はてなキーワード: 自由意思とは
あくまで法思想界隈の考えですが、人間に自由意思があるかどうかという議論はひとまず置いておくとして、
自由意思があるということにしないと有効な契約が結べないので、人間には自由意思がある「ということ」にしよう、というのが通念的な考え方です。
でも、すべてが自由意思で片付けられちゃうと社会に混乱が生じるので、未成年や知的障碍者、詐欺の被害者なんかは一定の救済措置をしておこう、という感じ。
AV強要問題に関してはまさにグレーゾーンで、契約としては明らかに有効だけど、「強迫下における意思表示」の概念を適用して救済しようかどうしようかってところかな。
椅子ができた歴史と人間や有機生命体が無機質と違い自由意思決定と自由選択を所持しているという結果になるまでのチャートがビッグバンとして
ビッグバンを求めた世界は何を理由にビッグバンを発生させたのか
もし理由なく事象、エネルギーや質量が発生する世界が基準となる世界だったとしても
ではその世界そのものが誰の要求にこたえているのかという話になる
そうなると馬鹿馬鹿しいけれども神という絶対普遍的な存在が基準にあってその者の要求のためにこの世界が存在し
宇宙が無かったら誰が困るのかという話
どうして?どうしてパパ?というどうして子どもになればなるほど
宇宙と世界の必要性が誰によって求められているのかという確認が続いていく
ビッグバンも必要ないしビッグバンの前段階のゆらぎの世界も必要ないし
自由意思論の議論に関係なく、結局刑法解釈は裁判官の「常識」で決まっちゃうからなぁ。
http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/law-school/chukyolawyer/data/vol004/maeda.pdf
これなんか面白い。
自分自身「強引に頼み込んで」と書いておいて、彼女の自由意思だとか開き直るのは後から訴えられた押し売りの言い訳みたいでみっともないですねえ。脅迫圧迫で不要なゴミ商品を押し付けるのは市場原理じゃないのにね。
あと「彼女」とのことを「数回」とかカウントするのも不気味ですねえ。なんだよ「数回」って。使用回数か? そういう「自由恋愛」ならその手の店にお金払って「自由に」やるほうがいいんじゃないですかねえ。増田の好きな「真実の愛」とかそこで見つかるんじゃないですかねえ。
あんた自分が逆のことされたらどうせ逆上して相手を殺しかねないような輩のくせに、それでよく自分のしたことを「仕方ない」とか思えるもんですねえ。「そんなことない、オレは正々堂々と向き合うよ」とかどうせ口では言うだろうけど全く信用できませんなあ。だって反省してないもの。
やはり何かがまずかったようだ。おれのせいかもしれない。
だけど、しょうがないんだよ。
YA・HA・RI!wwwwwwwww お前のせいだよアホ100%。人の心をそんだけ踏みにじって「おれのせい『かも』」じゃねえよ。『何か』がまずい、って、一から十までまずいとこしかねえよ!
お前は一生同じこと繰り返して口先だけ反省めいたこと言いながら「だけど、しょうがないんだよ男と女は~」とか古えの演歌みたいなこと言いながら、ボロでクソみたいな人生を這いずり回って生きてそのうち誰からも嫌われて見放されてやがて行き場なく糞尿垂れ流して見捨てられてどぶの中に突き落とされ汚水にまみれてウジに体を蝕まれながら「なんでなんで」「おれのせい?だけどしょうがないんだよ」と呟きながら神様を恨みながら死んでいくんだろうな。神様のせいにすんなよ100%明々白々にお前が悪いよ。
彼女は増田のものじゃない。彼女は増田と結婚していたわけじゃない。
彼女はフリーの立場なんだ。だから、彼女が増田とおれのどっちを取ろうが、それは彼女の自由だ。
つまり、彼女は二股をかけていた。決して増田の妻ではなかった。
あんたは勘違いしている。彼女を増田の妻だと思い込んでいる。なるほど、妻なら、彼女が他の男と寝るのは罪だ。
しかし、彼女はフリーなんだから、彼女がおれと交際しても寝たとしても、まったく問題ない。それは彼女の自由意思だ。
女の自由意思を縛り付けて、結婚してもいないうちに恋愛を縛ろうとするなんて、あんたは相当の勘違い男だな。
いいか。男と女は、結婚しないうちは、自由恋愛なんだ。心が揺れて、元彼とよりを戻して、恋愛したとしても、それはまったく罪でない。
そもそも、彼女はおれと結婚するべきだったんだよ。そうすれば、何もかもハッピーエンドになっていたはずなんだ。増田って、きっぱりと諦めが付いたはずだ。彼女に責任があるとしたら、おれとよりを戻したことじゃない。おれと結婚しなかったことだよ。増田は関係ない。
