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はてなキーワード: ハンバーガーとは

2023-02-06

[]2月5日

ご飯

朝:カップヌードル。昼:ハンバーガーたこ焼き。夜:おにぎりカップ味噌汁フルーツタルト

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみ

グランブルーファンタジー

CCさくらコラボを周回。

それと砂箱を少し。

ワールドリッパー

ハニワと蜘蛛を終わらせる。

あと追憶が終わった。今月中に勲章武器でこういうことやるらしいので日課継続

シャドウバース

ローテはハンドレスヴァンプアンリミ教会ビショップとアグロばかりなので、少し他のデッキも触るかと情報収集

相手してて嫌なのは財宝ロイヤルだなあ、リソース無限かな? ってなる。

プリンセスコネクト

そうえば星6もうすぐだけど誰だっけ? と素で忘れてた。調べてアユミが出てきたのでアユミらしさの笑っちゃった。

ウマ娘

うまゆるでデジたんの出番アンド歌唱披露!!!

めでたいけど、盗撮はなあ……

2023-02-03

anond:20230203071718

誤解させるようなサムネイラストを付けて売ったんなら景品表示法不当表示優良誤認)やろねえ。

牛肉を使ったと誤解させるようなハンバーガー広告で、実際には全然違う肉を使ってたのと同じレベル

どういう家庭?

ガチでいる友だちの話なんだけど、異次元すぎて宇宙人???ってなったからまとめます

マックハンバーガー食べたことない

コーラ飲んだことな

カップラーメンはこの前はじめて食べた、おいしかった

カップ焼きそば食べたことない

でもカップ焼きそば作るときボコッ!」って爆音するって聞いたことがある

はま寿司行ったことない

スシロー行ったことない

カップうどん食べたことない

コーラ飲んだことないが一番びびった。

ちな成人済です。すごくね?めっちゃ金持ちなんかな、箸の持ち方すごくきれい

2023-02-01

ブレット・トレインとかキル・ビルの間違った日本みたいに、「間違ったアメリカ像」もあるのかな。あの辺は意識的にトンチキやってるんだろうけども。

ハリウッド日本を描くことはあっても、邦画アメリカ舞台にするって事はあんまり多くなさそうだし。

強いて言えば、巨大なハンバーガーを食い、銃を磨き、大雑把で言いたい事をズバズバ言う、的な雑なアメリカ像がそれに当たるのかな。アメリカ住んだ事ないからそれが嘘か本当か分からんし、都市部とド田舎でも違うだろうけど。

映画によく出てくる荒野国道沿いダイナーというのに憧れがあるけど、あれはフィクショナルな光景であって欲しくないな。

2023-01-30

メンズエステイロハ

風俗に飽きまして

いきなり何言ってんだってのはまぁ置いておけよ

20代から月1程度で風俗嬢抱いてきたけどなんかこう、風俗めんどくさくなったのよね。自分から動いたりしたくねえ。横になってるだけで勝手気持ちよくしてほしいわ

ここは本当に個人差あるからなんとも言えないけど、俺はそうなったの。

で、風俗に代わる他の女遊び探そうぜって事で目をつけたのがメンズエステマンションエステってヤツですね。

コスパの良さについて

よく「メンズエステなんてヘルスソープと大して金額変わらないのにヌキ(射精)が無い、劣化風俗」って言うヤツがいるんだよねー。

でも、10単位で俺が使う店で考えてみるとだよ

以下は指名料込みです

ね?全然違うでしょ?

こんだけ違うのに「同じ」って言う奴は計算下手くそではなかろうかって思います

風俗にあって、メンズエステに無いもの

ここらへん。

まり、働いてるセラピストからすれば客から変な事されないし、ちんちん舐めたり咥えなくていいわけで。そりゃ働きやすいよなって思う。

で、風俗に飽きた人にとっては、色々とすげー楽なのよ。ずっと横になってるだけでいいのでね・・・受け身には最高の店ですよ。

実際の流れについて


最後

ずーっと受け身でいいしー

風俗と違って無理なく毎週通える料金だしー

スーパーデラックス・ファットな相手あんまいないしー

ずっと相手の顔見っぱなしの風俗と違ってほとんどずっと尻向けてれば勝手に全部してくれるしー

俺は、誰がなんというとメンズエステ大好き!これからも楽しむぜ!

