はてなキーワード: 可処分時間とは
冷えピタシートの代わりに
私はそこの玉子焼き好きよ。
不自然に美味しすぎる、
あの謎調味で美味しい玉子焼きなんなの?って思うし、
たまーに早起きして朝定目玉焼き定食頼んでいたことをすっかり忘れて単品玉子焼きを頼んじゃって、
バターみを感じるのでバターとかたっぷり使ってるんでしょうね?って思うけど、
たぶんぜんぜんこんなこと言っても共感してくれないと思うので、
こんがり焼きたてのクリスピー薄手の美味しいピザ急に食べたくなるときないかしら?
って言い換えるわ。
さすがにフライパンでは上手く焼けるかどうか試してないけど、
試してみたいところよ。
でもぜんぜん不便じゃないんだけど、
なんでも鍋で温めたらいいじゃんって
マリーアントワネットさんが電子レンジがなかったら鍋で論をって言い出しちゃわないうちに、
人間はいかにしてその数分という可処分時間を生み出すかに今後の人生設計がライフになると思うから、
例えば、
機械で60分かけて洗ってもらった方が
かと言って
人類は玉子焼きが美味く焼けたときの成功体験を一生抱きしめて生きていけるほど、
玉子焼きは味の甘い辛いはともかく、
どっちが美味しいでしょう?大会で優勝出来るほど
テクノロジーが発達した世の中だと、
人類はもう
どちらで焼いたかどうか見分けが付かなくなるかも知れないわね。
だけど、
パパッとかけて美味しくする隠し調味料の分析では解析できないほどの達成感は
機械にはきっとその焼き上がりに達成感という味の決め手の調味料を加えることが出来ないと思うの。
玉子焼きを注文したら、
やっぱりここのお店は達成感という隠し調味料のことを知ってるが故だと思うのね。
もうお客さんは
任されたが勝ち
玉子焼きを焼かなくても、
おつまみのハムを下に敷いて勝手にハムエッグを焼いてもOKだってことなのよ。
本当になんともおかしな話しだけど、
安い美味しいものは食べたい!って欲張りなのに
愚かさをも感じてしまうわ。
鶏を生きたまま宇宙船に搭載させると思うの。
もうずっと卵を産み続ける運命を背負いながら
人類のその有効なタンパク源の源として活躍してくれるだろうと思うの。
冷えピタシートの代わりになったり、
私もあの定食屋の
あのパウチされて湯煎して温めるだけで食べられる何の色気もない宇宙食玉子焼きには負けてられないモン!
うふふ。
本当はもっと揚げたて熱々を挟んだのも美味しいけど、
このぐらい温度が馴染んだ頃合いのも美味しいわよね。
やっぱりソースみが強すぎるので
大将そーっすね!って言ってくれなかったわ。
さすがに。
久しぶりにドラゴンフルーツを果肉が白いの買ってきたので
1個だいたい300円ぐらいだけど、
今回はリーズナボーだったって訳よ。
だからリーズナボードラゴンフルーツウォーラーってことにしておいて!
