はてなキーワード: 胸キュンとは
仕事はいそがしいんだけど、忙しさ自体は一年前も似たようなもんなのになにこれ?動悸こわい。超ドキドキする。恋か?ってくらい胸キュンキュンする。ここんとこ一週間、朝起きるたびに胸ドキドキ。昼過ぎまで胸に違和感。
過労死という言葉が頭をよぎる。医者行け?休め?そうだよな。俺もだれかが胸いたいとか言ってたら同じこというわ。だけど今週中に稟議通さないといけないんだわ。
来週には通院と休み、できるかな。稟議通したさきにもまだまだ仕事待ってるんだけど。あと2ヶ月は踏ん張らないといけないかな。休みたい。
まあ土日は休みなんだけどさ。共働きだし子供小さいし、俺ばっかり寝てるわけにもいかないから。ゆっくりするなら平日に休みとらないとな。
辛いけどこれさえ終わればきっと楽になる。
※この増田はランダムお題で連続小説を書こうとする増田(32歳)の無謀な挑戦である。
慣れれば退屈な職場だと同僚たちは口を揃えて言うが、この職場は俺にとっては[天国]だ。
というよりも、俺にとっては仕事があって、残業が少なくて休みが週2であって、たまに女の子のパンチラが見れるならそれで十分なんだ。
そもそも、自分たちのような単純労働者がありつける仕事なんてどれも大差はない。
衣装が臭くて、意外と体力仕事でキラキラを夢見て入った新人はすぐ辞めるけど、その代わりに休憩時間と給料はちゃんと貰える。
これで十分だ。
[偉い人]は言っていた。
「どこでも一緒」、と。
それって[胸キュン]?
1-3 完
https://toyokeizai.net/articles/-/234507
この記事、またたくまに「男女逆なら大炎上!!!」ってブコメがついて炎上したのだが、
実際に同じライターによる「男女逆」が既にあった。
https://toyokeizai.net/articles/-/213460
この男女逆記事がトップブコメになり、完全論破されたにもかかわらずまだ「男女逆なら炎上ぅぅぅぅぅぅぅ!!!」と叫ぶ盲目的な被害妄想にかられたブコメが多いこと。
このクソライターの唯一の功績は、「男女逆なら大炎上!」が被害妄想であり全く逆であると証明したことだった。
男女逆なら大炎上厨が同じく沸いていた男おひとりさま禁止イタリアレストランの時も、女お一人様禁止居酒屋は全然炎上してなかったしな。
http://www.moae.jp/comic/dokushinol/116
胸キュンするじゃないの!
どこまでいくのかなー付き合うのかなー
なんかこうね、付き合うか付き合わないかみたいな時が一番キュンとするよね。少女漫画脳かね。
タマ子とイチノセ氏の距離感がほんとにすこーしずつ近づいてるのがいいよね。映画っていうのが本当にたまらんよね。
映画だと約二時間隣に座れるし、薄暗いからってチラチラ横顔見たりしてね。
映画見てる場面ガッツリカットされてるけど、きっと映画で号泣してるタマ子をイチノセ氏が見てたりとかして…イチノセ氏は内容覚えてなかったりするんだろうなぁ…
独身OLのすべてにギャグとか皮肉とか求めてたのよ!!昔の私は!!!!
