これはあくまでも一つの可能性だし、私の勝手な憶測で書いていくが、あの事件は拡大自殺なのではないか。
植松容疑者が措置入院していたということは、精神障害なり精神病があったと医者から診断されたわけだ。そのとき彼は何を思っただろうか。
「障害者は死んだほうがいい」という思想を貫徹するためには、まず自分自身が死ななければならないのだ。彼は「それならば死刑になって死んでやる!」と考え、その自殺願望が犯行動機になったのかもしれない。
ところで、話はすこしズレてしまうが、政府の対策会議では再発防止策に「措置入院の見直し」が挙げられている。これは安倍首相がじきじきに提言していたし、読売新聞も社説でそのような主張をしていた。
私は見直しの是非について論じることはできないが、「措置入院をさせられたことこそが犯行動機だったのでは?」という可能性を思い浮かべてしまった。
措置入院は、確かにやむをえない処置ではあるかもしれない。けれども、犯罪をやりそうな者を予防拘禁するという部分もある。あれがまちがいなく人権制限であり、それを受ける側にとっては大きな負担だということを忘れてはならない。
昔の時代みたいに精神病院の環境が極めて劣悪だったり、患者への虐待が横行しているというようなことは、現代ではさすがに減ったと思う。しかし、監視カメラつきの病室に24時間施錠されて閉じ込められること、そして強制的に治療をされるということが当人にとっては苦痛以外の何物でもないであろう。そのような経験をした人が何を考えるかと言えば、それが原因となってかえって社会への絶望と憎しみを募らせることだってありえるのだ。
また、「措置入院」というのがスティグマになっている可能性もある。措置入院の過去がある人に対して社会は偏見を向けるが、植松容疑者もその偏見を信じこんで、「俺はどうせキチガイだし人間失格なんだ」という自暴自棄な気持ちになったかもしれない。(彼はもとから障害者差別をする傾向をもっていたのだから、それがめぐりめぐって自分自身に向くことも容易だったであろう)
今となっては結果論でしか語ることはできないが、もし措置入院ではなく、大麻所持、殺人予告などでさっさと逮捕し、それを刑事事件として粛々と処罰しておけばどうだったろうかと想像してみたい。
そしてそれと同時に、精神科やカウンセリングの受診の方はもうすこし本人の自由意思を尊重し、措置入院のような絶対強制とは違った形でやらせていたらどうだったろうか?
その場合、上述のような問題は発生しないから、植松容疑者があのような凶行に及ぶことを抑制できたかもしれない。