2021-02-25

人を情報的に殺すことに快感を覚えていないか

昨今、自分と反対の意見に対して「アンチ」と断定し、

アンチ意見から耳を傾ける必要はない」と切断する態度をみかけるようになった。

アンチ」を「ネトウヨ」や「パヨク」「フェミニスト」にしても良い。

実は自分も「ネトウヨ」に対してやってしまいがちだが、本当にそうか立ち止まって考えたい。

理想的には得られるものは少なくても相手意見に耳を傾け、僅かでも改善できるようが良いし、

相手を説得して「アンチから味方にできれば、なお理想的だ。

可処分時間の少なさや断絶のあまりの深さから説得が現実的ではなく、異見を切断するのがベターであってもしかたはないとは思う。

しかし、それがベストではないことを忘れて切断処理を繰り返していると、

心のなかで相手を無価値存在だと断じて透明化する――情報的に抹殺するかりそめの全能感に

酔いしれてしまう。

そのような情報的な人殺しに慣れた人間が、もしも物理的な人殺しをできる立場になったとき

心理的殺人へのブレーキは常にベストの人付き合いを自問自答している人間よりも弱いだろう。

少なくとも自分は恐ろしい。

すでに「新型コロナあいつらなんか死んでしまえ」とついつい思ってしまうことがあるくらいだから……

自分切断処理人間の中から新時代独裁者が生まれないことを願う。

  • 「批判的な意見にも耳を傾け自分の成長に役立てる」なんてのは、現実世界だけで十分やで

    • ネットは現実() ネットはネットのことと分けて考えて、現実ではできる自信があるなら大丈夫そうだな

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