見かけた目の前の一人二人をケアする事はしているがそんなことをいくらやってもその子供が助かるだけで全体として子供たちが死んだり破滅したりしていく状況は変わらないし、
何よりこの方向性では世の中全体の「(虐待されて)潰れた奴はクズだから助けなくていい」という風潮(※1)も変わらない。
少ない稼ぎを団体に寄付してもやはり同じ事で、要するに社会(※2)がそこまで虐待に理解がないという状況を変えられなくては何の意味もない。
虐待という事象の存在は認識していても虐待被害者という存在が抱える障害については世間は……特に学校は……未だ全く無理解で不幸を決定づけていると思う。
と言ってもそれに干渉するためには途方もなく強大な力が必要なわけで、政治とかの問題に入っていき、そんな主張は世間にとって全く価値が低い。(※3)
どうにかする方法はないだろうか。
※1……主に虐待被害で死にかけている子供たちが社会に「甘え」等の言葉で追撃されて本当に死亡・破滅していく状況を指す。実際には虐待されているという事実が認識されず社会に適応できない子供の存在だけが観測されるため起こる事象なのだが、被害児童達の感じる世間の態度とは「虐待されるような奴には生きる資格がない」に近い。
※2……成人読者の方が感じるであろう「我々」社会全般よりもむしろ「学校」という特殊な環境を指す。不幸な子供には家庭と学校しか世界が存在しないため。
※3……虐待をしない親(及び虐待をしている認識がない親)は自分の子供が虐待されていない(またはその認識がない)のだから通常その被害に無関心であり、虐待をする親はそもそも自分がその加害によって利益を得ている側なので被害側を救う意味がない。
この世のだいたいの社会問題は貧乏を解消すれば解決すると思っている。 虐待をする親が徐々に減っていくとしたら、それはまともな環境でまともな教育を受けた人が増えていくこと...
そうやって底辺に堕ちた人間がコンビニバイトとか原発で放射性廃棄物処理とか下水処理とかの仕事をやってくれてるから あんたも生き延びてるしあんたも利益を受けてる側なのになん...
今日本では年に2万弱自殺していますがあなたにとってそれがどうでもいいように、気にするのをやめればよろしいかと思います
私の衝動は自分が虐待されて死にかけた時に救ってくれなかった社会許さねえ!同じ目にあう子供が無限に存在するの許せねえ!というのが根源であり他の不幸な人は興味の対象じゃな...