はてなキーワード: 帰結とは
「意味不明」とか「論点がずれてる」とかのワードも、あまり考えずに「お前ムカつく」の意味で使ってるんだろうなということはわかる
勝手に思ってろ。自省しないからアホが垂れ流されてるぞ。結局、記載内容の理解と論理接続の理解を区別する分解能もない人間が何言っても「ああこう言う人ねー」って感じ。量産型の無能がイキる。
四連休初日、東京から各行楽地へ向かう高速道路は平常時のお盆に匹敵する大渋滞、新幹線や特急は満席で、もはや多くの国民は通常の生活に戻ることを選んだように見える
海外のように、自粛を強いられることに対してデモや抗議活動をするのではなく、政府の要請に対する不服従をこういった形で表すのはちょっと面白いと思った けっきょくそのツケは自分たちに返ってくるのだが、おそらく多くのひとびとはその帰結もわかった上で、もうやってられない と考えたのだろう
これは、ある程度ワクチン接種も進み、身近な高齢者達が守られるようになったのだ という感覚もあるのだと思う あとは自分達はもう運命のおもむくまま進むのだ と(そして、自分は重症化はしないだろう という過信も)
政府は、オリンピックの開催と、世間の人流は別事象だ と本気で考えていた可能性がある。つまり、市民のみなさんがオリンピック期間中ステイホームしてくれれば感染爆発はしないのだ と
確かに多くの国民はそうした手前勝手な政治の理論に表立っては反対しない だが、黙って要請を無視するのだ 自粛は自らの意思でやるもので、もはや我々は自粛する意思はない ということなのだろう
最近は性自認でセクシャルが決まるとか他人のセクシャリティを勝手に決めつけるのは無礼だとかで
逆も然りだけど「自分は男だ」と言い張れば性自認:男なんだから男として扱えって滅茶苦茶な事を言う人が増えた
ああいう人が「俺は男だがBL読むし普通に好きだぞ」とか言ってんのかな…
生物学上は女ってだけで心は男でその上で男の事が好きだからFTMゲイってか?何それ
「性自認は流動的な物だからシスヘテロだと明言されていてもこの先どうなるか分からない」なんて戯言まで出てきた
最近ある作品でバイセクシャルキャラが女性と恋に落ちただけで大炎上して腐女子が公式を叩きまくっていた事を忘れてませんからね?
そもそも「シスヘテロ」って言葉自体「自分の性自認に違和感がなく異性の事が好き」って属性の人に対するヘイトが高すぎて無理だわ
クソヘテロなんて言葉もあるし単にBLが好きで「もしかして自分は性自認男かも?」なんて思ってるだけで被害者意識を勝手に持ってる連中に何故憎悪をぶつけられなきゃならないのか
「本人が男といえば男なんだから他人がゴタゴタ抜かすな」って無敵理論すぎて何にでも応用出来そう
BLがリアルな同性愛者を描いている、ゲイにもBLを支持する人間は沢山居るって錦の御旗を掲げている人達も受け付けない
BLで現実を生きる同性愛者の苦しみを理解出来た…ってAV、エロゲー、エロ漫画で現実を生きる女性の事が理解出来た…って言ってるのと何が違うんだよ
それまで性自認女だったけどBLを読んでる内に段々と自分の性別に違和感を覚えて自分は男なんだと自覚したFTMゲイも居るらしいしそういう「ゲイ」に支持されてるのか?
