はてなキーワード: 事象とは
コロナ関連のブコメ、まあ無茶苦茶なのは前から指摘されていたけど、今日見かけたhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Sukuitohananika/status/1242698846032953345もなかなかひどいので書かせてくれ。
まず、このツイート主が言いたいことを統計学的な言葉に訳せば、「東京都民の有名人率N人/900万人の下、ランダムな都民200人の一人が有名人であるという事象の確率は例えば95%信頼区間に入っているか?」ということなのはどこからどう見ても明らか、だよね。それ以外に解釈のしようがない。140文字は言い訳にならんよ。
そうすると、まず一次の近似として、とにかく感染者とかそういう属性は取っ払って、有名人数は集合の数に対して有名人率のもとでの二項分布に従うと思っていいよね。で、『超有名人』の数をリプにあったようにN=5000人だと思ってhttps://keisan.casio.jp/exec/system/1161228843とか使って計算してみると確率は10%。統計的には有意ではない、つまりまあそういうことはあってもおかしくないというのが結論になる。ということで結論としては、元ツイートは誤りである、つまり都民の真の感染者数と志村けんの感染は無矛盾である、ということが統計的にわかる。これはまあ感覚的にもうなずけて、有名人の期待値が1になるような感染者数が2000人くらいなので、まあ1/10くらい下ブレしても10%くらいで起きてもおかしくはないだろう。
もちろん、有名人の真の感染確率と都民の感染確率が同じなのか?とかそういう問題はあるけども、市内感染が起きている現状でこれは悪くない近似ではあろう。
で、実際岩田教授もまさにそういうリプライをしているのだけど(フィッシャー検定というの、増田は知らなかった)、ブコメが無茶苦茶。事実じゃないだの志村けんは一人だのプライヤーがどうのだの芸能人だからなんだのまあなんとも的外れなのばっか。というか、上の結論からもわかるように、統計学的には95%で無矛盾なので、このツイートに「反論」を試みている君たちは「市中感染がとんでもなく広まっている」という言説を補強しようとしているの?まずは一番シンプルな仮定でp値を計算してくれよ。
年度末の部下評価をしている。もう8時間近く作業しているんだが、一人ひとり毎回悩む。
私の力不足によって部下に対して塩っぱい評価になるのは本当に心苦しい。
自分自身の評価は私の上司によってもう結論出ている。もうゴミクズの評価。
ところで、人が人を一方的に評価することの意味ってなんだろうか。
人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね、と。
会社における生き死にの要素に評価があるが、凡人たる自分が人を評価するなんて、本当に
おこがましいことであろう。
飲食やエンタメイベント関連で働いているわけでなく、基礎疾患持ちでも後期高齢者でもないので、なんだか世の中えらいことになってんなーと他人事のように眺めている。
日本やりすぎじゃねと思っていたら、海外から次々にやりすぎなニュースが飛び込んできているし。今後の世界がどうなるのか、どこかで落ち着くのか全く読めず、興味深い事象として目新しい動向を「楽しむ」ような感情が生じているのは否定できない。コンテンツとして消費している感覚というか。
多くの人がぶっ叩かれているように公の場では絶対に表明できない感情だけど、大なり小なりこうした気持ちを抱くことは正しくないのだろうか。悲しい、大変だ、早く収束して欲しい、という同情的前向きなものと共に、そうでない内心も抱いてしまうことは、他者から徹底的な攻撃の根拠となりうる「悪」なのであろうか。
いざ自分が致命的な実害を被ったら、あわてて狼狽するとともにそのような他者を批難する側へ回るのだろうけど。
今回の感染症流行において、亡くなられた方へは謹んでお悔やみを申し上げますとともに、健康や経済において被害にあわれた皆さまへ心よりお見舞い申し上げます。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
はじめにいっておくが、私もワニの拙速な売らんかな主義は気に入らない。それはおそらく「お人形だと思っていた異性に性器が生えていた」ショックと似たようなもので、私の気質以上の理由はないのだと思う。
そういう意味では
そこで「金」と答えられるのは、私の価値観では嫌だ
には同意する。
だがそこ以外はすべて同意できない。
私は物語の力を信じている。フィクションが人を支え、鼓舞し、規範となり、揺さぶり、人生に決定的な何かをもたらす効力があると本気で考えている。
この言葉に嘘はないのだろう。
そして嘘がないゆえに過っている。
キャラクター(の死)を現実の人間(の死)と等価に扱うのは内心の自由であり、それはいい。
ならばなぜ、「キャラクターを現実の人間のように思いやること」をやれているのに「現実の人間そのものを思いやること」はできないのだろう。
作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう、そこがもうヘドが出るくらい嫌だ。
恐れながらきくち先生がそのような趣旨の発言をどこかでなさったのでしょうか。きくち先生にしろ「広告代理店の連中」にしろ「要はフィクションを信じていない、フィクションによって支えられていない人間」だとする根拠は?