そのまま食べた方が美味しいけどね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「アンチの意見だから耳を傾ける必要はない」と切断する態度をみかけるようになった。
「アンチ」を「ネトウヨ」や「パヨク」「フェミニスト」にしても良い。
実は自分も「ネトウヨ」に対してやってしまいがちだが、本当にそうか立ち止まって考えたい。
理想的には得られるものは少なくても相手の意見に耳を傾け、僅かでも改善できるようが良いし、
可処分時間の少なさや断絶のあまりの深さから説得が現実的ではなく、異見を切断するのがベターであってもしかたはないとは思う。
しかし、それがベストではないことを忘れて切断処理を繰り返していると、
心のなかで相手を無価値な存在だと断じて透明化する――情報的に抹殺するかりそめの全能感に
酔いしれてしまう。
そのような情報的な人殺しに慣れた人間が、もしも物理的な人殺しをできる立場になったとき、
心理的な殺人へのブレーキは常にベストの人付き合いを自問自答している人間よりも弱いだろう。
少なくとも自分は恐ろしい。
ふと思ったんだけど、
スマホやタブレットやパソコンなんかいろいろな物がさ便利になってるんだけど、
私たちは変わらずポンコツのままなのかしら?と不安になると木があるんだけど
そのー木なんの木~気になる木~って
本来ならアウトプットをばんばんすべく私たちがぽんこつのままではいいのかしら?と言うことなの。
そう言うことを考えると意識が高すぎるのかしら?と思って止まないけど、
じゃ私たちはどう暮らしていくのが上質な生活なのかしら?とも思うし、
考えれば考えるほど、
噛めば噛むほど味が出るスルメのように
そうやってスルメを食べながら噛みながら味わっていると
でもたいていの多くの人はコンテンツを凄い勢いで消費する
積んで積んで積みまくっているのよ。
そんでね、
お鍋と食器とかがあって、
私はお鍋だけ洗えば、
5分で済んじゃうのよ。
ただただ人が怠けるためのテクノロジーの発達なのかしら?と思いつつも
これはこれでいっかーって
こうやって時間を攻めていって
可処分時間をどんどん作っていけば、
もしかして私の睡眠時間も増やせるんじゃないかしら?とも思うのよ。
延々とスーパーマリオをやんなくても、
これはこれで私にとって質の上がることでもあるし。
私の知らない間に
消費しきれない莫大なコンテンツが生み続けられているって
そうね知能の高い超高い地球外生物が地球の横を通りすがるときに、
あの星は人口に対して消費するコンテンツの量が不自然に膨大な量で不可思議だ!って
今見たり聴いたりしているチャンネルとは別の
世界線があるわけじゃない。
私思ったのよ。
その仮想現実の裏では自転車を延々とこぎ続けて電力を生み続けている、
あの中世奴隷の図でお馴染みの何か臼のような物をぐるぐる回す版でもあるかのように、
ずっとずっと自転車をこぎ続けるという未来しかないのかしら?ってまた不安になるわ。
結論として
コンテンツに溢れた世界の末は自転車をこぎ続けそれで貯めた電気の蓄電池が通貨となる世界しかないのね。
うふふ。
なんだか食べない方が頭の回転が速いような気がする気もしないけど
最近フィッシュフライサンドにありつける率が多くなってきたので嬉しいです。
美味しいから嬉しいわ。
粉末の生姜湯を1箱いただいてもらったので、
ぽかぽかと温まるわね。
また寒くなってきたので、
こういう時は
最強に温まれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だってアイツら無限に時間があるときに練習し放題だっただけの癖に「好きならもっと練習したら?」「人生で10000時間やりこんでから才能を口にしろ」と言ってくるじゃん。
は?社会人の可処分時間なんて家事や生存活動を考えたら頑張って週40時間とかですけど?
それで100000時間って何年後?何年後よソレ~~~?
でも子供だったら学校から帰ってきて毎日超暇だったし、クソデカ夏休みとかもあったわけだから、その時期から描いてたらそりゃあ楽勝だよね。
そんな連中が「ちみたちぃ描いてる量自体が足りないんじゃない~~~??」って……。
いやあ昔からやってりゃ偉い老害ムーブに実際の実力が組み合わさって部活のうざいOBのソレっすわあ。
こっちは別に「上手いやつはずるい」「今すぐ上手くなりたい」とまでは言ってないのに、勝手に繊細発動して「嫉妬されてつれ~~わ~~秒で俺らレベルになろうとする無気力馬鹿が多くてつれ~~~」とか言い出すの辞めません?