「生物学上は女」で検索すると自分の性自認が分からない、自分は男だと思ってる、自分は男でも女でもないみたいな事言ってる人がうじゃうじゃ出てくる訳だけど
じゃあそういう人は本当に男らしかったり中性的なのかと思ったら大体BLやらイケメンだらけの女性向けソシャゲやら大好きな訳でどこが性自認男なんだよ?って言いたくもなる
思春期に自分を性的少数派だと思い込む腐女子が多いのは仕方ないかもしれないけど、軽々しく「大丈夫、私達はゲイの理解者ですよ」なんて言うな
この手の話題って結局は「女性に生き辛さを強いてきた男が全て悪い」って結論に帰結するんだよな
かつてBLのレイプは良いレイプとしてきた金田淳子が今少年漫画のレイプ描写に物申して炎上してるけど
その流れで話題に挙がってきた堀あき子の「BLの教科書」もBLの素晴らしさと、女性の欲望の正しさと、ゲイとの協調性と、男の悪辣さを説いてるらしい
BL愛好家で性的少数派問題にいっちょかみしてやろうって人はこういうのばっかりなのか
「俺は男だぞ」ってネットで主張してる女ってネナベって言われるのが嫌だから都合良くトランス利用してる奴が大半なんじゃないのか
男と名乗れば自分の意見は全て「男の意見」って事になるから「女」として責任を取る必要は無くなるからな
LGBT自称する女って「自分の中のカッコ良い男像」を演じて楽しんでる所あるよな
そういう女が本物のゲイに興味を持ってゲイコミュニティに行っては疎まれ嫌われるっていうのは大昔から何度もあった事らしい
BLというジャンルやBLを嗜む腐女子自体には何の罪もない筈なのに
一部の目立つ腐女子が自分の気に食わないジャンルを攻撃して自分の好きなBLと自分は無罪、自分は女性や性的少数派に寄り添ってるんですみたいな事言ってるの見ると
その個人に留まらず腐女子自体に嫌悪感を覚えるようになってくるの袈裟まで憎い現象なんだろうか
性自認が流動するって滅茶苦茶便利な設定だな、女性トイレが混んでる時だけ一時的に男になるおばちゃんと一緒で
気が向いた時だけ一時的に性自認をレズビアンにして「私も同性愛者だからゲイの人の気持ちは分かるよ」とか言えるんだもんな
「腐女子腐女子って、お前よっぽど腐女子が好きなんだな」もよくある言い回しなんだって大昔に突っ込まれてて何も変わってないんだな…って驚いたわ
これは正しいけど、なんで、このことから
まず、地球と月が静止している座標系で考えると、
(2) (1)の0.1秒後に、光が地球を出発。
(3) (1)の1/0.99秒後 ≒ 1.01秒後に、宇宙船が月に到着。
(このあと宇宙船はそのままの速度で飛び続けるとする)
(4) (1)の1.1秒後に、光が月に到着(して通過していく)。
(5) (1)の10秒後に、地球から9.9光秒の位置で、光が宇宙船を追い抜く。
となり、宇宙船が先に月に着くので「青」
(地球(および宇宙船から)月までの距離は、約0.141光秒 (1.0×√(1-0.99^2)光秒)
(1)宇宙船が地球を出発。(ただし宇宙船基準なので、宇宙船の方が止まっていて、月(と地球)が光速の99%で動いている)
(2) (1)の約0.142秒後 (1/0.99×√(1-0.99^2)) に宇宙船が月に到着(して通過)。
(3) (1)の約0.71秒後 (0.1 / √(1-0.99^2)) に光が地球を出発。
(4) (1)の約0.78秒後 ( (1.1-0.99)/√(1-0.99^2)) に光が月を通過。
(5) (1)の約71秒後 (10 / √(1-0.99^2) に光が宇宙船を追い抜く。(もちろんこのとき宇宙船座標での光の速度は「光速度」)
となって、やはり宇宙船が先に月に着くので「青」
(ローレンツ変換の計算のミスで具体的な数値が間違っているかもしれないけど、そこは大目に見てほしい)