むしろ、フィクションを信じていないとああいう物語を100篇描いて毎日投稿するなどできないのでは? 人の人生は物語ではないし、それをやさしく見守る読者のような天使も実在しない。読者の反応を受けとめつつ、テーマにそった物語を書く。それも命に関係にする話を。それはまさに「フィクションを信じる」以外のなにものであるだろうか。
「広告代理店の連中」に関しての不信感は正直共感する。だが、世間に流布しているイメージそのままに彼らを悪魔化することはすなわち「現実の人間をフィクションのキャラクターのように扱っている」ことにならないだろうか。
フィクションのキャラクターは世間でのイメージと実際に接したときのイメージが一致する(というか、それらの差がない)。しかし実際の人間はそのシンプルな原理がなかなか通用しない。
特に「職業的なイメージ」で語られるときほど実際とズレることはない。
なぜ現実の人間には内心や人格がないと思いこんでいるのだろうか? フィクションと現実の区別がついていないから?
作者が、自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感
繰り返しになるが、作者が「自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いで」いないとなぜ断言できるのか。
100日目の「死者への敬意のない」扱いを見ればわかる?
それはあくまで外形的に現れる事象を見てあなたが”そう”感じたにすぎない。
描かき方が下手、売出し方が下手、それらはすべて技術の問題だ。
なぜ他人のせいにするんだろう。
単に「起こっている現象が気に食わない」なら、それが気に入らない自分と向き合えばいいだけだ。なのに、いや作者が公式が人格的に最悪だからという問題に持っていってしまう。
クレーマー気質のオタクにありがちなのだが、起こっている出来事から勝手に作者(芸能人とかでもいいよ)のお気持ちを推測して、その自分が作り出した仮想のお気持ちをあたかも現実のように捉えて勝手に涙したり怒ったりする。
なんなんだ。
怖いよ。
言語化にこだわるあまり、人間として捉えるべきはずの対象を悪魔に変えてしまう。
なんでも殺せるようになるから。
蛇足。
トーチとか毎日開いているリイド社の熱心なフォロワー諸君なら、きくち先生がその才気に比していかに不遇をかこってきたかはおわかりのことと思う。
私は『スーパーどうぶつ―ズ』がミリもおもしろいと思ったことはないけれど、ああいう誰もベットしないようなポジションから有馬記念の一番人気にハネあがったのは、なんだかいいなあと思います。
それもまた物語ではないですか。
(やべー増田をまとめるという行為にいろいろ限界を感じたため、次回の番付発表は未定です。→前回の番付)
(昭和時代やイオン、ぷちくらちゃん(誰?)などごく一部の例外を除き、森羅万象を罵倒する増田。罵倒の対象をよく「お前」呼ばわりするが、誰かは不明。
何度も削除を食らっては毎回戻ってきており、かつての安倍botや低能先生に劣らぬやべー増田筆頭。
文頭をスペースで空けることから「字下げ増田」と呼ばれており、今回からこちらの四股名をメインとした。
「子供に虚を突かれて殺された」という、確認されただけでも2015年の増田まで遡るフレーズを用いることから、実はかなりのベテランだった説がある。
得意技は怪文書じみた判決文。その文体と自分語りの内容から、****で**された****である可能性が極めて高い)
(THEクソ増田。自己顕示欲は旺盛だが、それにユーモアが全く追い付いていないのが悲しい。「ポリコレ」ではなく「パリコレ」が正しいと勝手に主張し、文中に「ポリコレ」が含まれた増田に「パリコレ」とトラバを繰り返したのが名前の由来。
