はてなキーワード: WINとは
ところで、せっかくの退職エントリですので感慨深いものですし、ここはひとつ昔話などをしたいと思います。
まずはAppBank GAMESの軌跡を年表にして振り返ってみました。
2012年2月 AppBank GAMESがスタートしました。
2012年7月 G君という大変優秀なレベルデザイナーがジョインしました。
2012年10月 Dungeons and Golfの追い込み時期にとある出来事が発生しました。
2012年12月3日 Dungeons and Golfがリリースされました。すごいバグってました。
2012年12月 第二次反乱が発生しました。G君が辞めました。
2012年12月 ゲーム業界きってのベテラン、I氏がジョインしました。それと同時に正式なジョインではないのですが、もう一人とあるソシャゲを作っていたベテランのZ氏が時々お手伝いに来てくださるようになりました。
2013年春 第二作目、トキノラビリンスの制作が開始されました。
2013年10月 第三次反乱が発生しました。このタイミングで私が退職、それに合わせて9人ぐらい合計で退職しました。多分I氏もこのぐらいのタイミングで辞めたかと思います。Z氏については詳細不明です。
2014年5月ぐらい トキノラビリンスがリリースされました。
なかなか壮絶な年表ですね。語りたいことがたくさんあるので順々に語っていきたいと思います。
社長のブログにも挙がってましたけど、まずなんといってもI氏について思い出があるので簡単に語らせていただきたいなと思います。
私はI氏のことを(50台とは思えない勢いだから)炎上おじさんっていつも呼んでたんですけど、なにやらゲーム界隈ではちょっとしたレジェンドだったらしいすね。私は全然知らなかったですしその意識は今でもないです。そのI氏ですけど、2012年の末にやってきて開口一番「このゲーム(Dungeons and Golf)はクソだ」みたいなことを言い出しまして、現場一同全員「よく言ってくれた!」と陰ながら感動していたのをよく覚えています。なにせ社長から社員に至るまで誰一人F2Pゲームのことを理解しないでつくったものですから課金メソッドも継続させる手段も何もないですからね。申し訳程度にガチャっぽいものがついてた程度でした。そりゃ儲からねえよと。今の私はいろいろと勉強して分かるようになったのですが、当時は本当に何もわからなくて。
そこでI氏がいろいろと改革に着手して社長と揉めてどうのこうのになったわけなのですが、そこについては社長がご自身のブログでなにやらご意見を述べられているようですね。ということでここでは私の目線から見たI氏をちょっと語ってみようかと思います。
I氏の経歴はよく知らないのですが、いろいろF2Pのゲームを作られたりして経験があられたようです。経験と知識は間違いなく底が深くて、当時のF2Pのゲームの定石についてもまるで詩経を諳んじるがごとくに次々に語ってくださいました。その内容についても適切だったのを覚えています。I氏は自分で適切に考えられるし適切に決められるし適切に分析できる方だったかと思っております。私がF2Pのゲームロジックを考えられるようになったのは間違いなくI氏のおかげです。
ただ2点ほど、社長が今でもI氏をご自身のブログで随分批判されている原因になったと私が思っている点があるんですね。
一つはI氏が過去の経験に少し引きずられていた可能性が否定出来ないこと。
一つはI氏が高齢だったことです。
Dungeons and Golfを当時分析すると、最初の設計からまともな課金ロジックが一切喝采抜け落ちていて、ゲームとしては遊べるんだけど課金はまずできないという形になっていました。そこでI氏は一般的なF2Pの課金ロジックの仕組みを導入しようとしたのですが、今考えてみればむしろ最近勃興しているF2W(Free 2 Win、LoLやWoTなどのまともな課金要素が一切ないゲーム)にDungeons and Golfは近い形になっていました。であれば無理無理F2P要素を付けてしまうよりはF2W要素を強くして、プログレスもない、まともなガチャもない、ただ延々とゴルフが遊べるだけ、みたいなゲームみたいな感じに着地させるほうがおそらく無理はなかったんじゃないのかなと思うんですよね。
