はてなキーワード: 多面的とは
---折り返し---
か?
今日の皐月賞を制した横山武史騎手が天皇賞春を勝てば、祖父・富雄 (メジロムサシ)、父・典弘 (サクラローレル、イングランディーレ、ゴールドシップ) に次ぐ父子3代制覇だな。
おぉ、富雄の勝利は第63回、典弘は第113回、そして今年は163回...。25年周期、あるぞ (天皇賞は春秋通算でカウント)。
他にも、騎乗予定のウインマリリンが勝てば、父スクリーンヒーローにとっては、モーリス、ゴールドアクターに次ぐ3頭目のGI馬、グラスワンダーからの父子3代GI制覇、馬主の、故・岡田総帥の3男率いるウインレーシングクラブにとってもウインクリューガー、ウインブライトに次ぐ3頭目のGI馬、などなど。
競馬って、馬そのもの、その馬を擬人化したキャラクター、騎手、牧場、血統などのドラマ、そしてAIなどの理系的な楽しみなど、とても多面的な遊びだけど、ほかに、こういう「サイン馬券」という、こじつけによる言葉、数字遊びもあるんだよ。
夫:30代、会社員
子:1歳6ヶ月
区内の認可保育園に入れるには両親共にフルタイム勤務が最低条件。年度によって異なりますが年間10コマ(週3日程度)ではこの条件に遠く及ばないため、認可外保育園を検討し、産後7ヶ月で近隣の企業主導型保育園に入園しました。
基本的な預かり時間は9:00〜16:00まで。授業の日程上、どうしてもこの時間内の送迎が難しいときは開始を30分早めたり、18:30まで延長してもらいました。
前期は以下の日程で仕事をすることに。
この日程に合わせて送迎時間の変更を園に打診したところ、勤務時間+通勤時間しか預かりができないとの返答がありました。
勤務時間として拘束されるのは1コマ90分の授業時間のみですが、当然ながら授業準備等の時間外労働があります。その旨保育園に訴えたものの、国から就労実態がない時間の預かりについて指導が入り、就労証明書に記載されていない時間は預かりが認められないとのことでした(ちなみに企業主導型保育園は内閣府所管)。
大学、専門学校と交わしている労働条件通知書に記載される勤務時間は授業時間のみ。時間外労働は「命じない」と明示している学校もあります。
とはいえ実質的に授業を行うためには以下の時間外の業務を必要とします。
〈事前準備〉
〈事後の業務〉
〈期末の業務〉
補足1:資料作成について。基本的には前年度の資料を再利用しますが、前年度に授業をやってみた感触や学生の授業評価アンケート等を受けて、内容を精査し、手直しすることも多いです。また、新規に担当する科目についてはイチから作らねばならないため、教科書や論文等を読み込み、授業の構成を練るのに膨大な時間を要します。
補足2:出欠について。昨今、文科省が唱える単位の実質化の名の下、出欠を厳格に管理する流れがあります。出席回数が3分の2を下回ると評価を受けることができないと明示する学校もあり、毎回出欠をカウントする必要があります。(なお、学生証のタッチ認証で自動的にカウントする学校では、ありがたいことにこの業務から免れています)
補足3:成績評価について。私の学生時代には試験やレポート等の単一指標で評価するのが一般的だったように思いますが、現在は評価の妥当性の観点から、複数の指標を用いて多面的に、ポートフォリオ的に評価することが求められています。このため、最終試験や最終レポートのみならず、授業内課題を合わせて総合評価を行なっています。
以上より、授業1回につき、通勤+授業+時間外業務で丸1日以上潰れることがご想像いただけるのではないでしょうか。個人情報保護の観点から通勤の電車内で課題を採点することも難しくなり、授業時間+通勤時間で上記の業務をこなすのは不可能と言えます。
産前は土日を仕事に充てることができましたが、現在は家事・育児で手一杯になってしまいます。このため、授業のない残り2日間は時間外労働に充てるために何としても預かり時間を確保したいところです。
(子どもが寝静まった夜間に時間を取れば良い、との意見も聞こえてきそうですが、私自身がロングスリーパーで睡眠時間を確保しないと不調をきたすこと、長年患って最近ようやく回復したうつ病の再発が怖いことから、できるだけ無理をしたくない)
各学校に対して「就労証明書に授業時間外の業務があることをせめて備考欄に書いてほしい」と伝えていますが、なかなか叶いません。
園からは区による「保育の必要性の認定」を受ければ預かれると言われたものの、「週4日以上、1日当たり4時間以上の勤務時間」が区の認定基準…週3日、3時間未満の勤務ではこれを満たすことができません。
1. 保育園(国)や区が、会社員のように固定された労働時間しか想定しておらず、多様な労働のあり方を認めていない。したがって個人事業主であれば提出できる就労状況の自己申告すら受け付けてもらえない。
2. 大学・専門学校が雇用条件として授業準備等の時間外労働を認めてない。
1.については内閣府に意見を送ろうかと考えています。2.については地道な交渉が必要なのでしょうが、個人レベルの交渉では埒があかず、すでに心が折れそうなので、非常勤講師の労働組合に入ることを検討すべきなのかもしれません。
仕事を全部辞めてしまおうかと自暴自棄に考えてしまうこともありますが、いずれは専任になりたい願望もあり、諦めきれずにいます。
睡眠時間を犠牲にして、勤務日の夜間+1日、適当なバイトを入れて、区の認定基準をクリアするぐらいしか思い付きません。
「同性愛が苦手」でもいいと思う。
ただ一方で、文章読むとその原因は「価値観としてそう教えられてきたから」という点に帰結しているように見えた。
その点では、「教えられた価値観に束縛されない、もっと自由な人生を歩むといい」と思う。
あなたの教えられた価値観なんて、絶対的な真理とは言えない、移ろいの中の途中経過のものでしかないと思う。
同性愛について歴史を通して見るてみると、日本では中世から近世まで同性愛は今ほどのタブーではなかった事実が厳然としてある。(稚児とか衆道とか)
海外に目を転じても、古代ギリシャでは「少年愛は義務」だったりする。プラトンの著作とか読むとわかるけど。
同性愛がタブーになったのは、キリスト教が禁忌とし、かつ西洋文化が支配的になったからに過ぎないとも言える。(イスラム教でも禁忌か)
日本の価値観に絞って考えたとして、ここ百年やそこらの「俄か」の価値観に縛られる必要ない、と言っても言い過ぎではないと思う。