他にも猛虎弁・トラバ誘導・KKO増田に金正恩など他人のパクリも含めた様々なネタを操る(以下の増田もこいつと同一人物と思しき奴がちらほらいる)が、つまらなすぎてただの荒らしと区別がつかない。技のデパートならぬ技のバッタ屋)
(増田で音楽関係のネタを出すと「ゴミを○○するな」と言及を飛ばす音楽嫌いな増田。たまに他のものにも噛みつく。↑のパリコレが同一人物と主張しているが真偽不明)
(「でもキモくて金のないおっさんは……」と、KKOに対する差別や無関心を訴える増田。実際、あまり共感されている様子はなく、それどころか複数の定型文で罵倒されている始末)
(他人の増田に 上から目線で クソリプを繰り返すが 他人からの言及を 恐れているのか すぐ書き込みを消す チキン野郎でもある。
やたらモラルを 訴えることもあるが 自分こそが相当 ウザい存在であることに おそらく気付いていない)
(ひたすらIT関連と思しき意味不明な愚痴ポエムを垂れまくるメンヘラ系増田。登場間もないにも関わらず、文句なしのウザさで先場所優勝を果たした令和の怪物。
やたらとひらがなを多用するのが特徴。他人の増田にいきなりクソリプをかましたかと思えば、その後に自演トラバを延々と伸ばしていたりする。以前は「寄付する聖人」というカテゴリーをつけることがあったが、これどういう意味だったんだろう)
(パンティー)
(同カテゴリー参照。厨二臭い上に意味不明なSSをひたすら垂れ流し続ける増田。質より量を体現する増田の三峯徹的存在。でも正直なろうかどっかでやってほしい。その面の皮の分厚さの割に意外と沸点は低いらしく、クソリプに反論することもある)
(左翼・フェミ叩きに対して憎悪を燃やす超ベテラン増田。「711」「R30のところにコピペしないの?」「いつもの地ならし」「○時まで寝ていたんだ」「見つかりそうか」「ということにしたいのですね」「おばさんはいいんだよ」などと、意味不明なクソリプばかり飛ばす。
また「プライベートで○ブクマwww」「自演ツリー」などと、むやみやたらに自演を疑うこともあった。最近では「他人の投稿を何の脈絡もなくパクってコピペトラバする増田」が出現し、この増田の関与を強く疑わせる。
id:Ereniおよびid:iteau両氏の名前を出すことが度々あり、おそらく本人の脳内では毎回特定の相手に粘着しているつもりなのだろうが、実際には明らかに政治や思想と無関係な増田に因縁をつけていることも多く、結局のところ噛みつく基準がよくわからない。
(無駄に長い語りに過剰な自意識を挟んだクソエモ長文増田が嫌いな話
愚痴らせてほしい。
タイトルや人物を隠して、作品や気に食わない同人作家などの悪口を言う増田がいる。
それを見て私は本当に悲しくなり、涙が出そうになった。
特に腐人気の高い作品とか同人界隈とかジャニーズとか、どうしてこういう陰口ばかり多いんだろう。
あと総選挙の時期にはアイマス長文が湧くけど正直やめてほしいです。
ここまで読んでくださりありがとうございました)
※こういう流れの文章が多い
(文字通りのクソリプ。特定の増田に限らず流行し、増田ミームと化した。「ドラゴンうんち(通常よりさらにうんちなものが対象?)」や「リベンジうんち(再投稿のものが対象?)」などのバリエーションがある。
現在はおそらく複数人が同時にやっており、長文自分語り増田など「うんち」がつきやすい増田に一定の傾向はあるものの、基準が統一されているわけではない。うんち同士がかぶることもたまにある。
一方、この増田自身もうんちだね増田やミソジニー連呼増田(前述の通りそれに限らない)など、複数の増田から粘着されている。同様のミームに「しゃぶれよ」なども。こちらは一応励ましの意図はあるらしい?)
