はてなキーワード: 卒論とは
『卒論、どうなるんだろう…』
自分もその一人で進捗もまずいんだが、俺は心からヤバさを自覚で来てなくて現実からとことん逃げようとしてる。
何から話せばいいかわからないが、自分が今ラボでどんな状態かを説明させていただきたい。
テーマの目標が曖昧過ぎる、みんなに当初から「どう卒論としてまとめるの?」と言われ続けるも全く分からずもう11月へ突入。
当初予定していた、特注の機械を用いた先進的なこと(具体的には言えない)は共同研究先の不手際により多分もう不可能
それ以前に研究する材料の納品が半年以上遅れて、実験をかなりやらなければならないテーマなのに他のメンバーより初動がかなり遅れてしまった。
プロジェクト担当の教授が何もわかっていないせいで暴走しかけた。
しかもこのテーマは企業のノウハウに依存する部分が大きい、重要な部分がブラックボックス化してしまっている。
・配属後の自分について
研究の遅れをこじらせて鬱になり、一時期大学にも行けなくなった。(今は休みがちなもののコアタイム中は行けるようにはなっている)
しばらく精神科や大学のカウンセラーに定期的にお世話になってた。
そんな最中、院進学を決意してしまった。理由としては一応推薦入試が受けられるというので、せっかくなら受けて進学しようと思った。ただし研究室は学内の別のところに変えることにした。
今自分は色々実験という名の作業を行っているが、正直やる意義がわからないし面白味もない。
また自分は研究に不適合なのではという思いが強くなってきている(テーマが悪かったというのは大いにあると思うが、それを加味してもだ。
いろんな人にこれを言われ続けて半年以上たつけど、いまだに見失う。
ゴールが曖昧過ぎてそこまでの道が組み立てられない。
この間のミーティングも報告がかなりスカスカになってしまった(しないよりはマシだとは思うが)
進学先でどうなるかは知らない。なるようにしかならないと思う。
留学したいと進学先の先生に言ってしまったが私は耐えられるのだろうか。
友人がいないわけではないが、人付き合いが得意ではない。それを研究室生活で思い知ってしまった。
故郷にも帰りたい、ただクソ田舎県のため院卒はウケが悪いんだろうなあと思う。
話は卒論に戻るが、このままだと実験したことつらつら並べてテキトーに解析して『はい、何も得られませんでした~wwwwww』としかならない。
教授に俺の卒論どうなるんだと相談はしているがかなりあいまいな回答しか返ってこない
先輩方は『ここの教授はとりあえず卒業はさせてくれる』とはいう。ただ自分が限界を迎えてしまう可能性が高い(それを防ぐためにあまり研究室に居残らないようにしてる)
俺どうなっちゃうんだろうなあ…そんなことがもう夏休み明けから頭を渦巻いている。
留年したらもうしちゃったでもういいかな、そう思う自分がいるのも事実だ。
この問いは卒論が終わるまであと数か月頭をよぎるんだろうな。
引継ぎの後輩は、俺みたくならないでほしいが先輩曰く『お前の状態誰でも病むわ』って言ってたので避けられないだろう。多少状況がマシになっているとはいえ(材料がある、それだけでも自分にとってはかなり恵まれていると思う)
定期的にここに自分の思いこんでいることを書いて行こうと思う。
・自分の興味があることを選ぶ。
・メリット・デメリットを考える。講義の幅が広い、専門性が弱いなど。
・出口戦略を決める。
・進路・進学先を調べる。就職先の傾向が自分に合っているか調べる。大学院が別キャンパスだったりすることもある。
・研究室を調べる。卒論・修論を見て、自分のやりたいことと合っているかを確認する。
・人に相談する。
・教授に相談する。他の学科との違いなど。直接相談してでも聞いてみる。
・学科の先輩に相談する。連絡が取りづらいだろうが、雰囲気を掴むには一番よい。合わないと結構辛い。
・進振りの点数
・点数だけでは選ばない。
これ労基法で労働者には4時間に15分の休憩時間を与えろってあったけど、公務員でもずらして昼休みにくっつけたり帰り時間によせたりしてた気がする
いまどうなってるんだ>休憩時間の扱い
・専攻なし大学生