「漏れたスタミナは引退した日以降に貰うはずだった分だと思え」
「楽しむことの邪魔になるならすべて忘れろ」
「貼られたガチャはコラだと思え」
「飽きたら辞めろ次のゲームがある」
「飛車角落ちでも俺なら勝てる負けても俺のせいではない」
「他人の金の使い方に口を出すな」
「キャラ愛を所有で表すのは三流語りで語りで表すのは二流」
「後ろ足で砂をかけたくなったら早めに去れ」
「PtWで他人と競うのはアホ」
「迷ったら課金はするな」
「中の人も寝かせてやれお前も寝ろ」
「物差しの数は1人1つじゃないから強いだけの奴も可愛いだけの奴も欲しくて当然」
「適度なストレスは楽しめるし楽しめないならそこが辞め時」
「ギルメンのために遊ぶな」
「持ってないキャラをいらないと言う理由を探すな欲しいけど持ってないは何もおかしくねえ」
「クソさを楽しめるのはゲームの利点」
「辞めるも復帰も自分で決めろ」
こんなことを書くと批判されるのはわかりきっているのだけど、最近のゲームは道中に時間がかかりすぎる。
RPGにしてもアクションゲームにしても、数少ない可処分時間しかない身としては、「敵が強くてやり直し」というものがとてつもないストレスになる。
いいんだよ。「なるほど。そうやってプレイヤーの行く手を阻むのね。」っていう意思だけ感じられれば。
トライアンドエラーで解決するまで取り組まなきゃいけないのは人生だけでいいから。
せっかく面白そうだと買ったけど、難しいというよりは面倒くさい(取り組むだけの時間がない)ことを理由に中断してしまったゲームが山のように積み上がっている。
時間だけの問題ではなくて、昔ほど情熱を持てないというのも大きな理由だということもわかっている。
年を取ると、大好きだったゲームさえできなくなるのか。
そう思うと割と本気で落ち込んだ数日だった。
「自分のゲームだけキャラクターが無敵になればいいのに。」そう思ったときにふと頭をよぎったのがチートという言葉だった。
ダメ元で検索してみると、PC用ゲームに限っては当たり前のようにチートツールが引っかかった。
ウィルスとか怖いので、いつでもクリーンインストールしても構わないPCで試してみる。
苦戦したボスが紙っぺらのように一撃で倒れ込む。
こいつを倒すまで、来た道を戻ってコツコツレベル上げをした苦労を、もう二度と味合わなくてよいのだ。
だけど、それが面白さの一つになってしまったゲームを、もう自分ではプレイする余力がないのだ。
金策して強い武器を買うべきか悩むストレスもない。そもそも金策すら必要ない。
嫌いになりかけていたゲームを再び好きになれそうな気がしてきた。
マルチブレーには相手がいて、その人間に迷惑をかけるようなことをしたいとは思わないし、開発者側に余計な仕事を増やしたくもない。
最近ではイージーモードなんかも実装されているゲームも多いが、通常難易度でプレイして製作者側の意図は一度は汲んでおきたいというエゴもあるのだ。
プレイした時間も無駄にならないし、やり直しという無駄な時間を過ごすこともない。
もちろん良くないことだとはわかっているが、開発側だってユーザーを失いたいだなんて思ってはいないはずだ。
新年も明けたことだし、この1年新たな目標を立てて生きていきたいと思ったので、絵の練習を始めることにした。
コロナ禍によるリモートワーク下で生まれた可処分時間で多くのアニメを視聴して、作品をただ消費することから生産することへの欲求が芽生えたし、
また、最近見たホッテントリである以下の記事に触発されたのも大きい。
【https://note.com/enzen3852/n/na1fecd0ac10b】
練習するにあたり、萌え系のイラストがある程度自在に描けるレベルを目標として定めることにした。
萌え系といっても幅が広いが、プリキュア・アイカツ・ラブライブあたりの『これぞ萌え』と言わんばかりのビビッドな絵柄も習得したいし、グラブルの皆葉英夫氏あたりの油彩風の重厚でアーティスティックな美少女画の絵柄も習得したい欲がある。よって、そのどちらも、あるいは、その中間あたりの絵柄の習得を狙いとして定めたい次第だ。
我ながら随分と曖昧な目標ではあるが、とにもかくにも大体そんな感じのロールモデルを設定して練習を開始し、今日は以下の2枚を描いた。
【https://www.pixiv.net/artworks/86735932】
【https://www.pixiv.net/artworks/86736089】