(「日本の医師と専門家は飛び抜けてレベルが低い」という謎の使命感にかられ、医師免許更新制などを唱える青汁増田。コンプでもあるのだろうか? 最近では新型コロナにちょっとでも関係する増田に無差別トラバを飛ばしてきており、もはやコロナの大先生と化している)
(とにかく自衛隊を叩きたいらしい増田。某議員の件がよほど癪に障ったらしく、何度も何度も蒸し返してくるのが特徴。最近では「ブルーベリーフランペチーノ(?)」や「24億円」などの連呼も始め、ますますビョーキの進行に歯止めがかからなくなっている)
(同カテゴリー参照。あらゆる事象を「ってマ?」という語尾で検証しようとするが、大半は単なるダジャレ。やはり質より量の増駄)
(疑問形の増田を嫌い「ママに聞け」という言及を繰り返したクソリプ系増田。たまにママ以外も登場した。本人と思われる引退宣言以降は姿を消していたが、最近になって復活を果たし、当番付に対し4000字超の謝罪文を要求するなど意味不明な行動に出ている)
(「池田」なる人物を憎む増田。過去の投稿をよく消す(消える?)。名字のみならず下の名前や他の情報もよく漏らしており、粘着対象の人物がモロに特定できる状態。大丈夫か?)
(こちらも当該人物に粘着し、同じ内容の書き込みを繰り返していた増田。以前は毎日2回の投稿を欠かさなかったが、最近は投稿が途絶えている)
(プロテインの「ザバス」をなぜか「サバス」であるとしつこく主張する、高速道路逆走系増田。この他にも上のパリコレや「ADHD」を「AC/DC」に訂正しようとする増田など、増田には同様のしょうもないネタが多すぎる)
(こちらも「GSOMIA」ではなく「GOSMIA」が正しいと主張する逆走増田。増田によれば新聞社も政府高官もみな間違えているらしい。んなわけあるかい)
(何の前触れもなく「ワイは~」と誰も聞いてない自分語りトラバ爆撃を繰り返すなんJ臭い増田。横綱・パリコレ増田も同じネタを使うことがあり、元々この増田をパクったと称している。よって正確には何人いるのか不明。
特定の増田として、体重100kgという設定の増田、カテゴリー「今日のワイの餌」で日々の食事を記録する増田などがいる)
(↑の増田に対して「関西弁を使わないでください」と主張する増田。関西弁というか猛虎弁やぞ)
(何の話題でも強引に新自由主義叩きを展開し、毎度おなじみの長文を投下する増田。反緊縮などの話題が出た時は文体からしてだいたいこの人)
(こちらも「非モテの女は『いないこと』にされている」というのが大好きな青汁増田の一人。なお、同様の主張をしているidがあり、現在も活動中)
(ジェンダー論関係の増田ども。そもそも増田はフェミも反フェミもやたら多く、個別の増田を挙げるのもめんどくさい)
(最近活動が特に目立つ反フェミ増田の一人。Togetterの記事を引用してフェミ・リベラルを叩くことが多いが、山田太郎議員や赤松健氏も頻繁に攻撃の対象としており、いわゆる表現の自由戦士としては一貫している?)