一応東大の理I~理III、文I~文IIIなど入ったときに専攻が決まらない大学はほかにもけっこうあった、東大は進路振り分けで3年から専攻にふりわけする
卒論かくときに指導教授の専攻に所属するからまあ当然なのだが、一部に4卒程度の学生ではどうしても卒論が書けない分野がある、理系、それも純粋理論ね、大学4年でようやく1950年代くらいまでおいつけるかどうかっていう、まあ数学科だよ(化学や物理や地学だと実験してデータだせば卒論の体裁はつくれる)
ここのところ研究室に対するヘイトがすんごい溜まってきてるのでなぐり書きします。ガチのブラックと比べれば屁でもないのですが吐かせてください。
私の大学では研究室に配属される前に研究室説明会というものがあり、そこでどのような研究室かということの紹介をする。
コアタイムがある研究室はそこで話すのだが、私の所属している研究室はコアタイムに関する説明は一切されなかった。
しかし、いざ入ってみれば情報系の研究室にも関わらず9~18というコアタイムが存在した。
私はバイトや家庭の事情のためコアタイムのない研究室に入ろうとしていたが出鼻をくじかれた。
このコアタイムの嫌なところはタイムカードシステムがあるところである。
このタイムカードシステム9時までにチェックインしないと罰金までとられてしまう。
じゃあ、9~18で張り詰めて研究しているのかといえばそうでもない。途中家に帰ったり昼食を食べに1~2時間レベルの外出をしたりとやっていることがチグハグすぎてついていけなくなった。
しかも何もすることがない状態でもわざわざ交通費をかけて研究室に行かなければならない。情報系とは思えないほど非生産的なシステムである。
作業があったとしても研究室に行かなければ研究が出来ないタイプのものではない。PCのさえあれば家でもできるのに行かなければならない。タイムカードを切るために。
しかもこのコアタイムM2と研究員が仕切っているのである。教授じゃない人たちによってもたらされるコアタイムが本当に謎すぎる。
今思えば説明されなかったのも納得である。教授がコアタイムを管理しているわけではないのだから。
うちの研究室には当然ながら教授がいる。しかし、直接指導することはまれなタイプの人である。(でも相談すればそれなりに解決してくれるため非常に助かっている)
その他にいまいちよくわからない研究員という肩書の人がいる。その人が曲者というかよくわからない人であった。
研究室配属時に一つ上の先輩に「研究員の人に言われたとおりにやっていれば問題ないよ~」という趣旨の話をされ、研究員と卒論テーマを相談し卒論は書き終えた。
なんなら他の学部生よりも難しいテーマを選びかなりやる気も見せていた。
しかし、大学院に進学後突然放置され始めたのである。こちらが4月頃に「先行研究はこのような形のためこういうテーマなら新規性もあると思います。修士の研究として妥当でしょうか?」という趣旨の質問をしても「ちょっと考えるわ、待ってて」との一言で4ヶ月以上返信は来なかった。
今思えば、一つ上の先輩たちはその研究員のお気に入りであったのだ。slackに残っているチャンネルの履歴を確認すると去年はその研究員が今のM2をゴリゴリに指導していた。
研究員のお気に入りと気づかないM2は当然後輩にも「研究員の人に言われたとおりにやっていれば問題ないよ~」という趣旨の話をする。しかし、それを真に受けた後輩(私)は適当にあしらわれ今年の前期を完全に無駄にした。
さらには研究員主導で行くシンポジウム等の出張をM1ではなくB4を連れていくという始末だ。M1には何も話はこなかった。よほど見限られたらしい。
大学側から後期開始2週間(9/27~10/8)は原則オンライン授業・入校は控えるようとの指示があった。しかし、そんな中でも意味のないコアタイムは健在である。
上記でも話したとおり研究員が返信すらしてくれないため研究テーマすら決まっていない状況だ。そのよう状況ではやることもない。
なのに9時にタイムカードを切るためだけに来いとM2が強く連絡してくるのである。もはや意味がわからない。
本格的にどうかしていると思ったのは去年の5月と今年の7月に研究室全員で飲み会を行ったことだ。