この点に関してはI氏と話し合ってないのでわかりませんが、社長からこれぐらいの数字が必要なんだって話がされていたので無理やりF2P要素をつけたのかもしれませんし、I氏が過去の経験に引きずられてF2P要素を導入したのかもしれません。これはわかりませんが、ひょっとしたらI氏は過去の最適解にとらわれすぎてしまったのかもしれません。
もう1つ、I氏は先程申し上げた通りご高齢の方なんですね。高齢になるとまずどうしても頑固になる。自分の意志が強くなるといいますか。その上子供っぽい方ですから、それで社長とよく揉めてたんじゃないのかなと。あと高齢の方なのでどうしても体力がない。デスマができないんですね。XXXをやる、とはいってくださるんですが、当時のAppBank GAMESはそれこそ連日デスマの嵐みたいな日々でしたから、体がついてこないんでしょう。提出物が上がってこないことがありまして、私の右腕にW君という大変面白い若いゲームプロデューサーがついていてくださったのですが、彼も「Iさんは考えは素晴らしいんだけど手が追いついてないから俺らがやらないとね」と言っているような具合でした。
さてAppBank GAMESを語る上で避けては通れないのは、やっぱり社長についての思い出ですね。
みなさまは小学校や中学校のころに、このような担任の先生をお持ちになったご経験はありませんでしょうか。
何かクラスで問題(いじめなど)が起きた時に、クラスの全員を集めて、みんな!XXXくんが悪いことをしたけど、許してあげてくれるよな!と言って形だけのクラス会議を開き、
「前向きな成り行きで」
「皆と承服し」
「皆が納得して」
「無事に万事解決」した
と満足しているような奴
皆様、一度ぐらいはあるのではないかと思います。その度に「何だあのハゲ野郎は」と子供心ながらに思われたのではないでしょうか。
まぁそういう感じの人だと思っていただければ結構です。
年表に残った「Dungeons and Golfの追い込み時期にとある出来事が発生しました」について、当時リリース直前の追い込み時期で、しかしながら決まってないところが山程あって、でも年内リリースは死守というし到底間に合わねえよみたいな状態になってたんですね。それで何度もミーティングとかが行われていたのですが、その最中に私こっそりEvernoteにメモを書き残してたんですね。
2012年10月11日 23時09分に書き残されたメモです。
「タマガミ全然使われてないし継続課金の動線にしたいので修正しようぜ」
その内容
・タマガミが装備されていないとショットが劇的に弱体化する、実質何らかのタマガミを装備する必要が発生する
→すでにリリースまで全て予定が積まれている岩井ちゃんにしか実装できないような箇所
→実現したとしても正直イマイチに見える
・タマガミの使用が強制されるが、その結果消費が増すとは思えない(タマガミの魅力は増さない)ため障壁にしかならずユーザから見ても運営側から見てもイマイチ
がく
「先に今タマガミがどれぐらい使われているかベータテスタのデータ見たほうが良くない?すぐ見られるけど」
↓
↓
「いまの段階でもタマガミが使われているのであればテコ入れる必要なくない?」
↓
「だからそれ関係ないし。タマガミ使われてるとかじゃなくて継続課金するようにしないと意味ない」
「その仕様だとタマガミの使用は強制されるけど最後の一匹で粘るだけになるし課金障壁にしかならない」
↓
(明示的な回答を避ける)
あきすて
「その仕様無理やりすぎでは?UIも体験もイマイチにしかならない。タマガミ自体抜いたほうがまだいい」
↓
たくま
「スケジュールアホでしょこれ」
↓
「じゃ黙ってろ俺がやるよ」
「大体が賛成のようなのでこれでいくかー」
録音すればよかったわ
まぁこんな感じです。
先ほどの年表に3回「反乱」ってのが登場しますね。つぎはこちらについて語らせていただきたいと思います。
最初の反乱は当時アートを担当されていたA氏が主導だったんですね。彼は長いことゲームでアートをやっているベテランでしたから、もともと社長が考えていたDungeons and Golfより面白そうなプランとかを考えてついたんですね。ある意味元の原型がとどまらないぐらいのプランを。で、それを社長に提案したんですね。
そこで社長がキレた。それはもう猛烈に。怒号が隣の部屋にいる私たちに聞こえるぐらいの勢いでね。「裏切り」とかなんとか言って怒ってましたが詳細はよく覚えてません。自分でドンドン提案しろとか言ってる人なんですけどね。
