はてなキーワード: デジタル大辞泉とは
1.オタクとは「ある事に過度に熱中していること。また、熱中している人」[1]や「特定の分野だけに詳しく、そのほかの知識や社会性に欠ける人物をいうことが多い」[2]という意味である
2..体育会系とは「体育会の運動部などで重視される、目上の者への服従や根性論などを尊ぶ気質。また、そのような気質が濃厚な人や組織」[3]という意味である
3.体育会系は、運動や、目上の者への服従、根性論などに熱中している人、集団であり、それは彼らが、運動オタク、上下関係オタク、根性論オタクであると言い換えることが出来る
4.つまり、オタクと体育会系は敵対する存在ではなく、そもそもの意味合いからして、体育会系という集合はオタクという集合の部分集合なのである
参考文献
[1][2][3]デジタル大辞泉
いじめ〔いぢめ〕【苛め/虐め】
デジタル大辞泉による定義は上記にある通りです。手段はどうであれ、相手に肉体的苦痛や精神的苦痛を与えることは「いじめ」になります。
私の主張をする前にこれは明確にさせておきたかったので、トップに引用させていただきました。
http://anond.hatelabo.jp/20170127184144
さて、これから私の意見を述べたいのですが、元増田の主張にはっきりとしたテーマを見つけられないので、一部分だけについて述べたいと思います。
元増田によれば何の罪もなくいじめられている被害者はごく少数で、大半のいじめ被害者は何かしらの原因があっていじめられているそうです。
この元増田の主張が事実に即しているとしても、それによっていじめを「普通」や「当然」と認めることはできません。
ひどい思い込みがあるように感じられるので申し上げますが、問題を解決する手段は暴力以外に存在するのですよ?
あなたの腕は人を殴るためだけにあるのですか? あなたの口は罵声を浴びせるためだけにあるのですか?
それを考えないでただ暴力と嫌がらせに頼ることは、知性の敗北と言ってよいでしょう。
人間関係の問題を暴力によって解決しようとする行為、つまり「いじめ」は解決方法としては最悪の部類に入ります。
私たち大人は子どもたちに、いじめは道徳に反する行為であり、なおかつ頭の悪い解決方法であると教えなくてはいけません。
それなのに元増田は下記のように大人がいじめをすることを肯定してしまっています。これでは子どもに示しがつきません。
ネット炎上は対象がどういう人間であったとしても、中傷する行為は相手に苦痛を与えるのであり、認められるものではありません。ネット炎上も学内における人間関係も、然るべき解決方法があるのであり、解決する機関があるのです。
元増田やアンケートに回答した小中学生がいじめを普通の解決方法や問題処理の方法だと考えているのなら危険です。加えていじめをする権利のようなものがあると錯覚しているのならさらに危ないでしょう。
誰も人に暴力を振るったり、嫌がらせをする権利などないのです。そのような大義名分は存在しません。
これからも私たちは子どもたちに円滑な人間関係の築き方を教えていく必要があります。それは道徳的に正しく、平和的で、問題を根本から解決していく方法です。
元増田の追記を読みましたが、書かれているような本旨を本文から導くのは無理があると思います。私の主張は以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました。
周知のように、「貴社」と「御社」には使い分けが存する。たとえば、『明鏡国語辞典』(第2版、大修館書店)の「御社」項に「「貴社」が多く書面で使われるのに対し、「御社」は多く口頭で使われる」と記載されていることからも、この考え方がひろく受けいれられていることは明らかである。
上記のような使い分けが生じた理由は、一般につぎのごとく説かれる。「同音の言葉が多く紛らわしい「貴社」に代わり、主に話し言葉において使われ始めた*1」。一見、もっともな説明であるが、はたして首肯してよいのだろうか。
よく考えてほしい。「貴社」と「記者」「汽車」「帰社」などの語を混同する文脈など、にわかには想定しがたい。したがって、この説明は「まゆつばもの」のたぐいである。むしろ、日本語変換ソフトを利用する機会の多さを考えると、「貴社」をこれらの語と誤変換するおそれのほうがはるかに大きいはずだ。
さきに引用した『デジタル大辞泉』によると、「御社」の語は1990年代に使われはじめたものであるらしい*2。「ビジネスマナー」なるものをでっちあげ、喧伝して飯の種としている人びとがつくりだした俗信なのであろう。
もっとも、現にかような「ビジネスマナー」が通念になってしまっている以上、これにしたがわないと「非常識」の烙印を押されることになる。不承不承、「貴社」と「御社」を使い分けつづけるしかあるまい。(有坂)
*1 『デジタル大辞泉』、https://kotobank.jp/word/%E5%BE%A1%E7%A4%BE-455811#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89、2017年1月8日閲覧。
*2 同上。
おめーはアホか
ちょうちん‐もち〔チヤウチン‐〕【▽提▽灯持(ち)】 の意味
出典:デジタル大辞泉
1 夜道や葬列などで、提灯を持って先導する役。また、その人。
2 ある人の手先となってその人をほめてまわること。また、その人。
エキサイトレビューは、もともとドラマやアニメなどの作品を特定の人が続けてレビューするサイトだろうが。
http://www.excite.co.jp/News/review/author/kimatafuyu/
他のライターだが、「真田丸」と「べっぴんさん」しかレビューしてない
これは単なる担当制だ
ちょうちん持ちというからには、テレビや新聞、雑誌、Webなど
複数メディアで本来とは違う趣旨で同じ作品をほめまくるくらいじゃないと
エキサイトレビューみたいなマニアしか見ないサイトで数回レビュー書いたくらいで
顔真っ赤にして「わーぼくちゃんが気に入らない記事書いてる!ちょうちん持ちに違いない!」
アホか、いやアホに対して失礼した
浄土真宗の開祖である親鸞の思想の根本に、悪人正機説というものがある。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
という言葉でそれは表されているが、この意味が、どうにもわかりにくい。
辞書的には、
他力をたのみとしない善人でさえ往生できる。ましてや、悪業に苦しみ、ひたすら他力をたのむ悪人が往生できないわけがない。
(デジタル大辞泉)
善人の何がいけないのか? 悪人がどうして往生できるのか? ひたすら他力をたのむというのはどういうことなのか?
