はてなキーワード: 明日へとは
まず可愛いは作れる同様にモテは作れる、この前提は誰でも知ってると思うが大事なことなので一応。
基本的に、男らしければモテる。ジェンダーロールにガンガン忠実にいけ。
昨今多様性とか叫ばれてるしそれを否定もしないが、多数派は圧倒的に多様性とは正反対のガチガチテンプレが大好きだ。
チビでも気にすんな、ブサイクでも気にすんな、デブは限度はあるがそれでも気にすんな、メガネは店員に選んでもらうかコンタクトにしろ。(ちなみに増田もメガネだ)
むしろチビデブブサくらいコンプされてると明るく自虐できる。自虐で場を盛り上げるのは敬遠されがちだが、それは心のどこかに「それでもあなたは素敵」とか「いっそ笑い飛ばしてくれ」と求める気持ちがあるせいだ。そのくだらんプライドはぶん投げろ、オナニーでもしてティッシュと一緒に捨てとけ。
自虐に見返りを求めなければ不思議なことにモテる。求めない場合こそ見返りがあるってのは皮肉なもんだが、見返り求めまくりの男が男らしくないのは非モテでもわかるだろう。
大体の男はそこまで酷かないだろう。
けど結局、チビだろうがブサイクだろうが貧乏だろうがなんだろうが気にすんなってのは変わらない。
ただ堂々としてろ。優しくしようとか変に意識する必要はない。人並みに良識があれば過度に気を使うことはない。そもそも女にヘコヘコへりくだる男は好かれない。さっきも言ったがジェンダーロールに忠実になれ。女は俺の後ろをついてこいって気持ちを持て。
堂々としろってなんだよ!ってやつもいるかもしれないが、とりあえず姿勢を正しておけ。あと、肩幅よりも大きく腕を広げる癖をつけろ、とりあえず腰に手を当てるとかだな。孔雀かなんかにでもなった気分でいとけ、少し邪魔にも見えるだろうが良識の範囲で通行の邪魔をしなければ問題ない。
もし不安になることがあったり緊張することがあったら、その時点で「ちょっと不安だから、少し調べるね」とか「俺緊張してるよ」とか言っとけ。
内容は何であれデート中に起きた何かは隠そうとするな。何か隠そうとコソコソするとそれだけで男らしくない。
ところでさっきここまで書いたところで一度誤爆投稿した。チラッと見た人も居ると思う。なのでこの増田は一度削除したやつの加筆再投稿だ。
とまぁ、何か不安な事とかはこういう具合に言ってしまえ。それがカッコよく見えるってことはないだろうが、マイナスになるのを防げる。
男から見るとマイナスだと思うやつもいると思うが、男の非難なんてモテの前では無価値だ、気にすんな。
男らしく堂々とするってことが出来てれば、そこらへんのイケメンよりモテる。
無論、男らしく堂々としたイケメンにはかなわないんだが、意外と男らしいイケメンってのは少ない。まぁイケメンってだけでモテるから、上を目指す必要があんまないんだよな。
少し話が逸れた。
↓↓
「ん~~~、俺はこう思ってるんです。人々の出会いは先手必勝だと。
どんな魅力的な女性でも、出会いが遅ければほかの男と仲良くなっている可能性もある」
「なら出会った瞬間に自分が相手に興味があることを即座に伝えたほうがいい、速さは力です
興味をもった女性には近付く、好きな女性には好きと言う、相手に自分を知ってもらうこと
から人間関係は成立するのですから。時にそれが寂しい結果を招くこともあるでしょう、
かの有名な兄貴のセリフだ。あいにく速さが全てを解決してくれることはないものの、大幅に勝率は上がる。
↓↓
「お口にあいませんか?」
(中略)
「それより、食事を楽しみましょう」
「食事は人の心を豊かにし、エネルギーと明日への活力を生み出してくれます、ここに速さは