ただ

あなたの隣の部屋に決まった住人はいなくて、そこは日々、違う女が、違う男の客を招き入れて、全裸にして四つん這いにさせている、怪しげな部屋なのである

って、下手なホラーより怖いっすね。

あのころマクドナルドハンバーガー価格は今の物価だといくらか?

マクドナルドハンバーガーが170円に値上げされてから2週間。

ハンバーガー価格推移のネット記事を読んでいてふと思ったのだけど、よく考えたら今(2022年)の物価で昔の価格判断したらダメだよね。

例えば、マクドナルドオープンした1971年大卒初任給は46,400円だ。当時の80円という価格の重みは、2022年の我々が80円に抱く感覚とは異なるものだったはずだ。

そこで、昔のハンバーガー価格について、2022年だとどのくらいの価格になるか、計算してみた。

計算使用した消費者物価指数独立行政法人 労働政策研究・研修機構が公開しているExcel形式の統計表から引っ張ってきた。ファイルプロパティから見た最終更新日時は2023-01-20 13:48だ。

ハンバーガー価格このサイトの記事データを元に、他の2~3のネット記事情報を元に構成した。どのネット記事を見ても価格推移の情報バラバラで、何を信じればよいのか分からない……。

元の統計表は2020年が100となる形式だったので、2022年が100となるように補正した上で、「ハンバーガー価格 ÷ 消費者物価指数」で換算してみた。この計算方法で合っているだろうか?

西暦消費者物価指数 (2020年==100) 消費者物価指数 (2020年==1.0) 消費者物価指数 (2022年==1.0) ハンバーガー価格2022年物価で換算
1971 32.9 0.329 0.321603128 80 248.7537994
1972 34.5 0.345 0.337243402 80 237.2173913
1973 38.6 0.386 0.377321603 100 265.0259067
1974 47.5 0.475 0.464320626 150 323.0526316
1975 53.1 0.531 0.519061584 150 288.9830508
1976 58.1 0.581 0.567937439 150 264.1135972
1977 62.8 0.628 0.613880743 150 244.3471338
1978 65.5 0.655 0.640273705 150 234.2748092
1979 67.9 0.679 0.663734115 170 256.1266568
1980 73.2 0.732 0.715542522 180 251.557377
1981 76.7 0.767 0.749755621 180 240.0782269
1982 78.9 0.789 0.771260997 180 233.3840304
1983 80.3 0.803 0.784946237 200 254.7945205
1984 82.2 0.822 0.803519062 200 248.9051095
1985 83.8 0.838 0.819159335 210 256.3603819
1986 84.3 0.843 0.824046921 210 254.8398577
1987 84.4 0.844 0.825024438 210 254.5379147
1988 85 0.85 0.830889541 210 252.7411765
1989 86.9 0.869 0.849462366 210 247.2151899
1990 89.6 0.896 0.875855327 210 239.765625
1991 92.6 0.926 0.905180841 210 231.9978402
1992 94.1 0.941 0.919843597 210 228.2996812
1993 95.4 0.954 0.93255132 210 225.1886792
1994 96 0.96 0.938416422 210 223.78125
1995 95.9 0.959 0.937438905 136 145.076121
1996 96 0.96 0.938416422 136 144.925
1997 97.7 0.977 0.955034213 136 142.4032753
1998 98.3 0.983 0.960899316 136 141.5340793
1999 98 0.98 0.957966764 136 141.9673469
2000 97.3 0.973 0.951124145 68 71.49434738
2001 96.7 0.967 0.945259042 68 71.93795243
2002 95.8 0.958 0.936461388 62 66.20668058
2003 95.5 0.955 0.933528837 84 89.98115183
2004 95.5 0.955 0.933528837 84 89.98115183
2005 95.2 0.952 0.930596285 100 107.4579832
2006 95.5 0.955 0.933528837 100 107.1204188
2007 95.5 0.955 0.933528837 100 107.1204188
2008 96.8 0.968 0.946236559 100 105.6818182
2009 95.5 0.955 0.933528837 100 107.1204188
2010 94.8 0.948 0.926686217 100 107.9113924
2011 94.5 0.945 0.923753666 100 108.2539683
2012 94.5 0.945 0.923753666 100 108.2539683
2013 94.9 0.949 0.927663734 120129.3572181
2014 97.5 0.975 0.953079179 100 104.9230769
2015 98.2 0.982 0.959921799 100 104.1751527
2016 98.1 0.981 0.958944282 100 104.2813456
2017 98.6 0.986 0.963831867 100 103.7525355
2018 99.5 0.995 0.972629521 100 102.8140704
2019 100 1 0.977517107 110 112.53
2020 100 1 0.977517107 110 112.53
2021 99.8 0.998 0.975562072 110 112.755511
2022 102.3 1.023 1 110 110
2022 102.3 1.023 1 130 130
2022 102.3 1.023 1 150 150
2023 102.3 1.023 1 170 170