(こちらも(自分で作ったと思しき)Togetterのまとめを増田で拡散しようとするフェミニスト。なぜか「全員同じような文体で」「同時に同じ人物ばかり叩く」特定の3垢から引用しており、おそらく3つ全てを一人で使っているものと思われる。
ちなみに垢の1つによると反ヴィーガンでもあるらしく、たまにそちらも叩いている。ネトフェミには割と珍しい組み合わせかもしれない。
なお、Togetterに書いたコメントとはてブのブコメがしばしば完全に一致するため、はてなidがバレバレだったりする。以前は該当するidが2つあった(つまりはてブでも……)が、いつの間にか両方消えた)直後になぜかよく似た人が現れている
(これも「うんち」同様、増田ミームの一種。一方で毎日のように毒親叩きが投下されるのもまた事実。こちらは一応オリジナルの増田が存在し、Twitterの男女ネタなども拾っていたが、最近は活動が減っている)
(同カテゴリー参照。かつての「Bluetooth変態オヤジ日記」同様、こちらも増田本人が以下略)
(質問系増田に対する定型文トラバ。ストレートすぎる。ママに聞け増田の後継者的存在)
(変なリンクを貼る増田。最近は他の増田を無差別にコピペして巻き込むもの、さらにそれをトラバするものが現れるなどウイルスじみた変異を繰り返しており、冗談抜きでヤバい)
(めぐみんに罵倒されたい増田。こちらも最近はパンティーに匹敵するレベルで増えた)
(うんちトラバを見かけるや「ミソジニー」とトラバせずにはいられない増田。ブクマの新着からうんちトラバを求め彷徨う姿は哀愁を誘う。自称フェミ男らしいが詳細不明。
なお、実際には男性と思しき増田にうんちトラバがついている例も多々あるのだが、やはりそれにも雑な認定を下してくるあたり、おそらくミソジニーの意味を理解していない)
驚くほど当てはまるから。
まわりに年収一億超えの友達がいない人にとっては所詮、身も蓋もない話し。
→具体的事象に惑わされず、抽象的に考えて正しい方向に意思決定をする。世の中の原理原則に乗っ取って考える。
→最終的に全ては人に集約される(と思う)。人を無条件に信頼する(信用とはまた別)。絶対に人を裏切らない。人を第一に考える。
→享楽的な欲求を追い求めても満たされる事はない。もっと高次な欲求を満たす事に努める。(ちなみに、この前読んだ本に、承認欲求を満たす事も享楽的だというような事が書いてあって、なるほどなと思った)
→人は当たり前と思う事しか続かない。高みを目指そうと思うのであれば、無理をして頑張るのではなく、当たり前の基準をあげる。
→どんな投資よりも自分の能力や知識への投資に勝るものはない。自分への投資は常にし続ける。
→人って何のために生きているんだろう?という問いに対しての回答は、ソクラテスの「よく生きる」が一番しっくりくる。ただ生きるんじゃなくて、「よく生きる」。少し言い換えると、「かっこよく生きる」。自分なりにかっこよく生きる方法というのはつねに探し続けたい。
→恩は必ず返す。(「よく生きる」ために大事な事)
→人は物事にA=Bという感じでラベルを貼ってしまうと、思考が停止してしまう。ラベルは簡単に張らないように注意する。(ラベルを張らないと人は気持ち悪い。でもその状態が続く事で思考は先に進む事ができる)常に全てのラベルを疑うようにする。常識を疑う。特に人に対してのラベルは要注意(自分に対してのラベル付けも)
→たとえ、どんなにつらい事があっても、それを楽しいと思えるマインドがあればその物事は楽しいものに変わる。全ては自分の気持ち次第。そうであれば、全てを楽しくおもしろく考える。
→何事も入り口と出口が大事な事が多い。特にビジネスモデルを考える時は、入り口と出口はきちんと抑える。
→ビジネスを考える時は、トレードオフの関係にあるものをいかに打破するかを考える。トレードオフを破ってこそ価値がある。
→人は何かを捨てることで、何かが手に入る。現状を変えようと思ったら、まずは何かを捨てないといけない。何かを得てから捨てるのではなく、先に捨てる必要がある。捨てる事は怖いし、つらいし、難しい。でも、捨てる勇気を持つ。