これはあくまでも一つの可能性だし、私の勝手な憶測で書いていくが、あの事件は拡大自殺なのではないか。
植松容疑者が措置入院していたということは、精神障害なり精神病があったと医者から診断されたわけだ。そのとき彼は何を思っただろうか。
「障害者は死んだほうがいい」という思想を貫徹するためには、まず自分自身が死ななければならないのだ。彼は「それならば死刑になって死んでやる!」と考え、その自殺願望が犯行動機になったのかもしれない。
ところで、話はすこしズレてしまうが、政府の対策会議では再発防止策に「措置入院の見直し」が挙げられている。これは安倍首相がじきじきに提言していたし、読売新聞も社説でそのような主張をしていた。
私は見直しの是非について論じることはできないが、「措置入院をさせられたことこそが犯行動機だったのでは?」という可能性を思い浮かべてしまった。
措置入院は、確かにやむをえない処置ではあるかもしれない。けれども、犯罪をやりそうな者を予防拘禁するという部分もある。あれがまちがいなく人権制限であり、それを受ける側にとっては大きな負担だということを忘れてはならない。
昔の時代みたいに精神病院の環境が極めて劣悪だったり、患者への虐待が横行しているというようなことは、現代ではさすがに減ったと思う。しかし、監視カメラつきの病室に24時間施錠されて閉じ込められること、そして強制的に治療をされるということが当人にとっては苦痛以外の何物でもないであろう。そのような経験をした人が何を考えるかと言えば、それが原因となってかえって社会への絶望と憎しみを募らせることだってありえるのだ。
また、「措置入院」というのがスティグマになっている可能性もある。措置入院の過去がある人に対して社会は偏見を向けるが、植松容疑者もその偏見を信じこんで、「俺はどうせキチガイだし人間失格なんだ」という自暴自棄な気持ちになったかもしれない。(彼はもとから障害者差別をする傾向をもっていたのだから、それがめぐりめぐって自分自身に向くことも容易だったであろう)
今となっては結果論でしか語ることはできないが、もし措置入院ではなく、大麻所持、殺人予告などでさっさと逮捕し、それを刑事事件として粛々と処罰しておけばどうだったろうかと想像してみたい。
そしてそれと同時に、精神科やカウンセリングの受診の方はもうすこし本人の自由意思を尊重し、措置入院のような絶対強制とは違った形でやらせていたらどうだったろうか?
その場合、上述のような問題は発生しないから、植松容疑者があのような凶行に及ぶことを抑制できたかもしれない。
機関車トーマスとは機関車に顔があり人間と会話もできる機関車のお話だが、たまに捨てられた機関車が出てくる。
例えば日本から来たヒロはかつて鉄道の英雄と呼ばれていたが故障をし、修理を待っていたが治されないまま森に打ち捨てられていた。
機関車が馬に引かれていた時代から走っていたスティーブンもスクラップ同然で放置されていた。
彼等は気が遠くなる時間を捨てられて過ごしていたのに人を一切恨まず働けることを喜んでいる。
ジェームスがスクラップ工場に行くことをぼやいていたら「本当にひどいわ、あなたまだ役に立つ仕事ができそうなのにスクラップなんて!」と言われるシーンもあった。
顔があり会話も出来て感情も豊かな機関車達に、放置やスクラップが出来るあの世界の人間って何だろう。
あと機関車にはそれぞれ運転手が乗っているがいつも機関車の自由意思で動いているのは何だろう、トンネルに生き埋めになった場面ですら運転手は無表情で冷静だ、彼等は機関車より人間らしくなくて恐い。
下の記事を覗いて気づいたんだけど、ヤクザの入れ墨以上に気持ち悪いと感じた。
映ってる人には悪いが、個人的に蓮画像に類するグロ画像だと思うので、見るときはご注意ください。
http://blog.kaerucloud.com/entry/tattoo-wedding
なんでそう感じるのだろうと思ったら、カジュアルに自傷行為を誇示しているように見えるからだと気付いた。
体に意図的に刃を入れて傷を作り、その傷を着色する行為って文化的な下地がなければ、
全身をリストカットして意図的に傷を悪化させて傷跡を見せびらかすようなサイコな行為だよ。
そういう文化圏があることは尊重すべきだろうし、今は凄く安全になってるんだろうけど、
それを見た者が本能的にギョッとさせられるのは仕方ないと思う。
自分の中では気持ち悪いと感じる理由として納得感あるんだけど不当な考えだろうか?