……などなど。
最近、こういうことだというイメージがつかめたので、ここに紹介したい。
極楽浄土を、ゴールとする。
善人とは、自分の力を信じて、ゴールである極楽浄土へ向かおうとする人々だ。
道を地元の人に尋ね、一生懸命に走ってゴールへと向かう人々をイメージして欲しい。
ところが弥陀の本願は、この世のすべての衆生を救うことである。
涅槃の彼方に究極の慈悲の持ち主がいたとしたら、すべてを救いたいというのがその願いに違いない。
簡単な方法だ。
救われることを信じて、極楽浄土へ生まれ変わることを信じて、ただひたすら「南無阿弥陀仏(阿弥陀如来に帰依します)」と唱えればいい。
「さあ、これにお乗りなさい。之に乗れば、必ず極楽浄土へと連れて行ってあげますよ」
と呼びかけているようなものだ。
これが、親鸞の言う、
ところがこれが、難しい。
ただ楽浄土行きのバスに乗ること、乗り続けることがなぜ難しいのか?
それはなぜか?
ゴールが見えないからだ。先を見通すことがほとんどの人には出来ないのだ。
一寸先は闇ともいう。
バスから降りて、歩いている大勢の人に道を尋ねながら、ゴールと思われる方角へ向かう方が安心できるかもしれない。
それにバスに乗っていると、達成感が湧かない、苦しくない、だから自分で走って向かいたい、という人は案外多いのだ。
このような人々が「善人」と呼ばれる人々だ。
自分の努力で善行を積み、来世でより幸せになろうとする人々だ。
このような努力の結果、もちろん極楽浄土へ到達する人もいるだろう。
これが、
「善人尚もて往生をとぐ」
の意味だ。
しかし往生しない人もいるに違いない。
なぜなら、自分で極楽浄土へ向かおうとする人々の中には、途中で挫折する人々もいるし、道に迷う人々もいるからだ。
彼等は善人であろうとして、最後まで善人であり得なかった人々だ。
自分で歩こうとか、
道をよく知らないくせに道案内を買って出るような人に道を尋ねることは、愚かなことだ。
阿弥陀如来の救済を信じきり、バスに乗り続ける人間は救われる。
これが、
「況や悪人をや」
の意味ではないか。
ところが、悪人が往生するのならば、善行を積む必要はなく、罪を犯してもいいではないか。
このように考え違いをする人々がいる。
だが、それは違う。
もちろん、そのような人々も阿弥陀如来はお救いになる。
ところが、確信犯的に罪を犯す人々は、バスに乗らないどころか、ゴールへ向かおうとすらしない人々だ。
真宗の教えを知りながら悪行を重ねる人々は、言わばバスから降りた人。
彼らが極楽浄土へ向かうことはなかろう。
無論、自分の足でゴールに向かう人々にも劣るのであって、阿弥陀如来だって救いようがない。
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/11/11/100336 の説明を見て、簿記や会計を初めて知る人が誤解されかねない箇所が多々あり、さすがにどうかと思ったので、自分で簿記のエッセンスをまとめました。
まず辞書をひいてみよう。国語辞典が手元にあればそれでひいてほしい。残念ながら手元にない人は、Web上の辞書をひいてみよう。
できれば複数の辞書をひいてみよう。複数の辞書の意味を見較べてみよう。
ぜひ本当に引いてみて欲しいのだが、今私が引いた結果を記しておく。
Wikipediaでは、 ( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B0%BF%E8%A8%98 )
簿記(ぼき、英語: bookkeeping)とは、ある経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。より平易な言い方をすると「お金やものの出入りを記録するための方法」が簿記である[1]。
大辞林 第三版の解説 では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 )
ぼき【簿記】
一定期間における経済活動を,一定の記録方法で帳簿に記録・計算・整理し,財産・資本・負債の増減を明らかにする計算制度。記入方法により単式簿記と複式簿記に分けられ,業種により商業簿記・工業簿記・銀行簿記・農業簿記などに分けられる。 〔「帳面に書きつけること」の意。英語 bookkeeping の訳語。福沢諭吉「福翁自伝」(1899年)にある〕
デジタル大辞泉では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 )
会社・官庁・組合など経済主体の活動を一定の方法で帳簿に記録・計算し、一定の時点で総括して損益の発生や財産の増減を明らかにする技法。記帳方法によって単式簿記と複式簿記に分けられる。
日本大百科全書(ニッポニカ)では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 )
世界大百科事典 第2版では ( https://kotobank.jp/word/%E7%B0%BF%E8%A8%98-132641#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 )
企業や政府のような特定の経済組織体が管理する資本や財産の価値変動を一定の表現技法にのっとり記録・計算し,その結果を伝達する行為,またはその表現技法をいう。〈帳簿記録〉という用語に由来するとされ,日本では1873年(明治6)大蔵省公刊のアラン・シャンドAlexander Allan Shand(1844?‐1930,イギリス)《銀行簿記精法》で簿記という訳語が使われて以来,一般化した。この技法は現在あらゆる経済体制を問わず,さまざまな組織で用いられている。
とそれぞれ説明されている。
どの辞書や辞典を見ても、共通する言葉がある。例えば「経済主体」や「経済組織体」といった言葉。「帳簿」、「記録」、「計算」、「一定」も共通している。「技法」という言葉や、「増減」といった言葉も目につくだろう。
どの辞典でも使用されている同じ単語を、うまく抜き出して意味をまとめてみよう。こんな感じになるだろうか。