相対論の解説でよく「時計が遅れる」とか「長さが短くなる」ことが強調されやすいけど、
ことが重要。
「同時性」をきちんと考えずに、「動いていると時間は遅れて、長さは短くなる」「光の速さは一定」みたいな文言だけから相対論の帰結を導こうとすると、だいたいどこかで破綻する。
一級市民扱いされるようになれば「上がり」と思ってる人も、そうでない人もいるわけだ。
前者には他のセクシュアリティなんぞ知ったことかって感じのもいるし
(特に若い世代のゲイは先人の権利闘争とか知らんから運動をバカにしがち)、
何がフェアかは視点によって違うわけだが、割と広く受け入れられている基準は
そのセクシュアリティが不可避に、または高い確率で他者を傷つけたり、
ズーフィリアは、「聖なるズー」みたいな本が受け入れられるようになったことを考えても
「なんでタブー視してるんだっけ?」という問い直しの機運は生まれつつあると思う。
ペドフィリアは、少なくとも現代の西欧社会は、絶対悪ということにした。
どこからがペドフィリアなのかは文化や時代によって伸縮するが、少なくとも
タブーにした年齢以下の子どもの性的自己決定権は合意があっても制限しますよ、
ということになっている。
性病や出産や性的搾取といった重大な帰結につながる余地がある性行為について
まだリスクを適切にとらえたり、嫌なときにノーと言う判断能力・責任能力を
充分に備えていないから、というのが理由だ。おれはこれは適切な線引きだと思う。
セックスを抜きにしても、法律上はどこの国でも未成年は制限行為能力者という
扱いになるからな。
性愛とは別のタブーを乗り越えない限り、線引きの内側に入れられることは
ないだろう。
世間の無理解のせいでひどいめに遭う」という筋に落とし込むために
ペドフィリアを絶対悪にする、というまさかまさかの落としどころを選んだ。
「正しい性」と「間違った性」の線引きを批判してる話のはずなのに、
著者自身も「間違った性」という線引きをそのまま使ってしまったわけで
大失敗というほかない。
「ごめんなさい
二度目である。
フェードアウトすればよいだけだ。
共依存ばかりしてきた私と回避型愛着障害の彼女、間違えて出会ってしまって間違えてしまった。
そしてその恋愛から15年くらい経ったけれど毎回共依存をしてきた
私はマチズムの発露である偽メンヘラホイホイ男共とはレベルの違う本物のメンヘラ好きである。
具体的に言えば愛着障害のある子に手を出してきた。
基本的に愛着障害以外は専門外なのでよく知らないが、他もちょっとずつは齧ったことがあるので少し知っている。
毎度無作為に選んでいるつもりだしどこで手を出すかも異っているが見事に全員障害持ちである。
子供の頃の家庭環境に問題のなかった人とデートすらしたことがあまりない。
15年も前の話だ。
少し前までその子がメンヘラだったから私が共依存になったと思っていた。
救えなかった罪悪感はあるにはあったが、やはりそれでもある意味合いにおいて彼女を恨んではいた。
それでも10年単位で長文の激しい連絡を取り合ったりはしてきた。
その子は明らかな恐れ・回避型。そして解離性障害も併発していた。
その子のことを私はきちんと好きでいたつもりだった。
だから、それをきっかけとして臨床心理学を学んだ。その時は必死だった。
なぜかは正直いまでもよく分かっていないが、今考えてみると私が共依存者であることを意識的にまたは無意識的に嗅ぎとり彼女は逃げることにしたのかも知れない。
そして今、私はプロではないが二度のデートで相対する女性の過去を勝手に赤裸々に話させることができる。
墓場まで持っていかねばならない話のリストが大変な量になっている。
というよりは気が付いたら語り始めている。聞きたくもないのに。
だから私はやはり共依存という関係へ依存しているのだろう。相手は誰でもいい。
なんならそうさせてもいい。