バブル崩壊前後の時期まで、ハンバーガー価格は、2022年でいう250円前後価格設定だったようだ。マクドナルドと似たような時期に創業したモスバーガーロッテリアでは、現在ハンバーガーを240円で販売している。マクドナルドハンバーガーも、元々は似たような価格設定だったように思う。

1995年に136円に値下げしたが、この価格2022年でいう141~145円ぐらいの価格だ。

興味深いことに、当時の136円は「意外と安いな、払ってもよいかな」という感覚だったのだが、2022年の141~145円は時々「うーん、今回はちょっと止めておこうかな」と思わせる重みがある。いちおう給料の額面は増えているのだが。消費者物価指数には消費税は含まれているけど社会保険料あたりは含まれていないので、社会保険料絡みで可処分所得が減っていることなどが影響しているのかもしれない。

2023-01-23

[]1月22日

ご飯

朝:なし。昼:焼肉弁当。間食:ゼリーヨーグルト。夜:ハンバーガー

調子

むきゅーはややー。お仕事おやすみ

ピクロスe

ノーマルモードは全部クリア。まだまだ折り返してないので長く遊べそう。

グランブルーファンタジー

ゼノディアを一応周回してた。

最近EX攻刃武器も増えてきたからよっぽどだけど、期間限定イベントなので念のため。

ゼノディア槍の渾身3は出たので刀も狙ってたら、恒常化するとの発表が。

まあ。まあまあ。

2023-01-22

今のラーメン屋接客では1杯1000円以上は高い

2人以上で行ってもカウンターの空いた席にバラバラに詰め込まれて、ろくに会話もできずに食い終わったらすぐに帰れ、みたいな接客してる店に1000円以上払う気にはなれない。

今の接客ではラーメン屋比較対象レストランどころかファミレス喫茶店ですらなく、立ち食い蕎麦屋セルフうどん屋・牛丼屋・ハンバーガー屋と同レベルなんだから、当然値段もそれらと比較されることになる。

酒かお茶でも飲みながら家族・友人・恋人と喋ってダラダラ1〜2時間居座れるような店だったらラーメン1杯2000円でも安いと思うけど、それはもう「ラーメン屋」じゃなくて「中華料理屋」になってしまう。

2023-01-20

危険は見えないようになっている

情弱情弱!と、情弱を煽るような馬鹿がいる。アホかと。

いやね、情報強者から俺はわかってるんだけどさ、ハンバーガーを買うような値段で4億人(1人ではない)の個人情報を買える時代なわけよ。

その個人情報の中にはもちろん、大学の学籍番号とか、センシティブものも入っちゃってるわけ。

その時代にみんなが情強になったらどうなる?