経済主体が行う経済活動(これを取引といったり、財産などの価値の変動ともいうようだ)を、一定の方法で記録したり、計算する。その結果を帳簿に書いておく。場合によってはそれを伝達する。これを簿記という。
さらに簡単にまとめてしまえば、「お金やものの出入りを記録するための方法」を簿記という。
1.ある個人や集団がいて、
3.増加したり、減少したりしたときに、
4.それを帳簿に書いておく。場合によっては誰かに伝える。
ということが簿記のエッセンスである。簿記が行っていることはこれだけだ。とても簡単なことに見えるだろう。
よくある間違いは、簿記=財務諸表をつくるもの、といった短絡的な勘違い。財務諸表がまず何かわからない人も多いと思うが、主に会社が、ある期間の業績などをアピールするために作成している書類で、決算書と呼ばれることもあったりする、くらいの意味合いを抑えておけば十分だ。
いままで見てきたように、簿記そのものは、財務諸表ではない。財務諸表を作る上で役に立つが、簿記自体は財産の変動を記録して帳簿に書いておく、といった意味合いしか無い。したがって、簿記の説明で「財務諸表の説明だけしかしない」のであれば、それは間違いだ。簿記から財務諸表を作ることができるよ、といった説明ならば、もちろん間違いではない。簿記と財務諸表は別の言葉であり、意味は等しくはならない。
例えて言うならば、プログラミングをする上で様々なプログラミング言語があるわけだが、では、ある言語を持って、「それだけ」をプログラミングと呼ぶか?というようなものだ。「Java言語でプログラミングをする」という文は間違っていないが、「プログラミングをすること=Javaである」というようなことを言われると、それは誤解である。C言語やPythonや他にもいろいろプログラミングをする上で利用されるプログラミング言語はあるのだから。「USBメモリー=USB」みたいな、誤解されかねない意味の略し方になりかねない。
財産という言葉を聞くと、簿記や会計を全く知らない人は、現金(硬貨とか紙幣)だったり、あるいは、金の延べ棒みたいなものとか、袋にドルマーク($)が描かれたものをイメージとして浮かべがちだ。実際に簿記でもそれらは対象になるのだが、「お金自身の動きだけをもって、簿記である」と勘違いしてほしくない。あくまでも、「財産」の変動を対象にしている。この財産とは「経済的な価値を持つもの」全部を指すのだ。だから現金以外もいろいろ入ってくる。
例として、火災や天災などが挙げられる。(他にも会計的なものはいくらでもあるが、知らない人がわかりやすいのはこれ以外には少なかろう)
火災や天災によって、ある会社の工場や営業で使っている自動車が焼失したり、破損することがある。このとき、会社からお金は減っていないが自動車が使えなくなってしまうために、財産として計上している「自動車の価値」を減少させる。複式簿記の仕訳で書けば、
○月☓日 (借方) 火災損失(天災損失などもあるだろう) □□□万円 / (貸方) 自動車(車両運搬具だったりもするが) □□□万円
といったようになる。よくわからないところが多いと思うが、「お金そのもの」がどちらの側にも無いということを確認してほしい。
「簿記=お金」のイメージが学び始めのころはついてまわると思うが、だんだん学習が進むにつれて、お金そのものを扱っているといった見方では説明できないものがたくさん出てくる。むしろそういうものばかりになる。
それゆえに簿記の言葉を説明するときには、「財産」とか、「経済的な価値変動」といったような、お金よりも抽象的な言葉で説明せざるを得なくなる。わざわざ難しそうな言葉を選んでいじわるをしているわけではなくて、正確な言葉を使わないとあとあと矛盾がたくさん出てくるゆえだ。定義がピンとこない人の方が多いと思うが、誤解しないでほしい。
記録する対象が商業であれば、商業簿記になる。ここでいう商業とは、ものを仕入れて、仕入れた商品をそのまま販売することをいう。スーパーマーケットの(惣菜みたいなそのお店で調理していないで、)袋詰されて並んでいるものは対象に含まれる。加工している場合にはその加工にかかった費用を計算する必要があるので、商業簿記では取り扱われない。
工業簿記は、商業簿記とは異なり、仕入れたものを加工して販売する。典型的なのは自動車産業のようなものだ。鉄やガラスなどを加工して、自動車を作り、それを売る。加工する途中で、工員が作業を行う必要があるし、加工のために工具や電気代、燃料代などがかかるだろう。そういった加工を伴う簿記が工業簿記の範囲である。(工業とついているので、工業だけと思われるかもしれないが、加工を伴うものであれば工業以外でもよい。例えば洋服をオーダーメイドで作製する個人商店なども、布地を加工して服に仕立てるので、工業簿記の範囲だ。生の牛や豚をさばいて、畜肉にする作業も加工を伴っているので工業簿記である。テクニカルタームだが、そういうときは副産物や連産品として処理したりする。金額的な重要性によって会計処理が変化することがあるが)
他にも農業簿記や銀行簿記といった言葉もある。それぞれ農業で使用される簿記、銀行業務で使用される簿記である。(私も詳しくは知らない)
ここまでは、業種に応じた簿記の違いであった。複式簿記と単式簿記の違いは、記録のとり方(これを記帳方法と呼ぶ)の違いである。
単式簿記は、記録を取るときに、科目を一つだけにしぼって記帳する方法である。家計簿や子供のおこづかい帳のようなものだ。(と書くと、ほとんど使われていないと思われるかもしれないが、少し前までは東京都は単式簿記で記帳していたし、他の自治体は、今でも単式簿記によるところもあると思われる)
○月☓日 おこづかい 500円
などと、お小遣い帳に記帳する。もしおこづかいから、おやつを買ったときには、
○月△日 おやつを買った -300円 (あるいは支出欄があれば、そこに300円と書く)
などと書いていけば良い。この「○月☓日 おこづかい 500円」といった部分を仕訳と呼ぶ。
複式簿記は、記録を取るときに、科目を左側と右側の両方を立てて記帳する方法である。