必要ありません、味を堪能するために歯で噛み砕いて食べ物を胃へと流し込む」
要は、相手の好みを探りつつ、自分との食事が楽しいことだと印象付け、そして女との食事をゆっくり楽しむ。
このゆっくり楽しむってのがキモだ。食べるペースを合わせてみたり、相手が食べている時に少し話を聞かせてみたり。
こういう時の話題は、イエスかノー、あるいは首を振るだけで答えられる同意を求める系がいい。
んで、本題というかタイトルなんだがそうやってモテ始めると、やっぱスクライドって神だわという真実を本当の意味で理解出来るんだ。
サビのウシロ走り
サビ直前でアニメが止まってサビはじまると同時に背景の灰色の花にいっせいに色がつくところ
EDのイントロのピアノがアニメのラストに重なって余韻残しつつEDに入るのがとてもいい
オリジナルは全然違うなんかシンセっっぽいのはいってるし・。。
サビの直前で走り出す感じの演出すき
リアタイでみてたのもあるけど
だんだん成長していくとこがい
歌全体かわいい
すべてがかわいい
イントロのエレキぎゅいぎゅいぎゅいーんにあわせて太陽が光る演出すき
奪え全てこの手でに合った絵すき
サビ直前の、明日へと手を伸ばすう~チャッ!ってところで手をぐっとにぎりしめるのカラオケで同じことやっちゃう
サビの光をあたえてってところでみんながてをのばしてそれが船につながる操り人形の糸みたいになってるの好き
静止画を下からなめるようにみていくだけだけど歌の荘厳さ、静謐さと合ってる
イントロのエレキぎゅいぎゅいぎゅいーんにあわせてアドベンジャーのヘッドライトが光るのがすごく好き
つづけてイントロのドラムがまさに機関車の動く音のように車輪が動く絵とあわせてくるのもすごく好き
ほいくえんのときだった
これをきくと日曜がおわる感じがしていやだった
あと絵がリアル調でティコ感があんまなくて地味でつまらんなーと思ってた
歌はすごくいい
最初幕が開くように魚の群れが左右に泳いで視界が開いて、そこにティコがとびこんでくるのめっちゃ好き
サビ直前で音楽にあわせてナナミのいろんなシーンがでて最後わらうの好き
町並み見下ろすところすき
全体的に本編とあんまあってないけどすき
イントロに合わせて雲が踊るのすき
これに反発してるコメント多いが、実際にウチは子供生まれてしばらく嫁の母親が頻繁に通って子供の世話してくれたんで、本当に楽だったんだよね。3世代同居まではしなかったけど、意図してアパートを嫁実家の近くに借りたのは正解だった。
[B! 育児] 「孫を育てたくて仕方ない本能を持った祖母から引き離しておいて、夫が子育てに協力しないと叫ぶのはバカ」進化心理学の観点からみた子育て論が話題に。 - Togetter
今も「ワンオペ育児大変」みたいなニュースを聞くと嫁は「ウチはお母さんが通ってくれて、楽だった、恵まれてた」と言ってる。
rci だとすると、父親は金稼いでくる以外にますます存在価値が無くなっちゃうけど。いいの?
2021/04/18
全然かまわないけど?
娘の首がようやく座った頃に「ほら、パパも抱っこしてあげて」とお義母さんに渡されて、うまく扱えなくて泣かせてしまい、
「アラアラ、やっぱり男親はダメね」と取り上げられたことがあったが、
「育児の場では男は排除されている! 強者の女によって疎外されてる!」なんて「弱者男性」が言いそうな僻みの感情とか全く感じなかったな。
お義母さんがあっという間に娘をあやしてるのを見て、娘の世話は嫁とお義母さんに任せておけば安心だな俺は仕事を頑張ろう、と明日への活力になった。
なんか個人攻撃みたいになって悪いけどさ、このコメント書いたのは女の人かな?