反差別主義者を名乗る者ならギョッとするのを理性で抑えて対話しなければならないんだろうけど、
か弱い普通の人々はそこまで興味も正義感も無いし、そういうことを意識することすらないよね。
ハンセン病患者差別とか各種の人種差別とか、仕方ない理由による見た目で
不当な扱いを受けないように政府が啓蒙しなければならないのは当然だとおもうんだけど、
自由意思で他人をギョッとさせる表現をしている者がそれなりの扱いを受けるのは、正直まあ納得感ある。
入れ墨許容文化圏の人が軽い気持ちで入れ墨入れて、日本旅行に来て嫌な思いをするのは可哀想だと思う。
だからと言って気持ち悪いと感じているところに文化の押し付けされるのは納得いかない。
相互理解のために外国の文化はそういうものだと周知するのは良いことだけどね。
でもやっぱりギョッとするのでできればあまり見たくないと思う。そのうち見慣れて気にならなくなるんだろうか?
上の画像付き記事の反応に対して他の人がツッコミ入れてたみたいなので少し。
タトゥーに対する偏見や差別だけでギャアギャアいってる人達に思うこと
http://gem205.hatenablog.com/entry/2016/03/27/051820
「【タトゥーが嫌いな人へ】これを見て何を思いますか?」なんて記事を上げたら率直過ぎるコメントも来るでしょうよ。
普通はグロ画像見せられたと思ったら、黙ってブラウザバックする。わざわざコメント残してくれるとかやさしいとすら言える。
そういう一言コメントをピックアップして、たくさんの言葉で囲んで批判するのはあんまりフェアじゃない。
それに本人ともっと深く話し合おうとせずに一方的に他人を精神分析して攻撃するのは、問題の解決にはなにもつながらないでしょう。
まあ、ネット上でグロ画像見せられたと思った人を捕まえて、理由を聞き出すのはとても困難なので仕方ない面もあるんでしょうけども。
http://anond.hatelabo.jp/20160202020042
まず何より先に増田がやるべきことは、その罪悪感をなくすことだよ。
これだけは断言できる。
ロボットと同じように、プログラミングされたとおりに動いてるだけなのに
脳がそう錯覚させてるだけなんだけどね。
そんな実験を持ち出すまでもなく、普通に考えれば当たり前のことなんだよ。
でだ。それを踏まえた上での話なんだけど
増田は今とても苦しいんだよね。
でもその苦しみって、半分以上が罪悪感で構成されてるんだよ。
だから罪悪感さえなくしてしまえば、実はそんなに苦しくないんだ。
そして罪悪感など感じる必要がないのは先に述べたとおり。
相変わらず部屋は散らかってるけどねw
大体の論点がここに書いてある。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/546/085546_hanrei.pdf
前提としてだけど、別姓を認めない民法が間違っているっていう訴訟ね。
以下意訳
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姓のアイデンティティについて
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1.姓(氏)は社会の識別記号なので、そもそも完全に個人の自由になるという考えは間違いだよ
2.ただし、姓(氏)がアイデンティティであることは間違いないよ、強制的に変更されることがあってはならないよ
3.結婚の時に1.3どちらが優先するかというと1が優先するよ。そもそも完全に自由になるものじゃないからね。
→結婚するかしないかは本人の選択ということで強制ではないよ。
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男女平等について
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1.女性が変えなければいけないという決まりはないので男女平等の法律だよ
2.ただし、圧倒的に女性が変更することが多い現状で、本当に自由意思で
選択できているかは疑問が残るよ
3.それを勘案しても、法律のせいで男女平等を阻害しているとまでは言えないよ
2が男女に差が出ている原因なのか結果なのかと言えば、結果と考えるよ
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以上が最高裁の判決。上記でも分かるように夫婦別姓の争点はアイデンティティと
男女平等であって実害(キャリアが途切れる)とかそういう話ではない。
なぜなら実害は夫婦別姓以外の方法のほうがはるかに簡単に解決できるから
究極的に考えて、ヒトの個体そのものの存在意義というものは存在しないんだよ。