コアタイムで同期と毎日一緒に過ごしているとそういう思考になるのだろうか?理解が出来なかった。
M2の「研究員の人に言われたとおりにやっていれば問題ないよ~」という趣旨の話を信じ切って研究員に頼り切り、返信をずっと待っている間あまりにもやることがなさすぎてコアタイムをサボっていた。
ただ、情報系の研究室のためコアタイムをサボっても誰にも迷惑はかからないだが、多分ここで見限られたのではないのかと思う。
やることや研究テーマさえ決まればコアタイムは守るつもりであった。
コアタイムをサボったのは、コロナの状況も今よりもひどかった時期であり実家暮らしの者としては無意味に行きたくなかったというのもあった。
ちなみにやることがなかった間は資格の勉強をしていた。FE,APは取得済だったためネスペの勉強をして、今年の秋の試験を受けた。多分受かりそうです。
流石にこの時期まで研究テーマが決まっていない状況はやばいと思い、教授に相談した。他にもM1が4人ほどいるが全員同じような状況だ。
上記の話はすべて私の憶測のため、教授には話さなかったがとりあえず研究の方向は見えてきた。
で、学生時代を思い出した。
私が人生で一番楽しかった時期が大学1・2年であり、逆に3・4年がとてもつらかった。
1・2年までは部活動が楽しくて充実していたが、3年から研究室に入るようになったのだが先生が合わなかった。というか研究が合わなかった。
学ぶこと自体は好きな分野なのだが、じゃあ何がしたいのか?問い詰められて何もでなかった。
4年になりみんながテーマを決めて研究を進める中、一歩も進まない自分。
就職も決まらず、付き合っていた恋人とは別れ、大学にも通えず風呂にも入れず一日中布団の中で過ごす毎日。
当然留年した。卒業式には出なかったが、遠くへ行ってしまう友達には会いたかったので大学には来た。
それでも同級生の華やかな姿は見たくなかったのでトイレの個室で待っていた(電気消された)
とりあえず親からは「二留はやめろ」と言われたので途中から研究室には顔を出した。でも何も決められなかったので見かねた別の先生がテーマをくれたのでそれで卒論を出した。
自分はこの留年という烙印が屈辱的で情けなく、それ以来この出身校を避けていた。
学生時代前半はあんなに楽しく絶頂期だったはずなのに、楽しい学生生活で終わらせられなかったことが悔しかった。
特に部活動は熱心にやっていたのに、大学不登校になってから自分が情けなく関わりあいを避けた。自分から避けた癖に、仲間の輪に入れなかったことが寂しい。
それでも繋がりを持ってくれている数少ない友人は数名いる。だが同時に、「私の苦しみを友人でも共有できないのだ」と絶望していた。
出身校に対するネガティブな感情、しかも誰かから被害を受けた等ではなく自分の失敗によるものによる苦しみ。
友人たちはそういったものを持っていないようだった。
卒業をして、ニートを挟みながら職場を転々をして渡り歩いてきたが、「退学や留年した人ってどこにいるんだろう?」と思う。
まあ職場で学歴の話なんてしないので、本当はしている人はごまんといるのかもしれないけど。
一度「中途退学したよー」とあっけらかんと話す人がいた。だがよく話題に出すので、本当に気にしているのかいないのかは判断がつかなかった。
あと対面で「実はこういう苦しみを持っているんですよ」って言わないよね。他人からしたら「留年?退学?ばかだな~w」という反応かもしれないけど自分は口に出すのもつらい過去だし。
ネットでも自分は人見知りだから知り合いいない。だから観測できない。でもいるだろ、同じような気持ちの奴。
情けない話だけど10年離れてやっとちょっと薄らいできたんだよな。いつもそのまま捨てるニュースレターを包装を解いて目を通したのも進歩なんだよ。
で、学生時代を思い出した。
私が人生で一番楽しかった時期が大学1・2年であり、逆に3・4年がとてもつらかった。
1・2年までは部活動が楽しくて充実していたが、3年から研究室に入るようになったのだが先生が合わなかった。というか研究が合わなかった。
学ぶこと自体は好きな分野なのだが、じゃあ何がしたいのか?問い詰められて何もでなかった。
4年になりみんながテーマを決めて研究を進める中、一歩も進まない自分。