男は言葉も通じない赤ん坊の世話を積極的にしたい人少ないと思う。赤ん坊の無邪気な笑顔に癒やされはするけど。主担当として世話するのはぶっちゃけ面倒という男が大半でしょう(イクメンみたいな変わり者がゼロとは言わないが)。
男親の出番って、言葉が通じる年齢になってから、自分の知識や経験を伝えたり何か技術を教え込んだりして子供が大人になるための訓練を施す、みたいな局面だと思うんだよね。自分は日々そういう意味での子育ては楽しんでるし。
それ以前の動物と変わらない赤ん坊の段階の育児は母親と祖母がチーム組んでやるのが一番向いてる。嫁姑でやるか、ウチみたいに嫁と母親でやるかは、それぞれの状況に応じてだが。
仕事がうまく言ってる時期・そうでない時期はあると思うけど、後者の場合は焦燥感による吐き気に襲われる。
特に酷くなるのが日曜日で、時計をみるたびに進む明日へのカウントダウンと、すぐ仕事のことで支配される頭にうんざりする。
そんな時はどうにか逃避しようとコンビニに向かい、安くて度数の高い酒とおつまみを買い漁る。
吐き気があるので食欲なんかないが、とにかく無心で買って帰る。
家についたら、古いパソコンでYoutubeを開き、雨音か滝の流れる音が長時間続く動画をかける。
そこから先は嫌でも酒とつまみを摂取し続け、余計なことを考えられなくなる時までひたすら耐える。
そうしてやっと、少しだけ心の落ち着く時間が訪れる。
酩酊している間だけ、私は赤ん坊のように「自由」に抱きかかえられて安堵する。
数時間後、酔いが冷めはじめると流している音が耳障りに感じ始め、パソコンを閉じる。
なるべく長く酔いたいからと水を摂取しなかった代償に苦しみながら、
この時はなんでこんなことをしたんだろうとぼんやり考える。
ただ、同じ吐き気ならこっちのほうがマシかも知れないという考えに行き着き、水で膨らんだ腹を擦りならが床につく。
最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代の童貞のノンフィクションだと思ってくれて問題ない。
タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。
当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。
どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。
はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。
まずは思い出話。
高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイトの女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元のオタクだったし、かといって自分の世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロの若者だったら自然だろう。
とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称)進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。
幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。
共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子(男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。
娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達の範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充が高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだが男子校勢には謝っておく)
そうやって、言葉にはしないまま意識だけが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方の自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越しの手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメな健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのときに彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。
親も応援してくれた難関大にカップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルやバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。
そんな距離のまま後期になって、学業もサークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。
試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳のときはプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね。
あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛の対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近の推しコンテンツを布教しあうような関係になったし、それが結構な打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものだから、シンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。
俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係にリソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶は尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。
という風な経験を踏まえると。
「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。
絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。
同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想そのものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。
環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。
「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。
期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。
ただ、何を感じたか――というより「自分の経験のどこに響いたか」は正反対だった。
あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。
やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。
そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」
つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。
俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。
それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。
新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。
また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在ではいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せな現在を過ごしていたから以上に、幸せな過去を大切にできているからだ。パンフレットの一枚目のフレーズに号泣したの、俺だけじゃないだろ。
薄桜鬼もヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOもゆるゆりも麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。
ラジオの映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。
あんな未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。
あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。
それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。
とはいえ。精神に多大なダメージを食らったとはいえ。モラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。
色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。
「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒したときには枯れていく。
別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬も応援もする。けど、俺は違った。
かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。
……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。
「秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?
気持ちの整理をしたくなって書き始めたのに、言葉がうまくまとまらない。
寝てないからかな。ちゃんと夜に寝て朝起きる生活がしたいんだけど、今日はなんでか眠りたくなくて、ずっとスマホを弄っていたらこんな時間になっていた。
やっぱり寝ないと思考力が低下してだめだな。ママが恋しいポエムを書き連ねるはずが、派手に脱線事故を起こしてしまっている。
まあいっか。匿名だし。顔も名前も知れないどこかの誰かとしての吐き出しだから、見苦しい気持ち悪い文章であっても、まあいっかー、って。
で、そろそろ当初の目的を思い出そう。
私の母は、2ヶ月程前に急に倒れて意識不明の重体となり、それから数日後に帰らぬ人となった。周囲の誰もが普通の元気なおばさんだと思っていた母は、高血圧が原因で脳出血を起こした。そして死んだ。
高血圧ってめちゃくちゃ怖いんだな…と、母が倒れるまで全然知らずに生きてきた自分をぶん殴りたい。
母の血圧が高いらしいとは知っていた。それなのに、高血圧のリスクを知ろうとせず、なんとなくまだまだ生きているだろうと思って、ろくな親孝行をせず、むしろ親不孝者でありながら開き直って生きてきた自分を、過去に戻って変えられたらどんなに良かっただろう。
いくら願っても母は生き返らないし、私の人生は明日へと進み続ける。過去には戻れないし母がまだ生きているパラレルワールドにも行けない。
母の死に目に合えずに泣いて、冷たくなった母に触れて泣いて、棺桶に入れられた姿を見て泣いて、火葬場で最後のお別れをしながら泣いて、ぼろぼろに焼けたお骨を拾いながら泣いた。
葬儀が終わっても、母とよく行ったスーパーを見て泣きそうになり、母が好きだったお菓子を見かけて泣きそうになり、母のことを語る時に「母は生前…」と口にしたら母は死んだのだと改めて実感して泣きそうになり、母が喜びそうなスイーツを見つけて「母はもう食べられないんだよな…」と思った瞬間に泣き喚きたくなり、とにかく何かにつけて泣いたりこらえたりしていたら2ヶ月以上経過していた。
最近はだいぶ落ち着いてきたと思っていたが、さっきから涙と鼻水が止まらなくて、鼻をかむために文字を打つ手が度々止まっている。そもそも真に落ち着きを得ていたのなら、気持ちの整理と称してメンヘラポエムを書き始めたりしないのでは…?