意識してはいなかったが、私がそうさせた子もいるのかも知れない。
私は私のこの恋愛の代替物としての共依存をきっとやめることはできない。
そして過去私が救ってきたと考えてきた女性達はきっと私が傷付けてきたのだろう。
素人にできることは傾聴することじゃない。下手に臨床心理学の手法を学ぶことではない。
下手に病理を学ぶことではない。
ただ静かにそこにいること、それができないなら去ること、それだけだ。
いや違う。私はおそらく無意識に精神分析の帰結を悪用しているのだ。
手を出さないことも多かったし、手を出すにしても回数は少なく
しかし違っていた。私は近くで破滅が見たかったそれだけなのだろう。
次こそはきちんとした恋愛がしたいと叫びながら二度目から五度目くらいのデートで彼女達の愛着障害を聞くのだろう。
そして聞き出したにも関らず、一見して奔放に見えるその恋愛遍歴にまた勝手に傷付いてまた匿名ダイアリにお気持ち長文を投下するのだろう。
勲章のように。
そしてその周りで世話を焼いて苦労しているふりをしながら自分としても傷付いていると勘違いしながら、
そしてそれをきっと私は求めているのだろう。
それが恋愛感情があまり強くない私が得た恋愛感情の代替物なのだろう。
過去の投下へのコメントさん達に元気付けられて頑張ってみたんだ今回は。
https://anond.hatelabo.jp/20210420223753
パターン化した行動を誘発させないためにスペックシートだけを見て選んだ。
雑に扱ってくれる男と愛のない関係を結ぶことを求める典型的なタイプだ。
今回の子は本当に趣味が合った。色々なペースも本当にあっていた。
気が付いていなかったと思っていたが、違和感はあったのだろう。この人以外は継続させる気がまったく起きなかったのだから。
だから双方ともに踏み込まないように踏み込まないように、踏み込んでしまったあとにもどうにか継続できるように、丁寧に慎重の物事を進めた。
今考えてみても先方は相当いろいろ察しながら我慢していた。それが今では明らかに分かる。
ヤリかけたが回避した。それも含めてきちんと進めた。でも無理だった。
出会う場所が違っていたら、出会うタイミングが違っていたら友人くらいにはなれていただろう。
「ヒロイズムですか?」
たしかにそうかも知れない、とその時は思った。
ただ、それより更に厄介かも知れない。
私は岩井俊二が好きだ。ただリップヴァンウィンクルの花嫁が好きだが連続して見られない。
なぜか分からなかったが、今回少し分かった気がする。
いつか涙を流すことができるのか。
そういえば私は女性と別れたときも、親族の葬式も泣いたことがなかったな。
そして先程、過去の女性から幸せになれそうですとのメールが来ていた。
文面を見たところある程度克服したのだろう。
それに対して上記の内容を送った。
「俺は君が思うような人間ではないよ」という書き出しからはじまる優しい文面の内容だ。
自分でもなぜ送ったのかは分からないけれど、不安型の子にドンピシャで利く内容だった。
今回の二回目のデートの子に送ったラインも回避型の子に絶対に送ってはならない内容だった。
そしてさらに追加で違う回避型の子にちょっかいを出すラインを送った。
これらのあとに後悔したし、どうかしていたと思ったが、やはりクズだなと感じる。
もうさすがに被害者ぶるのはやめようと思う。
でも、私は悪くない。
なぜか。
私がやっていることは健常の人にやっても全く問題はない。
無視しない。
返信をする。
しかし後で見かえすとかなり利く内容になっている。
わざとではないが、おそらくもう無意識にこうしているのだろう。
どうやら私こそが恋愛においてのみ強い愛着障害を持っているらしい。
ただ、ひとつだけ救いがある。
今回は二度目で終われた。
きちんと私の傾聴の姿勢が切れて、言ってはならないことが言えた。