集団単位なら存在意義というものは存在するけれど、個体単位で存在意義というものは存在しない。
誰がどのピースを埋めるのか、という差異しか大多数の個々人の個体差には存在しないのだけれど、
自分が持っていると思っている意思は、集団の形質的継承によりもたらされたいわば集団意思であって、
意思形成は自分の自由意思によって行われているものではないはず。
神というものは存在しない。しかし、神という架空概念が、人々の集団生活を円満かつ円滑に
進めるための潤滑油になっていることは確かで、そういう背景を踏まえれば、
神という概念を踏まえさせるために、神が信仰されているという現実が横行していると考えるのなら、
なぜ神という非科学的架空概念が科学的思考が蔓延している現代においても信仰されているのかという
問に対しては解答が得られたのではないかと思う。
統合失調症は陰性期が非常に辛い。陽性状態の時はいろんな幻覚や妄想が襲ってきて非常な恐怖と何かが亢進しているような状態を味わっている、時に多幸感が多発していた時もあったが、自分で把握できない事象が多く訪れる。それらは脳内物質が過剰である状態ではあるがあまり楽しくないことが多い。しかも、過剰すぎる脳内物質が自分の脳を壊していく。そうして受容体はぼろんぼろんいなった時に産生物質が枯渇しだす。産生もしないし受容体もブッ潰れている。そうして、訪れない回復を待つ。ガイドを見ても、うつ病の場合は正常値まで戻るのだが統合失調症はぼかされている。ああ残念。ぼくたちは正常には戻れないのであった。このような判断ができるころには、劣ってしまった自分だけが残るのだ。ああ。つらい。しかし、我らには守るべきものは少ししか残っていない。めちゃくちゃな生活を送ってきたから。どうせ早死にする。なら、太く生きよう。力強く。そんな感じでまた、お薬をせっせせっせと飲む暮らしが始まる。そうはいっても、これがないととうに死ぬタイミングはいっぱいあった。薬で生かされているわけではない。ここには自由意思がある。
基本的に、これまで僕は匿名で文章を書くということをしてこなかった。
パソコン通信にしろブログにしろmixiにしろTwitterにしろ、誰かと議論したり何かを主張したりするときは、常に素性をオープンにし続けてきた。腰をすえて議論する気もなく匿名で書き逃げするような連中に、僕自身、さんざん苦しめられてきたから、同じようにはなるまいと思っていたのである。
それがSF小説の批判だったらなおのこと。自分の愛するジャンルであるからこそ、逃げも隠れもせず持論を述べ、反論を迎え撃つ――それが本来の筋だと思う。
しかし今回は、自分の名前を出して発言するのはあまりにリスクが大きいと判断して、不本意ながらこういう形を取らせてもらった。実は匿名で書くことにすら尻込みを感じている。
なぜなら僕が今から批判しようとしているのは熱狂的なファンを多くもつ作家――伊藤計劃氏の作品だからだ。
2009年に亡くなった伊藤計劃氏だが、いまだにSFマガジンで特集が組まれたり、映画が3作も公開されたりで、その人気はとどまるところを知らない。
僕が始めて読んだ氏の作品は、『虐殺器官』だった。新人のデビュー作ながらその年の、SFが読みたい! の1位を取ったというので、期待をもって読み始めたのだ。
しかし、あまり感心しなかった。なぜなら作中のメインアイデアである「虐殺の文法」というものが、言語SFの歴史の中ではさほど捻ったものではなく、更に2005年に別の日本人作家が発表した短編とも酷似している。プロットの方も、ミイラ取りがミイラになってしまったというありふれたもの、逃げのようなもので、短編ならともかく、長編としてはガッカリするような結末だった。だもんで、個人的には年度ベスト1位を取るほどの作品とは思えなかった。
年刊日本SF傑作選『虚構機関』に収録されている「The Indifference Engine」をたまたま読んだ時も、僕の評価は覆らなかった。
舞台を紛争地に置き換えてはいるものの、アイデアから構成からテッド・チャン「顔の美醜について」にそっくりで、決して独創的とは思えなかったのだ(余談だが、「顔の美醜について」は、世間で変に高評価されている「あなたの人生の物語」よりもよほど構成のちゃんとした、優れたSFだと思う)
出版されるSF作品の数も、世間のSFファンの数も膨大なので、僕が好きではない作品や、アイデアが目新しいとも思えない作品が、評価されたりランキングの上位にのぼることもある。とはいえ、趣味に合わない作家を追い続けるのもあまり建設的ではないので、僕はその後、伊藤氏の作品をずっと読んでこなかった。
だから、もしかしたら永久に他の作品を手に取ることもなかったかも知れない――
2014年に、伊藤氏の『ハーモニー』が、日本SF長編部門オールタイムベスト1位を取らなければ。
