はてなキーワード: ポタージュとは
すごい戻ることを謳った広告というか表示ってあるじゃない。
あれって紛らわしい間際らしいわよ。
そう思わない?
2本に1本当たる!購入金額の全額キャッシュバック!とかって良くみたら
4等の当選数は増減します!全額キャッシュバックの上限があります!って
実質全額キャッシュバックじゃ無いし4等の本数を増やせば実質当選確率も2本に1本になるし
ものは言いようじゃない。
そんな凄いみんなに凄い金額が当選戻ってくる感じを感じずにはいられないわよね。
実際蓋を開けてみたら
紛らわしいので注意書き良くみないと張り切った分損するわよね!
たぶん、
ポインツにも良いポイント普通のポイント悪いポイントがあるのよ!きっと!
じゃないとこのポインツ大海原を乗り越えられないわ。
堅実にコツコツと貯めていくしかないのよ。
もう私ポインツのこと全て理解したわ!って言いたい季節訪れる真っ赤な秋!
真っ赤だなー!真っ赤だなー!って謳っているのはモミジだけでいいわよね。
ふとさ、
真っ赤な秋と言えば紅葉って思い浮かべるんだけど、
そう言った類いの紅葉とかには一切興味が無い花より団子派なのかも知れないけど、
神社仏閣に一切興味ないのに
急にそういうのにも興味が湧いてくるとか!
まだ私にはそう言ったシーズンが訪れてないけど
いまのところ、
秋の紅葉とか神社仏閣とかを全て理解した!とは言ってないから、
そんな季節はまだまだ先なのかも知れないわ。
お鍋の中でくたくたになって溶けそうな葉物野菜とか
もうブレンダーでポタージュにしちゃおうかしら?って思うほどだし
鍋の季節と言えども、
その鍋のトーナメント戦で勝ち進むのは肉か魚か豆腐か!ってことじゃない、
いっそのことハンドミキサーでポタージュにしたらクノールだってことを発見できるかもしれないし、
ちょっと今夜試してみようかしら?って思うわ。
だからといって、
リッター1円安い100キロメートル先のガソリンスタンドにガソリンを給油くみに行くほど滑稽なことはしないけど
労力少なく且つ効率よくポインツなりを貯める季節にしたいものよ。
いろいろな季節が巡るわー。
むかし母親が郵便貯金に10年定期で預けたら半年複利で満期には倍になる!って高見山親方みたいなこと言ってた季節もあったけど、
もうこのいまの季節のシーズンじゃ
金利だとかも期待できないじゃない。
だからこうやって
何も考えずに効率よく時間もかからなくて労力も要らない貯まるポイントが真のポインツとして
パーフェクトな賢さは要らないけど、
少しの賢さは小さじ一杯の半分のお塩が何グラムかもう分からないように
そんなぐらいの気持ちでいいのよ。
そのぐらい利口な感じで損はしたくないものね。
はぁでもガソリンスタンドの料金の電光掲示板を見ると100の位の数字が1しか表示できないところが多くって
さすがにガソリンがリッター200円台になるんじゃね?ってところまで誰が予想谷下のかしらの風の谷のナウシカ的に、
きっと私もマスクを取ってほら平気だよ!って肩に乗っている小さなリスみたいな生き物のに言い聞かせたいわ。
でも実際200円台にガソリンがなったらどうなるのかしらあの表示?
もうエラー出ちゃわない?
みんなコンピューター問題がY2K問題があって不安になって世の中が終わっちゃうんじゃない?って思っていたのに
まあ中の人が考えて改修したのかも知れないけど、
実際に表示し切れない溢れ出る200円台のガソリンの表示の電光掲示板問題はYKKでも高見山親方でも解決できないじゃない?
あのガソリンスタンドのリッター金額表示システムを開発した人は想定してなかったのよ。
いまごろ、
まさか200円台に迫るとは!ってあのシステムを開発した人は冷や冷やしている頃よ。
そんで、
100の桁が1しか表示できないシステムを開発した人を抹殺しにそれなんてターミネーター?ってやってきて、
100の桁もデジタル表示で8で出来るようにして!って発注しに来ると思うわ。
でも、
その開発者はまさか未来がそんなことになっているガソリン高騰なんて夢にも現実にも思わないから全く信じていないの。
そもそもとして、
やって来たターミネーターが裸でおまえの作った電光掲示板の100の桁の数字はデジタルで8も表示できるシベての数字が表示できるようにしろ!って言われても何も説得力がないわ。
そんな人に自慢の開発した100桁の位が1しか表示できないガソリンリッター料金表示システムを改修しようとは到底思わないわよね。
分かった!おまえは俺が裸だから俺の言ってること信じないんだろ?