それ以来そのアート担当のA氏は一切社長に提案もしなければ信頼もしなくなってしまいました。まぁ当の社長は覚えてないでしょうけど。
二回目の反乱はG氏に関するものです。レベルデザイナーとか運営経験のある人が必要だからということで、G氏を社長が雇い入れたんですね。でまぁ、12月になって社長が「お前は運営プロデューサーとして雇ったのになんだこれは!責任を果たせ!!」みたいなことを言い出しまして。
責任を果たせもクソもリリース当時のDungeons and Golfにはイベントを打つ機能もなければ課金動線も何も一切無いんですから運営しようがないんですけどね。社長はそういうのゲームデザインしてくださいませんでしたので。なおそういう機能はI氏が考案してくださいました。
三回目の反乱は私に関するものです。当時私はとある事情で二作目トキノラビリンス、社内ではまだポケットラビリンスって呼んでたんですが、そいつの制作指揮をやってたんですね。でまぁこれも年内に出せと。1年前どっかで聞いたぞそのセリフ。しかしながらサーバもクライアントもアートも音も何もかも未完成、どう考えても年内リリースは無理、多分来年の夏ぐらいになるんじゃないんかなってぐらいの見積もりだったんですね。私もエンジニアの端くれですから大体の見積もりとかはわかるわけで。
そういうわけで社長に相談してみたりもしたんですが、「年内にリリースされないと計画上の売上が達成できないからなんとか」とか、あとは「SEGAさんと組んでるから遅れてお客さんを待たせるのはプロとしてありえない」とか言われての一点張りでして。なるほど社長、あなたのおっしゃる「先進的かつ斬新な開発マネージメント」というのは見積もりを無視してとりあえず線を引いてみて気合で煽ることですか。そりゃ仰るとおり斬新ですね。計画上の売上が出ないなら外注でも何でも営業して持ってきて辻褄合わせていただくなり、運転資金を持ってくるなりしていただけると社長っぽくて助かるのですが。
ただこの点に関しては実際社長の言い分ももっともで、私のゲームの制作指揮をする能力不足が多分にあって後から追加した機能とか変更した仕様がたくさんあるんですね。それで予定よりはるかに遅延してしまっているのも間違いなくて。2013年、まさにソーシャルゲームの内容と規模が拡大し製作コストと期間が肥大化し始めていたころですから。作る側の能力も圧倒的に不足していたと思っています。
こんなあたりの顛末が社長のブログで闇とか言って語られてますが、そりゃ闇ですよ。まともに現実見てる人間が引いたスケジュールじゃないんですから、終わるわけがない。皆病んでしまいました。
それで私の精神がおかしくなってしまったところを師匠(仮)にTwitterでメッセされて、「いいから今すぐ辞めろ」とアドバイスされまして。そのままアドバイスに従って今すぐ退職した次第であります。多分退職してなかったら間違いなく本当に気が狂っていたかと思うと今でも師匠には感謝申し上げる次第です。それから社長、途中でほっぽりだして本当に申し訳ありませんでした。
でまぁ私がやめたら皆堰を切ったようにやめちゃって。I氏が他人を勧誘して引き抜いたんだ〜みたいな書かれ方をされていますがこれは大嘘で、皆辞めたかったんですよ始めっから。単に私が堰を切っちゃった。あんなリーダーシップのない人間の下でのデスマに耐えられる人間はそうはいません。私が単に一番脆弱だっただけで。
その後、トキノラビリンスは半年ずれ込んでリリースされたようです。リリースされてよかったです。本当に。完成させてくれた皆さん有り難うございます。ま、トキノラビリンスのクレジットを見たところ私は居なかったことになってましたけど、しょうがないかなと思います。この点に関しては私も多分に悪いですから。
さて最後に受託、社長はブログであれは輝かしい復活みたいなことをいろいろ書かれているようなんですが、これって実は簡単な話なんですね。
受託先の方がゲームプロデューサーで、すべてのスケジュールと線を引いているんですから。マネジメントはそちらなんですね。ウチラは人を出してるだけ。社長は技術顧問ということにしてメンツの上で置いておくだけという体制です。そうするとうまく回ったという。これは当時そちらの受託の中で仕事をしている人から直接内情を教えてもらったので間違いないかと。
結局、社長が主張していることはいつでも三つしか無いようにみえるんですね。
全て自分は悪く無い(自分の理論の中では、自分の行動は間違っていないのだから周りが間違っている)