知能コンプレックス、持ってないよ
高卒のアホなりに考える頭の良さ
一つの事象から類推できる連結能力。 記憶力。 記憶力を連想変換できる能力(記憶術等)。 事象を記号化して整理できる。 上記のメソッドなどを思いつく事象や抽象概念の分解能...(
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それで何すんの?
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[University of Iowa] Pigeons can discriminate both space and time
https://now.uiowa.edu/2017/12/pigeons-can-discriminate-both-space-and-time
鳩は空間と時間の両方を区別することができます(そもそもタッチスクリーンを操作出来る)
[CNN] ハトを使って乳がん発見、米研究チームが実験
https://www.cnn.co.jp/fringe/35073804.html
カリフォルニア大学デービス校のリチャード・レベンソン教授(病理学・臨床検査学)らの研究チームが明らかにした。
15日間の訓練の結果、ハトは初めて見る画像であってもがん細胞の有無を85%の確率で見分けることができるようになったという。
[APP] 鳥類の「賢さ」、小さな脳に密集する神経細胞が寄与? 研究
https://www.afpbb.com/articles/-/3090392
小さな脳を持つ鳥の「賢さ」に科学者らは長年、頭を悩ませてきたが、13日に発表された研究論文によると、
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お前の最初の鳩に対する問いの内容を絞れということなのか、それとも単なる検索自慢なのかがわからん。 そりゃマインドのことだと思って適当にいなすわ。
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増田があげているいくつかの項目においてハトは生得的に人間以上の能力を持つけど
って言われても腹立たんやろ。スルーする
それと同じで増田が定義する頭の良さとやらで煽られても多くの人はスルーする
増田が重要視していることを必ずしも他の人は重要視しないからだ
■「本は整理された表現で書かれている」とドヤ顔してる奴が薦めるビジネス本ってさ(2020-11-03)
ブログと同じレベルの文章が単に300ページ分詰まってるだけだよな……。
話、支離滅裂で整理されて無くて同じ話何度もしたり、思い出したように別の話始まったりするし……。
あれ整理されてると思ってるやつて、単に本という媒体で纏まってれば整理されてるように感じるのだろうか。
マジでアホって凄い。
↓
そういうレベルでも問題なく社会でやっていけるのが世の中なので知能とか関係無いですよってずっと思ってるが
あーわかった。
つまり増田は一点突破で仕事に全部捧げるのが「男の強さ」だと思ってるわけだ。
俺はそれは強さでもあるけど弱さでもあると思っている。
清原を見てみろよ。
野球一点突破で強い男の象徴のような人だったけど、それは弱さでもあった。
弱さを認められるという強さもあるんだ。
悩みがあるときにすぐに知り合いに愚痴ったりカウンセリングにかかっている人は弱そうに見えるけど、すぐに相談できる人は自殺するまで鬱を悪化させにくい。
それは生きのこるという面では強さだ。
大変な仕事に取りかかって文句も言わずやり抜こうとする真面目なやつは強いやつだが、鬱にはなりやすい。
これは生き残るという面では弱さだ。
なにかを成し遂げるとか、資産を築くとか人生に抱く幻想はいろいろあるけど、なにをおいても生き残ることが重要だというのが俺の立場だよ。
タイトルの通り。筆者は高校の教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テストの方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやすく解説していきたい。
わかりやすくとはいえ、大学入試の古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典の知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。
問題や解説・予備校の分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。
https://www.toshin.com/kyotsutest/
https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/
https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf
以下は教員仲間とのディスカッション用メモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。
まず、第三問の古文。
センター試験から変わると事前に予想された、複数の文章や会話形式の選択問題はなかった。
本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章の入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。
・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。
・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの。
これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ「文学的な文章の鑑賞」つまり「作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。
・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。