それはきっと救いなのだ。
道路交通法において、自転車は車両であるから車道を通行しなければならないとされつつ、路側帯や歩道の通行を条件付きで許可されている。
路側帯を通行できる条件は、歩行者の通行を著しく妨げないとき(第十七条の二)。つまり空いてる時はだいたい無条件にOK。
歩道を通行できる条件は、①標識で認められている時②幼児や児童などが運転者の時③車道の状況に照らして安全を確保するためには歩道通行がやむを得ない時(第六十三条の四)。
いずれも、安全な速度と方法での運転が義務となっている(当たり前だ)。
ここで今、話題にしたいのが「車道が危なくてとても安全には通行できねーよ!」って時には歩道通行が法的に許されているという点だ。
ブクマカ諸氏などは杓子定規に、「自転車は車道!」と切って捨てているところもよく見るが、この点についてよく考慮のうえだろうか。
つまり、その車道が安全に走れることを確認して言っているのだろうか。
言ってばかりでは頭でっかちになるので、ここしばらく実際に車道を自転車で走って確かめた。
結論から言うと、安全に走れる車道などほとんどなく、その帰結として多くの歩道は法的に通行できることがわかった。
車の速度がやばい。走っている自分からそれほど遠くない位置を、60キロとかでビュンビュン抜けてくる。
何度かは普通に命の危険を感じたし、この実践を始めたことを後悔した。
特にトラックはおそろしい。高速移動する巨体との至近距離での並走。小石とかにつまづいてブレたら死ぬよね、これ。
普通に安全運転してて命の危機を感じる状況を「歩道通行せずに安全を確保できる」と言えるだろうか?いや言えない。
国道ほどじゃないがやっぱり車はビュンビュン飛ばすね。
でも一車線だからか、国道より道幅に余裕がある気がした。自転車レーンもしばしばあり。
述べたように走行車の速度は十分あるので、車道側に完全にはみ出るように回避する勇気は出しづらい。
(一度だけがんばって車道側に避けてみたが走行車が全く配慮してくれずめっちゃエンジン音吹かされた)
車道側に避けたら轢かれる危険性がある状況で歩道に上がるのは安全の確保のための通行と言えるだろう。
なお、この時段差等があったりしてすぐに歩道に上がれるとは限らないので、前々から上がっておかなければ積む羽目になる。
都市の民度によっては、路駐の間隔が狭くて結局ずっと歩道を行くこともある。
ここも基本的に車道通行できるとしばらくは感じたが、やはり路駐があるのと、あと交差点前のムーブがやばい。
小さめの普通自動車に、信号に差し掛かるというところでグイッと左側に寄ってこられた。
心臓がドキッとしたよ。ブレーキかけなかったら轢かれたんじゃないかと思う。
大きい道と比べるとこの辺りの小さい道はそもそも幅が狭く、車と併走する自体がなかなか安全とは言い難い。
自転車レーンがあっても、曲芸師かと言いたくなるような平均台みたいな幅で、意味をなしていない。
そんなわけで小さい道でもやはり安全確保のために歩道に上がる理由はある。
歩道がない場合は、歩行者も路側帯、自転車も路側帯通行。上述の通り著しく歩行者を妨害しなければ無条件で通行が許される。
歩道がある場合は、それに幅をとられて車道が狭い場合が多い。車と併走できる幅がなければ、歩道に上がらざるを得ない。
ってなんだかんだいって存在しないよなぁ
徴用工裁判時の「三権分立がー」という失笑物のいい訳を一斉に信じて繰り返してるブコメ欄や、志位らのコメントを書いた記事の奇観ったら酷かったよな
例えば、慰安婦問題にしても
って感じで、どう考えたってあいつらおかしいでしょ?ってなるのが、論理的な帰結で、それ以外のゴールに達する事があるのが信じられない訳だけど
何故かサヨク化したら、例外なく、韓国は正しい日本が間違ってる、って言い出す人になるよね。「合意は拘束する」とか請求権協定の存在とか無視して、三権分立ガーって言い出しちゃうのはなんでなんだろね。
