正確に言うと、重度の障害を持った子供が産まれてきたときに、特別養子縁組が認められず、そのまま育てることになるリスクが怖い。
平均より大きく劣った能力を持って産まれた子供に対し、愛情を向け続けられる気がしない。
もちろん親として他の子供と比較してしまうことはアンチパターンだが、
「なんでうちの子は…」という気持ちを消化して、親としての義務や規範を果たせる気がしない。
ただでさえ大変と言われている育児だが、障害児の場合は更にコストが高くなると言われている。
例えば自閉スペクトラム症の児童が高頻度で引き起こすパニック発作の対応をするのは保護者。
自分の場合は育児をサポートしてくれる親族もいないので、自分の可処分時間は皆無になるだろう。
相談相手がいれば多少は楽になるのかもしれないが、レアな事象である以上、身の回りに同じ境遇の家族はまずいない。
観測可能な範囲のオンライン上にある障害児の保護者コミュニティは、育児を前向きに捉えるために、
ほとんど共感不可能な価値観がまかり通っていると感じる。あのノリに自分が馴染むのは難しい。
最後に、その子本人が楽しく暮らせるようになるための支援をして送り出す自信がない。
「うちの子は、別に立派な人になんかならなくても、元気に暮らしてくれたらそれでいい」というのは多くの保護者が達する境地だが、
劣った能力しか授けられなかった己の生と、劣った能力の自分を産んだ親を恨まずに生きていける気がしない。
つまりその元気に暮らすという最低限度のラインすら満たしてあげられる気がしない。
まとめると、自分も子供もつらい状態を必死で維持し続ける、そういう人生になってしまう可能性が怖い。
思いつくままに色々書いたが、結局の所、自分の中にこびりついた差別意識がこの悩みの原因だと思う。
だから、仮に障害を持たない子供が産まれたとしても、似たような機序で自分と自分の子供は苦しむことになるだろう。
産まれてもいない子供とその育児に対してこんなネガティブな感情をいだいてしまう自分は、そもそも子供を設けるべきでは無いのだろう。
で? 誰もオマエのことなんかしらんのやが?
で?っていう。 だからどうするのだ。 それでも健常な子を産めることを願い行動するのか。 可能性に怯えて違う道を行くのか。 一度きりの人生だぞ。心の底で本当にしたいと思ってい...
それが本音だと思えるなら、子供持たないほうが人生良いタイプだと思うよ。気づて偉い!