2023-01-17

やっぱりジャパネットたかたは俺にとって邪悪だった

ぼーっとテレビみてたらCMジャパネットたかただった。

普段テレビショッピングなんてと見てなかったが、その日はルンバの紹介だったので以前から気にはなっていたものから値段だけでも見るかと話を聞いていた。

諸品の説明を見ていていろいろあるが、特に気になった点を二つだけ挙げる。ジャパネット発言の書き起こしは記憶頼りなので正確ではない。

前提

売っていたのはルンバのe5という商品

このグレードは現行機では2018年10月発売と最古のもので、かつ直近までもっとも安いエントリーモデル

2022年7月に同価格の後継機、i2が出た。

数あるグレードの中で、なんと!!いっちばん!!!………売れているんです!

当たり前だ

販売台数をくらべたら大抵は一番古く一番安い製品が勝つだろう。

それをグレードの話をし、その中で一番であることを強調し、タメ、ほんのずれた話をする。

グレード、一番と来たら一番自然連想はグレードが一番「高い」ことだ。「売れている」でも間違いではないが、「わざわざグレードを引き合いにだす必要は"薄い"」。(販売"台数"を強調するなら)

大げさにたとえると、

ミシュラン0星から3星の料理のなかで、なんと!いっちばん!!………ハンバーガーコーラが売れているんです!

かに売れていることが美味いという指標の人は(創作に)居る。

https://moto-neta.com/wp/wp-content/uploads/82c22ddf07055371617547bf19e6e6c6-718x537.jpg.webp

(元ネタ由来サイトより https://moto-neta.com/manga/hamburger-cola-no1/)

恐らくマクドナルドなどはミシュランで星を獲得していないだろう。それは0星の中に入るので枕は誤ってはいない。誤ってはいないが、誠実な文章でもあまりないではないか

ミシュランの話が出たら料理の美味さの話になるだろうし、グレードの話が出たら高低や機能の話を連想するだろう。台数を誇るなら「ルンバシリーズの中で一番売れている」とグレードをつける必要はない。

グレードの中で一番!とタメを作り区切る話し方もいやらしく、文章では一番は売れているにかかっているのだが耳ではグレードにかかりグレードが一番な印象を与えている。

「数あるグレードの中でなんといっちばん。売れているんです」

「数あるグレードの中でなんと。いっちばん売れているんです」

文章にしてみても意味が違ってしまう。集中して聞かなければならないリスニング問題だ。

この話口からするとうっかりグレードが高い商品と誤認してしまうと感じた。

お値段、10万円を切るなんてもんじゃありません!

ルンバには様々なグレードがあり、確かに10万を超えるものもある。だが紹介する商品は元々が4万だ。

では、値段の枕に10万円をつけるのはいけないことなのか?いやそうではない。別に嘘は言っていない。

値段は確かに10万を切る。ルンバ"の中には"10万を超える商品もある。

しかし、わざわざ商品関係ない最上位のルンバの値段を(最上位のルンバの話もなく)頭に添える必要はあるか?

これもうっかりすると10万円から大幅値下げしていると誤認する可能性があると感じた。

まり

ジャパネットの話し方はジャパネットにとって"都合のいい誤解"の余地が残るように、意図的に、騙さなラインを上手に避けながら文章を作っている。あくま視聴者勘違いしたテイだ。

これは穏当に言ってかなりお行儀が悪く感じる。

そもそもテレビショッピングは口頭説明が多いし、ジャパネットは話のスピードも早い。本腰を入れる判定となる値段がわかるまでは適当に聞き流すこともある。実は俺はこの商品放送を2回見た。1回目で3万弱というまあまあ良心的なお値段を見た上で2回目に出会いやや意識して聞いてみた結果がこの違和感だった。1度目はテレビに注意してなかったとはいえ気づかなかった。(冒頭の文章ちょっと盛った)


https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/tokoroten/status/1607599674986475521