就職も決まらず、付き合っていた恋人とは別れ、大学にも通えず風呂にも入れず一日中布団の中で過ごす毎日。
当然留年した。卒業式には出なかったが、遠くへ行ってしまう友達には会いたかったので大学には来た。
それでも同級生の華やかな姿は見たくなかったのでトイレの個室で待っていた(電気消された)
とりあえず親からは「二留はやめろ」と言われたので途中から研究室には顔を出した。でも何も決められなかったので見かねた別の先生がテーマをくれたのでそれで卒論を出した。
自分はこの留年という烙印が屈辱的で情けなく、それ以来この出身校を避けていた。
学生時代前半はあんなに楽しく絶頂期だったはずなのに、楽しい学生生活で終わらせられなかったことが悔しかった。
特に部活動は熱心にやっていたのに、大学不登校になってから自分が情けなく関わりあいを避けた。自分から避けた癖に、仲間の輪に入れなかったことが寂しい。
それでも繋がりを持ってくれている数少ない友人は数名いる。だが同時に、「私の苦しみを友人でも共有できないのだ」と絶望していた。
出身校に対するネガティブな感情、しかも誰かから被害を受けた等ではなく自分の失敗によるものによる苦しみ。
友人たちはそういったものを持っていないようだった。
卒業をして、ニートを挟みながら職場を転々をして渡り歩いてきたが、「退学や留年した人ってどこにいるんだろう?」と思う。
まあ職場で学歴の話なんてしないので、本当はしている人はごまんといるのかもしれないけど。
一度「中途退学したよー」とあっけらかんと話す人がいた。だがよく話題に出すので、本当に気にしているのかいないのかは判断がつかなかった。
あと対面で「実はこういう苦しみを持っているんですよ」って言わないよね。他人からしたら「留年?退学?ばかだな~w」という反応かもしれないけど自分は口に出すのもつらい過去だし。
ネットでも自分は人見知りだから知り合いいない。だから観測できない。でもいるだろ、同じような気持ちの奴。
情けない話だけど10年離れてやっとちょっと薄らいできたんだよな。いつもそのまま捨てるニュースレターを包装を解いて目を通したのも進歩なんだよ。
たいしたことではないんだけど、正解がわからないので書いてみる。
まず私はフィクトセクシュアル(三次元に性的興味を抱けず、二次元が性的対象である)だ。
そして身体の性別は女性。性自認も女性であり、これに関しては全く違和感がない。
しかし、恋愛的な性自認...つまり二次元における妄想において自分の姿を考える時は絶対に男性アバターを使う。
絶対に私が男性側で、相手をかっこよくエスコートしたい。行為の妄想はあんまりしないが、仮にやるとしたらやはり私が男性側。
別に相手キャラが挿入したい!と言ったらどうぞと譲るつもりではいるけれど、それでも男性の姿のまま受け身に回ることになると思う。
とにかく、恋愛妄想において女性の身体を使うのにはめちゃくちゃ違和感があるのだ。
実生活(三次元)では女性でアセクシャルだけど、恋愛(二次元)では男性でバイセクシャルというのが良いのかな。
さっきから「私」と書いてはいるけれど、実は私が使っていていちばんしっくりくる一人称は「俺」だ。
しかし、自分の本性というか、根本的な自我を表すには「俺」が適切ではないかなぁと思う。イメージは「俺」より「おれ」に近いかも?感覚の問題だが。
まぁとにかく、そんな感じである。
性的対象が生身の人間だったら性同一障害とか診断されていたのかもしれないが、フィクトなので全く生活に支障がなく、今に至る。
いや、フィクトだからこそこのように実際の身体とイメージの身体の性別が乖離したのかな。どっちでもいいけれど。
生活に支障はないのだが、困るのは何かしらのアンケートに協力する時である。
私は大学で心理学に近いことをやっているので、その関わりで心理学科の先輩や同輩の実験に参加し、アンケートに協力することが多い。
そこに恋愛に関する質問が書いてあると、どう答えたものか本当に迷うのだ。
「三次元」の恋愛なら全て性的対象ではない、上手く考えられないで回答不可。
だが、仮に前提を「二次元」にしたとしても、その場合性別表記はどちらにすればいいのだろう?