・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念「無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)
・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。
・また、過去の試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力を古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である)
これだけでも十分すごいが、続いて漢文。
こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通のテーマの文章ふたつの出題である。
・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題。
・とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。
・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。
・漢詩の押韻の知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題。しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。
・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。
・文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補は「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。
・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。
・しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのである。しかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。
受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり、受験生の心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。
・よって受験生は文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程を要求される(というよりも問題側から誘導されてゆく)という問題の構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である。
このように、古文・漢文ともに「受験生に思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生の思考を多角的なものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。
また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題の誘導する深い思考に対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路が設計されている。学力を測る目的の大学入試問題としても適切である。
センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報を多面的・多角的な視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術的知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育の現場から、惜しみない賛辞を送りたい。
・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう。自分にとっても、いろいろ考える機会になった。
・別記事で「古典を義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。
https://anond.hatelabo.jp/20210222160532
この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……
古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています。
古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります。
・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすくしました。
こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくまで論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。
よくある誤解だけど、国語の入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情・センス」ではなく「論理」になっています。
もしかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。
石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分の現代文指導の根本にある本です。
解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。
解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典の学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います。
これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数の問題でも非常に数学のエッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。
新共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問のエッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています。実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。
今回の共通テストはセンター試験の名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃんと多角的な思考力を問う内容になってる!
そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさらに進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすいものになっています。
それもあるし、これを見た高校の先生は「知識だけでなく、学問的な思考の方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります。
大学入試改革は、高校入試改革の嚆矢としての役割を持っているので、この方向性は国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います。
古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来の人達に私達の心情とか踏まえて歴史を理解して欲しいって思うもん。
こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います。
今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンターや共通テストが良問であるとされる所以ですね。
最近インターネットのことを考えると胸が高鳴る。イヤ分かるぜ?分かる。俺はインターネットのことなんて、全体から見れば何も知らないも同然だ―――謂わば赤子ね。いや赤子に例えるのは不適切かもしれない。赤子の目の前には残された人生という可能性の山が積み上がってるけども、インターネットはそう単純じゃない……さながら絡み合う何億本もの糸が如く、量子力学的な不確定さがそこにはあるからな。それはもちろん可能性とも呼べるだろうが、同時に無限性……言い換えれば非有限性だ。赤子には可能性が残されてるけど、俺は既にインターネットを渡り切ることはできないことが確定している。まあこれもまた「分かってる風」のことを書いてるだけで、結局のところ俺はやっぱりインターネットについて何一つ理解していないんだ……しかし胸が高鳴る、クソッ振出しに戻った!と言うか冷静に考えて俺の書いてる文章はナニ?っつー話なんだよね、朝になって見返せば悶絶が待っていることは予想できてるのに、ただテンションに任せて何の価値も無い文字列を延々と生成している……俺がこのテキストボックスの下に配置された簡素な「この内容を登録する」ボタン(いや、「確認する」ボタンだろうか?はてな匿名ダイアリーは初めて使うので勝手を知らない)を一つポチるだけで、俺の文章は紆余曲折を経てどこかしらのサーバーに巣食い始め、インターネットの一部になるワケだ―――インターネットへの感情そのものがインターネットに影響を与えていることになる、非常にロマンチックだ。多分この「非常にロマンチックだ」とかいう意味の分からない評価もきっとインターネットにおいては極めて複雑な力関係の下に成り立っているんだろうが、俺はそれを一切知らない、一切だ。インターネットのことを全く知らないのにインターネットのことを考えて胸を高鳴らせている。でも問題ない。この「でも問題ない」という決断自体も、きっとインターネットにおいては極めて複雑な力関係の下に成り立っているんだろう―――しかし、それも含めて問題ない。その「問題ない」もやはり以下略なのだろう。でも問題ない。思考がループしている。インターネットの無限性……非有限性……に飲み込まれたらいったいどうなるんだろう?怖い。イヤ怖くはない。恐らくこの怖くないって思考もインターネットへの不理解が原因で、実際の所は怖いのだろう―――だが、その「実際の所は怖い」すらインターネットにおける一側面でしかないとしたらどうだ?怖いか怖くないかはニュートラルなそれと化すことだろう……箱の中の猫ね。こんな風にインターネットは常に不定形で、正解なんてものを持たない……つまり俺が考えた事柄すべてが「不正解じゃない」ってことだ。だがこれすら真理じゃなく、やはりインターネットの一側面でしかないんだ。俺はこのクソみたいな文章を書いてどうしたいんだろう?インターネットに投稿したいんだ、わかってる。この感情だけは絶対に不定形でも一側面でもない―――俺は、インターネットに影響を与えたいんだ。全体から見れば何も知らないも同然なインターネットに。いや与えたいんじゃないかもしれない。自分の感情すら分からない……まるでインターネットのように。ひょっとしたらそれはインターネットそのものかも知れないけど、そんな筈は無い。でもそうかもしれない、インターネットは多面的だからだ。ただ一つ言えることは、最近インターネットのことを考えると胸が高鳴るということだけだ。
最近インターネットのことを考えると胸が高鳴る。イヤ分かるぜ?分かる。俺はインターネットのことなんて、全体から見れば何も知らないも同然だ―――謂わば赤子ね。いや赤子に例えるのは不適切かもしれない。赤子の目の前には残された人生という可能性の山が積み上がってるけども、インターネットはそう単純じゃない……さながら絡み合う何億本もの糸が如く、量子力学的な不確定さがそこにはあるからな。それはもちろん可能性とも呼べるだろうが、同時に無限性……言い換えれば非有限性だ。赤子には可能性が残されてるけど、俺は既にインターネットを渡り切ることはできないことが確定している。まあこれもまた「分かってる風」のことを書いてるだけで、結局のところ俺はやっぱりインターネットについて何一つ理解していないんだ……しかし胸が高鳴る、クソッ振出しに戻った!と言うか冷静に考えて俺の書いてる文章はナニ?