だからすぐ服着てまた戻って来るからな!ってアイルビーバッグ!なのよ。
なるー!
全ての伏線がこれで回収ってわけね。
ところで
私何の話ししてたんだっけ?
まあいいわ。
うふふ。
うーん、
野菜系と迷ったけど
じゃあカツサンドの気分は1日のうちでいつの時刻になるのかしら?
昔時計とか無かった時代の十二辰刻ルーレットってあったじゃない。
あれを食べたい時刻のところに食べたいサンドイッチを書いたら、
十二サンドイッチ刻ルーレットになっていいかも!って思ったわ。
でもこれだと寝てる時もなにかしらのサンドイッチって刻になってるけど
それは夢の中で食べたら良いじゃん!って思ったわ。
ジンジャーとハニーが恋をしそうなほどなホッツウォーラーにしました。
温活に持ってこいだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
1.前菜(オードブル)
いわゆる前菜です。
オードブルはスープの前に出される料理、直訳すると作品の外という意味です。
2.ポタージュ(スープ)
ポタージュと書かれる場合とスープとかかれる場合、両方あります。
ポタージュと書かれる場合は一般的にトロみのある透明でないもの、逆にスープは
透明でなスープのもを指します。広い意味ではスープ全般も指します。
3.魚料理(ポワソン)
メインとなる魚料理です。魚だけでなく、海老や蟹も含まれることがありますが
貝のポワソンは余り聞きません。
もし出す店があったら情報求むですね。
余談ですが、カエル料理は魚料理に分類されます、カエルは高級食材ですよ!
4.口直し用氷菓(ソルベまたはグラニテ)
口直し用の氷菓ですが、出てくるタイミングはコースの内容によります。
2品の場合はポワソンの後、というのが一般的なタイミングです。
5.肉料理(ヴィヤンドゥ)
メインとなる肉料理です。
食べ方のマナーは左はしから切り分けて食べていくのが一般的です。
鶏、豚、牛、羊、鹿の他、野禽類の料理がヴィヤンドに分類されますね。
6.チーズ (フロマージュ )
テーブルの整理をかねて。
7.デザート (デセール )
https://megalodon.jp/2022-1116-1609-03/https://anond.hatelabo.jp:443/20221116133210
1.前菜(オードブル)
いわゆる前菜です。
オードブルはスープの前に出される料理、直訳すると作品の外という意味です。
2.ポタージュ(スープ)
ポタージュと書かれる場合とスープとかかれる場合、両方あります。
ポタージュと書かれる場合は一般的にトロみのある透明でないもの、逆にスープは
透明でなスープのもを指します。広い意味ではスープ全般も指します。
3.魚料理(ポワソン)
メインとなる魚料理です。魚だけでなく、海老や蟹も含まれることがありますが
貝のポワソンは余り聞きません。
もし出す店があったら情報求むですね。
余談ですが、カエル料理は魚料理に分類されます、カエルは高級食材ですよ!
4.口直し用氷菓(ソルベまたはグラニテ)
口直し用の氷菓ですが、出てくるタイミングはコースの内容によります。
2品の場合はポワソンの後、というのが一般的なタイミングです。
5.肉料理(ヴィヤンドゥ)
メインとなる肉料理です。
食べ方のマナーは左はしから切り分けて食べていくのが一般的です。
鶏、豚、牛、羊、鹿の他、野禽類の料理がヴィヤンドに分類されますね。
6.チーズ (フロマージュ )
テーブルの整理をかねて。
7.デザート (デセール )
https://megalodon.jp/2022-1116-1609-03/https://anond.hatelabo.jp:443/20221116133210
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
不味いんだよね…。
あのダルダルなパスタや油がよくなさそうなドリア、あの炭水化物メニューマジで美味しいとか思うの?としか
イタリア人がーって人らも、テレビ番組でなんかよくわからん外国人連れてきて、日本素晴らしいですねーって言わせまくってた番組はこういう層に人気だったんだなって感じ。
値段相応の味だよ。
数えるほどしか入ったことないから、私のあたりが悪かっただけでなにか美味しいメニューが?と思わんでもないけど、ミラノドリアとか絶賛してるの見たら味覚が違うんだなと。