イタジョもマヌ~ルも読んでるし面白いと思うけど、一回ラブコメ描いてほしい…
追記
なんか君に胸キュンみたいな語感だな
故有って、2週間ほどいわゆる少女マンガの人気作品を読み漁っていて、気づいたことがある。
ティーンターゲットの少女漫画誌の中には、性的に過激なものもあったりするとは聞いてはいた。
登場人物たちは頻繁に、強引にキスされたり関係を迫られたりと大忙しで、小学生も読む可能性あると考えるとハラハラだなと最初は思ったのだが、
物語を追っていると、性的に奔放な登場人物でも、実際にセックスするまでにはかなり引っ張るということに気付いた。
まぁでもこれは少年マンガでも同様で子供ターゲットならではの「セックス」を物語のエンジンにする方法だと思う。
それと、もう一つ、多くの場合、二股や不貞に関してはかなり高いハードルが保たれていることだ。
主人公たちは、学校の先生や兄妹やら、割と社会的タブーが強い恋愛にも積極的にのめり込んでいく。しかし浮気や二股には妙に厳格である。
その他の恋愛タブーについてのオープンさに比べると、不思議なほど二股ハードルが高い。
胸キュン至上主義の少女マンガだけに、主人公のカップルの双方に必ずライバルが出てきて誘惑するのが常だが、
これらの「お、浮気か」シチュエーションは、あくまでも主人公カップルの「美しい恋」を引き立たせるスパイスでしかなく、
ライバルたちと実際に一線を越えることはほとんどない(全部読んでるわけじゃないから分かりませんが)。
ライバルたちは、ちょっとそれ犯罪なんじゃレベルの誘惑をした後でも、それによって主人公たちがグラグラと欲に揺さぶられたとしても、
なんでやねんと思わずツッコんだ。関西人でもないのに。そこまでえげつないことなってるならもう最後まで致したりーや。である。
「友達の彼」という、もろ浮気シチュエーションのテーマも、少女マンガには頻出するのだが、
これも「友達と片思い相手が付き合っている期間中」に、片思い相手と行為(キスや抱き合ったりなど)が行われることは原則は無いように思う。
有りのケースはただ一つ、「片思い相手が本当は主人公が好きになっていて…辛抱溜まらんくなって」というシチュエーションで、
上に述べたライバルと同様、胸キュン欲を掻き立てるための「物語のスパイス」である。ライバル視点というか。
面白いのは、「胸キュンのスパイス」である浮気シチュエーションにおける「辛抱溜まらなさ」が、
彼女たち(主人公、片思い相手、ライバルなど)にとって、地球破滅レベルの罪悪感として描かれがちなことだ。
作品によっては、このまま出家するのでは、断頭台の露となるのでは、というレベルで深刻に苦悩する。
ちょっとキスされそうになったぐらいでなぁ、お前ら普段はかなり奔放なくせに、妙にカマトトぶりやがって。
少女マンガは基本的に夢と胸キュンの世界な訳で、リアリティに立脚してツッコむなんて愚の骨頂でしかないのだ、解ってはいるのだが、
バランスが悪くてつい気になってしまう、これって、何が理由なんだろう。自主規制があるんかな。乳首描写NG的な感じで二股はNGとか?
そして、そうじゃない(主人公がシモが緩い)少女マンガの名作があるならぜひ読んでみたいので、少女マンガに詳しい増田がいたらぜひおススメください。
何となく、一昔前に流行ったケータイ小説的な、援助交際モノみたいなジャンルとかあんのかな。なにしろ少女マンガ業界に全く明るくないので分からないのです。
言葉なんて伝われば良いから、細かいことには気にしないという人がいます。
言葉の乱れについて毎回細かく言う事が正しいかは分かりません。
しかし、言葉なんて伝われば良いという感覚はまさに伝わらない原因になるのではないかと考えます。
あるサイトで(個人サイトでは無くて公のサイト)「胸キュン」という表現がされていました。何かと思って検索したら、少し昔にこういう表現が存在したらしいです。
他に、「ロハ」という言葉が使われていたことがありました。何かと思って検索したら、大正時代では無料の事を若者言葉でこのように表現したらしいです。
伝わるだろうという感覚で上記のような表現をして、いちいち検索させるのは、公の場として不適切だと考えます。大した手間では無いけど、検索させることが失礼。
「さわり」など誤用の多い言葉を誤用で投稿されたり、必要性の無い伏せ字も誤読を招き分かりにくいです。
実際に、質問サイトで質問の意図と異なる回答が付いていた事もあります。
私自身も文章はかなり下手ですが、俗語や隠語なんて伝わる人と伝わらない人に分かれる事くらいは理解できます。なので、親しい友人間のやり取りを除いては、一般的な表現の使用を私は心がけています。
CM見て思い出した。
家族が割と好きらしく、月曜日は必ずこの番組が始まるくらいに帰宅するが、いつもこの番組が流れている。
学生のころ、興味本位で学校課題で子供向けヒーロー&ヒロイン物のアニメや特撮作品の簡単な論文を書いたことがある。
それを踏まえても心理学的な方面から見てまあほとんどの子供はああいった構成のストーリーは好きだろう。(この場合の子供というのは、ちょうど就学直前から中学生になりたてくらいを指す)
(社会的に)日常を脅かす敵がいて、迷惑被る人がいて、ヒーローがやつける、いわゆる勧善懲悪パターン。アンパンマンが典型的だ。
で、重要なことだが、勧善懲悪は文字通り悪を懲らしめることであって、悪人にリアル正義の鉄槌を下すことではない。これとても重要。
アンパンマンもプリキュアも、悪人を半殺しにしたり村八分みたいな社会的抹殺はしないのだ。
ルパン三世 カリオストロの城 とか もののけ姫 とかあれも悪人をやつける系の誇張パターンだが、結局悪人は何かしら失っている(命とか地位とか)
半沢直樹とか花咲舞とか池井戸潤原作のドラマとかも思い出してみて欲しい。悪い側の誰かにリアル正義の鉄槌が下されてはいないだろうか。
ここまでで思うことがある。
悪を懲らしめるストーリーは万人ウケする。これは幼少期の刷り込み以来だからしかたない。が、さすがに幼稚過ぎないか?