いくら避けてきたとはいえ、傑作『百億の昼と千億の夜』の牙城を、2000年代に発表された作品が崩したとなれば、さすがに読んで確かめざるを得なかった。
大きな戦争のあと、生命至上主義によって、医療技術が高度に発達した世界。
人間は16歳になると健康管理用のナノマシン群「WatchMe」を体内にインストールし、その恒常性と健康を、常にモニタリングされる。
健康に生きることを強いる社会に反逆するため、御冷ミァハ、霧慧トァン、零下堂キアンの3人の少女は、餓死による自殺を試みるが、失敗した。
その十数年後、ミァハは、新たな目的をもって暗躍をはじめ、その結果、トァンの目の前でキアンが犠牲になる。
ミァハの願いは、Watchmeに組み込まれていた自意識喪失プログラム「ハーモニクス」を発動させ、人間たちの意識を奪うことだった。
最終的に、ミァハはトァンに殺害されるが、ミァハの計画は実現し、全人類がハーモニクスされた結果、そこには誰もが意思を持たない完全に調和がとれた世界が誕生する……。
この結末を読んで、僕はひっくり返った。
ちょっと待て、「ハーモニクス」できるのは、WatchMeを体内にインストールしている人間だけじゃなかったのか!?
確か作中では、人々がWatchMeをインストールしていない地域のことも書かれていたはずだ。
そして何より――子どもたちのことはどうなったんだ?
16歳未満の子どもには、WatchMeがインストールされていない。WatchMeを入れられたくないからこそ、ミァハたちは16歳になる前に心中しようとしたはずだ。
つまり、16歳未満の子どもはハーモニクスすることが物理的に不可能である。
にもかかわらず、エピローグでは、全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている。作中の設定どおりなら、こんなことはあり得ないのだ。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
だいたい、ミァハの目的については、健康な世界に苦しむ、「意識」ある子どもの自殺をなくす、というのも書かれていたはずだ。
にもかかわらず、彼女の行動で出来上がったのは、「先進国の大人だけが意識を失い、先進国の子どもたちや、一部地域の人間は意識を保ったままである世界」だ。 子どもの自殺はなくならないだろう。出発点と正反対だし、エピローグの、全人類が意識を失った調和の取れた世界、という光景は有り得ない。はっきり言って無茶苦茶である。
そう、『ハーモニー』という長編は、その評判とは裏腹に――完全に破綻しているのだ。
作家というのも一人の人間である。あまりに大きなミスとはいえ、病床の伊藤氏が見落としてしまったのも仕方ないのかもしれない。
情けないのは早川書房だ。自分で書いたものをそのまま世に出してしまえる同人誌と違って、商業出版には校正という作業が存在する。誤字や誤植のほか、作中の矛盾などを指摘して、作者に修正を促す大事な行程だ。 『ハーモニー』のこの矛盾は、プロット自体を完全に崩壊させる、校正が厳格な出版社だったら絶対に許さないようなミスだ。これが講談社や新潮社のように校正がしっかりしている出版社だったら、こんな欠陥を抱えたまま作品が世に出ることはなく、伊藤氏も、恥をさらさずに済んだだろう。
それに輪を掛けて情けないのがSFファン。
けれど、その作品のプロットや構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデアの好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。
ちなみに、僕は『ハーモニー』のアイデアも独創的だとは思わない。
ユートピアを追求したら自由意思の存在しないディストピアになってしまったという結末は、星新一や、アシモフの代表作のほか枚挙にいとまがないし、クラークの某長編をはじめとする「人類補完もの」のバリエーションのひとつとも読める。 また、ラスト以降の世界が、「自由意思を失った大人が、自由意思をもった子どもたちと暮らしており、子供も大人になると自由意思を失うことになる」、というものであれば、ほぼ、『キノの旅』1巻の重要エピソードである「大人の国」と同じ世界になる。
ともあれ、これほどまでに構成の破綻した作品を日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。
考えてみて欲しい。SFというジャンルに興味を持ってくれた人が、こういうランキングを参考にして、まず第1位の作品から読み出したとき、「SFって、こんなにいい加減なプロットの作品を評価しているんだ」と失望してしまったら? 「SFなんて適当な構成でも許されてしまう、低レベルな小説ジャンルなんだ」と思ってしまったら?