イタリアンて安めだから、ランチ1500円くらいで美味しいのあるし、巨大チーズの中で仕上げたチーズリゾットとポタージュバーニャカウダフォカッチャコーヒーティラミスとか食べれるわけで何でそんなサイゼ美味いと必死なんだろ。
子どもの食について考えてみませんか?(写真:プラナ/PIXTA)
食品添加物の現状や食生活の危機を訴え、新聞、雑誌、テレビにも取り上げられるなど大きな反響を呼んだ『食品の裏側』を2005年に上梓した安部司氏。70万部を突破する大ベストセラーとなり、中国、台湾、韓国でも翻訳出版され、いまもなおロングセラーになっている。
その安部氏が、『食品の裏側』を発売後、全国の読者から受けた「何を食べればいいのか?」という質問に対する答えとして、このたび『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』を上梓した。15年の間に書きためた膨大なレシピノートの中から、たった5つの「魔法の調味料」さえ作れば、簡単に時短に作れるレシピを厳選した1冊だ。
発売後、たちまち6刷5万部を突破し、各メディアで取り上げられるなど、大きな話題を呼んでいる安部氏が「子どもの食生活に迫る危機」について語る。
『食品の裏側』がベストセラーとなったことで、私は講演会や食育セミナーに招かれ、全国を飛び歩くこととなりました。そこで私は「家庭で今、なにが食べられているのか」、その実態をうかがい知ることになります。
『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん』にも書いたことですが、衝撃的だったのは、「手作りのおにぎりを初めて食べた5歳の子ども」でした。
『世界一美味しい「プロの手抜き和食」安部ごはん ベスト102レシピ』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
ある保育園の食育講座で、「おかか入りのおにぎり」を作ったときのことです。それを食べた5歳の子どもが「おにぎりってこんなにおいしいんだね」と言って感動しているのを、保育士さんが「よかったね」と言って抱きしめて泣いているのです。
その子は「手作りの温かいおにぎり」を5歳になって生まれて初めて食べたということでした。おにぎりとは「コンビニの冷たいおにぎり」であって、手作りのものを食べたことがなかったのかもしれません。
別の保育園では「味噌汁が『臭い』と言って飲めない子どもがいる」という話を聞きました。
給食に味噌汁を出すと「こんなものは飲んだことがない」「変なニオイがする」と言って飲めない子どもが、毎年必ず何人かはいるというのです。
子どもたちの食生活の実態がどうなっているのか、疑問に思った私は、機会があるたびに子どもたちに「今日は朝ごはんに何を食べてきた?」と聞くようにしました。
「ご飯とみそ汁と焼き魚」「トーストとハムエッグとサラダ」などという、いわゆる一般的な朝ご飯を食べている子どもももちろんいましたが、それはむしろ少数でした。
多かったのが「菓子パン」。それと「インスタントのポタージュスープ」という組み合わせも多くありました。
なかでも好まれているのはコーンポタージュで、「冷凍のタコ焼き」「ロールケーキ」というパターンもありました。
それから、これはあるお母さんから聞いたのですが、その家では朝ごはんに「(冷凍食品の)餃子」を食べると言っていました。
そのお母さんは、「餃子はお肉、野菜、小麦粉と、栄養バランスが一番いい。この(冷凍食品の餃子)1品で必要な栄養が摂れます」と胸を張っていました。それは確かにそうかもしれませんが……、私は返答に困ってしまいました。
これで驚いてはいけません。さらに驚いたのは「カップ麺の牛乳戻し」です。カップ麺をお湯で戻すのではなく、熱々に沸かした牛乳で戻して食べるのだそうです。
「なぜそんなことを?」と思いますよね。「お湯を使うよりも、牛乳のほうが栄養価が高いから」だそうです。
朝からカップ麺ではあまり体によくないから、牛乳を使うことで罪悪感を帳消しにするということでしょうか。とにかくそれが「5歳の子どもの朝食」だというのです。
返答に詰まるどころか、絶句してしまいました。「朝から冷凍餃子」の朝食が立派に思えたほどです。
「カップ麺の牛乳戻し」は極端な例としても、私が気になったのは、朝から「甘いもの」を食べる子どもがとにかく多いということです。
「朝はパンです」といっても、よく聞いてみると、食パンではなくて「菓子パン」なのです。「あんパン」や「メロンパン」「デニッシュ」といったものです。
