はてなキーワード: スタンスとは
「はあ……」
両親がこの問題に口を挟みたがらないのも分かる。
つまり、問題だと思っている側と、思っていない側の溝が埋められないんだ。
そして残念ながら、俺も「実際のところ何が問題なのか」を客観的に説明できない。
こじつけることは可能だろうが、そんなやり方で弟を納得させるのは難しいだろう。
問題にならないことを無理やり問題にして、それを解答して喜ぶのは出題者だけだ。
あのセミナーや本で語られていることは大したものじゃないが、咎めるほどの“確かなもの”が俺にあるかは甚だ疑問だった。
結局、放っておくしかないのか。
「はあ……」
俺が何度目かの溜め息を吐いた時、近くでコロッケを食べていた男性が声をかけてきた。
「えっ」
「ちょっと気になりまして。私が知る限り、この肉屋にはいつも弟くんと来ていたでしょう、あなた」
俺は少し身構える。
こちらを知っているようだが、俺はその男性が誰か気づかなかったからだ。
「……ああ、失礼。いつもと違う格好なので分かりませんでしたか」
男性はコロッケを口で挟むと、携えていた鞄から白い羽織を取り出した。
「んん?……あっ!」
思い出す素振りを見せると男性は白い羽織を元に戻して、再びコロッケを食べ始める。
そいつは『生活教』とかいうのを掲げ、このあたりを中心に活動している新興宗教家だった。
信者の数は今や1000にも届く勢いらしいが、実際はそのほとんどが面白半分の輩で構成されている。
「普段は、そんな地味な格好をしてるのかよ」
「布教活動のときは目立つ必要があるから着ているだけですよ。それで……弟くんのことですが、今回いないのは偶然ですか?」
弟は野次馬根性で色々なことに首を突っ込むから、教祖にも顔をよく覚えられている。
そして今、兄の俺が一人で息を漏らしているから気がかりだったのだろう。
「仮に何かあったとして、あんたに言う筋合いはねえよ」
この教祖を面白半分に見ている奴もいるが、俺はその“半分”すらなかったからだ。
「まあ、プライバシーに関わることなら仕方ありませんが。そうでなければ、言うだけ言ってみても損はしませんよ」
「そこまでは分かりませんが、別の視点から物事を見ることで、意外な糸口が露わになるかもしれませんよ」
そう一笑に付そうとした時、俺はふと“引っかかり”を覚えた。
「いや……むしろ」
よくよく考えてみれば、あのセミナーは、この教祖がやっている布教活動と似ている。
ほぼ“信仰”なんだ、あれは。
明らかな違いは、ガワが宗教かどうかくらい。
「はあ……どうしても話したくないってわけでもないしな」
俺は一連の出来事を話した。
変なことを言ってきたら話を即中断できるよう、常に教祖の反応を窺いながら。
「ふーむ、確かに。一つの体系に基づいて教えるという点では、我が『生活教』とその自己啓発は本質的に近いかもしれません」
俺の指摘に不服だろうと思ったが、意外にもすんなり同意してきた。
「俺が言うのもなんだが、そこらへんの自己啓発と同じ扱いとか、お前はそれでいいのか?」
「生活教は他の教えをダメとは言いません。それが誰かにとって、より良い生活になるのなら」
そう教祖は語るが、とどのつまり俺のスタンスと大して変わらない。
他人が良いと思っているのなら、必要以上に意見できないってことだ。
「結局そんな穏当なことしか言えないのか」
「どの体系を支持するか、それ自体に善し悪しはありませんから。私が宗教から生活をアプローチしようとするのも、そういう理念があってのことです」
「理念だけは立派だがなあ……」
「まあ、心配になる気持ちは分かりますよ。体系が人を不幸にする側面も確かにありますから」
「別に、お前に分かって欲しくて話したわけじゃない」
これでは話し損だ。
こういうハマり方が正直羨ましい。
23~24くらいの頃に最初の会社辞めて引きこもってUOに1年以上ドハマリしてた時期があったけど
記憶に残ってるのはPKが出て右往左往したこと、一人で宝の地図掘りまくってたこと、
最後の方は家の腐り待ち専門で、ほぼ不動産屋になってたことくらい。
よく一緒に行動してた人がいるんだけど、UO内で他愛もないUOの会話しかして無くてこれといった思い出もない。
ドハマリしてた割に、なんとなく時間を浪費して遊んでしまった感じがある。
とはいえ間違いなく楽しかったし、例えば代わりに勉強すべきだったとかは微塵も思わないけど。
腕は下の中くらいで、上手い人に見えているものが俺には見えていない感じがずっとしていた。
それが間のとり方なのか、駆け引きなのか、攻め方なのか、未だにわからない。
でもそれを考えることが楽しいと思えない。
つまり自分で言うのも何だけど、享楽的にアホみたいに楽しむのが楽しいんだな俺は。
趣味をして「人生や生活にフィードバックできるか」なんて問いはナンセンス極まりないとは思うんだけど、
我ながら、自分の楽しみ方/スタンスが、あまりにあんまりだよなぁと思うことはたまにある。
その意味で、精神バランス?的に、今は趣味のプログラムが一番楽しい。なんかいいことしてる気がするからね。
だからこういうエンタメ作品へのハマり方が、ほんとに羨ましい。
俺はそういう楽しみ方が出来ないから。
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。
「女性の男性に対する自衛は自意識過剰ではない」を認めるなら「男性(異性愛者)の男性(同性愛者)に対する自衛は自意識過剰ではない」も認めるべきな気がするし,「男性(異性愛者)の男性(同性愛者)に対する自衛は自意識過剰である」を認めるなら,「女性の男性に対する自衛は自意識過剰である」も認めるべきな気がする.