私が退職してから2年が過ぎましたが、彼は何一つ変わりませんでしたね。今も変わっていないようで大変残念です。未だに「ご自身がAppBankから直々に株式没収されて会社ごと消された」「そのためにAppBank社内およびAppBank GAMES現場社員による大変な尽力の裏工作が発生していた」ことに気づいていらっしゃらないようですしね。
どうも3年間ありがとうございました。
みなさまも口だけの人には十分ご注意いただければと思います。
むしろ恨みなんかまったく無いの。
ただ単にさ、おれ個人の経験として、おれ個人の “おれ統計” として、「うわあこれは寒い」とか「すげえきもい」と思うコメに、かなりの確率で青いイカ(以前はソウルジェム)のアイコンが付いてるんだよ。そんで、そこにそこそこスターが付いてたりすんの。微妙にスター付いてるから視界に入る頻度もどうしても上がって、そんで見るとやっぱりくっそキモいしまったくつまらないの。
繰り返すけどほんとに恨みなんかなにも無いんだよ。むしろ誰だか知らないし、ぶコメ以外の場所で見た事なんか一度もないし、誰だかどうかなんてほんとどうでもいいの。はてな歴長いらしいけどそれとかすげえどうでもいいし、有名人だとか、匿名なんだしそれって本当にどうでもいいことじゃない。
ただただ、おれにとってつまらないしサムいしキモいと思うコメントに、圧倒的な頻度であのアイコンが付いてるんだよ。こっちも不思議なくらいなの。「あ、またこのアイコンだ」と思うの。それが幾度と無く繰り返されるわけ。もうね、すげえなって思う頻度で同じ感想を抱くんだよ。
別の見方をするとさ、それっておれの背筋を凍らす天才的な才能を持っている ってことでもあるわけじゃない。なんでおれが嫌いな感じがそんなに分かるわけ?って思うの。ものすごい打率なわけ。
どうしてそんなに不快のツボを刺激できるのか、不思議なくらいにズバッと、つまらなすぎてムカつくレベルのコメを付けるんだよね。
たまにおもしろいことがあるならいいんだけど、おもしろいと思った事が一度もないんだよ。他のはてな有名人だと、有名になるのが分かるレベルのおもしろい事をたまに言ったりしてるから、そこそこ納得感あるわけ。あまりはてなの歴史に詳しくはないけど、でもおもしろいから有名なんだろうなと思う人が多いんだよ。
でも彼は違う。もう1つ1つのコメに、それがどうしてサムいのか解説を付けたくなるレベルでいちいちクソいの。
最近のwin-winとかいうやつだって、ただwinと窓のwindowのwinが同じってだけで、そんなもんおもしろいわけないだろ、ふつうに考えたら。窓が2つあって、win-win、wiondowが2つだからwin-win!おもしろい!とかアホかっつの。そんなもんおもしろいわけないんだよ。びっくりするよ。そんなの小学生だって言わないよ。ボケてだったらむしろまとめサイトでサムいボケでまとめられて捻りが無さ過ぎるとかって説教されるレベルだよ。おもしろいわけなさすぎて逆にいまは笑えてきたけど、しかもそんなのにそこそこスター付いてたりすんだよ。驚きだよ。いったいどういうセンスしてんだよ。あ、1周回っておもしろい とかいう便利なやつ禁止な。
あと、もうひとつクソいと思うのは、大喜利ぶコメでもない時に、他人が書いたネタ記事に自分がいま考えたネタをいちいち被せてくるところな。記事に対しての感想とかコメントではなく、てめえがいまさっき考えた別のネタを持ってきて被せてきてスター貰っておれって人気者とかいって喜んでやがる。スター付けるヤツも付けるやつで、おれ予想ではおそらく最近流行りの生主とかいう生き物をマスクを付けてじとっと見つめてるBBAどもみたいなそういう連中だと思うんだけどさあんなのにスター付けてるのって。
とにかく、俺のほうがおもしろいと言わんばかりに、てめえのネタをぶコメにぶっ込んでくる畜生。それが大喜利の流れだったらいいんだよ。つまらないだけだから。そうでもない、誰かが考えたおもしろいネタ記事に、自分の考えたつまらないネタをいちいち被せてくるのが最高にウザいんだよね。記事書いた人へのリスペクトがねえんだよリスペクトがよ。おれの方がおもしろいだろ感がすごいの。
飲み会とかで、誰かがすごいおもしろい話をしてるときに「ウチの知り合いもさぁ!」とかいって、ぜんぜん関係ない自分の話を急にぶっ込んでくるヤツいるじゃん? もう完全にあれなんだよ。