この理屈が通らないという印象が、サヨクは理屈が通らない馬鹿と世間が忌避して、野党の支持率が下がり続けてる現象を説明する理由の一端だと思うんだけどね。
男目線で作る女キャラって、結局あらゆる要素が「エロい女体」を飾る為の記号でしかないんだよね。性格良くても悪くても強くても弱くても馬鹿でも賢くても最終的に「…というエロい/萎える女」という末尾に帰結する。
だから女オタクは無機物を含めた性的でないものへの萌え→擬人化セックスさせるという過程を経れるけど、男オタクはセックスしたい女を用意してそこに設定を付け足して差別化することしかできない。
Fateのジャックザリッパ―(幼女)とか、たしかコンピューターウイルスの擬人化として設定されたデザインをそのまま流用して殺人鬼設定にしたんだっけ?まず女体ありきだからできる拘りのなさだよあ。
男目線で作る女キャラって、結局あらゆる要素が「エロい女体」を飾る為の記号でしかないんだよね。性格良くても悪くても強くても弱くても馬鹿でも賢くても最終的に「…というエロい/萎える女」という末尾に帰結する。
だから女オタクは無機物を含めた性的でないものへの萌え→擬人化セックスさせるという過程を経れるけど、男オタクはセックスしたい女を用意してそこに設定を付け足して差別化することしかできない。
Fateのジャックザリッパ―(幼女)とか、たしかコンピューターウイルスの擬人化として設定されたデザインをそのまま流用して殺人鬼設定にしたんだっけ?まず女体ありきだからできる拘りのなさだよあ。
大前提として、私は松尾光高容疑者を擁護する気は全くないし、心底ちゃんと罪を償って欲しいと思っている。
ただ、私の今回のニュースから感じた思いだけ、このはてな匿名ダイアリーに書き記しておきたい。
来たる6/16、HNミッツこと松尾光高容疑者(26)が有印私文書偽造・同行使と建造物侵入の疑いで逮捕された。
……というニュースを私が知ったのは、YouTubeでふとおすすめ欄を見た時のことだった。
ANNの当該ニュース動画がサジェストされていたのは、私がミッツチャンネルをよく見ていたからか、
あるいはANNのゆるい動物ニュースをよく見ていたからだったのかはわからない。
最初見た時は、わっきゃいよろしく嘘ニュース動画をミッツが投稿したのかと思っていたが、
再生数を見て驚愕した。その時点で、95万再生だったからである。
ミッツの動画は良い時で15万再生程度で、投稿1日も経っていない動画が100万再生弱もされることはないことを、
そこから調べると、すぐに今回の逮捕ニュースが真実であることを知った。
その瞬間、なんとも言えない悲しさに心が埋め尽くされた。
このミッツというのは就活3浪というのを持ち味としたYoutuberで、
Youtubeで動画を出し始めたのはその3浪目からである(ちょっと自信ないけど)。
初期の動画ではキー局の面接にニッカを飲んでから臨むという本当にくだらない迷惑系の企画が多く、
あまりのくだらなさに笑える部分もあったが、その時点での動画は正直そこまで面白いとは思っていなかった。
それが故に、再生数が高い順に並べて4〜5動画ほどをつまみぐいした後は視聴をやめていた。
だがそれから時は経ち、確か今から1〜2ヶ月ほど前だったと思う。
その時の動画もそこまで再生数は伸びておらず、1万再生を超えるか超えないかぐらいだったと思うが、
その時暇だった私は動画を見た。
しかし動画の内容は、かつての企画とは大きく毛色を変えたものだったのである。
動画序盤はアル中カラカラライクな謎飯を作り、そのあとはその漢飯をミッツが食べながら
あえてその動画の詳細な内容には触れないが、それを見てミッツを見直してしまった。