っつー話なんだよね、朝になって見返せば悶絶が待っていることは予想できてるのに、ただテンションに任せて何の価値も無い文字列を延々と生成している……俺がこのテキストボックスの下に配置された簡素な「この内容を登録する」ボタン(いや、「確認する」ボタンだろうか?はてな匿名ダイアリーは初めて使うので勝手を知らない)を一つポチるだけで、俺の文章は紆余曲折を経てどこかしらのサーバーに巣食い始め、インターネットの一部になるワケだ―――インターネットへの感情そのものがインターネットに影響を与えていることになる、非常にロマンチックだ。多分この「非常にロマンチックだ」とかいう意味の分からない評価もきっとインターネットにおいては極めて複雑な力関係の下に成り立っているんだろうが、俺はそれを一切知らない、一切だ。インターネットのことを全く知らないのにインターネットのことを考えて胸を高鳴らせている。でも問題ない。この「でも問題ない」という決断自体も、きっとインターネットにおいては極めて複雑な力関係の下に成り立っているんだろう―――しかし、それも含めて問題ない。その「問題ない」もやはり以下略なのだろう。でも問題ない。思考がループしている。インターネットの無限性……非有限性……に飲み込まれたらいったいどうなるんだろう?怖い。イヤ怖くはない。恐らくこの怖くないって思考もインターネットへの不理解が原因で、実際の所は怖いのだろう―――だが、その「実際の所は怖い」すらインターネットにおける一側面でしかないとしたらどうだ?怖いか怖くないかはニュートラルなそれと化すことだろう……箱の中の猫ね。こんな風にインターネットは常に不定形で、正解なんてものを持たない……つまり俺が考えた事柄すべてが「不正解じゃない」ってことだ。だがこれすら真理じゃなく、やはりインターネットの一側面でしかないんだ。俺はこのクソみたいな文章を書いてどうしたいんだろう?インターネットに投稿したいんだ、わかってる。この感情だけは絶対に不定形でも一側面でもない―――俺は、インターネットに影響を与えたいんだ。全体から見れば何も知らないも同然なインターネットに。いや与えたいんじゃないかもしれない。自分の感情すら分からない……まるでインターネットのように。ひょっとしたらそれはインターネットそのものかも知れないけど、そんな筈は無い。でもそうかもしれない、インターネットは多面的だからだ。ただ一つ言えることは、最近インターネットのことを考えると胸が高鳴るということだけだ。
なんとか格差の緩和策を考えたい。
・東大側が出来ること
貧困家庭や社会的に恵まれないバックグラウンドを持った受験生には、その分の特別点を入試の点に加算する。
入学後も学力的についていけない場合は、成績評価の際に貧困度やバックグラウンドを考慮して加点して評価する。
入試も学力試験一辺倒ではなく、スポーツ、音楽、芸術の才能があるとか、ボランティア・地域貢献をした実績があるといった多面的な評価基準を作る。
・恵まれた家庭の親が出来ること
格差を少しでも緩和するため、子供を中卒か高卒で就職させるように努力する。
話が主観的すぎてなんとも言えない。
姉が怒るに至る心理的背景も、喧嘩の具体的なシチュエーションもわからない。
あげている事柄も、食べ方が汚い、怠ける、服装がダサい、人見知りがち、進学先の偏差値が低い等、
わりと至るところで聞かれるものが多くて、程度にもよるがそれだけで異常だと判断できかねるものばかりなので、安易に同調していいものか困惑した。
(程度によるので実際にあってみれば自分も「この人はおかしい」と感じる可能性はある)
読む限りお姉さんは人一番無気力でクズに見受けられるが、いくらF欄とはいえ四大をつつがなく卒業し新卒で入社した会社に結局今も勤めているところからして、社会に順応する能力はそれ相応以上とも解釈できる。
で、それを覆せるだけのインパクトのあるエピソードは増田を読む限り残念ながらなかった。
世の中には大学や高校も不登校になってそのままドロップアウトするような奴もいるし、
Fランなのに留年するような奴や近年の売り手市場でも現役で内定もらえなかった奴、
何したらそこまで疎まれるのってぐらい騒然ないじめを受ける奴、
簡単なはずの小売り店アルバイトを試用期間で首にされる奴、そもそもその面接で落される奴、
とまあお姉さん以下の属性を持った人はいくらでもいるし、そういう人たちもなんだかんだ社会の中にすぽっとおさまって生きていられてる。
正直言うと増田やブクマカの傾向から言って、毒家族問題という体裁で自分が如何に疲弊しているか相手がどれだけ醜劣かを強調すれば、内容関係なく書き手に同情的なレスポンスは寄せられる。
意図してか無意識かはわからないけど増田もそれ(同情的なレスポンス)を期待して投稿したのは読んでいてわかった。
わかったしこれが作り話でないなら、確かに貴方はフラストレーションを溜め込んでいておおよそ健康的ではないと認められる。
でも話を合わせてくれる人を選んで、取るに足らないと思われかねない話をだらだら羅列していくのは、リアルに誰かの助けを必要とするときや問題を解決したいと本気で思ったときに不利になるだろうから辞めたほうがいいよ。
気を抜いて愚痴るのは悪いことではないし、それが嘘か本当か自分は気にしない。
しかしながら増田が冷静で客観的かつ視野が広く、青年として申し分ない含蓄があり物事を多面的に見れる、そういう信頼に足る人物だと思わせたいのなら
こういった場でこういった語り口を選ぶのは適切ではないと思った。
でもさあ、ネタバレ良くない配慮すべしってのはそうだと思うけど、言うほどネタバレ食らっても感動体験の質は変わらなくないか?
結果に至るまでの過程とか、演技とか、演出とか、そういう細部に神が宿っているから人は感動するもんだと思うし。
だから、俺は実際見たときに事前知識と関係なく初見でおおっと映像に圧倒されるし、なんなら見ているうちに没入してバレ内容は頭から消えてる。
こいつが犯人みたいな分かりやすいバレの類ならちょっと気にして見ちゃうかもしれない。
でも口頭で伝わる情報量なんてたかが知れてるしそもそもバレトークの内容は「その人の見方」にすぎんよね。
実際のストーリーってもっと複雑で多面的な見方ができるもんだったりするから、人の話をそこまで信用せずに自分の目で確認する、ってスタンスなのも俺のバレ耐性に有利に働いてるのかもしれない。
問題があるとしたら、「バレ食らったからもう見ない!」ってタイプの人かな。でもそういう人はもとからそんなに見る気がなかったんじゃって気もする。