ところで、わたしがスカッとジャパンのなかでも最も嫌いなのが胸キュンなんたらというコーナーである。
正直、あれは大人の見る映像作品ではないし、お茶の間に流すな。というレベルで不愉快である。
これに関しては、ちょっと二次元臭い要素が大きいのが問題なのだ。
モテモテの男に恋するヒロイン、それを妬んで影で虐めるヒロイン、助けてくれる男。そして告白。ハッピーエンド。
あまりに安っぽい。
このテンプレートは誇張版が過去に流行ったのを覚えているだろうか。
レイプや妊娠、いじめや暴力といった暗い話を盛り込み、10年ほどまえにちょっとした社会現象になっていたあれである。
これも上記同様子供っぽすぎて見ているこっちが製作者の精神年齢を疑いたくなるひどいものだが、もっとひどいのは、先ほど述べたケータイ小説や少女漫画、ティーンズ系ロマンス小説を読んで育った女子しか対象にしていないようなクソストーリーである。
この番組の不愉快の根源は現実味が皆無で本当に子供しか喜ばない純然たる勧善懲悪モノであることだろうと思う。
2ちゃんねる生活板とかのウソっぽいキチトメまとめのほうがよほど現実味があってまだエンターテイメントとして優れてるかな。まあどんぐりの背比べだけども。「アンパンマン頑張れー」ってな感じで外野が騒いでるような雰囲気やコメントは同レベルだし。
( ・∀・)<エロイナ
分類1:手淫
分類2:パンチラ
分類3:ハグ
分類4:キマシタワー、萌え
恋人 :分類1○ 分類2○ 分類3○ 分類4○ ※ただし上手くいっている場合に限る
風俗など:分類1○ 分類2○ 分類3○ 分類4×?
自慰 :分類1○ 分類2○ 分類3× 分類4×
分類2:特になし
分類3:心が殺伐とする
分類4:心が殺伐とする
分類1:不要となる
分類2:反応が鈍くなる
分類3:変わらない
分類4:変わらない
・一般創作+自慰+風俗が上手くハマると殺伐とはしないのかもしれない
・恋人最強説は揺るがない
本日記は、新海誠監督による劇場アニメーション映画『君の名は。』および『秒速5センチメートル』の結末に関する内容を含みます。
今日、新海誠監督作品『君の名は。』を観て、私はふたつのことを思った。
ひとつは、新海氏の監督作品でまだ観ていない、『星を追う子ども』と『言の葉の庭』を観てみたい、ということ。
もうひとつは、「新海監督って、一貫してるなァ」ということだった。「観てない作品があるのに、一貫してるかどうかなんてわからないだろ」
とは自分でも思うのだが、「一貫してるなァ」と思ってしまったのだからしかたがない。
『秒速5センチメートル』の二人は、なぜ最後に、本作のような形で、出会えなかったのかなァ、ということを考えた。
あの二人を、本作のような形で、出会わせなかったものはなんだったのだろう、『秒速5センチメートル』にあって、
本作になかったものなんだったかな、と考えて、それは、罪悪感とか後ろめたさのようなものではなかったか、と私は思った。
なぜ罪悪感なんかを抱くかといえば、「大切な存在を小さくしたのは、時の流れるままにした、他ならぬ自分だ」と思うからで、
一方の本作で罪悪感なんかを抱かないのは、「大切な存在を小さくするのは時間のせいでも自分のせいでもなく、
人智を超えた力によってそれをスパッと忘れさせられてしまうから」である。
喪失感はあるが、「喪失させたのは他ならぬ自分だ」という後ろめたさはない。
一緒に観に行った友人が、『秒速5センチメートル』で劇中の時間を多く割かれた恋愛のディテールが本作ではほぼ描かれないことを、
「欲をいえばもっと胸キュンしたかった」とか言って少し不満がっていたのだが、私はなんとなく、それはこんな理由じゃないかと思っている。
私の憶測に過ぎないが、『秒速5センチメートル』では、長い「時間」を見せることで、大人になった主人公が罪悪感というか、
後ろめたさというか、申し訳なさというか、そんな感情を抱いているのだと、観客に理解して欲しかったのだろう。
第2部以降、主人公が送る日々を見る観客は、「彼の心の中では彼女との思い出の領域はもう増えないのに、
その他の領域は大きくなるばかりだ」ということがわかる。
彼女の存在の相対的大きさの縮小に慣れようとする彼が、その「慣れようとした」という自覚によって、
思い出や、かつて抱いた強い想いを粗末にしているような疑念や後悔を感じ始めることも。
恋愛のディテールが長く描かれたのは、そんな第2部以降の時間とのバランスをとったからだろう。
一方、本作では、「何か大事なことが色々あったはずなんだけど、思い出せない」という、喪失感だけを観客に共有して欲しかったのだろう。
そのために、観客を「二人に恋をさせたものが色々あったのだろうけど、断片しかわからない」という状態に置くことを選んだのだろう、と私は思う。
本作で、再会を果たす直前の主人公は『秒速5センチメートル』のモードに入りかけている。
それは時間が経つにつれて、「思い出せないままにしている」自分を責める気持ちが徐々に強まるからだろう。
きっと、時間とともに何事かを忘却したり喪失したりすることに対して、罪悪感のようなものを感じてしまう、というのは、
しかし、本作の二人は再会できる。それはおそらく、本作の世界観では「忘れる」だけでなく「思い出せない」もまた、
時間のせいでも自分のせいでもないからだろう。「時間という要素によって、出会えなかった」物語を描いた人が、
「時間という要素がないのなら、出会える」という物語を描いたのだ、と私は思った。
新海監督の2作品、『秒速5センチメートル』と『君の名は。』の対比は、生花と造花を思わせる。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251
この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライターが仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村と野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。
まあネットを巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか。
で、内容は
東浩紀や渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気が天才的なんだと。ううん?
ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。
>こういう風にお互いに共通する世界観、作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサーの仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。
中略
>高木正勝や山口一郎や野田洋次郎や中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さらに主題歌と劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画と音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気のプロデューサーとしての天才性だと思う。
おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい。