○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円
などと、帳簿に記入することになる。この、「○月☓日 (借方) おこづかい 500円 / (貸方) おこづかい受贈益 500円」の部分を、単式簿記の時と同じく、仕訳と呼ぶ。(受贈益という言葉が気になるかもしれないが、今回は説明しない。正確に書くための前提知識がそれなりに必要なので。今回は例に挙げただけなので、もらって得した、というくらいの浅い理解で十分だ)
この、仕訳を書く帳簿を仕訳帳と呼ぶ。(たまに普通仕訳帳と読んだりもするが、その場合特殊仕訳帳があるケースがほとんどだ)
単式簿記は科目が1つで、複式簿記では科目が2つになることがわかるだろう。これは正確に言うと、複式簿記は科目を書く欄が「左側と右側と2つある」という理解をしてほしい。したがって、もし、お母さんだけでなく、その日にお父さんからもおこづかいをもらったとしたら、複式簿記で仕訳を作ると以下のようになる。
○月☓日 (借方) おこづかい 1200円 / (貸方) お母さんからのおこづかい受贈益 500円 / お父さんからのおこづかい受贈益 700円
右側が2行になったことがわかる。左側は1行のままだ。そして、右側の金額を合計すると、左側の金額の合計と一致していることもわかるだろう。これも複式簿記の仕訳である。このように、右側が2行になったりすることもあるし、反対の左側が2行になったりすることもある。もっと行数が増えることもある。仮におじいさんやおばあさんからももらったとしたら、3行、4行と増えることになるだろう。(狭義の簿記の範囲外だが、連結財務諸表の合算の仕訳などが典型例だ)
このように、複式簿記は「左側と右側」にそれぞれ科目を立てるゆえに「複式」簿記と呼ばれる。
(余談だが、行列簿記など、他の記帳方法も存在する。自分も詳細は知らないが)
複式簿記の場合、仕訳帳に仕訳を書いたあと、勘定科目ごとに総勘定元帳と呼ぶ別の帳簿に転載する。この転載する作業を「転記」と呼ぶ。(この後もいろいろ話はあるが、まあこれくらいのことがわかれば複式簿記のイメージが持ってもらえるはずだ。)
いろいろ例を挙げて説明してきたが、今までの内容をまとめる。
1.簿記とは「経済価値の増加や減少を記録して、帳簿につけること」を意味する言葉である。
2.簿記の頭に○○簿記と言ったように、修飾語がつくときには、その修飾語は業種や記帳法(帳簿の記入形式)を詳しく説明している。前者は商業簿記や工業簿記など。後者は単式簿記や複式簿記といった言葉がよく使われる。
3.複式簿記という簿記は、仕訳が左側と右側の2つに分かれている。左側の合計と右側の合計は同じ金額になる。単式簿記は1つである。
といったことを説明してきた。おそらくこれだけ知っていれば、簿記という言葉がおおよそ何を意味するかわかるはずだ。(会計という言葉はまた別の意味になる。単語が違うということは、当然その意味は違うのだから)
もしこれを読んだ人に子供さんがいたりして、その子供に「簿記って何?」と聞かれたとしても、今までの内容を漏れ無く、内容を興味を持てるようにある程度やさしいものに組み立てなおして説明してもらえれば十分わかるはずだ。
簿記という言葉の意味については、会計方面に接点がない人は、今までの内容を理解してもらえれば、十分である。もちろんこれから会計を学ぼうとしている人も、今までの説明で、これから学ぶ内容と矛盾が起こらないように配慮して説明してきたので、そこそこ役に立つはずだ。
(追記 : 別のエントリで簿記の言葉の意味を解説しました。→ http://anond.hatelabo.jp/20151113140308 )
これは簿記のエッセンスをまとめたとか書いてあるが、簿記でもないし、会計学でもないし、なんだかわけのわからない謎の話になっている。どのあたりが謎なのか説明していくと・・・。
明治時代に福沢諭吉(1万円札のひと)が『帳簿記入術』として紹介した、一連の経営管理の技術が、『簿記』と略された、という説が有力です。
という冒頭から怪しい。"帳簿記入術"でググってみると、このブログしかヒットしないんだよね。福沢諭吉が紹介したのは、「帳合之法」であって、『帳簿記入術』という言葉はどこからでてきたの?たぶんこの人の造語だと思うんだが確証はない。
「経営管理の技術が、『簿記』と略された、」というのもなんだかよくわからなくて、自分の理解では、簿記は単に帳簿記入が略されて簿記になったか、あるいは英語のBook Keepingが略されてぼきになったという話をきいたことがあるくらい。「経営管理の技術」をどう略したら簿記になるのか?「ぼ」も「き」も含まれて無いのに。
「簿記は『財務諸表』を正しく作るための一連の技術」というのは、ずれている。財務諸表を作成するために仕訳を切るけれど、会社の経済的価値の増加や減少を勘定項目ごとに分けて帳簿に記入するというのが簿記という言葉の意味なので。財務諸表を作成するのが簿記の最終目的のような書き方はおかしいですね。
デジタル大辞泉の簿記の説明を読んでほしい。財務諸表という言葉は一言もない。
「財務諸表のようなもの」は主要簿(仕訳帳と総勘定元帳ね一応)から誘導的に導出することができるけれど、簿記と財務諸表は独立別個の存在なので、簿記が財務諸表の従属物のような書き方をするのは間違い。
画像の「会計学の説明の、『正確な財務諸表を作るための簿記技術についての理論』」というのも、少し正確さが足りない。この説明だと、会計学が簿記の理論を支える点を説明しているけれど、それ以前の話もあるので(認識や測定の話の前の包括利益などの話もあるし、企業結合会計などはそもそも簿記外の話だ)、会計学には簿記の理論的な話も入るけれど、そうではないものもある。部分集合といったらなんとなくわかってもらえるだろうか?
同じ画像の「財務諸表の要件」という言葉は、何を意味しているのか私にはわからなかった。
会計学の基本
で、次の項に進むと・・・。
「例えば、例で見てみましょう。」って意味が重複している。
収益の認識基準の話に飛んでいくんだけど、簿記の話で大事な話はいくつもあるのに、なんでこんな損益会計の話に飛ぶのか?