それはきっと、SF作家たちとジャンルにとって大きなダメージになるだろう。
この文章を書いている途中で、僕は奇妙なことに気づいた。
SFマガジンのような活字媒体と違って、WEB上では、この大きな穴について言及している感想もぽつぽつ見かける。だが、そういうミスを指摘できているのは、SF作家やSFライター、SF評論家ではなく、ごく一般の読書ブログをつけているような人、「SF界とは繋がりが薄そうな人」ばかりなのだ。
そこでふと思い至った。
いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。
みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?
あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから、批判するのは忍びないと感じているのではないか?
だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。みんなで持ち上げるうちに引っ込みがつかなくなって、誰かが声を上げるのを待っている。童話と違うのは、誰ひとり「王様は裸だ!」と言う勇気がなくて、とてつもない歪みが生じていることだ。
僕は、この歪みが決定的な打撃をもたらすのは、『ハーモニー』の映画公開時だと睨んでいる。「夭逝の天才が残した傑作SF」の評判を聞き付けて、SFファンや伊藤氏のファン以外にも、たくさんの観客が訪れるだろう。その時、プロットがぐちゃぐちゃに壊れているのを発見した観客たちによって、「さよならジュピター」なみの珍作として扱われることになるのではないか。
誤解しないで欲しい。僕は何も、伊藤氏の人格を貶めようとしている訳ではないし、『ハーモニー』を賞賛するのはやめよう、と言っているわけでもない。
ただ、彼の作品を持ち上げようとするために、SF読者、それもジャンルにどっぷりつかっているような人間たちが、構成上の欠陥に対して目をつぶり、盲目的になってしまうのは、SFの未来を考える上で、間違っている、と主張したいのだ。もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的な好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。 僕だって、出来は悪いけど好きだと胸を張って言えるSF作品は沢山ある。
たとえ何年か後、オールタイムベストの上位から滑り落ちたとしても、今のように、宗教的で無批判な礼賛ではなく、伊藤氏のファンが「こういう風に壊れている部分もあるけれど、好きな部分もある」という主張を大っぴらにできるようになったら、その時はじめて、『ハーモニー』は、正当な評価を受けられるのではないか、それこそが伊藤氏のためになるのではないか――僕はそう信じる。
やぁやぁ、どうもお疲れさま。
narwhal 妊婦なんかどうでもいい。転部準備がんばれ。増田は増田のために生きればいい。
koiyaro 「これからかわいい笑顔に出会える幸せいっぱいのお前が、おれみたいな生まれてこのかた女っけのないブサイククズ野郎に席を譲られるなんて屈辱だろ?」
って思いながら上から目線で席を譲るといいよ。おれみたいに。
d-ff コンビニ女店員が釣銭を投げ落とさないだけで幸福を感じる男になろう。特権は妊娠中に電車に乗らないとか、多大なガソリン生活を享受しながら石油危機だと経済的徴兵を進める連中だと考え、リヴ・タイラーを愛そう。
kutabirehateko 生病老死のサイクルのひとつじゃなくてステイタスみたいに思っているんだね。その考え方だとてっぺんにいけない限りずっとみじめだよ。
Nihonjin 完全に乗り遅れた。/「勃起したら席を譲る」というのは、ルールとして面白いかもしれない。
saavedra 妊婦や老人にはよく席は譲っているが、それはそういう人物が目の前にいるとある種の圧迫感を感じてしまうからで、善意からではない。
hidex7777 全人類が敵に回ってもぼくは増田の味方をする。
kyousuke104 他人に優しさを要求する行為自体がすでに優しくない。他人に優しくすることはマナーであってルールではない。
ルール(特に法律)は人を強要することがあるが、マナーは強要すると不幸になる。
tomiyai 優しくする必要はない。内心どう思っていようと実際に攻撃しなければ何も問題ない。
そもそもマタニティマークは優しくされるためにつけてるんじゃないっていう話なわけだし。
siomaruko 世の大半は自分が好感を持てる相手にのみ優しい。妊婦は弱者だからではなく「おめでた」が道徳的に好感を抱く事象だから気遣われている。