なんか知ってるなあ。こういう物語と音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌のタイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名を同人誌のタイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲を脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。
結局川村元気においての映画と音楽なんてのはこういうことを東宝のプロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。
本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生のポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツで君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌の歌詞の考察でアニメ映画の評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章にブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本のアニメシーンで最高峰の人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。
チャーリーのポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。
君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。
そして新海誠が作った山崎まさよしのPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年、ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。
つまり、アニメ文化とPV的映像センスの親和性と消費者のリテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空の世界、二次元キャラアニメ世界に没入させる技術が今の10代20代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。
そしてさらにカゲロウプロジェクトや告白実行委員会、ボカロ小説といった、若者向け物語文化がさらにそういうPV的な音楽と物語の需要にさらに拍車をかけた。
はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。とカゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春ドキドキ胸キュンストーリーだし。
震災をダシにしつつ実際は自分の恋愛の成就にしか興味がないウスラバカのための映画で子供の背伸びにもピッタリ。
というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影のキラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものはスピリチュアルでスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムしちゃう連中。
田中将賀のパンピ向けデザインが安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム超作画で青春ドキドキ胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸な物語センスの新海誠と凡庸な音楽の仕掛け人であるところの川村元気のセンスが大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当な見解でしょうよ。
物語コンテンツの需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝を大衆向けの物語でやったから川村がすごいんだと単細胞な意見でつっかかってるんだね。ガンダムとマクロスをたとえに出して、君の名は。とカゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリの文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。
君の名は。をバカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気は他所の畑で実った果実を自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない?
こっちはライターがフェアな関係であるべき対象を天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。
文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈を歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。
なぜヒットしたのか? 天才プロデューサーの仕事だからでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライターがプロデューサー褒めそやしてバカな素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。
このライターの人も君の名は。をRADWIMPSの音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。
とりあえず人並みに義務教育を終えて、何とか公立高校に進学して、私立Fランだけど何とか大学進学して、運と偶然と何かの間違いで就職もできたけど、友人も知人もいない(一定以上に親しい人がいないという意味では無く、私用携帯の電話帳が空っぽなレベルでいない)し彼女なんて紙とJPGでしか知らないまま三十路を過ぎて折り返し。きっとすぐに四十路、五十路を迎えていくんだろう。
進学のことは学校で教えてくれた、就職のことも学校なり何なりで教えてくれた、だけど友人や恋人の作り方なんて誰も教えてはくれなかったし学ぶ機会すら無かった。しかし世の中の人達はみんな、どこかでそれを学び、知り、経験していってるはずなんだ。
なら自分は何処でそれを見逃したんだろう。或いは、一体何処で自分は道を間違えてしまったんだろう。それに気付かない限り、きっと何度やり直せても間違えてしまうと思う。
自分には想像も付かないけど、少女漫画みたいな胸キュンラブコメみたいなイベントをみんな隠れてどこかでやっていたんだろうか。伝説の木の下で告白とかやってたんだろうか。見えないところで、バレンタインのチョコを渡したりとかしてたんだろうか。
それらはマンガやゲームの話であり、フィクションに過ぎないと思っていたが自分に見えてなかっただけだったのか。
増田さんは恋愛をしたいのではなく、恋愛ができる人間になりたいのではないでしょうか。
本当は一人でいたいのではなりませんか?