「実は会計の基本的なルールについては法律には定められていません。
各種税法
」
というのも、誤解を招く書き方になっている。企業会計原則とか、財規とかは(狭義の)法律に含められないけれど、だからといって内閣府令を法律ではないと強調して表示する意味があるの?各種税法に財務諸表の作り方が載っているという話は聞いたことがない。税務会計が財務会計に影響を与えているという話は知っているけれど(いわゆるトライアングル体制)、財務諸表の「作り方」は税法で定められていない。(税務署に申告・提出する書類は財務諸表に含まれない。)
「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準(GAAP)」は、「一般に公正妥当と認められる会計原則」を指していると思う。会計処理と狭めているのは理解ができていない証拠。こういうテクニカルタームの間違いがこれ以降もあるし、しかもその語の説明も変なのがこれからも続く。
画像の税務会計の「収める」は「納める」。この画像はトライアングル体制の説明でよく見かける概念図なんだけど、トライアングル体制の説明で中央にGAAPを持ってくるのは見たことがない。GAAPってアメリカ由来のイメージなので、別の文脈で説明するべきものだろう。
「J-GAAP」でぐぐっても、なんかそれらしいURLは無い。これも造語では?(追記:どうやら"J-GAAP"ではなくて、や"JGAAP"を意味しているらしい。US-GAPPは間にハイフンを入れるが、JGAAPは、"JGAAP"または"J GAAP"と表記するので、間にハイフンを入れるのは間違い。)
めんどうくさくなってきたので、このあたりで終わり。多分全体の1/3くらいの部分までで、どう読んでも変だろうという箇所を指摘した。残りの2/3の部分も、いくつもひどい点があるんだけど、それを指摘していくと時間が大変かかって、かかる割に報われないと思うので終わりにする。匿名ダイアリーの文量制限にも引っかかるだろうし。興味があれば誰かやってください。もちろん会計がわかる人がやらないと墓穴を掘ることになるんですが。
ざらっと見た感じだと、経営学部の学生が講義課題でレポートを書いたとして、ぎりぎり「可」がもらえるかどうかかな?というくらいの内容だと思う。簿記の話というタイトルなのに、中身はそうではないものが混じりすぎているし、テクニカルタームを間違えていて説明も間違えているし、全体の構成もどこに突き進んでいるのかよくわからないもの・・・。
初めて簿記や会計を学ぶ人は、もうちょっとちゃんとしたものを読んだほうが良いよ。最初から間違えて覚える必要はないわけだから。
※以下は http://toukenn.hatenablog.com/entry/2015/07/13/183608 の草稿です。
---------------------------
まず盗用内容がわからないという方はまとめwikiをご覧ください。
項目は多いです。ですが<全て>読んで、ご自身はどう思うか考えてみてください。公式の7/10付発表の内容は<その他→7/10メンテナンス>項目にあります。
大まかな内容をあげておきます。
このまとめwikiは有志の方の作成です。「面白がって」「騒ぎたいから」「叩きたいから」作ったのではないか、と思われる方もいるでしょうか。
初代wikiが突然削除されたとき、私は恐ろしさを感じました。「こういう疑惑があるようですがどう思いますか」という問いかけを削除するしかない周囲の圧力が恐ろしいと思った。ツイッターで何か指摘発言をすれば数で叩かれて潰される。これが「刀剣乱舞」周辺への印象です。
(※部分は【「刀剣乱舞-ONLINE-」に関するご連絡より】引用させていただいております)
7/10付公式対応を見比べ、対応は不完全・途中経過だと思います。
また「※法的問題が無いものと考えうるもの」はどれだったのか、明確に表記した方がユーザーの方も納得できたのではないでしょうか。
盗用デザインで販売済のアイテムをどうするかのアナウンスもまだありません。決して「禊は済んだ!侘び札ラッキー」と浮かれている状況ではないと思います。
黙殺するつもりが、騒ぎが大きくなりすぎたのでようやっと重い腰を上げた、という印象。初期段階でサービスを一時停止してでも問題解決に全力であたることがなぜできなかったのか(調査期間も無関係のメンテナンスやメディアミックス情報の宣伝は続いていた模様)当然、一時の損害金額は出たでしょう。しかし信用はお金よりも時に重要であると考えます。
盗品も扱っているお店(公式)-お客(ユーザー)-友人(第三者)とします。友人は「そのお店は盗品も売っている。本当に買うの?買ったとしてもおそらく貴方は罰せられないだろう、でもそれはやっぱり盗品かもしれない」と言っています。
現状、法律では中々罰せられないでしょう。
倫理:人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。(出典:デジタル大辞泉)
法律を持ち出すのは最終ラインです。公式はその最終ラインにすでに立っているのです。これはもっと危機感をもっていい問題ではないでしょうか。
第三者から相応に批判を浴びる状況にあるのです。正当な批判も勢いあまった罵倒と一緒くたにして耳を塞いではいませんか? そして罵倒ではなく事実に基づく冷静な批判を第三者も心がけなくてはなりません。
公式は許せない、でもキャラクターに罪はない。よく目にしますが現実として「あのゲームは盗用している」と大多数に認識され、少なからず嫌悪されたのも事実です。キャラクターは二次元の想像物です。生きて活動しているのは運営者です。貴方の前にいるのは愛しいキャラクターではなく、盗用をした企業です。
許せますか、許せませんか?
今後どう対応してほしいですか?
貴方がもしユーザーなら、キャラクターのために使った金銭利益もアクティブユーザー数も全て公式の「評価」になります。言い方は悪いですが「企業は利益のために」活動しています。悪いことをしても「利益が下がらない」なら、その企業の倫理観は下がっていく一方ではないでしょうか。その結果が対応の遅さと、業を煮やした外部指摘による騒動の拡大に繋がったのではないかと思います。
なぜなら盗用問題の先には著作権の親告罪問題があるからです。盗用が創作界にこのまま闊歩しつづけるならいずれ「非親告罪」にすべきだ、の流れがくるやもしれません。そうなれば二次創作は矢面に立ちます。
参照:http://dic.nicovideo.jp/id/5071769
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150712-00000012-jij-pol)
二次創作はグレー分野です。二次創作を許している原作もあれば、見ないフリをしてくれている原作もあります。当然許さない原作もあります。だからこそ、二次創作を水面下で楽しむため二次創作者はお互いに「楽しむためにモラルを守ろう、暗黙のルールを守ろう、一般社会に迷惑をかけないようにしよう」としてきたはずです。 駅や神社仏閣で騒ぐ、刀匠の仕事を邪魔するetc…創作実話という言葉もありました。もし創作だったとしても「創作されるほど疑わしい態度を取っていた」ことはありませんか?
「楽しむ」ことだけに集中していませんか?