おめえ、いまこの人の話をみんなで聞いてるのに、なんでいきなりおまえの話をしだすわけ?っていうあれね。周りもすごい微妙な感じになって「へ、へー」とかいうしかなくなるあれ。
あの感じをぶコメで完璧に展開しやがるんだよあのイカは。 だから個人的に全力で嫌いなの。恨みはなにも無いけど、本当に嫌いなの。だからどうってことでも無いんだよ。みんながどう思おうとどうでもいいんだけど、おれは自分で笑っちゃうくらい嫌いなの彼が。
でもおれはべつにネットに美しさなんて求めてないからブロックはしないの。ネットなんて玉石混交、それも多様性の一種として認めるし、いきなりぶち当たる蓮コラ見てギャーとか言うのがネットなわけで、別にウザいからブロックして見えなくする気は無いわけ。
むしろね、ぶっちゃけ怖いもの見たさの気分もある。サムすぎるから。毎回、鳥肌たつんだもの。そういう意味で笑えるからブロックはしないんだけど。
でもやっぱ、何度見ても、毎回まいかい、完成度が高すぎてツラい。どうしたらそんなに不愉快な気分になるコメ付けられるのかほんと不思議。
まあこんなこと書かれるのも有名人は災難だなあとは思うけど、コメントが個人的に死ぬほど嫌いなだけでそれ以外はなんでもないし、世間に彼の中傷をまき散らそうとも思わないし、こんなこと他に言ってる人見たこと無いからこれを誰が書いてるのか注意深い人には丸わかりだろうけどべつに隠す気もないしまあかんにんな。ただおれはほんとにヤツは童貞だと思うぞまじで。あの振る舞いはいい歳こいてガキのままの童貞って感じがする。
Windowsなんて、メーカー毎にキー配列違うし、店頭修理やってないし全体的にヘボいんだよなぁ。Appleだとジーニアスバーあるんだよなぁ。
Windowsでメーカー製ソフトウェアを毎回アンインストールめんどくない?
WEB開発者はたまにWin機にLinux入れているけどこれってかなりバッドと思っていて、焼付けOSを入れたところでハードウェアに性能を出せないのでバッテリーが2時間でなくなる。
Win機買う毎にLinux入れてカーネルのチューニングするんですか?って話。新しいハードウェアドライバにOSが対応していなかったら詰むしバッテリーの減り具合のテスト含めてかなりめんどいよ。
Windowsの仮想環境内でLinux走らせてもできるけど、処理を仲介している分基本的に遅いんだよね。
ということで、買った直後に使い物になるMacbookしかないわけですよ。UNIX互換環境を使いたいなら尚更Macbookしかない。
そうやってレッテル貼っておけば散々言い負かされてきたのがチャラになると思っているなら1人でそう思っていればいいんじゃないかな?
日本人相手なら、増田のコードがほんっっっっっっとうに酷いのか、もしくはその上司だかリードエンジニアだか、レビュアーが社会病質者的に攻撃的な性格なのか、そういうひどい言葉を使うのがカッコいいと思ってる厨二病のどれかだと思う。
増田が「多少は直すべき点があるかもしれないが、そこまでひどい言い方をされるほどではないと思う」というなら、気になったコメントを全部保管して(Winのメモ帳でもevernoteでも)、ちゃんとまとめて置いたほうがいい。
誰かに相談するにしても「ほら、こんなにひどいんです」とすぐに見せられるものがあったほうがいいし、まとめることで増田の心の整理も出来ると思う。
痴漢が批判されるのはまあ当たり前なのだけど、win男とlose女の関係にあると思う。被害者が男の場合加害者が女の場合もあるが、それは少数派として・・
僕たち男はスカートめくりに代表されるように、女が恥ずかしい思い いやな思いをさせることにより、男は興奮する・・というwin男とlose女の関係しか世間の性の教科書では学ばない。漫画でもテレビでもAVでも性を学ぼうとする教科書にはだいたいそういう関係しか出てこない。でもいざ生身の女を目の前にするとやっぱりwin男とlose女の関係ではいけない気がして、女に恥ずかしい思いや痛い思いをさせてはいけない気になる。
なので・・だ。もっと男と女がwinwinの関係になるとすれば、女がどういう性関係、性生活を望むのか提示して欲しい。それがなければ、「女はいやがってるけど、本当はうれしいんだろう?」なんて輩がいつまで経ってもいなくならない。レイプ犯に襲われたとき、女性が「私もSEXしたかった所なの!!!」と叫んだらレイプ犯は逃げていったそうな・・女性がどんな性生活を望んでいるか提示すれば痴漢もいなくなるのではないだろうか???