私が同じ立場で親友からレズカミングアウトされて、他に知ってる人にレズだと思われていたかもって恐怖から、あの子はレズなんだよ知らずに一緒に旅行に行ってたなんて寒気がする何でカミングアウトしたのかなと周囲にバラして陰口を叩いて自衛をする気にならない
のは単にその場合の周囲の女性の反応と、 anond:20191107175139 が書いているような周囲の男性の反応が違うというだけでは.
小児科医です。話題になっている虐待冤罪について、というより、冤罪の詳細については立ち入りません。
自分は虐待専門の小児科医ではありませんが、一般小児科医としての視点から、医学的な面についてのみ書きます。
小児の静脈洞血栓症は10万人中0.64人と「極めてまれ」な疾患。
一方で虐待では、年回50人以上は命を落としている「きわめてありふれた、死に至る病」。そして虐待死の半分以上は0歳児。
更に小児の場合、静脈洞血栓症を発症する子は、何らかの基礎疾患や投薬を受けていることが多い。
たとえば悪性腫瘍がある子どもは血液凝固能が亢進しているため、血栓ができやすい。あるいは血液凝固因子の先天的な異常により、血液が凝固しやすい子どももいる。
逆に言うと、「何も基礎疾患がない子が脳出血で死亡した場合、強く虐待を疑う」というのが、ある意味小児科医として当たり前のスタンスである。
そしてどうしても人間は自分の知識でバイアスをかけて物事をみてしまう。
こういった虐待死が疑われる症例で出てくる小児科医は、いやになるほどの虐待関連の症例をみてきている。
虐待専門ではない自分ですら、表面的には人当りのいい両親が、どれだけ恐ろしいことを子どもにしているのか、絶望することだってある。
虐待の医学的な研究が難しいのは、唯一の観察者である保護者が加害者であるという事実である。
司法システムの問題はきっとあるのだろうし、それは司法の人に任せる。
私は小児科医として、あらためて思考停止せず、他科にも敬意をもってコンサルトしなければならないことを痛感した。
子ども虐待医学-診断と連携対応のために 編著:ロバート・M・リース
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/49/6/49_396/_pdf/-char/en
店主と状況認識が食い違ってる点でどちらのいうことも信用できない、増田が実際店に迷惑行為を与えていたのかは第三者には判断できないね
怒りからかこの増田をナメたような書きっぷりの店主もダサかったけど、鬼の首をとったようにはしゃぐ増田もだせーな、馬脚露わしたなって感じ
店主、と思わしき人から反論が来ていて驚いた。多分本物だとは思うが・・・
明日から仕事なんで、時間がなく、あまり丁寧には書けないかもしれないけれど、とりあえず言うべき事は言っておく。まず大事な事として、自分は@luciferalphaさんではない。この方は完全にとばっちりを受けていて、おまけに不特定多数から人格攻撃も受けていて、めちゃ可哀想だ。どうかそのような発言を彼に浴びせている人は、止めて欲しい。自分が名指ししたわけではないが、何か巻き込んでしまって、本当に申し訳無い。店主さんもマジでこの人だけには謝っておいた方がいい。ちなみに自分はもっと若い世代で、かつ、店内に居た時間も20分、行っても30分に満たないはずだし、注意に至ってから購入まで、3分と時間は経っていないと思うし、そんな1箇所に留まってメモり続けてもいない。自分が常識と思える範囲内で店内をゆるゆると回って、面白そうなもの見つけては、これどんなんだろ?と思い、検索して試聴はしていただけだ。釣りでなければ、多分その日に注意した完全な別人なのではと思う(釣りだとしたらまじ悪質)。まあそんな比較的若輩者な自分でもその場の慣習と言われれば、正すぐらいの柔軟さや常識はあるので、もし何か変なことやってたら注意して欲しい。ただ今の所、オンラインで購入出来るという事が解った今、店に行く理由は無くなっているけれど。(まあオンラインで売ってくれるかは解らないけれど)
