でもやっぱり人の性質的に共感し合いたいものじゃんか。この問いかけ自体が共感を求めちゃってるんだけどさ。
より正確に言うと、誰でも彼でも共感して貰えばいいわけじゃなくって、家族とか友人とか同僚とか、自分の属するコミュニティの中で共感して欲しいと思う。つまり存在が承認されたってことだから。
弱者男性論にも、フェミニズム論にもそこって大きくて、存在が透明化される=存在が承認されていない=共感が得られていないってことだと思っている。
あと、ちょっとおもしろいなって感じているのが、いわゆる若者言葉とか。ワイドショーとかで「最近の若者はこんな言葉を使ってる」って紹介するとコメンテーターが「全然理解できませんね」って言うやつ。あれは若者の立場からすると、自分のコミュニティの外の人間には共感されたくなくて使ってるんだと思うんだよね。自分のコミュニティのみで共感されて、外の世界では拒絶されるってことが、より自分のコミュニティを強固なものにしてくれるってことかなと。
逆にちょっと危ういなって思っているのは、やっぱりSNSよな。Twitterのトレンド見てて、なんかエクストリームな意見だなってやつがあると、どんなリプライがついてるのか気になってツリー開いちゃうんだけど、必ず「あ、私と同じ意見の人見つけた」みたいなのがあるんだよ。これって本来は自分のいるコミュニティの同調圧力によって矯正されるはずのエクストリーム論が、外の存在に繋がることで生き延びちゃうってことだよな。コミュニティの同調圧力って嫌な感じするけど、自浄作用っていうか、まあ社会を成り立たせる上でポジティブな面もあったと思うんだよ。みんながみんなありのままに生きてたら、みんなそれぞれの山で氷の城に閉じこもることになりかねない。
まあこんなことをくだくだと書いてきたけど、俺がいま共感されるかどうかヒヤヒヤしながら考えていることがあるんだ。
わかるー。俺もSNSにありがちな「求めすぎる姿勢」にはちょっとなーと思う。別におならが臭くても嬉しくはないが。 ボトルメールみたいな奥ゆかしさがないんだよな。SNSには...
あれ結局、得か損かに直結するからね。 自分に何かが帰ってこないとリアクションしないひとが増大した。 帰ってこないと(承認されないと)否定されたように感じられる人が増えたと...
最も過激な「本音」(実際にそれが本音なのか、瞬間的に抱くこともある一時的な想念なのかはともかく)を言う同士で共感・共鳴し合って、「これっておかしいことじゃなかったんだ...
この増田もこうして共感を求めるてるようだが?チガウノ?
フェミニズムが共感ベースの議論をするから、それを学習してアンチ・フェミニズム陣営がつくった概念が弱者男性なんだよ。 で、この共感ベースの議論っていうのは、別にフェミニズ...