そしてその回答をお互いに冷静に聞けないでしょうか。
耳を塞ぐのでも、攻撃するのでもなく全員18歳以上の大人として。
「恥を知っているのがデザインだ」
今出来ないことを出来るようになりたい、苦手・弱点を克服したい、
ウィークポイント・コンプレックスを消すことではるかに生きやすくなります。
しかし、克服したものに囚われていたら、そこで自分は頭打ちになります。
分かりやすい例として、ここでは、「いじめ経験者がカウンセラーを志すことの欺瞞」、として記事を書きます。
克服。
[名](スル)努力して困難にうちかつこと。「病を―する」(デジタル大辞泉より)
couldn’t→canということですよね。
「克服出来てない人の手助けをしたくなること、克服出来てない人をばかにすること、搾取すること。」
僕としては、これは克服とはみなせません。
例えば、昔いじめられていた人が、同じようないじめられている子を助けたいがために、カウンセラーを志す、
そういった理由でカウンセラーになりたいという人を多く、見聞きしてきました。しかし、人間的に全く魅力が無い、冴えない。
結局そこの世界しか見えていないからです。克服して何がしたかったか、その先が無い。
自分の成功談を語り、他人にアドバイスし、克服出来てない者から賞賛され、自分が認められる。価値を感じられる。
満足感は得られる。しかし、それをしていたら、それ以上にはなりえない。メサイアコンプレックス。
それはなぜか、克服が目的になっているからです。その先が無い。
違う、、、克服というのは、「何かに打ち勝ち、それを”当然”とすること、その先を生きること。」
それを克服したことを糧として、自己効力感を高めつつも、それを無かったものとして生きること。
人が怖くない、、、そんな状態、怖くない人からしたら当然。
対人恐怖を克服したら、もちろんその先がある。その先に壁があり、成長がある。
それなのに、克服した事実にしがみつき、克服してない人を見て、その手助けをする。
結局、その「対人恐怖」「いじめ経験」という柵からは逃れられていないわけです。
当然、自分のことも考えるし、それは時にフラッシュバックする。
そうではなくて、「対人恐怖克服」「人が怖くない」そんなのは当たり前の、当然のレベル、意識にも登らないようなレベルへと昇華させて、
ここでは対人恐怖を例に上げましたが、これは何にでも言えることです。
成長したい、何か出来るようになりたい、克服したい、、、、
であるならば、それを「当然のものにする」この意識でやるべきです。
出来るようになって、喜んで、それは大事ですが、
それにしがみついて生きていては、結局同じことです。
夢と魔法(物量)
こと、「男だけでディズニーランドに行ったら全力でモテた?お話 | nezu.log」の話なんだが、
このあと女の子のアドレスを聞いて再会するのでなければ、「モテた」とは言わない。非モテは「モテる」の定義を勘違いしている。
ネットで暗黙に仮定されているモテた/モテるは定義があやふやなので、勘違いもクソも無いだろと思うんだが、実は非常に示唆的だ。
も・てる【持てる】[動タ下一]《持つことができる意の「も(持)てる」から》
1 保たれる。維持される。「座が―・てない」
(1)人気があって,ちやほやされる。 「女に-・てる男」
(2)長くその状態を保つ。維持する。もちこたえる。 「共通の話題がなくて座が-・てない」
なんで1,2が逆になってるかは知らんが、クソ面白くもない定義なら「人気があって、好意的に接してもらえる」だ。
「モテる」は基本的には4つに分類できる。(異論は認めるので単なる分類法だが)
1,3は「複数の相手から」が必須だが、2,4は人数の多少は問わない。
もっと判りやすく言えば、トイプードルだのアメショーだのゴールデンレトリバーだのは、女の子にモテる。
これは「属性」に対して「好意的である」状況であって、複数人数から人気がある場合を指す場合が多い。
「モフモフとして愛らしい猫」がモテるのであって、「デン助と呼ばれるキッチンを定期的に荒らす猫」では無い。
つまり、かわいいキャラクターやアイコンとしての属性を愛されているのであって、具体的な特定対象を指していない。
「夢と魔法の王国に男で」の場合は、この「人気でモテる」だろう。
「ああっ女神さまっ」に出てくる「森里螢一」はやたらとモテるが、特に18巻のシュレディンガーのくじらの巻が判りやすい。
人語を解するくじらが出てくるのだが、同性かつ種族が異なる彼は、螢一と歌をうたう。
明確に好意はあるが、恋愛対象としてでも、人気があるわけでもない。
これは「属性」では無く「特定対象」として好意を持たれている状態を指す。人数の多少は問わない。
「子供に良くなつかれる」「男にモテる」等の場合は、この「好意でモテる」を指すことが多い。
一般的に話していてあまり認識に齟齬が生じない「モテる」がこれだろう。
この場合、実現の有無や実際の行動とは異なり、「そういう対象である」と見做されていれば十分だ。
具体的にはジャニーズやアイドル、一般人でも美男美女など、恋愛対象として見做されやすい相手だ。
ポイントは、第三者視点としてみる「不特定多数から恋愛でモテる」だ。
相手から恋愛対象として見られるのではなく、「自分が対象としてみた相手から、恋愛対象として見られたい」というのを、「モテたい」と言うことがある。
単独か複数かは問わない。つまり、「自分の恋愛対象から恋愛でモテる」だ。
ここだけ「不特定多数から恋愛でモテる」との違いが判り難いので、分類して説明する。
判りやすいが、「あの相手からの愛が欲しい」。狙った相手を落とす、等だ。
例えば具体的に言えば、「ジャニーズからモテるために女子力を上げはじめた独身31歳OL」が、
女子力を上げた結果、何故か「複数の幕下力士から熱烈な求愛を受け始めた」状態は、不特定多数からのモテるだ。
彼女は、「ジャニーズもしくはそれに近似する男性達」からモテたいとは思っていただろうが、関取なら兎も角、幕下力士からモテたいとは思っていなかっただろう。
全く逆に「複数の年上力士からちやほやされたい、既婚23歳主婦」が、「ジャニーズ顔の年下からモテる」のでも困惑するわけだ。
このように「自分の恋愛対象者複数からちやほやされたい」というのは、第三者視点でのモテるとは異なる。
「恋愛対象として見られることが絶無」の非モテにとって、「好意を向けられる」事そのものがレアだったりする。
だから、「自分の恋愛対象から恋愛でモテる」でも「不特定多数から恋愛でモテる」でも「好意でモテる」ですらなくても、
「人気でモテる」だけでも、十分に「オレラ今日モテてた」と言えるわけだ。
id:blueboyが言っているのは、実は2番と3番の中間で、この4分類の外にある「好意を向けられた個人を、恋愛プロセスに載せる」を指している。
(複数の相手と連絡先を交換したでも、相手からアドレスを聞かれたでも無いところがポイント)
大抵は曖昧なママなんとなく使っていることが多いので、別に雑談ならクソみたいな話題だが、辞書に載っている意味以外の「オレ定義」を説明せずに「定義が違う」と言う上司は嫌われる(偏見)