Firefoxのほうが明らかに美しいのだけれど、誰も話題にしないのはなぜなんだろう。
DirectWriteに変わってから、Chrome(Win)のレンダリングはずいぶんきれいになった。
しかし、WindowsとかMacとか関係なく、Firefoxのほうが文字がきれいなのだ。
ポイントが小さくなるほど、差が顕著になる。
backspace.fmってポッドキャストを聞いていたら「winとmacは対立することはない。両方使い分ければいい。自分は両方使ってる」みたいなことを言ってたけど、普通は両方は使えないよな。
自分はwinでしかできないことと、macでしかできないことがあるから両方使ってるけど、そういう事情がなかったらどっちかにするのが幸せだわ。
マックファンが「会社でwindows使ってる人は、自宅でくらい自由なマック使いましょう」みたいなことを言ってるの見たことあるけど、ショートカットが違うとか同じことをするボタンが左右位置が違うとか、どうでもいいところが微妙に違うからそんなことしてたらイライラするだけ。
はてなブックマーク - 今のiPadは、Windowsタブレットにかなり負けている 日経トレンディネット
iPadよりWinタブのほうが使い勝手がいいって記事に賛同のブコメが多数ついてるけど、どういう使い方してるんだろう。
Windowsタブはストアアプリは少ないし、デスクトップアプリは画面が小さすぎて使いにくいし。
自分が持ってるのはこの4台だけど、一番使ってるのは(1)だわ。
用途は、電子書籍、動画、ハテブとかのネットサーフィンだけど、この用途じゃちょっとWinタブはないって感じ。
記事ではファイル管理とマルチウインドウがアドバンテージと書かれてるけど、8インチのタブでそんな使い方するのかよって感じだし。
コンビニなどの特定の場所での受け取りを普及させるという方法があると思うが、コンビニ店員の負担が大きくなってしまうというのがある
渡すだけなら大した負担じゃないんじゃないの?
受取はめんどくさそうだけど。俺もコンビニでメール便たくさん出すとき嫌な顔される。
買ったときのものをヤフオクに出品するときまで残しとくんだよ。
うちは俺のせいで車庫が段ボールでいっぱいになったけど、それが一番無駄がない。どうせ使ってない車庫だし。
ちなみに同封の緩衝剤も残しておかないといけないぞ。段ボールはスーパーでももらえるけど、こっちは本来買わないと手に入らないからな。
使いまわすんだ。
いわゆるネットスーパーというのがあるけど、あれは非効率的な気がしてて、週に1度まとめて配送する、生協のような方式のほうがいい気がする
確かに効率はいいけど、ネットで購入したものが週一回しか配達に来ないなんて、買ってからのタイムラグがただでさえ大きいのに売れなくなるよ。
私は二十八歳の同性愛者です。というか、同性愛ではあるのですが、大人になる前の少年が好きなのです。けれど、実際には少年との性行為を行ったことはありません。それがいけないことだというのはわかっていますから、自分で必死にその欲望を抑えています。しかし、もうそれも限界に達しているのです。なんとかできないものかと、成人したゲイの男性と関係を持とうとしたこともあるのですが、そうした相手ではまったく興奮することができず、結局、行為は成り立ちませんでした。最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
『欲望問題』の著者である伏見憲明氏は、上記のような相談のメールを受け取ったそうだ。
伏見憲明氏は、ゲイの解放運動に携わってきたゲイであり、差別やジェンダーの問題に造詣が深い。
今のぼくは三十歳前後くらいが性的な好みになりますが(中略)少年愛は自分と地続きです。たかが発情する対象の年齢幅が十五~二十歳くらいズレているにすぎません。そのことは、ゲイだけにかぎらず、ストレートの人も同じだと思います。
異性愛の人々なら、少数派は何か問題があって「正常」ではない性の傾向にねじ曲がってしまったのだ、だからそれを「治療」で本来あるべきの状態、つまり「正常」な性に戻せるはずだ、と考えるかもしれません。しかし、ぼくは、自分と性的対象の年齢が少し異なっているだけの少年愛者が、セラピー程度のことで、セクシュアリティを変更できるとは考えにくい。
異性愛の欲望だって同性愛にならなかったという意味で、ぼくに言わせれば偶然の結果です。フケ専だって、デブ専だって、ロリコンだって、萌え系だって、巨乳好きだって……みんなそういうものなのではないでしょうか。それぞれ本人の実感の中では、選択的なものではなく、自然にそうなっていた、としかいいようがない。(中略)それがちょっとやそっとのことで恣意的に変更できないことは、同性愛の例を考えても明らかでしょう。そんなものが簡単に変わるのなら、誰もマイノリティとして社会的な不利益を被ったりしません。