→大人になれない病。ずっと子供みたいなバカな事をしていたいし、それで笑っていたい。「うんこ」できゃっきゃとはしゃげる人間でいる。
→過去に捕われた考え方をしないように注意する。常に物事はゼロベースで考える。
→複雑にしない。できる限りシンプルにする。
→チャンスだと思えば、全力で突っ込む。過去に何度か資金がショートするぎりぎりの賭けをしてきて勝ってきた。これからもその意気込みを忘れない。(カジノではいつもオールベットをして負ける)
→そう考えた方が、人生がより素敵になる。
例のコロプラの屹立したバベルだとかなんだとかが「瞬間的にランキングトップ?を取ったものの、一年待たずにサービス終了」してる事実から簡単に推測可能やろ。
同じマーケティング手段をアクション退魔忍をやった。そして、瞬間的にランキングトップは取った。ただ、その後は何も考えていなかった。
実はすでにアプリのランキングというものは特に客を呼び込む導線としては機能しておらず、ユーザは常に元居たゲームかまた別のゲームに浮気する。
だから「ユーザを引き留めるためのコンテンツ」をリリースと同時に大量に用意してしかるべしだったんだが、その辺の駅前のドラッグストアにおけるトイレットペーペーと同じく「想定外に売れて在庫がなくなった」訳だ。
この後起こる事象は単純すぎてわかるよな。
新型コロナウィルスに対する学校の一斉休校措置に対して様々な批判が上がっています。
個人的には、全てにおいてベストな選択ではないものの概ね間違ってはいないと感じています。その理由について、代表的な批判に対して反論する形で書いてみようと思います。
見落としている観点などがあれば指摘いただけるとありがたいです。
なお、前提として本件は2/24に発表された専門家会議による基本方針をひとつの指針としています。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00006.html
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-muto
また、既に起きた事象について「あのときこうしているべきだった」は現時点では無意味と考え、現状を前提とした思考をしています。
これは理論的には正しいように思いますが、現実的にはあまり意味がないと考えています。なぜなら、この批判は
既に御存知の通り、新型コロナウィルスは潜伏期間が長く、検査リソースも不足していることから正確な感染状況はわかっていません。数字としてゼロだからといって、リスクが低いかどうかはわからないのです。
また、教育委員会や学校は疫学の専門家ではないため、「感染を防ぐ」観点ではなく「保護者の意見」や「十分な準備」などの観点で判断されるリスクが高いと考えています(重要な観点ではありますが、判断は目的に沿ってなされるべきです)。
2/24~26の間に発表して1日でも準備期間を設けるべき、という意見です。一理あると思います。
「何日の準備期間があれば良かったのか」は人によって意見が分かれるのでいずれにしろ批判の対象になったと思いますが、1日で全て対応するのはさすがに厳しかったでしょう。
一方で、専門家会議の「これから1-2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります」という見解から考えると、休校の後ろ倒しはリスクの増大を意味します。
「完全な準備期間」は存在しません。リスクとスピードのバランスという面からは「週末を含めて対応を考える」はベストではないにしろワーストでもない、という印象です
「感染リスクが低い」のか「重症化リスクが低い(気付かないだけで感染している)」のかは専門家の間でも見解が分かれているようです。
私は感染症の専門家ではないので判断は避けますが、後者の観点から決断したものと理解しています。いわゆる「安全側に倒す」という考え方です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200229-00165263/