私の母は病院や薬、医療というものがとにかく嫌いな人で、血圧を下げる薬などは一切飲まずに暮らしていた。食事なども血圧に配慮することなく、食べたいものを食べ、好きなように生きていた。
……好きなように生きていた、と言い切っていいんだろうか。
なんというか、血圧を無理に下げようとはせず、ありのままに生きていたのは確かだと言えるだろうけど、人生そのものは全然好きなようにできていなかったんじゃないのか、と考えてしまう。
私がこうしてうじうじめそめそしている様を、母はあの世から見守っていたりするんだろうか。
母よ、娘は元気じゃないです。もし霊界なるものがあって、母がそこから私を見ているのであれば、あれば…なんだろう…今更求めることは特にないような気がする。
私が母の死に対して気持ちの折り合いをつけるのは、私が一人で考えるなり周りの生きてる誰かにこぼすなりしてどうにかしていくことであって、死んだ人間に助けを請うたところで不毛でしかない。
だいたい生前幸せだったのかを疑問視する母に対して、死して尚何かを求めようというのがもうだめ。発想がだめ。
なんだか疲れてしまったよ。気持ちの整理はあんまりできてないし、むしろあれこれ思考が飛んで収拾がつかないし、泣いてたらちょっと頭いたくなってきたし。
ライブに行ったこともなければ最近のCDを買ってすらいないが、というかレンタルばかりで過去のCDだって1枚も持っていないが人生の節目にはいつもMr.Childrenがいた。
高校時代テスト明けに無性に聞きたくなりアルバムをTSUTAYAで小遣いがなくなるほど借りた。『innocent world』を大声で歌ったらスッキリした。6月の物憂げな雨に打たれて愛に満ちた季節を思って歌うよってJ-POPの歌詞のなかで最も美しいフレーズだと思った。
専門学校時代ニコニコ動画で馬鹿みたいにキスをしながら唾を吐けが流行った。いろんなCPで観た。『掌』無くして推しCPのイメソンは語れなかった。夢見てるから儚くて探すから見つからなくて欲しがるから手に入んなくて途方に暮れる畳み掛けるキラーワードに心を惹かれた。絶対私の推しCPのこと言ってると思った。
恋愛に憧れた季節は『抱きしめたい』を聞いた。こんな恋愛がしたいと思った。当時好きだった人にねだって歌ってもらったこともあった。掠れた声で聞くもしも君が泣きたいくらいに傷つき肩を落とすときには誰よりも素敵な笑顔を探しに行こうは私の心を桜井さんよりもときめかせた。
転職活動でハローワークに通っていたときは全曲シャッフルしたiTunesから不意に『終わりなき旅』が流れた。不採用が続き心が折れて毎日泣いていたときに聞いた高ければ高い壁のほうが登ったとき気持ちいいもんなまだ限界だなんて認めちゃいないさは心底心に染みた。今でも挫けそうなときは終わりなき旅を選んでいる。
最近は1日のエンディングテーマとして『Tomorrow never knows』を口ずさむ。これまで過ぎていった日々を懐かしく思いながら心のまま僕は行くのさ誰も知ることのない明日へ。
私の心と人生に彩りをありがとうMr.Children
この回のMVPは船木さん,竹内さんの2人。ともに初披露曲も含めて高いレベルのパフォーマンスを披露していた。特に船木さんの『もらい泣き』には本当に驚いた。