性自認は女性で間違いないのだが、恋愛の主体を完全に男性体で考えている以上女性と書くのも不適切な気もする...。
実験には喜んで協力したいけれど、自分は確実に「例外」になるので、これを純粋な「女性」の回答として渡すのは実験妨害になってしまうと思う。
「無回答」で渡すにしても、恋愛質問と非恋愛質問で性自認が違うのでややこしいデータになることは間違いない。
でも、実験を断るのも角が立つし...複雑なので説明はあんまりしたくないし、説明したところで絶対に実験には役立たないデータになるだろう。
卒論シーズンなのでこれからより一層アンケートを求められることになるが、これが今の私の悩みの1つである。
もし実験をやっている方がいましたら、どうするべきか教えてもらえないでしょうか。
いいか、よく聞け。書評には三種類ある。逆に言うと三つしかない。
勉強会で輪読するような場合、読んできたやつが読んでいないやつに本の内容を伝えるのは要約が一番だ。
同ジャンルの本を多く読んでいる場合、それらとの比較をして今回読んだ本を評価できるはずだ。
他の本にない特徴や新規性はなにか、他にない独特のストーリー展開や表現はなにか、
他にくらべてどのくらい優れていてどのくらい価値があるか。
ここの部分は何々の引用で、ここは何々の影響がみられるとか。
プロの書評はこういうやつだ。読書量が少なく自分の評価軸を持っていない素人が真似してはいけない。
読んだ本に書いてある内容にむりやりこじつけて自分のエピソードトークをするんだ。
その中に自分語りが出てくると読む方はおっと思う。
そしてレポートを採点する大学教授は、要約や比較はお前よりずっと上手いだろうが
お前自身の物語は世界で唯一お前にしか書けない。その教授にだって書けないんだ。
追記:
トラバついたので補足しておくな。
トラバにもあるようにいわゆる書評は(2)で、むしろ「(2)書評」という見出しにしたかったくらい。
元増田は書評と言いつつ大学のレポートや卒論、書評ブログ、読書感想文なんかを挙げているので、
要は本を読んでそれについて何か語る文章をうまく書きたいのだと解釈した。
仕事や学業の課題ではないみたいだし、読書ブログのようなのを書きたいのかな、と。
本をうなずきながら読む
読み終わってみたが、とくに書くことがない
1+1=2という記載に疑問のもちようがない
イスラムはこういう教え、キリスト教はこういう教え、仏教はこういう教え
そういうもんなんだから読んで書けと言われてもまとめるだけになってしまう
そういえば、大学のレポートや卒論も参考文献のダイジェストを「思われる」、「考えられる」で締めて考えたフリをしているだけだった
「書き続ければ上手くなる」。みんなこういう。文章が上手いやつに限ってこういうことをいう
けれど、上手いやつは最初からキラリと光るものをもってる。問題意識というか、物事を力強く疑うことできる体力というか、明らかに他の人とは違う原石をもってる
昔から自分にはそういうものがなかった。読書感想文も目も当てられないほど平凡で、自分が自分にいつも落胆させられていた
文才があるやつの強さに憧れる。ただ、著者に同調するのではなく、著者と対峙し、仮想的な著者との議論に何万文字と最後まで付き合える強さに感嘆する
この強さは絶対才能だと思う。だから、どれだけ国語辞典を目で追っても、文章術を箇条書きにしても、本を読んでも、そして増田でこうやって愚痴を書いても
僕は書評が書けない
かなしい
Netflixでディレクターズ・カット版が配信されたので久しぶりに「ミッドサマー」をみた。
グロや不気味なところにはだいぶ耐性ができてきていたので、あらたにプラスされたところなどを眺めていた。
大きいのは儀式がひとつくわえられていたことと、主人公のダニーとクリスチャンの関係にさらにいくつかのエピソードがあったくらいか。よりわかりやすくなっているとはいえるかもしれない。
映画自体の宗教団体や不条理な儀式の数々は日本のホラー映画を参考にしたらしい。それらを念頭に置いてみると、「これおかしな宗教に巻き込まれて死ぬホラー映画じゃないな」と思った。
軽くネタバレありのあらすじを書くと、ダニーとクリスチャンは長く続いているけどお互いに関係に飽きているカップル。クリスチャンは卒論のネタにスウェーデンに実家がある友達のコミューンに行くことになる。黙っていこうとしてたダニーが怒ったので「一緒に行こう」と誘う。ところがそこはおかしな宗教団体でクリスチャンほか仲間は殺されました。そこでダニーは女王になって優しい村人にわかってもらい幸せになりましたと。
この話を各キャラの損得だけで考えると、得をしているのはダニーだけだなと思ったのです。
クリスチャンとの関係は形骸化して惰性でだけつきあっている。さりとて別れるにしてもクリスチャンはグズでルーズだけど浮気してるでなし暴力を振るうでなし、自分がパニック障害の発作を起こしたときに友達と遊んでいても駆けつけるし、クリスチャンの男友達が浮気をしろといわれてもそれは断ったりはしているので、嫌う決定打がないんだよね。
・スウェーデンという知らないところ。
・みんなが平和で穏やかで優しくしてくれる(たまに不気味だがそれは宗教上の儀式)。
・判断が鈍るような薬を飲まされる。
・悲しくて泣いたら他の味方もみんな泣いてくれた(共有してくれた)。
・薬が効いててわからないまま彼が儀式で殺されることになった。
・彼は薬が効いてて一言も発してない。でも、意識ははっきりしている(無理やり決めさせられてはいない→ひょっとして肯定された?)