一方、「どうすれば良かったのか」については代案が思いつきません。
「一部の子供を家に入れることで、リスクのある子供の数を減らした」という見方をするしかないような気がします。
3つあります。
1.両者はAorBのような排他関係、A→Bのような依存関係ではないため、独立に議論できます(優先順位の議論はできます。そちらは2,3で反論します)
する場所」「多数の人が備品・設備を共有する場所」が危ないようです。一般的には学校のほうが高リスクそうです。
この主張をされる方が具体的にどのような施策をイメージしているのかはわかりませんが、少なくとも「全企業出勤停止」のような処置は利益率の低い中小企業や非正規雇用の多いサービス業から確実に殺していく、極めて副作用の大きい劇薬です。
経済活動を止めるダメージは学校を止めるダメージとは比較になりません。
本文にも書いてあるが、ポル・ポトやスパルタを例に出して思考停止してるブクマカって論理性が無いんだろうか。今は強制労働や戦争も無いわけで、時代背景が全然違うだろうに。それに、学校は良くてコレはダメな理由は何なのか。思想統制の観点からは同じだろう。
こういうの見てると「愚者は歴史に学ぶ」なんだと思う。「歴史は想像力を殺す」と言ってもいい。歴史上での失敗なんて、ある前提の元で失敗したというだけで、その結果から本質的要素が論理的に否定されるわけでは決して無い。歴史に乗るような大きな事象なんて単なるワンケースでしかないのに、「私は母集団です」みたいな大きな顔をするな!って強く思う。統計取れるくらい同様の事象を繰り返してから初めて物を言えって。歴史の話するおっさんって、事象を挙げるだけで、そこに汎用性も論理性も無いから嫌いだ。
(80年代〜00年代までの)アニメとマンガとソシャゲと床屋政談(いま30代後半でも床屋政談なんて言葉使わないか)が好きな30代男性だけというだけでは? 男かは知らんけど。
そもそもただの消費者っぽいので、そういう人は今も昔も楽しんでる/楽しめてないに関わらずカルチャーの円周にいただけだろうし、今のアニメやマンガを楽しく享受している人たちもそういう意味ではあんま変わらないと思いました。
雑な枠組みと狭い視座で世間的に話題になった事象を無責任かつテキトーに語るのってウルトラ楽しいと思うけど、他人に勝手な結論を押し付けちゃうのは老害というより単純に迷惑な人だなあと思いました。
見かけた目の前の一人二人をケアする事はしているがそんなことをいくらやってもその子供が助かるだけで全体として子供たちが死んだり破滅したりしていく状況は変わらないし、
何よりこの方向性では世の中全体の「(虐待されて)潰れた奴はクズだから助けなくていい」という風潮(※1)も変わらない。
少ない稼ぎを団体に寄付してもやはり同じ事で、要するに社会(※2)がそこまで虐待に理解がないという状況を変えられなくては何の意味もない。
虐待という事象の存在は認識していても虐待被害者という存在が抱える障害については世間は……特に学校は……未だ全く無理解で不幸を決定づけていると思う。
と言ってもそれに干渉するためには途方もなく強大な力が必要なわけで、政治とかの問題に入っていき、そんな主張は世間にとって全く価値が低い。(※3)
どうにかする方法はないだろうか。
※1……主に虐待被害で死にかけている子供たちが社会に「甘え」等の言葉で追撃されて本当に死亡・破滅していく状況を指す。実際には虐待されているという事実が認識されず社会に適応できない子供の存在だけが観測されるため起こる事象なのだが、被害児童達の感じる世間の態度とは「虐待されるような奴には生きる資格がない」に近い。
※2……成人読者の方が感じるであろう「我々」社会全般よりもむしろ「学校」という特殊な環境を指す。不幸な子供には家庭と学校しか世界が存在しないため。
※3……虐待をしない親(及び虐待をしている認識がない親)は自分の子供が虐待されていない(またはその認識がない)のだから通常その被害に無関心であり、虐待をする親はそもそも自分がその加害によって利益を得ている側なので被害側を救う意味がない。