気持ちいい事や相手しか視野に入れない偽善者ほど増田を毛嫌いするんだろうな
kanenooto7248 キャプテンルサンチマン。文句をいうのは「優しくない社会」であって、「妊婦」ではないよね。
なんというか、障害を抱えた人間の中二病みたいなもので、精神障害者の俺にはよく分かる。
kuroihikari ブコメ欄に理解のない意見もあって悲しくなるが、俺はおまえを全力で応援したい。がんばって生きてくれ。
wdnsdy とりあえず増田は文章を読む限りでは、他人に席を譲れるほど心身共に健康な状態であるとは言いがたいから、別に無理に譲る必要はないと思う。
席を立つことができないほど傷ついてるんだし(心が)
toksato 他人に優しくするには、自分でいっぱいいっぱいになってちゃできないってだけの話。
この人はだから優しくできない。でもそうなったのにも原因があるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんなのわからない。
ahomakotom 女の子が大好きで優しくしているのに、ただただ傷つけられる日常がここにある。
aniram-czech そういうふうに考えてしまう気持ちはわからなくはないので、そういうふうに考えなくて済む方法はなんかないのかと考えてしまう。
zyzy 不細工に優しくないのはこの人であって、妊婦じゃないよね、というシンプルな話。
要は自分の行動がくずなのを、容姿のせいにした結果、自縄自縛に陥ったというね。しかもそれを回りに撒き散らすんだから既に加害者だ
toronei 露悪的なことを賞賛すると、知的快感をもたらすアドレナリンみたいなのが出るってやっぱり本当なんかなあと思うわ。
sdtrd こじらせて世の中を憎悪する人はどうしたって一定数いる。犯罪にさえ走らなきゃまあ別にいいんじゃね。
でも呪詛を撒き散らしても本人含め誰も得しないと思うよ。溜め込むのも良くないけど発散するなら適切に。
citron_908 これ妊婦案件じゃなくて非モテ案件だよね / 一昔前の喪男板まとめの「夏の葬列」を思い出したのってもしかして自分だけ?時は流れた
houjiT 筆者が優しさを希求してるなら考慮するが、自分を守りつつ他人の幸せの否定にしか使ってない以上、境遇を気に入ってると思うので放っておいていいかなと。
marony0109 自分が幸せでないと他人に幸せを分けてあげることはできない。逆に、幸せを分け与えることで、自分を幸せにする方法もある。
不幸の拡大再生産を止めるためにも、増田には幸せになってほしい。気楽に楽しく生きろよ
htnmiki 一見クズっぽいけど実はこれ世間にありふれたナチュラルな容姿差別の問題孕んでるからどうコメントしていいかわからないな
kuzumaji インターネッツの闇の妖精っぽい。人間は誰かに与え続けた人と、与えられ続けた人が居て、それが年齢とともにはっきりしてくるんだな。
と、最近色んな人に会って思う事が増えてきた。
sardine11 増田の鬱屈はどうでもいいんだが、差別的なことは心の中に留めておけよ。
全く個人的な感情を無節操に振り回せばそれで傷つく人がいることくらい、病気の患者として気持ち悪がられた増田ならわかるだろーが
kyonishi333 優しくせずとも危害を加えなきゃ、何の問題もない。優しくしないことと、危害を加えることにはそれだけ大きな隔たりがある
nerimarina よし、じゃあわたしが君の分も立つ!いろいろ気にすんな!
Sion96 いいんじゃね?暴力とか振るうのはダメだが、優しくしたくないならする必要はない。
douzokun ●●だから優しくしろ!って強制される社会は息がつまる。した方が良いと思う人はすれば良いし、必要ないと思う人はしなければ良い。
お互い強制するのやめれば、争いがなくなる
u-account ブコメの理解度が絶望的だな。自己の生を根本で肯定できるのでなければ道徳は成立しないんだよ。
増田に社会防衛を説くならまず社会が増田にとって守るに値するものにならねばならない。この順序は決して逆転しない。
camellow 社会にはいろんな人がいるのだ。積極的に害をなさない限り法にも触れないし。
みんなが(妊婦に限らず)みんなにやさしくできるのが理想だと思うけど、全員同じ考えを強要するのも気持ち悪いし不健全だ。
mellow_px 優しさは等価交換ではない。それを学ぶことができなかったのは、親の愛情不足かな。優しくしなくていいから、害は加えないでほしい。たのむ。
deneb-y これだけのドロドロを抱えていながら「優しくしない」「席譲らない」程度で済む増田。内面がどうあろうが殴るジジイよりよっぽど出来てる。