・自分は殺してとはひとこともいってないのにまわりの「仲間」が察してくれて彼を燃やしてくれた。
そして彼女はなんだかうっとおしい彼氏と別れられることになり安寧を手に入れた→幸せになった。
この先どうなるかはわからないが物語はダニーが安寧を手に入れたところで終わるし、その先はない。まるでダニーがみてた夢のように終わる。
ここでのダニーは徹底的に無責任で仕方のない状況でただそこにいるだけで望んでいる事態へと動いていっている。
すごく冷静に考えるなら、アメリカやスウェーデンの警察も間抜けで無能ではないから何人もいっきにひとがいなくなったら調査に向かうだろうしそうなったらただで済むわけではないよね。
実際、村の爺たちは保身のために証拠隠滅を図っている。自分らがヤバいことをしている自覚はある。
でも、ダニーは関係がない。無責任だ。まわりが勝手に動いたことだ。
ここらへんはひとえにダニーが聡明で頭が良くて一般常識があるからこそなんだよね。だからここまで無責任で抗えないしょうがない状態を作り出さないとクリスチャンを切ることができなかった。
この映画で1番ゾッとしたのは、クリスチャンがハメられてハメているときの1番のトラウマシーンでの女性たちのあえぎとか、浮気を目撃させられているダニーの悲しみに合わせて泣いている女性たち。最後に生きたまま火炙りにさせられてる叫びに合わせて泣いている村人たちの行動だよね。
それってSNSでの共有そのものだと思った。Twitterのリツイートコメントやはてなブックマークのコメント。「わかる~」からはじまる共有の正体こそがこれなのだと。
実際にあえいでいる女性が気持ちいいかどうかはわからない。浮気を目撃したダニーの苦しみはわからない。100歩譲ってそれは自身の体験から導かられるとしても、生きたまま火炙りをされたことのない人間の痛みを共有することは絶対にできない。なぜなら死んでないから。
あのわざとらしい泣き姿をみていると、SNSの共有や慰めなんて所詮この程度なのだなと思って心の奥が冷たくなっていく。
Fランとは言えないけど別にすごくも何ともない大学に通って今は4年生。
一時期単位が少し危なかったけど、3年で取り戻して残すは卒論とゼミの単位のみ。浪人も留年もなくストレートでの卒業見込みだ。
ただ、未だに内定がない。もちろん春~夏にはそれなりに就活もしていた。毎日のようにオンライン説明会を見て、自己PRも必死に考えていた。
しかし、働きたい会社というものは一向に見つからなかった。今思い返してみれば、やりたいことがわからない/自己分析しても何も見えないといった言い訳に終始して就活に熱くなれていなかった。この先の人生40年近くを決める決断が重すぎて直視できなかった。それっぽいことを言いながら逃げ続けていた。
私より成績の悪かった大学の友人は希望業界に内定をもらって毎日のように遊んでいる。
昔から家族ぐるみで付き合いのある幼馴染は国立大学の大学院に進んだ。自分の夢のために研究に励むらしい。
高卒で働きに出た友人は、彼女と車のローンで板挟みになりながらも毎日が充実していそうだ。
自分はどこで間違えたのだろうかと考え続けていた。しかし、それは間違っていた。どこで、というよりも、これまで間違え続けたなれの果てが今の自分だった。咎められない程度の成績を取り続け、何にも熱くなれず22年間生きてきたなれの果てである。
もうどうしようもない。特に大したスキルも資格も持ち合わせていない私がこの時期に就活が終わってないのは、もはや人生が終わったに等しい。頭では行動しなければと思っていても体が動かない。ここで本気になれない自分に絶望している。
ここまで育ててくれた親へのせめてもの償いとしてこれまでの学費だけ返したら死のうと思ってはいるが、恐らくそれすらも本気になれずにのうのうと生き続けるのが関の山だろう。