ジャパネットは非常に戦略的に、"賢く"商品を売っていることははてなーの中でも同意がとれるだろう。そして高齢者ターゲットにしていることも。

高齢者にならば本来なら丁寧に理解されやす説明しなければならない。いや、ジャパネットは丁寧に話している。とても丁寧にわかやすく話している。しかし、そこにこっそりとサブリミナルのように毒を埋没させている。非常に練られたプレゼン生放送でする賢いジャパネットならば、これはもうわざとと言ってもいいだろう。


テレビショッピングなんてものは(まあ、いい意味で)いか視聴者を騙すかの商売だろう。薬事法にひっかからないようにし、効果保障しない個人の感想を伝え、調べればさほど安くもない値段を値切って搾り出す。老人や眠くて思考能力が落ちた深夜の人を狙い打つアコギ商売だ。と思っている。

それでもジャパネットプレゼンには一目置いていた。他とは一線を画すスタイルと質でたかた氏が降板した後も比較的魅力的な話術を魅せてくれていた。流し見でそう感じていた。商品は多少アレでも戦略ストーリーでそれでも納得・満足できるものを売り抜ける巧みな商売人だと。しかししっかりと聴くとやはり人を騙す気持ちがそこにはあった。ああ、やっぱりか。お前もか。そうだよな。テレビショッピングだもんな。

e5が古い型落ち品であることに触れないのはもういい。でもあの喋り方は駄目だ。誤解の誘導が主目的しか思えない。

節水シャワーヘッドお金が浮く量の計算パソコンの性能の紹介方法など今までもひっかかるものはいろいろあったが、これに比べれば許容範囲になってしまった。

俺の中ではジャパネットたかたは人を騙す邪悪存在に落ちてしまった。



参考

現行全機種のおすすめルンバ【2022】リアル比較検証で利用シーンごとに選び方がわかる

https://rental.kikito.docomo.ne.jp/portal/articles/996/

スゴイいいこと思い付いたんだけど

ハンバーガーバンズミニピザにしたら最強じゃない?

ハンバーガーの真ん中を円形にくり抜いて上に乗せれば

底なし上げ底

2023-01-13

AI Vtuberを「これこそ期待したVtuberの姿だ」って言ってる奴いるけど

これってサラダマックを思い出すんだよな。

 

マクダーナルの消費者アンケートを取ったところ「もっとヘルシーなメニューが食べたい」という意見が多かったので、その声に応える形で「サラダマック」を販売したところぜーんぜん売れんかった。消費者は建前としてヘルシーなもん食いたいよねとは言っていてもマクナルで本当に食いたいのは身体に悪い脂がウマいハンバーガーだったっていう。

マーケティンコ業界ではクソ有名な話ね。

 

かにAIが中身やってるVtuberなら今度こそ本当に下半身スキャンダルとかは起きんと思うよ。

言語フィルタを徹底してかけてやれば不謹慎なことも言わんかもしれん。

でも、それって「不快さを減じている」だけであって「快感を産む」作用はないよね。

普通の人って「不快じゃないだけのもの」に時間金も使わんよね。

それこそ増田で言われ続けてる「優しい(だけで何のとりえもない)男は選ばれない」のと一緒じゃんね。

 

AI Vtuberからこそガワ被った配信者じゃ提供できない面白さがある、ところまで行かんと

AIがなんかやってる」ってだけで喜べるマニア以外はついて行かんでしょ。

 

AI Vtuberこそ期待したVtuberだ!って言ってる奴らって「今のVtuberの悪い部分」ばっかりを見て

それがないから素晴らしい!としか思ってないんじゃないかって気がしてる。

でも、本当に大事なのって悪い部分がないことじゃなくて、どんだけ本質としていい部分があるかじゃないの。

ファストフードハンバーガーなら「安くてジャンクでウマい」

Vtuberなら、なんだ?