kuwa-naiki 人に優しくってのはそのときそのときで出来る人がやればいいって『いいひと。』で言ってたけどそれで良いと思う/この増田もそう思えるときがくればやればいい
shinonomen 幸せな人が妬ましい気持ちは分かるし、環境が性格に影響を与えるのはその通りだと思うが、増田の書き方だと人間に自由意思がないみたいじゃないか。
ninjaripaipan 妊婦かと思って席を譲ったらただのデブでお互い不快な気持ちになったことがあったので、デブは逆マタニティマークをつけてほしい。
妊婦かデブかは話しかけるまでわからないことがある。シュレディンガーのデブ
teebeetee ギブアンドテイクの文脈に乗せていいものとそうじゃないものの区別がつくのって大事だよね。何か他のことで頭をいっぱいにできるといいと思う。
kamayan1980 「席を譲った」なら立派だと思うけど、「席を譲るべし!譲る気持ちになるべし!」には疑問が浮かぶ。増田は増田のまま、幸せになればよい。
Ri-fie 読み違えてる。妊婦に優しくしないものは死んだほうがよい、ではなく、妊婦に優しくない社会はいずれ死ぬ、だ。
/あなたが優しくせずとも、今ならまだ、他の誰かが妊婦に優しく接する。どうぞあなたのよきように
aatoku 大前提として自分にやさしくできるひとであってほしい。それ以上に社会が求めることを無理に気にする必要はない。
white_cake 正直、読んだ瞬間はいらっとするのだけど、増田が幸せでないこと、だからこそ生まれた文であることはわかるので、どんどん悲しくなってくる。
feita んー赤ん坊や母親に寛容な世界たれとは思うが、今のところ人間の善意に寄りかかったもんだとは思うし、そこが行き過ぎて「妊婦にやさしくしない奴は死ね」は言い過ぎだわな。
You-me 増田が母ちゃんのお腹にいたころに優しくされたはずなんやで/マタニティマークの必要性は「妊婦なんで優しくしてあげて」という話以前のところにありますので。
spacefrontier 妊婦さんとか関係なく、自分に余裕が無いと他人に優しくなんてできないよね。
満員電車でのベビーカーと同じ。社会的に庇護されるべき対象が自分より恵まれていると感じた瞬間、どす黒い感情が生まれる。
mogmognya 自分は妊婦にはできるだけ優しくするつもりだが、増田に押し付ける気はない。
増田はとにかく自分を大事にしてあげよう。そして他者を故意に傷つけるようなことさえしなければ上出来だ。増田に幸あれ
GROOVY こういう人もいるって事。別に妊婦に危害加えないならいいんじゃないの。危害加える奴は最低だけど、こんな人は結構いると思うわ
a8888 障がい者などに優しい社会では全くないのに、妊婦にだけ優しくしろというのも無理な話だとは思っている。少しづつ全体的に改善していくしかなかろう。
ite この問題は妊婦ではなく、こう思ってしまう人がでてきてしまうほどに、容姿以外の努力が認められない社会であること。
akimaruworks きみが優しくしたい人に優しくすればいい。報われない境遇を人への怒りにすりかえる人は優しくしてもらえないよ(経験談)
miki3k 席を譲るのは、やさしさの問題ではなく、社会の要請だ。
underd 性別や年齢、仕事やプライベートに関わらず体調を理由に予定をキャンセルする人は無条件で許す事にしているが正解だった。
ドライな言い方をすればそれで感謝されて利を得る事もあるのでおすすめ。幸せスパイラル
eri_pico 暗いと不平を言うよりも進んで明かりをつけましょう/
Twitterにも書いたのだけど、身体的(物理的)弱者と社会的弱者を一緒に語るのはおかしいと思う。妊婦、赤子は身体的弱者じゃないですか
sanam 別に席譲らなくてもいいけど、妊婦は恵まれてる教はインチキカルトだという事と、ブコメにも見られる通り教義に暴行の推奨が含まれてる事は覚えとけよ。
anigoka 社会的互助って奴がそーゆー単相の一対一だけで成立してるわけじゃないことぐらい分かれや お前は性格やルックスが悪いんじゃない、アタマが悪い
kash06 私は相互にどうこうではなく、単純に、今現在辛い人には保護が割り当てられるべきだと考えている。
だから、これを読んで当時のあなたにも与えてあげたかった。いや、私の自分勝手な感傷に巻き込んですまないが。
・増田の感情は間違ってない、ルッキズムによる所の被害者意識が強いのである。実際に被害者であるし、仕方がない。
・増田の悩みに妊婦云々はあんまり関係がないが、「マタニティマークの必要性は一般に大いに勘違いされて認知されている。」
・別にみんな増田に死んでほしいわけではない。かと言って喧嘩したいほど興味はない。そりゃ誰でも誰にだってそうだ。(しねって書いてる人もいるがな)