※長文駄文
Twitter、ヤフコメ、YouTube、たまにnote、そしてここ。
私の夏は、これらを読んでたら半分終わった。10月までだからあと1ヶ月はある。実家にいたから最低限の食事、衛生は保たれていたが、一人暮らしだったら倒れていたかもしれない。
もうこんな人生の送り方本当に死にたくなるので、ここに書いて人から叩かれたい。
ネット世界の記事を、絶対に得られるものが少ないと分かっていても嫌でも追ってしまう。
なんか最近は小説やドラマ、映画を見て意識を高く保とうとする道具みたいに思えて、勉強したくないという理由で見たくなくなってしまった。似たような理由で大学生ならやっときたいTOEICとか、卒論に関わりそうな、自分がもともと興味のある分野だったはずの本とかも忌避している。
もともと外に出かけるのは好きだったはずだ。自転車でランダムに行けるところまでいったり、思い立って授業終わり電車に乗って東京のある場所まで行ったこともあった。(北関東圏住み)
大学の授業は、そりゃあ全部が全部というわけではなかったけど自分が好きで選んだ学部のものだから楽しかったし、同学部の誰より図書館を活用してるという自負もあった。
何かのせいにしても現状は変わらない、自分が一番馬鹿なのだが、ちょっとおかしくなってきたのは去年から、コロナがきっかけだ。
ステイホームだ施設の休館だオンライン授業だなんだとあり、食料、日用品の買い物以外ずっと家にいた。生活が学生アパートの一室で完結した。すると何でか外から出られなくなった。時短として営業してるところもあったけど、身体は動かなかった。何もかもどんどん面倒くさくなった。まず自炊もしなくなって腹が減っても22時くらいまで何もしなかった。課題もやりたくなくなった。読書もしなくなった。家からちょっと出た所には割と好きなカフェもあるのに、図書館は閉館してなかったのに、そこも行かなくなった。結局私の正体は何もしたくない人間なのかもしれない、大1の熱に浮かされていただけの偽物。
今年の夏は実家にいた。ありがたいことに食事が保証された。課題は終わってるし無い。そして家族といるからと自宅軟禁の日々になった。運動量の危機感を感じてラジオ体操をするくらい。
身体を横たえても出来る娯楽がスマホワールドだった。ゲームやチャットはしないしSNSも友人と繋がる程度にしかやらないので、ずっとずっとずっと字を読んでいた。
よく見ていたのはヤフコメだった。芸能人やYouTuberの失態、皇○のニュース。っていうかニュースじゃねぇな、週刊誌記事。これ炎上しているだろうなぁというものを見て、案の定炎上しているのを確認した。逆に、地域の誰々が誰々を助けて表彰されたとか、現天皇家の記事は絶対褒め称えの言葉が並ぶのを確認していた。確認ってなんだよと思うが、別に喜怒哀楽を何も刺激されないのだ。そういうのをずっと読んでいた。政治経済地域とかは見ない、疲れるから。「勉強してる」って感じがして嫌だった。
Twitter。フォロワー0の自分の好きなコンテンツの見る専アカウントだった。しかし、これも「何も出来ていない、スマホで時間を潰すばかりの自分」と思うと好きコンテンツさえ意識高く思えて追えなくなってきた。変わりに見るのがゴシップだ。地獄の(←該当アカウントは真面目にやってるので失礼なのだが)検索履歴があるので列挙していく。本人にどうかどうか届きませんように
@takigare3, @tanatana5252, @kisyo_storyシリーズ
特に筆頭の方は毎週記事を紹介している。そこに文字があればなんでも読む状態なので、やることはあるはずなのに精神的暇な大学生は読んでしまう。途中で切り上げることが出来ない。iPhoneのスクリーンタイム機能もパスワードを設定しているのは自分なので意味がない。親はもう大学生だからと特に何も言わないし。記事は別の記事を連鎖し、3~4時間は平気で潰れる。しばらくして「ご飯だよ~」と呼ぶ母の声に1Fに降りていくのだ。金食い虫なのが申し訳なくて食事作る以外の家事手伝いいっぱいしているが、ワクチンの副反応で死なんかな自分、と思う。