今までの動画よりも、今までのミッツの赤裸々なエピソードに惹かれてしまったのだ。
ミッツの動画に一貫して感じられるのは、1人の若者が「何者」かになりたいと
懸命に足掻いている、その様子だ。
かつてミッツはインスタで盛ったオシャレな画像をアップして見栄を張ったり、あるいはたまたま会った芸能人とツーショットを撮るが、
それをまるで日常のように語ったりと、ひたすら見栄ばかり張っていた過去を語っていた。
しかし、3回の就活を全て失敗してしまい、その今までのメッキが剥がされて等身大の自分に立ち返った時に、
それが全て無意味だったことを知り、本当にやりたいことは世界一周しながら動画を撮ることだ、という点に帰結する。
そして今は、派遣の仕事をやって生計を立てながらも、動画コンテンツを作り続けている。
その姿に、私は気づいたら自分を重ね合わせていた。
就活の時期にパーマを当ててしまうほど、就活を舐めきっていた私。
一応内定は出たものの、とんでもない会社に入社してしまい、1年も経たずにやめてしまったこと。
転職先の会社でもうまくいかず、精神科に通いながらなんとか仕事を続けていたこと。
空虚な自分を覆い隠そうとするように、SNSで見栄を張ってしまったこと。
世界遺産付近でドローンを飛ばしたら現地の警備員に囲まれて捕まりかけた話。
Youtubeと並行してやっている派遣で7個下の社員に詰められる話。
正直、ミッツはかなり、というかとんでもなく考えが足りていないところがある。
しかし最近の動画の内容自体は、いわゆる迷惑系の動画ではなく、
ただひたすら経験を喋るというもので、不快な点は個人的にはほとんどなかった。
加えて、カメラマンである後輩2人との掛け合いもそこそこ面白い。
ただ、時折派遣の仕事の辛さに耐えかねた表情を見せることも多く、
早くこんな状況から抜け出したいとしきりに動画内でつぶやくこともあった。
そんな状況の中でも、TwitterのDMなどで悩める就活生からの相談に乗っており、
「困ってるなら就活3浪の俺を見ろ。いつでもDMを送ってきてくれ。全て返すから」という旨を動画内で言っていた彼のことを、
正直嫌いにはなれなかった。
そしてそんな生活を繰り返す中で、私が数ヶ月前チャンネルを見たときは1万人とちょっとだった登録者数は
2万人を超えており、今までの動画の再生数も徐々に伸び出していっていた。
そんな中で、逮捕のニュースが飛び込んできた、という次第である。
奇しくも、現時点で最新の動画タイトルは「もう限界です」というタイトルだった。
派遣仕事のキツさが祟ってミッツにしては珍しいぐらい憔悴しており、いつも動画を見ている私ですら心配になる程だった。
それでも、次の動画ではまた明るくバカなミッツが見れるものだと思っていたが、
こういった形で途切れるのは本当に残念だ、というのが正直な気持ちだ。
私は別に誰かにミッツチャンネルをお勧めしてきたわけでもないし、
正直公然と推せるような存在ではなかったが、窮地に陥っても懸命に足掻きながら、
トライアンドエラーを繰り返しながら動画コンテンツをアップし続けていたミッツのことは
結構好きだったよ、ということだけは記しておきたい。
最後に、最初に述べたように、ミッツにはちゃんと罪を償ってほしい。
ただ、罪を償ってまた戻ってきた時には、自暴自棄にならず、また誰もが笑えるようなコンテンツを出してほしいと、
心から願っている。
老人から政治への影響力を削ぐために、定年を迎えたら選挙権を失う、若者の票の重み付けをするといった制度の変更が必要である。
これらの変更だけで、あらゆる物事の決定が「若者の未来」=「国の未来」を見据えた未来志向の政治となる。
民主主義や資本主義を粉々に破壊する必要は無い。ほんの少しの軌道修正である。
多数決で勝てないなら、物事の決め方のルール自体を無視する必要がある。それには現状暴力しかない。