親も朝は忙しいから、トーストを焼く時間も惜しい。菓子パンなら買っておいたものをそのまま食べさせられるから便利だということでしょう。
「食パン」という人もいましたが、「マーガリンと砂糖を混ぜたものを塗る」「チョコなどの甘いスプレッドを塗る」などのパターンが多いのが印象的でした。
それに呼応してかどうか、今は市販の食パンもビックリするほど「甘いもの」が多いと感じています。糖分をたっぷり入れていて、菓子パンと変わらないほどの甘さになっています。
折しも「高級食パンブーム」だそうです。店によっては行列ができるほどの人気だといい、メディアでもよく取り上げられています。
どの食パンも「しっとり、モチモチ」がウリだそうですが、あれは私などに言わせれば糖分と油の入れすぎで「じとっ」としているとしか思えません。
「何もつけずにそのまま食べてもおいしい」というけれど、あれだけ糖分と油が入っていれば、何もつけなくておいしいのは当たり前です。
いずれにしても、私が食品加工の現場に立っていた現役時代からは考えられないほどの糖分の使い方です。
それをみんな「おいしい」といって奪い合うように食べているのです。昔ながらのオーソドックスな食パンは、姿を消していく運命にあるのかもしれません。
日本人が糖分を摂りすぎていることについては「日本人の体を壊す『隠れ糖質』とりすぎの深刻盲点」に書いたように、かなり深刻な問題だと私は思っています。
ましてや、子どものうちから、糖分をたっぷり体に入れることがどんなにリスクが高いか。親御さん方には、ぜひ危機意識を持ってほしいと私は切に願います。
しかしこの話をすると、「うちは子どもの自主性を大事にしたいから」とおっしゃる方がいるのです。つまり、子どもの食べたがるもの、好きなものを与えることが、「子どもの自主性」を尊重することになるというのです。
たとえば子どもが野球をやりたいというなら野球をやらせてあげるとか、ピアノが習いたいというならピアノを習わせるというのは、確かに自主性を大事にするということでしょう。
でも、それと「好きなものだけを食べさせる」のは根本的に違う話です。「子どもの好きなものだけを食べさせる」のは、たんなる「好き嫌い」をさせているだけです。
「野菜を食べないと、栄養が足りなくなって元気が出ないよ」「魚を食べると頭が良くなるよ」などと教えるのが家庭教育ではないでしょうか。「子どもの舌を作る」のは親の教えなのです。
好きなものを好きなだけ食べさせる食生活を続けたら、子どもの味覚はおかしくなるに決まっています。
全国を回って、子どもたちの味覚がおかしくなっていることに危機感を覚えた私は、「令和の時代の和食のバイブル」を目指し『安部ごはん』を出版しました。
家庭で「手作りの和食」を増やすことが大事ですが、面倒で手間のかかる作り方では、誰しも忙しいので、作ってくれない。そこで「5つの魔法の調味料」を考案し、「これさえあれば、おいしい和食が簡単に、時短で、誰でも失敗せずに作れる」レシピを開発しました。
「子どもの舌」は発達途上です。今ならまだ取り戻せます。そのためにはやはり「和食」で、「天然のだしを使った和食」を食べさせることが一番だと私は思うからです。
「だしの素」をやめた家族に起きた変化
私の講演を聞きに来たことがきっかけで「だしの素」をやめたお母さんがいました。昆布とかつおぶしで、だしをとるようにしたのです。
「だしの素をやめたい」という人に対して私がいつもアドバイスするのは、「徐々に切り替える」ということです。
「だしの素」をいきなりやめると、必ずと言っていいほど家族から「おいしくない」「味が薄い」と文句が出ます。だから、最初は少しずつにして、徐々に切り替えることが大事です。そのお母さんもそのとおりに半年かけて「だしの素」をやめたのです。
ところが、半年後にそのお母さんの妹さんが来て「今日はおばちゃんがご飯を作ってあげるね」ということになったそうです。
妹さんは台所に残っていた「だしの素」を使ってみそ汁を作ったそうです。その味噌汁を飲んだ子どもたちは「いつもと違う」「後味がもわっとしておいしくない」と言い出したそうなのです。
わずか半年で、子どもの舌は「だしの素」ではなく、「天然のだし」をおいしいと思うようになっていたのです。
これはだしの話ですが、もちろん糖分、油分についても同じことです。「正しい味」を教えれば、必ず「子どもの舌」は取り戻すことができます。そうすれば自然と「甘すぎるもの」「油っこすぎるもの」「人工的なつくられた味」を遠ざけるようになります。
「頭」ではなく「体」と「舌」を変えることが「糖分や油分のとりすぎ」を減らす、確実な、そして大きな一歩になります。
