、批判も加えられる。批判も共に見て結局判断するのは自分自身。
「○○は危ない」みたいに批判の方がおかしいことだってあるのだし。
あと、似非科学にも、「どちらともなんとも言えないもの」「有害なもの」とがある。
健康に良い影響。というのはなかなかデータを出すのが難しい。上記撹乱要因は人体はとても多いから。
だから、信頼度によってのランク付けの指標もある。根拠に基づいた医療で示されてるが、この最高ランクなんてのはまあ、よっぽどの大企業が投資する価値がないとデータ自体が取れないね。
「新しい診断検査とgold standardとされる検査とを同時に行い、ブラインド(他方の検査結果を知らせない)で検査の特性(感度と特異度、ROC曲線)を評価」
「対象者数が200人以上、平均(あるいはメディアン)追跡期間が5年以上、脱落率10%未満」
を兼ね揃えたようなもの。
むしろ、このへんの試験を要求されるからこそ、新薬の値段がべらぼうに上がってるという側面もある。医療保険を使う以上やむなしとこだが。
だが、日常生活なら「どちらともなんとも言えないようなもの」ぐらいだったら別に科学をそこまで気にすること無いよ。それより自分自身の感覚が大事。
ついでに、詐欺の手口について頭に入れとくと良いのもある。
「有害なもの(高価に対して異常な高額を要求される)」はさすがにやめさせたほうがいいが。宗教だって、霊感商法は絶対やめさせるべきもの。
科学主義というのは「仮説がある」「検証がある」「有意な結果がある」の3点整ってないとならんからね。
けど、その間に撹乱要因がある。
だから、物理、科学あたりの自然科学なら大分科学は強いんだけど、
経済学を含めた、社会科学、医学だと撹乱要因が多すぎて、厳密な有意な結果が出るのが困難か、べらぼうに費用がかかる。
まあ、物理だって、原子の動きをシミュレーションできるのはせいぜい数百個程度の話であって、
それ以上になると、絶対近似が入る。
有意な結果も微妙なライン上の基では数を増やして対応しないとならないんだけど、そうすると、仮説の方で、標準化を派手にかけてやらんとならない。
医学は人体の安全があるから、金をかけてでも二重盲検とかやって対応する。けど、薬なら二重盲検できるけど、手技的なものはできない。
まあ、そのあたりの科学主義の限界があるから、どうしても医学は薬偏重になるんだよね。あるいは、べらぼうな効果がある手技に中心になるか。
ちょっと健康にいいかもしれない食材なんてものは似非科学の烙印をはられがち。安いものなら自分がやって効果があると思えばそれでいいと僕は思うけどね。
だけど、経済学あたりはもう怪しい近似がいっぱいだよ?
しかも、ビーカーは国全体で一つだ。
さらに、金かけれんから、まともな検証もしてないのもいっぱいだ。
とすると、過去の知識の蓄積を大量に学んで、その中での試行錯誤していくしかないんだよね。
失敗したモデルは失敗したと認めないとならない。
共産主義の失敗の本質は官僚主義と、トップの自己愛/権力欲だと思う。
けど、こんな数式化できないものをモデルに入れてなんてできないよ。せいぜい「自己愛・権力欲で暴走する懸念があるから、それをなくす枠組みを作る」
ぐらいしかできない。
科学的検証というのは、ニュートン、ガリレオが発端という事は、
それ以前のものは「誰かが正しいと言った」というものでしかないよ。全部。
ただ、それ以前から効用があると言われたものについて、科学的検証を加えられて、実効があったと誰かが論文で発表したものを、
論文も読んでない俺らみたいな第三者が、おう科学的と言ってるだけ。
瞑想、マインドフルネスも、脳を直にスキャンできるようになってみて、脳への変質があったから、ああやっぱり効果があったんだというのが明らかになってきただけ。
科学は単に科学的検証を踏まえた上で、有意と言えるようなものだけ拾ってきただけだけども、あまりに撹乱が多すぎるからなかなか検証がムズイ。
心理関係は科学じゃないと言い出す奴もいる。まあ、半分はわからないでもないけど、科学的検証って所詮その程度でしかないってこと。