今をときめく美少女系イラストレーター森倉円氏のイラストの模写と、筋肉練習という、イラスト初心者向け指南サイトや教本で多く紹介されている入門メソッド(好みのイラストの模写+人体構造の学習)を踏襲したオーソドックスな練習内容だ。自分の元々の作画スキルは高校時代美術部に在籍して最低限度のデッサンを心得たことのみで、当然ながら漫画イラストのスキルは無い。だからこそ、デッサンノウハウが活かせるイラスト模写は実践が比較的容易で、萌え絵の地力を固める足場として最適だと感じた。
練習絵の投下先としてはpixivを選択。最初は普通にはてなブログで始めようかと思ったが、練習内容の振り返りのための絵の網羅性・俯瞰性の高さからpixivを選んだ。ただ、pixivは絵に長文を添えて投下することにはあまり適していないので、絵の練習内容や振り返り、改善点を言語化するための文章スペースとしてはてなブログも並走させるか思案中。ただ、実ははてなブログは既に別ジャンルの記事を書く場として一応保有しているので、別のブログが良いか。(pixivだが、いわゆる『タグ汚染』としてユーザーの検索結果の邪魔にならないよう、有名版権キャラの練習絵を描いたとしても作品名タグは一切付けず、ただ最低限『練習』タグのみ付けて黙々とやっていくつもり)
そんなこんなで始めた萌え絵の練習だが、休日はなるべく多くこなして画力を速成したい。なので、この正月休みはずっと家に篭ってひたすら描くつもりだ。三が日が終わるまでにどこまで練習を積み重ねられるか、ゲームのスコアアタック感覚で楽しんでやっていきたいと思う。
例のホッテントリの記事に倣い、100日、あるいは、任意のn日(比較的長期間)練習して成果が見えたら、それをまとめた記事も書いてみたいと思う。
2021年は始まったばかり。今年の終わりまでにどれだけ上達できるか、まあ楽観的にやっていこう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b810b7c1a6021814129c103f5f46083c03ef4583/comments
JASRACのせいも大きいと思う。
動画とか作った時に好きな邦楽をBGMとして使って宣伝したいとか思ってもブロックされる。洋楽やK-POPは収益化さえしなければ使える。結果邦楽はガラパコス化して認知度が広がらずあっという間に廃れる。外国人の耳に入る機会はない。K-POPは国や市民団体、VANKや一般人動員してまで海外に宣伝して回る。日本は宣伝する気はまったくなく潰したいとしか思えない
多分それJASRACが無くてもレーベル次第ではブロックするし、お目溢しをしてる他者を引っ張り出してきて「お前もお目溢しするんだよ!」は心のノート再走案件
JASRACと関係なくなるけど日本はガラパゴス市場ですが「日本語コンテンツ」が億単位再生とかいくのから目を逸らしてません?
どこまでハードルを下げれば「気軽」かは知りませんが、ラジオで曲流れててCDも買えてサブスクもあるこの状況下で「音楽の敷居が高い」とは思えない
スマートフォンゲーム「FGO」の勢いが鈍っている。セルランベースの月次売上予測を出している「Game-i」を見ると、2018年は100億超えの月が7カ月、2019年は4カ月あったが(ほぼ100億までゆるめると2018年は9カ月、2019年は5カ月)、2020年は1月もない。それどころか30億円前後の月が6カ月もある。
運営のディライトワークスの決算(決算公告より)も芳しくない。20年7月期の最終利益は81%減の13.3億円(19年7月期は69.8億円)。「FGO」以外のタイトルの開発・リリースが順調ではなさそうだったことが減益の理由の一つには挙げられようが、シンプルに「稼ぎ頭のFGOの勢いが鈍った」というところが大きそうだ。
FGOのリリースは2015年。さすがにピークアウトしているし、5年前のゲームがまだトップランカーというのもオバケじみた話であるので、正直しょうがないところではある(モンストやパズドラはいまも売り上げを保っているが、常識を外れた超オバケゲームなので比べるのも微妙)。しかし私はFGOをプレイしていて、今でもそれなりに楽しませてもらってはいるので、どうやったら鈍りを和らげることができるのだろうと最近考えている。のでそれを書く。
