2019-11-02

宇崎ちゃんダメなら食肉も全部隠してくれよ

私は食肉を受け入れない。人が肉を食べるため他の生命を奪うことを悪と考えるというよりも、私たち食卓で口にする肉を生産する過程において他の生き物の尊厳が十分に守られていないことを問題視するというスタンスにおいてである。詳しくはアニマルライツとかそのへんのキーワードでググってくれ。

赤十字が宇崎ちゃんキャンペーンに使うことがダメだ、と考える方々には、同じ論理を持って今すぐ公共食堂に並ぶ肉類を全て消し去る運動にも同意いただきたい。

私は肉を見るのも嫌だ。肉を食べることは自然の摂理、などと考えているのは理性の伴わない野蛮人思考である役所病院食堂においても平然と肉が並ぶこの社会は、食肉自体があたか問題のないことであるように人々に刷り込んでしまう。テレビをつければグルメ番組、街を歩けば鉄板で焼かれた肉をデカデカと掲げた広告レストラン食堂には多種多様な肉類のメニュー

この社会には食肉を助長するような表現が多すぎる。

女性の権利畜産動物を一緒にするな、ですって?あなたはなぜ人類畜産動物より高等で尊重されるべきものだと考えているのか。それこそがまさに私が先述した刷り込みの結果でないか。そして私のように畜産動物権利迫害されることに心を痛める人間の思いは尊重される必要がない、との考えであるのか。もしそうお思いであれば、私にはその考え方が女性の権利議論においてあなた方が批判しているものと同じであるように感じられる。

なお一言断っておくと私は赤十字が宇崎ちゃんを使ったことが社会的に許容されない、とは見ていない。かつ食肉に関して、社会的な規制実施すべきであるとも考えていない。(私が思想として食肉に反対していることは変わりない)

多様性のある社会とは皆が同じように他者のことを分かり合える社会のことではない。仮に自分が許せないもの社会存在したとしても、それが他者にとって重要意味を持つものであるならば、それを拒絶せず存在を許容することである。ただし、それが許せないということを主張する権利はある。そしてそれに反論をする権利があることも。異をとなえ流相手レッテルを貼り耳を塞ぐ事は理性の敗北であると思う。

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