これには強く同意せずには居られなかった。欲望に理由付けをしている人々も居るが、後付けにしか思えない。
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、成人後も思春期の年代の女子に執着し続けている」
「思春期に同級生女子に拒絶されたので、母性を感じる年上女性に惹かれるようになった」
どちらも理由として通じる。理由付けなど、本人が欲望を正当化したり納得したりするための自己満足的行為でしかなく、
実際はただ「思春期女子が好き」「年上女性が好き」という好みがあるだけなのだ。
どのような好み・欲望を持って生まれ育つかは、ほとんど偶然の産物である。
それが万人に理解されやすい欲望ならば仲間と馴れ合うネタになるし、無理解・嫌悪されやすい欲望ならば迫害される。
欲望が自分にとってプラスに働くかマイナスに働くかは、運でしかない。
相手に暴力を加えたり、死に至らしめたり、年少者の心に傷を残すような行為は認めない、というのはこの社会の原則でしょう。そうしなければ社会を担う次世代を育めないし、子供たちの可能性をつぶしてしまうことになる。(中略)それゆえその禁止は徹底せざるをえないでしょう。
二人の同性愛者が愛し合っている関係はWin-Winであり、社会を脅かす存在でもない。
海外ではゲイカップルが養子を育てている例が見られるが、養育リソースとして活用できるなら社会にとってプラスの存在であるとも言える。
「聖書が同性愛を否定している」「なんだか気持ち悪い」などの拒否反応を示す人もいるかもしれないが、
性同一性障害、女装癖、二次元オタク、BL好きなどの様々な少数派も、気持ち悪がる人は居るが、その欲望による社会への実害は発生しない。
しかし「暴力を加えたいという欲望」「死に至らしめたいという欲望」「年少者の心に傷を残すような行為をしたいという欲望」は、
実害を発生させる欲望であり、社会を脅かす欲望であり、社会に受け入れられることが期待できない欲望である。
「なんだか気持ち悪い」は、解放運動によって薄まっていく希望があるが、「実害を回避したいという強い恐怖感」はどうにもならない。
あなたは他人の性欲を充たすために死に至らしめられたいか?あなたの子供が幼児性愛者に性的暴行されることを受け入れられるか?
対人関係の欲望の問題は、多数派か少数派かということが焦点ではない。
Win-Winになりうるのか、Win-Loseでしか成り立たないのか、そこが一番の問題なのだ。
伏見憲明氏は少年愛者の相談に対し、同人誌などフィクションで欲望をみたすことを提案しているが、それでも完全ではないともしている。
追記:
ChieOsanai 実害がない近親結婚の解禁を唱えても怒るひとが必ず出てくる。四六時中、近親相姦に怯えるようになるって言ってるひとがいたけど、現状日本では(強姦ではない)近親相姦は法的には禁じられてないからね。
婚姻による所領の流失にも敏感であった。そのため、叔父と姪やいとこ同士(二重いとこの場合もあった)という血族結婚を数多く重ね、一族外に所領が継承される事態を防ごうとした。その結果、17世紀頃には誕生した子供の多くが障害を持っていたり、幼くして死亡するという事態が起こった[2]。カール5世以降、下顎前突症(口を閉じているときの顎の形のことではなく、歯を見せたときに上の歯より下の歯が前にある)の人物が一族に多くなっており、カール5世は不正咬合により食事は丸呑み状態であったことが伝えられている。特にスペイン・ハプスブルク家ではカルロス2世のような虚弱体質・知的障害を併せ持った王位継承者を誕生させ、スペイン王位をブルボン家に渡すこととなった。そのブルボン家も血族結婚を古くから重ねており、ブルボン家とハプスブルク家の間で頻繁に婚姻が行われるようになると、双方で夭折したり、成人に達しても身体に障害を持った人物が続出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%82%B9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%AE%B6
nomitori これの究極が殺人衝動もってる人なんやろなぁ…自殺志願者を絞殺して死刑になった人いたけど、あれはあの人なりに社会と折り合おうとしたんやろうな…もちろん社会はそれを受け入れられないわけだが…
このブコメが最も投稿の意図を汲み取ってくれたと感じた。ありがとう。
saigami こういう話題が出る度に「自分は同性愛者だけど小児性愛者も差別されるべきではないし権利保護されるべきだと思ってるよ」とアピールした方がいいのだろうか
小児性愛者の権利保護とは何なのだろうか。アメリカではゲイを寄ってたかって暴行する事件が起きているが、小児性愛者もそういった暴力に晒されているということだろうか?