あと、店主さんには特定されるような書き方をしてしまった事を謝りたい。YouTubeで最近話題になってるカセット専門店とか書いたら、そりゃ絞られちゃうよね。店のスタンスを説明する良い機会になってくれているのならば、良いのかもしれないけれど・・・。改めて申し訳無い。
あと、店のスタンスを読んだ上では、僕は残念ながらこの店のスタンスに共感が出来ないし、正直な所入りにくい店だなという印象だ。多分この関連の話でネットでの反応を見る限り、More Recordsのようにネットで聴かれる前提のお店の方が自分には合うのだろうから、実店舗ならそういう店に行こうと思う。
とりあえず店主さん、色々こちらも迷惑かけてすまなかったけれど、@luciferalphaさんにだけはちゃんと謝るんだ。約束だぞ。
追記:
今日も時間が無いので、雑になるかもしれないが、ふつふつとこみ上げてくるものがあったので、書く。まず店主のエントリーの方だが、よくよく読み返してみると、会話の内容は「口頭でのやり取りは「この人物」の記述の通りです。言い方の違いは多少ありますが、内容自体に誤りはありません。」とあるので、間違いなく自分の事を指して言っているのだと思う。ただそれと同時に、間違いなく、自分の時間間隔が完全にイカれていない限り、在店時間1時間~1時間半は絶対にありえない。もっとも店主はウソを意図的に書いたとも思わない。多分仕事しながら一人の客でしかない自分をちらっ、ちらっ、見ていただけなので、自分の在店時間を正確に捉えられない事は多いに考えられる。
そこまで他の客に迷惑になる行為には覚えが無い。もしかしたらリュックを背負いながら店内を歩いていたから、店内スペースからすれば、多少通路を通りにくくしてしまっていたかもしれない。また店主は「混み合っている店内」と表現していたが、自分の記憶では店内に居た客は、自分を含め5~6人だったはず。店内のスペースを考慮すれば、混み合っているとも混み合っていないとも言える。まあ客はそこそこいたという表現でいいだろう。そして自分は前述の通り、普通に店内を、「これはどんな音源なんだろ?」と思いながら、スマホで調べながら普通に回っていただけだ。
多分、何も知らない第三者で、自分を集団で寄って集って集って叩きたい人々、店主の肩を持ちたい人々の中には、「お前はウソを言っている」「胡散臭い」「もっと迷惑な行為をしていたに違いない」「ああに違いない」「こうに違いない」などと、誹謗中傷するのだろう。何も見たわけではないのに。経験上、このような人々は、客観的事実を見せて、反証しない限り、その主張を曲げない傾向がある。そして自分はその客観的事実を示せるものを持っていない。あるとすれば店内に設置されているだろう防犯カメラか、或いはその周囲にいる中立的な立場の人間に証言だろう。防犯カメラに写っているのが自分だと特定されない事が保証されるのならば、いくらでもその防犯カメラの映像を見て欲しい所だ。それで自分がどれぐらい店にいたのか、どういう振る舞いをしていたのかがはっきり解るのだから(言っておくけれど、この発言は肖像権を捨てる意図の発言ではない)。以上の理由で自分そういう人達を説得し、見解を変える術を持たない。なので、すごく腹立たしい気分でありながらも、諦観する他ない。
まだまだ言い足りないが、今日はここまでにする。
もちろんTVがつまらなくなったとかのも理由なんだけど、昔はアングラ系で動画ダウンロードとかだったのが、今じゃ当たり前のようにYou Tubeとかで配信してるよね。
ゲームもちょっと待ってればゲーム配信者が垂れ流すから遊ばないでストーリー見れちゃうし。
だから、TVの時間に合わせて起きてなくていいとか、時間の短縮にゲームは動画で見ればいいとかになってる人も少なくないし。
Amazonやらネットショッピングで買えば家にいるだけで勝手に届くし、みたいな感じでネットが人の「面倒くさい」って気持ちを爆発させたと思うのね。
LLINEなんかもメール以上にリアルタイムで会話出来るし、手頃だから電話はしたくないとかそういう面倒くささが解消(?)されたとか言う人もいるし。
便利だけど、代わりに堕落しきった人は増えまくった感じ。