でも恋愛しないと普通に見られないという世間からの視線を過剰に気にしている。
ここのコメには、もっと頑張れ、ああしろ、こうしろそうすれば彼女なんてすぐできるなどと上から目線で指導して、でも甚だいい加減な言説を振りまいて悦に入っている。さらに増田さんを再び恋愛戦争に放りこもうとしている。
これは酷いいじめに遭って「もう死のう」とまで思いつめている子に、がんばれ逃げるなと無責任なこと言っていじめっ子のいる学校に押し戻そうという非道な行為と一緒だ。
増田さん、恋愛をしないと半人前みたいな世間の流言など真に受けてはいけません。
恋愛をしないと半人前みたいな間違ったプロパガンダなど信じてはいけません。
江戸時代中期の江戸の男性の約50%は一生恋愛も結婚もできなかったそうです。
紹介されたらそのまま結婚まで一直線。
他の男に目移りするのはふしだらとされていた。また今みたいなイケメンブームもなかった。目の前の男性が正当に評価される環境だったので男が無慈悲に振られるケースはまれだった。
女の男を見る目が厳しくなった。
トレンディドラマや雑誌が「素敵な恋愛」という毒々しいライフスタイルの幻想をばらまいたからです。
恋愛対象はイケメン以外ありえないという間違った恋愛観が世に広まり、嘘にまみれた胸キュンドラマ映画によって胸焦がす恋愛ができないのは欠陥人生などという誤った認識が一般化された。
好きな相手と恋愛するなんてふしだらでインモラルな逸脱行為だった。
恋愛上手な男なんて30年くらい前だったら女の尻ばかり追いかける色狂いの遊び人と批難されたの。
一生童貞でもいいじゃない。
おそらく一生独身であろうルパン三世もドラゴンボールの亀仙人も不幸に見えない。むしろカッコイイ。彼らが恋愛始めたらキャラ死んじゃうよ。
愛だの恋だのと血道をあげるのはやめようぜ、ということだ。みんながみんな、死んでもいいような怒濤の恋愛なんかしてるわけじゃないし、できるわけでもない。それなのにテレビドラマや歌謡曲、映画にロックに漫画に女性誌に中年向け新聞連載小説まで、ありとあらゆるメディアが総動員されて、そういう恋愛がだれにでも可能で、それどころかそれをしないやつは人生の敗北者で、それを体験しないやつは人生をフルに生きていなくて、愛あるセックスをするとアダルトビデオみたいなすげーセックスができるかのようなプロパガンダが流されているけれど、でもそんなのウソだし、おかげでいろんな人が劣等感に悩まされて、「本当の」愛とかを探して無駄な時間と労力を費やしていて有害ですらある。さらにセックスや結婚にまでそういう怒濤の愛が要ることになってきて、そういう才覚のない人間はひたすら孤独に生きるしかないことになる。もちろん、恋愛できる人間はどんどんしてもらって構わない。でも、できない人はそんな無理しないでもよいではないの、ということ。
この山形氏は昨年、資本主義に対して大きな波紋を投じ議論を喚起したトマ・ピケティの「21世紀の資本」の訳者です。彼は強者だけがいい思いをする今の恋愛至上主義にも疑問を持っています。
1%のイケメン、金持ち、小賢しいチャラ男だけが社会の80%の女を手に入れる。残りの99%はわずかな20%を奪い合っている。
恋愛面でいい思いをするのは一部の恋愛富裕層だけ。実に不公平な恋愛至上主義社会。
非モテはいくら頑張ってもキモいだのまだまだ努力が足りないだの非難されるばかりで
いくら頑張っても恋愛など夢のまた夢。だったら夢のままでいいじゃない。
女は月のようなもの
空で輝いているのを薄目でぼんやり愛でていればよいのです。