部落差別のように就職時の差別などを受けているのだろうか?いったい、どんな実害を被っているのだろう?
成人を対象とした異性愛者は、結婚という制度による保護を受け、社会のお墨付きを得ながら性欲も満たしていてずるいということだろうか。
小児性愛者の権利保護は「成人男女が、実在の児童を性欲解消のために使う権利」を保護することだろうか。
しかし成人を対象とした異性愛者であっても、貧乏ブサイクバカが金持ち美形優秀な異性を求めても、ディール不成立となる。
結婚しないのではなく、できない「成人を対象とした異性愛者」などいくらでもいる。
貧乏ブサイクバカ男と金持ち美形優秀女でも、貧乏ブサイクバカ女と金持ち美形優秀男でも、同じである。
性的指向も、本人の性別も、関係ない。Win-Loseならば性的関係のディールは不成立となる。
成人同士なら「自分が一方的に不利な関係を強いられていないか?」という判断を「お互いに」することが可能だが、成人と子供の場合はそうではない。
親と子の関係も、子の判断力や選択肢が限られている以上、不平等なものである。だから保護者による子供への虐待はひときわ憎まれる。
要は知力や体力で圧倒的に勝る存在が、劣る存在に対して一方的に欲求を押しつけるのは暴力なのである。
「オレのSはサービスのSだから」などとのたまうなんちゃってサディストではなく、見ず知らずの人に対する理不尽な暴行や殺害を熱望する純度の高いサディストや小児性愛者は、
欲求の根本に暴力、Win-Loseを含んでいる。これが問題なのだ。
「サディストや小児性愛者の権利保護がなされている状態」について教えてほしいものだ。
補足しようと思っていたことがブコメで補足された。ありがたい。
例えば視力ってのはかなり遺伝に影響される要素ではあるんだけれど、「近眼」程度の遺伝はそんなもん産むか産まないかの判断に含まれない程度の些細な要素となっているよね。
何故なら、世の中にはメガネというとても美しい装飾具があるおかげだね。
それと同じことで、産まれたタイミングではどうかわからないが、時間が経てば「障害? 笑わせんな」程度になってしまうようなハンディキャップってのはあるんじゃないかねえ。
http://anond.hatelabo.jp/20150129121148
生身の脚を上回る機能の義足が登場したりと、ツールの進歩がハンディキャップをハンディキャップじゃなくしていくことには希望を持っている。
たとえばVR技術が発達して、サディストや小児性愛者の欲求をかなえるVRが誰でも享受できるようになれば、彼らの欲求不満は解消されるのかもしれない。
とにかく、一方的な欲求を受け止めるのが、知識や判断力がまだ備わっていない現実の子供であっては、絶対にいけないのである。
TakamoriTarou フィクションは、確かに完全では無いにしても、擬似的に体験して衝動をコントロールする機能を担っているわけだが、最近はそれすらも許さぬと言う雰囲気が出てきており非常に厄介だと思う。
疑似体験を禁止するのは愚行であると思う。フィクションがガス抜きしてくれるから現実の治安が保たれるのだ。
あらゆるWin-Loseを疑似体験が引き受けてくれれば、欲求をぶつけられて傷つく人も、欲求がかなえられずに怒る人も、鎮まっていくだろう。
(そしてフィクションの人間と現実の人間を比べて、現実の人間を誹謗中傷するのは、最も醜く愚かな行為である)
bloominfeeling 欲望問題はいい本だったなぁ。著者のセクシャルマイノリティに関する本は数冊読んだ。
本当にいい本だった。私はどうにも人を煽るような、喧嘩を売るような書き方をしてしまいがちだが、『欲望問題』は理解を深めて広げるような書き方に仔細に配慮しており、
ここには書ききれなかったコミュニティに関する話もとても内容が濃かった。私の投稿にイラついた人にも『欲望問題』はぜひ読んでほしいと思う。