2023-01-12

[]ビッグマック 倍マック

マクドナルド株主優待券をはじめて入手したからはじめてビッグマックを食べた

これまで食べたマクドナルドで一番高級なのはハンバーガーの倍マックしかミスオーダーでたまたま倍になってたやつしか食べたことなかった

普通チキンクリスプかただのハンバーガーばっかだった

あれと大差ないだろう、ハンバーガー2つかって重ねれば同じだろうと思ったら全然違ったね

正直ぼったくりだろと思ってたけどまあ500円くらいの食べ応えはあったな

正確には倍マックプラストマト追加だから700円ぶんくらいだけど

ただはじめて食べるもんで食べ方がまったくわからずてをべっとべとにしてしまった

すんごいボリュームだった

いやまあ700円ありゃ牛丼屋とかでそこそこの定食も食えるじゃんと言えばそうなんだけど

でもまあ貧乏性で一番高いのを頼んじゃったけど、侍バーガー系でもよかったか

ビッグマックはしょせん普通のやつの延長的なかんじが強すぎたか

またいつか株主優待券を手に入れたら食べてみようかな

またそのときになったら貧乏性ビッグマックにしちゃいそうだけど

ちなみに

ビッグマックマック株主優待

kodoクーポンポテトS

ソフトツイスト

会計は120円だった

まあ株主優待券をかうときに多少足が出てるから実質200円くらいだな

200円でこんだけ食えればこの値上げのご時世大満足だわ

ハンバーガーチキンクリスプも値上がりしすぎてもう行けなくなっちゃったしなあ・・・

2023-01-11

正月休み実家帰省してコストコに行った

だらだらしてたら日記を書く機を逃してたので今書く

三が日明けて4日に家族に連れられて隣県にあるコストコにはじめて行った

高速を使っても車で片道3時間道程

一年ぶりに車の運転をさせられて大変だった

着いたらめちゃくちゃデカ倉庫のような建物で、まずはフードコートホットドッグを食べた

このホットドッグ、でかくてドリンク付きなのに180円で値段設定がおかしいなと思う

ピザとかハンバーガーに比べて相場が安すぎるんよ

しかフードコートは会員証が不要なので近所にあったら通いたいわね

その後は中を巡って食料品等をいろいろと買い込んで、

ごはん用にでかい寿司と鳥の丸焼き(名前が思い出せなくてサニタリーチキンでググったらちゃんロティサリーチキンって出てきてすごい)を買って

あとハイローラーという巻き物?を次の日に食べたけどこれはとても美味しかった

帰りも3時間かけて家まで帰ってきて

行って帰るだけで一日仕事でした

もっと近所にできたらいいのになー

2023-01-10

anond:20230110095849

ニューヨークハンバーガー屋に行った時、

ウェイターが中華系で、注文取る前からチップは15%以上だからな」と

怒鳴りつけてくるバカで、注文したものテーブルに「置く」ではなくて

投げつけていくバカだった。

こんな奴に15%のチップ何か払えるかと思ったけど、

払わざるを得ない状況で(精算するまで怒鳴り続けられる)、

酷く嫌な思いをしたことが有る。


同じニューヨークでも、ウェイターの対応の良いレストランでは

チップ20%払った(クレカ精算)ことも有ったけど。

2023-01-07

扁平ドーナツ型(ワッシャー型)ビーフティハンバーガー

すごくおしゃれだな

肉の内部を肉抜きするだけなのに

カロリー塩分や脂質を抑えて健康的で女子受けもよいだろう

軽い気持ちになるね

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

anond:20230106173016

日本マクドナルド休日倍額キャンペーンと称して休日だけハンバーガー130円チーズバーガー160円で売るってキャンペーンをやってた時期やな

これのおかげで日本マクドナルドは傾いたともいわれてる

当時は朝からハンバーガー6個くらい食ってから出勤してたわ

anond:20230106171222

ハンバーガー65円なんてあったの?って調べたらあったわ

2000年とか大昔過ぎるだろ馬鹿

マックハンバーガーがやばすぎる

去年の一月→110円

今年の一月→170円

1年で54%も値上がりしてる

物価上昇率54%ってもうハイパーインフレでしょ

この1年でハンバーガーの値上げやべー

しかも主な理由人件費以外のコスト増だろうから、これだけ値上げしてもマックで働いてる人の給料は値上げを打ち消して消費維持できるほど増えないんだろ?

やべー

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