同じくプレイヤーの友人に「どうすればFGOは少しは持ち直せると思うか」と聞くと、配信を控えている2部6章~7章のエピソードが面白く、1部クライマックスのときのような盛り上がりがあれば…という答えが返ってきた。が、正直私はそれは甘い見込みだと感じる。FGOプレイヤーでストーリーを最新まで追いかけているユーザーは全体の何割だろうか? そして離れているユーザーが戻ってきたところで、「今盛り上がっている」ストーリーに追いつくまでプレイしてくれるだろうか? 私にはとても無理に感じられる。
結局あらゆるサービスは、「新規を獲得する」か、「既存にお金を使ってもらう」かの二択しかない。そして現在のFGOは、前者の手がほぼ止まっている。毎度イベントや新章開幕ごとにリッチなCMを作ってユーザーにアピールしているが、完全に既存ユーザー向けのものであり、かつどんどんリーチする層が狭くなってきている。やや金がもったいなく見える。
新規ユーザーを(いまさら)増やすにはどうすればいいのか。私は「第1部ライト版」を作ってほしいと思っている。
(1)FGOの1部はいまさら始めるには重すぎるので、ライト版を作ってほしい
現在FGOは第2部の5.5章まで配信している。FGOのウリのひとつは重厚なストーリーだが、いまから始めようとする人にとっては完全に“壁”になっている。またこれらはファンも開発側も認めるところだと思うが、1部の1章~4章の出来はあまりよくない。私も友人に勧める時に「我慢して6章までやってくれ」と頼み込んだ。この苦痛をいまさら乗り越えられるユーザーはほぼいない。
FGOは過去の季節イベントを復刻するときに「ライト版」として配信しているが、第1部の1章~4章くらいまでをライト版として配信してほしい。まず戦闘の数を減らす、戦闘を入れるための冗長なテキストをカットする、プレイアブルのストーリーNPCを強くして何も考えずに勝てるようにするなど(できればストーリーも整理してほしい…)。なんだったらダイジェストでもいいくらい…。2日くらいちょっと気合入れれば5章までクリアできるくらいにしてほしい。
奈須きのこは以前インタビューで「FGOは2部で終わり(にするかも)」という主旨の発言をしているが、実際2部でいったん終わらせてアプリを分けたりしないと新規は期待できない。既存は消えていく一方のため。
(2)バトルシステムをもう少し今風に
いまのスマホゲームの潮流は「スキップができる」「放置しながらできる」というもので、たびたびポチポチしないといけないFGOはそれだけでちょっとだるい(時間のかかる)ゲームになっている。宝具スキップは長いこと要望が上がっており、ずっと拒まれ続けているが、もう一足飛びでオート戦闘や一度クリアした(一定基準を超えた点数を出せた)ステージのオートクリアを実装してほしい。
今私はこの増田を書きながらソシャゲのイベントをまわしている。基本はオートで進んでいて、文章の切れ間切れ間でタップしている。FGOイベントを周回しながら増田を書くことはまあできなくはないけど、もうちょっと面倒だろう。
アニプレックスが「第2のFGO」として期待をかけていて女性向け方面で絶好調なのが「ツイステッドワンダーランド」だが、「ツイステ」もリズミック(音ゲー)以外はほぼ周回がオートだ。以前オタク女の友人と遊んだとき、彼女がスマホを横に完全放置し流れるようにオート周回しながらフツ~におしゃべりしていて、現代日本人、忙しいしこれくらいじゃないとイベントまわせないよな~と思った。
もちろんこういったオート周回はゲームそのものへの飽きも招きやすいといったネガティブ要素もある。ただFGOは(汚い言い方をすると)もう飽きられているのだから、飽きの中でせめてプレイしやすくあってほしい。ソシャゲは可処分時間を食うものであることには間違いないが、食うにしても上品な食い方を偽装するようになってきているのだから。
(3)コラボ
結局パズドラとモンストがもっているのはなぜかというと、外部コンテンツとコラボしているから。しかしFGOは外部とのコラボはしない方針のようだ。この方針はいまさら変わらないと思うので、一応書いてみるだけ書いてみたけど実現は望み薄だと思う。待望されているのは月姫コラボで、どうも年末年始にアーネンエルベ関連でなんかありそう。ただこれで盛り上がるのは一部ユーザーで、アルクェイドが実装されれば売り上げはどーんと立つだろうが、ただこれが再ブーストになるかというと厳しい気がする。
動画勢の多かった2018上期ならまだワンチャンあったが、生放送主体の今新規参入してにじホロクラスの広告力を得るのは相当厳しい。
理由はVTuber見始めてみるか~と入門した視聴者がにじホロで可処分時間を使い切ってしまうからで、生放送コンテンツだからとしか言いようがない。