次いで岸本さん,宮本さん。岸本さんは『大阪で生まれた女』の謎のイロモノ感がなければ船木さん竹内さんに匹敵。宮本さんはとにかく全ての楽曲を「宮本佳林色」に染める能力が半端なく高い。
この回は前述の通り全般的にクオリティが低く感じられたが,その理由はおそらく曲目が変わって2日目(2回目)のパフォーマンスということで,まだ習熟度が低かったためではと考えている。
そんな中であえてベスト歌唱を選ぶとすると,清野さんと宮本さん。清野さんは難度の高い奇曲を高いレベルで歌い切っていた。宮本さんは少しリズムに揺らぎを感じたが,基礎がしっかりしていて,何よりも声と歌い方に特徴があり,何を歌っても「宮本佳林の歌」になるのは強みだと思う。
次いで序盤の前2人からの流れを立て直した竹内さんと,難曲を高いレベルでこなした山崎(夢)さん,浅倉さん。その後に植村さん,小田さん,笠原さんが続く,というのが個人的な感想。
半妖の夜叉姫というタイトルで、ヒロインは犬夜叉の娘一人と殺生丸の娘二人の計三人。
みんな十四歳で、女子高の王子だとか記憶喪失だとか口紅でパワーアップとか、令和なんだか昭和なんだか分からないようなコンセプトの設定を背負っている。
もう本当にいや。犬夜叉の続編を今更作るの本当に何。あれはあれで終わったんだよ何が殺生丸には娘がいるだ。
まあ、別にね、エンターテインメントはお金を払う顧客のものであって、いつまでも小学生の頃に買った単行本を大事にしているファンなんて、今後1円にもならない存在がどうでもいいのは知ってますけども。
高橋留美子も売れる漫画が面白い漫画って言ってるしね。続編、それなりに売れるんじゃない?
でも本当にいや。
幸せになってほしかった犬夜叉やかごめや殺生丸やりんが、娘が記憶喪失だの2歳で親と生き別れだの背負わないでいい悲しみを、なんかアニメの視聴率のために背負わされてる事実も死ぬほどいや。
高橋留美子の描く少年漫画の魅力は、永遠に青春を閉じ込めることでしょうよと思うわけ。それは私が古いのかな。
一生かけて言わせてみせるっちゃ。いまわの際に言ってやる。
そうやって大事に閉じ込めておいたはずの時間を勝手に動かさないでくれ。
オンリー・ユーのエルじゃないが、私は面堂終太郎も他のみなさんも最終巻で冷凍保存しておきたいの。
まあ、犬夜叉は、犬夜叉ね、私と犬夜叉は明日へ繋がっていく、で終わったからね。彼らの時間は鮮やかなほどに動いてるから、続編も許されるのかもしれない。
百歩譲って許されるのかもしれないが、娘たちを親と年単位で引き離していらん試練を背負わせるとか、いらんことをするな。
殺生丸とりんだってくっつくか否かどちらでも選べるようにって選択肢が用意されてたのに、勝手に娘を登場させるな。二次創作でやるような雑な続編を公式でやらんでくれ。本当にいや。
見なきゃいいとかいう話じゃないんだわ。公式から意味わからん情報が流れてきた現状が既に嫌なの。
だいたいサンデーはいつまで高橋留美子に頼って生きていくんだよ。今更犬夜叉の続編って他にやることないんか。
インタビュー載る週とかしか買わんが買ってた頃はマガジンと張るぐらい部数あったのに、ほとんど読むものないクソ雑誌に成り下がってしまって悲しい。
そりゃあデビューから今日まで高橋留美子が看板作家でいてくれるの、ファンとしては嬉しいけどサンデーはそれでいいんか。
いや、いいならいいけど。いいよ。永久に高橋留美子先生を看板作家として重用し続けてくれ。