YouTube。5ちゃん都市伝説解説動画をなんかひたっっっすら見ていた。暗い怖い気味悪い夜寝られなくなるのが多いのに、なぜ。
あとはラジオ体操を流した。某切り抜き系動画は見ない。うさんくさいのもあるけど、意識高い系に触れたくないから。
大体こんなネット・プラットフォームを周回して1日が終わっていく。今日も何も出来なかったと思って眠る。
陰キャながら興味のある学部に進めて曲がりなりにも大学生活を楽しめていたのに、意識高かったなーあの頃、無理しちゃって、本当の自分はこんなダメ人間なんですよーって分かった、自分のポテンシャルは低いくせに、やる気のある無能だ。そんでも生活も出来ない、勉強もしない、ついでにパートナーもいない、親の金食い虫なやる気の無い無能の今よりはマシかもしれないが。
コロナ禍で生きるか死ぬかの状態になった人々が大勢いる中で生きていられるだけで大変ありがたいことなのに、20年間死なずにいられるくらい守ってもらったのに、ずっと携帯ばかりかまっている自分で本当にごめんなさい。
親だけじゃなく学校とか、図書館の本とか、でかく言えば社会のインフラ、つまりは今の大人の方々が払ってくれた税金が巡り巡って私が生きてこられたのにこんな人間で本当すみません。
今はインターンのため泊まってるホテルでこれを書いている。居住県内の別の市。ちょっとした観光地もあるから、食べ歩きはせずとも一人でぶらぶら散策しようと思ってたのに、まんまとガレ○に誘導され(繰り返すがご本人は全く悪くない)、朝昼飲まず食わずでずっとはてなダイアリーを読んでた。過去記事まで遡って。
頭が痛くなる、でも止められない。そのうちスクロール状態で中味さえ読まなくなる、でも次の記事をクリックする。すぐに返信した方が良さそうなLINEが2,3件来てる、でも返さない。なんならサークルのあの仕事やこの仕事がある、インターンの振り返りした方が良いな関連する内容調べたり町散策したいな、しない、動けない!どうも熱中症みたいな頭痛になってきたけどこの記事の言ってることってこのことカナ、検索しよ!!?!??
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、スマホ記事は私と共にあるのだ。各々のお気持ち表明で精一杯で、何の教訓ももたらさないで、一時感情を盛り上げて、すぐ忘れることが出来る。ホント楽、疲れない。いや精神的には疲れる。ゆるやかな精神の自殺だ。
①中学受験
もう後がないと言う試験でゾーンに入り奇跡的に難関進学校へ合格。
鉛筆の音ふくめ周りの音が一切しなくなった。
存在をわすれていた4000字×2本のレポートをゼロから10時間で書いた。飲まず食わずで気づいたら夜だった。
当時の先生が鬼のように怖く、一音でもミスれないという状況。極度の緊張状態で頭が真っ白になりそうだったが過集中に入って気がついたら弾き終わっていた。
優勝したが先生が怖すぎてやめた。
④就活
どうしてギリギリにならないとやれないのか流石に鬱になりそうだった。エントリーシートは全会社通ったが面接でほぼ全て落ちた。
⑤卒論
計画性とかあるわけないんだよなぁ
⑥単位
193単位取らなくてはならなかった。
過集中だけは自信があったのでまあやれるだろうと思い教務課の反対を押し切って履修した。
2週間で13本くらいレポートを書く羽目になったが過集中を使えば楽だった。
⑦マフラー
冬休みの課題だったがコツコツ編むなど無理だったので、10時間ほど飲まず食わずで編み続けて完成させた。