実際、この2つ以外の箱や個人のVTuberはいかにここのライバーと接点を持つかというのが成長の重要なファクターになっている。
まああそこまで成長しなくても収益は上がるので戯れで参入することはあるかもしれないが(サントリーとか)、広告塔というゴールを考えた時には自社Vの選択肢はない。
生放送コンテンツは演者のスキルやコネに依拠する成長要因が多いので、売れたいならどうしても「強い」演者が欲しい。
が、そういった「強い」演者は当然にじホロを筆頭とするVTuber事務所も欲しい人材である。
小さな可能性を秘めた者たちが、オリジナルの素体を持ち寄っていた牧歌的な時代は完全に終わった。
全ての可処分時間は、企業系Vtuber達の奪い合うパイとなった。
強い魂……昔からの生主、転生者、クラスの人気者、そういった者たちだけが生き残る。
強いボディ……プロのデザイン、豊富な人月、繰り返される会議、個人制作のモデルなんて時代遅れ。
インターネットが始まってから、個人HPが次々に衰退するまでが高速で再現されている。
太陽の下で埋もれていた輝きにふと人々が気づく静かな夜、そんな世界は一瞬で消えた。
山師達のサーチライトが、彩るネオンが、真昼よりも煌めく世界が、昨日までの暗闇を光の海へと変えた。
光を恐れ夜の中を生きるものよ、見えない星を探すものよ、この地を離れよう。
再び、旅が始まるのだ。
君たちが愛した空き地ではない
いやそれ自炊じゃねえじゃん。そうですね。
一人暮らしの自炊はパスタが最強
https://anond.hatelabo.jp/20201012125859
一人暮らしの自炊したくない勢にはスープが最強
https://anond.hatelabo.jp/20201012190604
どちらも経由して、たどり着いたのが宅食。
確かに、上手に自炊するのと比べたら出費は増える。が、時間が手に入る。
食材調達の時間、調理の時間、調理器具を片付ける時間が消滅する。
在宅勤務で通勤時間が消滅したのと相まって、可処分時間がかなり増えた。
栄養バランスを売りにしてるとこもあるし、下手な自炊より健康にいいかも。
スーパーやコンビニに行くと余計なものを買ってしまうタイプの人なら、むしろ出費も減るんじゃないか?
経済的にギリギリな人にはさすがにおすすめできないけど、そうでもない人なら選択肢のひとつとして十分アリだと思う。
正確に言うと、重度の障害を持った子供が産まれてきたときに、特別養子縁組が認められず、そのまま育てることになるリスクが怖い。
平均より大きく劣った能力を持って産まれた子供に対し、愛情を向け続けられる気がしない。
もちろん親として他の子供と比較してしまうことはアンチパターンだが、
「なんでうちの子は…」という気持ちを消化して、親としての義務や規範を果たせる気がしない。
ただでさえ大変と言われている育児だが、障害児の場合は更にコストが高くなると言われている。
例えば自閉スペクトラム症の児童が高頻度で引き起こすパニック発作の対応をするのは保護者。
自分の場合は育児をサポートしてくれる親族もいないので、自分の可処分時間は皆無になるだろう。
相談相手がいれば多少は楽になるのかもしれないが、レアな事象である以上、身の回りに同じ境遇の家族はまずいない。
観測可能な範囲のオンライン上にある障害児の保護者コミュニティは、育児を前向きに捉えるために、
ほとんど共感不可能な価値観がまかり通っていると感じる。あのノリに自分が馴染むのは難しい。
最後に、その子本人が楽しく暮らせるようになるための支援をして送り出す自信がない。
「うちの子は、別に立派な人になんかならなくても、元気に暮らしてくれたらそれでいい」というのは多くの保護者が達する境地だが、
劣った能力しか授けられなかった己の生と、劣った能力の自分を産んだ親を恨まずに生きていける気がしない。
つまりその元気に暮らすという最低限度のラインすら満たしてあげられる気がしない。
まとめると、自分も子供もつらい状態を必死で維持し続ける、そういう人生になってしまう可能性が怖い。
思いつくままに色々書いたが、結局の所、自分の中にこびりついた差別意識がこの悩みの原因だと思う。
だから、仮に障害を持たない子供が産まれたとしても、似たような機序で自分と自分の子供は苦しむことになるだろう。
産まれてもいない子供とその育児に対してこんなネガティブな感情をいだいてしまう自分は、そもそも子供を設けるべきでは無いのだろう。