(上の4種類は単なる分類法だから、それに当てはまらない定義があって当然。曖昧な単語を曖昧なままやりとりするとフワフワするという意味)
「人気のモテる」「好意のモテる」「恋愛対象としてのモテる」「自分の恋愛対象からのモテる」は全て違う。
今回の「夢と魔法(物量)」は、「人気のモテる」であって、「大量のミッキー帽軍団」がモテていた。
ふなっしーが幼女とLINEアドレス交換してたら物議を醸すのと同じように、今回恋愛対象者を探すつもりで企画していたら、Twitterでの評判は違ったものになっていただろう。
ただ、4~5人のグループが「人気」で興味を持たれて、「好意」に変わることは良くあることだし、
そもそも恋愛対象外であったり種族が違っていても、友好的な雰囲気での接触は精神的な安定をもたらす。
つまり何がいいたいかというと、「異性」とここまで書かなかったように、男は女の連絡先を聞いてなんぼという昨今政治的にも正しくない昭和な価値観の奴が上から目線で「非モテ」とかdisってんじゃねえよ。
今日4/7、辞書アプリである大辞泉(小学館、開発:HMDT)バージョン2.0が有料アプリとしてリリースされた。以前のバージョンの大辞泉を持っている方はアップデートしないことをオススメする。
重要なお知らせ
大辞泉は、バージョン2.0からは有料アプリとなりました。2.0から購入された方は、すべての機能がご利用いただけます。大辞泉を、バージョン1からインストールされており、「利用回数の制限を解除」するライセンスを購入していない場合は、利用回数が0になった時点で、検索などの機能が使えなくなります。
『大辞泉』は、バージョン2.0からは有料アプリとなりました。バージョン1のときにインストールされた方は、無料アプリとしてダウンロードされたと思います。これにより、バージョン1からアップデートされた方は、いくつかの相違点が発生します。
すでに「利用回数の制限を解除」ライセンスをご購入済みの方は、特に差異はありません。今まで通りすべての機能がご利用いただけます。
まだライセンスをご購入されていない方は、現在の利用回数が0になった時点で、検索などの機能が使えなくなります。バージョン1では時間経過とともに利用回数が回復しました。これは『大辞泉』の大きな特徴でした。ですが、バージョン2.0以降では利用回数は回復しないことにさせていただきました。引き続きご使用になられるときは、「ストア」画面よりライセンスを購入してください。
「大辞泉」は当初、「デジタル大辞泉」の名で普通の買い切り有料アプリとしてリリースされた。HMDTが開発をし、小学館が配信していた。
競合アプリである大辞林(三省堂、開発:物書堂)の2500円に対し、デジタル大辞泉は2000円と安く、年3回の辞書データ更新を保障していた。
2013年5月、デジタル大辞泉は新アプリをリリースし注目を集める。名前からデジタルを取った新アプリ「大辞泉」はなんと無料だったのだ。26万語が無料!すばらしい!
そのカラクリはこうだ。
簡単に説明すると、利用可能回数の上限が決まっていて、検索すると1減る。画像を表示すると3減る。動画を再生すると10減る。回数が足りなくなると、機能が一部使えなくなる。減少した回数は、時間が経つと回復する。
大辞泉がソーシャルゲームになった理由 | HMDT Blog(645はてぶ)
なんでこうなったかというと、まず背景としてあったのが、App Storeにおいて有料アプリが売れないこと。たとえば、今日のApp Storeのトップセールスランキングを見ると、100位までの中に有料アプリは、、、0!100位を超えるとかろうじて有料アプリがポツポツと出てくるものの、ほんの一握りだけ。つまり、売り上げを立てているのは、ほぼすべてアドオン課金タイプのアプリ、ということだ。
「いや、有料アプリだって売れているものはあるよ」「逆に言うと、有料アプリランキングの方が手薄だからランキング上げやすいよ」という意見があるのも知っている。85円のアプリを10,000本売る、というビジネスモデルだったら、それはありだ。でも、辞書アプリはどうしても単価が高い。この戦略はとれない。
とにかく、アプリはユーザに触ってもらえないと話にならない。うちで作るアプリは、触ってさえもらえれば、気に入ってもらう自信はある。だけど、2,000円のアプリでは、このハードルがとても高い。だから、無料にした。無料にするしかなかった、と考えている。
今度からは、HMDTが企画、開発、配信まで全部やることになった。アプリ名も、そのものずばり『大辞泉』でいく。これを国語辞典アプリの決定版にする、という気概を込めた。
配信元がHMDTに移った事で、いままではやりにくかった大きなチャレンジをいくつもてがけることができた。
すべての辞書機能を無料開放しつつ、その使用に回数制限を設け時間回復するという画期的な手法がソシャゲ風だなんだと少し騒がれた。
まるでソーシャルゲーム? 一定時間ごとに「利用可能回数」が増える、基本無料の辞典アプリ【大辞泉】(40はてぶ)
[iPhone, iPad] 大辞泉: 無料で2000円分の辞書機能が使えます!ユニークなシステムで新登場! - たのしいiPhone! AppBank(38はてぶ)
「大辞泉」アプリが基本無料で再登場 ソシャゲ風課金システム採用 - ITmedia ニュース(10はてブ)
ソシャゲっぽい無料モデルを導入した『大辞泉』は辞書アプリ界のパズドラとなれるか? | TABROID(タブロイド)(22はてぶ)
新アプリリリース時、利用可能な回数上限は15ポイントだった。減った分は15分で1ポイント分回復する。待てない場合は85円で1回だけのフル回復ができ、2000円で回数制限そのものを解除できた。
旧アプリである「デジタル大辞泉」を購入していると、「大辞泉」も無料で全機能が使用でき、歳時記などの追加コンテンツも移行できた。
(ちなみに「デジタル大辞泉」は今もAppStoreに顕在。公約である年3回の辞書データ更新は未だに守られ続けており、iOS7にも対応した。)
利用可能回数の最大値を5に変更しました。
当初15ポイントだった利用可能回数制限が5ポイントに減らされた。それに伴い、10ポイント消費だった辞書内の動画再生が3ポイントに減り、新たに600円で「利用回数の最大値を50に拡大」が追加された。
理由はこうだ。
この最大値の切り下げには、色々な議論がありました。ライセンサーからの強い圧力があったのも事実です。ただ決定的だったのは、利用回数の調査結果です。実際にユーザが、連続してどのくらい検索を行っているのか、調査してグラフにしたのが下の図です。
1回しか利用していないユーザは55%、半数以上にのぼります。5回以内のユーザをカウントすると、92%になり、大部分のユーザは5回以内で問題ないんですね。それとは逆に、15回全部使い切るユーザも一定数いることが分かります。
ここから、多くのユーザの使い勝手はそのままにして、ヘビーに使ってくれているユーザに新たな選択肢を与えたい、ということを議論した結果、最大値のデフォルトを5にして、最大値拡大のアドオンを追加する、という落としどころを見つけました。これでさらに利用してくれるユーザが増えてくれると嬉しいです。