30代前半。年に4〜5回扁桃炎で高熱が出る。
2回目の入院の際に扁桃炎切除手術を勧められて、受けることに。
迷ってる人の参考になればと思い、気づいたことなどをまとめます。
・手術後はめちゃくちゃに喉が痛い
本当に痛いです。術後目覚めると血の痰がとめどなく出てきます。
これらは飲み込んでしまうと、固まって息ができなくなる可能性があるため、とにかく出さないといけないのですが、それが辛かったです。
私はうまく出しきれず、喉に血の痰が溜まってしまい、お医者さんに器具で吸ってもらいました。
わたしは嘔吐反射が強く、除去してもらうまで小一時間かかりました。お医者さん、ごめんなさい。
嘔吐反射ある方はとにかく痰を溜めないことを意識して、吐き出し続けるように意識するのがよいです。
術後2日目くらいから痛みに苛まれながらも、動画を見たり読書をしたりできるようになりました。
それまでは痛みで何もできません。痛すぎて眠ることすら難しかったです。
食事は
術後1〜2日目は重湯やポタージュなどの流動食ですが、痛すぎて喉を通りません。
3日目からわたしは5分粥になりましたが、全く食べられません。喉の痛みで眠れません。ギリギリまで鎮痛剤を使ってもらいました。
マジで神。喉の痛みが癒される上においしい。
個人的にはお粥の味に飽きるかなと思って味変系のおかずも買ったのですが、それらよりめちゃくちゃうまい!!!!!
術前に買いだめしておくのがよいです。
でも甘いもの苦手な方は難しいのかなあ。
・↑と被るけどゼリーでお薬を包むやつ
水で薬を飲むのが痛くて辛かったのですが、ゼリーになりすごく改善されました。ゼリーは全てを解決する。
・かかとがちゃんとついている靴
https://www.monotaro.com/p/1961/1752/
こういうのがいいと思います。わたしは何も知らずハチワレのスリッパを持って行ったのですが、かかとのついていないスリッパは転倒防止のためにやめてね、と病院に言われたので参考になれば。
(結局、素足に靴で過ごしたんですがすごく変な感じだったのでちゃんとした履物は用意しましょう!)
術後は痛すぎて声が出ません。看護婦さんやお医者さんとコミュニケーションを取るのが辛かったので、スマホで文字を打って見せていました。
術後6日で退院になります。でもまだ喉が痛いです。普通食は程遠い。お粥には飽きた、その時
どん兵衛に限らず、多分麺系ならわりといけるかと思いますが、マジでどん兵衛がうますぎて、退院後1週間くらいずっとどん兵衛食ってました。
・声
です。
声は術後高くなりました。この声に慣れるまで時間がかかってます。1年経ったら慣れるかな?
声のお仕事をしている方や、自分の今の声が好きな方は手術前によく考える・お医者さんに相談するのが良いかと思います。
いびきは前々からすごく、たまに自身のいびきで目覚めるぐらいうるさかったのですが、それがかなり改善されました。
わたしは寝言が多く、普段寝る時は寝言録音アプリを使っているのですが
術前と術後に録音されているいびきの音や頻度がすごく良くなりました。
これだけでも手術してよかったなと思います。
扁桃炎手術迷ってる方の参考になれば嬉しいです。
保育園では「味噌汁が『臭い』と言って飲めない子どもがいる」という話を聞きました。
給食に味噌汁を出すと「こんなものは飲んだことがない」「変なニオイがする」と言って飲めない子どもが、毎年必ず何人かはいるというのです。
子どもたちの食生活の実態がどうなっているのか、疑問に思った私は、機会があるたびに子どもたちに「今日は朝ごはんに何を食べてきた?」と聞くようにしました。
「ご飯とみそ汁と焼き魚」「トーストとハムエッグとサラダ」などという、いわゆる一般的な朝ご飯を食べている子どもももちろんいましたが、それはむしろ少数でした。
多かったのが「菓子パン」。それと「インスタントのポタージュスープ」という組み合わせも多くありました。
なかでも好まれているのはコーンポタージュで、「冷凍のタコ焼き」「ロールケーキ」というパターンもありました。
それから、これはあるお母さんから聞いたのですが、その家では朝ごはんに「(冷凍食品の)餃子」を食べると言っていました。そのお母さんは、「餃子はお肉、野菜、小麦粉と、栄養バランスが一番いい。この(冷凍食品の餃子)1品で必要な栄養が摂れます」と胸を張っていました。それは確かにそうかもしれませんが……、私は返答に困ってしまいました。
親もそんなもんばっか食ってたんだろうなぁ