何でもかんでもネットで事を済ませたがるから、ネットで出来ないと逆ギレする人も少なくないから、良いところよりも悪いところの方が甚大でどんどん駄目な人が生産されてる感じ。
『努力』とかそういう言葉を聞けば「効率わりー」とかバカにする人も増えた。
その「効率」を上げるための作業手順が理解できない子も増えてる。面倒くさいからググらないで人に聞けばいいみたいなスタンスの子とか多い。
こうやってかんがえると、便利で生活が充実するはずなのに駄目な人ばかり増えてて、しかもその人たちは充実してるはずの生活に満足できなくて、あれもやれこれもやれと企業やら行政やらにクレーム付ける人に変身してる。
私は食肉を受け入れない。人が肉を食べるため他の生命を奪うことを悪と考えるというよりも、私たちが食卓で口にする肉を生産する過程において他の生き物の尊厳が十分に守られていないことを問題視するというスタンスにおいてである。詳しくはアニマルライツとかそのへんのキーワードでググってくれ。
赤十字が宇崎ちゃんをキャンペーンに使うことがダメだ、と考える方々には、同じ論理を持って今すぐ公共の食堂に並ぶ肉類を全て消し去る運動にも同意をいただきたい。
私は肉を見るのも嫌だ。肉を食べることは自然の摂理、などと考えているのは理性の伴わない野蛮人の思考である。役所や病院の食堂においても平然と肉が並ぶこの社会は、食肉自体があたかも問題のないことであるように人々に刷り込んでしまう。テレビをつければグルメ番組、街を歩けば鉄板で焼かれた肉をデカデカと掲げた広告、レストランや食堂には多種多様な肉類のメニュー。
女性の権利と畜産動物を一緒にするな、ですって?あなたはなぜ人類が畜産動物より高等で尊重されるべきものだと考えているのか。それこそがまさに私が先述した刷り込みの結果でないか。そして私のように畜産動物の権利が迫害されることに心を痛める人間の思いは尊重される必要がない、との考えであるのか。もしそうお思いであれば、私にはその考え方が女性の権利の議論においてあなた方が批判しているものと同じであるように感じられる。
なお一言断っておくと私は赤十字が宇崎ちゃんを使ったことが社会的に許容されない、とは見ていない。かつ食肉に関して、社会的な規制を実施すべきであるとも考えていない。(私が思想として食肉に反対していることは変わりない)
多様性のある社会とは皆が同じように他者のことを分かり合える社会のことではない。仮に自分が許せないものが社会に存在したとしても、それが他者にとって重要な意味を持つものであるならば、それを拒絶せず存在を許容することである。ただし、それが許せないということを主張する権利はある。そしてそれに反論をする権利があることも。異をとなえ流相手にレッテルを貼り耳を塞ぐ事は理性の敗北であると思う。
普段音楽を聴かないけど去年キャッチコピーにひかれてHey! Say! JUMPの SENSE or LOVEを買った。
でもアルバム全部を聴いても感覚で繋がってるのか愛で繋がってるのかわからんかった。
一年経って新アルバムが出るというのを知ったのでリベンジしたくなった。
テーマがはっきりしてるっぽいから音楽初心者でもわかるだろうと思ってまじめに聴いた。
以下思ったことを吐き出す。
※歌詞カードは見ていない。曲を耳で聴いただけ。タイトルは読んだ。
もちろん全員そう思ってるわけじゃないし
万人向けゲームなんかだと100人中99人になるかもしれないし
「100人以外からNGが出たときどうするか」というのでもスタンスが変わってくる
はてな界隈だと割と「100人中100人」って人をよく見かける
実際に会社でサービス運営していると、大企業でもない限りラスト10人くらいは無視される
どれが正解とは言えないが、同じスタンスの界隈で生きてると楽だと思う
2人に1人がNOと言おうが知らねーよって感じ
世に出てこないけどたまにすこぶるバズるのが100人中10人って人、ニッチの王みたいなやつ
ちなみに100人中100人みたいな人は、周りと話が噛み合わない
100人中99人みたいなのは、結局「1人にそこまでコストかけるべきなのか」というドライな発想が結構交じるんだけど