ライセンサー(小学館?)からの圧力とあっては仕方ないが、残念な改悪だった。
「利用回数の制限解除」通常2,000円→セール価格1,400円
その内容は冒頭にも載せた通り、アップデートすると利用可能回数制限の時間回復がなくなり、0ポイントとなると辞書機能は使えなくなった。
理由はこうだ。
有料化へと至った経緯
『大辞泉』は無料アプリとしてリリースすることで、14万を超えるユーザにダウンロードしていただきました。また、時間経過とともに利用回数が回復する、ソーシャルゲーム的な手法を取り入れる事で、大きな注目を集めました。この手法は、スマートフォンアプリ市場において、ユーティリティタイプのアプリの新たな活路を見出す事を目的としたものでした。
しかし、この成果を収益に結びつける事はできず、事業の継続が困難となりました。さらに、ライセンサーからも現在の状況を憂慮した、強い働きかけもありました。このような状況のため、無料アプリとしての展開は終息して、有料アプリとして再出発させていただく事となりました。ご理解のほどをお願いします。
ほぼ同じ文章が大辞泉アプリのフェイスブックにも掲載されている。HMDTのツイッターは去年12月の1度目の改悪(バージョン1.6)以降、バージョン1.6.1.や1.6.2リリースの際も今回もツイートがない。普段リリース報告をしたり、上記のようにアプリに対して説明(釈明)していたHMDTのブログも未だ沈黙している。
私が知る限り事前予告はなかったと思う。残念だ。
http://anond.hatelabo.jp/20130518135025 の続き。
はてなキーワード「慰安婦制度」における、id:barnumkoukaとid:dj19のやりとりの追記
barnumkouka 2013/05/18 15:19 「2.の百科事典的側面」の点についてですが、「百科事典的側面」という項目は、様々な情報に接触できる「有益性」と私は理解しております。インターネットに流れる情報は著作者不明のものが多く、「有益性」の中に「正確性」は含まれません。「正確性」とは著作責任者が保証した主張であり、著作主体が明示されない記述は、完結的な正解には成りえません。無名の編集者が関わるキーワードは、完結的な正解記述ではなく、オープンな集約記述を目指すべきだと思います。過剰な「リダイレクト」処理は、オープンな集約記述を疎外するだけでなく、ユーザーの情報探索に不便さをもたらすと思います。
dj19 2013/05/18 15:44 「百科事典的側面」とありますので、「有益性」の中に一定の「正確性」は含まれます。「デジタル大辞泉の解説ひゃっか‐じてん 〔ヒヤククワ‐〕 【百科事典】人類の知識の及ぶあらゆる分野の事柄について、辞書の形式に準じて項目を立てて配列し、解説を加えた書物。」とあります。「完結的な正解記述」は難しでしょうが、ある程度そのように近づけて記述することは誰にでも出来ることですし、不正確な解説は有益ではありません。
barnumkouka 2013/05/18 16:19 私が言っているのは、「著作者明記の百科事典」と「ネット上の百科事典的側面」は同義ではないということです。それと、正解を決定できるのは誰でしょうか? 正解とは責任者が完結的に保証するものです。はてなキーワードは、正解記述を委任するような仕組みではありません。ユーザーが多様な記事にアクセスできるように、オープンな集約記述が有益なのではないでしょうか?
dj19 2013/05/19 14:35 慰安婦制度の解説として「慰安婦という職業が公認されていること。慰安所などを設けること。」は百科事典的側面を満たしていません。不正確な解説は有益でもありません。よって削除しておきます。
barnumkouka 2013/05/19 16:08 繰り返しますが、ここであなたが唯一の正解を記述できるという根拠は何なのですか? 正解はあなた名義の著作であるブログで主張するものです。それに、削除するならば何が間違っているか具体的に指摘するべきだし、説明に不備があるならば書き足せば済むことです。「百科事典的側面」や「不正確な解説」などの抽象的な理由で全削除する権限があなたにあるのですか?
barnumkouka 2013/05/18 15:19 「2.の百科事典的側面」の点についてですが、「百科事典的側面」という項目は、様々な情報に接触できる「有益性」と私は理解しております。インターネットに流れる情報は著作者不明のものが多く、「有益性」の中に「正確性」は含まれません。「正確性」とは著作責任者が保証した主張であり、著作主体が明示されない記述は、完結的な正解には成りえません。無名の編集者が関わるキーワードは、完結的な正解記述ではなく、オープンな集約記述を目指すべきだと思います。過剰な「リダイレクト」処理は、オープンな集約記述を疎外するだけでなく、ユーザーの情報探索に不便さをもたらすと思います。
より正確な情報はより有益であるのは自明です。また、著作者不明であること自体が正確性を毀損するものでもありません。
barnumkouka 2013/05/19 16:08 繰り返しますが、ここであなたが唯一の正解を記述できるという根拠は何なのですか? 正解はあなた名義の著作であるブログで主張するものです。それに、削除するならば何が間違っているか具体的に指摘するべきだし、説明に不備があるならば書き足せば済むことです。「百科事典的側面」や「不正確な解説」などの抽象的な理由で全削除する権限があなたにあるのですか?
キーワードの編集ははてな市民であれば誰でもできます。また、はてなユーザーは、削除申請フォーム、お問い合わせフォームなどより申請することでキーワード削除を依頼することができます。間接的ではありますが削除権限を持っています。これらはガイドラインに書いてあるとおりです。
削除申請フォームでは、削除理由として「第三者から言及される可能性が特に低い(造語、私的な内容など)」を選択することができます。現時点での「慰安婦制度」の内容「慰安婦という職業が公認されていること。慰安所などを設けること。」は、「慰安婦」という言葉と「制度」という言葉を足した以上の意味を持たないため、造語とみなされ、前述の削除理由になりえます。
それならたしかに結婚が厳しいのは同意するけど、「食うや食わず」の使い方は覚えておいた方がいいよw
慣用句辞典
毎日の食事を取ったり取らなかったりするという意味で、やっと生活する貧乏暮らしのこと。また、切り詰めた生活。 例:「食うや食わずで貯めた金」
食事も満足にとらないようす。貧しく暮らしているようす。「―でためた金」
大辞林 第三版
食べ物を満足に食べられないさま。また,きわめて貧窮しているさま。 「 -の生活を送る」
意義素・用例
類語・縁語
(餓死)すれすれ ・ かすかすの ・ ギリギリの(生活) ・ 食うや食わずの(毎日) ・ あえぐような(少年時代) ・ 貧しい ・ 極貧の ・ 生活難の ・ 生活苦の ・ やり繰り算段して ・ やっと(生きる) ・ (~して)糊口(ここう)をしのぐ