重要なのは、未来も今を生きる力も奪われた現代の若者は、暴力を行使する力も奪われている。
今後限界まで追い詰められた若者の中で、闘う選択をした者が捨て身でなけなしの暴力をふるうだろう。しばしば矛先も間違えるだろう。
しかしその愚かな行為の積み重ねが唯一の希望であり必要なプロセスなのではないかと考えると、暴動やそれに伴う暴力を応援する人の気持ちが痛いほどわかる。
ミクロ的な視点でたとえ自身や周りの大切な人が傷ついて後悔したとしても、マクロ的には必要な手続きであると頭で理解し、帰結してしまう。
今期は雰囲気アニメ説に一票。あと元増田がふわっとしてるので(書き終わった瞬間元増田の記事が消えた)。
実は前作の6話だったか、選ばれてない人間はどうしたらいいんだ、という承認に関する問いかけがあった。
一期は古いTVと波長が合ったグリッドマンが色々命じてきて、戦うという必死さもなくシュールな空気の中でアンチくが食い下がってくるという話だった。アンチくんからすれば最終的には自分の生の目標が生まれてアイデンティティを失わなくてすんだし、アカネも自分の居場所を見つけることができた。なによりテーマ性として居場所と承認と本当の自己という欲求の根本が表現できていたと思う。ちょっとうろ覚えだけどグリッドマンはたしか選ばれたものだけがTVを見ることができるという設定だったはず。要するに選ばれずにグレ続けたアカネや、途中ちょっとだけいじけた内海なんかの対比もちゃんと描けてる。
仕掛けも面白かった。謎のTVから始まって怪獣が出先で突然出現したり、世界の謎がああだったりと(まあ別に新味はなかったけど)。
で、今期なんだけど別に取り立ててそこまでのメッセージはないんだよね。振られたことからいつまでもスーパー(コンビニだっけ?)の若奥さんのことを思い続ける先輩、なんとなく先輩のことを気にかけるチセ、過去を引きずる南とガウマ。つまり過去の中になにかあるってことはわかるんだけど、それ以上の引き出しは今の所ないように見える。彼ら自体の向かう先は過去を引きずらない、という帰結なんだと思う。半分終わった時点で南の姉が空気読みに近いじめに関わっていたのでは、という話になっているし、ガウマも仲間外れ、そして大人アンチくんとも仲が良くない。なので結局最期は融和というテーマで終わる可能性もあるね。だから各部位の合体と協調が前作より強く打ち出されている。テーマ性でいってもトランプ政権やブレグジット、コロナで分断された人々という時代に適合しているしね。
恥をかかないように、失敗しないようにと習い事などをどんどんさせ、私立中学、有名高校、大学へのレールを引きたがる。その結果、子供は「失敗を恐れ安定を選びやすい」傾向になる。また塾などを詰め込むため、同年代の子供との交流時間が減り、コミュニケーション能力の減衰を招きがち。
高校卒業するまで自分で服を選んだことがない、ということもザラ。いざモテを意識しないといけない時期になっても「自分で服を選ぶ」ということができない。また「失敗を恐れ安定を選びやすい」傾向から、黒シャツにジーンズ、といった服装に帰結しがち。
・問題に口出しがち
金銭的、人間関係的、その他さまざまな問題に口を出して子供の「問題を解決する能力」「問題にあらがう能力」を減衰させがち。その結果、受験失敗、就職失敗などいざ失敗した際にそれに対抗する能力が不足し、より親に依存しがちになる。
弱者男性は過保護親に「選択する能力」「失敗する権利」「失敗を挽回する能力」を奪われた結果、付き合う相手も自分の意思で選べず、失敗を恐れて気になった相手にアプローチもできず、仮にアプローチできても一度や二度の失敗で逃げ出してしまうような人間に育ってしまう。
そういう意味では弱者男性は被害者ともいえるが、彼らは最終的にはその原因を親に押し付けて自分の責任からも逃れようとしてしまう。もう、終わりである。